そのうすべに色を隠して。
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『二十三頁 ある一人のくのたまとの交流に関する記録(れこーど)』
※長次視点で一年生回想。
※時間軸は『九頁 うすべにいろのあの子』の少し後。
※この頃の中在家長次は今より少し喋る量が多いという拙宅設定です。
◯月⬜︎日。ふつう。
「伊作ー、何してるの?」
「あ、ひまりちゃん。」
"その子"は、私が伊作と、渡り廊下の途中で立ち話をしている時に偶然通りかかった。
彼女は、以前私たち新入生の忍たまがくの一教室に招待された時の、伊作の相手となったくのたまの生徒だった。
「長次と、さっきの授業のこと話してたんだ。…まだ話したこと無いよね?」
一度振り返った伊作にそう訊かれて、戸惑いつつも頷くと。
「彼、同じ組なんだ。中在家長次。」
と、紹介されていた。
彼女も「よろしくね」と笑いかけてくる。
伊作の言う通り私は彼女と話したことはないけれど、ーーーーーーー先日より既に、第一印象とは全くかけ離れた彼女の姿を、記憶に色濃く刻まれてしまっている。少なくとも、文次郎たちが勝手に見誤った『大人しそう』とは真逆の性格だ、ということは分かっている。
だから、彼女には申し訳ないけれど、勿論彼女が悪いとかではないけれど、若干身構えてしまったことは否定できない。それに気付いた様子が無いのが幸いだけど。
「私、上町ひまり。…あれ?ねえ、その本…」
名乗ってから彼女、上町ひまりはふと、何かに気付いたような表情になる。
彼女が覗き込んだのは、私がその時手に持っていた、本。
すると。社交辞令だった笑顔が、少しだけ、本当に少しだけど親しげなものに変化する。
「やっぱり。私も読んだことあるよ、それ。」
「そ、そう…」
「面白いよね!私、一日で読み切っちゃった。」
上手いタイミングで受け答えができない私の横から、代わりのように伊作が相槌を打っている。
「へぇー。結構ページ数ありそう。そんなに、面白かったの?」
「うん。伊作も今度借りたら?図書室の本だから。」
…彼女の方はすっかり、伊作の名前を呼び捨てで慣れてしまっているらしかった。伊作の方もそれに対して嫌な顔はしていない。尤も伊作自身は彼女を、まだ呼び捨てでは呼んでいなかったけれど。
それでも、その距離感を、ほんの少し羨ましいような気持ちになった。
楽しそうに話ができる、その距離感を。
「…おい見ろよ。上町の奴、伊作だけじゃなくて長次まで手玉に取ろうとしてやがるぜ。」
聞こえよがしの陰口に振り返ると、陰口を叩きながらニヤニヤする文次郎と、小平太、留三郎が遠巻きにこちらを見ていて。彼ら三人の姿を見るや上町ひまりは、眉根を寄せる。
「うわ出た、アホ三人組。」
「誰がアホだてめぇ!」
「まぁ確かに、文次郎はアホだけどな。」
「ああ?!今何つったアホ留?!」
「てめぇこのアホ文次!!」
彼女をからかおうとしていたはずなのだろうけど、いつの間にか文次郎と留三郎が睨み合う事態となり。
すると彼女はスタスタと彼らの方に向かって歩いていくと、斜め下から伺うようにして文次郎と距離を詰める。
「…潮江あんたさあ、もしかしてヤキモチ妬いてんの?」
「は…はああっ??!なっ、何訳の分かんねぇこと言ってやがる!?」
「?文次郎、何で顔赤いんだ?」
「うるせぇ小平太、赤くなってなんかいねーよ!…おい上町!てめぇ気色悪いこと言ってんじゃねえぞ?!」
「まー、この程度で赤くなっちゃって。」
「だから赤くねーって言ってんだろうが!!ばーかばーか!!」
誰がどう見ても真っ赤な顔で、捨て台詞を吐くと文次郎は踵を返して一人で走り去っていく。
「……ありゃ完全に落ちてるな。」
「え、留三郎、何が?」
「いや、何でもねぇよ。」
留三郎が呟いた言葉の意味を理解しているのは、その場では恐らく私だけだったのだろう。ピンと来なかった様子で顔を見合わせる伊作も小平太も、そして当事者であるはずの上町ひまりさえ、文次郎が"暇つぶしに"彼女にちょっかいを出しているのだと、思っているのかもしれない。
