そのうすべに色を隠して。
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『二頁 出会った日のこと』
※後半、一年生の頃の回想。
※回想でモブ女子複数人出ます、名前無し。
「悪いね、陽太。運ぶの手伝ってもらっちゃって。」
「いいよ。時間あったし。」
ある日の昼休み、陽太は、伊作に頼まれて一緒に授業で使った用具を運んでいた。指定された場所に置いてから、来た道を戻っていく。
陽太が、本当は"ひまり"という名前の女の子で、訳あって男装し忍たまとしてこの忍術学園で学んでいる、……ということは同級生である他の六年生と、学園長をはじめとする教職員全員だけが知っている。
無論、伊作も知っている内の一人だ。
声質は低いが、喋れば女と分かってしまうので、事情を知らない者がいる所では喋ることはできない。
今は、伊作以外に誰もいないので普通に会話をしている。ーーーーーーーーと、遠く向こう側から、先日知り合ったばかりの乱太郎、きり丸、しんべヱが歩いてくるのが見えたので、陽太は口をつぐんだ。
「あっ、伊作先輩、上町先輩、こんにちはぁ……。」
気付いた乱太郎が、挨拶をする。
「やあ。…三人とも、頭押さえたりして、どうしたんだい?」
見ると、三人はそれぞれ自分の頭を押さえて、痛そうにしている。
「いやぁ、それが……」
「くの一教室の女の子たちに、やられてしまって……」
「ひどいんですぅ……僕にはお菓子、きり丸には小銭、乱太郎には立派な忍者になるための本をそれぞれ用意されて、つられた僕たちを罠に嵌めて……」
「しんべヱ、何もそこまで詳しく言わなくていいから。」
「余計自分たちが情けなくなってくるから…。」
「そ、そうだったのかい…それは、災難だったね。」
同情する伊作に、乱太郎は顔を上げて訊いた。
「伊作先輩、どうしてくの一教室の女の子たちって、あんなに意地悪なんでしょう?」
「大体、たった一つ年上だからって、いつも偉そうなんだよなー。」
きり丸がぼやくと、しんべヱは首を傾げた。
「そう?おシゲちゃんは、いつも優しいよ?」
乱太郎ときり丸が、じろり、としんべヱを睨む。
「……しんべヱ君?今は君の惚気話を聞いてる気分じゃないんだよ?」
「お前なあ!ちったぁ、空気読めよ!」
「えーっ?!何で二人とも、怒ってるの?!」
「まぁまぁ、三人とも…喧嘩は良くないよ。」
仲違いに発展しそうな雰囲気の三人を、伊作が宥める。
様子を見ていた陽太は、筆談用の手帳を取り出して書き込み、それを三人に見せた。
『知恵を凝らして、いつか女の子たちをあっと言わせたらいい』
「…って、上町先輩ぃ!そんな簡単に言いますけどぉ…」
きり丸が涙目で訴えていると、隣の乱太郎が「そうだ!」と何か思いついたように声をあげた。
「伊作先輩、上町先輩!お二人とも、一年生の時にどうやってくのたまたちと渡り合ったんですか?」
「え、ええ…?!」
「教えてください!僕たち、このままじゃ悔しいんです!」
「そんな、急に訊かれても……」
伊作も、陽太も、返答に困ってしまったが、その時、遠くの方から山田先生の怒号が轟いた。
「乱太郎、きり丸、しんべヱ!お前たち、職員室に来いと言ったのに何をこんな所で油売っておるか!!」
「ひええっ、山田先生…!す、すみませんー!!」
「せ、先輩方、失礼します!」
どうやら用事があったのを忘れていたらしく、三人は慌てて走っていってしまった。
声が届かない所まで行ったことを確認してから、陽太が一つ息をついた。
「……あー、危なかった……」
