そのうすべに色を隠して。
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『十四頁 一番、分かってないのは』
※十三頁の続き。三年生回想。
※かなりシリアス。
盗賊に襲われて負った顔の傷は、運び込まれた医務室で手当てをされたけれど、熱を出した私はしばらくの間、そのままそこでお世話になっていた。
衝立で仕切られたスペースに敷かれた布団に横になっている間、ぼんやりと考えてしまう。
この熱が、雨に濡れて体が冷えてしまったせいなのか、既に傷口からばい菌が入ってしまっていたからなのか、それとも……
思い当たることを頭に思い浮かべては、その度に、ますます顔が熱くなるような気がした。
その後、熱もすっかり下がり、殆ど付きっきりで看て下さっていた校医の新野先生からも、もう部屋に戻って良いとの許可が降りた。
「あっ。おーい、ひまり!」
校庭の隅を横切る途中、声をかけられて振り返ると、手を大きく振る小平太、その隣には留三郎と、ーーーーーーー伊作もいて。
目が合うと、下がったはずなのに体温がまた一瞬で上がるように感じられた。
逸らしてしまってすぐに、これじゃ感じ悪いのに、と後悔したが、かと言って向こうがどんな顔をしているかなんて、確認できるはずもなくて。
三人とも歩み寄ってきて、話しかけてきたのは最初と同じく小平太だった。
「退院できたんだな、良かったじゃないか。」
「う、うん。ありがとう。」
「傷、大丈夫か?」
「うん、まあ…。……あの、ごめん。私、先生に呼ばれてるから。」
小平太と話していても、頭の中は、その隣の伊作のことを気にしてしまう。
もし声をかけられたら、相手の顔を見ることになる。そうなったら今の自分は、果たしてまともに話ができるかどうか。
今でさえ、心の臓がうるさいくらいなのに。
用事があるのは嘘ではなかったけれど、やっぱり少し素っ気なかっただろうか。
言い置くや否やすぐ歩き出した自分の行動を、後方で三人が訝しんでいるだろうと思い後悔しつつも、その歩みを止めることは今更できなかった。
……でもそれなら、伊作には、何と言って話しかければ良かったのだろう?
私は、歩きながら考え込む。
熱で朦朧として動けない自分を、必死で背負って学園まで連れて帰ってくれた、そのことに感謝していないわけでは決してない。けれど。
『助けてくれてありがとう』?……これ、ひょっとしたら逆に嫌味みたいにならないだろうか。庇って怪我した方の私が言うと。どうなんだろうか。
『洞窟で、顔の傷の手当てしてくれて、』ーーーーーーーいや、無理無理無理。そんなの口に出せるわけがない。思い出しただけでも、顔から火が出そうなのに。
……というか伊作の方は、本当に、何とも思っていないのだろうか?
保健委員で、しかもああいう性格だからひたすらに私を助けたい一心で、そしてやむを得ず、だったのだろうと思うけれど。
むしろそれに対して私の方が、あまりに過剰反応しているように思えて、余計に恥ずかしくなる。
「駄目だ……やっぱ、しばらく顔合わせらんない……」
結局火照ってしまった顔を両手で覆い、はぁ、とため息をついた。
それから、ほどなくして。
私が医務室のお世話になっている間に実家へは既に連絡が入れられていて、血相を変えた両親が忍術学園を訪れたのは、傷口に当てているガーゼもまだ完全には取れていない時だった。
顔に傷痕を作ったことで、両親がどういう反応を見せるのかなんて、寝込んでいる時から大体予想がついていた。
両親が来る日に合わせて、私も、学園長先生の庵に呼び出されていた。
「ーーーーーーー生徒を預かる者として目が行き届かず、大事な娘さんに怪我を負わせてしまったこと、大変、責任を感じております。誠に、申し訳ありません…。」
「私も担任として、配慮が不十分でありました。本当に、申し訳ありません。」
庵には、学園長先生と、くの一教室担任・山本シナ先生、そして火縄銃などの特別授業を受けたことがあり、他の教職員の中でも比較的年長者だということもあってか忍たまのクラスを受け持つ山田伝蔵先生が、私と私の両親を迎えて集まっていた。
