そのうすべに色を隠して。
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『二十頁 教えてよ、先輩。』
※三郎目線。回想含む。
※三郎の性格があまりよろしくない。
※拙宅の鉢屋三郎の一人称について。
目上に対して、及びモノローグは僕、それ以外(同級生や下級生に対してなど)は俺。
……何でこのタイミングで、警戒解いちゃうんだろうかなあ。この人は。
二人きりの時なら自分に変装してもいい、などと。心を許すような言い方をして先輩は、そのまま隣に、少し間を空けているとは言え僕と同じ部屋の中で背を向けて寝転がって、たちまち眠りについてしまった。
最初こそ強かった警戒心もなし崩し的に、解かれてしまったようで。…まあ僕の方も、親睦深めましょう、なんていかにも間抜けなことを言ってしまってるわけなんだけども。
男よりは遥かに華奢な肩が呼吸に合わせて小さく上下するのを、僕自身は眠りもしないで座った体勢のまま、じっと見つめ続けていた。
聞こえるのは、外で降り続く雨の音だけ。然程強くもないが、それだけだとやたら大きく耳に迫ってくるような気がする。
…こっちが同じ学園の後輩だと思って。
服を脱ぐ所を見られたら気まずい、なんてわざわざ"表情"も付けて言っただけで、まるで自分の方が余裕があるように勝手に思い込んで。見慣れてるだか、何だか知らないけど。
こちらには背中さえ向ければいいとでも思っているのか。
そんなんじゃ、誰に襲われたって文句言えないでしょ。ーーーーーーー心の中でそう呟きながら、膝を立てて彼女ににじり寄る。
顔を覗き込む体勢になると、屋根を叩く雨音にかき消されそうなほどの寝息が、かすかに、けれども規則正しく聞こえてくる。
思っていたよりも長いまつ毛。
傷痕すら霞んでしまうほどに、きめの細かい頬。
僕に距離を詰められても、気付く気配もなく呑気に眠り続けている。
不思議で仕方なかった。どうして、"そう"でいられるのかって。
そんなに簡単に人を信用して。男の前で気を緩めて。
…思い知るといいですよ。
横向きに寝る彼女の、顔の前に手を突いて。身を屈めて更に距離を詰めた。
最初からそんなに強い気持ちだったわけではなかった。
一目惚れ、とかでは勿論ないし、むしろ最初はどちらかと言えば、変なくの一だなあ、と思ったくらいだ。
助けてもらっておいて何だ、と言われるかもしれないけれど、実際、その"先輩"は変な人だった。
"彼女"と最初に話したのは、僕が一年生の時。
僕は昔から、自分の素顔を他人に見せたことは無かった。変装自体も元々得意で、毎日、違う人物に変装しては周囲の人間をからかって。それが楽しくて、仕方なかった。
でも"その日"は、僕以上にイタズラが大好きなくの一教室の女子生徒たちに、素顔を暴かれそうになっていて。多勢に無勢な中必死で逃げて。
その逃げる途中で、唐突に、その先輩に古い倉庫の中に匿われた。
彼女は戸惑う僕に向けて、自分は後ろを向いているからその間に、剥がれかけたお面を直しな、と言った。
そんな言葉、信用できる訳ないだろ、と聞いた時には思った。
忍たま、くのたまとは言え、仮にも"忍"の台詞とは到底思えない。それとも、これも罠か。
…どうせあんたも、さっき追ってきたくの一の女の子たちと同様、隙をついて僕の素顔を見てやろうとしているだけなんだろう、と。ーーーーーーークラスメイト達と共に初めてくの一教室に招待された"悪夢"の日からこちら、事あるごとに彼女たちからイタズラという名の洗礼を受け続けて、その頃の僕はすっかり捻くれた思考ばかり浮かぶようになっていたのだった。
「…ん?直さないの?」
僕がずっと俯き微動だにせず座っているのに気付き、その一つ年上らしい、くのたまの先輩は首を傾げてそう訊く。
「……まあ、そうだね。私があの子たちに頼まれて、わざとここに留め置かせているように見えても不思議じゃないもの。」
答えないでいると、そう言われて、ギクリとした。…考えていること、そんなに分かりやすかっただろうか?
