夜 桜



ねぇ、康二。

俺と二人で見た夜桜を覚えてる?

缶ビールを片手にほんのり頬を赤らめ、提灯の薄明かりに照らされる美しい康二が誰をも虜にする薄紅の桜なら、俺は淡く儚い君の存在を引き立てる漆黒の夜空のキャンパス。

ひらひらと川に散り、そよそよと流れて行く花弁を追う君の横顔を俺はずっと見ている。

康二の側にはいつも俺がいるよ。

だから、早く思い出して。



夜 桜 



「………」

懐かしのめめこじ特集というタイトルで康二と二人で行われた雑誌の撮影が終わり、笑顔でスタッフさんたちに挨拶をすると、康二は控え室とは逆の方向へと歩みを進めて行く。

康二の向かう先は非常階段。
僅かに重みのある防火扉を力無く開く姿に、俺は不安になり思わず康二を追いかけた。

「……康二、すごく顔色悪いけど大丈夫?」

真っ白で無機質な非常階段。
康二は階段の手すりを掴み、そのままゆっくり階段に沈み込む。

「……あぁ、めめお疲れさん。ちょっと疲れただけや。気にせんで先に帰ってええよ」

俺が背後にいることに気付き、康二は何事もないようにニッコリと微笑む。俺は康二の無理して笑う姿に心が痛んだ。

「俺が家まで送っていこうか?」

「少し休んだら自分で帰るわ。
……めめ、ごめんな。今一人になりたいんや」

「分かった。あまり、無理しないでね」

康二の目元がうっすらと潤んでいることに気付き、俺は戸惑いつつも引き下がる。

デビューから十二年。
デビュー前後、俺と康二はベストコンビ大賞を受賞するほど仲が良かった。

Snow Manとしてデビューする前は関西ジュニアを取りまとめ、誰にでも分け隔てなく接する面倒見のいい康二を俺が後ろに着いていたが、デビュー後は康二がとても繊細な性格でかなりの泣き虫、さらに不器用な一面と精神を壊す程の努力の人であると知り、そんな康二を俺が一生守ると誓ってから、俺たちは本当の兄弟のような間柄となった。

しかし、時が経つにつれ、俺と康二は他のメンバーと時間をともにすることが多くなり、めめこじという関係はいつしかビジネスで表向きのものとなっていく。

俺はうっすらと気付いていた。
あんなに俺にべったりだった康二が俺から離れて行った理由を。

「……じゃあ」

「…………」

そっとして欲しいと康二の背中に言われ、俺は防火扉のノブを握るもつい後ろ髪を引かれ、康二を振り返った。

両目に右手を重ね俯く康二の後ろ姿は涙するのを必死に堪えていて、デビュー当時、慣れない東京での暮らし、歌やダンス、新しいメンバーとの関係に毎日涙を流していた姿が甦る。

俺がそんな康二から目が離せないでいると、康二の左手が手すりから力無く離れた。

それから、康二の体が階段へと一直線に前のめりになる。

「康二!!」

落ちる!と思った瞬間、俺はすぐさま左手で手すりを掴み、右手で康二の腰に手を回し、康二の上半身を俺の胸に抱えこんだ。

「…………」

……貧血だろうか。
気を失った康二の顔は青いを通り越して真っ白だ。

元々華奢な体型だったが、ある時期から食わず寝ずの生活が続いてさらに痩せ、今の康二は少し力を加えただけで、折れてしまうか細い棒のようだった。

「……康二、一緒に帰ろう」

俺は今にもこの腕の中から消えてしまいそうな康二をそっと抱きしめ、デビュー前の仕事終わりに毎日康二と交わした言葉を意識のない康二へと数年ぶりに囁いた。








康二ごめん。
好きな人が出来た。
俺さ、その人と結婚したいと思ってる。



嘘、やろ…?
俺とずっと一緒におるって言うてくれたやん……。 俺のこと愛してるって!


