+凍 解 氷 結+



「康二……起きてたの?」

「うなされてたな、大丈夫か?」

水を飲もうと部屋を出ればシンクの電気が付いており、康二がちょうどウォーターサーバーで水を入れていた。

驚く俺に冷たい水が差し出され、それを受け取った際に互いの指が触れ、そんな些細なことに俺はなぜだかドキッとする。

「ありがと。……ごめん、俺うるさかった? 」

「いや、俺もたまたま起きただけやから 」

横目で見た時計は深夜の三時を差している。

「目黒。寝れないなら、少し話さへん?」

先日、康二に俺がsex依存性であることを打ち明けた。

涙を溢す俺に康二は一緒に乗り越えて行こうと言ってくれ、そして、俺が泣き止むまで抱き締めてくれた。

……まるで、幼い子どもをあやす母のように。

さらにその数時間後の出来事。

俺の青黒く染まった頬を見たメンバーが「女癖の悪さもいい加減にしろ!」と怒りの声を上げたが、康二が「違うんや!俺が階段から落ちそうになったのを目黒が助けてくれて、その拍子に手すりに頬を強く打ち付けて怪我をしたんや!」と庇ってくれた。

メンバーの中で、女たらしである俺を康二が一番毛嫌いしていたことは周知の事実で、康二が嘘をついてまで俺を庇う必要がないので、メンバーは全員それを信じる。

そんな康二の優しさに触れ、俺はあの日以来、女たちの誘いをやんわりと断り、康二のいるこの家に真っ直ぐ帰宅し、康二とご飯を食べて、寝る前に話をするのが日課となっていた。

「……いいの?」

「ええよ、俺もちょうど目が冴えてん」

「……っ!ごめん、今はやめた方がいいかもっ」

白い歯を見せ柔らかく微笑む康二を見た瞬間、俺の脳内で康二の小さな口内に己のモノをぶち込む光景が過ぎり、俺は急いで康二から離れる。

こんな俺に優しくしてくれる、彼をやらしい目で見たくない……。


俺は相変わらず浅ましい自分に嫌悪した。

「……俺はどうすればええ? 」

困ったように立ちすくむ康二に俺は申し訳なさでいっぱいとなり、俺は康二のそばにいては駄目なのだと一人で結論づける。

「俺が家から出るから、康二は気にせず寝てて」

「それで?また、女のところに行くんか 」

「………」

康二に静かに問われ俺は俯き、棒立ちとなる。

今まで俺の性の対象は女の子だったはずなのに、なぜか康二までもが性の対象となり、なにかの拍子でふと康二を抱く想像をしてしまう。

想像するだけならまだしも、このままでは康二を襲ってしまうのではないか、嫌な思いをさせるんじゃないか、そうして康二が俺の側から離れていくんじゃないかという不安に駆られ、それが余計に俺を困惑させる。

それならば、やはり同意の上で女の子とした方が……

「……なんか寂しいわ」   

頭の中がひっちゃかめっちゃかとなり、冷や汗をかいてシャツの胸元をグシャっと握る俺に康二はか細い声で言った。

「え……?」

「目黒が女の子のところに行ったら、俺はなんか置いて行かれた気がして寂しいって」

目を伏せ、頬を膨らませ呟く康二にぐしゃぐしゃとした俺の心が少しだけ軽くなった気がした。     

「(俺は今……康二に必要とされているのだろうか?)」

今まで抱いてきた女たちに俺は何度も一緒にいてと引き止められても、それに対して後ろ髪を引かれるような思いは一切無く、行為が終わればまたねと相手に微笑みすぐさま帰るのだが、何故だか今は無性に康二を抱き締めてみたくなった。

「……目黒、黙ってないでなんか言ってや 」
 
康二の言葉がぐるぐると頭の中を巡回し、そればかりに気を取られ固まる俺に康二は不貞腐れ、その姿を可愛いと思ったと伝えたら康二は怒るだろうか?

