短編集
「実るほど頭の下がる稲穂かな
どう?俺の好きな季節とこの言葉は亮平にピッタリでしょ」
残暑も落ち着き、秋らしい爽やかな季節。
先輩は空に浮かぶうろこ雲と広がる田園を眺めて俺に言った。
「僕はずっと貴方に憧れていました。
貴方のような人になりたいと。
そんな貴方から見えてる僕がこの目の前に広がる景色であるなら、とても光栄です」
俺は幼い頃からどんな時でも涼しげに微笑む目の前の男性を敬い、いずれこの人と肩を並べられる人間になりたいと事務所のオーディションを受けて合格した後も死に物狂いで勉学に励んだ。
「……亮平にとって俺はどんな人間?」
彼は歌って、踊れるだけではなく、有名な大学を卒業し、その聡明さは日本のトップに立つ人物をもあっと言わせるほど。
当然出演したクイズ番組で不正解を出したことなんて一度もないし、政治や世界情勢、株価にも詳しくニュースのキャスターも長年務めていて、彼を生涯のパートナーにしたいという女性は女優やアナウンサーだけではない。
スポーツ選手やCA、メイクさんや理系女子……etc
正直、引くて数多で先輩が将来どんな女性をパートナーとして選ぶのか俺はずっと楽しみだった。
「……青天白日、僕にとって先輩は雲ひとつない青く澄み渡った空にきらめく太陽。それから、清廉潔白という言葉が似合う人です」
先輩の背中に己の気持ちをハッキリと告げれば、彼は少し困った顔で笑いこちらを振り返った。
「そうか……亮平には俺がそんな人に見えてるんだね」
「?」
そして、
——亮平だけは俺のことを……
俺がどういう人間であったかこの先も覚えていて欲しいんだ。
肩に乗せられた先輩の大きな手、俺のおでこに当てられた額。
それには小さな願いが込められていた。
儚い涙と共に。
この人は昔からなにをしても様になる。
そう、それは涙を流す姿さえも。
『実るほど頭の下がる稲穂かな』
「あべべー、あべべべべべー、
もぉ〜っ、りょうへーいへーいへーい!!」
俺が参考書を穴が開くほど眺めていると、阿部亮平切れを起こしたピンク頭が俺の背後から抱き付き、俺の頬に摩擦で火が出るんじゃないかというくらい頭を擦りつけてくる。
「……佐久間。勉強中は邪魔しちゃダメっていつも言ってるよね?」
佐久間の頬擦りによってズレた眼鏡を外し、ため息をついて振り返れば、佐久間は頬を膨らませて言った。
「だってさ、あべちゃんここ数時間絶対勉強とは違うこと考えてた」
「…………」
……さすが長年連れ添った俺の恋人は目敏い。
てっきり俺の後ろで積み上げられた漫画を読んでいるとばかり思っていたのに、どうやらしばらく物思いに耽る俺のことを観察していたらしい。
「なにを考えてたの?なんか嫌なことでもあった?」
「そうだな……答えの出ない問い?」
心配そうに顔を覗き込む黒く大きな目がいつ見ても可愛くて、思わず頬が緩む。
「……ふぅん。あべちゃんでも解けない問題があるんだね」
「もちろんあるよ。
例えば佐久間はなにをしたら、もっと俺のことを好きになるのかな〜とかね」
「わぁあっ!いきなり危ないっしょ!?」
意外な顔をする佐久間の腕を引っ張れば、バランスを崩した佐久間が椅子に座る俺の上になだれ込み、二人分の重さを受けた椅子が僅かに軋む。
「さて、次は佐久間のことを学習する時間かな?」
「……もう俺のことで知らないことなんて一つもないでしょ?」
俺に跨り目を細めてくしゃっと微笑む佐久間が愛おしくそんな佐久間を腕の中にそっと閉じ込め、俺は心の中で呟く。
……うん、俺は佐久間をちゃんと愛している。
「そんなことないよ?佐久間大介という人間は会う度に変化していくから、常に探究心を忘れずに向き合わないと、俺は置いて行かれてしまうからね」
昔は俺と同じで大人しくて引っ込み思案な性格だったのに、出逢って二十年。
彼はなにをするにも先陣を切り、人を楽しませることに長けた明るい人間となった。
「また、そうやって俺を勝手に遠い存在にして……
俺はあべちゃんのことが大好きだから、置いていくわけないでしょ?」