「急に、あんなこと訊かれるなんて思わなかったね。……でも、懐かしいな。」
「何が?」
「僕らも、一年生の時、くの一教室に呼ばれたことを思い出してさ。あの時に、ひまりと初めて出会ったんだよね。」
不意打ちで自分の本名を呼ばれ、内心ギクリとするが幸い、近くには他に誰もいない。
「ひまりはあの時、僕のことを助けてくれたよね。昔からひまりは優しかったから。」
「…いや、本当はあの時は、私も、伊作のこと罠に嵌めようとしてた。でもあんたがあまりにも不運だったから、なんか、可哀想になっちゃっただけ。」
それより、と陽太は伊作を振り返って軽く睨む。
「ひまりって呼ばないでよ。誰か聞いたらどうするんだよ。」
「そう言うひまりこそ、今も喋ってるじゃないかあいたたたたたたた」
「陽太!だっつうの!」
あまりの危機感の低さにイラッとしてしまい、つい、口の端をつねる。
………というか急に本名呼ぶとか、ずるいし。などと心の中で毒づきながら。
「痛い痛い、分かった分かった!ごめんてば…!」
「陽太、何をしているんだ?」
声をかけられ、振り返ると同じ六年い組の潮江文次郎が立ち止まっていた。隣には、同じく立花仙蔵もいる。
「次の授業は裏山で行うそうだ。さっさと行くぞ。」
「分かった。…それじゃ、伊作。」
「あ、うん…またね。」
まだ少し痛そうに口元をさすっている伊作に別れを告げ、二人と連れ立って裏山へと向かい始める。
「伊作と、何話してたんだよ?」
文次郎にそう訊かれて、反射的にムッとしてしまった。
「べ、別に、何だっていいだろ…。」
「……何、怒ってんだ?」
「よせ文次郎、今の陽太はかなりデリケートだぞ。」
薄く笑いながら、仙蔵が陽太の顔を見ている。面白そうに。それが、陽太には面白くない。
「はあ…?」
「文次郎のばーか!」
「は?!あ、おいコラ、言い逃げすんな!」
「フッ、文次郎のバーカ。」
「んなッ、仙蔵お前まで…?!こら待て、二人してどういうことだ?!」
急に駆け出した陽太、それに続いた仙蔵を追いかけて、文次郎も走り出した。
それは、もう、五年も前のことになる。
「あー、おっもしろかったぁ!」
生徒が全員出払っていた、くの一の教室にクスクス笑う声が帰ってきたのは、その日のお昼前だった。
その日は、忍術学園の新一年生の忍たまたちを、普段は男子禁制のくの一教室に招いておもてなしをする、という授業があった。
おもてなし、……というのは表向きで、実際には、くの一としての「色仕掛け」の腕を磨くことを目的とした授業内容なのである。
無論、まだ本物のくの一がするような色仕掛けをするわけではないが。それでも可愛く、親切におしとやかに振る舞っていれば大抵の男子は、彼女たちくの一のたまご、"くのたま"に、目を奪われてしまう。
何しろ、女の子に免疫の無い男子が殆どである。
「ほんと、男の子って皆単純よねぇ。」
「そうそう、ちょっと笑顔見せて、優しく話しかけただけでもうイチコロ!って感じ。」
「…で、悪戯を仕掛けられたと分かった時の、あの、悔しそうな顔!」
「ねー!思い出しただけで、笑っちゃう…!」
「あたしあの子、あの目の下にクマできちゃってる子、畳返しで吹っ飛ばしてやったわ!」
「やだ、その光景すごく見たかったわぁ。」
「ねえ、ひまりは?」
声をかけられ、我に返るとクラスの女の子たちがみんな自分を見ていることに気付いた。
「え?」
「だーかーらぁ、どうだったの、って。」
「あぁ、うん…」
「あんた確か、やたらつまづいて転んでる子と話してたわよね?」
