0章
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「回復をお願いします」
ポケモンセンターに着くなり、ダイゴはモンスターボールをジョーイに預けた。自らの手でポケモンのメンテナンスを行うこともあるが、旅先ではなるべくポケモンセンターで回復をしてもらうようにしている。
各地を飛び回る生活をしていると、時々人の力ではどうにもならないような出来事に遭遇することがある。その際に頼もしい味方となってくれるのがポケモンたちだ。パートナーである彼らが十分に力を発揮できるよう体調管理をするのも、トレーナーの重要な役割である。
「だ、ダイゴさん!」
カウンターから離れようとしたダイゴの背に声がかかる。呼ばれた方へ振り替えると、よれた白衣の青年が入口の自動ドアをくぐり、ふらふらとこちらへ駆け寄ってくるところだった。
「お待ちしておりました!」
膝に手をつき肩で息をしながら、青年は額に滲んだ汗を拭った。ずれた眼鏡を眉を寄せて直している。
いかにも窓際の研究員といった出で立ちだが、人は見かけによらないとはこのことで、彼の観察眼は若手の地質学者の中でも抜きんでて有名だった。趣味で研究をしているような層にもその名は轟くほどで、ダイゴも定期的に彼の論文には目を通している。学生時代には考古学も修めていたらしく、今回はその方面の現地調査でハバキタウンに滞在しているとの話だった。
何を隠そう、彼——ヨシロこそが多忙なダイゴをこの地へ呼び寄せた人物だった。
「お待たせしてすみませんでした。調査には間に合いそうですか?」
「先ほどまで町長と交渉をしてましてね……あなたの名前で粘ったら明日の朝まで待ってくれることになりましたよ」
さすがホウエンのチャンピオンですね、と悪戯めいた表情で囁かれ、ダイゴは参ったと言わんばかりに苦笑した。
ヨシロとの付き合いは三年になる。当時、学院を出たばかりの彼はどこの研究チームにも属していなかった。卒業研究に没頭しすぎて就職活動を失念していたらしく、気付いた時には売れ残りという状態だったらしい。そんな彼に、たまたまダイゴの知り合いのチームが声をかけたことが縁の始まりだ。今では立派な研究者として活躍している。
「ところで……皆さんはどこに?」
「野営テントで片づけをしていますよ。そうだ、調査データをまとめてあるんです。大きな声では言えませんが、ここはとても興味深い場所ですね」
ヨシロが周りを警戒するように声を落とした。
「それなりにいろいろな町を見てきましたが、五本の指に入りますよ。……ご覧になりますか?」
眼鏡の奥で爛々と輝く相貌がずいと近づいてくる。研究者の血が騒いで仕方がないといった様子だ。かくいうダイゴも、最初にヨシロから連絡をもらったときはひどく興奮した。
ハバキタウンの古代文と歴史調査。
かつて遊牧民が築いにたこの町には、その時代の証である独自の文化がいくつも残っているという。これまでに何人もの学者が研究協力の交渉をしてきたが、町長は一度たりとも首を縦に振ったことはなかった。それが今回に限り承諾されたのは、ひとえにヨシロの努力のおかげだろう。聞くところによると、彼は学生時代から足繁くこの町に通い、取材交渉をしてきたのだそうだ。最初は頑として断っていた町長だったが、彼の人好きする性格に絆されたのか。今年になってようやく、たった一度きりという条件で許可が下りた。そして今日に至る、というのが事の顛末だった。
遅刻はしたものの、この日を楽しみにしていたのはダイゴも同じである。明日の調査に間に合わせるためにも、今夜中にデータを頭に入れておきたかった。
数分前に端末で新規メッセージの内容を確認したが、特に急ぎの案件はなかった。就寝までは自由な時間を確保できそうだ。
少しのあいだ席を外すことをジョーイに伝え、ダイゴはヨシロに向き直った。
「それではお言葉に甘えて。ぜひお話を聞かせてください」
「もちろん! ご案内いたしますよ!」
ぱっと笑みを浮かべ小走りにポケモンセンターを出ていくヨシロを追いかける。そのうしろ姿を見て、採掘作業をしているときの自分もこんな感じなのだろうかと考える。なんとなく、たまに周囲から投げかけられる視線に納得がいくような心地がした。これからは可能な限り自重すべきかもしれない……あくまで、可能な限り。
ダイゴは胸中で小さく決意を固めた。
0-2 守り人さま
研究団のテントは町役場の敷地にあった。
ちょうど数人の調査メンバーが機材チェックを行っており、パソコンの白い光が煌々と暗闇を照らしている。ここまで町並みを観察しながら歩いてきたが、街灯はひとつもなかった。まるで海の底に沈んでしまったかのような、深い静寂があたり一帯を覆っている。
役場は町の外周をぐるりと回る道を通り、西南の位置に建っていた。建物の背後には灌木の茂みが広がり、黒々とした闇が溜まっている。
「ダイゴさん」
好奇心の赴くままに周辺へと視線を巡らせていたダイゴを、一棟のテントから顔を出したヨシロが呼ぶ。こっちです、と振られた手に招かれ、ダイゴはテントの入り口をくぐった。
