そのうすべに色を隠して。
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医務室の、通常使われる部屋よりも奥の、障子で隔てられている部屋にこの数日間、『面会謝絶』の貼り紙があった。
その貼り紙が取り払われるのは、即ちその患者、上町陽太ーーーーーーーーーーつまり私の、退院をそのまま意味していた。
学園の裏庭を歩いて行くと、道の脇に立つ木に背を預けて寄りかかる、見知った後輩の姿が見えて。
「……ひまり先輩、」
「三郎、久しぶり。」
三郎は、私に気付くと木から身を起こしてこちらに歩み寄ってくる。
「もう、歩き回って平気なんですか?」
「お陰様で、すっかり元気だよ。」
そう返した矢先、後遺症で少し咳き込んだ私に三郎の顔が引き攣る。
「いやいやいや…それのどこがですか…足だってさっき、若干庇って歩いてましたよね?」
足に関しては、何なら包帯もまだ完全には取れていない。
「ち、バレたか。でも、退院は退院だもん。早く動かし始めないと、どんどん体鈍るし。」
「リハビリの鑑というか、何というか…。まあ確かに、遅れは取り戻さないとですもんね。今度、三次面接あるんでしたっけ?」
そう訊かれて。一瞬どう返すか迷ったけど、結局私は首を振ってみせる。
「あー…いや、それ実は、辞退したんだよね。」
「えっ?何でですか?!」
さしもの三郎も驚いた表情になる。この話を誰かにするのは確かに、今が初めてだった。
「…別に、こないだのことで何か咎められたとかじゃないんでしょう?」
三郎の言う通りだったけれど。私は、曖昧に笑う。
「…ま、今はまだ気持ち的にもあれだし、一回リセットしてもいいかなって思ってさ。」
「あ、じゃあ気晴らしにウチの入隊試験受けてみる?」
「なっ…?!お前はタソガレドキ城忍組頭、雑渡昆奈門!!!」
妙に馴れ馴れしい口ぶりで突然私たちの近くに降り立った人物に、振り向きざま私は自分の懐の持ち物を次々に投げつけた。
「名前間違われないのは嬉しいけど、物は投げないでくれるかなー?」
「先輩、体に障りますよ。」
三郎にも諭され、私は渋々やめる。すると雑渡昆奈門は、私が投げた筆を指でクルクル回しながら飄々として言う。
「元気になったみたいで良かったねえ。伊作君の献身的な看病のおかげってことかな。」
「……私の看病をしてくれていたのは、乱太郎だけだったと思うが?」
眉根を寄せてそう返す私に、その男は僅かに目を細めて。
「そうだね、君が目を覚ます少し前からは、ね。……まあそりゃ、顔合わせづらいよねえ。意識の無い君にどうしても薬を飲ませないといけないから、口移しでしか他に方法が無かったとは言え。」
ーーーーーーーーーーそう、言われて。
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
「…ま、色々思うことはあると思うけど。一応、お礼は言っといた方がいいんじゃないの?命の恩人ってことで。」
そして分かった頃には、固まってしまった私の代わりに、筆を三郎に返した雑渡昆奈門はその場からとっくに姿を消してしまっていて。
三郎に遠慮がちに、筆を返されながら。
「あの、……熱、早く下がるといいですね?」
そう言われてその時、漸く私は、自分の顔が真っ赤に茹で上がっていることに気付いたのだった。
それから、更に数日後。
足の包帯も完全に取れて、歩くのにも漸く支障を来さなくなっていた私はこの日、学園の外れの鍛錬場に向かっていた。
一人鍛錬を続けているらしい、伊作に会いに。
姿を見つけた時、確かに木刀で素振りをしていたけれど。身が入っているようにはとても見えなかった。
近付くと、気付いたように振り返ったその顔が少し驚いた直後、
「…待って!」
そのまま立ち去ろうとするのを、鋭く呼び止める。伊作の足が止まる。
私は、頭巾の覆面を下ろしながら。
「怒ってるんだったら、ハッキリそう言ってよ。避けたりしないで。」
「……違うよ、怒ってなんかいないよ。…ただ、……」
