そのうすべに色を隠して。
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『十二頁 曇り空がその痛みを連れてくるように』
与四郎が行こうと誘った甘味処までの道中、主に話をしていたのは与四郎で、その次に発言回数の多かった私の、その内容は、主に"訂正"とでも言うべきものだったように思う。
「むかーし、この辺りで学校の授業の一環で、武者修行してた時によ、どーにも腹減って死にそうになっちまってた所で、ひまりに助けてもらってな。そっからだべ、俺たちの馴れ初めってのは。」
「馴れ初め、って……ただの友達だし。」
「まーた、照れちまって。ほんと、可愛いべなぁひまりは。」
私が真ん中を歩いて、私の右手側には与四郎が、ーーーーーーーそして、
左手側に、伊作が並んでいる状況で。
まるで、もう既に付き合っていると、聞き手側に受け取られかねないような発言ばかり出てきてしまう与四郎に対して、私はその都度訂正というか、否定を挟まなければいけなかったけれど。
それでも与四郎がその度に、照れなくてもいいのにとか、或いは「ま、いつか振り向かせてやっからさ!」とか言ってくるものだから、追いつかない。
しかも、何故か、私を挟んで反対側の、遠慮がちな様子で苦笑している伊作に向けて。
あんたは一体どっちにアピールしたいんだよ、と私は心の中で与四郎につっこむ。
「だから、恥ずかしいからそういうの、やめてってば。大体、助けたっていうかあの時は、釣りができる所があるか訊かれたから答えただけじゃん、私。」
「でもよー、その後も、何度か会ってるしよ。」
「それは、外出た時にたまたまっていうか…、それにあんた、会えなくて寂しいとか会えるまで待つとか言いだすし…。とにかく、私とあんたはただの友達だから!馴れ初めとか、そういう誤解を招く言い方するの、ほんとやめてよ。」
「誤解、って…いいじゃんかよー、別に。」
「私が良くないの。人の話、聞いてるの?やめないと帰るよ、私。」
「分かった分かった、もー言わねぇから。な?そう怒るなって。」
へらりと笑っている、本当に分かっているのか怪しいような与四郎のその表情に対し、私はもう、終始、怒った顔をキープするしかなくて。
…わざわざこんなに遠い所まで来て、折角外出に誘ってくれている相手に対して、そんなことをするのは悪い事だとは、私だって本当は分かっているけれど。
ーーーーーーー最初に姿を見た時は、それこそ、頭が真っ白になった。
どうしてここに伊作が?!…と、固まったまま混乱する私に与四郎が、昨日会ったばかりだけど良い奴なんだと、仲の良い友達を紹介するように、ーーーーーーーいや、やたら距離感の近い彼のことだから、もう昔から知ってる親友くらいにすら思っていそうだけれど、とにかく。昨日、二人が偶然会ったことを説明された。
「…んで、その時にこの傷も、善法寺君に手当てしてもらっただぁよ。うめーもんだべ!」
と、エピソードも交えて紹介され。
…で、それを聞いても微妙な表情と反応を私たちが見せるものだから、そのうちに与四郎も違和感を感じ始めたらしく。
最終的には、私と伊作が、実は同じ忍術学園に通っている同級生だということが彼の知る所となった次第であった。
「いやー、それにしても何つぅ偶然だべなあ!善法寺君と、ひまりが、おんなじ忍術学園の同級生だったなんてよー。」
お店に着いて、そこの看板商品らしいみたらし団子を注文して待っている時も、与四郎は相変わらず周囲に人がいるのも頓着しない様子で。私は彼を軽く睨む。
「与四郎?もう少し声抑えようね…?」
「はは、わりーわりー。いやぁ最初に聞いた時に、あんまり驚いたもんで、つい。そんなおっかねー顔すんなよー。」
「あんたねぇ…本当に反省してるの?」
「わーかってるって。俺たちが忍の者だって、一般の人に知られちゃいけねーってことくらい。」
「あんた地声でかいんだから、ほんと、気を付けてよ?」
「へへ、ひまりは怒ってても可愛いべなっ。」
「だからそういうことも言うなって…もう、帰るよ私?」
「まあまあ、折角来たんだから。」
