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『夏休み番外編④ 下手くそになってしまえと』
※買い出しの話の続きみたいなやつ
※三郎視点(途中のみ夢主視点)
※ちょっと切ない
「ここに置いていいですか?」
「うん、そこでいいよ。ありがとう。」
ひまり先輩に続いて食堂の勝手口から厨に入り、買った食材を配膳口の台の上に置く。
先輩は一旦振り返ってありがとうと言うや早速、前掛けを着けて準備に取り掛かった。
何しろ八人分だ。去年も、何だかんだで彼女を含めて七人分作ったことがあるということだったが、ブランクがあるからか夕餉の時間までに用意できるかどうか、あまり自信はないらしい。既に、洗った野菜を切り始めている。
四苦八苦する様子を観察するのは楽しいかもしれないけれど、あまり居座っていると、気が散ると怒られそうだ。
「…じゃ、僕は適当に時間潰してきますんで。あ、食べる時間ずらすので、僕だけ先輩方より後でいいですよ。」
「そう?じゃあ、こっち終わったら呼びに行ったげるから。」
作ることに忙しくて顔も上げないひまり先輩は、そう言いながら野菜に振る塩をドバッと、ーーーーーーー
「……は?!ちょっ、ちょっと待って待って!!」
「…何よ?」
「いや先輩、今それ、計りました……?」
見間違いだと思いたくて確認すると、「いや…計ってない。」との返答に思わず戦慄した。…何でそんなキョトン顔できるんですか…。
「いくらなんでも目分量の域越えてるでしょ…?!」
「でも去年も大体こんな感じで作ってたし……早く作らないと間に合わないしいちいち計ってらんない……」
「……はあぁもお〜、調味料なんて一番味を左右するじゃないですか…。僕も手伝いますんで、お願いですからそのオーバー目分量やめて下さいよ…。」
「……手伝ってくれるなら、そうする。」
どうやら、恐ろしい未来は回避できたらしい。
…ひまり先輩、潮江先輩や七松先輩に作らせたら地獄を見るとか言ってたけど、実は結構どっこいなんじゃ……?
そんなこと言ったら包丁が飛んできそうなので、絶対言わないけど。
彼女の横で手伝い始めて、それからしばらく。お互い手を動かしながら、軽口のような会話が続く。
でもちゃんと美味しい時だってあるもん……
それは奇跡が起きたんですよ。ひまり先輩ってA型のくせに偶に大雑把ですよね。
悪かったわね、AO型で。
ま、僕も同じなので分かりますけど。
あれ、そうなの?
親が。
親かよ!
「ーーーーーーーー好きな人に、もっと美味しいものを食べてもらう方がいいんじゃないですか?」
米を研ぎながら、何気ない感じにそう投げて。チラと隣を伺うと。
野菜を和える手が、一瞬だけ止まっていた。
「それは、………そう、だけど」
照れ隠しなのか、再びせかせかと和え始めた手の動きに合わせて、揺れる、簪の小さな飾り。
僕が差した。ーーーーーーーだけど。
あーあ。
ムッカつくなあ、その顔。
「…だったら、これからはちゃんと分量計って下さいね。」
僕が横にいるのに、そんな顔するなんてどういうつもりですか。
言ってみたいけど、言えない言葉。
決して、口にしてはいけない言葉。
あとどれだけ、隠せばいいのだろうか。
いつまで、隠せばいいのだろうか。
「分かったわよ。………ん?」
「ん?」
「……………さっき、…す、好きな人って、言った………?」
「言いました。」
「な、なななななな何で知っ………?!」
そんなの、
見てれば、分かりますよ。
…とは、言わない。
「あれぇ?本当にいたんですねぇ?」
「………三郎〜ッ!!」
「ほらほら、急がないと間に合いませんよ?」
「わ、分かってるわよっ…!」
側から見てて分かるくらい、なのに。
その目に、他には誰も映さないくせに。それは"あの人"だって、同じのはずなのに。
それでもお互いの気持ちになかなか触れることができないでいるなんて。
本当、見てて苛々しますよ。
ーーーーーーーーーー
やや驚きの表情でもって、顔を上げた留三郎に感想を述べられた。
「…いや、マジで美味い。」