謝罪と共に深く頭を下げる学園長先生とシナ先生、そして山田先生に対し、両親も、「そのようなことは…」と同じように頭を下げる。
私はと言えば、何も喋らず、俯き気味で、そんな両親を少し後ろから見ていた。父が、座ったまま私の方に体の向きを変えて、厳しい目つきになる。
「今回のことは全て、お前自身の責任であるぞ。何と情けない、嫁入り前の女が顔に、傷なんぞ作りおって!どこまで親に恥をかかせるつもりだ、お前は!」
父の顔から視線を、目の前の畳に逸らす。
この人はいつもそうだ。
口にするのは、家のことばかり。
私を心配する言葉なんて、二の次でも出てくるならまだいい方で、今日に至ってはその気配すらない。
仕方のないことなのだとは分かっている。父も母も、"家業"を継がせるため、長女の私に婿を取らせようとずっと考えていたのだから。
……けれど。
「全く、ここまで愚かとは……我が娘とも思えん!」
同席していた山田先生が「まぁ、お父上殿。どうか一度、落ち着かれますよう…」と宥める声が聞こえる中。
そこまで言われて。気持ちがますます頑なになるのを私は自覚していた。
跳ねっ返りでは、嫁がせるのに相応しくない。
体に傷を作れば、嫁に出せない。
嫁にならねば、跡継ぎをもうけられない。
………それなら、
私の価値とは、一体何だ。
「…では、そう思っていただかなくて結構です。勘当でも何でもお好きに、ーーーーーーーー兄上にそうしたように!」
「ひまりっ……!」
思わず、そう、口にしてしまっていた。
叫んだのは母だったが、身を乗り出し傷のない方の頬を張ったのは父だった。殴られた方向に顔が強く振れ、畳に手を突いて倒れ込む。
先生方の前でよしてくださいと、母が父を止めつつ、私に向けて「口を慎みなさい!」と叱咤する。
唇を噛み、涙が瞼まで押し寄せて来る前に、部屋を飛び出す。
「ひまりさん、待ちなさい!」と、シナ先生の声が追ってきたが、構わず走った。
走りながら、心の中が、ぐしゃぐしゃになる。
ーーーーーーー嫁とか、家とか。
言いたいことだけ言うばかりで。
この学園に入ったのだって、本当は行儀見習いの為だったのにと嘆かれ。いつになったら辞めて帰ってくるんだとせっつかれ。
何でも、そっちの都合ばかり。
そんなの、私に関係ないのに。
………そうだよいっそ、"この学園に入ったこと"も、もう、私の人生に"関係な"く、してくれたらいいんじゃないのか。
あの、もう何枚置かれたか分からない自室の"紙"を見る度に、
一体、何しにここへ来ているんだろうかと、
どこか、やるせなくなってしまうことも含めて。ぜんぶ。
ぜんぶ、ぜんぶ忘れてしまえたら。無かったことにしてしまえたら。
そしたら、もう、こんなふうに苦しく思わなくて済むのだろうか。
「ーーーーーーーひまり、こんな所にいたのか。」
茂みの陰にうずくまっている所へ、声が降ってきてそっと顔を上げると。同い年の、親しい忍たまの生徒が二人、立っていた。
「文次郎、長次…」
「親御さん、帰っちまうぞ?いいのか?」
そう訊く文次郎に、「…近くで聞いてたんだね?」と、少し呆れて言いつつ、あいつらならこっそり盗み聞きしててもさして不思議ではないな、とも思ってみたり。二人も、やはりバツが悪そうにしていた。
「悪い…。今日来られるって、先生たちが話してるの、聞こえちまったし。…いや、そんなことよりお前、親御さん帰る前に、もっかい会わなくていいのかよ?」
上げていた視線を、また地面に下ろす。
「……どうせまた来るだろうし、いいよ。家に連れ戻すことしか考えてないんだから、今、会って話したって無駄だもん。」
「…お前、学園を辞めるのか?」
文次郎も同じようにしゃがんで、覗き込むように顔をじっと見つめてくる。
「親がそう言うんなら、しょうがないよ。」
答えたけれど、すぐに否定が返ってくる。
「違うよ。お前がどうなんだって訊いてんだろ。」
「…同じだよ。」
「何が、同じなんだよ?」