康二のことは本当に愛してた。
でも、それ以上に愛しいと思える人に会ってしまった。

———運命を感じたんだ。



「……っ、うっ!!!」

愛おしい人の壊れ物を扱うような優しい声色、やけどそれに反して放たれる無数の針のような言葉は俺の呼吸を停止させる。

俺は引き裂くような胸の痛みに息が出来なくなり、その苦しさにベッドから勢いよく起き上がった。

「ハァっ、ハァっ、ハァっ…!」

しっかりと夢やと認識している。

勿論、夢裡で俺に別れを告げた彼の言葉が現実であったことも。  

あれは満開の桜が色付く出会いと別れの季節。
別れてからちょうど一年が経つというのに毎日、毎日胸が痛み、早くこの苦しみから解放されたいと心が切実に安楽を求めていた。

ベット横のオレンジの照明が大きく震える俺の両手を照らす。

「……もう、死んでまおうか」

脳内には片時も忘れることの出来ない、俺の人生で一番愛した人の姿が現れ、気を抜けば涙が溢れてしまう。

もう何もかも終わらせたいと、呟いた瞬間。

「康二、死なないで……」

「っ!?」

ふわりと誰かに優しく抱きしめられ、突然のことに俺はその身を硬直させた。

しかし、低く、深みのある声と俺の部屋と同じ嗅ぎ慣れたお香の香りで、俺を抱きとめた人物をすぐに把握することが出来た。

「め、め……?」

「うん、俺だよ康二。
あの後、階段で気を失ったの覚えてる?」

俺と視線を合わせ、めめは俺の目の端にたまった涙を優しく拭い取ってくれる
その目は俺を酷く心配し、俺はそんなめめの視線に居た堪れなくなり目を逸らす。

「迷惑かけてごめん……!俺、帰るから」

どうやら気を失った俺をめめが自分の家まで連れて帰ってくれたようだ。

俺がそれをとても申し訳なく思い、めめのただっ広いベッドから急いで降りようとすると、めめに優しく手を引かれ、まためめの胸へと閉じ込められる。

「めめっ…」

「康二が長いことなにかに苦しんでるのは知ってるよ。でも俺はなにも聞かない。……聞かないけど、今だけは俺の自己満で康二を抱きしめさせて」

「え…と、っ……!!」

なにか言わへんと。  
やけど、久々に感じる自分以外の体温、抱きしめられる感覚に俺は安心や不安、拒絶や喪失感と色々な感情に苛まれ、ボロボロと涙が溢れて言葉を紡ぐことが出来なくて……