「あんたも、何か仕掛けたんでしょ?」
「う、うん。そうなんだけど……」
数時間前。
ひまりは、少し緊張したような面持ちのその男の子を連れて、くの一教室のある敷地内を案内して回っていた。
「こっちの雰囲気、向こうと全然違うでしょ?何しろここは、普段は開放されない男子禁制の……って、あなた、また転んだの?」
「あ、あははは…。」
「…ほら。」
話している途中すら、転ぶ始末。もうこれで何度目か。まだ何も仕掛けてないのに、と呆れてしまう。
見かねて、思わず手を差し出すと、彼は気弱そうに笑って、手につかまりながら立ち上がった。
「ありがとう。君、名前は?」
「え?……上町ひまり、だけど。」
「ひまりちゃん。優しいんだね。」
「……い、いや別に…。」
まだ握っていた手を、ふいっと離す。
「あなたは?名前。」
「善法寺伊作。」
「ぜんぽうじ?」
「苗字、どう書くの?」
「こうよ。」
しゃがんで、がりがり、と地面に木の小枝を使って字を書く。上町、と。ついでに下の名前も書き足す。
しゃがみ込んだ隣に、ぜんぽうじいさく、と名乗ったその子も同じようにしゃがんで、ひまりが書いた名前のすぐ横に、自分の名前をがりがりと刻む。
…いや、これじゃ普通のコミュニケーションじゃないの。と、ひまりは心の中で自分にツッコミを入れる。
ひまりたちくの一教室の女の子は皆、誰が一番面白く、男の子を騙せるか勝負しよう、と言って出てきていたのだった。
口に入れるとパチパチ弾ける薬をお団子に仕込もうだとか、風に飛ばされた帯が木に引っかかって取れないと言って折れかけの枝に登らせようだとか、皆、思い思いにそれぞれ画策して。
ひまりも、一応、仕掛けを用意していた。単純だけど、落とし穴。
「ねぇ、善法寺君。」
「何?ひまりちゃん。」
というか、さっきからいきなり下の名前かよ、とニコニコ顔の彼に内心ツッコミをいれるが、すぐに我に返り、こちらもニコッと笑う。
「私、ここよりももっと楽しい場所、知ってるの。一緒に来て?」
「うん、分かった。」
ニコニコしていた彼が、次の瞬間、少し驚いたような表情になる。ひまりが、彼の手をぎゅっと握ったからだ。
「…お願い。私が手を引っ張るから、あなたは目を瞑ってて。秘密の場所だから。」
「え?う、うん…いいけど…。」
急に歯切れが悪くなる。…もしかして色仕掛け、成功してるかも?と、幸先良さそうな滑り出しに、ひまりは気分を良くする。
「私がいいって言うまで、目を開けないでね?約束よ?」
「わ、分かったよ…。」
…と、このようにして目を瞑らせたまま、落とし穴に誘導し落とす、という作戦である。
しかし。ここで、またしても善法寺伊作がつまづいてしまった。
「うわぁっ!」
「もうすぐ着くぎゃああ?!?!」
落とし穴の目印が見えて、さてそろそろ手を離そうかと思った瞬間、つまづいた彼に背中からぶつかられ。諸共に、落とし穴に落ちてしまった。
「う〜、いてて…何でこんな所に落とし穴が…?」
「ちょっと、早くどきなさいよ…!」
「わっ!ごめんね…!」
「全くもう……っ、…」
「ひまりちゃん、どうかしたの?」
「いや、何でもない。ほら、さっさと出るわよ。」
幸い元々、穴はそこまで深く掘っていなかったので、自力で這い出ることはできた。
「ごめんね、本当に…」
「もういいから。ほら手ぇ貸して。」
先に地上に上がって、穴の中の伊作に手を差し伸べる。伊作が手を掴んだ瞬間、手のひらにチクッと痛みが走った。
その時ひまりが一瞬顔をしかめたのを、彼は見逃さなかったらしい。
「ひまりちゃん?…やっぱり、どこかケガしたの?」
