そのうすべに色を隠して。
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※一部、伊作視点
※モブ(血縁含む)台詞多数あり
※ショッキングな描写あり
※R15(暴力表現)
裏切る、だって?
彼女がそんなことをするはずがない。
誰にも何も言わずにこの学園を出て行ってしまったことは確かに事実だ。
けれど。
裏切ることを、出て行くことを、本当は望んでなんかいないのだとしたら?
陽太じゃなく、ーーーーーーーーーー"何か"がそうさせているのだとしたら?
それが、
人の形をしているのだとしたら?
そいつは、陽太に何をする?
どこまでも優しく、
自分が犠牲になることも厭わない彼女は。
実の家族を盾に取られ、
大切な彼らと、僕らとを秤にかけられ、
良心の呵責に苛まれた時、
あの子は、どんな道を選ぼうとする?
…まだ、諦めないで。
僕たちが助けに行くよ。
守りたいものは (三)
ーーーーーーーーーー
人の踏み入らない山中の奥深く、傾きかけた古い小屋が身を潜めるように佇んでいる。
既に日は落ち、辺りは闇に包まれている。
小屋の中からは僅かな灯りと、一方的でしかない声が漏れていた。
「なあ、いい加減吐いてくれよ。あんま気が長い方じゃねえんだ、俺たちは。」
浅い息を繰り返し、床に伏して起き上がれない陽太の側に、男がしゃがんで話しかける。
男が業を煮やし切りつけた彼女の足からは、血が流れ続けている。
小屋の中にはもう一人、彼と同じく陽太に忍術学園の情報を吐かせる役の男が壁に背を預け、呆れたようにため息をつく。
火薬庫や、或いは建物の配置など彼らが求める情報をいつまで経っても吐かない陽太に彼らは苛ついていた。
「そうやって時間稼ぎのつもりか?仲間が助けに来てくれるとでも?…自分が一番よく分かってんだろ。そいつらより家族を取った、お前一人ごときのために来てくれる訳がねえってな。」
しゃがんでいる男が陽太の前髪を掴み、起こさせる。
「俺たちが気付いていないとでも思ったのか?あの手紙を燃やすのではなく"破いて残した"ことに。ガキながら油断のならねぇ、…それでも協力するんなら、就職の世話までしてやろうかってのに。」
気丈に睨みつける陽太を、男は鼻で笑う。
「今更気が咎めた所でもう遅い。お前は、俺たちの元に来た時点であの仲間たちを裏切ったんだ。それでいいじゃねえか?裏切るのは忍の常だ。卒業しなくたって俺たちが受け入れてやるって言ってるだろ?」
それでも、陽太は。
口を引き結んだままでいる。
もう一人の男が「…脅しも無意味だったか。」と呟きながら壁に預けていた体を起こす。
「使えねえ。もういい、お前。」
…いいさ。
私をここで殺すなら殺せ。
陽太は、そう、覚悟を決めた。
恐怖が込み上げそうになるのさえ、自分で気付かない振りを保つ。
が。しゃがんでいた男がうつ伏せだった陽太の体を表に返し、その上に跨ってきた。そして、自身の頭巾の覆面を下ろしながら薄汚い笑みを浮かべて。
「…極上とは言い難いが、まあいいか。」
その声に。全身がぞわりとする。
「どうせ死ぬんだ、最後に俺が女に戻してやるよ。」
ーーーーーーーーーーどうして、失念していたのだろう。
殺される、ということにばかり意識が行き、体を犯されることまでは考えが及ばず。
冗談じゃない。
こんな男になど、触ることを許した覚えはない。
ふざけるな。
「やめろっ…離せ!やめろ!」
抵抗する腕を押さえつけられる。
「離せ!触るな!!」
蹴り出す足の威力は遠く及ばず、顔を平手で殴り弾かれる。
仲間の男が「おい、これ使え」と彼に何かを渡した。
手渡されたその容器からは、液体が入っているような音が微かにした。
「びっくりするほど大人しくなるらしいぜ?前に使った奴も、随分具合が良かったってよ。」
血の気が引く。
