日輪草の傍らに咲く
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『日輪草の傍らに咲く』第二幕
※怪我表現あり
ーーーーーーーーーー『ねえ、三郎。』
夢の中で、"その人"は僕に笑いかけながら訊く。
幼い頃と同じように。
ーーーーーーーーーー『三郎は、誰か好きな子っている?』
…"あの時"の僕、何て答えたんだっけ。
思い出せない。
家の近くの壁にでも止まっているのか、やたらと煩い蝉の声で目が覚めてしまった。
早朝の時よりも暑さが増したことを、起き抜けのじわりと汗ばむ首筋に感じる。
寝転がっていた縁側から体を起こし、まだボンヤリもやのかかったように感じる頭に手を当てて、眠る前のことをひとつひとつ思い出していく。
先触れの乱太郎を初め、全員が園田村に到着し終わったのは殆ど夜明けに近い頃だった。
迎えてくれた手潟さんが家で用意してくれた握り飯を食べ、満腹と一晩中走り続けた疲労から瞬く間に眠気に襲われた一年生たちの寝顔を見届けてから、僕や雷蔵も仮眠を取っていた。
これから、大仕事が控えている。
まだ寝ている隣の雷蔵を起こさないよう、そっと縁側を降りる。
庭に降りて上体を伸ばしていると、遠く庭の隅の方に植えられた植物の白い花が目について。歩いて近付き、その花にそっと触れた。
「痛み止めの薬の原料だよ。」
声をかけられて振り返ると、とっくに仮眠から起きていたらしい善法寺先輩が、摘んだ薬草の入った笊を持って立っていた。
「手潟さんから許可を取って、採取させてもらってるんだ。いくさとなれば、持ってきた分の薬だけじゃ足りそうにないからね。」
そう言いながら歩いてきて、しゃがんだ先輩は笊の下に重ねていた空の別の笊を取り出して、その薬草を摘み始める。
ーーーーーーーこの小さな村で、タソガレドキ軍とのいくさが始まるのだ。
裏で密かに手を組むタソガレドキとオーマガトキの企みを知ってしまったからには粛清のために、タソガレドキ城がこの園田村に兵を差し向けて来ることは十分考えられた。
眠りにつく前。僕たちよりも先に到着していた乱太郎から粗方のことは聞いていたという手潟さんは、改めて先生たちからも話を聞くと、
「来るべき時が来たのかもしれませんね。」
と、静かにポツリと呟いていた。
「オーマガトキを裏切ったことは後悔していませんが、さりとて、オーマガと共に我々を騙していたタソガレドキに、全くの無抵抗で従うつもりもありません。今こそ、惣の意気地を見せてやるのです。」
そう話す彼だったが、戦う要員であるはずの村人は全員裏の山の方に避難させたのだと話し、聞いていた僕らを驚かせる。
…つまり、応援であるはずの忍術学園の関係者が主体となって、そのタソガレドキ軍を迎え撃たねばならないということである。
佐武の鉄砲隊にも応援を頼んでいる、ということだったが…。
家の奥の方では、まだ寝ている生徒を起こさぬよう声量を落として、座って向き合った山田先生と手潟さんが話している。
「ーーーーーーーじきに、我々忍術学園の応援が到着するかと思われます。」
「はい。今回のことは大川平次渦正殿にもお約束いただいております。どうぞ、よろしくお願いします。」
深々と頭を下げる手潟さんに、山田先生はため息をついた。
「一度決定したことならば仕方ありません。…まさか村人全員が避難しているとまでは思っていませんでしたが。」
少し嫌味を混ぜる先生に、対する当の本人はケロリとして、
「皆、非戦闘員なものですから。いくさのことならば、皆様の方が良くご存知かと。頼りにしております。」
と、微笑んでいる。先生はもう一度ため息を吐ききってから、気を取り直したように手潟さんと今度は村の防衛の計画について話し始めた。
