+凍 解 氷 結+



『いいか、蓮!いつか、あのマンションのてっぺんに住んで俺たちを蔑ろにする親を見返してやろうな!』

『うん!!』

幼き日の遠い約束。
今、彼と夢見た城の頂上へと上り詰めたはずなのに、俺の心は満たされるどころか、いつまで経っても不安の渦から抜け出せずにいる。

必死で足掻いて登ってはそんな俺を嘲笑うかのように、現実は俺を容赦なく叩き落とす。

ドロドロとした真っ暗な世界にただ一人堕ちていく感覚が恐ろしくてたまらない。

早く頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなるあの感覚が欲しい。

——sexがしたい。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

血液が体の中心へと集う感覚に、俺は目が覚めた。

俺の心が孤独や恐怖、迷いを感じれば、まるでスイッチが入ったかのように俺の脳内が、スパークする程の強烈な刺激と人肌を求め始める。

駄目だとわかっていても俺一人でその衝動を抑えることは不可能で、俺はこのルックスにより、寄ってくる何人もの女たちを来るもの拒まず、数え切れないくらい抱いた。

『この遊びを誰かに公言したり、あと俺を好きになったり、付き合ってって言ったらもう会わないよ』

大体の女は俺にまた抱かれる為に秘密を守り、いい関係性を保てていたのだが、例外が一人。

『蓮を私だけのものにしたいのっ!他の女と一緒なんてもう嫌っ』

俺の肌に爪を立てる猛者がいた。
この瞬間、ただただ冷めていく自分がいて、きっと彼ならこんな面倒な事は言わないだろうとその時、ふと頭に過った。

『俺は誰かに縛られるのはごめんだ。ヤるだけじゃ、満足出来ないならもう終わりにしよう。今までありがとね』

『最低!!』

涙をボロボロと溢し、グーで思い切り殴られた。 そこは普通平手打ちだろう。 

自業自得だが、殴られた頬が痛い。
殴られた拍子に相手の爪が擦れて、切れただけじゃなく、口内まで自分の歯が当たり切れてしまっている。

相手も今、人気絶頂のアイドルグループのセンター。
恋愛禁止でお互い性欲だけを満たす都合のいい関係であったはずが、体を重ねていくうちにどうやら俺に本気になってしまったらしい。

この事を公にする事はないだろうが、女という生き物はなんて面倒くさいんだ。

俺のことなんて何一つ知らないくせに。
好きだなんてよく言える。



「(そういえばなんであの瞬間、康二のことを考えたんだろ……)」

あの時だけじゃない。

sexの最中、女たちの顔が途中から康二に変換され、まるで康二を抱いているかのような錯覚に陥ることが康二とルームシェアを初めてからこの半年で何度もあった。

『蓮っ、気持ちいいっ……!もっと奥まで欲しいッ!!』

『っ…!俺も、だよ……』

康二が俺の首に腕を巻き付け、快感に善がる姿に俺は興奮し、自身がさらに大きくなるのを感じ、康二の最奥に俺の欲望を打ち付けてやると康二が高い声を上げ悦び絶頂を迎える。

『うッ、んっ!!……アアッ!!駄目っ、イっちゃ……!!』

俺が与える強い刺激でより一層引き締まる秘部にドクドクと脈打つ自分のモノを感じ、俺の前で気持ちよさに震える康二をキツく抱き締めた。

『蓮、今日も良かったよ』

しかし、俺の胸に当たる柔らかい乳房の感覚に、俺の意識が現実的へと戻る。

『(康二じゃ……ない) 』

相手が康二ではないことは最初からわかっていたのに、こんな妄想をするほど俺の症状は悪化しているのだろうか。

目を閉じれば俺を心配する康二の姿と声が頭の中で再生される。
 

ご飯はちゃんと食べなあかん。

顔色悪いで?ちゃんと寝れてるんか?

挨拶するんは人として当たり前のルールやろ?

——いってらっしゃい。

同じグループになってから、俺を毛嫌いする彼が俺も苦手だった。

ともに過ごすのは仕事の時間のみ。

そんな康二と俺がまさかルームシェアを始めなんて。



『あんたなんて、いらない』

……ガキの頃、俺は放置子だった。

親は出来の良い弟ばかりを可愛がり、俺はまるでこの世界に存在しないかのように扱われていた。

もちろん家に居場所は無く、当時はこのマンションの近くの古い公園が俺の居場所だった。

『お前いつも一人でここにいるな。お前も家にいる場所がないのか?』

歩道からは死角となる遊具のトンネルの中で体育座りをし、ボーッとする俺に声をかけた同い年くらいの少年。

彼は一人ぼっちの俺に出来た同じ境遇のなんでも話せる、人生で唯一の親友と呼べる存在だった。

学校が終われば、二人でいつもこのマンションを見上げて日が暮れるまで遊んだ。

ここで暮らすのが彼の憧れであり、そして夢だった。

子どもの頃に突然の事故で無くなった彼がその夢を叶える事は無かったけれど……。

大切な友を失った俺はまた、独りぼっち。


『俺、都内に家を建てててさ〜、あのマンションから引っ越そうと思ってて〜』

同じ番組で共演する芸能界の大御所であるこの酒にベロベロに酔った先輩は、彼が暮らしたがっていたあのマンションの最上階に住んでいる。

森林公園があり、利便性も良く、夏には花火が見え、先輩の家にお邪魔した時に見た高級感のあるエントランスや内装のデザインに俺も心が惹かれ、彼の叶えられなかった夢を俺が叶えてやりたいと思った。