頭の中で警鐘が鳴らされる。
容器の蓋に手がかかるよりも先に必死で手足を動かして這い出そうとしたが、もう一度平手が飛び、怯んだ隙に容器の中の液体を無理矢理口に流し込まれた。
瞬間。目眩が起こったように視界が歪む。
咳き込む、呼吸がうまくできない。吐き気。手が、上がらない。
そうして抵抗力を削がれたところに服の前を引き裂かれ、晒された白い肌に穢れた手が伸びる。
ーーーーーーーーーーあの脅迫状を読んだ時から、既に監視されていることには気付いていた。
下手に動けば、その文に書かれているように家族に危害が及ぶであろうことも。
その中で、唯一できることが自分の意思を残すことだった。
自分が仲間ではなく家族を取ったというメッセージと、もう一つ。
家族を守ってほしいというメッセージとして。
なるべく復元しやすいように、雑に破いて。
……守らなきゃ、いけないんだ。
私の大事な人たちを。
ずっと頭にあるのはただそれだけ。
自分の我儘でここまで学園に通い続けたのに、そのせいで彼らに災いが降りかかるなど、喩え死んでも償いきれないことで。
それだけは避けなければならなかった。
家族のために、自分が死ぬのは怖くない。
どうせ娘としてはきっともう望まれていないのだ。家のことは、弟がいるから心配ない。
親の望む娘になれない私は、必要ない。
ここまで育ててくれた恩返しもまだできていないことを、申し訳なく思わない訳ではないけれど。
そんな私にできる、今、最大限の恩返し、…いや、罪滅ぼしが家族を守ることなのだとしたら。
そのためなら、死ぬことなど怖くない。
でも、嫌だ。
こんな穢らわしい奴に犯されて、きたない体になるのは。
仮に生き延びたとしても、そんな体でいたくない。いられるはずがない。
だから、
犯されてしまう前に。ーーーーーーーーーー
口の中で、舌に奥歯を沿わせ。
不可抗力だとしても学園に背き、結果として裏切る形となってしまった仲間たちに、祈るように心の中で呼びかける。
ーーーーーーーーーー皆。
こんなことになって、ごめん。
私は、実の家族を切り捨てることができなかった。
皆より自分の身内を取るような私のこと、許さなくて良いよ。
どれだけ憤ってもいいから、
許さなくていいから、
災いの種になる私はいなくなるから、
最後に一つだけお願い。
私のせいで危害が及ぶ前に、
どうしても、大事な人たちなの。だから、
私の家族を どうか助けて
「ひまり!!」
戸が破られ、部屋に突入してきた与四郎が体当たりの勢いのまま陽太に覆い被さっていた男を弾き飛ばす。
舌を噛み切ろうとしていた陽太は一瞬首をすくめ、すぐそばで与四郎が男の腕を捻り上げるのを呆然と見ていた。
「ぐあ…!」
「き、貴様!…ウッ?!」
立っていた男が反撃に出る前に、後ろから留三郎が殴りかかりそのままマウントを取って抑え込む。
「陽太!」
駆け込んできた伊作が、一瞬、陽太の上半身が露わになった姿に近寄るのを躊躇いかけたが、すぐに自分の上の制服を脱ぎ、上体を起こさせた彼女の肩にかけて隠す。
「足、止血するよ。」
自身の頭巾も外し、使いやすいように裂いていく。
「てめえ、よくもひまりに…!!」
「待て与四郎、殺すな。」
男の首にかけられた手が締め上げようとするのを、仙蔵が制止する。
「グッ、貴様ら、何故ここが…」
「『タソガレドキ忍軍の情報網を甘く見ないことだ』、…とのことだが?」
そうして、仙蔵は陽太の方を振り返る。
「陽太。私たちは、お前の選択を責めるつもりはない。…が、後で少し説教が必要なようだ。」
伊作に足を応急処置されながら、続けて留三郎にも叱責された。
「無茶しやがって。お前、死ぬつもりだったろ?次それやったら、俺たち全員お前を一生許さないからな。覚えとけ!」
「……何で…」
私、ほんの一瞬だったとしても、皆のこと裏切ろうとしたんだよ?