「傷作っちゃったし、これ以上増やせない。本当に、どこにも嫁げなくなるもん。そうなる前に辞めなきゃ。」
「前に、ここを辞めたくないって言ってたじゃねぇか。今のお前、らしくねぇぞ。」
「うるさいなぁ。ほっといてよ…」
逃がす余地のない追及を鬱陶しく思ってしまって。一人になりたくて、立ち上がった時だった。
留三郎が、慌てて駆けてくるのが見えた。
「おい、大変だ!伊作が…」
「伊作が、どうかしたのか?」
長次に訊き返され、一旦息を整えてから彼は話す。
伊作は、仕事もあり長居できないため一旦家に戻ろうと部屋を出た、両親の前に両膝をついて、額を廊下の床にぶつけてしまうのも構わず、頭を下げて、
彼女が傷を負ったのは、自分の責任だと。
盗賊に襲われ、一緒にいたのに守りきることができなくて、あんな大きな怪我を負わせてしまった、と。
両親が戸惑う中、絞り出すような声で、二人に向けて謝ったのだという。
それを聞いて、カッと頭に血が昇るのを感じた。
「責任、って……伊作、何勝手に…!」
「……何だよお前、その言い方は。」
留三郎に、両肩を掴まれ強い力で正面を向かされる。その顔は、怒っていた。その勢いに、私は一瞬怯む。
「何で、伊作の気持ち汲んでやらねえんだよ!あいつ、お前を怪我させたって、ずっと一人で悩んで、苦しんでたんだぞ?お前が医務室で寝込んでいる間も、ずっと!」
強い口調に合わせて肩を揺すられるまま、私は、真剣な目で訴えてくる留三郎の言葉を受け続ける。
「お前、自分ばっかり苦しんでると思ってんじゃねえよ!いつもいつも、無理して笑いやがって。悩んでるくせに、隠しやがって。お前が何で苦しいのか、言わねえと、俺たちだってどうしていいか分からねえだろうが!何もしてやれない俺たちの気持ちも、少しは考えろよ!」
どうせ誰も気付かないだろうと、思っていた。それを良いことに、だから私も何も言わなかった。
苦しんでる、って、何でそんなこと分かるんだよ。
悩みを隠して無理して笑ってるって、何でそう決めつけることができるんだよ。
分かるはずないと思っていて、……本当に分かっていなかったのは、私の方だったらしい。
そして、ーーーーーーーもう、見逃してはくれないんだな、と。
そう思いながら、俯く。
「……そんなの、言えるわけないじゃんか。誰にも、どうしようもないことなんだから。」
俯いたまま、最初の一雫が瞳から離れて落ちていった時。
肩を掴んでくる手が力を入れるのを少し、躊躇った気がした。
声が震える。泣いてる所なんか、見られたくないのに。
「ホントみんな、言いたいことばっか言うんだね。……女になったこと無い癖に。」
泣くのを押し留めたくて無理矢理目を瞑ると、睫毛を伝って、もう一雫、こぼれ落ちてしまった。
呆れるでしょ。
皆、私なんかをこんなに心配してくれているのに、皆、傷付けたくない大事な友達だっていうのに。
私はこんな憎まれ口しか返せなくて。
でも、だって、言えないよ。
言えるわけないよ。
私はただ、楽しいから、皆と一緒に遊んでいるだけなのに。
皆と仲良くしているから、女子から爪弾きにされているだなんて。
そんなくだらない、どうしようもないこと、皆は知らなくていい。
皆はただいつも通りに、バカやって、笑っていてくれればそれでいいと思っていた。
きっと、呆れている。
だから留三郎も、手を離したんだと思う。立ち去る時も、誰にも呼び止められなかった。
どこに向かって歩いて行けば良いのか。
部屋に戻るのは、今は気が進まなかった。顔に傷を負って以来、部屋の中に入れられている紙に書かれている言葉には、「傷物」が新たに仲間に加えられていた。
また、あの子たちと遭遇するんじゃないかと思うと。
たったそれだけのことなのに、それだけのはずなのに、それがすごく怖かった。体力も精神力も、まるで、一瞬で根こそぎ持っていかれるような。
彼女たちだって、私は友達だと思っていたのに。
無理矢理、頭を切り替える。今考えていることから、逃げようとしていただけなのかもしれないけれど。