「大変なことになったもんだよねえ。」
善法寺先輩が苦笑する声に再びそちらを振り返ると、「でも、できる限りのことをやらなきゃね。」と、薬草を摘む手を休めることなく言う。
「お手伝いしましょうか?」
「ありがとう、でも大丈夫だよ。もう少ししたら文次郎たちも到着するだろうから、村の防御を固める作業の方を手伝ってやって。」
「はい。…」
話が途切れたのに、ついそのままそこに立ち尽くしてしまった。先輩が手を止めてこちらを向く。
「…どうかしたのかい?」
「いえ、何も。」
「鉢屋って、意外と隠すの上手くないよね。」
咄嗟に返す台詞が見つからなかった。
惑わされずに鉢屋三郎だと分かってずっと話していたこと、「隠すの上手くない」と指摘されたことに不意を突かれて。
多分、あまり気分の良い表情はできていなかったのだろう。しゃがんだまま、先輩が申し訳なさそうに苦笑する。
「気を悪くしたらごめん。でも気になっているんだろう?陽太のこと。」
否定したところできっと、無駄なのだろう。
「……ご本人が聞かれたくないことなら、無理にお訊きしませんよ。」
せめてもの抵抗のように、先輩の顔から目を逸らしながらそう返す。
「そうだね。じゃあ、あの子に怒られない範囲で。…痕が残るような傷ではないよ。薬は塗らなきゃいけない程度ではあるけど。」
彼の言葉に、昨夜のことが同時に脳裏に浮かぶ。
一瞬だった。
僕らのすぐ近くで先生たちがプロの忍者たちと戦ううち、その中から一人が抜け出した気配がしたのも。
僕らと少し離れて並走していた彼女が、それと同時に急加速して乱太郎と善法寺先輩がいる方向に駆け出したのも。暗闇に遠く姿が見えなくなってしまうのも。
先に行って下さいと、声をかける暇すらなかった。
それからしばらくして。どういう訳か突然敵の手が引き、不審に思いつつも山田先生と土井先生も僕らと合流して、ひたすら走り続けていた。
その途中。
「……善法寺、上町!」
気付いた山田先生が、身を隠すように大木の根元にしゃがみ込んでいる二人に声をかけて駆け寄る。
僕らも、その後に続いた。顔を上げた善法寺先輩の近くに、山田先生が膝をつく。
「乱太郎は?」
「敵の強襲に遭い、先に逃しました。ですが先生…」
「どうやら敵は全員、退却したようだな。」
「はい。…恐らく僕らが遭遇したのが、利吉さんの仰っていた忍組頭と思われます。でも途中で『手を引く』と言われて…。」
「うむ…実に不可解なことだが…。ーーーーーーー負傷したのか?」
「いえ、僕は…。陽太が、鎖骨の下辺りを少し切られました。」
善法寺先輩と向き合う形でうずくまるひまり先輩が頑として顔を上げようとしない理由は、彼のその短い報告で推し量れた。
「上町先輩、大丈夫ですか?」
「大丈夫、応急処置は済んでるよ。傷も浅い。」
一番近い場所にいた雷蔵が問うと、きり丸たち一年生も含めて僕らを安心させるように善法寺先輩が代わりに答える。
…と言うより、彼女にあまり注目が行かないよう手短に答えたのだろうけど。
立ち上がった山田先生が改めて全体に向けて声をかけた。
「よし、では園田村に急ぐぞ。敵の気配は無いが、警戒を怠るな。」
「…!待って陽太、無理に走ったら傷に障るよ。乱太郎なら僕が追うから…」
立ち上がりすぐさま乱太郎を追おうとした彼女を善法寺先輩は腕を掴んで引き留める。が、彼女はその腕を強く振り払って、乱太郎の向かった先を追っていってしまった。
こちらを一切振り返らないまま。
「…後を、お願いします。」
山田先生に言い置いて善法寺先輩も、彼女と同じく走っていった。
「鉢屋。悪いけど一つ、頼まれてくれないか?」