その理由も、我が身可愛さと何ら変わりなく。
図々しく、自分の家族を助けて欲しいなどと思った。
なのに、どうして、
そう言いたい陽太の気持ちが、分かっているように伊作が顔を上げて微笑む。
「大事な、実の家族を優先するなんて当たり前のことだよ。君は間違ってない。」
「そんなお前や、お前の家族を助けるために、俺たちがいるんじゃないか。」
…その時、漸く初めて、陽太は自分が泣いていたことに気付いた。
「おい、いつまで友情ごっこしてやがる。『家族を助ける』?馬鹿め、今頃とっくに見張りの仲間が…」
「見張りが何だって?」
与四郎たちが突入の際に蹴破った戸口に、文次郎が立っていた。
「こいつの家の周りにいた奴らは全員始末したが?ああそれと、途中で見つけた連絡係らしき奴も。」
「…?!」
ーーーーーーーーーー夕刻まで時を遡り、所は、賑わいの収まりつつあるとある町の一角。
その、住まいを兼ねた反物屋から道に出てきた主人は、その日最後のお得意に深く礼をし「ありがとうございました」と丁寧に挨拶をする。
そんな彼の近くに、また別の影が落ちた。
「……おや、君は確か、潮江君じゃないか。」
「これは、ひまりさんのお父上。ご無沙汰しております。」
「どうしたんだね、こんな所にいるなんて珍しい。一人かい?」
「ええまあ。校外実習の帰りにこの町を偶然通りがかりまして。」
「そうか、大変だね君も。良ければ、うちで少し休んで行きなさい。何なら夕餉も。おぉい母さん、茶を淹れてくれ。」
「ああいえ、どうぞお構いなく…」
「まあまあ、そう遠慮せず一服くらいしていきなさい。それでなくとも、普段からうちの娘がさぞ君たちに迷惑をかけているのだろうから、せめてこれくらいのことはさせてもらわないと。」
「…分かりました。それではお言葉に甘えさせていただきます。」
文次郎が店の暖簾をくぐると、中からその家の次男である少年の、久しぶりの再会を喜ぶ声が響いた。
和やかに話が続く、家の中と。壁一つを隔てて。
裏庭で、最後の一人の息の根を止めた小平太が長次を振り返る。
「骸は、どうする?」
「少し行った先に川があった、そこへ。」
小平太は頷いて、長次と共に担げるだけ骸を携えて、音も無く裏庭を去った。
「…はッ、くだらねぇ。たかだか女一人のために?情に流されて命を救おうとするなど。お前ら、忍者失格のようだな。」
毒吐く男を、仙蔵が鼻で笑う。
「負け惜しみにしか聞こえんな。我々が来ないと踏んでいたのだろう?」
「当然だ、忍とは裏切るもの。その優しさが身を滅ぼす前に道を諦めた方がいいと俺は思うがね。」
その話の途中だった。
足を手当てし終わった伊作が、僅かな異変を感じ取り「…陽太?」と声をかけた瞬間。
ふっと、力が抜けたように陽太の体が伊作の方へ倒れた。
「どうした、陽太?!」
その声に、全員が振り返る。
「ひまり?!」
「あァ……結構な量だったからなあ。」
その中で薄く笑う男を、押さえつける与四郎の手に力が込もる。
「おいてめえ、何しやがった?!」
「ーーーーーーーーーー毒を、盛られている。」
その答えは、血の気が引き浅い呼吸を繰り返す彼女を診た伊作が先に口にした。
「毒…だと…?!」
「暴れて抵抗するから飲ませてやっただけだ。……何だ助けようってのか、その女?無駄なことを。」
黙ったまま陽太の体を抱えて立ち上がった伊作の足が、外に向かいかけて男の言葉に一瞬止まる。
