デビュー十年目


「向井が兼ねてから交際している美術家のA子さんと六月に結婚したいと社長に申し出たそうだ」

それは俺がもうすぐ三十三歳を迎える一月末のこと。 

「(…………え?)」

事務所に収集がかかり、突如マネージャから聞かされた朗報に俺は黒のジャケット越しに胸をギュッと掴んだ。

息が、出来ない。

……知らない。
結婚どころか、彼女の存在があったことすら俺は康二からなにも聞かされていない。

何千本もの針を飲まされているのではないかというほど、体内に入る空気が喉や肺を刺激し、立っているのもやっとな状況に思わず近くにあるソファーの背を掴む。

あぁ、このまま消えてしまいたい、
誰か早く夢だと言ってくれ!!

受け入れ難い事実は俺の心をぐちゃぐちゃに掻き乱す。


佐「えぇー!?康二が結婚!?いつから付き合ってたんだよアイツ!」

阿「美術家のA子さんって、何年か前に康二がアート展に行った時に知り合った絵画の世界で有名な人だよね?」

深 「俺が一番先に結婚する予定だったのに悔しいぃ!」

岩「ふっかはまず相手がいないだろ 」

ラ「いいなぁ、結婚。僕も早くしたいな〜」

マネージャーの知らせに大きな目をさらに見開き、驚く佐久間君。 
おめでとうと満面の笑みを浮かべて喜ぶ阿部ちゃん、あの岩本君だって。
ふっかさんは康二の結婚をキーッと悔しがって、結婚を素直に羨むまだ若いラウールにしょっぴーと舘さんは静かに微笑んでいた。