「ほんと?!」
「ああ。…いつもはこう、痒い所に手が届かないみたいな、塩加減の足りなさなのにな。」
「逆に塩っからい時もあるぞ?」
「片栗粉が、均等に付いてなかったり。」
留三郎、小平太、文次郎の意見に、順番に「うん、うん」と笑顔で首を縦に振り、その上で三人をガン無視して私はその反対側を振り返る。
「伊作も、どう?今日の、その……」
「うん、とっても美味しいよ。本当に、毎日でも食べたいくらい。」
「…えっ……」
留三郎たちの「こいつ今無視しやがったな」「痛い所突かれたんだろ」というヒソヒソ話さえ、最早耳に入らなかった。
伊作のその言葉に、まるで指先まで支配されたように淡い赤色に染められる。
「え?…………あ!いやあのっ、深い意味は無くて…いや、あるような……?」
「あ、ひまりが逃げた。」
「お前な、目の前でバカップルコント繰り広げやがって。こちとら腹一杯だってんだよ。なあ文次郎?」
「全くだ、食事中にふしだらな会話なんかしおって。」
「えぇえ…今の、ふしだらなのかい…?」
「文次郎、なんか父親みたいだなー。」
「父親通り越してオヤジだろう。」
「はあ?誰がオヤジだ仙蔵?!」
「口にものを入れて喋るな…もそ…」
小平太が呟いた通り、思わずその場を後にしてしまった私は小走りで、食堂から大分離れてもまだ赤いと思われる両頬を手のひらで覆った。
「…もうっ、変に意識しちゃうじゃん……」
深い意味は無いって言ってたのにこんなに舞い上がってたんじゃ、馬鹿みたいじゃない。
そう言い聞かせようとするものの、どうしても、緩む口元を抑えられない。
…やっぱり、作って良かったな。なんて。
ふと、人の近付く気配がして振り返ると、黄昏時の余韻のような西日の薄明かりに紛れて、三郎が歩いてくるのが見えた。
「あ、三郎。今日は、手伝ってくれてありがとうね。」
「随分、機嫌が良いですね。」
声をかけると、そんなふうに返される。三郎の声は面白がるようなものではなかったけれど、そう指摘されるとやはり表情に出てしまっているのかと、少し気恥ずかしくなってしまう。
「そ、そうかな…?いやでも本当に、今日は三郎が手伝ってくれたから、みんなにも、美味しいって言ってもらえたし。」
「…みんなに、ですか。」
「うん!…逆に、普段の料理の方をディスられちゃった…。でもさ、また美味しいって言ってもらえるように、三郎に言われた通りこれからはちゃんと」
「あーあ、馬鹿馬鹿しいですね。」
「丁寧に作………へ?」
「ひまり先輩の料理なんか、もっと失敗してしまえばいいんですよ。」
「………はあ?」
「もう手伝うのなんかこりごりです。僕はこれで失礼します。」
「ちょっと、三郎!…もー、何よそれ!」
呼び止めても、文句を言っても。何故だか急に不機嫌な態度に変わった三郎が、こちらに戻ってくることはなかった。
ーーーーーーーーーー
嬉しそうなあの顔を見ると、どうしても、分かってしまった。
…手伝おうが、何をしようが。
どうあっても敵わない、ということなのだと。
「ーーーーーーーはは。…ほんと、馬鹿だ…」
口から、笑いが漏れる。
彼女に姿が見えない所まで歩いてから、ずる、と塀に寄りかかる。
どれくらい、そうしていただろう。
本当に、馬鹿馬鹿しい。
一体、僕は何をしているのやら。
自分があの目に映っていないことくらい、前から分かっているのに。
分かっていたはずなのに。
自ら飛び込んで、こんなに苦しんでいるなんて。
拳を真横に振り切って塀の壁に強く叩きつける。
パラ、と土壁の粒が僅かに落ちた。
後ろから追いかけてくるような、その怒った声も。
幸せそうに緩んだ頬も。
ほの赤く染まる耳も、首筋も。
指先、つま先まで、
……本当に、何もかも全部。
奪ってしまえたら良いのに。
そう思うと同時に、自分の中で別の声がする。
"彼女"は、それを望んでいないだろう。と。
ホントに馬鹿だな、と、西日の余韻が消え去った暗闇の中で僕はまた呟いた。
翌日。消化しきれない気持ちと空腹とで殆ど眠れないまま、朝を迎える。
