夜 桜


「……めめ、シャワーを借りてもええか?」

思い返すと辛くなるから、なるべく彼のことは考えないようにしていたのだが……

これまでの十年で彼から向けられた言葉や行動はまるで己の存在を忘れることを許さないというようにこの一年間、俺を縛り付けていたのだ。


ふと、チュンチュンとすずめの鳴く声が聞こえ、いつの間にか朝を迎えたのだと気付く。

「う、ん……いいよ。タオルも使って……」

目の上のタオルを取り、横を見るとクイーンベッドの広いスペースで互いの体温を感じる程、俺のすぐ近くでめめが寝ている。

小さな声でめめに問うとめめは眠い目を擦りながら、返事をしてくれた。

もしかしたら、倒れた俺を心配して眠れなかったんやないやろか。

「ありがとうな、めめ」

「……ゆっくりしておいで」

申し訳ない気持ちになりながらも、めめの頭をそっと撫でれば、めめが気持ち良さそうに微笑む。

そんなめめを久しぶりに可愛いと思った。


「…………まだ腫れてんな」

シャワーを浴び、着替えて鏡を見ながら髪を乾かすと、俺の顔は目が腫れむくみ、酷い様だった。

しかし、それに反して毎日どんよりと重かった心がめめのおかげで死にたくなる程、苦しくはない気がする。

「…………」

寝室のドアをそっと開けるとめめはまだ眠っていた。

朝食でも作って待っていようかと考えたが、いくら同じグループのメンバーとはいえ、人の家のキッチンを勝手に使うのはいかがなものかと思い、何をしようか考える。

「おはよう」

そんな俺の気配に気付いたのか、めめの目がパチッと開く。

「ごめん、起こしてもうた?」

「いつもこの時間には起きてるから、気にしないで」

ベッドから起き上がり、めめは前髪を掻き上げる。
整った顔とぴょんぴょんと跳ねる寝癖のギャップがなんだかおかしくて俺はクスクスと笑ってまう。

「…………」

「なに?俺の顔になんかついとる?」

そんな俺をめめは驚いた顔で凝視し、俺は首を傾げる。

「いや、康二が笑ってくれると俺も嬉しくてさ」

そう言って俯く顔には照れが混じり、めめがいかに俺を気にかけていてくれたのか分かる。

彼と別れてからの一年。
これ以上傷付きたくなくて、人と深く関わることを避けていた俺やけど、めめの優しさに触れたことで張り詰めていた心の糸が緩んでいき、俺は本当は誰かにこの辛い気持ちを打ち明けたかったのだと気付く。

俺を抱きしめ、なにも聞かないと言ってくれためめ。

でも、めめになら彼のことを話せるやろか……?

「あのな、めめが良ければ今日の夜、桜を見に行きたいんやけど」

歯切れ悪く話す俺をめめはまた驚いた顔をして見つめた後、くしゃっとしたとびきりの笑顔で微笑んだ。

「実は俺も康二と久しぶりに夜桜を見たいと思ってた 」



「めめ、ご飯出来たで」

めめに許可をもらい俺はめめの家の冷蔵庫にある食材で朝ごはんを作った。

昔、めめの家に来た時は冷蔵庫の中にミネラルウォーターしか入っておらず心配をしたが、三十代となった今は冷凍庫にラップに包まれた肉や魚、野菜室には種類豊富な野菜の数々。どうやらめめもラウと一緒にちゃんと自炊をしてるようや。

「うわっ、美味そう!いただきます」

シャワーを浴びて髪を乾かしためめがテーブルに並んだご飯に身を乗り出し、早々と椅子に座る。

俺が作ったのは焼き鮭にほうれん草の煮浸し、蒸し鶏にブロッコリー、にんじんのゆで野菜、揚げ出し豆腐、出汁巻き卵に豚汁。

「そういえばラウは?」

めめと同棲状態のラウールの存在を思い出し、昨日の夜はどこで過ごしたのかとふと気になる。

「今頃、俺の愛犬とラウールの家でラブラブしてるよ」

何事もないように白米を口にかきこみめめが言う。

「もしかして、俺のせいでめめの家に帰って来られなかったんやないの?」

ラウにまで迷惑をかけたのではないかと俺が不安になっていると、めめは大丈夫、大丈夫と今度は温かいお茶を胃袋に流し込んだ。

「あいつが俺の家に入り浸ってるのって、俺が好きだからじゃなくて、俺の恋人に会いに来てるからだよ」

「そうやったんか」

俺の恋人とはめめの愛犬のことだ。 
今ではすっかりラウの方に懐き、どっちが飼い主かわかんねー。だから、気にしないでというめめに俺は笑った。

「あー、美味かった。ありがと、康二」

「どういたしまして」

思わず作りすぎてしまったかと思ったが、めめは俺の作った朝食を喜んで平らげ、その姿に俺も久しぶりに箸が進み、砂を噛んでいるようで苦痛だった食事の時間がめめが目の前にいることで久しぶりに楽しいものへと変わった。