「べ、別に大したことないから…そんなことより皆の所に戻ろ……」
これ以上、彼と関わって巻き込まれたくないと、ひまりは後ずさるが、伊作は、さっきまでの気弱そうな様子とうって変わり、真剣な目で、ひまりの手を取る。
「手のひら、擦りむいてるじゃないか。こっち来て、手当てしてあげるから。」
「いいって、こんなの大した傷じゃない……」
「駄目だよ!ちゃんと消毒しないと、傷口からばい菌が入ったら、大変なことになるよ!早く、ここに座って。」
さっきまでのニコニコ顔はどこへやら、その迫力に気圧され、言われた通りにひまりは大人しく近くの縁側に座った。
伊作もその隣に座ると、普段から持ち歩いているのか、携帯用の救急セットを取り出した。
「…痛っ…」
「ご、ごめんね。あともうちょっとだから…。」
思った以上に手際の良い彼に、あっという間に手当てされ。
「包帯はちょっと、大袈裟なんじゃない…?」
「そ、そっか…外す?」
「…ううん。いーよ、もう。悪かったわね、手当てまでさせちゃって。」
「いやそんな、僕のせいで怪我させちゃったし……本当に、ごめんね。」
手当てが終わった途端、最初の時のように気弱そうな表情が戻ってきた。…そもそも、落とし穴に嵌めようとしたのが事の原因ではあるのだが、ひまりは黙っておくことにした。
「僕、目を瞑って歩いたら、絶対必ず転んじゃうんだ。ちゃんと、最初に言えば良かったね…。」
つまり、さっき歯切れが悪くなったのはそれを気にしていた、ということらしい。
ーーーーーーーー怪我したの、私で良かったかも。と、ひまりは内心落ち込んでいた。
多分、バチが当たったんだ。こんな、素直な子を落とし穴に落とそうだなんて考えるから…。
静かになったひまりを見て、伊作はまた心配そうな顔になる。
「どうしたの?まだどこか、怪我してる?」
「いっ、いやしてないしてない!本当に、大丈夫だから…。」
「そっか、良かった。……あ、ちょっと待って。動かないで。」
距離を詰めてきた伊作に、、不意を突かれて固まっているうちに、サッサッと、余った包帯の端で頰についていた土汚れを払われた。
「ごめんね、女の子の顔なのに、よごしちゃって。」
さっきよりも近い距離で、申し訳なさそうに笑いかけられて。
「ーーーーーーーーき、気安く触るな…!」
恥ずかしくなって、思わず手を払いのけてしまう。そのまま、縁側から降りて、顔を見られないように数歩駆けて距離を取った。
後ろの方で、「ご、ごめん…」と、また気弱そうに謝る声がした。
「……その…、あんたこそ、怪我してないの?」
「僕?うん、僕は平気だよ。」
「…そうよね、私が下敷きになったんだから。」
「あっ…いやあの、ええっと……!」
「………ぷっ」
慌てる様子がおかしくて、つい、吹き出してしまった。急に笑いだすひまりに、伊作はぽかんとする。
「冗談よ。これでおあいこ、だもんね。」
ひまりは振り返って、手当てされた手を振って見せた。それを見た伊作も、安堵したように、苦笑を返した。
ーーーーーーーーそんなことがあったのを、手に巻かれた包帯を見ながら思い出していると、「ひまり、ってば!」と強めに呼ばれた。
「あ、ごめん。何だっけ?」
「だからもう……ちゃんと罠に嵌められたの?どうだったのって。」
「いや、その…私、うまくいかなくて…。」
その返答内容に、「なあんだ…」「つまんないわねー」と口を尖らせるクラスメイトに、ひまりはさっきの伊作みたいに苦笑を返すしかなかった。