寝不足でぼうっとしていたせいなのか、つい、いつもの癖で食堂の方に行ってしまった。戻ろうかと踵を返しかけた時、厨の方から野菜か何かを切る音が聞こえて、思わず覗くと、ひまり先輩がいた。
「あ、おはよう。早いね。」
気付かれて、声をかけられてしまったので、逃げるタイミングを失った。仕方なく、話がしやすいように厨に入る。
「……その格好で料理してるんですか?」
「だって、朝は忙しいんだよ。ここ暑いし。人いないんだから、いいじゃない。」
今日も鍛錬に行くのか、既に制服を着ていた。上半身の部分を、腰帯のところまで脱ぎ下ろした格好で、昨日のように前掛けもつけていないので、インナーを着ているとは言え、二の腕や肩口のラインまでばっちり見えてしまっている。
僕にそれを見られても、あまり気にする様子はない。今は、早く朝食を作らないといけないから、そっちに注意が向いてるせいかもしれないけど。
ふと、振り返ったひまり先輩は。
「食べていくでしょ?」
「…え?」
「朝ごはん。もうちょっと待っててね。」
白飯が炊ける匂い。
大根を切る音。
味噌の香ばしいかおり。
そして。
いつもと変わらない、態度。
「…ん?三郎、どうした……」
傍に立ったことに気付いたひまり先輩がこちらを向いた、その正面から抱きつくように細い体を抱くと、それなりの反応が返ってきて。それは、僕をほんの少しだけ満たしてくれる。
「ちょっ、危ない!今、包丁使ってるんだから!……ったく、もう。」
ため息と、包丁を安全な所に置く音。
「……どうしたの、三郎?」
いつになく、優しい声。
肩に落とした額から響いて、胸にじわり、広がっていく。
「……ひまり先輩なんか、料理下手くそになってしまえばいいんです。」
「またそれか…。はいはい、私が悪うございました。」
彼女の手に、ぽんぽんと背中を、叩くように撫でられる。
「ごめんて。一人でもちゃんと作るからさ、今朝は食べていってよ。一口でいいから。ね?」
僕の掠れた声が、はい、と紡いだつもりだったけど。手を離してすぐまた料理を再開した彼女に届いたのかどうかは、結局分からない。
大根と豆腐の味噌汁、豆ご飯、野菜の煮物、卵焼き。
盆に並べられたそれらを、僕はご飯粒の一つも残さずに、最後まで食べた。
※買い出しの話の続きみたいなやつ
※三郎視点(途中のみ夢主視点)
※ちょっと切ない
「ここに置いていいですか?」
「うん、そこでいいよ。ありがとう。」
ひまり先輩に続いて食堂の勝手口から厨に入り、買った食材を配膳口の台の上に置く。
先輩は一旦振り返ってありがとうと言うや早速、前掛けを着けて準備に取り掛かった。
何しろ八人分だ。去年も、何だかんだで彼女を含めて七人分作ったことがあるということだったが、ブランクがあるからか夕餉の時間までに用意できるかどうか、あまり自信はないらしい。既に、洗った野菜を切り始めている。
四苦八苦する様子を観察するのは楽しいかもしれないけれど、あまり居座っていると、気が散ると怒られそうだ。
「…じゃ、僕は適当に時間潰してきますんで。あ、食べる時間ずらすので、僕だけ先輩方より後でいいですよ。」
「そう?じゃあ、こっち終わったら呼びに行ったげるから。」
作ることに忙しくて顔も上げないひまり先輩は、そう言いながら野菜に振る塩をドバッと、ーーーーーーー
「……は?!ちょっ、ちょっと待って待って!!」
「…何よ?」
「いや先輩、今それ、計りました……?」
見間違いだと思いたくて確認すると、「いや…計ってない。」との返答に思わず戦慄した。…何でそんなキョトン顔できるんですか…。
「いくらなんでも目分量の域越えてるでしょ…?!」
「でも去年も大体こんな感じで作ってたし……早く作らないと間に合わないしいちいち計ってらんない……」
「……はあぁもお〜、調味料なんて一番味を左右するじゃないですか…。僕も手伝いますんで、お願いですからそのオーバー目分量やめて下さいよ…。」
「……手伝ってくれるなら、そうする。」
どうやら、恐ろしい未来は回避できたらしい。
…ひまり先輩、潮江先輩や七松先輩に作らせたら地獄を見るとか言ってたけど、実は結構どっこいなんじゃ……?