「どうせお前ら全員死ぬんだよ!それがほんの少し早いか遅いかだけの違いだ。俺たちの他の仲間も、俺たちを雇った城も、タソガレドキと手を携える忍術学園に夜明けを待たず総攻撃をかけることになっているんだからな!」
「…僕は、」
高笑いの響く部屋の中。
伊作がポツリと呟く。
「大事な人を助けられないくらいなら、忍者失格で十分だ。」
そうして、外に出る伊作と。
入れ替わるように、入ってきたのは。
タソガレドキ忍軍の頂点、雑渡昆奈門。
「ありがたいよねぇ、攻撃のタイミングまでペラペラと喋ってくれて。忍たる者、情報は最後まで秘匿するもの。この子たちよりお前の方がよほど失格なんじゃない?」
男の嘲笑いに、
乾きが含まれていく。
「…悪いね、我慢させて。もういいよ。」
ーーーーーーーーーー
「ーーーーーーーーーー伊作!」
合流して外で待機していた小平太と長次が駆け寄ってくる。
「…!」
僕が抱えている陽太の様子に、二人の血相が変わった。
長次が、「…治せるか?」と僕を振り返って訊く。
「医務室に戻れば。…僕なら。」
感情を抑えるように、陽太の顔を見つめたまま表情を荒げない小平太。
その代わりのように、長次に肩を叩かれる。
「頼む。」
僕は、力強く頷いて見せる。
その時、"ウツシミ"の男二人が息絶えたのを確認してから出てきた雑渡さんに声をかけられた。
「…さて。学園もだけど、まずはそのお姫様を助けないとね。」
彼が別の方向に向けて合図を送ると、近くで待機していたらしい高坂さんが馬を引いてきてくれた。
「万が一と思って用意させておいて良かったよ。さ、急ぎなさい。」
きっと、本当に僕は、この人にずっと敵わないのだろう。
「ありがとうございます。」
僕は短く答えて、高坂さんにも手伝ってもらいながら、僕が乗る後ろに陽太を背負う形になるように乗せてもらう。
意識が朦朧とする彼女が振り落とされないよう、襷掛けで体を固定して。
「伊作。」
他の皆と一緒に出てきた文次郎に呼び止められて、振り返ると。
「学園周辺は既にこいつらの仲間で一杯だろう。俺たちが先行して"掃除"しておくから、闇雲に敵のど真ん中突っ込んだりするんじゃねえぞ?」
僕は、文次郎のその顔を真っ直ぐ見た。
「時間が惜しい。馬より先に走って。」
自分でも、無茶苦茶な注文を言っていることは分かっている。でも、文次郎は、ーーーーーーー彼だけでなく誰も、顔を顰めなかった。
むしろ、当然だという顔をしていた。
本当に、信頼に足る、頼りになる仲間たちだ。
そして僕も、僕にできることをしなければならない。
「我が忍軍の伝令を先触れに走らせた。既に忍術学園の先生方も対処しているよ。我々も追って加勢しよう。」
隣に立った雑渡さんを、文次郎がすが目で見上げる。
「けっ、曲者め。だが今回ばかりは、共に戦うことを許してやる。」
「それは光栄だね。」
言いながら、次々と闇の中へ姿を消していく。与四郎を含めた級友たちと、頼り甲斐のある大きな影。
辺りが急に静けさを取り戻した中で、背中の温もりを感じながら声をかける。
「…ひまり。もう少しだけ、頑張って。」
その温もりも、時間が経つ毎に少しずつ下がっていく。
僕は手綱を握りしめた。
毒が、彼女の体を蝕んでいく。
一瞬たりとも悠長にはいられない。
※モブ(血縁含む)台詞多数あり
※ショッキングな描写あり
※R15(暴力表現)
裏切る、だって?
