夜 桜
「しょっぴー!しょっぴー……なんでっ! !」
「……康二、落ち着いて。大丈夫だから」
薬の効果が切れ、目覚めた康二。
ベッドの横に座る翔太君に気付いてはすぐさま翔太君の首に腕を巻き付け、錯乱し、大粒の涙を溢して声を上げた。
そんな康二を翔太君は強く抱きしめ返し、まるで愛しい者を守るように慈悲深く、康二の背を優しく撫でて宥めていく。
その左手の薬指にはシルバーの結婚指輪。
「………」
俺は目の前の俄かに信じ難い光景に拳を強く握り、切れてしまうのではないかという程、下唇を噛み締める。
自分で翔太君を呼んでおきながら、ギリギリのところで感情が大きく爆発するのを抑えた。
——落ち着けよ。
俺が一番に願うのは康二の幸せだ。
康二を幸せに出来るのは、翔太君しかいないんだ。
「めめ……」
ドス黒く醜い嫉妬心を抱えた俺、そして翔太君と抱擁を交わす康二をラウールが俺の隣で狼狽しながら交互に見やる。
頭に包帯を巻かれ、傷だらけでパニック状態の康二。
広い病院の個室でその場にいるメンバー全員に動揺が走った。
「(これは俺への罰か……)」
——奪えば、いつか奪われる。
「ねぇ、これはどういうこと……?」
信じられない状況に舘さんが眉毛を寄せ、静かに問い、メンバーに背を向けたままの翔太君がゆっくりと説明していく。
「実は俺、グループの脱退を決めるまで康二と付き合ってたんだ」
「な……!?!」
「……っぅ、」
衝撃的な事実に驚きに声を上げるメンバー。
この状況に震える康二を抱きしめ直し、背中をさする姿を俺は見ていられず、俯くことでその現実から逃れる。
「隠しててごめん。俺さ、デビューして間もない頃から康二のことが好きで、俺から告白して十年付き合って……だけど、みんなも知っての通り、俺に好きな相手が出来て康二のことを捨てたんだ」
淡々と話す翔太君。
ここに来る条件は一つ。
『メンバーを呼んでくれ。 俺が康二と付き合っていたことをみんなに打ち明ける』
……真実を伝えて、この後、翔太君は康二とよりを戻すのだろうか。
「だから、康二は去年ずっと落ち込んでいたのか……」
「なんでそんな大事なことを言ってくれなかったんだよ……」
「うっ、やめて……翔太!そんなこと聞きたくないっ!!!」
ふっかさんが沈痛な面持ちで康二を見て、佐久間君が下唇を噛みながら悔しそうに拳を強く握った。
苦楽を共にしてきたメンバーの苦しむ姿を何度も目にするのは誰だって辛いだろう。
そして、現実を受け入れられない康二が身を捩り、耳を塞ぎながら翔太君から必死で逃れようとする。
……それはそうだ。
今の康二の記憶は翔太君と日々甘美な時間をともにしている頃のままなのだから。
そんな恋人との突然の別れ、結婚、脱退に気が狂うのは当然のことだ。
「……っ、」
泣き叫ぶ康二に俺は涙が溢れ、何度も何度も心の中で謝罪をする。
「康二、本当にすまない。
康二のことは心から愛してた。
でも、それ以上に愛しいと思える人に会ってしまった。
運命を感じたんだ。
俺の全てをかけて、なにがあっても守りたいと思える大切な人に。
だから、俺は嫁と別れることも康二と寄りを戻すこともない。
そして勝手な頼みだが、康二のことを今度はお前たちメンバーで支えてやって欲しい』
「(え……?)」
——康二、俺のことは早く忘れて幸せになるんだ。
お前なら絶対に大丈夫。
「やだ!やだ!やめて、嘘やろ?!翔太っ!!」
翔太君の死刑宣告に康二の心が崩壊してゆく。
それこそガッシャーン!