「はは。くのたまをからかおうなんて、百年早いのよ。」
一枚上手な彼女は、ただそう言ってけらけらと笑うだけだった。
◯月☆日。ふつう。
「あ。中在家君。」
天気の良い日。校庭を歩く途中、例のくのたま、上町ひまりに呼び止められた。この時彼女は、外出着の格好だった。
「ごめんね、急いでた?」
「…いや。」
「そう、なら良かった。ねえ、伊作見なかった?」
「さっき、新野先生に呼ばれていったけど。多分、保健委員の仕事で。」
「そっか…。うーん、どうしようかなあ。学園長先生にお使い頼まれてるんだけど、遠いし一人じゃちょっと心細くて。」
「…同じくの一教室の子は?」
「食堂の当番だったり、山本シナ先生からのご用事だったりで皆なかなか捕まらなくて。…あのさ中在家君、もし時間あったらなんだけど、一緒におつかい行ってくれないかな?」
頼られたことに、戸惑ってしまったのだと思う。一瞬返事ができないでいると、彼女は、思い直したように手のひらをこちらに向けて振ってみせた。
「ううん、ごめん。やっぱ迷惑だよね。」
「あ…いや、…いいよ。」
撤回されそうになったことに、思わず焦った。
承諾すると、彼女の表情が明るくなって。
「ほんと?ありがとう!じゃあ着替えたら、正門に来てね。待ってるから。」
ホッとしたような笑顔が、手を振って駆けていく。そんな顔を見られたら、私も、少し嬉しいような気がした。
誰かと一緒に出かけるのは初めてではないけれど、彼女とは、初めてだった。
お使いに行く道の途中で、話題を振るのは大抵彼女の方で。
「この前、良いよって教えてくれた本面白かったよ!くの一教室の友達にもすすめちゃった。」
先日伊作から互いを紹介された時に、思いがけず"読書"が共通項であることが判明して。そして私が図書委員であることを知った彼女は、おすすめの本が無いかと訊いてくることが時々あった。
彼女は歩きながら、うーん、と指を組んだ腕を前に伸ばして話し続ける。
「学園に通うって、最初はめんどくさいなあって思ってたけど、私ここに来れて良かった。だって、本が読めるんだもの!」
「…本、そんなに好きなの?」
「読めたら、大人の仲間入りしたみたいで嬉しいじゃない?」
…変わった子だな、と思った。
「中在家君も、本好きなんじゃないの?」
「…うん。まあ。」
「本の他には、何が好き?」
私とは対照的なほど、彼女はけっこう喋る。私があまり自分から話さないから、気を遣っているのかもしれないけど。
「こないだね、伊作に何か好きなことあるの?って訊いたらさ、日向ぼっこするのが好きだって言ってて。なーんか、のんきな感じだよねぇ。」
呆れたようにそう言いつつ彼女は、どこか、楽しそう。
「ああそういえばね、聞いてよ。皆がくの一教室に来た日のことなんだけど、伊作ってば別にいいって言ってるのに怪我の手当てしなきゃって、強引にさあ…」
話すその顔を横で見ながら、考える。
何が好き、か。
…少なくとも、君と一緒にいる時間は嫌いじゃない。
そう思うようになっていたことに自分でも驚く。
最初とは違う印象で記憶に刻まれた彼女は、私に対して、至って優しい態度だった。
優しい笑顔を私に向けて、ずっと、伊作の話を続けていた。
△月△日。くもり。
「…潮江?そうねー、ちょっとからかっただけでもすぐ本気で怒るから、見てて面白いなーって感じかな。」
「確かにあいつ、割と何でも真面目に受け取る方だもんな。…というか上町、」
校庭の外れの木の側に、上町ひまりと、留三郎、小平太、私の三人とが座って、何となく暇つぶしに雑談をしていた。その中で、留三郎が意味ありげにニヤッと笑いながら、彼女に振る。
「お前、ひょっとして文次郎のこと好きなんじゃないのか?」
「いや、それはない。全然。」
「あっハイ。」
あまりにも真顔すぎる表情で返されてしまい、拍子抜けしたらしい留三郎の相槌は極めて短い。
…そしてどこか、文次郎に対して同情するような気持ちが湧き起こったのは、私だけではないだろう。
でも、多分。この時点で、彼女の本当の気持ちを察しているのは私一人だけだった。