「……えと、あのさ、襲わないって約束するから、康二のこと抱きしめてみてもいいかな?」

「え!?」

俺の言葉に顔をリンゴのように真っ赤にし、目を見開きかなり驚いた声を上げた見たことのない康二の表情がとてつもなくおかしくて……

「康二、顔がなんかタコみたい……ははっ!」

「誰がタコや!今ので抱きしめるのはなしな!というか……お前もそんな風に声を上げて笑うんやな」  
 
「……っ!」

赤くなった後、安心したように穏やかな表情を浮かべる優しげな康二の瞳にいつの間にか消えた体の熱と入れ替わりに、今度はドクンドクンと胸が痛む。


——なんだこれ……?   

「目黒?大丈夫か……?」

「……うん。康二のおかげでだいぶ良くなったよ」

「無理はすな。何かあったら必ず俺に言うんやで」

唯一の親友が亡くなってから、今までこんな風に気にかけてくれた人は俺には誰一人いなかった。

そもそもsex依存症の事をプライベートで人に話したのも康二が初めてだ。

康二はこんな俺を気持ち悪がらず、症状が緩和されるように親身になってくれている。  

——優しい人なのだ。

「じゃあ、康二はなにか欲しいものってある?」  

そんな康二を俺は大切にしたいし、俺も康二に何か出来る事はないのだろうか?

「欲しいもの?言ったら目黒がなにかくれるんか? 」

距離を保ちながら、頬に手を当て康二が首を傾げる。
その姿が小動物みたいで、すごく可愛くて、本当になんでもしてあげたくなってしまう。  

「俺が出来ることなら」

「じゃあ、ドラマの台本読むの手伝って欲しいねん」

「そんな事でいいの?」 

康二の意外なお願いに今度は俺が首を傾げる番だ。

「……俺って物覚えが悪いやろ?演技が上手い目黒に手伝ってもろたら俺の演技も良くなるかなーって」

確かに康二はダンスの振りや瞬時に何かを記憶する事が苦手で、覚えるまでに時間はかかるがその分誰よりも動作や行動が丁寧で、何においても一つ一つの完成度が高い。    

「俺も康二に協力してもらってるんだし、そんな事でよければいつでも大歓迎だよ。今からやる?」

康二に俺の演技を褒めて貰えたこと、そして何よりこんな俺が康二の力になれることが凄く嬉しかった。

「今日は遅いし、明日からでもええか?」

「うん、いいよ」

「じゃあ、よろしく頼むな!おやすみ、目黒」

「おやすみ、康二」

無邪気に微笑む康二に再び沸いた、性衝動ではない純粋に康二に触れてみたい気持ちに俺は胸がこそばゆくなり、今まで感じた事のないこのポワポワとした感情がなんなのかよく分からなかった。




「なぁ、いい加減気付けよ。俺がお前のこと昔から好きだって」

「っ!」

康二に壁に追い込まれ、両腕で逃げ道を塞がれ、俺は行き場を無くす。

まるで捕食者のように俺を見つめる康二から瞳を逸らす事は許されず、康二にも聞こえているのではないかというほど俺の心臓がバクバクと高鳴る。

「俺、初めて会った時から、ずっとお前のことしか見てない。だから、早く俺を好きだって言って?」

俺を真っ直ぐ見つめ、はっきりと気持ちを伝える康二の唇が近付き、ここは俺が目を閉じるところなのだが、

俺はそんな康二をジッと見つめて言葉を放つ。

「……惜しい。イントネーションがまだちょっと関西訛りが入ってるかな」

「あぁ〜っ!くそ、演技に集中すると今度は台詞が疎かになるっ」

康二が俺の目の前で悔しそうに項垂れ、中々見ることのない康二のつむじが俺の前に姿を現す。

「でも、だいぶ良くなってきたね」

勇気を出して俺が康二の頭を撫でて、演技に関して初めて褒めてやると、

「ほんま?目黒にそう言ってもらえると嬉しい」

康二が顔を上げてニコニコと微笑む。

「……キスシーンの練習は俺もちょっとドキドキするもん」

俺が胸を抑えて呟くと、康二は声を上げて笑ってくれた。

「目黒にはまだ負けるけどな……あっ、ドキドキしても俺のこと襲うなよ」

康二のドラマの演技練習に付き合うようになって一週間が経ち、俺の不安や性衝動も医者から処方された薬を飲むだけでは全く改善されなかったのに、康二と過ごす時間が増えてからはだいぶ良くなった。