彼女がそんなことをするはずがない。
誰にも何も言わずにこの学園を出て行ってしまったことは確かに事実だ。
けれど。
裏切ることを、出て行くことを、本当は望んでなんかいないのだとしたら?
陽太じゃなく、ーーーーーーーーーー"何か"がそうさせているのだとしたら?
それが、
人の形をしているのだとしたら?
そいつは、陽太に何をする?
どこまでも優しく、
自分が犠牲になることも厭わない彼女は。
実の家族を盾に取られ、
大切な彼らと、僕らとを秤にかけられ、
良心の呵責に苛まれた時、
あの子は、どんな道を選ぼうとする?
…まだ、諦めないで。
僕たちが助けに行くよ。
守りたいものは (三)
ーーーーーーーーーー
人の踏み入らない山中の奥深く、傾きかけた古い小屋が身を潜めるように佇んでいる。
既に日は落ち、辺りは闇に包まれている。
小屋の中からは僅かな灯りと、一方的でしかない声が漏れていた。
「なあ、いい加減吐いてくれよ。あんま気が長い方じゃねえんだ、俺たちは。」
浅い息を繰り返し、床に伏して起き上がれない陽太の側に、男がしゃがんで話しかける。
男が業を煮やし切りつけた彼女の足からは、血が流れ続けている。
小屋の中にはもう一人、彼と同じく陽太に忍術学園の情報を吐かせる役の男が壁に背を預け、呆れたようにため息をつく。
火薬庫や、或いは建物の配置など彼らが求める情報をいつまで経っても吐かない陽太に彼らは苛ついていた。
「そうやって時間稼ぎのつもりか?仲間が助けに来てくれるとでも?…自分が一番よく分かってんだろ。そいつらより家族を取った、お前一人ごときのために来てくれる訳がねえってな。」
しゃがんでいる男が陽太の前髪を掴み、起こさせる。
「俺たちが気付いていないとでも思ったのか?あの手紙を燃やすのではなく"破いて残した"ことに。ガキながら油断のならねぇ、…それでも協力するんなら、就職の世話までしてやろうかってのに。」
気丈に睨みつける陽太を、男は鼻で笑う。
「今更気が咎めた所でもう遅い。お前は、俺たちの元に来た時点であの仲間たちを裏切ったんだ。それでいいじゃねえか?裏切るのは忍の常だ。卒業しなくたって俺たちが受け入れてやるって言ってるだろ?」
それでも、陽太は。
口を引き結んだままでいる。
もう一人の男が「…脅しも無意味だったか。」と呟きながら壁に預けていた体を起こす。
「使えねえ。もういい、お前。」
…いいさ。
私をここで殺すなら殺せ。
陽太は、そう、覚悟を決めた。
恐怖が込み上げそうになるのさえ、自分で気付かない振りを保つ。
が。しゃがんでいた男がうつ伏せだった陽太の体を表に返し、その上に跨ってきた。そして、自身の頭巾の覆面を下ろしながら薄汚い笑みを浮かべて。
「…極上とは言い難いが、まあいいか。」
その声に。全身がぞわりとする。
「どうせ死ぬんだ、最後に俺が女に戻してやるよ。」
ーーーーーーーーーーどうして、失念していたのだろう。
殺される、ということにばかり意識が行き、体を犯されることまでは考えが及ばず。
冗談じゃない。
こんな男になど、触ることを許した覚えはない。
ふざけるな。
「やめろっ…離せ!やめろ!」
抵抗する腕を押さえつけられる。
「離せ!触るな!!」
蹴り出す足の威力は遠く及ばず、顔を平手で殴り弾かれる。
仲間の男が「おい、これ使え」と彼に何かを渡した。
手渡されたその容器からは、液体が入っているような音が微かにした。
「びっくりするほど大人しくなるらしいぜ?前に使った奴も、随分具合が良かったってよ。」
血の気が引く。
頭の中で警鐘が鳴らされる。
容器の蓋に手がかかるよりも先に必死で手足を動かして這い出そうとしたが、もう一度平手が飛び、怯んだ隙に容器の中の液体を無理矢理口に流し込まれた。
