日輪草の傍らに咲く
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
『日輪草の傍らに咲く』第一幕
その花は、この世にただひとつしか存在しない。
その事実が示す意味を、僕は昔から知っている。
「ーーーーーーーーーー三郎。三郎ってば。聞いてる?!」
周りがとうの昔に咲き終わっている中で。
比較的小ぶりの向日葵が、ただ一つだけ鮮やかに野に立つその姿を見つけて。
何の変哲もないはずのその花に、つい見入ってしまっていた。
少し怒ったような声に呼びかけられていることに気付き、慌ててそちらに顔を向ける。
物売りに化けてそれぞれで情報を探り、一旦落ち合った木の根元に腰掛けて水を飲んでいた相手に。
「ごめん雷蔵、ちゃんと聞くよ。」
その隣に座りながら謝ると、僕と同じ顔のその相手は呆れた表情になった。尤もその顔を借りているのは、僕の方なのだが。
「…ってことは、本当に聞いてなかったんだね?忍務中なんだからしっかりしてくれよ。」
「ごめんごめん、しっかりします。」
「全くもう…。…予想通り、オーマガトキ側の士気はかなり低かったね。でも、切羽詰まったような感じでもないというか…。」
「ああ、それは俺も感じた。」
雷蔵が抱いた違和感の話に頷きながら、自分の水筒の蓋を開けて一口煽った。喉を潤して、再び口を開く。
「食べ物とか燃料とか売り物はすぐ完売するんだけど、なんか、奇妙な感じだったな。」
「だよね。…あ、それと大間賀時曲時が城中に居ないって噂、聞いた?」
「噂どころか本当に居なくなったらしいぞ?側近とか、一部の者にしか知らされてないようだったけど。流石に事が事だからだろうな。」
「そうだろうね。喩え嘘でもそんな情報が出回ったら混乱を招きかねない。何より敵のタソガレドキ側に隙を与えてしまうよ。」
相槌を打っていた雷蔵は、ふとこちらを振り返る。
「ところでさ、その大間賀時曲時の顔って知ってる?」
「まあ…随分前に実習でオーマガトキを潜入調査した時、偶然見たっきりだけど。」
「僕見たことないから、一回見せて。どんな感じ?」
「…こんな。しんべヱに似てるだろ。」
「ほんとだ、確かに。」
変装した僕の顔を見て、雷蔵がちょっと笑う。
「でも、すごいケチらしい。」
「そうなの?」
「人件費ケチってプロの忍者を雇ってないから、いくさにも全然勝てないって。城兵がぼやいてたよ。」
「ああ…そりゃ、領民にも早々に見切りをつけられる訳だね。今回の相手がタソガレドキなら尚更。」
納得したように雷蔵が口にしているのは、先立って学園長先生の庵で聞かされた情報と結びつけたもので。
その台詞に僕も自然と、今回の潜入調査を命じられた時のことを思い出していた。
事の始まりは今朝にまで遡る。
新学期早々、雷蔵と共に学園長先生の庵にすぐ向かうよう担任教師から言い渡され、そして呼ばれたのは僕らだけではなかったのだということを庵に着いてから知った。
「ーーーーーーーーーーつまり、喜三太はオーマガトキ城内に捕らえられている可能性が高い、ということですね。」
集められた生徒の中で一番学年が上の善法寺先輩がそう発言すると、学園長先生はうむ、と頷いた。
「オーマガトキ城はおよそひと月前からタソガレドキ城とのいくさが続いておる。見知らぬ者が領内をうろついていれば捕らえられるのも時間の問題じゃ。」
どうやら、一年は組の山村喜三太が夏休みの宿題を取り違えられ、本来なら六年生レベルに匹敵する「オーマガトキ城の動向を探れ」という内容が当たってしまったということらしい。
夏休みの宿題は個人メニューで一人一人違う内容になっており、それ故に喜三太は、誰にも相談することができないまま一人で何とかしようとオーマガトキ領に向かい、その後行方が分からなくなっているのだという。
善法寺先輩が口にしたのは、事前に先生方が精査した話を基に予想される最悪の状況だった。
「…そこで、お前たちに、喜三太救出のためオーマガトキ城へ潜入調査に行ってもらいたい。」
学園長先生はお前たちに、と僕ら一人一人の顔を見てそう命じられた。
善法寺先輩、雷蔵、四年の平滝夜叉丸、三年の神崎左門、そして僕の。
因みに、この人選はあみだくじで決められたそうだ。
こうして引率の厚着先生、日向先生と共にオーマガトキ城へ調査に出かけたのである。