ひとまず今は、飛び出してきてしまった手前、無礼を先生方に詫びに行かねばと、私は学園長室に続く道をとぼとぼと歩いて戻って行った。
※十三頁の続き。三年生回想。
※かなりシリアス。
盗賊に襲われて負った顔の傷は、運び込まれた医務室で手当てをされたけれど、熱を出した私はしばらくの間、そのままそこでお世話になっていた。
衝立で仕切られたスペースに敷かれた布団に横になっている間、ぼんやりと考えてしまう。
この熱が、雨に濡れて体が冷えてしまったせいなのか、既に傷口からばい菌が入ってしまっていたからなのか、それとも……
思い当たることを頭に思い浮かべては、その度に、ますます顔が熱くなるような気がした。
その後、熱もすっかり下がり、殆ど付きっきりで看て下さっていた校医の新野先生からも、もう部屋に戻って良いとの許可が降りた。
「あっ。おーい、ひまり!」
校庭の隅を横切る途中、声をかけられて振り返ると、手を大きく振る小平太、その隣には留三郎と、ーーーーーーー伊作もいて。
目が合うと、下がったはずなのに体温がまた一瞬で上がるように感じられた。
逸らしてしまってすぐに、これじゃ感じ悪いのに、と後悔したが、かと言って向こうがどんな顔をしているかなんて、確認できるはずもなくて。
三人とも歩み寄ってきて、話しかけてきたのは最初と同じく小平太だった。
「退院できたんだな、良かったじゃないか。」
「う、うん。ありがとう。」
「傷、大丈夫か?」
「うん、まあ…。……あの、ごめん。私、先生に呼ばれてるから。」
小平太と話していても、頭の中は、その隣の伊作のことを気にしてしまう。
もし声をかけられたら、相手の顔を見ることになる。そうなったら今の自分は、果たしてまともに話ができるかどうか。
今でさえ、心の臓がうるさいくらいなのに。
用事があるのは嘘ではなかったけれど、やっぱり少し素っ気なかっただろうか。
言い置くや否やすぐ歩き出した自分の行動を、後方で三人が訝しんでいるだろうと思い後悔しつつも、その歩みを止めることは今更できなかった。
……でもそれなら、伊作には、何と言って話しかければ良かったのだろう?
私は、歩きながら考え込む。
熱で朦朧として動けない自分を、必死で背負って学園まで連れて帰ってくれた、そのことに感謝していないわけでは決してない。けれど。
『助けてくれてありがとう』?……これ、ひょっとしたら逆に嫌味みたいにならないだろうか。庇って怪我した方の私が言うと。どうなんだろうか。
『洞窟で、顔の傷の手当てしてくれて、』ーーーーーーーいや、無理無理無理。そんなの口に出せるわけがない。思い出しただけでも、顔から火が出そうなのに。
……というか伊作の方は、本当に、何とも思っていないのだろうか?
保健委員で、しかもああいう性格だからひたすらに私を助けたい一心で、そしてやむを得ず、だったのだろうと思うけれど。
むしろそれに対して私の方が、あまりに過剰反応しているように思えて、余計に恥ずかしくなる。
「駄目だ……やっぱ、しばらく顔合わせらんない……」
結局火照ってしまった顔を両手で覆い、はぁ、とため息をついた。
それから、ほどなくして。
私が医務室のお世話になっている間に実家へは既に連絡が入れられていて、血相を変えた両親が忍術学園を訪れたのは、傷口に当てているガーゼもまだ完全には取れていない時だった。
顔に傷痕を作ったことで、両親がどういう反応を見せるのかなんて、寝込んでいる時から大体予想がついていた。
両親が来る日に合わせて、私も、学園長先生の庵に呼び出されていた。
「ーーーーーーー生徒を預かる者として目が行き届かず、大事な娘さんに怪我を負わせてしまったこと、大変、責任を感じております。誠に、申し訳ありません…。」
「私も担任として、配慮が不十分でありました。本当に、申し訳ありません。」
庵には、学園長先生と、くの一教室担任・山本シナ先生、そして火縄銃などの特別授業を受けたことがあり、他の教職員の中でも比較的年長者だということもあってか忍たまのクラスを受け持つ山田伝蔵先生が、私と私の両親を迎えて集まっていた。