バリーンッ!と音が聴こえるくらい大きく。
「嘘じゃない……康二。現実を受け入れるんだ」
「ううっ、うぁっ……!なんでっ?
なぁ、翔太?俺に悪いところがあったなら直すから!!だからっ……」
「…………」
翔太君に必死で懇願する康二。
しかし、翔太君の眼に康二の姿は写っていない。
「しょーた……うっ、うっ、アァア、ッ——!!」
康二の望んだ永遠は跡形もなく消え、俺は静かに佇む翔太君の背中を見つめた。
「(翔太君は康二を助けに来たんじゃないのか……?)」
そこにいるメンバー全員とマネージャーは重苦しい空気の中、ただ、ただ時が過ぎるのを待つ事しか出来なかった。
「それで康二となにがあった?」
康二が泣きつかれ眠りについた途端、メンバーから康二と付き合っていたことや別れたことに対しての総責めを食らった翔太君。
その後、その場はマネージャーがなんとか収め解散となり、今度は場所を俺の病室に変えて本題に入る。
「……俺は二年前の春に翔太君の嫁と出会って、その時に翔太君と康二は必ず別れるから、別れた後、俺が康二と付き合えばいいと話を持ちかけられたんだ」
俺は後ろめたさから翔太君と目を合わすことが出来ず、窓の外をうっすらと照らす月明かりを眺める。
——今思えばなにがあろうとあの女の甘い誘惑に乗っかってはいけなかったのだ。
二人の別れを望み、傷付いた康二の心に付け入ったズルい自分。
「そうだと思ってた」
てっきり翔太君には恨まれていると思っていたが、頷く翔太君の言葉は柔らかく、とても穏やかだった。
俺は翔太君のその優しさにもう少し、言葉を紡ぐことが出来た。
「それで、俺と翔太君の嫁が接触していたことを康二がどこかで知って、康二は俺と翔太君の嫁が二人を別れさせたと思ってて……」
翔太君に説明をする中で、五日前の出来事がフラッシュバックし、頭がズキズキと痛みを訴え俺は言葉に詰まる。
「目黒はなにも知らなかったんだろ?」
全て分かっているというように翔太君は俺に問いかけて行く。
「うん……。俺は康二と階段から落ちる前に翔太君の嫁と康二に確執があることを初めて知ったんだけど、康二は俺に裏切られたと取り乱して、それで二人で階段から落ちて、気付いた時には康二は俺を庇ってあんな状態に……」
『裏切り者……お前も自分の欲しい物の為なら平気で人の心を踏み躙る奴やったとはな』
『……お前の顔なんて二度と見たくない』
『うるさいっ、うるさい!!お前も俺の心を踏み躙る、死んだあの女と一緒や!!
———信じてたのにっ!!!!』
康二の悲痛な叫びが脳内で何度も再生されては、深い悲しみが体の奥底から込み上げてくる。
「……うっ、」
「……もしかして康二が記憶を無くしたのは頭を打ったからではなく、信じていた目黒に裏切られたショックからじゃないのか?」
「…………」
もし翔太君の言う通りだとしたら、俺は本当に最低だ。
取り返しのつかないことをしてしまった。
入院着をギュッと握り、俯き涙を流す俺に翔太君は俺の先にある月を見つめて話す。
「なぁ、康二は小さい頃にタイで熱烈なスカウトを受けて日本に来たのは知ってるよな」
「うん。おばあちゃんが大阪にいて上京したんだよね」
康二の幼い頃の写真を番組で見たことがあるが、男の俺から見ても目に入れても痛くないほど、幼少期の康二はとても愛らしく、濁りの無い透明な瞳と明るい笑顔に俺は番組の撮影中にも関わらず写真に釘付けとなった。
「あぁ。だけど、スカウトの時点で康二はとある女に囲われることが決まっていたんだ。
——それが誰だかわかるか?」
「……誰?」
眉根を寄せ、翔太君に視線を合わせる俺を翔太君は真っ直ぐな目で視覚に捉える。