本当に立ち上がりかけたのを、伊作に宥められて、一応は腹を収めるけども。
私は、気付いていた。今日、伊作は一度も「ひまり」と、私の名前を呼んでいない。あまり、自分から話をしようともしていないみたいだった。
…多分与四郎に遠慮している、そのことが私には却ってもどかしく感じられて。
与四郎がこういう調子だから、きっと、一緒に行こうと誘われて断ろうにも断りきれなかったのだろうなと、思うけれど。
やっぱり、ちょっと気まずい。
「…あ、伊作、タレが袖についてる…!」
「え?あ!しまった…洗ったばかりだったのに…。」
「もー、ほんと不運だよねぇ。」
運ばれてきた団子を食べているうちに、空気は、少しだけ和やかになっていた。
懐から懐紙を取り出して渡すと伊作は、ありがとう、と言って受け取った。…今日、やっと少しは私の方をちゃんと見てくれたような気がする。そのことに、本当に単純だなぁと思うけれど、それだけでも私は嬉しくなってしまう。
「あははっ、善法寺君の"不運"は、ひまりにも認知されてんだなぁ。」
「錫高野君てば、もう…。」
照れたように笑いつつ、袖口に着いたタレを拭き取る伊作に、与四郎は何か思い出したような顔になって。
「…あ。そうだ善法寺君。一つ、訊いていいか?」
「ん、何だい?」
「ひまりが好きな奴って、誰のことか、聞いたことねーか?」
「…え…」
伊作の、戸惑った声。
団子の続きを食べようとしていた私の手も、その時止まった。
「いや、もしかしたら同じ忍術学園にいる奴なのかなーって。前に…」
「ーーーーーーー与四郎、」
団子がまだ残ったままの串は、もう置いてしまっていた。
そこまでのつもりは無かったけど、私のその低い声は、妙に辺りに通って。お店にいた他の客が何人か振り返る気配もしたけれど、もうそれを気にする余裕すら無くて。
多分、耳も手も、赤くなっている。それは恥ずかしさからでは、なかった。
「訊いていいか?って、それ私に先に確認することなんじゃないの?訊かれたくない私のことは、無視するんだね?私がここに居るのに。」
「えっ?あぁいや、無視とかじゃねーけどよ、」
「そんなにデリカシー無いなんて思わなかったよ。帰るね、私。」
「ま…待ってくれんせ、ひまり!」
立ち上がってすぐに歩き始める私を見て、与四郎はすごく慌てたように追いすがって手首を掴んでくる。
「離してってば…!」
「ごめん、もう訊かねーから……許してくれよ。…お願いだべ。本当に、本当にごめん。」
もう流石に、笑ってはいなくて。必死な目で、もう一方の手も重ねるようにして、私の手首を包んでくる。
「……分かったから、もう。とりあえず手離してよ。」
「…うん。本当、ごめんな。」
「分かったって。」
私も大人げない気がして、気を鎮めたことを与四郎の目を見て伝えると。与四郎も、少しだけホッとした顔をしていた。
それから手を離されて。その日、それ以降、与四郎が私の頭に触れたり、手を握ったりしてくることは、なかった。
全員が何となく気まずい空気のまま、お店を出て、帰ることになった。
与四郎はいつもみたいに、「じゃあ、な。」と手を振ったけれど。すぐ背中を向けて歩いていく彼は、やっぱりどこか、いつもより元気がなかった。彼に合わせて小さく手を振る以外、私も何も言えなくて。
彼を見送った後、伊作と二人だけになって、三人の時よりも気まずい気持ちがいっそう強くなったけれど、それでも帰らない訳にはいかない。
「行こう、か。」
「うん。」
伊作は、同じ方向を私と並んで歩きながら、いつの間にか厚い雲の立ち込めていた空を見上げていた。
「…雨、降りそうだね。」
「そうね。朝は、あんなに天気良かったのに。」
「濡れたらいけないから、早く、帰ろうか。」
「うん。そうだね。」
会話が、途切れてしまった。
また、伊作の方から話しかけてくる。
「美味しかったね、さっきの。」
「ん、まぁ。…そういえば、袖口大丈夫?」
「うーん、タレだから、洗ってもシミが残っちゃうかもなぁ。」
「いっそ、着物全体を濃い色で染めてみたら?」
「ああ、うん。それも、いいかもしれないね。」
少し笑って。また、途切れる会話。