「……今更言っても仕方無いけど、あみだくじで決めましたは無いよな?」
手分けして城の内外で情報を集め、喜三太と思しき少年が城内に囚われていることを突き止めた僕らは一旦二手に分かれて動くことになった。
厚着先生、滝夜叉丸、左門が見張り役として城に残り、他の四人が引き続き情報収集と他チームとの連絡に努めることになり、現在に至る訳である。
回想する思考を一旦戻してぼやくと、雷蔵がまあまあ、と苦笑する。
「どんな不測の事態にも臨機応変に対応する力を養うため、…っていうね。学園長先生の仰ることも分からなくはないけど。」
「それに善法寺先輩がチームに入っていると、まるで先輩の不運が俺たちにもうつったみたいに思えてくるし。」
「おいおい、それは、あんまりだなあ。」
背後からかけられた声はあまりに突然過ぎて、雷蔵と共に思わずぎょっと振り返ってしまった。
「ぜ、善法寺先輩…!」
「二人とも忍務中だよ?ほら、油売ってないで動いた動いた。日向先生が待っていらっしゃるから先に合流して。」
山伏の変装をした善法寺先輩は笑って、僕ら二人を追い立てる。幸い、陰口について責められることは無かったけれど、
「先輩は一緒に行かれないのですか?」
「うん、乱太郎たちを探しに行かないといけなくて。引率の土井先生が日向先生と連絡を取ってる間にはぐれてしまったらしいんだ。後から行くよ。」
「分かりました。」
先輩と別れてから、移動しながら雷蔵が「…びっくりしたねえ。」とこっそり耳打ちしてくる。
…普段は学園一の不運というイメージに隠されているけれど。
流石は六年生の先輩、と言わざるを得ないだろう。足音どころか、気配も感じさせないとは。
しばらく一緒に歩きながら、雷蔵が心配そうな顔をする。
「土井先生組はオーマガトキ調査チームなんだっけ。乱太郎たち無事だと良いけど。」
「そうだな。喜三太みたいに敵に捕まってなきゃいいんだが。」
そう、忍務で動いているのは、僕らだけではない。
事件に巻き込まれた可能性のある喜三太を心配して、彼以外の一年は組の生徒全員も、学園長先生の許可のもとオーマガトキとタソガレドキの各陣の調査に出かけているのだった。
その日の夕刻。
集合場所となった荒れ屋敷に、日が沈むのに合わせるように人が集まってくる。
一年は組のうち、山田先生が引率するタソガレドキ側の陣を調査するチームと、日向先生と合流した僕と雷蔵の順に。
そして、
「山田先生!」
学園と連絡を取り合う伝令役として動いていた立花先輩と、行動を共にしていたらしいひまり先輩も姿を現した。
ひまり先輩は私服の男装で、頭巾も、流石に巻き方は制服の時とは多少違っていたが、女であることを隠すために顔半分を覆っていた。
「学園長先生からの使いです。手潟さんが学園に訪れていたことを監視している者がいました。」
手潟さん、というのはオーマガトキ領の村の一つ、「園田村」の長老、手潟潔斎さんのことである。僕らも今回の件で学園を出発する前に一度会っていた。
手潟さんはこの度のタソガレドキとのいくさで負けそうなオーマガトキを見切り、タソガレドキの兵士が村や田畑を荒らさないことを約束する「制札」をもらおうと密かに手を回して、タソガレドキ側に金品を贈っていたのだという。
ところが制札を貰うどころか、タソガレドキ側の要求は増すばかりで、困り果てた末に学園長先生に相談に来られたのだった。
そもそも奇妙なことにこのいくさ自体、開始当初からオーマガトキ側の圧倒的な劣勢で決着がついていてもおかしくないにも関わらず、長く膠着状態が続いているのである。
それでも園田村を初めオーマガトキ領の他の村々も制札を得るためには、タソガレドキ城の言うことに従う以外にない立場だった。
オーマガトキの状況と、タソガレドキの目的を探る。それが、それぞれの陣を調査する、ーーーーーーーいわゆる「印を取る」理由である。
立花先輩のその報告を受け、日向先生が考えを巡らす表情になる。
「オーマガトキは諜報に力を入れていない。とすると…」
「タソガレドキ側の忍の者でしょうな、恐らく。我々が動いていることも、その目的も掴んでいると見ていい。」
「申し訳ありません、遅くなりました。」
そこへ、漸く土井先生と善法寺先輩に連れられて乱太郎たちが到着した。山田先生が呆れたような顔になる。
