本編
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▽コンビニ
副長に見廻りに行けと言われ、暑さが厳しい中、今日も元気に市中見廻りをする。
休憩がてら、大江戸マートで水でも買おうかと立ち寄ったのが運の尽き。
「いらっしゃいませヨー」
出迎えてくれたのは、聞き覚えのある独特のエセチャイナ語を操る色白の可愛い女の子、神楽ちゃん。
レジでお菓子を貪り食べていて、口の周りにはお菓子の粉がついている。
「おー、美緒。よく来たアル。ゆっくりしてくヨロシ」
「万事屋さんって本当になんでもやるんだね」
「そうヨ。いきなりマダオからコンビニ任されて大変アル。でもお金もらえるから一生懸命やってるヨ」
「すごーい!偉いじゃん」
とは言ったものの、相変わらずお菓子を食べる手を止めない様子に、一生懸命とはなんだろうと疑問を抱いた。
その時、レジにお客さんがやってきた。
神楽ちゃんは、「いらっしゃいませヨー」と挨拶するものの、その口にはお菓子。
「……いや、いらっしゃいじゃなくて、おぬし勤務中であろう。何故うまい棒を食べているのだ」
「うまいからでございますヨー」
お客さんのツッコミに、的外れな返答を飄々と言ってのけている神楽ちゃんに、苦笑するしかない。
神楽ちゃんじゃなかったら怒られてたな。
その様子を見ているのをやめて、当初の目的であるドリンクコーナーへと足を向けた。
しかし、神楽ちゃんが店を任せられているのだから、少しぐらい売上に協力しようと思い、ドリンクコーナーの途中にあるお菓子コーナーを物色する。
「不備はお前らの頭だァァァ!」
お菓子コーナーにまで聞こえてきた、先程のお客さんの怒声。また何かやらかしたのだろう。
チョコ菓子とスナック菓子を手に取った時、パンと弾けるような音がした。
「何をするかァ貴様ァァ!ジャンプがドレッシングまみれではないかァ!」
お客さんの怒声から、起こった状況を整理するならば、ジャンプとドレッシングを一緒に温めたという所だろう。先程の弾けるような音は、ドレッシングの袋が爆発した音に違いない。
「あ、やっぱ新ちゃんもいた」
他にも何か買っていこうかとウロウロ歩いていると、新ちゃんが誰かの腕を掴んでいる現場に遭遇してしまった。
派手な色のリーゼントに特攻服という、いかにも暴走族を思わせる風貌の少年は、私を見るなり顔を青ざめさせた。
「え?何?初対面でそんなお化けでも見たかのような反応やめていただきたいのですが……」
「新ちゃん!おめェいつサツ呼んだんだよ!また俺を裏切る気か!」
「違う!とりあえず裏行こう。美緒ちゃんも一緒に来てください」
ただ買い物をしに来ただけなのに、何故裏に連れて行かれるのだろう。
私何かしたかな?と考えていると目に入ったのは、彼の特攻服のズボンの腹に挟んであるいくつもの整髪料。
状況を理解し、お菓子を棚に戻してからバックヤードへと向かった。
一応、失礼します、と一言挨拶をして入れば、銀ちゃんも同席していて、盗もうとしていたであろう整髪料が机に並べられている。
「おう、美緒。コイツ逮捕してくれ」
「銀さん早いです。少し話を聞きましょうよ。美緒ちゃんも逮捕は待ってください」
「話っつったってよォお前……」
新ちゃんの待てに頷いてから、煩わしそうに頭をかく銀ちゃんに視線を移す。なんだかんだ言っても、話は聞くらしい。
彼は、高屋八兵衛と名乗り、新ちゃんと同じ16歳だそうだ。
高屋くんは、椅子に座ってムスッとした表情を崩さない。
「大体おめー、こんなにたくさんの整髪料どーするつもりだったんだ?心配しないでも決まってるよお前、自分に自信持て!」
「銀ちゃん、自分に自信持つのってかなり大変な事だよ。こんなに整髪料使っても自信持てない高屋くんの気持ちも考えてあげてよ」
「コレ全部俺が使うわけねーだろうが!」
「じゃあなんだ、ご飯か?ご飯にかけてサラサラいくつもりだったのか?」
お茶漬けじゃあるまいし、サラサラいかないだろ。整髪料によっては生クリームだよ。と、心の中でツッコミを入れる。
「……タカチン、なんでこんなこと。タカチン、こんな事する奴じゃなかったじゃないか」
1人、神妙な口調で事情を聞き出そうとする新ちゃん。