そんな僕の心配を他所に、彼女は、倉庫の扉の隙間から外を伺い見ていた。
「もう遠くに行ったかな。…ま、念のためもうしばらくここにいるといいよ。私は出ていくからさ。」
立ち上がりかけた先輩の制服の裾を、咄嗟に掴んだ。
「……何でですか。」
顔を上げないまま、訊いてしまっていた。
不可解に思った、彼女の行動の意図をどうしても知りたくて。
「何で、僕を助けるんですか。…お互い、そんなに知ってる間柄とかでもないでしょう。なのに、急に…。」
あまりに、不可解だ。
彼女の名前すら、僕は知らないのに。
そんな僕の疑問に対し、彼女は小首を傾げてあっさり言う。
「確かにそうだね。でも君の方は、有名だよ?いつも誰かに変装している、学園始まって以来の天才、鉢屋三郎君。」
自分がそう呼ばれていることは、知っていたけれど。改めて言われると、そうやって注目されて悪目立ちしたおかげで、余計にイタズラの対象にされてしまったのだろうかと逆に嫌な気持ちになる。
僕の沈む気持ちを他所に、でもそうだなあ、と彼女は呟きながら、天井を仰ぎ見ていた。
「知ってる知らない、より、別にただ、人の秘密を無理矢理暴くのって良くないんじゃないかなって、そう思っただけだよ。余計なことだったら、ごめんね。」
そうして一方的に言い置いてから、立ち上がって、
「じゃあね。出る時、気を付けて。」
最後に一度だけ振り返ってから、倉庫の外へ出て行った。
親切を通り越してお節介とさえ感じるような、彼女の笑顔。
僕はしばらく、その場に座り込んでいて。制服の胸の辺りをぎゅっと掴む。そして。その微笑みの残像に、
……きもちわるい。
と、呟いてしまっていた。
そんなことがあってから、何日か経って。
級友の不破雷蔵と木陰で読書していた時。二年生の七松小平太先輩と、あの時のくのたまの先輩とが話しているところを偶然、見かけた。
「ひまりー、今日は投げ焙烙でリフティング対決しようぜ!」
「アホか、一人でやってろ!」
あの先輩は、ひまり、という名前らしい。
「ってか、あんたこないだも投げ焙烙で遊んでて学園長先生の大切な盆栽ぶっ壊してたじゃないの!」
「なーに、細かいことは気にするなって。あっはっはっは!」
「お前が一番気にしろーーー!!私と伊作が一緒に謝りに行って、ようやく許していただいたんでしょうが!!!」
「えっ?何で怒ってるんだ??」
「ひまりっ、小平太っ。喧嘩しちゃ駄目だよ…!」
「何だ何だ、小平太はまたひまりを怒らせてんのか?」
「だってこいつ、こないだのこと全ッ然反省してないんだもん!もーっ、イライラするー!!」
同じく二年の善法寺伊作先輩、食満留三郎先輩に割って入られても、今にも七松先輩に掴みかかりそうな様子の、その女の先輩。
地団駄を踏むその姿は、お淑やかとはほど遠く。その言動も、男勝りと言ってもいいくらいで。ああいう感じの女の子もいるというのは、分かっているけれど。
はっきり言って、少なくとも自分のタイプなどでは全く、ない。
「三郎?どうかしたの?ぼーっとして。」
ふと、顔を上げた雷蔵に話しかけられる。
「いや、何でもないよ。」
「そう?…そういえば、何で最近は、ずっと僕に変装しているんだい?」
「べーつに?目立ちたくないだけー。」
「えー?もう、それどういう意味だよ…。」
不破雷蔵の顔に落ち着いた、という印象を僕はすっかり周りから持たれていた。
自分でも、クラスで一番仲の良い雷蔵に変装するのが一番気楽だと思ったし、雷蔵本人も、特にそこまで嫌な顔はしていなかったから、いつの間にかそれが定着していた。
実際、毎日何度も違う顔に変装するよりは、いくらかは悪目立ちしないで済むようになっていて。天才だのなんだの言われていたのも、そのうち忘れ去られていった。
また別の日。何となく登った塀の上でぼんやりしていると、潮江文次郎先輩が彼女を呼び止めている所を少し遠目で見かけた。