瞬間。目眩が起こったように視界が歪む。
咳き込む、呼吸がうまくできない。吐き気。手が、上がらない。
そうして抵抗力を削がれたところに服の前を引き裂かれ、晒された白い肌に穢れた手が伸びる。
ーーーーーーーーーーあの脅迫状を読んだ時から、既に監視されていることには気付いていた。
下手に動けば、その文に書かれているように家族に危害が及ぶであろうことも。
その中で、唯一できることが自分の意思を残すことだった。
自分が仲間ではなく家族を取ったというメッセージと、もう一つ。
家族を守ってほしいというメッセージとして。
なるべく復元しやすいように、雑に破いて。
……守らなきゃ、いけないんだ。
私の大事な人たちを。
ずっと頭にあるのはただそれだけ。
自分の我儘でここまで学園に通い続けたのに、そのせいで彼らに災いが降りかかるなど、喩え死んでも償いきれないことで。
それだけは避けなければならなかった。
家族のために、自分が死ぬのは怖くない。
どうせ娘としてはきっともう望まれていないのだ。家のことは、弟がいるから心配ない。
親の望む娘になれない私は、必要ない。
ここまで育ててくれた恩返しもまだできていないことを、申し訳なく思わない訳ではないけれど。
そんな私にできる、今、最大限の恩返し、…いや、罪滅ぼしが家族を守ることなのだとしたら。
そのためなら、死ぬことなど怖くない。
でも、嫌だ。
こんな穢らわしい奴に犯されて、きたない体になるのは。
仮に生き延びたとしても、そんな体でいたくない。いられるはずがない。
だから、
犯されてしまう前に。ーーーーーーーーーー
口の中で、舌に奥歯を沿わせ。
不可抗力だとしても学園に背き、結果として裏切る形となってしまった仲間たちに、祈るように心の中で呼びかける。
ーーーーーーーーーー皆。
こんなことになって、ごめん。
私は、実の家族を切り捨てることができなかった。
皆より自分の身内を取るような私のこと、許さなくて良いよ。
どれだけ憤ってもいいから、
許さなくていいから、
災いの種になる私はいなくなるから、
最後に一つだけお願い。
私のせいで危害が及ぶ前に、
どうしても、大事な人たちなの。だから、
私の家族を どうか助けて
「ひまり!!」
戸が破られ、部屋に突入してきた与四郎が体当たりの勢いのまま陽太に覆い被さっていた男を弾き飛ばす。
舌を噛み切ろうとしていた陽太は一瞬首をすくめ、すぐそばで与四郎が男の腕を捻り上げるのを呆然と見ていた。
「ぐあ…!」
「き、貴様!…ウッ?!」
立っていた男が反撃に出る前に、後ろから留三郎が殴りかかりそのままマウントを取って抑え込む。
「陽太!」
駆け込んできた伊作が、一瞬、陽太の上半身が露わになった姿に近寄るのを躊躇いかけたが、すぐに自分の上の制服を脱ぎ、上体を起こさせた彼女の肩にかけて隠す。
「足、止血するよ。」
自身の頭巾も外し、使いやすいように裂いていく。
「てめえ、よくもひまりに…!!」
「待て与四郎、殺すな。」
男の首にかけられた手が締め上げようとするのを、仙蔵が制止する。
「グッ、貴様ら、何故ここが…」
「『タソガレドキ忍軍の情報網を甘く見ないことだ』、…とのことだが?」
そうして、仙蔵は陽太の方を振り返る。
「陽太。私たちは、お前の選択を責めるつもりはない。…が、後で少し説教が必要なようだ。」
伊作に足を応急処置されながら、続けて留三郎にも叱責された。
「無茶しやがって。お前、死ぬつもりだったろ?次それやったら、俺たち全員お前を一生許さないからな。覚えとけ!」
「……何で…」
私、ほんの一瞬だったとしても、皆のこと裏切ろうとしたんだよ?