「じゃあ、俺たちの中で誰だったら一番アリなんだ?」
小平太にそう訊かれた彼女は、こう言う。
「そうだなあ……だったら、中在家君かなー?」
「えー!俺じゃないのか?何で?」
「いやいや…何で自分だと思ったのか逆に訊きたいんだけど。」
ーーーーーーーまるで、"代わり"のようで。
それが冗談だと頭では分かっているのに。
その後に続く小平太と彼女の会話ももう、耳には入らなかった。
「……長次?」
特に会話に参加もしていない私が立ったところで誰も気にしないと思ったのに。タイミングが良くなかったのだろう。
それでも、もう、さっきまで座っていた場所に戻って座り直すなんてことはできない。
さっさと長屋の自室に戻ってしまおうと、スタスタ歩く私を空気の読めない足音が追いかけてくる。
「中在家君、待って。」
私は、一瞬だけ足を止めた。
「あの、中在家君…」
「…どうせ、」
「え?」
「都合が良いだけなんだよね。伊作がいない時とかにさ。」
彼女の言葉や反応が、その後に続くことはなく。
振り返らずに再び歩きだす私には、その時の彼女の表情は見えなかった。
△月◇日。
放課後。
はあ、と。当番を勤めている図書室から人がはけたのを見計らってため息を漏らす。
先日、上町ひまりに思わず投げてしまった言葉を、私は後悔していた。
自分で言っておいて、後から何度もそれを思い出して、一人でたくさん後悔していた。
どうして、あんなこと。
彼女にあたるような真似。
彼女は、何も悪くないのに。
そんなのが、私が本当に言いたいことなんかじゃない。
違うのに、
「あの、すみません。本の返却をしたいのですが。」
「っごめんなさ……」
返却された本の片付けでもして無理矢理気を紛らわそうと、立ち上がりかけた時に声をかけられて。
謝る途中、目の前にいたのが上町ひまりだと気付いた。
彼女は「中在家君」と、少しホッとしたような顔を見せる。
私は唐突のことで、彼女を避けることもできなくて。どうしたらいいのか分からずフリーズする私の目の前に、彼女はそっと座った。
「私語禁止なのは分かってるけど、今は、…ね?他、誰もいないし。どうしても、中在家君と話がしたくて。」
そう言って彼女は、少し息を整えるように、間を置いて。
私の目を真っ直ぐ見た。
「…ごめんなさい。」
……どうして、君が謝るの?
「それでね、中在家君。…言ってくれないと、分からないよ。」
そんな、申し訳なさそうな顔で。
「ホントは、自分で分からないと駄目なんだけど。…でも私馬鹿だからさ、中在家君が、何を嫌だと思ったのか、何が気に入らなかったのか、自分じゃ分からないのよ。だから、ちゃんと言って欲しい。」
本当なら私の方が、謝らなきゃいけないはずなんだ。
「……あ、もしかして、ずっと馴れ馴れしくし過ぎてた?ごめん、私の方が勝手にもう友達みたいに思っちゃって…。やっぱり、嫌だったよね?」
そうじゃないんだ。
伊作の、彼女との距離が羨ましい。
私も同じように、仲良くなりたいだけなのに。
遠のいてしまうのは、私が何も伝えないからだ。彼女のせいじゃない。
「…上町、さん」
名前を呼ぶ声が、震えてしまう。
「も、もっと、仲良くなりたい。…って、言ったら、変に思われると思って…上町さんが、嫌だったりしないかなって…」
伊作にお互いを紹介されたから。
読書が共通の趣味だったから。
無理矢理、私と話そうとしてるんじゃないかって。
伊作が居れば、私は別に居なくても…
そう、思っていた。
「良かった、嫌がられてるんじゃなくて。」
恥ずかしさから目の前の相手を見られなくて俯いていた私は、彼女の安心したような声につられるように、顔を上げる。彼女は、私と目が合うとニコッと笑った。
「そんなの、良いに決まってるじゃない。あ、だったらいっそ、もうお互い名前呼び捨てにしない?」
「えっ……」
「あ。それは流石にダメか。」
また、撤回されかけて焦る。
「ううん、……えと………ひまり。」
「うん。長次。何?」
屈託のない笑顔で、彼女はちょっと首を傾げる。
本当は、言いたい。
今度、一緒に出かけない?