「おいひまり、何ボサっとしてんだよ。今日は俺たちが食材の買い出し当番だろ?早く出かける準備してこいよ。」
「えー、ヤダ。」
「ヤダとかじゃねーんだよ!当番だっつってんだろ、山本シナ先生に言いつけるぞっ!」
「うーわ、告げ口とか陰湿ぅ〜。」
「うるせーな!いいから早く支度してこい!」
「へーいへい。」
……それにしても。
女の子と一緒にいないことはないが、彼女は同い年の忍たまと一緒の方がよく見かけるような気がする。
だからなのかたまに陰口を叩かれていることに、本人が気付いているのかどうかは知らないけれど。
でも、少なくとも僕の見る限りでは、陰口を叩く女子たちが言うように彼女が『色目を使っ』ているとは到底思えない。
彼女にとって彼らとの交流は別に特別なことではなく、単純に友達として、のものなのだろう。少なくとも、彼女の方は。
「あ、伊作。」
「ひまり、さっきすれ違ったけど文次郎、すっごいイライラしてたよ。何かあったの?」
「早く買い出しの準備してこいって。今日、私たちが当番なの。」
「そっかぁ。今日のメニュー、何かなあ。」
「さーね、お楽しみに。じゃ、行ってくる。」
「うん。行ってらっしゃい。」
……そして、"あの人"だけを例外として。
と、そこまで考えて。何故こんなことを考えているんだと、ふと我に返る。
"あの日"以来、僕は彼女と話してもいないのに。
彼女の方も、特別近付いてくるような様子は無く。"あの日"のことはやはり、僕への興味とかでも何でもなくて単純に、たまたま、"人助け"のつもりでやったことなのだろう。
…何で、そんなことを。
ーーーーーーー『人の秘密を無理矢理暴くのって良くないんじゃないかなって、そう思っただけだよ。』
「……ほんと、訳分かんねー。」
つい独り言を呟く。
くのたまのくせに、くの一らしい駆け引きもない。その言葉も、目も、まっすぐ過ぎて。
彼女の内にある眩しいほどの"正しさ"が、僕にとっては気持ちの悪いものだった。
どうして、"そう"でいられるのか。あまりに、不可解だった。
あの時の笑顔を思い出すだけで、心の臓が変な音を立てる。息も詰まって、いっそ、吐きそうなほど。
…変だ。
おかしい。
なんか、嫌だ。
気持ち悪い。
向こうから近付かれないことを、むしろ、好都合だと思った。もう、関わりたくない。
関わってはいけないと、
直感的にそう思った。
これ以上、考えたくなかった。
ーーーーーーーだからその頃の僕からしたら、その先輩に自ら近付こうとしている今の僕なんて、彼女の"真っ直ぐさ"以上に気持ちの悪いものなのだろう。
起き抜けとは思えないほど力強く思いっきり僕を蹴り上げて、顔を真っ赤にしてひまり先輩は「人で遊ぶな!」と怒鳴り散らして、足を踏み鳴らして御堂を出て行ってしまった。
その様子に、思わず吹き出してからは、蹴られた横腹がまだ痛いのに笑いが止まらなくて。
「っはははは…!……はぁ。」
そのうち笑い疲れて。
床の上に手足を投げ出して寝転がって。ため息がこぼれた。
「…ほんと、何考えてるんだろうな。俺も。」
昨夜。
眠る彼女と距離を詰めた時。
雨の音が、ほんの少し強くなった。その瞬間だった。
小さな唇が、寝言を紡ぐ。
いさく、と。
僕の動きは、そこで完全に止まる。
その、甘い甘い、吐息のような寝言は、いつまでもいつまでも自分の耳にまとわりついてくるような気がして、頭を強く振る。
「はぁ。…馬鹿馬鹿しい。」
覆いかぶさっていた体勢から、彼女を視界に入れないよう距離を空けて背を向けて座り込む。
目を覚まそうが構いもせず、手を掴んで指を僅かに絡め、強引に奪って。
その上で、すました顔で、本気な訳がないでしょう、って。この程度で取り乱して、忍者どころかくの一にも向いてないんじゃないですか、って。顔を歪めて怒るであろう彼女に冷たく言ってやるつもりだった。
…あの時だってそうだ。