善法寺先輩に声をかけられて、再び彼の顔に意識が戻る。
「痛み止めを作ったら君に渡すから、陽太に、渡しておいてほしいんだ。」
「…僕より先輩からの方が、素直に受け取るような気がしますけど。」
「そんなことないよ。」
優しく笑いながら首を振る彼のその言葉は、僕の意見を否定したのではなく自嘲だったのだと次の言葉で気付く。
「…傷を負った場所が場所だからかな。手当ても全然させてもらえなくてね。自分でやるから、って。」
鉢屋からだったら受け取らない、なんてことはないよ。…という意味ではなく。自分からじゃ今の彼女は受け取らないから、ということらしい。
だからって。
都合良く利用するなんて。
「…薬、できたらいつでも呼んで下さい。」
踵を返して、家の中に戻る前に。
「分かった。ありがとう。」
あなたの為なんかじゃない。
舌打ちしそうな気持ちと裏腹に、出た言葉はあまりに物分かりが良くて。
嫌ですご自分で渡す努力をして下さい、と断る選択肢も確かにあるのだろう。だけど。
この人は、僕が断りたがる理由を知らない。
押し通せば、それはあまりに子供じみた行為として目に映るのだろう。
その方が癪だと。
ただ、そう思っただけだ。
「バイっト代のぉ為ならばあ〜!!あひゃひゃひゃっ!!」
タダ働きだと思っていたのが手潟さんからバイト代を出すと気前良く言われた途端に生き生きと仕事に勤しむきり丸を初め、昼より少し前頃に到着した忍術学園全員が村を守るための作業に取り掛かっていた。
「きり丸ってばもー、そんなに張り切ると肩痛めるよ?」
心配そうに忠告する乱太郎や、周囲も呆れ笑いでその様子を受け止める中、防護柵や逆茂木の取り付けなど着々と準備は進んでいく。
「……三郎、」
ふと、誰かに声をかけられた気がして、辺りを見回すとひまり先輩が「ちょっと、こっち」と木の陰から手招きをしているのが見えて。
そのことを僕は、意外だと思った。
ーーーーーーーーーーまだ忍術学園の応援が到着する前。
僕は、彼女とほんの一瞬だけ会っていた。
…多分その時はまだ、誰とも会いたくなかったのだろう。彼女は、手潟さんの家の裏手に一人でいた。
僕がその姿を見つけた時、その背中は片膝をつきしゃがんだまま、振り上げた拳を地面に強く叩きつけて。
「…ッ、」
荒げた息の中、ふとこちらの気配に気付いたのか振り返って。
僕から顔を逸らし、避けるようにその場を後にする。制服の合わせの辺りをぎゅっと掴みながら。目線を合わせないまま。
どれほど長いこと、その場にいたのだろう。彼女も、そして或いは僕も。
先輩がしゃがんでいた辺りに近付き、同じように腰を落として拳の衝撃で抉られた土にそっと触れる。
指先でさら、と撫ぜると、拳の跡かどうか分からない形になった。
きっと、見られたくなかったに違いない。
善法寺先輩すら避けている様子の彼女だ。
だから、自分に声をかけてくるとは思ってもいなかった。
誰も自分たちの方を見ていないことを確認してから、彼女に近寄る。
「何ですか?」
「ごめん、あのさ…裏の山の方に避難してる村の人にお昼持って行きたいんだ。手伝ってくれない?」
そう言って、一人で作ったのか大量の握り飯を乗せた大きな盆を見せる。
……覆面で見える範囲での顔や、雰囲気を見る限りではいつもと変わらない。
昨晩何があったのか、彼女自身の口から語られなくても。
僕を呼んだのも、手伝って欲しいという打算があるからだとしても。
それでもどこか、ホッとしたような気分になる。
「別にいいですけど。…ずっとそれを作ってたんですか?親切ですねぇ。」
「手潟さんは先生方と話があるから忙しいと思って、代わりにさ。それ持ってきてくれる?」
そう言いながら、お盆を持ったまま山の方に踵を返した。
