夜 桜
康二side
「元Snow Man、渡辺翔太。グループ脱退後、長年通う美容外科クリニックの社長令嬢と入籍!……って、カメラマンの腕悪いなぁ」
俺は週刊誌に印刷されたデカデカとした文字を声に出して読み、表紙を大きく飾る写真写りの悪いしょっぴーを見ては俺ならもっと上手く撮れるんやけどなぁ、なんて思いながら特集に目を通す。
三月まではニュースや新聞、雑誌は今や日本を代表する国民的アイドルグループSnow Manの渡辺翔太の脱退でどこも持ちきりだったが、それが四月に入った途端、今度は結婚の記事やニュースがTVや街中のモニター、スマホに絶え間なく流れ、そろそろこのネタも見飽きてきた頃だ。
「(しょっぴーの入籍は脱退するまで極秘で、メンバーすら相手は知らんかった。四月に入ってからそれを公にしたということは……)」
記事には今後、しょっぴーが美容機器の開発や広告などに携わると書いてある。
恐らくしょっぴーはこのクリニックの婿となったんやろな。
そしてグループ脱退後、社長令嬢との結婚を世間に公表するように指示をしたのはもちろん相手側……
このクリニックは十数年前にしょっぴーが通い始めたことをきっかけに他のグループのメンバーも通うようになり、いつしかうちの事務所御用達の美容クリニックとなった。
……なんの悪縁か。
このクリニックの存在を俺はガキの頃から知っている。
俺が目を細め細かい文章の羅列を注視していると、
「あら、向井さんもこんな所に来るのね 」
驚いた顔に偶然を装う声がわざとらしい、俺の前に佇む女は俺が今この世で最も会いたくない人物。
そう、しょっぴーの妻となった女。
この女とは俺がまだ青いガキの頃、一度だけ会ったことがあるが、その当時もこの女のまるで蛇のような相手を舐め付ける目も話し方も何もかもが受け付けなかった。
「その言葉そっくりそのままお返ししますわ。俺に会いに来たんやろ。どーぞ、お掛けになって」
都内でも隠れた名店である、老夫婦が経営する昔レトロなカフェの一角。
L字型の店内の入り口から死角となる一番奥のこの席は、老夫婦がいつも気を利かせて案内してくれる俺の特等席で、もちろんこんなところでたまたま会うわけがない。
結婚報道を見た俺がしょっぴーと接触しないようにわざわざ俺に見張をつけていたのだろう。ご苦労なこった。
「少しだけ、お邪魔するわ」
俺の悪態に目の前の女は勝ち気に微笑む。
「ここはブレンドがオススメですが、なにか飲みますか? 」
「私、珈琲嫌いなの。すいません、アイスティーを一つ」
向かいの席に優雅に座った女にメニューを差し出すと、メニューに目もくれず端へと寄せ、マスターへオーダーをする。
「珈琲が苦手なんてもったいない。知ってます?翔太は毎朝豆から挽いた珈琲を飲むのが好きなんですよ」
ともに過ごせた朝は心を込めてしょっぴーに珈琲を振る舞い、美味いと喜ぶしょっぴーから贈られるお礼のキスはほろ苦い大人のキス。
だけど、そのキスにはほんのりとした甘さも含まれていて、それはいつも俺の心を並々と満たしてくれた。
そんな儚い記憶が甦り、胸がつきりと痛む。
「…………」
俺は沸々と湧き上がる感情をやり過ごすように目を伏せ、まだ湯気の立つ熱い珈琲を口に含み、こちらを睨む女に薄く微笑んでやる。
「アンタが翔太の結婚相手やったとはな。これは俺への復讐か?」
「ハッ、なんのことかしら?。私はただ翔太さんが好きなだけ。翔太さんが私を選んだの」
「そう」