でも、昔から俺を大好きだと言ってくれる素直な人間性は全然変わってない。
俺が抱きしめれば途端にドクン、ドクンと早くなる心臓の音も。
「……佐久間が佐久間で良かった」
「またよくわからない事ばっか言う」
俺が佐久間の胸に耳を当て鼓動を感じ取れば佐久間は俺の頭をギュッと抱きしめ、小さく呟く。
どうやら俺の言葉で佐久間を不安にさせてしまったようだ。
『亮平。俺はね、清らかな人間じゃないんだ。
欲しいモノのためなら、どんなことでも出来るとても傲慢で愚かな人間なんだよ』
あの日打ち明けられた先輩の罪。
——突如知らされた、長年ずっと心に想い描いていた人と自分と同じグループのメンバーの結婚。
なにも知らなかった先輩はパニックを起こしたそうだ。
『二週間ほど活動を休止していたのはそれが理由ですか?』
『そう……彼女が初めてだったんだ。勉強以外で夢中になれるものに出逢えたのは』
胸を押さえ苦しげに語る先輩。
彼はなにをするにも余裕があって、涙を流したり、苦痛の表情を浮かべる姿を俺は演技でしか知らない。
『続きを聞いても……?』
心配そうに先輩を見上げる俺を遮断するように先輩は目を閉じた。
まるで自分にはそんな風に思ってもらえる資格などないのだというように。
『……この辛い気持ちは時が経てば消えるものだと思ってた。でも、違った。時が経てば経つほどに彼女に対する想いが増して俺は狂っていくばかりで
メンバーと彼女の結婚式の日、
彼女に気持ちを押し付けて、拒絶された俺は頭が真っ白になって彼女を無理矢理犯した』
『っ、先輩……嘘ですよね』
告げられる真実に俺は言葉と体を震わせ、涙を流す。
『嘘じゃない。そして、彼女はその後すぐに子どもを身籠って俺に言ったんだ。
堕したい、でもメンバーとの子かもしれない。
長年待ってようやく訪れた幸せを貴方が壊した、貴方を一番の親友だと言っていた彼のことも貴方は裏切った、こんな罪を抱えて生きていくなら、死んだ方がマシだと。
その言葉を聞いた時の俺は心もぐちゃぐちゃで、彼女とメンバーに対する申し訳なさや喪失感に全てがどうでもよくなってしまってね。この世から消えてなくなろうと思ったんだ』
先輩の言うメンバーとは俺の親友でもある佐久間が尊敬している先輩の一人で……明るくて誰にでも優しく、なにに対しても熱く直向きで、物静かな先輩とは対照的な人物だ。
グループの中では”月と太陽の異なるヒカリのシンメ”と呼ばれ”共通点0の両想い”と呼ばれる俺と佐久間のようにファンから長らく愛されているコンビだった。
『それで……』
『ついこないだ子どもが生まれてね……二卵性の双子だった。
メンバーに仕事で会った時、改めて出産の報告を嬉しそうに聞かされた後、彼は言ったんだ。
彼女と出逢った日から俺が彼女に想いを寄せていたこと、俺が結婚式の日に彼女を無理矢理抱いたこと、子どもの一人が俺の子かもしれないということも全て知っていると
——それでも俺は彼女を許し、幸せにすると。
そして、俺のことも許すと、ね……っ』
俺の膝下で泣き崩れる先輩に大人なようで子どもだった俺はなんて声を掛ければいいのかわからなかった。
なぜならこの時、俺はまだ人を愛することを知らなかったから。
だから、俺の目の前で懺悔する先輩に俺が抱いた感情は憎悪や同情ではない、未知なる感情だった。
『ごめんなさい。恋をしたことのない俺には先輩の苦しみを理解することは出来ませんが、今すごく辛いでしょうね……。
十全十美の先輩を射止めるほどの女性を最も近く、最も信頼していた人に奪われるなんて。
でも先輩、どうか月の周りには無数に輝く星があることを忘れないで下さい。
先輩は一人じゃないですから』
『亮平……ありがとう、ありがとうな』
この出来事の翌年、先輩は長年活動していたグループを脱退し、今は海外で物書きとしてひっそりとした生活を送っている。
——そしてその後、佐久間が尊敬していた先輩は実は太陽のような人物ではなく、月であったことを知る。