それならもういっそ、それで良かったのに。やり過ごしたかったのに。
「……錫高野君だったら、さ。」
その切り出しで、もうその先を聞きたくなかった。
「彼だったら、一緒にいても、安心だよね。」
すごく、聞きたくない。
「……例えば僕みたいに、不運を引き寄せる奴なんかよりは、よっぽど、」
「だから、何?」
その論法をやめて欲しくて。遮る私の言葉は、知らず、刺を纏うように。
「何が言いたいの?伊作は。」
「…錫高野君は、ひまりのことが好きなんだろ。すごく大事に想ってる。見てるだけの僕にだって、それくらい分かるよ。」
「分かるから、何だって言うの?」
「ひまり、今日どうしてずっと怒ってるんだよ…?……錫高野君の気持ちだって考えてあげないと、」
カッと、頭に血が昇るのが分かったのに言葉が口から飛び出した時にはもう、手遅れだった。
「余計なお世話よ!…そんなの、」
分かるなんて、嘘ばっかり。
全然、分かってない癖に。
君にそんなことを、言って欲しいんじゃないのに。
何で、そんな、間違ったこと言うんだよ。
「伊作には関係ないでしょ。口出ししないで。」
それ以上にどうして、私も、間違えるんだろうか。
ああ駄目だ、自分で言って、泣きそうになるだなんて。ほんと馬鹿みたい。
傷付いたような伊作の目を見たくなくて、伊作に、今の自分の顔を見られたくなくて。
逃げるように走って、先に帰ってしまった。
ずっとずっと走って、息が苦しくて、苦しくて、くるしくて、
ーーーーーーーどうしてあんなこと、言ってしまったんだろう。
学園の外塀に手をついて、息を整えようとしても。どんどん、苦しくなる。
膝が、体を支える力を失ったみたいに、ガクリと折れて。そのままうずくまってしまった。
隠さなきゃいけない。困らせるだけの、この気持ちは。
気付いてほしい。ずっと押し留めている、この気持ちに。
その相反する二つの想いが、身体中を埋め尽くすようで。
「……苦、し……」
ポツリ、ポツリと。小さかった雨粒は、ほどなくして強くなる。それでも私は、そこから動けなかった。
冷たく雨が降り注いで、私を濡らす。
その音は、頬の傷痕に潜む"記憶"と、共鳴するかのようだった。
与四郎が行こうと誘った甘味処までの道中、主に話をしていたのは与四郎で、その次に発言回数の多かった私の、その内容は、主に"訂正"とでも言うべきものだったように思う。
「むかーし、この辺りで学校の授業の一環で、武者修行してた時によ、どーにも腹減って死にそうになっちまってた所で、ひまりに助けてもらってな。そっからだべ、俺たちの馴れ初めってのは。」
「馴れ初め、って……ただの友達だし。」
「まーた、照れちまって。ほんと、可愛いべなぁひまりは。」
私が真ん中を歩いて、私の右手側には与四郎が、ーーーーーーーそして、
左手側に、伊作が並んでいる状況で。
まるで、もう既に付き合っていると、聞き手側に受け取られかねないような発言ばかり出てきてしまう与四郎に対して、私はその都度訂正というか、否定を挟まなければいけなかったけれど。
それでも与四郎がその度に、照れなくてもいいのにとか、或いは「ま、いつか振り向かせてやっからさ!」とか言ってくるものだから、追いつかない。
しかも、何故か、私を挟んで反対側の、遠慮がちな様子で苦笑している伊作に向けて。
あんたは一体どっちにアピールしたいんだよ、と私は心の中で与四郎につっこむ。
「だから、恥ずかしいからそういうの、やめてってば。大体、助けたっていうかあの時は、釣りができる所があるか訊かれたから答えただけじゃん、私。」
「でもよー、その後も、何度か会ってるしよ。」
「それは、外出た時にたまたまっていうか…、それにあんた、会えなくて寂しいとか会えるまで待つとか言いだすし…。とにかく、私とあんたはただの友達だから!馴れ初めとか、そういう誤解を招く言い方するの、ほんとやめてよ。」
「誤解、って…いいじゃんかよー、別に。」
「私が良くないの。人の話、聞いてるの?やめないと帰るよ、私。」
「分かった分かった、もー言わねぇから。な?そう怒るなって。」