それ、と言われた、彼女の足元にあった水入りの竹筒を詰め込んだ籠を背負って、彼女の後についていく。
「…こっちの作業にあまり来ないなとは思ってましたけど。」
そう、声をかけると。彼女は、歩みを止めないながらも、ポツリと。
「…皆と違うことしてさ、考えないようにしてるだけなのかもしれないな。」
それは、僕に向けて言った、と言うよりは自分自身に問うているかのような呟きだった。
そして、何を、とは。まだ話そうとしない。
…話題をミスったな。
敢えて軽い口調に切り替える。
「あ、そうだコレ忘れないうちに。お届け物です。」
「え?何、…薬?」
「誰かさんが、ひまり先輩が口聞いてくれないって随分へこんでいらっしゃいましたよ。」
盆を片手持ちにして薬の入った袋を受け取る彼女に、言い添えると。
ムッとして「余計なお世話!」と噛みついてくるか、という予想に反して、受け取った袋を見つめて思案顔になる彼女は。
一呼吸、置いてから口を開く。
「……あのさ、三郎」
「お礼でも何でも、言いたいことはご自身で伝えられた方が良いと思いますけど?」
「……」
先手を打つと、やっぱり何らかの伝言をお願いしようとしていたらしい彼女は口をつぐんだ。
言い当てられて悔しいのか、薬を懐に仕舞って、その後はずっと押し黙ったまま。
避難している村の人たちが隠れている場所近くまで来た時に、ボソッと、
「…何も言ってないのに、そう決めつけるなよ。」
負け惜しみのように言って、僕が何か返すタイミングを奪うように歩く速度を上げて、彼らに近づいて行った。
思わずふっと、一人苦笑をこぼす。
善法寺先輩よろしく僕を利用しないで下さい、…と言わなかっただけでも褒められるべきではないだろうか、とその背中を見ながらそう思う。
お互いの気持ちの連絡係なんて。
そこまでする義理は流石に無い。
そのくらいの聞き分けの無さ程度なら、許されたいところだった。
※怪我表現あり
ーーーーーーーーーー『ねえ、三郎。』
夢の中で、"その人"は僕に笑いかけながら訊く。
幼い頃と同じように。
ーーーーーーーーーー『三郎は、誰か好きな子っている?』
…"あの時"の僕、何て答えたんだっけ。
思い出せない。
家の近くの壁にでも止まっているのか、やたらと煩い蝉の声で目が覚めてしまった。
早朝の時よりも暑さが増したことを、起き抜けのじわりと汗ばむ首筋に感じる。
寝転がっていた縁側から体を起こし、まだボンヤリもやのかかったように感じる頭に手を当てて、眠る前のことをひとつひとつ思い出していく。
先触れの乱太郎を初め、全員が園田村に到着し終わったのは殆ど夜明けに近い頃だった。
迎えてくれた手潟さんが家で用意してくれた握り飯を食べ、満腹と一晩中走り続けた疲労から瞬く間に眠気に襲われた一年生たちの寝顔を見届けてから、僕や雷蔵も仮眠を取っていた。
これから、大仕事が控えている。
まだ寝ている隣の雷蔵を起こさないよう、そっと縁側を降りる。
庭に降りて上体を伸ばしていると、遠く庭の隅の方に植えられた植物の白い花が目について。歩いて近付き、その花にそっと触れた。
「痛み止めの薬の原料だよ。」
声をかけられて振り返ると、とっくに仮眠から起きていたらしい善法寺先輩が、摘んだ薬草の入った笊を持って立っていた。
「手潟さんから許可を取って、採取させてもらってるんだ。いくさとなれば、持ってきた分の薬だけじゃ足りそうにないからね。」
そう言いながら歩いてきて、しゃがんだ先輩は笊の下に重ねていた空の別の笊を取り出して、その薬草を摘み始める。
ーーーーーーーこの小さな村で、タソガレドキ軍とのいくさが始まるのだ。