俺は誰かの為に心を込めて料理を作ること、
誰かと食卓を交わす喜び、温かさを思い出す。

「夜まで時間あるし、思いきってドライブしない?」

俺が洗うから康二はコーヒーを淹れてと、めめが俺の分の食器も下げてくれた。
食器を洗うめめの横で俺がコーヒーを淹れていると、めめがドライブの提案をしてくれる。

「めめ、あんまり寝てないやろ?こんな早くから出掛けて大丈夫なん?」

「俺?結構寝てるから大丈夫。だから、外に行こう?」

「めめが大丈夫なら、行こか」

「じゃあ、康二が淹れてくれたコーヒーは車で飲もう」

頷く俺に食器を洗い終えためめが満面の笑みでタンブラーを手渡す。


「これ、歯ブラシ。洋服はクローゼットから好きなの着て」

俺はめめから新品の歯ブラシを貰い、歯を磨いてめめの寝室にあるクローゼットへ行き、広いウォークインクローゼットでなにを着ようか迷う。

「あっ、これ俺とお揃いやん 」

意外にも、俺が昔から持っている服が何着かあることに気付く。

俺はめめと服の趣味が似てるんやろか。

「しっくりくるな 」

なんとなく自分も持っている服を着用してみた。
やはり、着慣れているデザインの洋服は変な安心感がある。

「……?」

ウォークインクローゼットのライトを消し、寝室に出ると、大きなクイーンサイズのベッドの枕元の棚の隅に置かれた写真立てが視界に入った。

「うわ、懐かしいな。いつの写真や」

その写真はめめこじとして、コンビ大賞を受賞した時に俺のカメラで撮影したもので、そこにはめめと俺が身を寄せ合って仲睦まじく写っており、俺は少し褪せてしまった写真を眺めて懐かしさに浸る。

夜は気付かなかったが、めめはなんでこの写真を枕元に飾ってるんやろ? あとで聞いてみよ。


「めめお待たせ」

「……お揃いの服着たんだ」

風呂上がりに来ていたラフな格好にめめは玄関でデニムのジャケットを羽織り、靴紐を結んでいる。

俺の声に顔だけ振り返っためめが俺の格好を見て気まずそうな顔をした。

「ん?俺が持ってるの知ってて買ったん?」

「康二っておしゃれさんだから、良いなって思って買った服が何着かあるんだ」

「おおきに。めめに褒めてもらえて嬉しいわ」

長年雑誌のモデルを務めるめめに参考にしてもらえるのは光栄なことだ。 

はにかむ俺にめめはポリポリと頬をかいた。




「それじゃあ、よろしく頼むわ」

「任せて」

エンジンをかけ、シートベルトをしハンドルを握るめめの横顔は同性の俺から見てもすごくカッコいい。
こんなにイケメンで性格も良いのに、三十半ばになっても浮いた話が一つもないのがほんまに不思議や。

「どこに向かうか決めてるん?」

陽気なラジオを聞きながら、東京都内を走り、めめは首都高速の入り口へと入っていく。

「やっぱ、ドライブといえば海でしょ。康二は最近どこか行った?」

「番組のロケでどこか行くくらいで、休みの日は基本家でゆっくりしてることが多いな」

彼と別れる一年前まではオフの日には必ずと言っていいほど外出していたが、この一年は仕事の日以外は家で塞ぎ込んでいる時間の方が長かった。

だから、今日は久々のプライベートの外出で、さらに誰かの運転で助手席に乗ることも普段あまりないから、なんだか新鮮な気分や。

「……来週は卒業ライブでもっと忙しくなるから、今日はいっぱい楽しもう」

「…………せやな」

小さな声でめめから放たれた卒業ライブという言葉に俺の身が硬直した。

四月一日。
同じグループのメンバーである渡辺翔太がSnow Manを脱退する。 

世間ではしょっぴーの脱退の発表で四十を前にして結婚するのではないかと騒がれているが、まさにその通りや。

来週行われるライブが終わり、しょっぴーの婚約者の誕生日である四月一日を迎えればしょっぴーは晴れて入籍をする。

メンバーも歳を重ねるに連れ、いずれその時が来る事を誰もが予想をしていた。

だけど、薄紅の桜の花びらが舞う一年前、その話を別れと共に聞かされた俺の世界はなにもかも跡形もなく崩壊する。

十年来の想いは桜とともに儚く散り、どうか嘘であって欲しいとただ、ただ願った。

ラジオのリクエストで流れる切ない春の失恋ソングに目を閉じる。

「(今日でこの想いを断ち切ろう) 」

せっかくめめが俺を元気づけようとしてくれ、俺の凍てついた心もそれにより、少しずつ溶け初めて来ている。これは元恋人であるしょっぴーを忘れる良い機会なのやと、俺は自分に言い聞かせた。

「…………」

この時、目を伏せて人生の三分の一の時間。
死ぬほど愛した人を忘れる決心をする俺のすぐ隣で、めめが苦虫を噛み潰したような顔をしていることに俺は気付かなかった。


続く
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