「二十年ほど前に自殺した大女優K子。
俺の妻の叔母だ」
「え……」
翔太君から放たれた名前はテレビを見ない人でさえ、その存在を知っていると言っても過言ではないこの国で有名な人物。
——そして、あの女の叔母だという。
驚くのはそれだけではない。
続く翔太君の言葉に俺は絶句した。
「俺も嫁から聞いてこの話を知ったんだが、子どもだった康二はずっとK子の玩具だったんだ」
「嘘……だ」
俺は震える手を口元に当て、なんとか呼吸の仕方を思い出す。
康二はどれだけの不幸をその身に背負っているのだろうか……。
「それだけでなく、女が死んだ時に康二直々に宛てた遺書があって……
そこには
“ごめんなさい、康ちゃん。この身をもってあなたに償います”
そして、
“私はいつもあなたの側に”と書いてあった」
話し終えた翔太君は天井を仰ぎ、大きく息を吐いてギュッと目をつぶった。
俺はそんな翔太君を横目に
グループ結成前後の康二の寂しそうな表情、何度も震える手、常になにかに怯え周囲を気にしている姿を思い出す。
それは全て関西から東京へ出て、環境の違いやプレッシャーから来ているのものだと思っていた。
しかし、違った。
康二には常に亡霊が付き纏い、その身と心を苦しめていたのだ。
「…………ねぇ、康二は完全な被害者だよね。どうして康二と別れてまで翔太君はあの女と結婚したの」
康二にはなにも後ろめたいことなどないはずなのに、
『翔太は俺を守る為にあの女と結婚した』
なぜ?
「こんなヤバい遺書を書く女の姪だぞ。あの女の俺への執着、そして、盲信していた叔母を奪った康二への恨みは底知れない。憎しみを抱いている康二が俺と付き合っていることを知った途端、結婚しなければ遺書を世間に公開すると言い出しやがった。これが世間に出回れば、死んだK子だけじゃなく、クリニックの評判にも大きな傷が付くが、奴はそれ以上に康二につくマイナスのイメージを狙ったんだ」
結成から十二年。
これまで苦楽をともにしたメンバー。
他のグループが解散していく中、色々な出来事があったが切磋琢磨しあいながらここまでやってこれた。
だからこそ、俺たちには根強いファンがたくさんつき、それこそ翔太君の結婚は本人やグループが思っていた以上に世間から祝福され、驚いた。
「……翔太君は本当にそれで良かったの?」
結婚といえば表向きおめでたいことだが、翔太君は康二を守る為に人生の進路を大きく逸脱し、逃げることの許されない監獄へと自ら足を踏み込んだ。
「康二は俺の人生で心から愛し、なにがあっても守ると決めた男だ。 康二の心の温かさ、美しさに俺も魅入られた一人なんだよ。
一度見たら忘れられない満開の桜のように。
俺はさ、もう二度と康二に傷付いて欲しくない。康二にはいつも笑顔でいて欲しいんだ」
目黒も同じ立場だったら、きっと同じ選択をするだろ?
「…………」
晴れやかな笑顔を俺に見せ、そう問う翔太君に俺は完膚なきまでに叩きのめされた。
……康二への愛の深さは翔太君に勝てないかもしれない。
俺は果たしてその立場になったとて、康二を自ら手放す選択が出来るだろうか?
答えはNOだ。
例え最悪の結果を選んでも、康二を絶対に離すことはない。
眉根を寄せ顔を顰める俺の肩に手を乗せ、翔太君はさらに語る。
「家族も気の置けない友人も近くにいない康二はずっと孤独で、守ってくれる奴が必要だった。
でも、そんな康二がもう一人じゃないと俺に告げた時、人生で強く守りたいと思う存在が出来たと言っていた。
目黒、お前だよ」
「 つ!!」
翔太君の言葉に胸の鼓動が大きく波打ちだし、二人で行った雲ひとつない青空の下、キラキラと輝く海で康二が俺に言った言葉思い出す。
続く