謝罪と共に深く頭を下げる学園長先生とシナ先生、そして山田先生に対し、両親も、「そのようなことは…」と同じように頭を下げる。
私はと言えば、何も喋らず、俯き気味で、そんな両親を少し後ろから見ていた。父が、座ったまま私の方に体の向きを変えて、厳しい目つきになる。
「今回のことは全て、お前自身の責任であるぞ。何と情けない、嫁入り前の女が顔に、傷なんぞ作りおって!どこまで親に恥をかかせるつもりだ、お前は!」
父の顔から視線を、目の前の畳に逸らす。
この人はいつもそうだ。
口にするのは、家のことばかり。
私を心配する言葉なんて、二の次でも出てくるならまだいい方で、今日に至ってはその気配すらない。
仕方のないことなのだとは分かっている。父も母も、"家業"を継がせるため、長女の私に婿を取らせようとずっと考えていたのだから。
……けれど。
「全く、ここまで愚かとは……我が娘とも思えん!」
同席していた山田先生が「まぁ、お父上殿。どうか一度、落ち着かれますよう…」と宥める声が聞こえる中。
そこまで言われて。気持ちがますます頑なになるのを私は自覚していた。
跳ねっ返りでは、嫁がせるのに相応しくない。
体に傷を作れば、嫁に出せない。
嫁にならねば、跡継ぎをもうけられない。
………それなら、
私の価値とは、一体何だ。
「…では、そう思っていただかなくて結構です。勘当でも何でもお好きに、ーーーーーーーー兄上にそうしたように!」
「ひまりっ……!」
思わず、そう、口にしてしまっていた。
叫んだのは母だったが、身を乗り出し傷のない方の頬を張ったのは父だった。殴られた方向に顔が強く振れ、畳に手を突いて倒れ込む。
先生方の前でよしてくださいと、母が父を止めつつ、私に向けて「口を慎みなさい!」と叱咤する。
唇を噛み、涙が瞼まで押し寄せて来る前に、部屋を飛び出す。
「ひまりさん、待ちなさい!」と、シナ先生の声が追ってきたが、構わず走った。
走りながら、心の中が、ぐしゃぐしゃになる。
ーーーーーーー嫁とか、家とか。
言いたいことだけ言うばかりで。
この学園に入ったのだって、本当は行儀見習いの為だったのにと嘆かれ。いつになったら辞めて帰ってくるんだとせっつかれ。
何でも、そっちの都合ばかり。
そんなの、私に関係ないのに。
………そうだよいっそ、"この学園に入ったこと"も、もう、私の人生に"関係な"く、してくれたらいいんじゃないのか。
あの、もう何枚置かれたか分からない自室の"紙"を見る度に、
一体、何しにここへ来ているんだろうかと、
どこか、やるせなくなってしまうことも含めて。ぜんぶ。
ぜんぶ、ぜんぶ忘れてしまえたら。無かったことにしてしまえたら。
そしたら、もう、こんなふうに苦しく思わなくて済むのだろうか。
「ーーーーーーーひまり、こんな所にいたのか。」
茂みの陰にうずくまっている所へ、声が降ってきてそっと顔を上げると。同い年の、親しい忍たまの生徒が二人、立っていた。
「文次郎、長次…」
「親御さん、帰っちまうぞ?いいのか?」
そう訊く文次郎に、「…近くで聞いてたんだね?」と、少し呆れて言いつつ、あいつらならこっそり盗み聞きしててもさして不思議ではないな、とも思ってみたり。二人も、やはりバツが悪そうにしていた。
「悪い…。今日来られるって、先生たちが話してるの、聞こえちまったし。…いや、そんなことよりお前、親御さん帰る前に、もっかい会わなくていいのかよ?」
上げていた視線を、また地面に下ろす。
「……どうせまた来るだろうし、いいよ。家に連れ戻すことしか考えてないんだから、今、会って話したって無駄だもん。」
「…お前、学園を辞めるのか?」
文次郎も同じようにしゃがんで、覗き込むように顔をじっと見つめてくる。
「親がそう言うんなら、しょうがないよ。」
答えたけれど、すぐに否定が返ってくる。
「違うよ。お前がどうなんだって訊いてんだろ。」
「…同じだよ。」
「何が、同じなんだよ?」
「傷作っちゃったし、これ以上増やせない。本当に、どこにも嫁げなくなるもん。そうなる前に辞めなきゃ。」