顔を真っ赤にして怒るところを見ると俺の予想は大方当たっていたようだ。
——そうか、翔太。
ほんまにごめん。
俺との別れはそういうことやったんやな。
『…………俺がお前のことを忘れられるわけないだろ』
目を閉じ、脳裏に浮かべた悲痛な表情を浮かべる翔太の顔。
俺への別れを告げた一年前も
ラジオのメッセージも
事務所で交わした言葉も
卒業ライブで涙を流し、最後にした抱擁も……
俺だけが一人で苦しんでいるのだと思っていた。
でも、翔太もこの一年身を引き裂かれる想いでいたんやね。
俺を睥睨する女の前にマスターがアイスティーを置いていき、マスターが去るのを見届けた後、俺は女に強い眼差しを向ける。
「翔太は冷たそうに見えてめちゃくちゃ一途な男やねん。結婚相手のアンタは羨ましいくらい幸せ者や。きっと、翔太にめちゃくちゃ大事にされてるんやろなぁ」
「…………」
たっぷりと皮肉を込めた言葉に女は下唇を強く噛み、拳を握り締める。
「これだけは言っておく。ガキの頃の俺も馬鹿じゃないんやで。何かあれば俺もすぐ動く。明らかに不利なんはアンタらの方やからな」
俺がもっと早くに気付いていれば、しなくていい選択をすることもなく、しょっぴーを苦しませず済んだのに。
自責の念にかられた俺は拳を握り締め、必死で平静を保つ。
……俺の過去の出来事をこの女から聞いた翔太は俺を守る為にこの女との結婚を決めたのだ。
だけど、
「(もう今さら過去には戻れない……)」
どこかに消えたはずの心の痛みが新たに渦を巻き始めた事に俺は気付かないフリをして、僅かに残った珈琲を飲み干す。
なのに、口内に広がる苦さが俺の不安定な感情の存在を強く認識させてしまう。
「もし翔太を不幸にしたら、俺がアンタらを地獄に叩き落としたるからな。
だから、翔太のことちゃんと幸せにしたってや。くれぐれも頼んだで?」
立ち上がった俺の冷ややかな視線に女は体を縮こませる。
心配そうな表情をする老夫婦に俺は申し訳なくなり、会釈をし会計を済ませ店を後にした。
心にぼっかりと大きな穴が空いたまま東京の街を彷徨い、俺が辿り着いたのはしょっぴーと一緒に歩いた公園。
桜が咲くと、ここに二人で花見に来ていた。
「…………」
今はもうとっくに桜も散り、また来年の春に美しい花を咲かせるための青々とした爽やかな新緑が並ぶ、俺の思い出とは違う景色となっている。
日が傾き、犬の散歩やランニングをしている人たちがゆったりと無心で歩く俺を横切っていく。
どれくらい歩いたやろか、あたりは暗くなり、行き交う人々が少なくなった頃。
「……この公園は十年前から変わらへんなー 」
変わったのは、俺と翔太の関係。
そして、俺の心。
「康二?」
ふと、黒のジャージ姿に帽子を深く被った俺の横を走り抜けたランナーがピタッと止まり、背後から俺に驚いた声を掛けた。
「……めめ?」
それはよく知る、今や俺の想い人であるめめの声や。
「やっぱり、康二だ。……散歩でもしてたの?」
振り返った俺の肩に手を添え、物腰柔らかく問うめめは俺の感情の変化にとても敏感だ。
「めめはここが俺の好きな場所やって知ってるん……?」
そして、俺の行動パターンも熟知している。
「……ここは俺のランニングコースで、康二が翔太君と散歩してるのと、別れてからもよくここを歩いていたのを何度か見かけたことがあるよ」
「そうか………」
切なげに伏せられた目に胸がズキズキと痛んだ。
しょっぴーの結婚相手の報道を俺が気にしていることに勿論めめも気付いている。
俯く俺にめめが明るい声で問う。