そんなこと言ったら包丁が飛んできそうなので、絶対言わないけど。
彼女の横で手伝い始めて、それからしばらく。お互い手を動かしながら、軽口のような会話が続く。
でもちゃんと美味しい時だってあるもん……
それは奇跡が起きたんですよ。ひまり先輩ってA型のくせに偶に大雑把ですよね。
悪かったわね、AO型で。
ま、僕も同じなので分かりますけど。
あれ、そうなの?
親が。
親かよ!
「ーーーーーーーー好きな人に、もっと美味しいものを食べてもらう方がいいんじゃないですか?」
米を研ぎながら、何気ない感じにそう投げて。チラと隣を伺うと。
野菜を和える手が、一瞬だけ止まっていた。
「それは、………そう、だけど」
照れ隠しなのか、再びせかせかと和え始めた手の動きに合わせて、揺れる、簪の小さな飾り。
僕が差した。ーーーーーーーだけど。
あーあ。
ムッカつくなあ、その顔。
「…だったら、これからはちゃんと分量計って下さいね。」
僕が横にいるのに、そんな顔するなんてどういうつもりですか。
言ってみたいけど、言えない言葉。
決して、口にしてはいけない言葉。
あとどれだけ、隠せばいいのだろうか。
いつまで、隠せばいいのだろうか。
「分かったわよ。………ん?」
「ん?」
「……………さっき、…す、好きな人って、言った………?」
「言いました。」
「な、なななななな何で知っ………?!」
そんなの、
見てれば、分かりますよ。
…とは、言わない。
「あれぇ?本当にいたんですねぇ?」
「………三郎〜ッ!!」
「ほらほら、急がないと間に合いませんよ?」
「わ、分かってるわよっ…!」
側から見てて分かるくらい、なのに。
その目に、他には誰も映さないくせに。それは"あの人"だって、同じのはずなのに。
それでもお互いの気持ちになかなか触れることができないでいるなんて。
本当、見てて苛々しますよ。
ーーーーーーーーーー
やや驚きの表情でもって、顔を上げた留三郎に感想を述べられた。
「…いや、マジで美味い。」
「ほんと?!」
「ああ。…いつもはこう、痒い所に手が届かないみたいな、塩加減の足りなさなのにな。」
「逆に塩っからい時もあるぞ?」
「片栗粉が、均等に付いてなかったり。」
留三郎、小平太、文次郎の意見に、順番に「うん、うん」と笑顔で首を縦に振り、その上で三人をガン無視して私はその反対側を振り返る。
「伊作も、どう?今日の、その……」
「うん、とっても美味しいよ。本当に、毎日でも食べたいくらい。」
「…えっ……」
留三郎たちの「こいつ今無視しやがったな」「痛い所突かれたんだろ」というヒソヒソ話さえ、最早耳に入らなかった。
伊作のその言葉に、まるで指先まで支配されたように淡い赤色に染められる。
「え?…………あ!いやあのっ、深い意味は無くて…いや、あるような……?」
「あ、ひまりが逃げた。」
「お前な、目の前でバカップルコント繰り広げやがって。こちとら腹一杯だってんだよ。なあ文次郎?」
「全くだ、食事中にふしだらな会話なんかしおって。」
「えぇえ…今の、ふしだらなのかい…?」
「文次郎、なんか父親みたいだなー。」
「父親通り越してオヤジだろう。」
「はあ?誰がオヤジだ仙蔵?!」
「口にものを入れて喋るな…もそ…」
小平太が呟いた通り、思わずその場を後にしてしまった私は小走りで、食堂から大分離れてもまだ赤いと思われる両頬を手のひらで覆った。
「…もうっ、変に意識しちゃうじゃん……」
深い意味は無いって言ってたのにこんなに舞い上がってたんじゃ、馬鹿みたいじゃない。
そう言い聞かせようとするものの、どうしても、緩む口元を抑えられない。
…やっぱり、作って良かったな。なんて。
ふと、人の近付く気配がして振り返ると、黄昏時の余韻のような西日の薄明かりに紛れて、三郎が歩いてくるのが見えた。
「あ、三郎。今日は、手伝ってくれてありがとうね。」
「随分、機嫌が良いですね。」
声をかけると、そんなふうに返される。三郎の声は面白がるようなものではなかったけれど、そう指摘されるとやはり表情に出てしまっているのかと、少し気恥ずかしくなってしまう。