太陽を失った月は二度と輝くことはない。
なぜなら彼は長年シンメであった先輩を心から愛していたから。
同性であるが故、想いを告げることが出来ず、
多くは望まないあの人が唯一欲しがった”愛”をすぐそばで見ていて、根こそぎ奪った人物。
それがまさか俺の尊敬する先輩を
”自分以外の誰にも奪われまい”
と、思っての行動だったなんて誰が想像出来ただろう。
幼い頃からシンメとして活動しグループがある限り、ずっと隣にいるのが当たり前だと思っていたメンバーが脱退してはるか遠くに行ってしまい、残された先輩は心を壊し今は活動を停止している。
「あべちゃんどした?なんかあった?」
「うん、昔のことを思い出してただけ。」
『俺ね、あべちゃん好き』
『あべちゃんだーいすき!』
『あべちゃん好きだ』
俺と佐久間は照、ふっか、翔太、涼太の厳ついメンバーの中ではどちらかというと物静かな方で、グループの中ではなにかと佐久間と一緒に行動することが多かった。
俯き恥じらいながら俺を好きだと言う少年の佐久間。
ピンクの髪色になってキャラ変し、おちゃらけて俺に抱き付く佐久間。
真っ直ぐに真面目な顔で俺を見つめる佐久間。
佐久間の”好きだ”は俺だけに放たれる言葉ではないけれど、俺にだけ違う意味が込められていることを俺は早い段階から気付いていた。
“俺を愛して”
まだその当時若かった俺には俺の何万歩先も歩く先輩に少しでも早く追い付くため、歌やダンス、勉強以外のものなんて必要なかったし、佐久間にも同じ夢を追い求める仲間でいて欲しくて
『俺も佐久間が大好き。これからも一緒に頑張ろうね』
想いを告げられる度に佐久間は同じグループのメンバーであって、友人以外の何者ではないことを突きつけた。
しかし、
『……とっくの昔から気付いてるよね?俺、あべちゃんを一人の人間として愛してるんだ。あべちゃんのことが好きすぎてもう限界で頭がおかしくなりそう』
俺の胸ぐらを掴んで俺を見上げる佐久間の大きな瞳は潤みがかかっていて……
その姿に黄金に輝く無数の稲穂の前で涙を流した先輩が重なった。
そうだ。
愛は人を狂わせる。
それを知ってしまった俺は佐久間を守らなければならないと思った。
佐久間は俺の隣でいつまでも変わらず、明るく元気な佐久間のままでいて欲しい。
『わかってると思うけど、今この瞬間佐久間と同じ分の気持ちは俺にはないよ。でも、佐久間が俺の存在に左右されて狂っていくのは嫌だ』
ここまでストレートに気持ちを伝えられたら、今までのように誤魔化すことは出来ないだろう。
しっかりと向き合うべきだ。
なぜならこの先も阿部亮平が阿部亮平でいるためには
——目の前の佐久間大介が必要不可欠だから。
だけど、
『俺は今あべちゃんにフラれてるの……?』
ボロボロと透明な涙が伝う白い頬、それとは対照的なブラックオニキスのような漆黒の瞳に自分の姿が映し出された瞬間、なぜだか急激に胸が締め付けられ、俺は訳もわからぬまま目の前にいる佐久間を胸に閉じ込めた。
『ううん、俺はいま佐久間を守りたいって思った。
俺が佐久間を幸せにしたい。だから、これからは恋人として俺のそばにいて欲しい』
『嘘……本当に』
俺の言葉に目を見開き、涙ぐみながら喜ぶ佐久間をもう少し強く抱きしめてみれば佐久間も俺の背中に腕を回して抱擁を返してくれる。
『(あたたかい……)』
あぁ、とうとう知ってしまった。
人を愛するということ、好きな人の存在がこんなにも心を満たすということを。
そしてこの感情が今まで安定していた己の精神を大きく壊していくことも。
『俺は佐久間が好きだよ』
『これからもっと好きにさせるから覚悟して』
『うん』
佐久間大介を知れば知るほど、俺は先輩が言ってくれた言葉のイメージとはかけ離れた愛に貪欲な人間になっていきました。
でもそのおかげで今、俺はようやくあなたと同じ位置に立つことが出来たでしょうか?
end
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