「ねぇ、康二が良ければ一緒に酒でも飲まない?俺、久々に飲みたい気分なんだよね」
俺の肩を掴む手に少し力が加わり、それには誘いを断らないで欲しいという願いが込められている。
俺はめめの瞳の奥の不安を打ち消すようにめめに微笑み、明るい声でめめの誘いに応えた。
「ええな!酒なんていつぶりやろ?今日はたくさん飲んだろっ」
酒を飲めばこのやるせない気持ちも酔いと共に何処かに消え去るやろか。
「……じゃあ、俺んちに行こう」
無理に陽気に振る舞う俺にめめが安心したように微笑み、俺の手を引き歩き出す。
「………」
俺は前を歩く俺よりも広く、逞しいめめの背中に今すぐ縋り付きたくて堪らなかった。
……この果ての無い悲しみを早くめめの愛で掻き消して欲しい
「もう気付いてると思うんやけど……
俺、めめのことが好きや……」
大した飲んでもいないのに、体が熱くて堪らない。
元々酒は強くはないが、しょっぴーと別れて飲まなくなってから、さらに弱くなった。
本来の性格である誰かに甘えたい欲求が爆発し、俺は無意識のうちにめめの膝の上に跨り、内に秘めた想いを言葉にしていた。
「…………」
そんな俺をめめは恍惚とした顔で見上げ、唾を飲み込む。
「めめは俺のことまだ好きでいてくれてるん……?」
めめの頬を両手で挟むと俺の手が熱いのか、それともめめの顔が熱っているのか分からないくらい、めめと俺の体温が溶け合う。
このままめめとキスをしたら、全てを忘れてしまう程、気持ちよくなれるやろか?
「……あー、これはやばい」
小さく呟き、俺から視線を逸らすめめが面白くない。
めめにはずっと俺のことだけを見て、俺に夢中でいて欲しいのに。
「なぁ、めめ聞いてるん?」
酔っ払ってつい口調が強くなる俺にめめは俺の手に自身の大きな手を重ね、俺の目をジッと見つめて言った。
「……聞いてる。あのさ、昨日今日で消えて無くなるほど俺の康二を好きって気持ちは軽くないよ」
「良かった……」
重なるめめの手は俺の体温より遥かに高い。
酒に呑まれて上がった気分にプラスで、誰かと触れ合う心地良さを堪能したい。
頭が真っ白になるようなめめとの濃厚なキスはとても気持ち良く、俺の情欲を掻き立てる。
——めめがもっと、欲しい。
……翔太が触れなかった場所をめめでいっぱいにして、俺の心も体もめめ一色に塗り替えてくれ。
十年愛した渡辺翔太を思い出せなくなるくらい、向井康二を目黒蓮に夢中にさせてや。
キスがどれほどの快感をもたらすか十分に知っている俺が、めめの舌に積極的に己の舌を絡めていると、めめは眉根を顰め、突然俺から視線を逸らした。
「……めめ、もしかしてしょっぴーに嫉妬してるん?」
康二はキスが上手いねとよくしょっぴーが褒めてくれた。
ただ、俺は元々上手かった訳ではなく、これは割と女遊びをしていたしょっぴーと何度も唇を重ねて上達したものだ。
……やから、当時の俺もめめと同じような嫉妬の感情を抱いたことがあり、今のめめの気持ちは痛いほどよう分かる。
「……まぁね。なんか、俺かっこわる」
髪を掻き上げ俯く余裕のないめめ。
その姿はなんだか過去の自分を見ているようで、途端にめめに庇護欲が湧き、めめは元恋人の存在により大きく開いた俺の心の隙間を隈なく埋めてくれる。
「…………」
なによりも愛おしくて、堪らない。
例えるなら”対”のような存在。
「……康二?」
抱き締めためめは俺よりも大きい筈なのに、どこか子どもように小さく頼り無い。