「全く、先鋒のオーマガ組と合流してからここに集合と言ったのに…」
「山田先生、重ねて申し訳ありません。タソガレドキ忍者に後をつけられてしまいました。」
すると乱太郎、金吾、きり丸、団蔵、しんべヱが慌てた様子で部屋に雪崩れ込んでくるや、口々に喋り始めた。
「先生っ、そんなことより私たち大変なものを見てしまいました!」
「オーマガトキの夫丸の一人が、森の中で包帯だらけのタソガレドキ忍者とこっそり会っていました!」
「着せられてたあれ、タソガレドキ側の夫丸の制服だったよな?」
「ところでどうして利吉さんがこちらにいらっしゃるんですか?」
「せんせー、僕お腹空いちゃいましたあ!」
エエイやかましー!と火を吹く山田先生の隣で、僕らが到着した時には既にこの輪に加わっていた利吉さんも苦笑している。
「私は詳しくは言えないけど、仕事でね。タソガレドキの陣を調べていたら庄左ヱ門と偶然会ったんだ。話を聞くうちに、利害が一致しそうだったからこっちに来たってワケ。…で、君たちが見たその夫丸と忍者についてだけど、」
利吉さんは苦笑していた顔を真剣な表情に戻して、隣に座る山田先生を振り返る。
「包帯だらけのタソガレドキ忍者なら、恐らく、忍組頭の雑渡昆奈門という男かと。恐るべき実力者だと聞いています。」
山田先生が頷いて、乱太郎たちに「お前たち、夫丸の顔は見たのか?」と問う。
「はい……何か、しんべヱにちょっと似てた気がします。」
その証言に。ひょっとして、と思ったのと、山田先生が僕の方を見て頷かれたのとが同時だった。
「それって、こんな顔じゃなかった?」
全員に注目される中、先ほど雷蔵に見せたのと同じ顔を作って見せる。ーーーーーーーオーマガトキ城城主、大間賀時曲時の顔を。
「あっ!そんな顔してました!」
目を見開く乱太郎たちに、後ろに座っていた土井先生が言い添える。
「これは、今オーマガトキ城内で行方不明になっている城主の顔だぞ。」
「ええっ?!」
「夫丸じゃなかったのか…じゃあ、城主が一人でこっそり抜け出してたってこと?」
「でも、何で敵方のタソガレドキ忍者と会う必要があるんだ…?」
オーマガトキとタソガレドキの長引くいくさ。
制札を出し渋り、オーマガトキ領の各村に次々と金品の要求を膨らませていくタソガレドキ。
そして、オーマガトキ城城主とタソガレドキ忍者との、人目を忍んでの密会。
ピースは揃っている。
一年は組の面々が考え込んでいる中。
僕らが集まっている部屋の入り口近くにいたひまり先輩が、ふと静かに立ち上がった。一生懸命うんうん唸る一年生たちに気付かれないうちに、山田先生からの目配せにそっと頷いて音を立てずに外に出て行く。
「ーーーーーーー俺ちょっと、厠。」
腰を上げると雷蔵に「その顔戻してから行きなよ?」と呆れたように指摘されて、再び雷蔵の顔を拝借しながら自分も外に出た。
「……意外と大胆なことするんですね、先輩って。」
薄暗い、というほどではないが、夕日はとっくに山の向こうに身を隠してしまっている。じきに、人の姿の輪郭も捉えにくくなるだろう。
厠のある方角ではなく、敷地の中で身を隠しやすそうな場所を探して歩いていくと古びた老木と自生する茂み、そして崩れかけた塀との間にひまり先輩の背中を見つける。
服に手をかけるところだったらしい彼女は振り返って、眉をひそめる。
『着替えるんだから空気読めよ』、ということだろうけれど。
…気付いてない訳じゃないだろうに。
「割と丸見えですよ?」
「…そうだな、お前の方からはよく見えるだろうな。」
僕の他に誰も来ないことを確認しながら、気にしていないという様子で私服の上衣を脱ぎ始める。
「いいえ。恐らく外からも。」
その動きをやんわり止めるつもりで声をかけても、それがどうしたと言わんばかりに彼女は、胸元を覆う晒とインナーと、手首まで巻いた"嵩増し"の包帯だけの上半身になった。
…鈍感なのか、強情なのか。
或いは、そのどちらともなのかも知れない。
着替えることを知りつつ近くに来る僕に対しては咎めるような目を向ける彼女。
その割に、見ず知らずの、ーーーーーーーーーー既にこの屋敷の周りを気配を殺して囲み見張っている斥候には、見られる可能性があっても躊躇しないのである。関わりが深くないから、とでも言うように。
