0章
夢小説設定
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びゅうと鳴いた風につられ、ツワブキ・ダイゴは空を見上げた。朱に溶けた銀色の目が数度瞬き、山間に沈みゆく閃光に燃える。遥か頭上から伸びた雲が、遠くで薄く、真っ赤に霞んでいた。瞳と同じ色をした髪にも、きっと茜が滲んでいるに違いない。
いつだったか十代の頃、カントー地方で開かれたデボンコーポレーション主催のパーティに参加した際に「シロハナダの君」と呼ばれたことがあった。向こうの伝統的な藍染のひとつなのだそうで、色素の薄いダイゴの髪をみて洒落を交えたくなったのだと、妙齢の女性に微笑まれた覚えがある。あのとき仕立てたスーツにそののち袖を通していないことを思えば、成長期真っ盛りのことだったのだろう。
背を伸ばして深く呼吸する。
隧道を通ってきたせいか、土の匂いを纏っているのが分かった。
眼下に広がる谷底には小さな町が蹲っている。ぽつぽつとともり始める灯りの中に、見慣れたモンスターボールのシンボルを見つけて、ダイゴは安堵の溜息を吐いた。
「よかった、なんとか間に合いそうだ」
今も活発な火山活動を続けるえんとつ山を左手に、湿地の多い119番道路を逸れて行くと峻険な岩山に囲まれたハバキタウンが現れる。かなり古くからある町で、もともとデコボコ山道で暮らしていた遊牧民が、水辺を求めて移動し、定住したことでできたと言われている。町に繋がる隧道を背に南北に細長いかたちをしているのは、ポケモンとの共生を考え無為に住処を奪わないようにするために、かつての人々が配慮した名残なのだろう。数十年前の技術発展の波を受けてポケモンセンターも開設しているようだが、ジムのあるヒマワキシティを目前にここへ立ち寄るトレーナーも少ないらしく、ひっそりとした雰囲気が漂っていた。各地を旅していた頃に立ち寄った記憶ではもう少し栄えていたような気もするが、案外記憶は捏造と隣り合わせにできているのかもしれない。
「……」
——今、視界の端で何かが動かなかったか。
眼下に広がる風景をじっと見つめる。
緑は南方にかけて深くなり、木々の間でワタッコが夜を迎える準備をしていた。スバメの群れが、広げた両翼で器用に風を掴み、巣を目指している。
何ということはない、普通の町だ。
気のせいかと歩を進めようとした、そのとき。
射貫くような視線を感じた。
(これは……)
敵意ではない。
鍛えられた刃のような、ただただ鋭い気配がダイゴを捕らえていた。
モンスターボールに片手を添える。
夕空に黒点を穿っていたスバメが一羽、群れから外れて急降下した。小さくも逞しい翼で空を裂き、切り立った岩場の多い北のはずれへと吸い寄せられていく。
その先に、白い人影がいた。
きつく纏った外套が風に膨らみ、ふわふわと揺れている。遠目では年齢も性別も判らなかったが、飛翔するスバメに向かって伸ばされた腕は細くしなやかで、ダイゴの目に強く焼き付いた。
外套を羽織った人物は、用意した自らの止まり木にスバメを迎え入れると、するりと身を翻した。深くかぶったフードが顔に影をとしている。その奥にある双眸が、ひたとこちらをとらえたのが判った。
これだ。
先ほど感じたものと同じ気配がダイゴの全身を貫いた。
まるで往年の相手とバトルフィールドを挟み向かい合ったかのような静寂。
凛と、冬の湖面のように張り詰める、相手を見定めるためだけの視線。
風が、唸り声をあげて吹き荒れた。
時間にしてみれば数秒の出来事だったのだろう。
沈黙を破ったのは、軽快な端末の電子音だった。その音色が、ダイゴをここに呼び寄せた、とあるメールを思い出させる。
慌てて受信ボタンを押すと、若い男の声が響き渡った。
——ああやっと出た……ダイゴさん! 今どこにいらっしゃいますか? お約束のお時間から五時間も……また趣味の暴走ですか? せめて一言くらい連絡をください! こっちは調査の承諾を得るだけでもめちゃくちゃ大変だったんですよ!!
すっかり困り果てた様子で捲し立てられ、ダイゴは乾いた声で笑った。
「……ずいぶん待たせてしまったようで、すみません。あと一時間もしないで着けそうなので……ええ、はい、よろしくお願いします」
話しながら素早く元の場所へと視線を走らせるが、外套姿はどこにも見当たらなかった。代わりに二頭のグラエナが余念なく最後の陽光を受け、遠吠えを木霊させる。
先を急がなければ。
町へと続く道を幾分か早足で下りながら、ダイゴは先ほど自分が遭遇した光景を思い出していた。外套から伸び出た腕と浴びせられた視線は、不思議なほど鮮烈に胸に残っている。
——一体何者だったのだろう。
町民にしては漂う雰囲気が浮いているような気がした。各地を旅するトレーナーと同じ、外の人間のにおいがするのだ。それでいてこの町の閉鎖的な空気に馴染んでいる、奇妙な気配。
「……考えすぎか」
そう呟いて、ふっと肩の力を抜く。
たまたまこの地を訪れていた旅人だったのかもしれない。気になることにすぐのめり込むのは悪い癖だと、つい先日、友人に注意されたばかりだった。
ポケモンセンターでダイゴの到着を待っている人たちがいる。とにかく今は、約束の時間を大幅に過ぎてしまったことを詫びるためにも、早く彼らのもとへ行かなければならない。
脳裏にちらつく幻影を振り払い、大きく一歩、足を踏み出した。
0-1 始まりの町