僕が彼女を、後輩二人に追われているのを助けるフリでわざと倉庫に閉じ込めて、素顔を明かさせた時。
変装の研究だなんて嘘に決まっているのに、言われた通りあっさり目を閉じる先輩。
どうしてそんなに、簡単に人を信用するのだろう。どうして、目の前にいるのは"男"だと気付かないのだろう。
そう思うとあんまり可笑しくて、ーーーーーーーその時も本当に、奪ってやろうと思っていた。油断する方が悪いって、馬鹿にするつもりだった。直前まで。
なのに。
"お面越し"に切り替えたのは、咄嗟のことだった。
ーーーーーーー『人の秘密を無理矢理暴くのって良くないんじゃないかなって、』
近付けば近付くほど。
初めて話した時の、何でもないようにそう言って笑う彼女の顔が、脳裏に貼り付いて消えなくなる。
そして、今も。
ーーーーーーー『変な奴だな、本当に。』
ーーーーーーー『二人だけの時だったら、別にいいよ。』
ーーーーーーー『いさく』
純粋に恋焦がれる顔。
そのくせ、あなたもあの人も、未だに想いを伝え合ってもいないなんて。
ほんと、馬鹿馬鹿しいことやってるんですね。
僕には理解できないですよ。
……こんなことをする自分自身も。
彼女を視界に入れないまま、背を向けて横たわって無理矢理目を閉じた。
先輩。
何で、あの時僕を助けたんですか。
何で、そんな簡単に気を許すんですか。
何で、無防備に笑いかけるんですか。
何でそんなに真っ直ぐでいられて、
…何で僕は、考えたくなかったはずなのに。
またあなたのことを考えているのだろう。
僕のこの気持ちは、何なんだ。
本当は知ってるんじゃないですか?
だったら、ちゃんと教えて下さいよ。
…ひまり先輩。
短い、浅い眠りから目を覚ました時も、すぐ後ろで相変わらず呑気に眠りこけているのを見て。イラッとした僕は、変装用のお面を取り替えながら再び彼女に近寄った。
仮面の下に、彼女にも決して見せることのない、本当の表情を隠して。
※三郎目線。回想含む。
※三郎の性格があまりよろしくない。
※拙宅の鉢屋三郎の一人称について。
目上に対して、及びモノローグは僕、それ以外(同級生や下級生に対してなど)は俺。
……何でこのタイミングで、警戒解いちゃうんだろうかなあ。この人は。
二人きりの時なら自分に変装してもいい、などと。心を許すような言い方をして先輩は、そのまま隣に、少し間を空けているとは言え僕と同じ部屋の中で背を向けて寝転がって、たちまち眠りについてしまった。
最初こそ強かった警戒心もなし崩し的に、解かれてしまったようで。…まあ僕の方も、親睦深めましょう、なんていかにも間抜けなことを言ってしまってるわけなんだけども。
男よりは遥かに華奢な肩が呼吸に合わせて小さく上下するのを、僕自身は眠りもしないで座った体勢のまま、じっと見つめ続けていた。
聞こえるのは、外で降り続く雨の音だけ。然程強くもないが、それだけだとやたら大きく耳に迫ってくるような気がする。
…こっちが同じ学園の後輩だと思って。
服を脱ぐ所を見られたら気まずい、なんてわざわざ"表情"も付けて言っただけで、まるで自分の方が余裕があるように勝手に思い込んで。見慣れてるだか、何だか知らないけど。
こちらには背中さえ向ければいいとでも思っているのか。
そんなんじゃ、誰に襲われたって文句言えないでしょ。ーーーーーーー心の中でそう呟きながら、膝を立てて彼女ににじり寄る。
顔を覗き込む体勢になると、屋根を叩く雨音にかき消されそうなほどの寝息が、かすかに、けれども規則正しく聞こえてくる。
思っていたよりも長いまつ毛。
傷痕すら霞んでしまうほどに、きめの細かい頬。
僕に距離を詰められても、気付く気配もなく呑気に眠り続けている。
不思議で仕方なかった。どうして、"そう"でいられるのかって。
そんなに簡単に人を信用して。男の前で気を緩めて。
…思い知るといいですよ。