彼女にとって、正体を知らない忍術学園の生徒に自分が女であることがバレなければ他は大した問題ではないのかもしれない、…けれど。
「…大っぴらに見せるつもりじゃ無いよ。」
私服を裏返し制服側の深緑色を表に来させた彼女は、こちらを見ずに言い訳のようにそう言いながら袖に手を通していく。確かに夕刻の薄暗さも手伝って、遠くからでは見えにくくはあるだろう。
崩れかけている塀を壊さないように気を付けながら、彼女の顔の横に手を突く形で距離を詰めた。
「あなたがそのつもりでなくても、空気読む奴ばかりとは限りませんよ?」
「…お前含めて、な。」
「ヒドいなあ。僕はこうやって隠してさしあげてるだけなのに。」
笑顔を作ってみせる僕を、近過ぎるぞ、と軽く睨む彼女は、それでも明確に拒む素振りは無く。
顔半分を覆っていた覆面を外してこれも制服の深緑色を表にして、頭巾の包み方で再び顔を覆い直す。僕が退かないので、やがて諦めたようにため息をついた。
「仕方ないから、見てもお前は許す。」
「目は瞑りますから。そんな心配しなくて大丈夫ですよ。」
彼女の妥協した声。
僕の気遣うような声。
宣言通り目を閉じた僕の耳に、どうだか、と呟きつつ袴の腰帯を緩める微かな音が入ってくる。裏返して履き直し、再び腰帯を締める音がするまで、僕はそのままじっと待っていた。
彼女の匂いが鼻腔を通る。
男には無い、少し甘い匂い。
…似たような匂いを他に知らないわけではないはずなのに。どうして呼吸が苦しくなるのだろう。
自分を内心嘲笑いながら、顔を外に逸らして息を浅くした。
完全にいつもの制服姿に着替え終わると、彼女はするりと僕の腕の間から抜けて屋敷の方に戻っていく。
「自分の村を売るのと引き換えに儲けようだなんて!」
「殿様ならちゃんと村守れってんだよ!」
部屋の中からは、事の真相に辿り着いたらしい一年生たちの憤る賑やかな声が聞こえる。
「しんべヱに似てるくせに、ヒドい殿様!」
「だよなー!」
「僕全然わかんないけど…そんなに似てる?」
その様子を目にして、……笑い声が聞こえたわけではないけれど、部屋に上がりながら先輩がクス、と笑ったような気がした。
日が完全に落ちきると、辺りは不自然なくらい静かになる。殆ど朔に近い月も、じきに姿を消すだろう。
「では、各々手筈通りに。」
全員が制服や忍装束に着替え終わったことを確認した山田先生から、各自の動きについて指示があった。
屋敷周辺を取り囲んでいるのは恐らくタソガレドキの忍者と思われる。
彼らに対する陽動、及びオーマガトキ城に向かって喜三太救出を援護する役。忍術学園へ応援要請に走る役。園田村へ向かう役、そしてその中でも更に先行して園田村に事態を知らせる役。それぞれに分かれて動くことになっている。
利吉さんと立花先輩の二人で閃光弾による陽動を仕掛け、その隙に残りの者がそれぞれの目的地を目指して走る。
日向先生は応援要請組の金吾と三治郎の、山田先生と土井先生は園田村へ向かう僕らの護衛にそれぞれ回られる。きり丸たち一年生が走る前後を雷蔵と僕とで守り固め、そして、足の速い乱太郎が先触れとなって走る、その際に護衛に就くのが善法寺先輩で。
そして、ーーーーーーーひまり先輩は。
「上町、お前はあくまで遊撃だ。敵の妨害は儂と土井先生で対応するが、もし乱太郎たちが危険な場合は、……分かるな?」
彼女は、人数の多く狙われやすい僕らのチームと並走して護衛に就くことになっている。
但し、敵の妨害の目的は、園田村に事の真相ーーーーーーーつまり「タソガレドキとオーマガトキが裏で密かに手を組み、村の人々を騙して法外な金儲けをしている」という情報が伝わらないようにすること、及び武装蜂起させないこと。
であれば、先触れに走る者がいると勘付かれれば必ずそちらが襲われる。
故に遊撃、という。彼女の足の速さ、身体能力の高さを鑑みての配置なのだろう。そして彼女自身もそれを理解している。山田先生の言葉に、目を真っ直ぐ見ながら大きく頷いて見せた。
そして、隣に立つ善法寺先輩と、二人で目線を合わせて。
「陽太、よろしく。」
「…。」
お互いの拳の脇を軽くぶつけ合う。
その合わさる呼吸と、信頼。
見ていたのを知られたくなくて、意識的にその光景から目を逸らす。
「各自、無理だけはするなよ。」
土井先生の、どこか祈るような掛け声を最後に、部屋の中は一瞬静かになる。
