そのうすべに色を隠して。
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『二十六頁 友達と、友達。』
夢を、見ていた。
留三郎とひまりが、隣り合って座っている。どこかの建物の縁側なのか、長椅子なのか。あるいは見晴らしの良い小丘だったかもしれないけれど、細かいことはあまり覚えていない。
ただハッキリしていることは、こちらに背を向けて並んで座っている二人は、何か話して、顔を見合わせて笑っていたということ。談笑の内容は、離れているせいかよく聞こえなかったけれど。
友達同士が、仲が良いというのは友達として僕だって、嬉しい。
なのに。
二人を見ていると、
胸の奥が何故だか苦しくて。
僕はとても、不安な気持ちだった。
ーーーーーーーひまり
留三郎が彼女を呼ぶ。呼んだ、と思った。
でも次の瞬間。
彼女の隣にいるのが留三郎ではなくて、錫高野君、…与四郎に、代わっていることに気付く。
ーーーーーーーひまり 好きだ
隣の相手を真っ直ぐ見上げる、ひまりの横顔は僕にも見えているはずなのに。
その時の彼女がどんな表情をしていたのか、どうしても分からない。
二人の距離が縮まって、そして、
僕にはそれを、見ていることしかできなかった。
ひまりの頬に添えられる彼の手も。
触れて交差する、二人の前髪の毛先も。
互いの熱を共有し合う、唇もーーーーーーーー
自分の夢の中なのに、それを止めることも、邪魔することもできず。
僕はただ、そんな二人を見ていることしか、できなかった。
「陽太!留三郎ォ!てめぇらなあ〜〜〜ッ!!!」
忍術学園が休日である今日、僕たち六年生は全員揃って裏山で鍛錬をしていた。
その休憩中、留三郎が文次郎に、持ってきたという饅頭をいやに親切そうに差し出して。「おお、気が利くじゃねえか。」と受け取った文次郎は一口で頬張ったかと思うと悲鳴を上げ。
「て、てめぇ何だこの、クッソ辛い饅頭は……!ゴホッ…わ、悪いな陽太…」
横から陽太が黙って差し出した竹筒を受け取るや否や喉に流し込むも、今度は吹き出し。…後から聞いたけど、中身は酢だったらしい。
「ぎゃははは!!引っかかってやんの!!」
『大成功』「ブフッ…」
いつものように筆談の文面を掲げるのに加えて、堪えきれなかったのか頭巾の中で吹き出す陽太に、文次郎が更に怒りのボルテージを上げる。
「陽太てめぇ、笑い声聞こえてんぞ!!もう許さねえ…待ちやがれ!!」
「よし、お前あっちな。」
事前に示し合わせていたのか、留三郎の指示に陽太は頷くのみで応え、二人で別々の方向に逃げていく。
「あっ……く、くそっ!」
一瞬、どちらを追うか逡巡して、陽太の方を追いかけ始めた文次郎。その三つの背中に向けて、仙蔵が声を張った。
「おい馬鹿共、あまり遠くに行くなよ。」
その近くの岩に腰掛けて水を飲んでいた小平太が笑っている。
「あっはっは、あの二人もなかなかやるなあ!な、長次。」
「…やり過ぎは良くない…」
「まあ、細かいことは気にするな!それにしても、あいつら本当に仲良いよな。特に、留三郎と陽太。」
その、二つの名前が並んで小平太の口から発せられて、思わず僕は身を固くする。
…今朝見てしまった、あの夢を思い出してしまいそうで。
与四郎と顔が似ているからか、留三郎の顔を見ただけも思い出しそうになるのに。漸く、鍛錬に集中しかけていたのに。
「あの二人が揃って文次郎をからかって遊んでいるなど、昔からあることだ。」
「確かにな。去年の方が、もっと色々と仕掛けていたし。今年は少ない方だな。」
「大体、文次郎の方もいい加減学習しろというのに……伊作?」
そっと、気付かれないようにその場を離れようとしたつもりだったけれど、流石に忍たまの同級生だ。声をかけられ、仕方なく、仙蔵を振り返る。
「ごめん、ちょっと……水飲んでくる。」
それだけ答えて、僕は足早にその場を後にする。だから、その後の彼らの会話を僕は知らない。
「……その手に持っている竹筒は何だ…もそ…」