横向きに寝る彼女の、顔の前に手を突いて。身を屈めて更に距離を詰めた。
最初からそんなに強い気持ちだったわけではなかった。
一目惚れ、とかでは勿論ないし、むしろ最初はどちらかと言えば、変なくの一だなあ、と思ったくらいだ。
助けてもらっておいて何だ、と言われるかもしれないけれど、実際、その"先輩"は変な人だった。
"彼女"と最初に話したのは、僕が一年生の時。
僕は昔から、自分の素顔を他人に見せたことは無かった。変装自体も元々得意で、毎日、違う人物に変装しては周囲の人間をからかって。それが楽しくて、仕方なかった。
でも"その日"は、僕以上にイタズラが大好きなくの一教室の女子生徒たちに、素顔を暴かれそうになっていて。多勢に無勢な中必死で逃げて。
その逃げる途中で、唐突に、その先輩に古い倉庫の中に匿われた。
彼女は戸惑う僕に向けて、自分は後ろを向いているからその間に、剥がれかけたお面を直しな、と言った。
そんな言葉、信用できる訳ないだろ、と聞いた時には思った。
忍たま、くのたまとは言え、仮にも"忍"の台詞とは到底思えない。それとも、これも罠か。
…どうせあんたも、さっき追ってきたくの一の女の子たちと同様、隙をついて僕の素顔を見てやろうとしているだけなんだろう、と。ーーーーーーークラスメイト達と共に初めてくの一教室に招待された"悪夢"の日からこちら、事あるごとに彼女たちからイタズラという名の洗礼を受け続けて、その頃の僕はすっかり捻くれた思考ばかり浮かぶようになっていたのだった。
「…ん?直さないの?」
僕がずっと俯き微動だにせず座っているのに気付き、その一つ年上らしい、くのたまの先輩は首を傾げてそう訊く。
「……まあ、そうだね。私があの子たちに頼まれて、わざとここに留め置かせているように見えても不思議じゃないもの。」
答えないでいると、そう言われて、ギクリとした。…考えていること、そんなに分かりやすかっただろうか?
そんな僕の心配を他所に、彼女は、倉庫の扉の隙間から外を伺い見ていた。
「もう遠くに行ったかな。…ま、念のためもうしばらくここにいるといいよ。私は出ていくからさ。」
立ち上がりかけた先輩の制服の裾を、咄嗟に掴んだ。
「……何でですか。」
顔を上げないまま、訊いてしまっていた。
不可解に思った、彼女の行動の意図をどうしても知りたくて。
「何で、僕を助けるんですか。…お互い、そんなに知ってる間柄とかでもないでしょう。なのに、急に…。」
あまりに、不可解だ。
彼女の名前すら、僕は知らないのに。
そんな僕の疑問に対し、彼女は小首を傾げてあっさり言う。
「確かにそうだね。でも君の方は、有名だよ?いつも誰かに変装している、学園始まって以来の天才、鉢屋三郎君。」
自分がそう呼ばれていることは、知っていたけれど。改めて言われると、そうやって注目されて悪目立ちしたおかげで、余計にイタズラの対象にされてしまったのだろうかと逆に嫌な気持ちになる。
僕の沈む気持ちを他所に、でもそうだなあ、と彼女は呟きながら、天井を仰ぎ見ていた。
「知ってる知らない、より、別にただ、人の秘密を無理矢理暴くのって良くないんじゃないかなって、そう思っただけだよ。余計なことだったら、ごめんね。」
そうして一方的に言い置いてから、立ち上がって、
「じゃあね。出る時、気を付けて。」
最後に一度だけ振り返ってから、倉庫の外へ出て行った。
親切を通り越してお節介とさえ感じるような、彼女の笑顔。
僕はしばらく、その場に座り込んでいて。制服の胸の辺りをぎゅっと掴む。そして。その微笑みの残像に、
……きもちわるい。
と、呟いてしまっていた。
そんなことがあってから、何日か経って。
級友の不破雷蔵と木陰で読書していた時。二年生の七松小平太先輩と、あの時のくのたまの先輩とが話しているところを偶然、見かけた。
「ひまりー、今日は投げ焙烙でリフティング対決しようぜ!」