脱出までの刹那。
何故だか脳裏に浮かんだのは、昼間に見かけた向日葵の黄色だった。
その花は、この世にただひとつしか存在しない。
その事実が示す意味を、僕は昔から知っている。
「ーーーーーーーーーー三郎。三郎ってば。聞いてる?!」
周りがとうの昔に咲き終わっている中で。
比較的小ぶりの向日葵が、ただ一つだけ鮮やかに野に立つその姿を見つけて。
何の変哲もないはずのその花に、つい見入ってしまっていた。
少し怒ったような声に呼びかけられていることに気付き、慌ててそちらに顔を向ける。
物売りに化けてそれぞれで情報を探り、一旦落ち合った木の根元に腰掛けて水を飲んでいた相手に。
「ごめん雷蔵、ちゃんと聞くよ。」
その隣に座りながら謝ると、僕と同じ顔のその相手は呆れた表情になった。尤もその顔を借りているのは、僕の方なのだが。
「…ってことは、本当に聞いてなかったんだね?忍務中なんだからしっかりしてくれよ。」
「ごめんごめん、しっかりします。」
「全くもう…。…予想通り、オーマガトキ側の士気はかなり低かったね。でも、切羽詰まったような感じでもないというか…。」
「ああ、それは俺も感じた。」
雷蔵が抱いた違和感の話に頷きながら、自分の水筒の蓋を開けて一口煽った。喉を潤して、再び口を開く。
「食べ物とか燃料とか売り物はすぐ完売するんだけど、なんか、奇妙な感じだったな。」
「だよね。…あ、それと大間賀時曲時が城中に居ないって噂、聞いた?」
「噂どころか本当に居なくなったらしいぞ?側近とか、一部の者にしか知らされてないようだったけど。流石に事が事だからだろうな。」
「そうだろうね。喩え嘘でもそんな情報が出回ったら混乱を招きかねない。何より敵のタソガレドキ側に隙を与えてしまうよ。」
相槌を打っていた雷蔵は、ふとこちらを振り返る。
「ところでさ、その大間賀時曲時の顔って知ってる?」
「まあ…随分前に実習でオーマガトキを潜入調査した時、偶然見たっきりだけど。」
「僕見たことないから、一回見せて。どんな感じ?」
「…こんな。しんべヱに似てるだろ。」
「ほんとだ、確かに。」
変装した僕の顔を見て、雷蔵がちょっと笑う。
「でも、すごいケチらしい。」
「そうなの?」
「人件費ケチってプロの忍者を雇ってないから、いくさにも全然勝てないって。城兵がぼやいてたよ。」
「ああ…そりゃ、領民にも早々に見切りをつけられる訳だね。今回の相手がタソガレドキなら尚更。」
納得したように雷蔵が口にしているのは、先立って学園長先生の庵で聞かされた情報と結びつけたもので。
その台詞に僕も自然と、今回の潜入調査を命じられた時のことを思い出していた。
事の始まりは今朝にまで遡る。
新学期早々、雷蔵と共に学園長先生の庵にすぐ向かうよう担任教師から言い渡され、そして呼ばれたのは僕らだけではなかったのだということを庵に着いてから知った。
「ーーーーーーーーーーつまり、喜三太はオーマガトキ城内に捕らえられている可能性が高い、ということですね。」
集められた生徒の中で一番学年が上の善法寺先輩がそう発言すると、学園長先生はうむ、と頷いた。
「オーマガトキ城はおよそひと月前からタソガレドキ城とのいくさが続いておる。見知らぬ者が領内をうろついていれば捕らえられるのも時間の問題じゃ。」
どうやら、一年は組の山村喜三太が夏休みの宿題を取り違えられ、本来なら六年生レベルに匹敵する「オーマガトキ城の動向を探れ」という内容が当たってしまったということらしい。
夏休みの宿題は個人メニューで一人一人違う内容になっており、それ故に喜三太は、誰にも相談することができないまま一人で何とかしようとオーマガトキ領に向かい、その後行方が分からなくなっているのだという。
善法寺先輩が口にしたのは、事前に先生方が精査した話を基に予想される最悪の状況だった。
「…そこで、お前たちに、喜三太救出のためオーマガトキ城へ潜入調査に行ってもらいたい。」
学園長先生はお前たちに、と僕ら一人一人の顔を見てそう命じられた。
善法寺先輩、雷蔵、四年の平滝夜叉丸、三年の神崎左門、そして僕の。
因みに、この人選はあみだくじで決められたそうだ。
こうして引率の厚着先生、日向先生と共にオーマガトキ城へ調査に出かけたのである。
「……今更言っても仕方無いけど、あみだくじで決めましたは無いよな?」