へらりと笑っている、本当に分かっているのか怪しいような与四郎のその表情に対し、私はもう、終始、怒った顔をキープするしかなくて。
…わざわざこんなに遠い所まで来て、折角外出に誘ってくれている相手に対して、そんなことをするのは悪い事だとは、私だって本当は分かっているけれど。
ーーーーーーー最初に姿を見た時は、それこそ、頭が真っ白になった。
どうしてここに伊作が?!…と、固まったまま混乱する私に与四郎が、昨日会ったばかりだけど良い奴なんだと、仲の良い友達を紹介するように、ーーーーーーーいや、やたら距離感の近い彼のことだから、もう昔から知ってる親友くらいにすら思っていそうだけれど、とにかく。昨日、二人が偶然会ったことを説明された。
「…んで、その時にこの傷も、善法寺君に手当てしてもらっただぁよ。うめーもんだべ!」
と、エピソードも交えて紹介され。
…で、それを聞いても微妙な表情と反応を私たちが見せるものだから、そのうちに与四郎も違和感を感じ始めたらしく。
最終的には、私と伊作が、実は同じ忍術学園に通っている同級生だということが彼の知る所となった次第であった。
「いやー、それにしても何つぅ偶然だべなあ!善法寺君と、ひまりが、おんなじ忍術学園の同級生だったなんてよー。」
お店に着いて、そこの看板商品らしいみたらし団子を注文して待っている時も、与四郎は相変わらず周囲に人がいるのも頓着しない様子で。私は彼を軽く睨む。
「与四郎?もう少し声抑えようね…?」
「はは、わりーわりー。いやぁ最初に聞いた時に、あんまり驚いたもんで、つい。そんなおっかねー顔すんなよー。」
「あんたねぇ…本当に反省してるの?」
「わーかってるって。俺たちが忍の者だって、一般の人に知られちゃいけねーってことくらい。」
「あんた地声でかいんだから、ほんと、気を付けてよ?」
「へへ、ひまりは怒ってても可愛いべなっ。」
「だからそういうことも言うなって…もう、帰るよ私?」
「まあまあ、折角来たんだから。」
本当に立ち上がりかけたのを、伊作に宥められて、一応は腹を収めるけども。
私は、気付いていた。今日、伊作は一度も「ひまり」と、私の名前を呼んでいない。あまり、自分から話をしようともしていないみたいだった。
…多分与四郎に遠慮している、そのことが私には却ってもどかしく感じられて。
与四郎がこういう調子だから、きっと、一緒に行こうと誘われて断ろうにも断りきれなかったのだろうなと、思うけれど。
やっぱり、ちょっと気まずい。
「…あ、伊作、タレが袖についてる…!」
「え?あ!しまった…洗ったばかりだったのに…。」
「もー、ほんと不運だよねぇ。」
運ばれてきた団子を食べているうちに、空気は、少しだけ和やかになっていた。
懐から懐紙を取り出して渡すと伊作は、ありがとう、と言って受け取った。…今日、やっと少しは私の方をちゃんと見てくれたような気がする。そのことに、本当に単純だなぁと思うけれど、それだけでも私は嬉しくなってしまう。
「あははっ、善法寺君の"不運"は、ひまりにも認知されてんだなぁ。」
「錫高野君てば、もう…。」
照れたように笑いつつ、袖口に着いたタレを拭き取る伊作に、与四郎は何か思い出したような顔になって。
「…あ。そうだ善法寺君。一つ、訊いていいか?」
「ん、何だい?」
「ひまりが好きな奴って、誰のことか、聞いたことねーか?」
「…え…」
伊作の、戸惑った声。
団子の続きを食べようとしていた私の手も、その時止まった。
「いや、もしかしたら同じ忍術学園にいる奴なのかなーって。前に…」
「ーーーーーーー与四郎、」
団子がまだ残ったままの串は、もう置いてしまっていた。
そこまでのつもりは無かったけど、私のその低い声は、妙に辺りに通って。お店にいた他の客が何人か振り返る気配もしたけれど、もうそれを気にする余裕すら無くて。
多分、耳も手も、赤くなっている。それは恥ずかしさからでは、なかった。
「訊いていいか?って、それ私に先に確認することなんじゃないの?訊かれたくない私のことは、無視するんだね?私がここに居るのに。」
「えっ?あぁいや、無視とかじゃねーけどよ、」
「そんなにデリカシー無いなんて思わなかったよ。帰るね、私。」