目黒蓮には俺が必要で、また向井康二にも目黒蓮の存在が必要不可欠であると。
長らく止まっていた俺らの時計の秒針が再び動き出す。
「これから、ありのままのめめをまた俺にたくさん見せ欲しい」
———俺が全部受け止めたるから。
「……っ、」
事実を知り、何度二の足を踏んで振り返ったとしても
俺と翔太との関係が、翔太がSnow Manに戻ることはもう二度と無い。
俺は去年翔太と別れてから先の見えない真っ暗な道をずっと、一人で途方に暮れ歩いているんやとばかり思っていたが、そんな俺をめめは俺の気付かぬところで見守っていてくれた。
「先月末にしょっぴーと話した後、事務所の休憩室でずっとめめのこと考えてたんやで。しょっぴーがいなくなる寂しさよりもめめをどうしたら幸せに出来るかなって、早くめめの笑顔が見たいなぁって」
俺を強く抱き締め返すめめの体温が心地良い。
俺はめめとこれからは足並みを揃えて、前だけを向いて歩こうとめめの背中を優しく撫でながら強く決意し、俺の腕の中のめめを安心させる為に言葉を紡ぐ。
「……そうなの?」
「そうやで。あんなに落ち込んで、すぐに立ち直って薄情な奴って思うかもしれへんけど、俺は今めめのことが大好きやねん」
もし、めめが俺に恋愛感情を抱いておらず、今こうして俺の側にいてくれていなかったら、俺はしょっぴーの結婚の発表できっと最悪の選択をしていただろう。
「俺も康二が大好きだよ」
幸せそうに微笑むめめを見て、改めて俺を救ってくれためめに感謝の気持ちが芽生える。
「俺たちベストコンビだけじゃなく、ベストカップルにもなれるかもな」
この先、ここにいる目黒蓮を向井康二が全力で幸せにしたる。
「俺の愛は他所と比較出来ないくらい大きいけど、康二の愛はどうかな〜」
「たかだか若干の差やから大丈夫や」
俺が一途で好きな相手にはどれだけ献身的か、これから嫌という程、めめは知ることになるで。
ベッドの上でめめと抱き合いながら、クスクスと笑い合い、俺たちの関係はこれからどんどん深いものとなっていく。
→
「元Snow Man、渡辺翔太。グループ脱退後、長年通う美容外科クリニックの社長令嬢と入籍!……って、カメラマンの腕悪いなぁ」
俺は週刊誌に印刷されたデカデカとした文字を声に出して読み、表紙を大きく飾る写真写りの悪いしょっぴーを見ては俺ならもっと上手く撮れるんやけどなぁ、なんて思いながら特集に目を通す。
三月まではニュースや新聞、雑誌は今や日本を代表する国民的アイドルグループSnow Manの渡辺翔太の脱退でどこも持ちきりだったが、それが四月に入った途端、今度は結婚の記事やニュースがTVや街中のモニター、スマホに絶え間なく流れ、そろそろこのネタも見飽きてきた頃だ。
「(しょっぴーの入籍は脱退するまで極秘で、メンバーすら相手は知らんかった。四月に入ってからそれを公にしたということは……)」
記事には今後、しょっぴーが美容機器の開発や広告などに携わると書いてある。
恐らくしょっぴーはこのクリニックの婿となったんやろな。
そしてグループ脱退後、社長令嬢との結婚を世間に公表するように指示をしたのはもちろん相手側……
このクリニックは十数年前にしょっぴーが通い始めたことをきっかけに他のグループのメンバーも通うようになり、いつしかうちの事務所御用達の美容クリニックとなった。
……なんの悪縁か。
このクリニックの存在を俺はガキの頃から知っている。
俺が目を細め細かい文章の羅列を注視していると、
「あら、向井さんもこんな所に来るのね 」