「飲み切ったのかな?…あれ、私も無い。あー、入れてきてもらえば良かったなあ。」
「なら小平太、私が汲んできてやろう。」
「お、そうか?悪いなー仙蔵!」
「気にするな。ここで待っていろ。」
「おう!よろしく!」
小平太の竹筒に水を汲んでくるていで仙蔵が、さりげなく僕の後を辿っていたとは露知らず。
飲み切ったわけでもない竹筒を持ったまま、河原まで歩いてきた僕は川のそばにしゃがむ。
「……くだらない、な…」
「あの三馬鹿のことか?」
川の流れを見つめながらポツリと呟いた瞬間、砂利を踏む足音と共にそう声をかけられて、慌てた。
「っ、仙蔵…!あぁいや、その…違うよ。」
「ほう。では、何だ?何が、くだらないと?」
「い、いいじゃないか、何でも…」
「そうか。私では話し相手にならないと。ならば陽太に、伊作が何やら悩んでいるようだと伝えておいてやろう。」
追及を避けようとしたのにそんなことを提案されてしまって、僕はますます慌てる。
「いやっ、それは駄目だ!……分かった、言うよ。今朝、夢を見てしまったんだ。」
「夢?」
隣に来た仙蔵の顔を、これから話す内容を思うとどうしても直視できない。
「馬鹿馬鹿しいって笑われるかもしれないけど、その……夢の中で、ひまりと、留三郎がすごく楽しそうに、仲良さそうにしてて……現実でも、そうなんだけど…。そんなこと気にしてる自分が、すごく、くだらないなって……」
留三郎が与四郎に代わって、…の部分はどうしても言えなくて、伏せながらの話になってしまったけれど。
仙蔵は、笑わずに黙って聞いていてくれた。
やがて静かに、短いため息を一つ吐くと。
「さっきも言っただろう、あの二人が一緒になって文次郎に悪戯を仕掛けるほど仲が良いのは、今に始まったことではないと。」
「それは、そうなんだけれど……」
僕が口籠ると、仙蔵は空の竹筒に流水を汲みながら呆れた声になる。
「全く、ウジウジといつまでも鬱陶しい。大体、お前とひまりの惚気こそ、こっちは見飽きているというのに。」
「の、惚気って……僕そんなこと言った覚えは…」
「言葉でなくとも、お前たち二人は並ぶだけで、最早それが惚気みたいなものだ。毎度見せられるこちらの身にもなれ。」
「並ぶだけでって……」
「そもそもエピソードからして惚気ているくせに。」
竹筒の蓋を閉めながら言う仙蔵に、思わず眉をひそめて訊き返す。
「エピソードって、何だよ…?」
「ーーーーーーーー顔の傷を舐めて治してやる、だとか。」
「ッ?!?!」
ボッッ!!と、音がしそうなくらい顔が赤くなったのが自分でも分かる。
「な………なんっ、何で知って……?!」
「おや。本当だったとは。」
「…!仙蔵お前、騙したな…?!」
「フッ、口車に乗せられたお前が悪い。」
「…っ」
「私も何となく予想していただけだ。あいつが傷を負った時、手当てできるものが何も無かったと聞いていたのにあの程度で済んでいたからな。まぁ原始的に、舐めて止血したといった所かと。」
「……」
「で?そのことをひまりはまだ怒っているのか?」
「……怒って、ない。…多分、最初から。」
「フン。ほら見ろ、惚気ているではないか。」
僕は、何も言い返すことができず、俯くしかなくなった。
「一人で悶々と悩むくらいなら、本人に直接、心の内を言えば良かろう。それが無理なら、…まあ、他のことをして気を紛らわすしかあるまい。」
「……そうだね。全くその通りだ。」
僕は頷く。そこへ、息を切らした文次郎が姿を現した。
「ったくあいつら、逃げ足だけは速ぇんだよな……」
「取り逃したのか?」
「バカタレ、小休止だ!水でも飲まんと、やっとられん。」
「…色々と、罠に引っかかっていたようだが?」
「べっ別に引っかかってなんかいねーよ!寸でのところで避けて…」
頭や制服にに葉っぱやら小枝やらを引っつけたままの文次郎の腕を、僕は掴んだ。
「文次郎!僕と鍛錬しよう!」
「はあ?伊作、急に何だ…?」
「いいから、とにかく一緒に来て!さあ!」
「わっ、おいちょっと、分かったから引っ張るなって…!」
この時の僕は、鍛錬に打ち込むことで気を紛らわす方を選択したのだった。