その後、手のひらの傷が綺麗に治っても、あの時の包帯の切れ端を、何となくしばらく捨てられなかったというのは、一生の秘密である。
※後半、一年生の頃の回想。
※回想でモブ女子複数人出ます、名前無し。
「悪いね、陽太。運ぶの手伝ってもらっちゃって。」
「いいよ。時間あったし。」
ある日の昼休み、陽太は、伊作に頼まれて一緒に授業で使った用具を運んでいた。指定された場所に置いてから、来た道を戻っていく。
陽太が、本当は"ひまり"という名前の女の子で、訳あって男装し忍たまとしてこの忍術学園で学んでいる、……ということは同級生である他の六年生と、学園長をはじめとする教職員全員だけが知っている。
無論、伊作も知っている内の一人だ。
声質は低いが、喋れば女と分かってしまうので、事情を知らない者がいる所では喋ることはできない。
今は、伊作以外に誰もいないので普通に会話をしている。ーーーーーーーーと、遠く向こう側から、先日知り合ったばかりの乱太郎、きり丸、しんべヱが歩いてくるのが見えたので、陽太は口をつぐんだ。
「あっ、伊作先輩、上町先輩、こんにちはぁ……。」
気付いた乱太郎が、挨拶をする。
「やあ。…三人とも、頭押さえたりして、どうしたんだい?」
見ると、三人はそれぞれ自分の頭を押さえて、痛そうにしている。
「いやぁ、それが……」
「くの一教室の女の子たちに、やられてしまって……」
「ひどいんですぅ……僕にはお菓子、きり丸には小銭、乱太郎には立派な忍者になるための本をそれぞれ用意されて、つられた僕たちを罠に嵌めて……」
「しんべヱ、何もそこまで詳しく言わなくていいから。」
「余計自分たちが情けなくなってくるから…。」
「そ、そうだったのかい…それは、災難だったね。」
同情する伊作に、乱太郎は顔を上げて訊いた。
「伊作先輩、どうしてくの一教室の女の子たちって、あんなに意地悪なんでしょう?」
「大体、たった一つ年上だからって、いつも偉そうなんだよなー。」
きり丸がぼやくと、しんべヱは首を傾げた。
「そう?おシゲちゃんは、いつも優しいよ?」
乱太郎ときり丸が、じろり、としんべヱを睨む。
「……しんべヱ君?今は君の惚気話を聞いてる気分じゃないんだよ?」
「お前なあ!ちったぁ、空気読めよ!」
「えーっ?!何で二人とも、怒ってるの?!」
「まぁまぁ、三人とも…喧嘩は良くないよ。」
仲違いに発展しそうな雰囲気の三人を、伊作が宥める。
様子を見ていた陽太は、筆談用の手帳を取り出して書き込み、それを三人に見せた。
『知恵を凝らして、いつか女の子たちをあっと言わせたらいい』
「…って、上町先輩ぃ!そんな簡単に言いますけどぉ…」
きり丸が涙目で訴えていると、隣の乱太郎が「そうだ!」と何か思いついたように声をあげた。
「伊作先輩、上町先輩!お二人とも、一年生の時にどうやってくのたまたちと渡り合ったんですか?」
「え、ええ…?!」
「教えてください!僕たち、このままじゃ悔しいんです!」
「そんな、急に訊かれても……」
伊作も、陽太も、返答に困ってしまったが、その時、遠くの方から山田先生の怒号が轟いた。
「乱太郎、きり丸、しんべヱ!お前たち、職員室に来いと言ったのに何をこんな所で油売っておるか!!」
「ひええっ、山田先生…!す、すみませんー!!」
「せ、先輩方、失礼します!」
どうやら用事があったのを忘れていたらしく、三人は慌てて走っていってしまった。
声が届かない所まで行ったことを確認してから、陽太が一つ息をついた。
「……あー、危なかった……」
「急に、あんなこと訊かれるなんて思わなかったね。……でも、懐かしいな。」