「アホか、一人でやってろ!」
あの先輩は、ひまり、という名前らしい。
「ってか、あんたこないだも投げ焙烙で遊んでて学園長先生の大切な盆栽ぶっ壊してたじゃないの!」
「なーに、細かいことは気にするなって。あっはっはっは!」
「お前が一番気にしろーーー!!私と伊作が一緒に謝りに行って、ようやく許していただいたんでしょうが!!!」
「えっ?何で怒ってるんだ??」
「ひまりっ、小平太っ。喧嘩しちゃ駄目だよ…!」
「何だ何だ、小平太はまたひまりを怒らせてんのか?」
「だってこいつ、こないだのこと全ッ然反省してないんだもん!もーっ、イライラするー!!」
同じく二年の善法寺伊作先輩、食満留三郎先輩に割って入られても、今にも七松先輩に掴みかかりそうな様子の、その女の先輩。
地団駄を踏むその姿は、お淑やかとはほど遠く。その言動も、男勝りと言ってもいいくらいで。ああいう感じの女の子もいるというのは、分かっているけれど。
はっきり言って、少なくとも自分のタイプなどでは全く、ない。
「三郎?どうかしたの?ぼーっとして。」
ふと、顔を上げた雷蔵に話しかけられる。
「いや、何でもないよ。」
「そう?…そういえば、何で最近は、ずっと僕に変装しているんだい?」
「べーつに?目立ちたくないだけー。」
「えー?もう、それどういう意味だよ…。」
不破雷蔵の顔に落ち着いた、という印象を僕はすっかり周りから持たれていた。
自分でも、クラスで一番仲の良い雷蔵に変装するのが一番気楽だと思ったし、雷蔵本人も、特にそこまで嫌な顔はしていなかったから、いつの間にかそれが定着していた。
実際、毎日何度も違う顔に変装するよりは、いくらかは悪目立ちしないで済むようになっていて。天才だのなんだの言われていたのも、そのうち忘れ去られていった。
また別の日。何となく登った塀の上でぼんやりしていると、潮江文次郎先輩が彼女を呼び止めている所を少し遠目で見かけた。
「おいひまり、何ボサっとしてんだよ。今日は俺たちが食材の買い出し当番だろ?早く出かける準備してこいよ。」
「えー、ヤダ。」
「ヤダとかじゃねーんだよ!当番だっつってんだろ、山本シナ先生に言いつけるぞっ!」
「うーわ、告げ口とか陰湿ぅ〜。」
「うるせーな!いいから早く支度してこい!」
「へーいへい。」
……それにしても。
女の子と一緒にいないことはないが、彼女は同い年の忍たまと一緒の方がよく見かけるような気がする。
だからなのかたまに陰口を叩かれていることに、本人が気付いているのかどうかは知らないけれど。
でも、少なくとも僕の見る限りでは、陰口を叩く女子たちが言うように彼女が『色目を使っ』ているとは到底思えない。
彼女にとって彼らとの交流は別に特別なことではなく、単純に友達として、のものなのだろう。少なくとも、彼女の方は。
「あ、伊作。」
「ひまり、さっきすれ違ったけど文次郎、すっごいイライラしてたよ。何かあったの?」
「早く買い出しの準備してこいって。今日、私たちが当番なの。」
「そっかぁ。今日のメニュー、何かなあ。」
「さーね、お楽しみに。じゃ、行ってくる。」
「うん。行ってらっしゃい。」
……そして、"あの人"だけを例外として。
と、そこまで考えて。何故こんなことを考えているんだと、ふと我に返る。
"あの日"以来、僕は彼女と話してもいないのに。
彼女の方も、特別近付いてくるような様子は無く。"あの日"のことはやはり、僕への興味とかでも何でもなくて単純に、たまたま、"人助け"のつもりでやったことなのだろう。
…何で、そんなことを。
ーーーーーーー『人の秘密を無理矢理暴くのって良くないんじゃないかなって、そう思っただけだよ。』
「……ほんと、訳分かんねー。」
つい独り言を呟く。
くのたまのくせに、くの一らしい駆け引きもない。その言葉も、目も、まっすぐ過ぎて。
彼女の内にある眩しいほどの"正しさ"が、僕にとっては気持ちの悪いものだった。