これまで、体の関係を持った女優やアイドル、アナウンサーたちが俺の体に触れ、誘う度、その誘惑に勝てず夜を共にしていたが、今ではそれを余裕でかわすことが出来る。

というか……どうしてかわからないが、俺が康二以外の人間に体を触られるのが嫌になり、康二が俺の処方箋のような存在となっている。

「襲わなければ、こうやって康二に触ってもいい?」

無意識の返答だった。

キョトンとした康二の顔に自分は一体何を言っているんだと、恥ずかしくなった。

だが、

「ええよ、俺も目黒が嫌じゃなきゃ仕事でも、少しずつスキンシップ増やしていくわ。ファンを驚かせたろ」

トントンと肩を優しく叩かれ、俺と康二の心の距離がどんどん近付いていく。

康二と暮らすようになってから、毎日が本当に楽しくなった。



「よっしゃ、ここがベストポジションやな」

「康二、おはよう……なにしてるの?」

朝目が覚めれば康二が窓に向けて三脚を立てたビデオカメラをセットしている。

彼はいつも朝早く起きてはエプロンを纏い朝食の準備をし、珈琲を入れ、観葉植物の手入れをし、忙しなく動いていて、その姿はまるで子どもを学校に送り出す準備をする母親のようだ。

「目黒、おはよう。寝癖はいつもより酷いけど、朝の顔色はだいぶ良くなってきたな。安心したわ」

俺の健康チェックもいつのまにか康二の日課となっており、俺に特に異常がない事を確認すると、体がまたカメラの方に向いてしまう。

「………」

それが俺には面白くなくて、俺が頬を膨らませてその後ろ姿を見ていると、

「あっ、悪いな目黒。今日は花火大会やろ?ほんまはここで見たかったんやけど、俺ら二人で花火大会の中継のスペシャルゲストに選ばれたやんか。せやから、このビデオカメラに花火を収めておこうと思ってな 」

康二がそんな俺に気付き、慌てて喋る。

そういえば康二はここから見える夕日と花火を写真に撮り、写真のコンテストに出したいと引っ越す前に言っていた。

俺と康二は偶然、今日行われる花火大会のゲストとして現地で花火を中継することとなり、残念ながら康二はここで花火をカメラで撮る事は叶わず、正直もっと落ち込むかと思っていたが、意外とあっさりとしている。

「康二は大丈夫なんだね。あんなに花火を写真に撮りたいって言ってたのに」

俺は思い切って平気な理由を聞いてみることにした。

「写真は撮りたいけど、でも現地で花火を目黒と一緒に見られるなら、それはそれで嬉しいから別にええかなって」

「えっ……」

話している途中、ビデオカメラに視線を戻した為、康二の表情はわからなかったが、耳が赤くなっているところを見ると自分で言った言葉に照れているのだろうか……。

「さっ、目黒も早く準備し。今日は花火大会でどこもかしこも大渋滞やで」

「うん。花火楽しみだね 」

「……おぅ」

思ってもない康二の返答に俺の顔も赤く染まってしまったが、カメラから視線を戻さない康二がそれに気付くことはなかった。






「康二……浴衣似合うね」

「夏って感じがするわ」

衣装さんに着付けをしてもらい、しじら織の薄紺の涼しげな浴衣を纏った康二が色香を纏い、開いた胸元とうっすら透ける足元に俺は思わずアソコが勃ちそうになる。

凛々しさを引き立たせる明るめのグレーの帯を解き、現れたしなやかな体にキスの雨を降らせたい。

「………」

「……なに?」

食い入るように康二の浴衣姿を見つめる俺に気付いた康二が、俺をジッと見つめる。

俺が康二で邪なことを考えていた事がバレてしまったのだろうか。

「目黒はやっぱ柄の浴衣が似合うな」

俺の黒と白のストライプの浴衣を見て、粋やな、男前や!いかにも日本男児って感じがするわー!と衣装さんやヘアメイクの人たちよりもテンション高く声を上げ、ベタ褒めされ、なんだかこの状況に恥ずかしくなる。