「…ごめん。顔合わせづらかったの、知ってるよ。あの組頭の人から聞いたから。」
「え…?」
振り返る伊作に、私は続けた。
「聞いたっていうか、聞かされたというか…その、薬……の、こと。」
「…!」
誤解させたくなくて、急いで首を振る。
「あの時はそうしなきゃ他に手が無かったんだってことくらい、私も分かってるつもりだよ。…だから、そんな、悪いことしたみたいな顔しないで。」
……こう言われるなんて意外、だったのかな。向き合った伊作に驚いたように見つめられて、何となく恥ずかしくなってきた私は彼から視線を別の場所に逸らしてしまう。
伊作ならきっと、いつだってそうする。目の前の相手を最優先に考えて、自分にできることをしようとする。
だけど、そこに何か私に対して特別な理由があるから、…と考えるのは図々しい気がして。
「まあ、伊作優しいから、…私じゃなくてもそうやって助けたかもしれないけどさ。でも」
そんなふうに何でもないふりを装った時。
カラン、と木刀が地面に落ちる音がした時には。
腕を引かれて、伊作の方に抱き寄せられていた。
大きく跳ねた心の臓は、どんどん早くなっていく。
「違う。…ひまりだから、君だから、絶対に助けたいと思ったんだ。」
背中に回される、温かい腕に。
息が詰まりそうな私は何も喋れなくなる。
「君を助けたことを後悔してるわけじゃない。…けど、意識が無いからって、あんなことをして、やっぱり申し訳なかったと思ってる。」
腕に込められる力が、さっきよりも強くなる。伊作の声が、震えていた。
「それでも君を絶対、死なせたくなかった。…あの時、もう、目を開けてくれないんじゃないかって、それがすごく、怖かったんだ。」
そして。ーーーーーーー耳に届いた、言葉。
「好きだ。ひまり。」
それは。私がずっと、ずっと一番、聞きたかったもので。
体じゅう、指の先までその声が響き渡って、目の奥から熱いものがこみ上げてきてしまう。
「……ひまりは僕のこと好きじゃないと思うけど、でも、それでも、僕…」
なのに、肝心の君がこんな弱気なことを言うものだから。
「…!バカ、ばかっ…私だって、伊作のことっ…好きなんだから…!何で、そんなこと言うのっ?!」
悔しくて。抱きしめられる腕の中から届く範囲の背中を拳で叩きながら、私は泣いてしまっていた。
伊作はまた驚いたように腕を緩めて、私を見つめる。涙で濡れた、私の顔を。
「…僕を、選んでくれるの?」
「伊作じゃなきゃ、絶対、嫌だよ。」
しゃくりあげながら、私は答える。
私もずっと、言えなかったの。こんな私だから。言えっこないって、ずっと思っていた。
だけど、もう我慢しない。
だって、漸くちゃんと分かったんだよ。
覚悟したつもりだったのに。もう会えなくなってしまうのが本当は怖かった。
せめて最期に、もう一度会いたい。
そう思ったのは誰よりも強く君だった。
向かい合う伊作の頬に手を伸ばして、つま先立ちで背伸びする。
「好き。伊作。」
想いを紡いだ唇を。そのまま、相手のそれに押し付けるように、重ねた。
ーーーーーーーーーー
転んでばかりの幼い僕に、呆れながらも貸してくれる君の手の温かさ。
その温もりが戻らないんじゃないかって。…ひょっとしてもう、会えないんじゃないかって。
君が目を覚まさない間そんな不安と恐怖でどうにかなってしまいそうだった。
それほどに僕は、君のことが、誰よりも大切な存在で。喪いたくない人なんだ。
それを強く自覚した時、
生きて目の前にいる彼女を、抱き寄せてしまっていた。
抱き締めると、以前より彼女の体がほんの少し痩せてしまっていることに気付いて胸が痛む。けれど温もりは、あの時と変わらなくて。
そうしたら、気持ちが溢れてきて止まらなかった。
……本当は、すごく会いたかった。
自分の想いを告げた時。腕の中の彼女が息を呑む気配がした。
ああ、心の臓が壊れそう。飛び出てきそう。
きっと彼女は、思ってもみなかったことだろう。
緊張を誤魔化すように、そしてまた、保険をかけるように僕は、ひまりは僕のこと好きじゃないかもしれないけど、などと今更に付け加える。