ただ、一人。

メンバーの中で俺だけが、

康二の結婚に怒り、悲しみ、そして、焦っている。

世間で騒がれた事務所の騒動から七年が経ち、タブーとされていた恋愛や結婚も今や個人が尊重されるようになったのだ。

他のグループのメンバーも多くが恋愛し、結婚している。

俺たちもデビュー十年めとなり、Snow Manの中でも交際をしているメンバーがいるが、まだまだ活動が忙しく結婚には中々踏み切れないらしい。

「(なんで……結婚なんて)」

メンバーの一番後ろで唯一胸を押さえ、よろける俺をすぐ隣にいるもう一人のマネージャーがチラリと横目で見やる。

その眼差しはナイフのように鋭い。

———他のメンバーにこの感情を悟られてはならない、と。

男女間の恋愛は良くともメンバー同士、すなわち男同士の『同性愛』はここではタブーなのだ。

俺はその視線から逃れるように、キツく目を閉じる。

「………」

康二の結婚に歓喜の声をあげるメンバー達に気付かれぬよう、俺はそっと深呼吸を繰り返した。

走馬灯のように脳裏に流れるのはここにはいない、出会ってから十四年間の康二の幸せそうな笑顔ばかりだ。

「(……落ち着け、いつも通りの俺を演じろ!)」

俺は何事も無かったようにスッと立ち上がり、いつもの笑顔を作る。

「ふーん、アイツも結婚か〜!康二がタイから帰って来たら、みんなでサプライズで驚かせようよ」

佐「えっ、いいじゃん!いいじゃん!なにやる!?」

岩「あー、ふっかがウェディングドレス着るとか?」

深「いいね!しょっぴーも白無垢着ちゃう?」

渡「着ま、せん!逆に康二に着させて、舘さんが白馬の王子やるっていうのは?」  

俺の提案にサプライズが大好きなメンバーは早速段取りを組み始める。

こういうのは康二が大体真っ先に取りかかるのだが、今回はその仕切り屋が主人公だ。

康二のベストコンビとして、結婚を一番に喜んでいるのは形上だけでも俺でありたかった。

わちゃわちゃと盛り上がっているこの空間が俺にとっては地獄でしかない。

白無垢を着たくないしょっぴーが話題を舘さんに逸らす。

舘「じゃあ、俺が康二と結婚しちゃう?」

互いの母親が息子達の家を行き来するほど、舘さんと康二は仲良しだ。  

舘さんは昔、康二の前では舘様ではなく、
宮舘涼太として素でいられると言っていたことがある。 

ありのままの自分をさらけ出せる康二の結婚が舘さんも素直に嬉しいのだろう。

仲のいいことでも知られるSnow Manは誰もがメンバーの幸せを一番に願っている。

だけど、舘さんの珍しい陽気な発言は少しずつ落ち着かせていた俺の心に油を注いだ。

押さえ切れない嫉妬心がこの身を焦がす。

ねぇ、康二のことをこの世の誰よりも愛しているのは舘さんでも、A子さんでもなく、

俺だよ?康二………




康「元気なうちにタイのじいちゃん、ばあちゃんに会うてくるわ!」

ドラマの撮影や番組の撮影が落ち着き、明日、康二は以前から申請していた休みに入る。

「俺も行きたい」

番組の収録が終わった楽屋で康二と二人きり。

俺の最も大切にしている時間。

お互い個人の仕事が増え、会える時間は昔に比べてぐんと減った。

オフの日は出来るだけ康二と一緒にいたかったのだが、康二に予定が入っていることが多く、いつも断られてしまう。

康「家族で集まんねん。ごめんな、めめ」

机に伏せて不貞腐れる俺に康二は困ったように笑い、康二の服の下に眠る、いつからか付け始めた長めのチェーンについたゴールドのリングを服の上から軽く握った。  

これは康二が困った時にする癖だ。 

TVでは弟分で甘えたな康二だが、本来の性分は面倒見が良く、兄貴分な一面の方が強いということを俺はよく知っている。

そんな康二を困らせることが好きな俺。
康二が構うのは俺だけでいて欲しい。 

——もっと、康二に甘えたい。

康二が好き。
康二が欲しい。

俺が素を出せるのはただ一人。

……向井康二だけ。

俺は康二には内緒で買ったズボンの右ポケットに忍ばせた、康二とお揃いのゴールドのリングを右手で握りしめ、逆の手で俺の左側に座る康二の頬をそっと撫でた。

「早く帰って来てね」

康「おぅ、お土産買うてくるな」

また、困ったように笑う康二。
その笑みの中に切なさが含まれていたことを俺はその時、気付けなかった。

タイに行く前日のこの日。

康二に愛していると伝えていればなにか変わっていたのだろうか。



康『めめ、久しぶり。今な日本に帰って来たんやけど、少し会えるか?』

どうやら康二が予定より一日早く帰国したようだ。

仕事終わりの夜。

電話越しに聞く五日ぶりの康二の声に胸が大きく高鳴り、仕事の疲れも康二のいない間に抱えていた怒りも全てが一瞬で吹き飛んだ。

俺はあまりの嬉しさに無意識でズボンの右ポケットに入った小さなリングを握る。

「…俺、康二がタイにいる間さ、ずっと連絡待ってたんだけど」