「ま…待ってくれんせ、ひまり!」
立ち上がってすぐに歩き始める私を見て、与四郎はすごく慌てたように追いすがって手首を掴んでくる。
「離してってば…!」
「ごめん、もう訊かねーから……許してくれよ。…お願いだべ。本当に、本当にごめん。」
もう流石に、笑ってはいなくて。必死な目で、もう一方の手も重ねるようにして、私の手首を包んでくる。
「……分かったから、もう。とりあえず手離してよ。」
「…うん。本当、ごめんな。」
「分かったって。」
私も大人げない気がして、気を鎮めたことを与四郎の目を見て伝えると。与四郎も、少しだけホッとした顔をしていた。
それから手を離されて。その日、それ以降、与四郎が私の頭に触れたり、手を握ったりしてくることは、なかった。
全員が何となく気まずい空気のまま、お店を出て、帰ることになった。
与四郎はいつもみたいに、「じゃあ、な。」と手を振ったけれど。すぐ背中を向けて歩いていく彼は、やっぱりどこか、いつもより元気がなかった。彼に合わせて小さく手を振る以外、私も何も言えなくて。
彼を見送った後、伊作と二人だけになって、三人の時よりも気まずい気持ちがいっそう強くなったけれど、それでも帰らない訳にはいかない。
「行こう、か。」
「うん。」
伊作は、同じ方向を私と並んで歩きながら、いつの間にか厚い雲の立ち込めていた空を見上げていた。
「…雨、降りそうだね。」
「そうね。朝は、あんなに天気良かったのに。」
「濡れたらいけないから、早く、帰ろうか。」
「うん。そうだね。」
会話が、途切れてしまった。
また、伊作の方から話しかけてくる。
「美味しかったね、さっきの。」
「ん、まぁ。…そういえば、袖口大丈夫?」
「うーん、タレだから、洗ってもシミが残っちゃうかもなぁ。」
「いっそ、着物全体を濃い色で染めてみたら?」
「ああ、うん。それも、いいかもしれないね。」
少し笑って。また、途切れる会話。
それならもういっそ、それで良かったのに。やり過ごしたかったのに。
「……錫高野君だったら、さ。」
その切り出しで、もうその先を聞きたくなかった。
「彼だったら、一緒にいても、安心だよね。」
すごく、聞きたくない。
「……例えば僕みたいに、不運を引き寄せる奴なんかよりは、よっぽど、」
「だから、何?」
その論法をやめて欲しくて。遮る私の言葉は、知らず、刺を纏うように。
「何が言いたいの?伊作は。」
「…錫高野君は、ひまりのことが好きなんだろ。すごく大事に想ってる。見てるだけの僕にだって、それくらい分かるよ。」
「分かるから、何だって言うの?」
「ひまり、今日どうしてずっと怒ってるんだよ…?……錫高野君の気持ちだって考えてあげないと、」
カッと、頭に血が昇るのが分かったのに言葉が口から飛び出した時にはもう、手遅れだった。
「余計なお世話よ!…そんなの、」
分かるなんて、嘘ばっかり。
全然、分かってない癖に。
君にそんなことを、言って欲しいんじゃないのに。
何で、そんな、間違ったこと言うんだよ。
「伊作には関係ないでしょ。口出ししないで。」
それ以上にどうして、私も、間違えるんだろうか。
ああ駄目だ、自分で言って、泣きそうになるだなんて。ほんと馬鹿みたい。
傷付いたような伊作の目を見たくなくて、伊作に、今の自分の顔を見られたくなくて。
逃げるように走って、先に帰ってしまった。
ずっとずっと走って、息が苦しくて、苦しくて、くるしくて、
ーーーーーーーどうしてあんなこと、言ってしまったんだろう。
学園の外塀に手をついて、息を整えようとしても。どんどん、苦しくなる。
膝が、体を支える力を失ったみたいに、ガクリと折れて。そのままうずくまってしまった。
隠さなきゃいけない。困らせるだけの、この気持ちは。
気付いてほしい。ずっと押し留めている、この気持ちに。
その相反する二つの想いが、身体中を埋め尽くすようで。
「……苦、し……」
ポツリ、ポツリと。小さかった雨粒は、ほどなくして強くなる。それでも私は、そこから動けなかった。
冷たく雨が降り注いで、私を濡らす。
その音は、頬の傷痕に潜む"記憶"と、共鳴するかのようだった。