「何が?」
「僕らも、一年生の時、くの一教室に呼ばれたことを思い出してさ。あの時に、ひまりと初めて出会ったんだよね。」
不意打ちで自分の本名を呼ばれ、内心ギクリとするが幸い、近くには他に誰もいない。
「ひまりはあの時、僕のことを助けてくれたよね。昔からひまりは優しかったから。」
「…いや、本当はあの時は、私も、伊作のこと罠に嵌めようとしてた。でもあんたがあまりにも不運だったから、なんか、可哀想になっちゃっただけ。」
それより、と陽太は伊作を振り返って軽く睨む。
「ひまりって呼ばないでよ。誰か聞いたらどうするんだよ。」
「そう言うひまりこそ、今も喋ってるじゃないかあいたたたたたたた」
「陽太!だっつうの!」
あまりの危機感の低さにイラッとしてしまい、つい、口の端をつねる。
………というか急に本名呼ぶとか、ずるいし。などと心の中で毒づきながら。
「痛い痛い、分かった分かった!ごめんてば…!」
「陽太、何をしているんだ?」
声をかけられ、振り返ると同じ六年い組の潮江文次郎が立ち止まっていた。隣には、同じく立花仙蔵もいる。
「次の授業は裏山で行うそうだ。さっさと行くぞ。」
「分かった。…それじゃ、伊作。」
「あ、うん…またね。」
まだ少し痛そうに口元をさすっている伊作に別れを告げ、二人と連れ立って裏山へと向かい始める。
「伊作と、何話してたんだよ?」
文次郎にそう訊かれて、反射的にムッとしてしまった。
「べ、別に、何だっていいだろ…。」
「……何、怒ってんだ?」
「よせ文次郎、今の陽太はかなりデリケートだぞ。」
薄く笑いながら、仙蔵が陽太の顔を見ている。面白そうに。それが、陽太には面白くない。
「はあ…?」
「文次郎のばーか!」
「は?!あ、おいコラ、言い逃げすんな!」
「フッ、文次郎のバーカ。」
「んなッ、仙蔵お前まで…?!こら待て、二人してどういうことだ?!」
急に駆け出した陽太、それに続いた仙蔵を追いかけて、文次郎も走り出した。
それは、もう、五年も前のことになる。
「あー、おっもしろかったぁ!」
生徒が全員出払っていた、くの一の教室にクスクス笑う声が帰ってきたのは、その日のお昼前だった。
その日は、忍術学園の新一年生の忍たまたちを、普段は男子禁制のくの一教室に招いておもてなしをする、という授業があった。
おもてなし、……というのは表向きで、実際には、くの一としての「色仕掛け」の腕を磨くことを目的とした授業内容なのである。
無論、まだ本物のくの一がするような色仕掛けをするわけではないが。それでも可愛く、親切におしとやかに振る舞っていれば大抵の男子は、彼女たちくの一のたまご、"くのたま"に、目を奪われてしまう。
何しろ、女の子に免疫の無い男子が殆どである。
「ほんと、男の子って皆単純よねぇ。」
「そうそう、ちょっと笑顔見せて、優しく話しかけただけでもうイチコロ!って感じ。」
「…で、悪戯を仕掛けられたと分かった時の、あの、悔しそうな顔!」
「ねー!思い出しただけで、笑っちゃう…!」
「あたしあの子、あの目の下にクマできちゃってる子、畳返しで吹っ飛ばしてやったわ!」
「やだ、その光景すごく見たかったわぁ。」
「ねえ、ひまりは?」
声をかけられ、我に返るとクラスの女の子たちがみんな自分を見ていることに気付いた。
「え?」
「だーかーらぁ、どうだったの、って。」
「あぁ、うん…」
「あんた確か、やたらつまづいて転んでる子と話してたわよね?」
「あんたも、何か仕掛けたんでしょ?」
「う、うん。そうなんだけど……」
数時間前。