驚いた顔に偶然を装う声がわざとらしい、俺の前に佇む女は俺が今この世で最も会いたくない人物。
そう、しょっぴーの妻となった女。
この女とは俺がまだ青いガキの頃、一度だけ会ったことがあるが、その当時もこの女のまるで蛇のような相手を舐め付ける目も話し方も何もかもが受け付けなかった。
「その言葉そっくりそのままお返ししますわ。俺に会いに来たんやろ。どーぞ、お掛けになって」
都内でも隠れた名店である、老夫婦が経営する昔レトロなカフェの一角。
L字型の店内の入り口から死角となる一番奥のこの席は、老夫婦がいつも気を利かせて案内してくれる俺の特等席で、もちろんこんなところでたまたま会うわけがない。
結婚報道を見た俺がしょっぴーと接触しないようにわざわざ俺に見張をつけていたのだろう。ご苦労なこった。
「少しだけ、お邪魔するわ」
俺の悪態に目の前の女は勝ち気に微笑む。
「ここはブレンドがオススメですが、なにか飲みますか? 」
「私、珈琲嫌いなの。すいません、アイスティーを一つ」
向かいの席に優雅に座った女にメニューを差し出すと、メニューに目もくれず端へと寄せ、マスターへオーダーをする。
「珈琲が苦手なんてもったいない。知ってます?翔太は毎朝豆から挽いた珈琲を飲むのが好きなんですよ」
ともに過ごせた朝は心を込めてしょっぴーに珈琲を振る舞い、美味いと喜ぶしょっぴーから贈られるお礼のキスはほろ苦い大人のキス。
だけど、そのキスにはほんのりとした甘さも含まれていて、それはいつも俺の心を並々と満たしてくれた。
そんな儚い記憶が甦り、胸がつきりと痛む。
「…………」
俺は沸々と湧き上がる感情をやり過ごすように目を伏せ、まだ湯気の立つ熱い珈琲を口に含み、こちらを睨む女に薄く微笑んでやる。
「アンタが翔太の結婚相手やったとはな。これは俺への復讐か?」
「ハッ、なんのことかしら?。私はただ翔太さんが好きなだけ。翔太さんが私を選んだの」
「そう」
顔を真っ赤にして怒るところを見ると俺の予想は大方当たっていたようだ。
——そうか、翔太。
ほんまにごめん。
俺との別れはそういうことやったんやな。
『…………俺がお前のことを忘れられるわけないだろ』
目を閉じ、脳裏に浮かべた悲痛な表情を浮かべる翔太の顔。
俺への別れを告げた一年前も
ラジオのメッセージも
事務所で交わした言葉も
卒業ライブで涙を流し、最後にした抱擁も……
俺だけが一人で苦しんでいるのだと思っていた。
でも、翔太もこの一年身を引き裂かれる想いでいたんやね。
俺を睥睨する女の前にマスターがアイスティーを置いていき、マスターが去るのを見届けた後、俺は女に強い眼差しを向ける。
「翔太は冷たそうに見えてめちゃくちゃ一途な男やねん。結婚相手のアンタは羨ましいくらい幸せ者や。きっと、翔太にめちゃくちゃ大事にされてるんやろなぁ」
「…………」
たっぷりと皮肉を込めた言葉に女は下唇を強く噛み、拳を握り締める。
「これだけは言っておく。ガキの頃の俺も馬鹿じゃないんやで。何かあれば俺もすぐ動く。明らかに不利なんはアンタらの方やからな」
俺がもっと早くに気付いていれば、しなくていい選択をすることもなく、しょっぴーを苦しませず済んだのに。
自責の念にかられた俺は拳を握り締め、必死で平静を保つ。
……俺の過去の出来事をこの女から聞いた翔太は俺を守る為にこの女との結婚を決めたのだ。
だけど、
「(もう今さら過去には戻れない……)」
どこかに消えたはずの心の痛みが新たに渦を巻き始めた事に俺は気付かないフリをして、僅かに残った珈琲を飲み干す。