だって、言えるはずがない。彼女に。
君が、留三郎や与四郎や、或いは他の誰かと楽しそうに話しているとつい気になってしまうんだよ、…なんて。
笑っている君を見るのは嫌いじゃないはずなのに。
笑っていてほしいのに。
君が笑っているのを近くで見守ることができるのなら、それ以上は望まずに。
君を守る役目を担うのが自分じゃなくても構わないと、
…確かにそう、思っているはずなのに。
どうして。ふと気付くと、僕はーーーーーーーーーー
「伊作ーっ、あっちの方、文次郎用に罠仕掛けてるから気を付けてねー!」
側にいることを、君には嫌がられていないとしても。
やっぱり、こんな僕じゃない方がいいよね。きっと。
少し離れた木の上から、陽太が笑いながら大きく手を振っているのが見える。苦笑して控えめに振り返す僕の横で、文次郎が怒りを再沸騰させた。
「あッ!陽太コノヤロー!やっぱりてめぇが罠仕掛けてやがったのか!」
「おっと、逃げろ逃げろっ。」
「逃がすかあ!」
木から降りた様子の彼女を文次郎が追いかけて、あっという間に姿が見えなくなってしまった。
「伊作、先に戻っているぞ。」
「あ、うん。…僕、しばらく向こうで一人でやるよ。」
「そうか、分かった。蜂や猪に気を付けろよ。」
「大丈夫…ありがとう。」
仙蔵も河原を後にして、その場には僕一人だけになる。
ーーーーーーーーーー彼女に、
誰とも仲良くしないで、なんて。
そんな酷いことを考える自分も心のどこかにいて。
彼女の幸せを願ったつもりで。
身の程以上の欲望を胸の内に抱えている。
…本当に、酷い奴だ。
そんなことを言う権利も資格も無いのに。
まして、不運を引き寄せる自分なんか。ずっと側にいない方がいいに決まっている。
…いつかは、離れなくちゃいけない。
側にいて、取り返しのつかないほど彼女を傷付けてしまう前に。
今よりもっと迷惑をかけてしまう前に。
この気持ちも、きちんと抑えなきゃ。
本当に彼女のことを想うなら、僕は、通り過ぎる思い出にならなきゃいけないんだから。
僕は結局、それ以降帰るまで、一人で黙々と鍛錬を続けた。
夢を、見ていた。
留三郎とひまりが、隣り合って座っている。どこかの建物の縁側なのか、長椅子なのか。あるいは見晴らしの良い小丘だったかもしれないけれど、細かいことはあまり覚えていない。
ただハッキリしていることは、こちらに背を向けて並んで座っている二人は、何か話して、顔を見合わせて笑っていたということ。談笑の内容は、離れているせいかよく聞こえなかったけれど。
友達同士が、仲が良いというのは友達として僕だって、嬉しい。
なのに。
二人を見ていると、
胸の奥が何故だか苦しくて。
僕はとても、不安な気持ちだった。
ーーーーーーーひまり
留三郎が彼女を呼ぶ。呼んだ、と思った。
でも次の瞬間。
彼女の隣にいるのが留三郎ではなくて、錫高野君、…与四郎に、代わっていることに気付く。
ーーーーーーーひまり 好きだ
隣の相手を真っ直ぐ見上げる、ひまりの横顔は僕にも見えているはずなのに。
その時の彼女がどんな表情をしていたのか、どうしても分からない。
二人の距離が縮まって、そして、
僕にはそれを、見ていることしかできなかった。
ひまりの頬に添えられる彼の手も。
触れて交差する、二人の前髪の毛先も。
互いの熱を共有し合う、唇もーーーーーーーー
自分の夢の中なのに、それを止めることも、邪魔することもできず。
僕はただ、そんな二人を見ていることしか、できなかった。
「陽太!留三郎ォ!てめぇらなあ〜〜〜ッ!!!」
忍術学園が休日である今日、僕たち六年生は全員揃って裏山で鍛錬をしていた。
その休憩中、留三郎が文次郎に、持ってきたという饅頭をいやに親切そうに差し出して。「おお、気が利くじゃねえか。」と受け取った文次郎は一口で頬張ったかと思うと悲鳴を上げ。
「て、てめぇ何だこの、クッソ辛い饅頭は……!ゴホッ…わ、悪いな陽太…」
横から陽太が黙って差し出した竹筒を受け取るや否や喉に流し込むも、今度は吹き出し。…後から聞いたけど、中身は酢だったらしい。