「そ、そうかな…?いやでも本当に、今日は三郎が手伝ってくれたから、みんなにも、美味しいって言ってもらえたし。」
「…みんなに、ですか。」
「うん!…逆に、普段の料理の方をディスられちゃった…。でもさ、また美味しいって言ってもらえるように、三郎に言われた通りこれからはちゃんと」
「あーあ、馬鹿馬鹿しいですね。」
「丁寧に作………へ?」
「ひまり先輩の料理なんか、もっと失敗してしまえばいいんですよ。」
「………はあ?」
「もう手伝うのなんかこりごりです。僕はこれで失礼します。」
「ちょっと、三郎!…もー、何よそれ!」
呼び止めても、文句を言っても。何故だか急に不機嫌な態度に変わった三郎が、こちらに戻ってくることはなかった。
ーーーーーーーーーー
嬉しそうなあの顔を見ると、どうしても、分かってしまった。
…手伝おうが、何をしようが。
どうあっても敵わない、ということなのだと。
「ーーーーーーーはは。…ほんと、馬鹿だ…」
口から、笑いが漏れる。
彼女に姿が見えない所まで歩いてから、ずる、と塀に寄りかかる。
どれくらい、そうしていただろう。
本当に、馬鹿馬鹿しい。
一体、僕は何をしているのやら。
自分があの目に映っていないことくらい、前から分かっているのに。
分かっていたはずなのに。
自ら飛び込んで、こんなに苦しんでいるなんて。
拳を真横に振り切って塀の壁に強く叩きつける。
パラ、と土壁の粒が僅かに落ちた。
後ろから追いかけてくるような、その怒った声も。
幸せそうに緩んだ頬も。
ほの赤く染まる耳も、首筋も。
指先、つま先まで、
……本当に、何もかも全部。
奪ってしまえたら良いのに。
そう思うと同時に、自分の中で別の声がする。
"彼女"は、それを望んでいないだろう。と。
ホントに馬鹿だな、と、西日の余韻が消え去った暗闇の中で僕はまた呟いた。
翌日。消化しきれない気持ちと空腹とで殆ど眠れないまま、朝を迎える。
寝不足でぼうっとしていたせいなのか、つい、いつもの癖で食堂の方に行ってしまった。戻ろうかと踵を返しかけた時、厨の方から野菜か何かを切る音が聞こえて、思わず覗くと、ひまり先輩がいた。
「あ、おはよう。早いね。」
気付かれて、声をかけられてしまったので、逃げるタイミングを失った。仕方なく、話がしやすいように厨に入る。
「……その格好で料理してるんですか?」
「だって、朝は忙しいんだよ。ここ暑いし。人いないんだから、いいじゃない。」
今日も鍛錬に行くのか、既に制服を着ていた。上半身の部分を、腰帯のところまで脱ぎ下ろした格好で、昨日のように前掛けもつけていないので、インナーを着ているとは言え、二の腕や肩口のラインまでばっちり見えてしまっている。
僕にそれを見られても、あまり気にする様子はない。今は、早く朝食を作らないといけないから、そっちに注意が向いてるせいかもしれないけど。
ふと、振り返ったひまり先輩は。
「食べていくでしょ?」
「…え?」
「朝ごはん。もうちょっと待っててね。」
白飯が炊ける匂い。
大根を切る音。
味噌の香ばしいかおり。
そして。
いつもと変わらない、態度。
「…ん?三郎、どうした……」
傍に立ったことに気付いたひまり先輩がこちらを向いた、その正面から抱きつくように細い体を抱くと、それなりの反応が返ってきて。それは、僕をほんの少しだけ満たしてくれる。
「ちょっ、危ない!今、包丁使ってるんだから!……ったく、もう。」
ため息と、包丁を安全な所に置く音。
「……どうしたの、三郎?」
いつになく、優しい声。
肩に落とした額から響いて、胸にじわり、広がっていく。
「……ひまり先輩なんか、料理下手くそになってしまえばいいんです。」
「またそれか…。はいはい、私が悪うございました。」
彼女の手に、ぽんぽんと背中を、叩くように撫でられる。
「ごめんて。一人でもちゃんと作るからさ、今朝は食べていってよ。一口でいいから。ね?」
僕の掠れた声が、はい、と紡いだつもりだったけど。手を離してすぐまた料理を再開した彼女に届いたのかどうかは、結局分からない。
大根と豆腐の味噌汁、豆ご飯、野菜の煮物、卵焼き。
盆に並べられたそれらを、僕はご飯粒の一つも残さずに、最後まで食べた。