なのに、口内に広がる苦さが俺の不安定な感情の存在を強く認識させてしまう。
「もし翔太を不幸にしたら、俺がアンタらを地獄に叩き落としたるからな。
だから、翔太のことちゃんと幸せにしたってや。くれぐれも頼んだで?」
立ち上がった俺の冷ややかな視線に女は体を縮こませる。
心配そうな表情をする老夫婦に俺は申し訳なくなり、会釈をし会計を済ませ店を後にした。
心にぼっかりと大きな穴が空いたまま東京の街を彷徨い、俺が辿り着いたのはしょっぴーと一緒に歩いた公園。
桜が咲くと、ここに二人で花見に来ていた。
「…………」
今はもうとっくに桜も散り、また来年の春に美しい花を咲かせるための青々とした爽やかな新緑が並ぶ、俺の思い出とは違う景色となっている。
日が傾き、犬の散歩やランニングをしている人たちがゆったりと無心で歩く俺を横切っていく。
どれくらい歩いたやろか、あたりは暗くなり、行き交う人々が少なくなった頃。
「……この公園は十年前から変わらへんなー 」
変わったのは、俺と翔太の関係。
そして、俺の心。
「康二?」
ふと、黒のジャージ姿に帽子を深く被った俺の横を走り抜けたランナーがピタッと止まり、背後から俺に驚いた声を掛けた。
「……めめ?」
それはよく知る、今や俺の想い人であるめめの声や。
「やっぱり、康二だ。……散歩でもしてたの?」
振り返った俺の肩に手を添え、物腰柔らかく問うめめは俺の感情の変化にとても敏感だ。
「めめはここが俺の好きな場所やって知ってるん……?」
そして、俺の行動パターンも熟知している。
「……ここは俺のランニングコースで、康二が翔太君と散歩してるのと、別れてからもよくここを歩いていたのを何度か見かけたことがあるよ」
「そうか………」
切なげに伏せられた目に胸がズキズキと痛んだ。
しょっぴーの結婚相手の報道を俺が気にしていることに勿論めめも気付いている。
俯く俺にめめが明るい声で問う。
「ねぇ、康二が良ければ一緒に酒でも飲まない?俺、久々に飲みたい気分なんだよね」
俺の肩を掴む手に少し力が加わり、それには誘いを断らないで欲しいという願いが込められている。
俺はめめの瞳の奥の不安を打ち消すようにめめに微笑み、明るい声でめめの誘いに応えた。
「ええな!酒なんていつぶりやろ?今日はたくさん飲んだろっ」
酒を飲めばこのやるせない気持ちも酔いと共に何処かに消え去るやろか。
「……じゃあ、俺んちに行こう」
無理に陽気に振る舞う俺にめめが安心したように微笑み、俺の手を引き歩き出す。
「………」
俺は前を歩く俺よりも広く、逞しいめめの背中に今すぐ縋り付きたくて堪らなかった。
……この果ての無い悲しみを早くめめの愛で掻き消して欲しい
「もう気付いてると思うんやけど……
俺、めめのことが好きや……」
大した飲んでもいないのに、体が熱くて堪らない。
元々酒は強くはないが、しょっぴーと別れて飲まなくなってから、さらに弱くなった。
本来の性格である誰かに甘えたい欲求が爆発し、俺は無意識のうちにめめの膝の上に跨り、内に秘めた想いを言葉にしていた。
「…………」
そんな俺をめめは恍惚とした顔で見上げ、唾を飲み込む。
「めめは俺のことまだ好きでいてくれてるん……?」
めめの頬を両手で挟むと俺の手が熱いのか、それともめめの顔が熱っているのか分からないくらい、めめと俺の体温が溶け合う。
このままめめとキスをしたら、全てを忘れてしまう程、気持ちよくなれるやろか?