裏で密かに手を組むタソガレドキとオーマガトキの企みを知ってしまったからには粛清のために、タソガレドキ城がこの園田村に兵を差し向けて来ることは十分考えられた。
眠りにつく前。僕たちよりも先に到着していた乱太郎から粗方のことは聞いていたという手潟さんは、改めて先生たちからも話を聞くと、
「来るべき時が来たのかもしれませんね。」
と、静かにポツリと呟いていた。
「オーマガトキを裏切ったことは後悔していませんが、さりとて、オーマガと共に我々を騙していたタソガレドキに、全くの無抵抗で従うつもりもありません。今こそ、惣の意気地を見せてやるのです。」
そう話す彼だったが、戦う要員であるはずの村人は全員裏の山の方に避難させたのだと話し、聞いていた僕らを驚かせる。
…つまり、応援であるはずの忍術学園の関係者が主体となって、そのタソガレドキ軍を迎え撃たねばならないということである。
佐武の鉄砲隊にも応援を頼んでいる、ということだったが…。
家の奥の方では、まだ寝ている生徒を起こさぬよう声量を落として、座って向き合った山田先生と手潟さんが話している。
「ーーーーーーーじきに、我々忍術学園の応援が到着するかと思われます。」
「はい。今回のことは大川平次渦正殿にもお約束いただいております。どうぞ、よろしくお願いします。」
深々と頭を下げる手潟さんに、山田先生はため息をついた。
「一度決定したことならば仕方ありません。…まさか村人全員が避難しているとまでは思っていませんでしたが。」
少し嫌味を混ぜる先生に、対する当の本人はケロリとして、
「皆、非戦闘員なものですから。いくさのことならば、皆様の方が良くご存知かと。頼りにしております。」
と、微笑んでいる。先生はもう一度ため息を吐ききってから、気を取り直したように手潟さんと今度は村の防衛の計画について話し始めた。
「大変なことになったもんだよねえ。」
善法寺先輩が苦笑する声に再びそちらを振り返ると、「でも、できる限りのことをやらなきゃね。」と、薬草を摘む手を休めることなく言う。
「お手伝いしましょうか?」
「ありがとう、でも大丈夫だよ。もう少ししたら文次郎たちも到着するだろうから、村の防御を固める作業の方を手伝ってやって。」
「はい。…」
話が途切れたのに、ついそのままそこに立ち尽くしてしまった。先輩が手を止めてこちらを向く。
「…どうかしたのかい?」
「いえ、何も。」
「鉢屋って、意外と隠すの上手くないよね。」
咄嗟に返す台詞が見つからなかった。
惑わされずに鉢屋三郎だと分かってずっと話していたこと、「隠すの上手くない」と指摘されたことに不意を突かれて。
多分、あまり気分の良い表情はできていなかったのだろう。しゃがんだまま、先輩が申し訳なさそうに苦笑する。
「気を悪くしたらごめん。でも気になっているんだろう?陽太のこと。」
否定したところできっと、無駄なのだろう。
「……ご本人が聞かれたくないことなら、無理にお訊きしませんよ。」
せめてもの抵抗のように、先輩の顔から目を逸らしながらそう返す。
「そうだね。じゃあ、あの子に怒られない範囲で。…痕が残るような傷ではないよ。薬は塗らなきゃいけない程度ではあるけど。」
彼の言葉に、昨夜のことが同時に脳裏に浮かぶ。
一瞬だった。
僕らのすぐ近くで先生たちがプロの忍者たちと戦ううち、その中から一人が抜け出した気配がしたのも。
僕らと少し離れて並走していた彼女が、それと同時に急加速して乱太郎と善法寺先輩がいる方向に駆け出したのも。暗闇に遠く姿が見えなくなってしまうのも。
先に行って下さいと、声をかける暇すらなかった。
それからしばらくして。どういう訳か突然敵の手が引き、不審に思いつつも山田先生と土井先生も僕らと合流して、ひたすら走り続けていた。