もっと話がしたいよ。
友達に、なって。
ドキドキして、恥ずかしくて、言えなくて。
そうやって私が俯くので、また彼女は心配そうに伺ってきてくれた。
「ホントに嫌じゃない?大丈夫?」
「うん、大丈夫…。」
「嫌だったら、絶対言ってよ?」
「うん。分かってる。」
「ホントよ?隠しちゃダメだよ?約束。友達なんだからさ。」
あっさりとそう言う彼女は、私の僅かな戸惑いを他所にふと思い出したような顔になる。
「あ、そういえば本、返しに来たんだった。期限今日までだったし。ねえ、また、面白いのあったら教えてよ。」
「……じゃあ、これ。」
「すごいなあ、すぐに出てくるの。というか、場所覚えてるの?」
「一応、図書委員だから。」
「それだけじゃ覚えられないと思うけどなぁ。長次も本当に、本が好きなのね。」
確かに、本は好きだけれど。
最近は、不純な動機が混ざってしまっていることは否めない。
君がおすすめを聞いてくるから、もっと面白そうな本はないかと空いた時間に探したり。
君も読んだ本の話を少しでもたくさんしたくて、また熟読したり。
…こんなこと、君に知られたら恥ずかしいから絶対に隠し通すけど。
貸出手続きをしていると、他の生徒が本の返却に来た。
「長次!…と、ひまりちゃん?」
「…伊作。」
「あ、そーだ。ついでに伊作もさあ、いい加減呼び捨てにしてよ。まどろっこしいんだから。」
ついで、が何のついでなのかは分かっていないだろうけど。伊作の顔が照れたようにやや紅潮する。
「えーっ。そんな、女の子を呼び捨てなんて恥ずかしいよ…。」
「傷の手当てだとか言って人の手ちゃっかり握ってきたくせに何照れてんだか、今更。」
「そ、それとこれとは話が別だよっ…」
渋る伊作だったけれど、ついでだからとか何とか、彼女に色々と言い含められて最終的には、私と同様に彼女の下の名前を呼び捨てで呼ばせられるのだった。
ーーーーーーーけど。
"私の方が先に"、呼んだことになるんだな。
伊作だけじゃなく、他の、誰よりも。
そう考える度、胸の奥で、何かがそわそわするように落ち着かなくなる。
笑いかけてくる彼女の顔をこっそり思い出す時も、同じだった。
どうしてそうなるのか、その答えはどんなに太い巻物を広げても、分厚い本をめくっても、どこにも書いてない。
今の私にはこの気持ちが何なのか、まだよく分からない。
でも、知っていることもある。
きっと私は、自分が思っているよりも案外、けっこう単純なんだということを。
△月◇日。
この日にもし、記録を付けるとしたら、こう記すだろう。
『どんよりと垂れ込む雲の後で、晴れ。』
そして。
『優しいあの子と、今よりももっと仲良くなれるといいな。』
秘密の願いを、その結びに。
後書きです。
小平太は、低学年の頃は自分のこと俺って言ってて欲しい。で、長次が私って言ってるの見て何となく大人っぽくていいなあとか思って憧れて真似し始めてたらかわいいと思います。
恋愛事に対して割と勘の良いほうなのが留三郎とか仙蔵とかのイメージ。仙蔵、今回全然出てきませんでしたけど(汗)
また今度メイン回書く予定です。……いや、本命書きなさいよ(笑)
※長次視点で一年生回想。
※時間軸は『九頁 うすべにいろのあの子』の少し後。
※この頃の中在家長次は今より少し喋る量が多いという拙宅設定です。
◯月⬜︎日。ふつう。
「伊作ー、何してるの?」
「あ、ひまりちゃん。」
"その子"は、私が伊作と、渡り廊下の途中で立ち話をしている時に偶然通りかかった。
彼女は、以前私たち新入生の忍たまがくの一教室に招待された時の、伊作の相手となったくのたまの生徒だった。
「長次と、さっきの授業のこと話してたんだ。…まだ話したこと無いよね?」
一度振り返った伊作にそう訊かれて、戸惑いつつも頷くと。