その理由も、我が身可愛さと何ら変わりなく。
図々しく、自分の家族を助けて欲しいなどと思った。
なのに、どうして、
そう言いたい陽太の気持ちが、分かっているように伊作が顔を上げて微笑む。
「大事な、実の家族を優先するなんて当たり前のことだよ。君は間違ってない。」
「そんなお前や、お前の家族を助けるために、俺たちがいるんじゃないか。」
…その時、漸く初めて、陽太は自分が泣いていたことに気付いた。
「おい、いつまで友情ごっこしてやがる。『家族を助ける』?馬鹿め、今頃とっくに見張りの仲間が…」
「見張りが何だって?」
与四郎たちが突入の際に蹴破った戸口に、文次郎が立っていた。
「こいつの家の周りにいた奴らは全員始末したが?ああそれと、途中で見つけた連絡係らしき奴も。」
「…?!」
ーーーーーーーーーー夕刻まで時を遡り、所は、賑わいの収まりつつあるとある町の一角。
その、住まいを兼ねた反物屋から道に出てきた主人は、その日最後のお得意に深く礼をし「ありがとうございました」と丁寧に挨拶をする。
そんな彼の近くに、また別の影が落ちた。
「……おや、君は確か、潮江君じゃないか。」
「これは、ひまりさんのお父上。ご無沙汰しております。」
「どうしたんだね、こんな所にいるなんて珍しい。一人かい?」
「ええまあ。校外実習の帰りにこの町を偶然通りがかりまして。」
「そうか、大変だね君も。良ければ、うちで少し休んで行きなさい。何なら夕餉も。おぉい母さん、茶を淹れてくれ。」
「ああいえ、どうぞお構いなく…」
「まあまあ、そう遠慮せず一服くらいしていきなさい。それでなくとも、普段からうちの娘がさぞ君たちに迷惑をかけているのだろうから、せめてこれくらいのことはさせてもらわないと。」
「…分かりました。それではお言葉に甘えさせていただきます。」
文次郎が店の暖簾をくぐると、中からその家の次男である少年の、久しぶりの再会を喜ぶ声が響いた。
和やかに話が続く、家の中と。壁一つを隔てて。
裏庭で、最後の一人の息の根を止めた小平太が長次を振り返る。
「骸は、どうする?」
「少し行った先に川があった、そこへ。」
小平太は頷いて、長次と共に担げるだけ骸を携えて、音も無く裏庭を去った。
「…はッ、くだらねぇ。たかだか女一人のために?情に流されて命を救おうとするなど。お前ら、忍者失格のようだな。」
毒吐く男を、仙蔵が鼻で笑う。
「負け惜しみにしか聞こえんな。我々が来ないと踏んでいたのだろう?」
「当然だ、忍とは裏切るもの。その優しさが身を滅ぼす前に道を諦めた方がいいと俺は思うがね。」
その話の途中だった。
足を手当てし終わった伊作が、僅かな異変を感じ取り「…陽太?」と声をかけた瞬間。
ふっと、力が抜けたように陽太の体が伊作の方へ倒れた。
「どうした、陽太?!」
その声に、全員が振り返る。
「ひまり?!」
「あァ……結構な量だったからなあ。」
その中で薄く笑う男を、押さえつける与四郎の手に力が込もる。
「おいてめえ、何しやがった?!」
「ーーーーーーーーーー毒を、盛られている。」
その答えは、血の気が引き浅い呼吸を繰り返す彼女を診た伊作が先に口にした。
「毒…だと…?!」
「暴れて抵抗するから飲ませてやっただけだ。……何だ助けようってのか、その女?無駄なことを。」