その途中。
「……善法寺、上町!」
気付いた山田先生が、身を隠すように大木の根元にしゃがみ込んでいる二人に声をかけて駆け寄る。
僕らも、その後に続いた。顔を上げた善法寺先輩の近くに、山田先生が膝をつく。
「乱太郎は?」
「敵の強襲に遭い、先に逃しました。ですが先生…」
「どうやら敵は全員、退却したようだな。」
「はい。…恐らく僕らが遭遇したのが、利吉さんの仰っていた忍組頭と思われます。でも途中で『手を引く』と言われて…。」
「うむ…実に不可解なことだが…。ーーーーーーー負傷したのか?」
「いえ、僕は…。陽太が、鎖骨の下辺りを少し切られました。」
善法寺先輩と向き合う形でうずくまるひまり先輩が頑として顔を上げようとしない理由は、彼のその短い報告で推し量れた。
「上町先輩、大丈夫ですか?」
「大丈夫、応急処置は済んでるよ。傷も浅い。」
一番近い場所にいた雷蔵が問うと、きり丸たち一年生も含めて僕らを安心させるように善法寺先輩が代わりに答える。
…と言うより、彼女にあまり注目が行かないよう手短に答えたのだろうけど。
立ち上がった山田先生が改めて全体に向けて声をかけた。
「よし、では園田村に急ぐぞ。敵の気配は無いが、警戒を怠るな。」
「…!待って陽太、無理に走ったら傷に障るよ。乱太郎なら僕が追うから…」
立ち上がりすぐさま乱太郎を追おうとした彼女を善法寺先輩は腕を掴んで引き留める。が、彼女はその腕を強く振り払って、乱太郎の向かった先を追っていってしまった。
こちらを一切振り返らないまま。
「…後を、お願いします。」
山田先生に言い置いて善法寺先輩も、彼女と同じく走っていった。
「鉢屋。悪いけど一つ、頼まれてくれないか?」
善法寺先輩に声をかけられて、再び彼の顔に意識が戻る。
「痛み止めを作ったら君に渡すから、陽太に、渡しておいてほしいんだ。」
「…僕より先輩からの方が、素直に受け取るような気がしますけど。」
「そんなことないよ。」
優しく笑いながら首を振る彼のその言葉は、僕の意見を否定したのではなく自嘲だったのだと次の言葉で気付く。
「…傷を負った場所が場所だからかな。手当ても全然させてもらえなくてね。自分でやるから、って。」
鉢屋からだったら受け取らない、なんてことはないよ。…という意味ではなく。自分からじゃ今の彼女は受け取らないから、ということらしい。
だからって。
都合良く利用するなんて。
「…薬、できたらいつでも呼んで下さい。」
踵を返して、家の中に戻る前に。
「分かった。ありがとう。」
あなたの為なんかじゃない。
舌打ちしそうな気持ちと裏腹に、出た言葉はあまりに物分かりが良くて。
嫌ですご自分で渡す努力をして下さい、と断る選択肢も確かにあるのだろう。だけど。
この人は、僕が断りたがる理由を知らない。
押し通せば、それはあまりに子供じみた行為として目に映るのだろう。
その方が癪だと。
ただ、そう思っただけだ。
「バイっト代のぉ為ならばあ〜!!あひゃひゃひゃっ!!」
タダ働きだと思っていたのが手潟さんからバイト代を出すと気前良く言われた途端に生き生きと仕事に勤しむきり丸を初め、昼より少し前頃に到着した忍術学園全員が村を守るための作業に取り掛かっていた。
「きり丸ってばもー、そんなに張り切ると肩痛めるよ?」
心配そうに忠告する乱太郎や、周囲も呆れ笑いでその様子を受け止める中、防護柵や逆茂木の取り付けなど着々と準備は進んでいく。
「……三郎、」
ふと、誰かに声をかけられた気がして、辺りを見回すとひまり先輩が「ちょっと、こっち」と木の陰から手招きをしているのが見えて。
そのことを僕は、意外だと思った。