「なにも言わなくていい。だから、今は康二の気が済むまで俺の胸で泣いて」

「め、めっ………うぅ、ぁあ…ッ!」

———違う、今目の前にいる人物は俺が求めてる人やない。

そうわかってるのに、俺を真綿で優しく包みこむようなめめの優しさに身も心も全てを委ねてしまいたかった。

俺の背中を撫でるめめの温かい手が愛しい彼のものと重なり、彼がどうしようもなく恋しくて、恋しくて、もう二度とは戻らぬ彼との濃密な日々に……

俺の涙はいつまでも枯れる事を知らない。




「…………」

「落ち着いた?」

めめの胸の中でどれくらいの時間を過ごしたのだろうか。

嗚咽が止み、静かになった俺の目線にめめが視線を合わせる。

「……めめ、ありがとうな、」

「……無理に笑わなくていいから」

きっと、いつもみたいに上手く笑えなかったんやろな。 

めめの表情が曇り、俺は困惑する。

こんなんじゃ、まためめを困らせてまう。

「……俺は着替えを持ってくるから、とりあえず水を飲んで待ってて。康二、勝手に帰っちゃ駄目だよ」

「……うん」

キャップを開けて、めめからミネラルウォーターを手渡される。 

正直、いっぱい泣いたのと悪夢で大汗をかいて喉がカラカラやったから、めめの気遣いがすごくありがたい。

「……あんま変わってへんな」

昔、何回かお邪魔したことのあるめめの家は当時と変わっておらず、相変わらず物が散乱している。

そういえば、めめの家に毎日のように入り浸り、ほぼ同棲状態のラウールとめめの愛犬ちゃんは今日はおらんみたいや。


俺以外の奴にもう触れないで。
俺以外の奴の家に行かないで。

——康二、俺だけを見ていて。

……ふと、この身に染み付いた元恋人の言葉が頭によぎり、俺の体は一瞬固まる。

しかし、それはもう俺には関係のないことなんやと、呪いのような言葉を脳内から振り払い、目頭を押さえ弱い心を叱咤する。

泣いたらめめをまた心配させてまうって。
しっかりしい俺。

「康二、お待たせ。これ、冷やしたタオル。目に当てて。あと、洗濯するから俺の部屋着に着替えてね」

「ありがとうな、めめのおかげでだいぶ落ち着いたし、すまん。俺汗臭かったよな。着替え借りてそのまま帰るから洗濯は大丈夫やで」

めめに着替えの部屋着を差し出され、俺がそれを受け取る為に手を伸ばすと、着替えごと両手を強く握られ、めめと視線が絡み合う。

「こんな康二を一人で家に帰せるわけないじゃん。……明日っていうか、もう日付が変わって今日なんだけど、俺もオフなんだ」    

康二に予定が無ければ俺も人恋しいし、一緒にいてくれない?と聞かれ、俺は戸惑う。

失恋の傷口は癒えるどころか、時間が増すごとに開いていくばかりだ。

耐えがたい痛みに打ちひしがれる惨めな自分の姿なんて、誰にも見せたくない。

「え……。うん、分かった」
 
やけど、俺が頷くまでめめが手を離してくれなさそうやったから、めめの貴重な休みをこんな俺と一緒に過ごしてもらうなんて申し訳ないと思いつつも、俺は首を縦に振った。

「 やった!実は俺さ、康二とやりたいことがたくさんあったんだ。あ、でも調子が悪いようだったら、俺の家でまったりしよ〜」

今日は俺が康二を独占出来る!とめめが無邪気に笑う。 

どうやら、気を使って一緒に過ごそうと言ってくれたわけやなく、めめは本心で俺と一緒に過ごしたいと思っていてくれたようや。

「めめの子どもみたいな顔めっちゃ久しぶりに見たわ」

昔よく隣で見ていた懐かしい笑顔に俺も自ずと笑みが漏れる。

「……俺はね、本当はずっと康二を独占したかったんだよ」

「え?今なんて」

めめの部屋着に着替えながら、微笑む俺の顔をジッと見つめ、めめがポツリと呟く。が、その言葉は俺の耳には届かず宙に消えた。

「なんでもないよ。康二はもう少し休んだ方がいいんじゃない?さ、横になって」

「あ、うん。……冷たっ!」

めめにゆっくりと体を倒され俺がベッドに横になると、めめにキンキンに冷たいタオルを目の上に乗せられた。

それは、腫れに腫れた俺のたれぼったい目を心地よく冷やしてくれる。

「康二に子守唄を歌ってあげるね」

俺のすぐ真横でめめが寝転び、男二人が並んで寝ても十分広いクイーンサイズのベッドが沈む。

「…………」

ポンポンとまるで赤子をあやすように胸を叩きながら、スローペースで柔らかに歌うのは昔めめが出演したドラマの主題歌。 

その歌の歌詞は俺と彼の淡い日々を鮮明に思い出させ、俺は濡れタオルの下でまた静かに涙を流す。

彼に告白されたのは二人で出掛けた帰り道のことや。急な通り雨でお互いずぶ濡れとなり、逃げ込んだ高架下のトンネル。
世話焼きな俺が真っ先に自分のハンカチで彼の頬を拭いてやると、雨で濡れた髪から覗く俺を見る彼の熱っぽい眼差し。