「ぎゃははは!!引っかかってやんの!!」
『大成功』「ブフッ…」
いつものように筆談の文面を掲げるのに加えて、堪えきれなかったのか頭巾の中で吹き出す陽太に、文次郎が更に怒りのボルテージを上げる。
「陽太てめぇ、笑い声聞こえてんぞ!!もう許さねえ…待ちやがれ!!」
「よし、お前あっちな。」
事前に示し合わせていたのか、留三郎の指示に陽太は頷くのみで応え、二人で別々の方向に逃げていく。
「あっ……く、くそっ!」
一瞬、どちらを追うか逡巡して、陽太の方を追いかけ始めた文次郎。その三つの背中に向けて、仙蔵が声を張った。
「おい馬鹿共、あまり遠くに行くなよ。」
その近くの岩に腰掛けて水を飲んでいた小平太が笑っている。
「あっはっは、あの二人もなかなかやるなあ!な、長次。」
「…やり過ぎは良くない…」
「まあ、細かいことは気にするな!それにしても、あいつら本当に仲良いよな。特に、留三郎と陽太。」
その、二つの名前が並んで小平太の口から発せられて、思わず僕は身を固くする。
…今朝見てしまった、あの夢を思い出してしまいそうで。
与四郎と顔が似ているからか、留三郎の顔を見ただけも思い出しそうになるのに。漸く、鍛錬に集中しかけていたのに。
「あの二人が揃って文次郎をからかって遊んでいるなど、昔からあることだ。」
「確かにな。去年の方が、もっと色々と仕掛けていたし。今年は少ない方だな。」
「大体、文次郎の方もいい加減学習しろというのに……伊作?」
そっと、気付かれないようにその場を離れようとしたつもりだったけれど、流石に忍たまの同級生だ。声をかけられ、仕方なく、仙蔵を振り返る。
「ごめん、ちょっと……水飲んでくる。」
それだけ答えて、僕は足早にその場を後にする。だから、その後の彼らの会話を僕は知らない。
「……その手に持っている竹筒は何だ…もそ…」
「飲み切ったのかな?…あれ、私も無い。あー、入れてきてもらえば良かったなあ。」
「なら小平太、私が汲んできてやろう。」
「お、そうか?悪いなー仙蔵!」
「気にするな。ここで待っていろ。」
「おう!よろしく!」
小平太の竹筒に水を汲んでくるていで仙蔵が、さりげなく僕の後を辿っていたとは露知らず。
飲み切ったわけでもない竹筒を持ったまま、河原まで歩いてきた僕は川のそばにしゃがむ。
「……くだらない、な…」
「あの三馬鹿のことか?」
川の流れを見つめながらポツリと呟いた瞬間、砂利を踏む足音と共にそう声をかけられて、慌てた。
「っ、仙蔵…!あぁいや、その…違うよ。」
「ほう。では、何だ?何が、くだらないと?」
「い、いいじゃないか、何でも…」
「そうか。私では話し相手にならないと。ならば陽太に、伊作が何やら悩んでいるようだと伝えておいてやろう。」
追及を避けようとしたのにそんなことを提案されてしまって、僕はますます慌てる。
「いやっ、それは駄目だ!……分かった、言うよ。今朝、夢を見てしまったんだ。」
「夢?」
隣に来た仙蔵の顔を、これから話す内容を思うとどうしても直視できない。
「馬鹿馬鹿しいって笑われるかもしれないけど、その……夢の中で、ひまりと、留三郎がすごく楽しそうに、仲良さそうにしてて……現実でも、そうなんだけど…。そんなこと気にしてる自分が、すごく、くだらないなって……」
留三郎が与四郎に代わって、…の部分はどうしても言えなくて、伏せながらの話になってしまったけれど。
仙蔵は、笑わずに黙って聞いていてくれた。
やがて静かに、短いため息を一つ吐くと。
「さっきも言っただろう、あの二人が一緒になって文次郎に悪戯を仕掛けるほど仲が良いのは、今に始まったことではないと。」
「それは、そうなんだけれど……」
僕が口籠ると、仙蔵は空の竹筒に流水を汲みながら呆れた声になる。
「全く、ウジウジといつまでも鬱陶しい。大体、お前とひまりの惚気こそ、こっちは見飽きているというのに。」
「の、惚気って……僕そんなこと言った覚えは…」
「言葉でなくとも、お前たち二人は並ぶだけで、最早それが惚気みたいなものだ。毎度見せられるこちらの身にもなれ。」