けどその上で、…本当に、未練がましいかもしれないけれど。
君には僕の気持ちをちゃんと正しく知っていてほしかったと。知るだけでいいからと、続けて言おうとしていた。
もうそれを伝えられたら、じゅうぶんなんだと自分に言い聞かせて手を離さなきゃ。
だって、ずっと、思っていたんだ。
僕なんかよりも遥かに、
留三郎みたいに、頼れる誰かが。
長次みたいに、安心できる誰かが。
小平太みたいに、明るい誰かが。
仙蔵みたいに、気持ちを共有できる誰かが。
文次郎みたいに、強い誰かが。
そして、与四郎みたいに、いつでも君を一番に守ってくれる誰かが。
君に相応しいはずなんだって。
だから、僕は身を引かなきゃ。
これ以上迷惑をかけたくない。
僕だけが勝手に好きなんだから。
…そう、思っていたのに。
泣きながら怒る君から聞けたのは、"応え"で。
都合良く聞き間違えたんじゃないかと思って訊き返す僕に、頬の泣き濡れたその顔が近付いて。
唇に、彼女の柔らかい体温が触れた。
ドクン、と一際大きく鳴る心の臓。
それは僕のものだったのかもしれないし、もしかすると、その唇から伝わる彼女のものだったのかもしれない。
ーーーーーーーーーー
伊作に好きだと言われて、私がどんなに嬉しかったか、まだ分かってないなんて。ーーーーーーーそんなふうに可愛げのないことを思いながら、手を伸ばしてその頬を掴んで、勢いのままに気持ちを乗せた唇を押しつける。
…でも、やっぱりすごく恥ずかしくて。私はほんの一瞬だけで、すぐ離れてしまった。頬からも手を離して、目も合わせられなくて俯きかけた時。
少し屈んだ伊作に、鼻先が触れそうな距離に戻され、僅か潤んだ瞳で見つめられる。
「……嫌じゃ、ない?」
その瞳は、最後に逡巡するようにまだ少し揺らめいていた。跳ねる鼓動に、息が苦しい中、ようやく小さく「うん」と頷くと。
そっと、唇を重ねられる。
強引な私とはまるで違って、優しく、そして穏やかに。
そこから熱が、じわりと広がっていくようだった。
今までで一番近い距離。
やっと、届いた想いに。涙がまた、目の奥から溢れてくる。
重ねられた時と同じように、そっと唇は離れた。自分の唇の上から消えた熱の感触を、心の中でこっそり名残惜しく思う。
見ると、伊作も、涙を浮かべていた。
お互いに泣いているのに、どうしてか可笑しくなって、笑い合う。
彼が笑ったら、目尻の涙が頬に滑り落ちていった。それでも、幸せそうに。
そうして、もう一度強い力で抱きしめられる。
「……ずっと、こうしたかった。」
「うん…。」
「僕不運だけど、…絶対に君を守るって、約束するよ。」
「不運なんて、どーでもいいよ。伊作の側にいられない方が嫌だもん。」
「……」
急に返事が返って来なくなって、私は焦った。何か気に障ることを言っただろうかと不安になりかけた時、伊作の顔が真っ赤になっていることに気付く。
「…そんな、可愛いこと言わないで…」
そうして、困ったように、はにかむその顔は、もう気持ちに迷った様子なんて無くなっていた。
「もう、絶対離さない。誰にも渡さないし、譲らない。」
いいよね?……と言う伊作に、前髪を指で掻き上げられて愛おしげに見つめられて。心拍数が上がっていく。
「ひまり。好きだよ。」
「っ、…あ、あんま、恥ずかしいから何回も言わないでよ…。」
「んー、さっきの仕返し、かな。」
「……馬鹿。」
ーーーーーーーその時だった。
「ぐあああ!!!もう限界!!!やっっっとくっついたと思ったら途端にイチャイチャしやがって、この隠れ公認バカップルが!!!!」
「?!と、留三郎っ?!」
突然近くの茂みから奇声が上がったかと思うと、頭を掻きむしる留三郎を筆頭に、文次郎、仙蔵、小平太、長次が揃って姿を現した。
「お前ら……ここが忍者の学び舎と知っての狼藉か……?!」
「まあそうカタいことを言ってやるな、文次郎。この特製の宝碌火矢一発で勘弁してやろうではないか。」
「よーし、仙蔵!点火したら私が渾身のいけどんスパイクを打ってやるぞ!!」
「トスは任せろ。もそ…」