手分けして城の内外で情報を集め、喜三太と思しき少年が城内に囚われていることを突き止めた僕らは一旦二手に分かれて動くことになった。
厚着先生、滝夜叉丸、左門が見張り役として城に残り、他の四人が引き続き情報収集と他チームとの連絡に努めることになり、現在に至る訳である。
回想する思考を一旦戻してぼやくと、雷蔵がまあまあ、と苦笑する。
「どんな不測の事態にも臨機応変に対応する力を養うため、…っていうね。学園長先生の仰ることも分からなくはないけど。」
「それに善法寺先輩がチームに入っていると、まるで先輩の不運が俺たちにもうつったみたいに思えてくるし。」
「おいおい、それは、あんまりだなあ。」
背後からかけられた声はあまりに突然過ぎて、雷蔵と共に思わずぎょっと振り返ってしまった。
「ぜ、善法寺先輩…!」
「二人とも忍務中だよ?ほら、油売ってないで動いた動いた。日向先生が待っていらっしゃるから先に合流して。」
山伏の変装をした善法寺先輩は笑って、僕ら二人を追い立てる。幸い、陰口について責められることは無かったけれど、
「先輩は一緒に行かれないのですか?」
「うん、乱太郎たちを探しに行かないといけなくて。引率の土井先生が日向先生と連絡を取ってる間にはぐれてしまったらしいんだ。後から行くよ。」
「分かりました。」
先輩と別れてから、移動しながら雷蔵が「…びっくりしたねえ。」とこっそり耳打ちしてくる。
…普段は学園一の不運というイメージに隠されているけれど。
流石は六年生の先輩、と言わざるを得ないだろう。足音どころか、気配も感じさせないとは。
しばらく一緒に歩きながら、雷蔵が心配そうな顔をする。
「土井先生組はオーマガトキ調査チームなんだっけ。乱太郎たち無事だと良いけど。」
「そうだな。喜三太みたいに敵に捕まってなきゃいいんだが。」
そう、忍務で動いているのは、僕らだけではない。
事件に巻き込まれた可能性のある喜三太を心配して、彼以外の一年は組の生徒全員も、学園長先生の許可のもとオーマガトキとタソガレドキの各陣の調査に出かけているのだった。
その日の夕刻。
集合場所となった荒れ屋敷に、日が沈むのに合わせるように人が集まってくる。
一年は組のうち、山田先生が引率するタソガレドキ側の陣を調査するチームと、日向先生と合流した僕と雷蔵の順に。
そして、
「山田先生!」
学園と連絡を取り合う伝令役として動いていた立花先輩と、行動を共にしていたらしいひまり先輩も姿を現した。
ひまり先輩は私服の男装で、頭巾も、流石に巻き方は制服の時とは多少違っていたが、女であることを隠すために顔半分を覆っていた。
「学園長先生からの使いです。手潟さんが学園に訪れていたことを監視している者がいました。」
手潟さん、というのはオーマガトキ領の村の一つ、「園田村」の長老、手潟潔斎さんのことである。僕らも今回の件で学園を出発する前に一度会っていた。
手潟さんはこの度のタソガレドキとのいくさで負けそうなオーマガトキを見切り、タソガレドキの兵士が村や田畑を荒らさないことを約束する「制札」をもらおうと密かに手を回して、タソガレドキ側に金品を贈っていたのだという。
ところが制札を貰うどころか、タソガレドキ側の要求は増すばかりで、困り果てた末に学園長先生に相談に来られたのだった。
そもそも奇妙なことにこのいくさ自体、開始当初からオーマガトキ側の圧倒的な劣勢で決着がついていてもおかしくないにも関わらず、長く膠着状態が続いているのである。
それでも園田村を初めオーマガトキ領の他の村々も制札を得るためには、タソガレドキ城の言うことに従う以外にない立場だった。
オーマガトキの状況と、タソガレドキの目的を探る。それが、それぞれの陣を調査する、ーーーーーーーいわゆる「印を取る」理由である。
立花先輩のその報告を受け、日向先生が考えを巡らす表情になる。
「オーマガトキは諜報に力を入れていない。とすると…」
「タソガレドキ側の忍の者でしょうな、恐らく。我々が動いていることも、その目的も掴んでいると見ていい。」
「申し訳ありません、遅くなりました。」
そこへ、漸く土井先生と善法寺先輩に連れられて乱太郎たちが到着した。山田先生が呆れたような顔になる。
「全く、先鋒のオーマガ組と合流してからここに集合と言ったのに…」