康『ごめん!じぃちゃん達が中々離れてくれなかったんよ。今どこ?』

「もうすぐユイカフェ」

康「カフェじゃ、ちょっとアレやな」

ユイカフェとは俺と康二の家の中間地点にあるカフェだ。

ここでよくコーヒーをテイクアウトし、近くにある割と森林の多い公園を康二と小話をしながら、散歩をする。

康二と過ごす何気ない時間が俺にとっては宝物だった。

俺はドラマに出るようになり、多忙を極めてからは康二と過ごす時間が無くなることが嫌で、康二のマンションに徒歩で行ける距離にすぐに引っ越した。

康二と数えきれないほど来たユイカフェを見上げ、渇いた笑いが漏れる。

こんなに近くにいるのに、康二に彼女がいたことにも気付かないなんてな。

本当笑っちゃうよ。

「俺も康二に話したいことがあるから、俺んちでいい?」

康『ええよ。俺も今マンションの前におるから、すぐ着くわ』

俺は康二との通話を切った後、ポケットに忍ばせたリングを左手の薬指に滑らせた。



康「めめ、久しぶり」 

「久しぶりっていっても一週間も経ってないけど。ほら、上がって」

五日ぶりの再会に康二は照れたように笑う。
俺は康二のその可愛さに、気を抜いたら緩む頬と抱きつきたい衝動をなんとか抑える。

康「俺にとっては三日会うてないだけでも、寂しいんよ。お邪魔します」

だけど、ブーツの紐を解く康二の黒のジャケットの上で揺れるゴールドのリング。

いつもは服の下にひっそりと隠れているのに、今日は康二が着ている服の上でしっかりとその存在を主張している。

それを見た瞬間、全てを悟った。

……よく言うよ。
今の今まで婚約者とタイにいたんだろ。

俺の知らない結婚、俺の知らない交際、いつの間にか付け始めた触れてはいけない指輪。

その答えは全てA子さんにあるのだろう。

「おかえり、康二」

ドス黒く、醜い感情を笑顔で隠し、あくまで自然に返す。

俺は昔、考えていることが態度や顔に出やすい為、
よくメンバーやマネージャーに気を付けるように言われていた。

そんな俺を康二だけは「ありのままのめめでええんやで」と言ってくれた。

……康二のその言葉がどれだけ嬉しく、康二の優しさに今までどれだけ救われたか。

メディアやドラマに出る機会が昔に比べてかなり増えた。

今は演技力にも磨きがかかり、メンバーの前でも感情を操作することが上手くなった。

でも、康二にだけは隠せない。

康「これな、向こうの酒を買ってきたんや。めめも明日オフやろ?ちょっとゆっくり出来るか?」

「うん」

まずなにをするにも康二は相手に確認を取る。 
それが後輩だとしても、奢った態度を絶対に取らない。  

歳下にも平等にいようとする。
そして、常に周りを気にして困っている人にはすかさず手を差し伸べる。

そんな性格だから、周りから愛されるんだ。

だけど、これから、
いや、その前からずっと、
康二の愛はただ一人だけのものだったんだね。

叶わぬ恋にただ、ただ、胸が痛み、
やり場のないこの想いをどこにぶつければいいのだろうか。

康「向こうでもSnow Manが人気でな、家族みんなでゾロゾロ歩くとめちゃくちゃ目立つやんか。だから、俺だけ帽子と眼鏡して変装したんよ」

「へぇー、それは嬉しいね」

タイでの家族との思い出を酒の肴に、飲み慣れない度数の高いお酒を男二人で座っても十分広い皮のソファーに康二と並んで掛けて、俺はロック、康二は水で少し割って飲む。

康「じいちゃん、ばあちゃんも兄ちゃんの子ども達見てめっちゃ喜んでてなぁ……」

長旅の疲れもあるのか、そんなに酒の強くない康二の目が据わってきた。

……その話の家族の中に康二の婚約者はいるのだろうか。

康二のいない間に、俺たちが康二の結婚のことをマネージャーから聞いたことをもちろん康二本人は知らない。

康二が帰国後、メンバーみんなでサプライズでお祝いをするから、結婚について康二に連絡を取ったものは一人もいないだろう。

俺にもまだしばらく言わないつもりでいるのだろうか。

そんな考えが頭の中でグルグルと巡り、飲み慣れない酒のせいもあってか、あんなに会いたかった康二が目の前にいるというのになに一つ面白くなくて。

「康二ももうすぐひ孫を見せてあげられるじゃん?」    

つい、隠そうと決めていた心の内がポロッと言葉に出てしまう。 

康「……え?」

思わずテーブルにグラスを置く力が強くなり、大きな音をたてその拍子で中身が跳ねる。 

俺は自分の嫌味な言動に思い切り眉を顰め、康二から目を逸らす。

そんな俺の露骨に出た久しぶりの態度に、康二は特に驚くこともなくやんわり笑って言った。

康「なんや、めめ俺の結婚のこと知ってたんか」

「 ……っ、」

その言葉に一気に血の気が引き、次の瞬間にはもう頭に血が上っていくのが分かった。

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