「彼、同じ組なんだ。中在家長次。」
と、紹介されていた。
彼女も「よろしくね」と笑いかけてくる。
伊作の言う通り私は彼女と話したことはないけれど、ーーーーーーー先日より既に、第一印象とは全くかけ離れた彼女の姿を、記憶に色濃く刻まれてしまっている。少なくとも、文次郎たちが勝手に見誤った『大人しそう』とは真逆の性格だ、ということは分かっている。
だから、彼女には申し訳ないけれど、勿論彼女が悪いとかではないけれど、若干身構えてしまったことは否定できない。それに気付いた様子が無いのが幸いだけど。
「私、上町ひまり。…あれ?ねえ、その本…」
名乗ってから彼女、上町ひまりはふと、何かに気付いたような表情になる。
彼女が覗き込んだのは、私がその時手に持っていた、本。
すると。社交辞令だった笑顔が、少しだけ、本当に少しだけど親しげなものに変化する。
「やっぱり。私も読んだことあるよ、それ。」
「そ、そう…」
「面白いよね!私、一日で読み切っちゃった。」
上手いタイミングで受け答えができない私の横から、代わりのように伊作が相槌を打っている。
「へぇー。結構ページ数ありそう。そんなに、面白かったの?」
「うん。伊作も今度借りたら?図書室の本だから。」
…彼女の方はすっかり、伊作の名前を呼び捨てで慣れてしまっているらしかった。伊作の方もそれに対して嫌な顔はしていない。尤も伊作自身は彼女を、まだ呼び捨てでは呼んでいなかったけれど。
それでも、その距離感を、ほんの少し羨ましいような気持ちになった。
楽しそうに話ができる、その距離感を。
「…おい見ろよ。上町の奴、伊作だけじゃなくて長次まで手玉に取ろうとしてやがるぜ。」
聞こえよがしの陰口に振り返ると、陰口を叩きながらニヤニヤする文次郎と、小平太、留三郎が遠巻きにこちらを見ていて。彼ら三人の姿を見るや上町ひまりは、眉根を寄せる。
「うわ出た、アホ三人組。」
「誰がアホだてめぇ!」
「まぁ確かに、文次郎はアホだけどな。」
「ああ?!今何つったアホ留?!」
「てめぇこのアホ文次!!」
彼女をからかおうとしていたはずなのだろうけど、いつの間にか文次郎と留三郎が睨み合う事態となり。
すると彼女はスタスタと彼らの方に向かって歩いていくと、斜め下から伺うようにして文次郎と距離を詰める。
「…潮江あんたさあ、もしかしてヤキモチ妬いてんの?」
「は…はああっ??!なっ、何訳の分かんねぇこと言ってやがる!?」
「?文次郎、何で顔赤いんだ?」
「うるせぇ小平太、赤くなってなんかいねーよ!…おい上町!てめぇ気色悪いこと言ってんじゃねえぞ?!」
「まー、この程度で赤くなっちゃって。」
「だから赤くねーって言ってんだろうが!!ばーかばーか!!」
誰がどう見ても真っ赤な顔で、捨て台詞を吐くと文次郎は踵を返して一人で走り去っていく。
「……ありゃ完全に落ちてるな。」
「え、留三郎、何が?」
「いや、何でもねぇよ。」
留三郎が呟いた言葉の意味を理解しているのは、その場では恐らく私だけだったのだろう。ピンと来なかった様子で顔を見合わせる伊作も小平太も、そして当事者であるはずの上町ひまりさえ、文次郎が"暇つぶしに"彼女にちょっかいを出しているのだと、思っているのかもしれない。
「はは。くのたまをからかおうなんて、百年早いのよ。」
一枚上手な彼女は、ただそう言ってけらけらと笑うだけだった。
◯月☆日。ふつう。
「あ。中在家君。」
天気の良い日。校庭を歩く途中、例のくのたま、上町ひまりに呼び止められた。この時彼女は、外出着の格好だった。
「ごめんね、急いでた?」
「…いや。」
「そう、なら良かった。ねえ、伊作見なかった?」
「さっき、新野先生に呼ばれていったけど。多分、保健委員の仕事で。」
「そっか…。うーん、どうしようかなあ。学園長先生にお使い頼まれてるんだけど、遠いし一人じゃちょっと心細くて。」