そして、先輩から指定されたオーナーと顔合わせの当日。

「……なんでここに目黒がおるん?」

「康二こそ。ここに知り合いがいるの?」

高い天井に高級な敷石が敷かれた光沢を放つ床。
敷居の高いエントランスロビーになんの違和感もないシックな装いのあまりに見慣れた姿に俺は眉根を寄せる。

俺が苦手意識を持つ、同じグループの先輩である向井康二。 

関西出身の彼はお笑いが大好きで、仕事のキャラでは明るく陽気なイジられキャラだが、本来の彼は生真面目で努力家。 

確か潔癖な一面もあったと思う。
性に奔放な俺とは対照的な男。

「俺はFさんがもうすぐこのマンションから引っ越して、部屋が開くっちゅうからオーナーを紹介してもらったんや」

そういえば、Fさんは康二とも違うレギュラー番組で共演しており、康二のことをあいつは本当可愛いよな〜と褒め称えていたな。

「俺もFさんにオーナーを紹介してもらえるって、今日のこの時間にここに来る様に言われたんだけど」

「は!?」

俺の言葉に康二の表情がわかりやすいくらい歪む。






「で、どうすんの?」

「俺は諦めきれへんし、目黒が諦めてや」

一悶着あり、とりあえずオーナーの好意でどちらがあのマンションに住むかは一時保留とさせてもらえた。


車内で話そうと康二の車に乗せて貰い、話し合う。
俺とは絶対喫茶店には行かないぞ、という嫌悪の雰囲気がダダ漏れだ。

頑固そうな性格だもんな。
彼は意地でも引かないだろう。

俺も頑固な性格だが、ここは少し大人になることにする。

「俺もどうしてもあそこがいい。もうさ、話しても拉致が開かないし、二人でルームシェアすればいいじゃん 」

といいつつも、妥協してでも”諦める気はないぞ”という俺の意志の固さを康二に見せつける。

「………」

彼は潔癖だし、何より俺のことが嫌いだ。
この提案には乗らないだろうなと思った。

暫しの間黙り込む康二。

「……わかった、目黒と一緒に住む」

「(えっ、)」

こうして俺の予想は見事に外れ、康二とのルームシェアが決定した。


「どうしよう……」

家に帰り、愛用している折りたたみの鏡の前で不安気な自分と向かい合う。

真っ先に悩んだのが俺がsex依存症であることをどう隠すか、だ。

メンバーは毎日女を取っ替え引っ替えしている俺をただの女たらしだと思っているが、俺が女と寝るのは鉛のように重い心の蟠りをsexで解消する為。  

一つ屋根の下で暮らすとなれば康二に過呼吸や性衝動を隠す事は不可能だ。

俺が俯き、頭を悩ませていると、鏡に映る俺が語りかける。

「落ち着けよ、蓮。簡単に考えようぜ。誰かと一緒に暮らすということは一人じゃないってことだ 」

「……一人じゃない?」

俺が顔を上げ、鏡の中の自分と目を合わせれば、鏡の中の俺は頷く。

「この家に帰ってきたお前はいつも孤独で寂しそうだ。でも、これからはおかえりって言って出迎えてくれる人物が出来るんだ」

「俺、おかえりなんて言われたことない 」

親は俺におかえりというどころか、まともに名前すら呼んでくれなかった。

普通の人なら当たり前のことも俺には当たり前じゃなかった。

「想像してみ?帰ってきたら家は明るくて、そこに誰かがいる。寂しくないんだ 」

鏡の中の俺が微笑み、俺は目を閉じ、その景色を思い浮かべてみる。

『おかえり、目黒』

あまり見たことのない康二が笑顔で俺を迎える姿が脳内でなんとなく想像出来た。

「どうだった?悪くないだろ?」

「俺、康二と暮らしてみようと思う」

俺の決断に鏡の中の俺が嬉しそうに笑う。


これが彼が俺と鏡越しにした最後の会話となり、マンションの最上階へと引っ越してからは何度鏡に話しかけても彼が返事をする事はなく、長年見たかった景色を手にし、夢が叶い満足して消えてしまったのだろうかと俺は孤独を感じた。



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