中央に設置された簡易机の上には大量の資料が散らばっていた。そのひとつひとつに赤いマーカーが引かれている。今回の調査のために集められたデータのようだった。そうすると、あちこちに走り書きしてあるメモは、今日の取材で得た情報だろうか。
「どうぞおかけください。ええと、どこにいったかな……」
何かを探し回るヨシロを待つ間、ダイゴは机上の資料を読むことにした。各地に残る祭祀や伝承をまとめたものから、碑文の画像、古代遺物の出土データなど、内容は様々だ。その中に、気になるものを見つける。
「この話、カントー地方のものですよね」
「え? ああ、水害による生贄信仰。そうです、カントーで聞いた話ですよ」
「他にも水難に関わる資料が多いようですが……」
「そう! そうなんです!」
ヨシロがばっと振り向く。
その言葉を待っていたと言わんばかりの表情だ。
「年に一度、この町ではとあるお祭りが行われます」
「確か梅雨の時期でしたよね。雨乞いではなく、日照り乞いのお祭りだと聞いています」
「その通りです。119番道路からヒマワキシティにかけては雨が多く水害に遭いやすい土地です。今は水路が整い整備されていますが、過去、この町も例外ではなかったことが予測されます」
なるほど、とダイゴは呟く。
もともとは水辺を求めて移動してきた遊牧民たちだが、逆に苦しめられることになるとは思いもしなかったに違いない。
「そこで行われるようになったのが、日照り乞い……水止めのお祭りです。今回の調査目的は、そのお祭りが行われるという社殿を調べ、<守り人さま>の謎を解くことなんです」
「<守り人さま>、ですか?」
「はい」
聞きなれない単語を繰り返したところで、ヨシロはふうと肩の力を抜く。
「町長さんから得た情報ですが、この町にある社殿には<守り人さま>という存在が祀られているそうです。水害を予測し、雨を止める力を持っているとされています。伝承では暴れる龍を鎮める力を持っていたとも語られていますね。お祭りが行われる三日間は<守り人さま>の社に一年の間に収穫した穀物をお供えし、水害に遭わないよう祈りの舞を捧げるのだと教えられました」
「話がみえてきましたよ。あなたはそこに、生贄信仰の可能性を見出したのですね」
「自然の力を鎮めるために命を渡す儀式は古くから行われてきました。現代ではその多くが命そのものではなく、命を模したものへと姿かたちを変えています。この町も例外とは思えないんです」
確かに、どのような歴史も元を辿れば、原型となる話が出てくる場合がほとんどだ。それが作り話か実話かはさておき、オリジナルを掴むことができればそれだけで十分に研究する価値がある。学者には垂涎物の好機だ。
「社の中にも入れるんですか?」
「もちろん、頑張って交渉しましたので! お祭りの様子を描いた天井絵も残っているそうなので、貴重な取材になりますよ!」
「場所はどこに……隧道を出て町を見下ろした時にはそれらしき建物は見えませんでしたが……」
「あそこは断崖絶壁に囲まれていますからね……とは言っても、私も実際に目にしたわけではないのですが。聞いた話ではずっと北にある、崖の間に建てられているそうです。町の入り口からはうまく隠れてしまうんでしょう」
「北……」
はっと息を呑む。
数時間前の出来事が、ぱっと絵具を散らすように、鮮明に脳裏に蘇ってきたのだ。
荒々しい崖の上に立っていた、小さな人影。
——その正体は、もしや社に仕える者だったのではないだろうか。
ふとそんな考えが頭を過る。
そうだとしたら、あの洗練された雰囲気も説明がつくように思えた。
急に黙したダイゴの顔を、ヨシロが心配そうに覗き込んでくる。
「大丈夫ですか?」
「え、ああ、失礼しました。ちょっと考え事を……」
「そうですか……。あ、もうこんな時間ですね。長く引き留めてしまい、すみません! 残りのデータは端末の方に送っておきますね!」
ポケモンセンターに宿をとる予定のダイゴを気遣ってか、ヨシロはいそいそと見送りの支度をし始めた。その手を止めて、一人で大丈夫だと告げる。ヨシロは少し残念そうに眉を下げた。まだ話足りないとでも言うような目つきをしていたが、やがて諦めたのか、肩を竦めた。
「本当に、来てくださってありがとうございます。明日の合同調査が楽しみで眠れそうにありません」
「お礼を言うのはこちらのほうですよ。今日は本当に、遅れてすみませんでした」
弱ったように苦笑するダイゴに、ヨシロは声をあげて笑った。
テントの外に出ると、今にも降ってきそうな満天の星空が頭上に広がっていた。都会化が進んだ地域ではなかなかお目にかかれない夜空だ。
その下で短い挨拶をかわし、ダイゴはポケモンセンターに向けて歩き始めた。預けたポケモンたちとジョーイが首を長くして待っているに違いない。そう思うと自然と歩が早まる。
頭の端では、あの人影がちらついていた。
なぜこんなにも忘れ難いのか。分からないことが、余計に心を揺るがせた。
だがなにひとつ知る由もなかった。
この時ダイゴは無意識に、再会の予兆を感じていたのだった。