ーーーーーーーーーーまだ忍術学園の応援が到着する前。
僕は、彼女とほんの一瞬だけ会っていた。
…多分その時はまだ、誰とも会いたくなかったのだろう。彼女は、手潟さんの家の裏手に一人でいた。
僕がその姿を見つけた時、その背中は片膝をつきしゃがんだまま、振り上げた拳を地面に強く叩きつけて。
「…ッ、」
荒げた息の中、ふとこちらの気配に気付いたのか振り返って。
僕から顔を逸らし、避けるようにその場を後にする。制服の合わせの辺りをぎゅっと掴みながら。目線を合わせないまま。
どれほど長いこと、その場にいたのだろう。彼女も、そして或いは僕も。
先輩がしゃがんでいた辺りに近付き、同じように腰を落として拳の衝撃で抉られた土にそっと触れる。
指先でさら、と撫ぜると、拳の跡かどうか分からない形になった。
きっと、見られたくなかったに違いない。
善法寺先輩すら避けている様子の彼女だ。
だから、自分に声をかけてくるとは思ってもいなかった。
誰も自分たちの方を見ていないことを確認してから、彼女に近寄る。
「何ですか?」
「ごめん、あのさ…裏の山の方に避難してる村の人にお昼持って行きたいんだ。手伝ってくれない?」
そう言って、一人で作ったのか大量の握り飯を乗せた大きな盆を見せる。
……覆面で見える範囲での顔や、雰囲気を見る限りではいつもと変わらない。
昨晩何があったのか、彼女自身の口から語られなくても。
僕を呼んだのも、手伝って欲しいという打算があるからだとしても。
それでもどこか、ホッとしたような気分になる。
「別にいいですけど。…ずっとそれを作ってたんですか?親切ですねぇ。」
「手潟さんは先生方と話があるから忙しいと思って、代わりにさ。それ持ってきてくれる?」
そう言いながら、お盆を持ったまま山の方に踵を返した。
それ、と言われた、彼女の足元にあった水入りの竹筒を詰め込んだ籠を背負って、彼女の後についていく。
「…こっちの作業にあまり来ないなとは思ってましたけど。」
そう、声をかけると。彼女は、歩みを止めないながらも、ポツリと。
「…皆と違うことしてさ、考えないようにしてるだけなのかもしれないな。」
それは、僕に向けて言った、と言うよりは自分自身に問うているかのような呟きだった。
そして、何を、とは。まだ話そうとしない。
…話題をミスったな。
敢えて軽い口調に切り替える。
「あ、そうだコレ忘れないうちに。お届け物です。」
「え?何、…薬?」
「誰かさんが、ひまり先輩が口聞いてくれないって随分へこんでいらっしゃいましたよ。」
盆を片手持ちにして薬の入った袋を受け取る彼女に、言い添えると。
ムッとして「余計なお世話!」と噛みついてくるか、という予想に反して、受け取った袋を見つめて思案顔になる彼女は。
一呼吸、置いてから口を開く。
「……あのさ、三郎」
「お礼でも何でも、言いたいことはご自身で伝えられた方が良いと思いますけど?」
「……」
先手を打つと、やっぱり何らかの伝言をお願いしようとしていたらしい彼女は口をつぐんだ。
言い当てられて悔しいのか、薬を懐に仕舞って、その後はずっと押し黙ったまま。
避難している村の人たちが隠れている場所近くまで来た時に、ボソッと、
「…何も言ってないのに、そう決めつけるなよ。」
負け惜しみのように言って、僕が何か返すタイミングを奪うように歩く速度を上げて、彼らに近づいて行った。
思わずふっと、一人苦笑をこぼす。
善法寺先輩よろしく僕を利用しないで下さい、…と言わなかっただけでも褒められるべきではないだろうか、とその背中を見ながらそう思う。
お互いの気持ちの連絡係なんて。
そこまでする義理は流石に無い。
そのくらいの聞き分けの無さ程度なら、許されたいところだった。