どうして、"そう"でいられるのか。あまりに、不可解だった。
あの時の笑顔を思い出すだけで、心の臓が変な音を立てる。息も詰まって、いっそ、吐きそうなほど。
…変だ。
おかしい。
なんか、嫌だ。
気持ち悪い。
向こうから近付かれないことを、むしろ、好都合だと思った。もう、関わりたくない。
関わってはいけないと、
直感的にそう思った。
これ以上、考えたくなかった。
ーーーーーーーだからその頃の僕からしたら、その先輩に自ら近付こうとしている今の僕なんて、彼女の"真っ直ぐさ"以上に気持ちの悪いものなのだろう。
起き抜けとは思えないほど力強く思いっきり僕を蹴り上げて、顔を真っ赤にしてひまり先輩は「人で遊ぶな!」と怒鳴り散らして、足を踏み鳴らして御堂を出て行ってしまった。
その様子に、思わず吹き出してからは、蹴られた横腹がまだ痛いのに笑いが止まらなくて。
「っはははは…!……はぁ。」
そのうち笑い疲れて。
床の上に手足を投げ出して寝転がって。ため息がこぼれた。
「…ほんと、何考えてるんだろうな。俺も。」
昨夜。
眠る彼女と距離を詰めた時。
雨の音が、ほんの少し強くなった。その瞬間だった。
小さな唇が、寝言を紡ぐ。
いさく、と。
僕の動きは、そこで完全に止まる。
その、甘い甘い、吐息のような寝言は、いつまでもいつまでも自分の耳にまとわりついてくるような気がして、頭を強く振る。
「はぁ。…馬鹿馬鹿しい。」
覆いかぶさっていた体勢から、彼女を視界に入れないよう距離を空けて背を向けて座り込む。
目を覚まそうが構いもせず、手を掴んで指を僅かに絡め、強引に奪って。
その上で、すました顔で、本気な訳がないでしょう、って。この程度で取り乱して、忍者どころかくの一にも向いてないんじゃないですか、って。顔を歪めて怒るであろう彼女に冷たく言ってやるつもりだった。
…あの時だってそうだ。
僕が彼女を、後輩二人に追われているのを助けるフリでわざと倉庫に閉じ込めて、素顔を明かさせた時。
変装の研究だなんて嘘に決まっているのに、言われた通りあっさり目を閉じる先輩。
どうしてそんなに、簡単に人を信用するのだろう。どうして、目の前にいるのは"男"だと気付かないのだろう。
そう思うとあんまり可笑しくて、ーーーーーーーその時も本当に、奪ってやろうと思っていた。油断する方が悪いって、馬鹿にするつもりだった。直前まで。
なのに。
"お面越し"に切り替えたのは、咄嗟のことだった。
ーーーーーーー『人の秘密を無理矢理暴くのって良くないんじゃないかなって、』
近付けば近付くほど。
初めて話した時の、何でもないようにそう言って笑う彼女の顔が、脳裏に貼り付いて消えなくなる。
そして、今も。
ーーーーーーー『変な奴だな、本当に。』
ーーーーーーー『二人だけの時だったら、別にいいよ。』
ーーーーーーー『いさく』
純粋に恋焦がれる顔。
そのくせ、あなたもあの人も、未だに想いを伝え合ってもいないなんて。
ほんと、馬鹿馬鹿しいことやってるんですね。
僕には理解できないですよ。
……こんなことをする自分自身も。
彼女を視界に入れないまま、背を向けて横たわって無理矢理目を閉じた。
先輩。
何で、あの時僕を助けたんですか。
何で、そんな簡単に気を許すんですか。
何で、無防備に笑いかけるんですか。
何でそんなに真っ直ぐでいられて、
…何で僕は、考えたくなかったはずなのに。
またあなたのことを考えているのだろう。
僕のこの気持ちは、何なんだ。
本当は知ってるんじゃないですか?
だったら、ちゃんと教えて下さいよ。
…ひまり先輩。
短い、浅い眠りから目を覚ました時も、すぐ後ろで相変わらず呑気に眠りこけているのを見て。イラッとした僕は、変装用のお面を取り替えながら再び彼女に近寄った。
仮面の下に、彼女にも決して見せることのない、本当の表情を隠して。