「並ぶだけでって……」
「そもそもエピソードからして惚気ているくせに。」
竹筒の蓋を閉めながら言う仙蔵に、思わず眉をひそめて訊き返す。
「エピソードって、何だよ…?」
「ーーーーーーーー顔の傷を舐めて治してやる、だとか。」
「ッ?!?!」
ボッッ!!と、音がしそうなくらい顔が赤くなったのが自分でも分かる。
「な………なんっ、何で知って……?!」
「おや。本当だったとは。」
「…!仙蔵お前、騙したな…?!」
「フッ、口車に乗せられたお前が悪い。」
「…っ」
「私も何となく予想していただけだ。あいつが傷を負った時、手当てできるものが何も無かったと聞いていたのにあの程度で済んでいたからな。まぁ原始的に、舐めて止血したといった所かと。」
「……」
「で?そのことをひまりはまだ怒っているのか?」
「……怒って、ない。…多分、最初から。」
「フン。ほら見ろ、惚気ているではないか。」
僕は、何も言い返すことができず、俯くしかなくなった。
「一人で悶々と悩むくらいなら、本人に直接、心の内を言えば良かろう。それが無理なら、…まあ、他のことをして気を紛らわすしかあるまい。」
「……そうだね。全くその通りだ。」
僕は頷く。そこへ、息を切らした文次郎が姿を現した。
「ったくあいつら、逃げ足だけは速ぇんだよな……」
「取り逃したのか?」
「バカタレ、小休止だ!水でも飲まんと、やっとられん。」
「…色々と、罠に引っかかっていたようだが?」
「べっ別に引っかかってなんかいねーよ!寸でのところで避けて…」
頭や制服にに葉っぱやら小枝やらを引っつけたままの文次郎の腕を、僕は掴んだ。
「文次郎!僕と鍛錬しよう!」
「はあ?伊作、急に何だ…?」
「いいから、とにかく一緒に来て!さあ!」
「わっ、おいちょっと、分かったから引っ張るなって…!」
この時の僕は、鍛錬に打ち込むことで気を紛らわす方を選択したのだった。
だって、言えるはずがない。彼女に。
君が、留三郎や与四郎や、或いは他の誰かと楽しそうに話しているとつい気になってしまうんだよ、…なんて。
笑っている君を見るのは嫌いじゃないはずなのに。
笑っていてほしいのに。
君が笑っているのを近くで見守ることができるのなら、それ以上は望まずに。
君を守る役目を担うのが自分じゃなくても構わないと、
…確かにそう、思っているはずなのに。
どうして。ふと気付くと、僕はーーーーーーーーーー
「伊作ーっ、あっちの方、文次郎用に罠仕掛けてるから気を付けてねー!」
側にいることを、君には嫌がられていないとしても。
やっぱり、こんな僕じゃない方がいいよね。きっと。
少し離れた木の上から、陽太が笑いながら大きく手を振っているのが見える。苦笑して控えめに振り返す僕の横で、文次郎が怒りを再沸騰させた。
「あッ!陽太コノヤロー!やっぱりてめぇが罠仕掛けてやがったのか!」
「おっと、逃げろ逃げろっ。」
「逃がすかあ!」
木から降りた様子の彼女を文次郎が追いかけて、あっという間に姿が見えなくなってしまった。
「伊作、先に戻っているぞ。」
「あ、うん。…僕、しばらく向こうで一人でやるよ。」
「そうか、分かった。蜂や猪に気を付けろよ。」
「大丈夫…ありがとう。」
仙蔵も河原を後にして、その場には僕一人だけになる。
ーーーーーーーーーー彼女に、
誰とも仲良くしないで、なんて。
そんな酷いことを考える自分も心のどこかにいて。
彼女の幸せを願ったつもりで。
身の程以上の欲望を胸の内に抱えている。
…本当に、酷い奴だ。
そんなことを言う権利も資格も無いのに。
まして、不運を引き寄せる自分なんか。ずっと側にいない方がいいに決まっている。
…いつかは、離れなくちゃいけない。
側にいて、取り返しのつかないほど彼女を傷付けてしまう前に。
今よりもっと迷惑をかけてしまう前に。
この気持ちも、きちんと抑えなきゃ。
本当に彼女のことを想うなら、僕は、通り過ぎる思い出にならなきゃいけないんだから。
僕は結局、それ以降帰るまで、一人で黙々と鍛錬を続けた。