「…同じくの一教室の子は?」
「食堂の当番だったり、山本シナ先生からのご用事だったりで皆なかなか捕まらなくて。…あのさ中在家君、もし時間あったらなんだけど、一緒におつかい行ってくれないかな?」
頼られたことに、戸惑ってしまったのだと思う。一瞬返事ができないでいると、彼女は、思い直したように手のひらをこちらに向けて振ってみせた。
「ううん、ごめん。やっぱ迷惑だよね。」
「あ…いや、…いいよ。」
撤回されそうになったことに、思わず焦った。
承諾すると、彼女の表情が明るくなって。
「ほんと?ありがとう!じゃあ着替えたら、正門に来てね。待ってるから。」
ホッとしたような笑顔が、手を振って駆けていく。そんな顔を見られたら、私も、少し嬉しいような気がした。
誰かと一緒に出かけるのは初めてではないけれど、彼女とは、初めてだった。
お使いに行く道の途中で、話題を振るのは大抵彼女の方で。
「この前、良いよって教えてくれた本面白かったよ!くの一教室の友達にもすすめちゃった。」
先日伊作から互いを紹介された時に、思いがけず"読書"が共通項であることが判明して。そして私が図書委員であることを知った彼女は、おすすめの本が無いかと訊いてくることが時々あった。
彼女は歩きながら、うーん、と指を組んだ腕を前に伸ばして話し続ける。
「学園に通うって、最初はめんどくさいなあって思ってたけど、私ここに来れて良かった。だって、本が読めるんだもの!」
「…本、そんなに好きなの?」
「読めたら、大人の仲間入りしたみたいで嬉しいじゃない?」
…変わった子だな、と思った。
「中在家君も、本好きなんじゃないの?」
「…うん。まあ。」
「本の他には、何が好き?」
私とは対照的なほど、彼女はけっこう喋る。私があまり自分から話さないから、気を遣っているのかもしれないけど。
「こないだね、伊作に何か好きなことあるの?って訊いたらさ、日向ぼっこするのが好きだって言ってて。なーんか、のんきな感じだよねぇ。」
呆れたようにそう言いつつ彼女は、どこか、楽しそう。
「ああそういえばね、聞いてよ。皆がくの一教室に来た日のことなんだけど、伊作ってば別にいいって言ってるのに怪我の手当てしなきゃって、強引にさあ…」
話すその顔を横で見ながら、考える。
何が好き、か。
…少なくとも、君と一緒にいる時間は嫌いじゃない。
そう思うようになっていたことに自分でも驚く。
最初とは違う印象で記憶に刻まれた彼女は、私に対して、至って優しい態度だった。
優しい笑顔を私に向けて、ずっと、伊作の話を続けていた。
△月△日。くもり。
「…潮江?そうねー、ちょっとからかっただけでもすぐ本気で怒るから、見てて面白いなーって感じかな。」
「確かにあいつ、割と何でも真面目に受け取る方だもんな。…というか上町、」
校庭の外れの木の側に、上町ひまりと、留三郎、小平太、私の三人とが座って、何となく暇つぶしに雑談をしていた。その中で、留三郎が意味ありげにニヤッと笑いながら、彼女に振る。
「お前、ひょっとして文次郎のこと好きなんじゃないのか?」
「いや、それはない。全然。」
「あっハイ。」
あまりにも真顔すぎる表情で返されてしまい、拍子抜けしたらしい留三郎の相槌は極めて短い。
…そしてどこか、文次郎に対して同情するような気持ちが湧き起こったのは、私だけではないだろう。
でも、多分。この時点で、彼女の本当の気持ちを察しているのは私一人だけだった。
「じゃあ、俺たちの中で誰だったら一番アリなんだ?」
小平太にそう訊かれた彼女は、こう言う。
「そうだなあ……だったら、中在家君かなー?」
「えー!俺じゃないのか?何で?」
「いやいや…何で自分だと思ったのか逆に訊きたいんだけど。」