黙ったまま陽太の体を抱えて立ち上がった伊作の足が、外に向かいかけて男の言葉に一瞬止まる。
「どうせお前ら全員死ぬんだよ!それがほんの少し早いか遅いかだけの違いだ。俺たちの他の仲間も、俺たちを雇った城も、タソガレドキと手を携える忍術学園に夜明けを待たず総攻撃をかけることになっているんだからな!」
「…僕は、」
高笑いの響く部屋の中。
伊作がポツリと呟く。
「大事な人を助けられないくらいなら、忍者失格で十分だ。」
そうして、外に出る伊作と。
入れ替わるように、入ってきたのは。
タソガレドキ忍軍の頂点、雑渡昆奈門。
「ありがたいよねぇ、攻撃のタイミングまでペラペラと喋ってくれて。忍たる者、情報は最後まで秘匿するもの。この子たちよりお前の方がよほど失格なんじゃない?」
男の嘲笑いに、
乾きが含まれていく。
「…悪いね、我慢させて。もういいよ。」
ーーーーーーーーーー
「ーーーーーーーーーー伊作!」
合流して外で待機していた小平太と長次が駆け寄ってくる。
「…!」
僕が抱えている陽太の様子に、二人の血相が変わった。
長次が、「…治せるか?」と僕を振り返って訊く。
「医務室に戻れば。…僕なら。」
感情を抑えるように、陽太の顔を見つめたまま表情を荒げない小平太。
その代わりのように、長次に肩を叩かれる。
「頼む。」
僕は、力強く頷いて見せる。
その時、"ウツシミ"の男二人が息絶えたのを確認してから出てきた雑渡さんに声をかけられた。
「…さて。学園もだけど、まずはそのお姫様を助けないとね。」
彼が別の方向に向けて合図を送ると、近くで待機していたらしい高坂さんが馬を引いてきてくれた。
「万が一と思って用意させておいて良かったよ。さ、急ぎなさい。」
きっと、本当に僕は、この人にずっと敵わないのだろう。
「ありがとうございます。」
僕は短く答えて、高坂さんにも手伝ってもらいながら、僕が乗る後ろに陽太を背負う形になるように乗せてもらう。
意識が朦朧とする彼女が振り落とされないよう、襷掛けで体を固定して。
「伊作。」
他の皆と一緒に出てきた文次郎に呼び止められて、振り返ると。
「学園周辺は既にこいつらの仲間で一杯だろう。俺たちが先行して"掃除"しておくから、闇雲に敵のど真ん中突っ込んだりするんじゃねえぞ?」
僕は、文次郎のその顔を真っ直ぐ見た。
「時間が惜しい。馬より先に走って。」
自分でも、無茶苦茶な注文を言っていることは分かっている。でも、文次郎は、ーーーーーーー彼だけでなく誰も、顔を顰めなかった。
むしろ、当然だという顔をしていた。
本当に、信頼に足る、頼りになる仲間たちだ。
そして僕も、僕にできることをしなければならない。
「我が忍軍の伝令を先触れに走らせた。既に忍術学園の先生方も対処しているよ。我々も追って加勢しよう。」
隣に立った雑渡さんを、文次郎がすが目で見上げる。
「けっ、曲者め。だが今回ばかりは、共に戦うことを許してやる。」
「それは光栄だね。」
言いながら、次々と闇の中へ姿を消していく。与四郎を含めた級友たちと、頼り甲斐のある大きな影。
辺りが急に静けさを取り戻した中で、背中の温もりを感じながら声をかける。
「…ひまり。もう少しだけ、頑張って。」
その温もりも、時間が経つ毎に少しずつ下がっていく。
僕は手綱を握りしめた。
毒が、彼女の体を蝕んでいく。
一瞬たりとも悠長にはいられない。