「……康二」

ハンカチを持った俺の手に彼の手が重なる。

——俺は初めて見る彼の情熱的な視線から目が離せなくなった、その瞬間。

愛してると言う彼に唇だけじゃなく、心までも奪われてしまった。

雨上がりの虹はどんな色で表現すればいいかわからへん俺の心を七色で彩った。

康二が存在するこの世界で生きていると思うと、朝も目覚めが良くなり、頻繁に起こっていた頭痛も少なくなったと。

康二に早く会いたいから、朝の支度がめちゃくちゃ早くなった。

だから、たくさん褒めてと笑う彼はほんまに手のかかる子どものような困った男。

二人の影が重なる日暮の時間が彼は好きだと言った。

夕焼けは康二のメンバーカラーのオレンジだからと。


番組の大自然のロケで見た満点の星空。
この無数にある星の中で、たった一人の人に巡り会えた奇跡に自分は世界一の幸せ者だと彼は珍しくロマンチックなことを言う。

……結局それは俺やなかったけど。

そして、いつだかのライブで舞台裏に二人で最後に下がっていった時のこと。

テンションの上がった彼は他の『メンバー』が前を歩いている中、俺に不意打ちでキスをした。

俺は驚いて思わず大きな声が出そうになったが、彼が自分の人差し指を俺の唇に当て、シークレットタッチと悪戯が成功した子どものように笑うのだ。

めめの歌とともに、彼との数々の想い出が走馬灯のように流れる。

「ねぇ、康二」

「う、うんっ」

誰もが聴き惚れるめめの歌声がパタリと止み、めめがゆったりした声で俺の名前を呼ぶ。

……多分、めめは俺が涙を流していることに気づいてるやろな。冷やしタオルがあってほんまに良かったわ。

めめの歌声と今の心情にマッチした歌詞に俺は涙が止まらんくて、めめに吃った返事を返す。

「康二は一人じゃないよ。俺が隣にいるよ」

「…………」

東京に上京したばかりの頃。
俺は何もかもが上手くいかず、よく涙を流していた。

そんな時、真っ先に駆け寄り側にいてくれたのは他の誰でもないめめ。
めめはいつも俺を抱きしめて、今と同じ言葉を投げかけては俺を安心させてくれた。

「辛い時はあの頃みたいに俺に甘えてよ」

「…………ほな、」

康二が俺と距離を置くようになって、俺はすごく寂しかったんだよとせつなげに言われ、めめの優しさに心がギュッと締め付けられた。

俺がそんなめめになにか言葉を発しなければと思い悩んだ時。

———ふに

「!」

俺の唇に多分、めめの固い指が触れた。

「シークレットタッチ」

「……ふふ」

めめの行動が頭の中にふと過った彼の行動と重なり、不思議と悲しみよりも可笑しさの方が勝り、俺の口から思わず笑みが漏れる。
俺はめめと一緒にいると鉛のように重かった心がごく僅かだが、軽くなっていることに気付き、思い出す。

デビュー前、めめはいつも俺のことを気にかけてくれていた。

彼と恋人同士となった時、嫉妬深い彼は言った。

俺以外の奴と仲良くしないで欲しいと。

……特に今隣にいるめめと。

めめに俺を取られるのではないかと。

めめとは兄弟のような関係で、そんな風に見たことは一度もないといくら俺が言っても彼は毎日不安がった。

俺は彼に安心して欲しくて、これを機に彼以外のメンバーに過剰なスキンシップを取ったり、愛の言葉を囁くのはパッタリと辞めた。

当時は甘えん坊でひっつき虫だった俺が急にスキンシップを取らなくなったことにみんな不審がり、よく心配をされたものだ。

今思うとあれはかなり不自然だったやろな。

でも、時が経つに連れそれも当たり前となり、俺も三十の大人になって心境の変化があったのだろうと周りも気にしなくなった。



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