ーーーーーーーまるで、"代わり"のようで。
それが冗談だと頭では分かっているのに。
その後に続く小平太と彼女の会話ももう、耳には入らなかった。
「……長次?」
特に会話に参加もしていない私が立ったところで誰も気にしないと思ったのに。タイミングが良くなかったのだろう。
それでも、もう、さっきまで座っていた場所に戻って座り直すなんてことはできない。
さっさと長屋の自室に戻ってしまおうと、スタスタ歩く私を空気の読めない足音が追いかけてくる。
「中在家君、待って。」
私は、一瞬だけ足を止めた。
「あの、中在家君…」
「…どうせ、」
「え?」
「都合が良いだけなんだよね。伊作がいない時とかにさ。」
彼女の言葉や反応が、その後に続くことはなく。
振り返らずに再び歩きだす私には、その時の彼女の表情は見えなかった。
△月◇日。
放課後。
はあ、と。当番を勤めている図書室から人がはけたのを見計らってため息を漏らす。
先日、上町ひまりに思わず投げてしまった言葉を、私は後悔していた。
自分で言っておいて、後から何度もそれを思い出して、一人でたくさん後悔していた。
どうして、あんなこと。
彼女にあたるような真似。
彼女は、何も悪くないのに。
そんなのが、私が本当に言いたいことなんかじゃない。
違うのに、
「あの、すみません。本の返却をしたいのですが。」
「っごめんなさ……」
返却された本の片付けでもして無理矢理気を紛らわそうと、立ち上がりかけた時に声をかけられて。
謝る途中、目の前にいたのが上町ひまりだと気付いた。
彼女は「中在家君」と、少しホッとしたような顔を見せる。
私は唐突のことで、彼女を避けることもできなくて。どうしたらいいのか分からずフリーズする私の目の前に、彼女はそっと座った。
「私語禁止なのは分かってるけど、今は、…ね?他、誰もいないし。どうしても、中在家君と話がしたくて。」
そう言って彼女は、少し息を整えるように、間を置いて。
私の目を真っ直ぐ見た。
「…ごめんなさい。」
……どうして、君が謝るの?
「それでね、中在家君。…言ってくれないと、分からないよ。」
そんな、申し訳なさそうな顔で。
「ホントは、自分で分からないと駄目なんだけど。…でも私馬鹿だからさ、中在家君が、何を嫌だと思ったのか、何が気に入らなかったのか、自分じゃ分からないのよ。だから、ちゃんと言って欲しい。」
本当なら私の方が、謝らなきゃいけないはずなんだ。
「……あ、もしかして、ずっと馴れ馴れしくし過ぎてた?ごめん、私の方が勝手にもう友達みたいに思っちゃって…。やっぱり、嫌だったよね?」
そうじゃないんだ。
伊作の、彼女との距離が羨ましい。
私も同じように、仲良くなりたいだけなのに。
遠のいてしまうのは、私が何も伝えないからだ。彼女のせいじゃない。
「…上町、さん」
名前を呼ぶ声が、震えてしまう。
「も、もっと、仲良くなりたい。…って、言ったら、変に思われると思って…上町さんが、嫌だったりしないかなって…」
伊作にお互いを紹介されたから。
読書が共通の趣味だったから。
無理矢理、私と話そうとしてるんじゃないかって。
伊作が居れば、私は別に居なくても…
そう、思っていた。
「良かった、嫌がられてるんじゃなくて。」
恥ずかしさから目の前の相手を見られなくて俯いていた私は、彼女の安心したような声につられるように、顔を上げる。彼女は、私と目が合うとニコッと笑った。
「そんなの、良いに決まってるじゃない。あ、だったらいっそ、もうお互い名前呼び捨てにしない?」
「えっ……」
「あ。それは流石にダメか。」
また、撤回されかけて焦る。
「ううん、……えと………ひまり。」
「うん。長次。何?」
屈託のない笑顔で、彼女はちょっと首を傾げる。
本当は、言いたい。
今度、一緒に出かけない?