途端に、伊作が慌てる。
「ちょ、ちょっと!皆、いつからそこにいたの?!」
「あれぇ、いつからだったっけ?仙蔵。」
「そうだなぁ、『怒ってるんだったら、ハッキリそう言ってよ。』…の辺りからだったか?」
「ほぼ最初からじゃないか!もおっ、盗み見なんてひどいよお!」
私も、顔がすっかり真っ赤になっているだろうけど、そんなことよりも怒りの方が勝って。肩を震わせながら、苦無を取り出す。
「お…お前らにはプライバシーを守るという概念が無いんかーーーッ!?!?」
「おっ、やるか?病み上がりのくせに。」
「動きが鈍いぞ、体鈍ってんじゃねーのか?」
「このぉおおおお!!!」
「ひまり、無理したら体に響いちゃうよ…!」
余裕綽々で避ける留三郎や文次郎たちを追撃するのを、伊作に止められかけた時。
「陽太先ぱーいっ!」
遠くから、乱太郎が走ってきて。何やら慌てている様子だった。
「顔っ!顔隠してください!早く、皆が来ちゃいますうう!」
「へっ?来ちゃうって何が…」
戸惑いつつも、咄嗟に言われた通りに顎下の頭巾を引き上げる。
すると、遠くから集団で、物凄い勢いでこちらに走ってくる人だかりが。どうやら、忍たまやくのたまの後輩たちのようだった。
「上町先輩!」
乱太郎や伊作たちさえ押しのけるように、彼らは私にズイッと詰め寄ってきた。
「先輩って、猫になったことあるって本当ですか?」
「実際のところ食満先輩とはどうなんですか?!」
「いやそんなことより立花先輩と」
「あのっ、私にもドリブル教えていただけませんか…?」
「先輩の声が聞けたら幸せになれるジンクスがあるって噂で聞いたんですけど?!」
「火薬委員会委員長になるって仰ってましたよね?!」
「それはお前の妄想だ兵助!」
「実はほんのり甘い香りがするって本当ですか?!」
「…?!?!」
一体、どういうことなのか。
ただただ戸惑い固まる私の後ろで、この状況の説明を仙蔵たちに求められた乱太郎が答えているのが聞こえる。
「いやーその、私ときり丸としんべヱが陽太先輩特集の壁新聞作りを打ち切るって言ったら皆、それなら自分たちでインタビューするって言い出して…。」
何それそんなの聞いてない、とリアクションする余裕もなく、
「教えて下さい、上町先輩!」
「せめて何か一言、ため息だけでもいいんでどうぞこちらのボイスレコーダーに…!!」
「アンタそれ私物化しようとしてない?!」
「あーもう、押すなって!」
ズイズイと詰め寄られて。駄目だ、どんどん囲まれていく…!
助けて、と声も上げられないでいた、その時。
ガードするように皆に手のひらを向けていた腕を、視界の外から、伊作に掴まれた。
「陽太、や…薬草摘み手伝ってくれる約束!ほら、行こう!」
「あっ!?待ってくださいインタビューまだ途中……」
私を連れて走り始めた伊作は、振り切るように、スピードを上げた。
不自然すぎるタイミングに、振り切ってからスピードが落ちた所で、手を引かれながら私は思わず口を尖らせてしまった。
「ちょっと、伊作…!急にこんな、」
「だって……仙蔵たちが皆、五秒以内に連れ出さないと私たちが奪ってやるぞ、なんて言うから…っ」
振り返る、困ったような赤い顔。
伊作も、口を尖らせている。
それを見たら、ーーーーーーー可笑しくて、つい笑ってしまう。
そして笑いながら、…泣きそうにもなる。
こんな私を、皆、優しく受け止めてくれた。
この学園を居場所だと思っていいと、言ってくれているように。
だから、私も堂々と言える気がする。
「……皆、ありがとう。」
いつかは離れていくけれど。
それでもいつだって、ここは私の大切な場所だ、と。
それを深く噛みしめていく。
卒業までの、あともう少しの間。
「…そうだ、言いそびれててごめん。ーーーーーーーーーーおかえり、ひまり。」
手を握って、笑ってくれる、
君と、一緒に。
「ーーーーーーーーーーただいま!」
『そのうすべに色を隠して。』 ー終ー
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