『こんな事する奴じゃない』と言う事は、昔馴染みの関係だろうか。
会えていない間に、こんな犯罪に手を染めるようになってしまったのならば、そのショックは計り知れないだろう。何故と疑問に思うのも当然の感情。
現に、高屋くんもお前が知っているタカチンじゃないと言い切っている。
「もういいから奉行所でもどこでも連れてけや!はりつけ獄門上等だコノヤロー!」
「では、失礼して。11時16分、窃盗罪容疑で現行犯逮捕」
投げやりな言い方だけれど、本人たっての希望なので、躊躇なくその手首に手錠をかけた。
「えええ!?ちょっとちょっと何してるんすか美緒ちゃん!逮捕しないでって言ったじゃないですか!」
「本人が今奉行所連れてけって言われてましたよ」
「言ってたけど、待ってください!本当にタカチンはこんな事する人じゃないんです!手錠外して下さい!」
新ちゃんの気持ちも分かる。
知り合いが逮捕されるところなんて見たくないだろう。
「だったら、私をここに同席させたのが間違いでしたね。新ちゃんは、さっき『逮捕は待って』と言っていたので待ちました。でも、高屋くん本人から『奉行所に連れてけ』と容疑を認めるような発言をされたので逮捕したまでです」
「お前、いきなり警察みたいな事してどーした?キャラ違くね?なんか悪いもんでも食べたのか?落ちた物は食べちゃダメって、あれほど耳が酸っぱくなるまで言っただろーが」
銀ちゃんに変な心配をされてしまい、慌てて自分の職業を明かす。
「落ちた物は食べてないし、見えないかもしれないけど、私は警察"みたい"じゃなくて警察なんだよ」
普段警察らしい事をしていないので、驚かれるのも無理はないのかもしれないけれど、ここまで言われると複雑だ。
銀ちゃんは、そうだったなと嘆息した。
「美緒にも立場があるっつーのは分からんでもねーけどよォ、店外に持ち出したってわけでもあるめェし、逮捕は早計なんじゃねぇの?」
銀ちゃんを見上げて、でも、と言いかけた口を閉ざし、目を伏せる。
確かに店外には持ち出してもいないし、こうして話し合いにも応じてくれた。銀ちゃんの言う通り早計なのだろうか。
伏せていた視線を、不貞腐れている高屋くんと高屋くんを困惑のそれで見ている新ちゃんへと移す。
私の視線に気が付いたのか、新ちゃんの瞳がこちらに向いた。なんとなく気まずさを覚えて、視線を逸らす。
私は、ふぅーっと息を吐いて、高屋くんの手錠を外した。
本来なら、こういう事はあってはならないのだろう。
「お前……!」
「美緒ちゃん!」
驚きのそれで私を見る高屋くんと新ちゃんに、厳しい口調で伝えた。
「見逃すのは今日だけだから。次はないから」
「美緒ちゃん、ありがとうございます!」
「本当に次はないから。次見かけたら即行、問答無用で逮捕して副長呼ぶからね。新ちゃんもそのつもりでいてください」
「もし次があっても、僕が止めます」
決意揺らがぬ瞳で見つめられ、軽く息を吐いた。
「そだね。私も、なるべくなら逮捕したくない」
「美緒ちゃん、本当にありがとうございます」
新ちゃんに、嬉しそうにお礼を告げられたら、苦笑いを返す事しか出来ない。
高屋くんを外まで見送ると言う新ちゃんに連れられ、バックヤードから出て行こうとする高屋くんを呼び止めた。足を止めて、こちらを向いたその顔をまっすぐ見据える。
「何があなたをそうさせるのか分からないけど、どういった理由でも万引きは立派な犯罪だって事と、あと、さっきの手錠の冷たさと重さ、覚えといてください」
私の忠告にも、高屋くんはふんっと鼻を鳴らして「うっせーよ」と最後まで反抗的な態度を崩さなかった。
私が何を言っても、高屋くんの心には響かない。
今日会うのが初めてなので、あの反応が当たり前といえば当たり前なのかもしれない。
私に1度忠告されて改心するような人ならば、如何なる理由があれど最初から万引きなぞしないだろう。
ふと高屋くんの背中に書いてある文字を見て目を瞠った。今まで前しか見えていなかったので気が付かなかったけれど、確かに『舞流独愚』と書かれているのだ。
噂で聞いた事がある。
窃盗、傷害など平気でやる、ここら辺で1番タチの悪い暴走族だと。
しまった……!あの舞流独愚か!なんてこったァァ!捕まえて拠点聞いたら大量検挙出来たのにィ!チャンス逃した!