「前に、ここを辞めたくないって言ってたじゃねぇか。今のお前、らしくねぇぞ。」
「うるさいなぁ。ほっといてよ…」
逃がす余地のない追及を鬱陶しく思ってしまって。一人になりたくて、立ち上がった時だった。
留三郎が、慌てて駆けてくるのが見えた。
「おい、大変だ!伊作が…」
「伊作が、どうかしたのか?」
長次に訊き返され、一旦息を整えてから彼は話す。
伊作は、仕事もあり長居できないため一旦家に戻ろうと部屋を出た、両親の前に両膝をついて、額を廊下の床にぶつけてしまうのも構わず、頭を下げて、
彼女が傷を負ったのは、自分の責任だと。
盗賊に襲われ、一緒にいたのに守りきることができなくて、あんな大きな怪我を負わせてしまった、と。
両親が戸惑う中、絞り出すような声で、二人に向けて謝ったのだという。
それを聞いて、カッと頭に血が昇るのを感じた。
「責任、って……伊作、何勝手に…!」
「……何だよお前、その言い方は。」
留三郎に、両肩を掴まれ強い力で正面を向かされる。その顔は、怒っていた。その勢いに、私は一瞬怯む。
「何で、伊作の気持ち汲んでやらねえんだよ!あいつ、お前を怪我させたって、ずっと一人で悩んで、苦しんでたんだぞ?お前が医務室で寝込んでいる間も、ずっと!」
強い口調に合わせて肩を揺すられるまま、私は、真剣な目で訴えてくる留三郎の言葉を受け続ける。
「お前、自分ばっかり苦しんでると思ってんじゃねえよ!いつもいつも、無理して笑いやがって。悩んでるくせに、隠しやがって。お前が何で苦しいのか、言わねえと、俺たちだってどうしていいか分からねえだろうが!何もしてやれない俺たちの気持ちも、少しは考えろよ!」
どうせ誰も気付かないだろうと、思っていた。それを良いことに、だから私も何も言わなかった。
苦しんでる、って、何でそんなこと分かるんだよ。
悩みを隠して無理して笑ってるって、何でそう決めつけることができるんだよ。
分かるはずないと思っていて、……本当に分かっていなかったのは、私の方だったらしい。
そして、ーーーーーーーもう、見逃してはくれないんだな、と。
そう思いながら、俯く。
「……そんなの、言えるわけないじゃんか。誰にも、どうしようもないことなんだから。」
俯いたまま、最初の一雫が瞳から離れて落ちていった時。
肩を掴んでくる手が力を入れるのを少し、躊躇った気がした。
声が震える。泣いてる所なんか、見られたくないのに。
「ホントみんな、言いたいことばっか言うんだね。……女になったこと無い癖に。」
泣くのを押し留めたくて無理矢理目を瞑ると、睫毛を伝って、もう一雫、こぼれ落ちてしまった。
呆れるでしょ。
皆、私なんかをこんなに心配してくれているのに、皆、傷付けたくない大事な友達だっていうのに。
私はこんな憎まれ口しか返せなくて。
でも、だって、言えないよ。
言えるわけないよ。
私はただ、楽しいから、皆と一緒に遊んでいるだけなのに。
皆と仲良くしているから、女子から爪弾きにされているだなんて。
そんなくだらない、どうしようもないこと、皆は知らなくていい。
皆はただいつも通りに、バカやって、笑っていてくれればそれでいいと思っていた。
きっと、呆れている。
だから留三郎も、手を離したんだと思う。立ち去る時も、誰にも呼び止められなかった。
どこに向かって歩いて行けば良いのか。
部屋に戻るのは、今は気が進まなかった。顔に傷を負って以来、部屋の中に入れられている紙に書かれている言葉には、「傷物」が新たに仲間に加えられていた。
また、あの子たちと遭遇するんじゃないかと思うと。
たったそれだけのことなのに、それだけのはずなのに、それがすごく怖かった。体力も精神力も、まるで、一瞬で根こそぎ持っていかれるような。
彼女たちだって、私は友達だと思っていたのに。
無理矢理、頭を切り替える。今考えていることから、逃げようとしていただけなのかもしれないけれど。
ひとまず今は、飛び出してきてしまった手前、無礼を先生方に詫びに行かねばと、私は学園長室に続く道をとぼとぼと歩いて戻って行った。