「……あー、これはやばい」
小さく呟き、俺から視線を逸らすめめが面白くない。
めめにはずっと俺のことだけを見て、俺に夢中でいて欲しいのに。
「なぁ、めめ聞いてるん?」
酔っ払ってつい口調が強くなる俺にめめは俺の手に自身の大きな手を重ね、俺の目をジッと見つめて言った。
「……聞いてる。あのさ、昨日今日で消えて無くなるほど俺の康二を好きって気持ちは軽くないよ」
「良かった……」
重なるめめの手は俺の体温より遥かに高い。
酒に呑まれて上がった気分にプラスで、誰かと触れ合う心地良さを堪能したい。
頭が真っ白になるようなめめとの濃厚なキスはとても気持ち良く、俺の情欲を掻き立てる。
——めめがもっと、欲しい。
……翔太が触れなかった場所をめめでいっぱいにして、俺の心も体もめめ一色に塗り替えてくれ。
十年愛した渡辺翔太を思い出せなくなるくらい、向井康二を目黒蓮に夢中にさせてや。
キスがどれほどの快感をもたらすか十分に知っている俺が、めめの舌に積極的に己の舌を絡めていると、めめは眉根を顰め、突然俺から視線を逸らした。
「……めめ、もしかしてしょっぴーに嫉妬してるん?」
康二はキスが上手いねとよくしょっぴーが褒めてくれた。
ただ、俺は元々上手かった訳ではなく、これは割と女遊びをしていたしょっぴーと何度も唇を重ねて上達したものだ。
……やから、当時の俺もめめと同じような嫉妬の感情を抱いたことがあり、今のめめの気持ちは痛いほどよう分かる。
「……まぁね。なんか、俺かっこわる」
髪を掻き上げ俯く余裕のないめめ。
その姿はなんだか過去の自分を見ているようで、途端にめめに庇護欲が湧き、めめは元恋人の存在により大きく開いた俺の心の隙間を隈なく埋めてくれる。
「…………」
なによりも愛おしくて、堪らない。
例えるなら”対”のような存在。
「……康二?」
抱き締めためめは俺よりも大きい筈なのに、どこか子どもように小さく頼り無い。
目黒蓮には俺が必要で、また向井康二にも目黒蓮の存在が必要不可欠であると。
長らく止まっていた俺らの時計の秒針が再び動き出す。
「これから、ありのままのめめをまた俺にたくさん見せ欲しい」
———俺が全部受け止めたるから。
「……っ、」
事実を知り、何度二の足を踏んで振り返ったとしても
俺と翔太との関係が、翔太がSnow Manに戻ることはもう二度と無い。
俺は去年翔太と別れてから先の見えない真っ暗な道をずっと、一人で途方に暮れ歩いているんやとばかり思っていたが、そんな俺をめめは俺の気付かぬところで見守っていてくれた。
「先月末にしょっぴーと話した後、事務所の休憩室でずっとめめのこと考えてたんやで。しょっぴーがいなくなる寂しさよりもめめをどうしたら幸せに出来るかなって、早くめめの笑顔が見たいなぁって」
俺を強く抱き締め返すめめの体温が心地良い。
俺はめめとこれからは足並みを揃えて、前だけを向いて歩こうとめめの背中を優しく撫でながら強く決意し、俺の腕の中のめめを安心させる為に言葉を紡ぐ。
「……そうなの?」
「そうやで。あんなに落ち込んで、すぐに立ち直って薄情な奴って思うかもしれへんけど、俺は今めめのことが大好きやねん」
もし、めめが俺に恋愛感情を抱いておらず、今こうして俺の側にいてくれていなかったら、俺はしょっぴーの結婚の発表できっと最悪の選択をしていただろう。
「俺も康二が大好きだよ」
幸せそうに微笑むめめを見て、改めて俺を救ってくれためめに感謝の気持ちが芽生える。
「俺たちベストコンビだけじゃなく、ベストカップルにもなれるかもな」
この先、ここにいる目黒蓮を向井康二が全力で幸せにしたる。
「俺の愛は他所と比較出来ないくらい大きいけど、康二の愛はどうかな〜」
「たかだか若干の差やから大丈夫や」
俺が一途で好きな相手にはどれだけ献身的か、これから嫌という程、めめは知ることになるで。
ベッドの上でめめと抱き合いながら、クスクスと笑い合い、俺たちの関係はこれからどんどん深いものとなっていく。
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