ひまりは、少し緊張したような面持ちのその男の子を連れて、くの一教室のある敷地内を案内して回っていた。
「こっちの雰囲気、向こうと全然違うでしょ?何しろここは、普段は開放されない男子禁制の……って、あなた、また転んだの?」
「あ、あははは…。」
「…ほら。」
話している途中すら、転ぶ始末。もうこれで何度目か。まだ何も仕掛けてないのに、と呆れてしまう。
見かねて、思わず手を差し出すと、彼は気弱そうに笑って、手につかまりながら立ち上がった。
「ありがとう。君、名前は?」
「え?……上町ひまり、だけど。」
「ひまりちゃん。優しいんだね。」
「……い、いや別に…。」
まだ握っていた手を、ふいっと離す。
「あなたは?名前。」
「善法寺伊作。」
「ぜんぽうじ?」
「苗字、どう書くの?」
「こうよ。」
しゃがんで、がりがり、と地面に木の小枝を使って字を書く。上町、と。ついでに下の名前も書き足す。
しゃがみ込んだ隣に、ぜんぽうじいさく、と名乗ったその子も同じようにしゃがんで、ひまりが書いた名前のすぐ横に、自分の名前をがりがりと刻む。
…いや、これじゃ普通のコミュニケーションじゃないの。と、ひまりは心の中で自分にツッコミを入れる。
ひまりたちくの一教室の女の子は皆、誰が一番面白く、男の子を騙せるか勝負しよう、と言って出てきていたのだった。
口に入れるとパチパチ弾ける薬をお団子に仕込もうだとか、風に飛ばされた帯が木に引っかかって取れないと言って折れかけの枝に登らせようだとか、皆、思い思いにそれぞれ画策して。
ひまりも、一応、仕掛けを用意していた。単純だけど、落とし穴。
「ねぇ、善法寺君。」
「何?ひまりちゃん。」
というか、さっきからいきなり下の名前かよ、とニコニコ顔の彼に内心ツッコミをいれるが、すぐに我に返り、こちらもニコッと笑う。
「私、ここよりももっと楽しい場所、知ってるの。一緒に来て?」
「うん、分かった。」
ニコニコしていた彼が、次の瞬間、少し驚いたような表情になる。ひまりが、彼の手をぎゅっと握ったからだ。
「…お願い。私が手を引っ張るから、あなたは目を瞑ってて。秘密の場所だから。」
「え?う、うん…いいけど…。」
急に歯切れが悪くなる。…もしかして色仕掛け、成功してるかも?と、幸先良さそうな滑り出しに、ひまりは気分を良くする。
「私がいいって言うまで、目を開けないでね?約束よ?」
「わ、分かったよ…。」
…と、このようにして目を瞑らせたまま、落とし穴に誘導し落とす、という作戦である。
しかし。ここで、またしても善法寺伊作がつまづいてしまった。
「うわぁっ!」
「もうすぐ着くぎゃああ?!?!」
落とし穴の目印が見えて、さてそろそろ手を離そうかと思った瞬間、つまづいた彼に背中からぶつかられ。諸共に、落とし穴に落ちてしまった。
「う〜、いてて…何でこんな所に落とし穴が…?」
「ちょっと、早くどきなさいよ…!」
「わっ!ごめんね…!」
「全くもう……っ、…」
「ひまりちゃん、どうかしたの?」
「いや、何でもない。ほら、さっさと出るわよ。」
幸い元々、穴はそこまで深く掘っていなかったので、自力で這い出ることはできた。
「ごめんね、本当に…」
「もういいから。ほら手ぇ貸して。」
先に地上に上がって、穴の中の伊作に手を差し伸べる。伊作が手を掴んだ瞬間、手のひらにチクッと痛みが走った。
その時ひまりが一瞬顔をしかめたのを、彼は見逃さなかったらしい。
「ひまりちゃん?…やっぱり、どこかケガしたの?」
「べ、別に大したことないから…そんなことより皆の所に戻ろ……」