「山田先生、重ねて申し訳ありません。タソガレドキ忍者に後をつけられてしまいました。」
すると乱太郎、金吾、きり丸、団蔵、しんべヱが慌てた様子で部屋に雪崩れ込んでくるや、口々に喋り始めた。
「先生っ、そんなことより私たち大変なものを見てしまいました!」
「オーマガトキの夫丸の一人が、森の中で包帯だらけのタソガレドキ忍者とこっそり会っていました!」
「着せられてたあれ、タソガレドキ側の夫丸の制服だったよな?」
「ところでどうして利吉さんがこちらにいらっしゃるんですか?」
「せんせー、僕お腹空いちゃいましたあ!」
エエイやかましー!と火を吹く山田先生の隣で、僕らが到着した時には既にこの輪に加わっていた利吉さんも苦笑している。
「私は詳しくは言えないけど、仕事でね。タソガレドキの陣を調べていたら庄左ヱ門と偶然会ったんだ。話を聞くうちに、利害が一致しそうだったからこっちに来たってワケ。…で、君たちが見たその夫丸と忍者についてだけど、」
利吉さんは苦笑していた顔を真剣な表情に戻して、隣に座る山田先生を振り返る。
「包帯だらけのタソガレドキ忍者なら、恐らく、忍組頭の雑渡昆奈門という男かと。恐るべき実力者だと聞いています。」
山田先生が頷いて、乱太郎たちに「お前たち、夫丸の顔は見たのか?」と問う。
「はい……何か、しんべヱにちょっと似てた気がします。」
その証言に。ひょっとして、と思ったのと、山田先生が僕の方を見て頷かれたのとが同時だった。
「それって、こんな顔じゃなかった?」
全員に注目される中、先ほど雷蔵に見せたのと同じ顔を作って見せる。ーーーーーーーオーマガトキ城城主、大間賀時曲時の顔を。
「あっ!そんな顔してました!」
目を見開く乱太郎たちに、後ろに座っていた土井先生が言い添える。
「これは、今オーマガトキ城内で行方不明になっている城主の顔だぞ。」
「ええっ?!」
「夫丸じゃなかったのか…じゃあ、城主が一人でこっそり抜け出してたってこと?」
「でも、何で敵方のタソガレドキ忍者と会う必要があるんだ…?」
オーマガトキとタソガレドキの長引くいくさ。
制札を出し渋り、オーマガトキ領の各村に次々と金品の要求を膨らませていくタソガレドキ。
そして、オーマガトキ城城主とタソガレドキ忍者との、人目を忍んでの密会。
ピースは揃っている。
一年は組の面々が考え込んでいる中。
僕らが集まっている部屋の入り口近くにいたひまり先輩が、ふと静かに立ち上がった。一生懸命うんうん唸る一年生たちに気付かれないうちに、山田先生からの目配せにそっと頷いて音を立てずに外に出て行く。
「ーーーーーーー俺ちょっと、厠。」
腰を上げると雷蔵に「その顔戻してから行きなよ?」と呆れたように指摘されて、再び雷蔵の顔を拝借しながら自分も外に出た。
「……意外と大胆なことするんですね、先輩って。」
薄暗い、というほどではないが、夕日はとっくに山の向こうに身を隠してしまっている。じきに、人の姿の輪郭も捉えにくくなるだろう。
厠のある方角ではなく、敷地の中で身を隠しやすそうな場所を探して歩いていくと古びた老木と自生する茂み、そして崩れかけた塀との間にひまり先輩の背中を見つける。
服に手をかけるところだったらしい彼女は振り返って、眉をひそめる。
『着替えるんだから空気読めよ』、ということだろうけれど。
…気付いてない訳じゃないだろうに。
「割と丸見えですよ?」
「…そうだな、お前の方からはよく見えるだろうな。」
僕の他に誰も来ないことを確認しながら、気にしていないという様子で私服の上衣を脱ぎ始める。
「いいえ。恐らく外からも。」
その動きをやんわり止めるつもりで声をかけても、それがどうしたと言わんばかりに彼女は、胸元を覆う晒とインナーと、手首まで巻いた"嵩増し"の包帯だけの上半身になった。
…鈍感なのか、強情なのか。
或いは、そのどちらともなのかも知れない。
着替えることを知りつつ近くに来る僕に対しては咎めるような目を向ける彼女。
その割に、見ず知らずの、ーーーーーーーーーー既にこの屋敷の周りを気配を殺して囲み見張っている斥候には、見られる可能性があっても躊躇しないのである。関わりが深くないから、とでも言うように。
彼女にとって、正体を知らない忍術学園の生徒に自分が女であることがバレなければ他は大した問題ではないのかもしれない、…けれど。