「康二、ちょっと落ち着いて」

「よし、目黒。俺、今日カメラ持って来たから一緒に写真撮ろ」

そんな事はお構いなしに康二が朝から一生懸命カバンに詰めていた愛用の一眼レフを取り出し、俺の横に引っ付きカメラを向ける。

「……ちょっと、近いって」

「ええから、ええから、ほら目黒笑って! 」

ぎこちない笑みを浮かべる俺に康二は何度もシャッターを押して行き、そんな俺たちの姿を見ていた衣装さんは信じられない顔をする。

半年前までカメラが回っている時以外は一言も話さない不仲な俺たちを知っていて「あの二人いつの間にか仲良くなったのね〜」と驚いていた。

「(お互い毛嫌いしていた俺たちは今、実は一つ屋根の下で暮らすルームメイトなんです) 」

別に隠しているわけではないが、俺たちのルームシェアを知っているのはマネージャーくらいで、俺と康二が二人で暮らしている事、俺がsex依存症であることは俺と康二、二人だけが共有する秘密だ。

二人だけの秘密ってなんだか背徳感があるな。

「ほな、行きましょか 」

ある程度、カメラに浴衣姿を収め満足した康二が虫除けスプレーを自分と俺にかけ、俺たちはメイクルームを後にし、現地へ向かう。









「蓮君、久しぶり 」

「Mちゃん、久しぶりだね」

河原に設けられた特設の控室で気品のある笑顔で俺に微笑むのはドラマで共演したMちゃん。

聞かされていなかったが、どうやら彼女はシークレットゲストらしい。

だいぶ早めに現地入りした俺たち。
康二はトイレに行っており、今この部屋には俺とMちゃんの二人きり。

「蓮君、浴衣すごく似合ってる」

「ありがとう。Mちゃんも紅矢羽根の浴衣姿、綺麗だよ」

俺の感想に上目遣いでうっすら頬を染めるMちゃん。

この子は他の女たちと違って、俺に色目を使ったことはなく、俺もまたこの子をベッドに誘ったことはない。

「ねぇ。最近、女の子と遊んでないって聞いたけど、どうして?」

なぜなら、こんな事を平気で聞いてくるこの子が何を考えているのか正直全くわからず、初めて会った時からなんとなく本能が避けたからだ。

「……俺も疲れてるのかな?なんか勃ちが悪くなっちゃってさ」

ジッと心の中を見透かすように見つめられ、頭を掻いて適当にはぐらかせば、Mちゃんはクスクス笑い、俺の腕に触れ、耳元に唇を寄せる。

「そうなんだ、あたしね……今日蓮君にお願いがあるんだ」

「……なに?」

夜の誘いなら乗らないぞと俺が息を呑むと、そこに

「花火大会が始まったらいつトイレ行けるかわからんからな〜っ!……って、うわぁあっ!!えっ、Mちゃん?!」

間抜けな事を言いながら、ドッキリ張りの間抜けな叫び声を上げて控え室に入ってくる向井康二の姿。

「こんにちは康二さん。お久しぶり」

「ひ、久しぶりMちゃん」

俺に触れていた手をスッと離し、どんな男も見惚れてしまう優雅な微笑みで康二に声をかけるMちゃん。

そんなMちゃんに康二はドキドキしているのか、挙動不審だ。

そういえば康二は番組で共演してから、密かにMちゃんのファンだと言っていたような……。

「(なんか、面白くない……)」

康二の意識が俺以外に向いている事に俺はイライラし、俺は軽く貧乏ゆすりをして、胸の中で渦巻く不安や苛立ちをなんとか抑えようとした。

「康二さんは知ってる?次のドラマでもしかしたら私たち共演するかもしれないって。だから、もし良ければ康二さんの連絡先を教えて欲しいなって……」

「もちろん!ええよ」

Mちゃんは眉根を寄せる俺を横目に康二と連絡先を交換し、ベタベタと康二に触れる。

「(お願いって、康二との仲を取り持てってことか)」

Mちゃんが康二のようなタイプが好きだったのは意外だった。

この時、仲睦まじく話す二人に俺は訳も分からずその事実に焦り、恐らく狙った獲物は逃がさない女豹のようなMちゃんに康二を取られたくないと、俺はMちゃんのことを強く睨んだ。

続く

いやいや、なにも意識せずMちゃんにしたけど、Mちゃんはアカンやろ笑
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