これ以上、彼と関わって巻き込まれたくないと、ひまりは後ずさるが、伊作は、さっきまでの気弱そうな様子とうって変わり、真剣な目で、ひまりの手を取る。
「手のひら、擦りむいてるじゃないか。こっち来て、手当てしてあげるから。」
「いいって、こんなの大した傷じゃない……」
「駄目だよ!ちゃんと消毒しないと、傷口からばい菌が入ったら、大変なことになるよ!早く、ここに座って。」
さっきまでのニコニコ顔はどこへやら、その迫力に気圧され、言われた通りにひまりは大人しく近くの縁側に座った。
伊作もその隣に座ると、普段から持ち歩いているのか、携帯用の救急セットを取り出した。
「…痛っ…」
「ご、ごめんね。あともうちょっとだから…。」
思った以上に手際の良い彼に、あっという間に手当てされ。
「包帯はちょっと、大袈裟なんじゃない…?」
「そ、そっか…外す?」
「…ううん。いーよ、もう。悪かったわね、手当てまでさせちゃって。」
「いやそんな、僕のせいで怪我させちゃったし……本当に、ごめんね。」
手当てが終わった途端、最初の時のように気弱そうな表情が戻ってきた。…そもそも、落とし穴に嵌めようとしたのが事の原因ではあるのだが、ひまりは黙っておくことにした。
「僕、目を瞑って歩いたら、絶対必ず転んじゃうんだ。ちゃんと、最初に言えば良かったね…。」
つまり、さっき歯切れが悪くなったのはそれを気にしていた、ということらしい。
ーーーーーーーー怪我したの、私で良かったかも。と、ひまりは内心落ち込んでいた。
多分、バチが当たったんだ。こんな、素直な子を落とし穴に落とそうだなんて考えるから…。
静かになったひまりを見て、伊作はまた心配そうな顔になる。
「どうしたの?まだどこか、怪我してる?」
「いっ、いやしてないしてない!本当に、大丈夫だから…。」
「そっか、良かった。……あ、ちょっと待って。動かないで。」
距離を詰めてきた伊作に、、不意を突かれて固まっているうちに、サッサッと、余った包帯の端で頰についていた土汚れを払われた。
「ごめんね、女の子の顔なのに、よごしちゃって。」
さっきよりも近い距離で、申し訳なさそうに笑いかけられて。
「ーーーーーーーーき、気安く触るな…!」
恥ずかしくなって、思わず手を払いのけてしまう。そのまま、縁側から降りて、顔を見られないように数歩駆けて距離を取った。
後ろの方で、「ご、ごめん…」と、また気弱そうに謝る声がした。
「……その…、あんたこそ、怪我してないの?」
「僕?うん、僕は平気だよ。」
「…そうよね、私が下敷きになったんだから。」
「あっ…いやあの、ええっと……!」
「………ぷっ」
慌てる様子がおかしくて、つい、吹き出してしまった。急に笑いだすひまりに、伊作はぽかんとする。
「冗談よ。これでおあいこ、だもんね。」
ひまりは振り返って、手当てされた手を振って見せた。それを見た伊作も、安堵したように、苦笑を返した。
ーーーーーーーーそんなことがあったのを、手に巻かれた包帯を見ながら思い出していると、「ひまり、ってば!」と強めに呼ばれた。
「あ、ごめん。何だっけ?」
「だからもう……ちゃんと罠に嵌められたの?どうだったのって。」
「いや、その…私、うまくいかなくて…。」
その返答内容に、「なあんだ…」「つまんないわねー」と口を尖らせるクラスメイトに、ひまりはさっきの伊作みたいに苦笑を返すしかなかった。
その後、手のひらの傷が綺麗に治っても、あの時の包帯の切れ端を、何となくしばらく捨てられなかったというのは、一生の秘密である。