「…大っぴらに見せるつもりじゃ無いよ。」
私服を裏返し制服側の深緑色を表に来させた彼女は、こちらを見ずに言い訳のようにそう言いながら袖に手を通していく。確かに夕刻の薄暗さも手伝って、遠くからでは見えにくくはあるだろう。
崩れかけている塀を壊さないように気を付けながら、彼女の顔の横に手を突く形で距離を詰めた。
「あなたがそのつもりでなくても、空気読む奴ばかりとは限りませんよ?」
「…お前含めて、な。」
「ヒドいなあ。僕はこうやって隠してさしあげてるだけなのに。」
笑顔を作ってみせる僕を、近過ぎるぞ、と軽く睨む彼女は、それでも明確に拒む素振りは無く。
顔半分を覆っていた覆面を外してこれも制服の深緑色を表にして、頭巾の包み方で再び顔を覆い直す。僕が退かないので、やがて諦めたようにため息をついた。
「仕方ないから、見てもお前は許す。」
「目は瞑りますから。そんな心配しなくて大丈夫ですよ。」
彼女の妥協した声。
僕の気遣うような声。
宣言通り目を閉じた僕の耳に、どうだか、と呟きつつ袴の腰帯を緩める微かな音が入ってくる。裏返して履き直し、再び腰帯を締める音がするまで、僕はそのままじっと待っていた。
彼女の匂いが鼻腔を通る。
男には無い、少し甘い匂い。
…似たような匂いを他に知らないわけではないはずなのに。どうして呼吸が苦しくなるのだろう。
自分を内心嘲笑いながら、顔を外に逸らして息を浅くした。
完全にいつもの制服姿に着替え終わると、彼女はするりと僕の腕の間から抜けて屋敷の方に戻っていく。
「自分の村を売るのと引き換えに儲けようだなんて!」
「殿様ならちゃんと村守れってんだよ!」
部屋の中からは、事の真相に辿り着いたらしい一年生たちの憤る賑やかな声が聞こえる。
「しんべヱに似てるくせに、ヒドい殿様!」
「だよなー!」
「僕全然わかんないけど…そんなに似てる?」
その様子を目にして、……笑い声が聞こえたわけではないけれど、部屋に上がりながら先輩がクス、と笑ったような気がした。
日が完全に落ちきると、辺りは不自然なくらい静かになる。殆ど朔に近い月も、じきに姿を消すだろう。
「では、各々手筈通りに。」
全員が制服や忍装束に着替え終わったことを確認した山田先生から、各自の動きについて指示があった。
屋敷周辺を取り囲んでいるのは恐らくタソガレドキの忍者と思われる。
彼らに対する陽動、及びオーマガトキ城に向かって喜三太救出を援護する役。忍術学園へ応援要請に走る役。園田村へ向かう役、そしてその中でも更に先行して園田村に事態を知らせる役。それぞれに分かれて動くことになっている。
利吉さんと立花先輩の二人で閃光弾による陽動を仕掛け、その隙に残りの者がそれぞれの目的地を目指して走る。
日向先生は応援要請組の金吾と三治郎の、山田先生と土井先生は園田村へ向かう僕らの護衛にそれぞれ回られる。きり丸たち一年生が走る前後を雷蔵と僕とで守り固め、そして、足の速い乱太郎が先触れとなって走る、その際に護衛に就くのが善法寺先輩で。
そして、ーーーーーーーひまり先輩は。
「上町、お前はあくまで遊撃だ。敵の妨害は儂と土井先生で対応するが、もし乱太郎たちが危険な場合は、……分かるな?」
彼女は、人数の多く狙われやすい僕らのチームと並走して護衛に就くことになっている。
但し、敵の妨害の目的は、園田村に事の真相ーーーーーーーつまり「タソガレドキとオーマガトキが裏で密かに手を組み、村の人々を騙して法外な金儲けをしている」という情報が伝わらないようにすること、及び武装蜂起させないこと。
であれば、先触れに走る者がいると勘付かれれば必ずそちらが襲われる。
故に遊撃、という。彼女の足の速さ、身体能力の高さを鑑みての配置なのだろう。そして彼女自身もそれを理解している。山田先生の言葉に、目を真っ直ぐ見ながら大きく頷いて見せた。
そして、隣に立つ善法寺先輩と、二人で目線を合わせて。
「陽太、よろしく。」
「…。」
お互いの拳の脇を軽くぶつけ合う。
その合わさる呼吸と、信頼。
見ていたのを知られたくなくて、意識的にその光景から目を逸らす。
「各自、無理だけはするなよ。」
土井先生の、どこか祈るような掛け声を最後に、部屋の中は一瞬静かになる。
脱出までの刹那。
何故だか脳裏に浮かんだのは、昼間に見かけた向日葵の黄色だった。