もっと話がしたいよ。
友達に、なって。
ドキドキして、恥ずかしくて、言えなくて。
そうやって私が俯くので、また彼女は心配そうに伺ってきてくれた。
「ホントに嫌じゃない?大丈夫?」
「うん、大丈夫…。」
「嫌だったら、絶対言ってよ?」
「うん。分かってる。」
「ホントよ?隠しちゃダメだよ?約束。友達なんだからさ。」
あっさりとそう言う彼女は、私の僅かな戸惑いを他所にふと思い出したような顔になる。
「あ、そういえば本、返しに来たんだった。期限今日までだったし。ねえ、また、面白いのあったら教えてよ。」
「……じゃあ、これ。」
「すごいなあ、すぐに出てくるの。というか、場所覚えてるの?」
「一応、図書委員だから。」
「それだけじゃ覚えられないと思うけどなぁ。長次も本当に、本が好きなのね。」
確かに、本は好きだけれど。
最近は、不純な動機が混ざってしまっていることは否めない。
君がおすすめを聞いてくるから、もっと面白そうな本はないかと空いた時間に探したり。
君も読んだ本の話を少しでもたくさんしたくて、また熟読したり。
…こんなこと、君に知られたら恥ずかしいから絶対に隠し通すけど。
貸出手続きをしていると、他の生徒が本の返却に来た。
「長次!…と、ひまりちゃん?」
「…伊作。」
「あ、そーだ。ついでに伊作もさあ、いい加減呼び捨てにしてよ。まどろっこしいんだから。」
ついで、が何のついでなのかは分かっていないだろうけど。伊作の顔が照れたようにやや紅潮する。
「えーっ。そんな、女の子を呼び捨てなんて恥ずかしいよ…。」
「傷の手当てだとか言って人の手ちゃっかり握ってきたくせに何照れてんだか、今更。」
「そ、それとこれとは話が別だよっ…」
渋る伊作だったけれど、ついでだからとか何とか、彼女に色々と言い含められて最終的には、私と同様に彼女の下の名前を呼び捨てで呼ばせられるのだった。
ーーーーーーーけど。
"私の方が先に"、呼んだことになるんだな。
伊作だけじゃなく、他の、誰よりも。
そう考える度、胸の奥で、何かがそわそわするように落ち着かなくなる。
笑いかけてくる彼女の顔をこっそり思い出す時も、同じだった。
どうしてそうなるのか、その答えはどんなに太い巻物を広げても、分厚い本をめくっても、どこにも書いてない。
今の私にはこの気持ちが何なのか、まだよく分からない。
でも、知っていることもある。
きっと私は、自分が思っているよりも案外、けっこう単純なんだということを。
△月◇日。
この日にもし、記録を付けるとしたら、こう記すだろう。
『どんよりと垂れ込む雲の後で、晴れ。』
そして。
『優しいあの子と、今よりももっと仲良くなれるといいな。』
秘密の願いを、その結びに。
後書きです。
小平太は、低学年の頃は自分のこと俺って言ってて欲しい。で、長次が私って言ってるの見て何となく大人っぽくていいなあとか思って憧れて真似し始めてたらかわいいと思います。
恋愛事に対して割と勘の良いほうなのが留三郎とか仙蔵とかのイメージ。仙蔵、今回全然出てきませんでしたけど(汗)
また今度メイン回書く予定です。……いや、本命書きなさいよ(笑)