そう思っても後の祭り。
恐らく、新ちゃんは彼がその族に入っている事を知りながらも庇っていたのだろう。
しかし、1度手錠をかけたにも関わらず、解錠したのも己自身。自分の愚かさにため息すら出ない。
「警察としてダメな気がしてきた……」
2人が去った後に、思わず漏れた弱音。
銀ちゃんが傍にいる事を思い出し、慌てて撤回しようとするより先に銀ちゃんが口を開いた。
「警察としてかどうかは分かんねーけど、お前自身がこの方がいいと思ってやったんだったら、それでいいんじゃねェの?」
「…………」
「組織にいたら難しいのかもしんねーけど、時には組織のルールより己の中にあるルールを護って動いてもいいと思うけどね、俺は」
己の中にあるルール……
そんな大層なルールが私の中にあるのかは分からないけれど、銀ちゃんの言っている意味は理解出来る。勿論、それは自分勝手に動いていいという事と同義ではないという事も。
「今回はこれで良かったんだろうよ。ほら、しんきくせー顔してねェで店出んぞ」
「うん、ありがとね。銀ちゃん」
「礼なんかいらねーから、なんか奢れや」
先に出ていく銀ちゃんの背中を追いかけながら、何がほしいか尋ねる。ついでに、神楽ちゃんや新ちゃんにもリクエストを聞いていると、お妙ちゃんが入店してきた。
「あら、美緒ちゃん。久しぶりね。美緒ちゃんもコンビニのお手伝い?」
「お妙ちゃん久しぶり。私はただの客です」
何故か、私を見て「たりるかしら?大丈夫よね」などと呟いているお妙ちゃんに首を傾げる。
レジ番をしている新ちゃんのもとに向かうお妙ちゃんを見送ってから、私も買い物カゴを持ってお菓子コーナーへ。
「銀さんも神楽ちゃんも美緒ちゃんも食べてください」
お菓子コーナーを物色していると、そう呼びかけられた。
私はただの客として出向いただけなのに差し入れをいただくのは悪いので断ろうと、レジの前にいるお妙ちゃんの所に行く。
「お妙ちゃん、私ただの客だから差し入れもらうの悪いよ」
「いいのよ、遠慮しないで。みんなで食べる方が楽しいもの。それに、今回は新しい料理に挑戦してみたんですー」
と、レジ台に置いてある弁当箱の中を覗いて固まった。
「ハイ、だし巻き卵」
入っていたのは、だし巻き卵ではなく大きな炭のような黒い塊。だし巻き卵と炭を入れ間違えたのだろうか。しかし、お妙ちゃんを見る限り間違いではなさそうだ。
「私飲み物買ってくるヨ」
「いいって!俺が行くから座ってろ!」
「ここはコンビニよ。飲み物ならそこに腐る程あるわー」
逃げようとする神楽ちゃんと銀ちゃんを引き止めたお妙ちゃんは、泣いている2人を自分の目の前に座らせて、間に黒い塊が入っている弁当箱を置いた。
「お妙ちゃん、私――」
「美緒ちゃん」
ゆらりとこちらに向けられた笑顔に、背筋が震えてお妙ちゃんと神楽ちゃんの間に腰を下ろす。
本当にだし巻き卵なのか疑わしいそれは、食べても人体に害はないのだろうか。
食べるにしても、この5人でどうやって分けて食べろと言うのか謎ばかりだ。
「新ちゃん、あなたもこっちに来て食べなさい。女に恥をかかせるものじゃありません」
お妙ちゃんが新ちゃんを誘うが、新ちゃんは神妙な面持ちで口を開いた。
お妙ちゃんに、舞流独愚について尋ねた事により、彼がその族に所属している事を知っていたのが確定となった。
「……タカチンがあんなになったのは僕のせいなんです。彼が1番困ってる時に、僕は彼をつき離したんだ」
新ちゃんから語られる高屋くんとの過去は、脱糞した高屋くんに気付いていながらも寝たフリを貫いたという、どう反応していいものなのだか困る内容だった。
寺子屋に通った事がなく、目の前で脱糞をしてしまった友達もいた事がない私からすれば想像はつかないけれど、その状況に置かれた本人たちからしたらとても悩ましい重大なものだったのだろう。
「あの時、僕は一体どうすれば良かったんですかね。どうすればタカチンを救えたんですかね」
「……いや、無理だろ」
「無理無理」
「もう弁当用意したの?昼ご飯にはまだ早いよってフォローしてあげたら良かったんじゃない?」
「なんだそれ。ケツからカレー作ったってことか?昼食った後だったらフォローになんねーだろうが」
「おかわりかもしれないじゃん」
私たちの会話をお妙ちゃんは「無理じゃないわ」と否定した。立ち上がったお妙ちゃんに視線が集まる。
「友達が泣いている時は一緒に泣いてあげればイイ。友達が悩んでる時は一緒に頭を抱えて悩んであげればイイ。友達が脱糞した時はあなたも脱糞しなさい、新ちゃん」
そう諭すお妙ちゃんは、続けて、どんな痛みも友達なら分け合える事が出来る、そして、友達が間違った道に進んでしまった時は、友情を壊してでも止めなさい、と。
「それが真の侍の友情よ」
お妙ちゃんの熱く胸にも届く発言に、新ちゃんの顔付きが変わった。何も迷いがないような、覚悟を決めたそんな表情。
「……すみません店長。用事があるので早退させてもらいます」
そのまま自動ドアを目指すその背中が、頼もしく大きいものに見えた。
向かう先は、ここにいるみんなが分かっている事だろう。
もう見えなくなったというのに、新ちゃんが出て行った方を見たままの私達。
「……オイオイ、いいのかよ。最近のガキャ何するか分かったもんじゃねーぜ」
どうなっても知らねーよ俺ァと言った銀ちゃんだったが、なんだかんだ新ちゃんを助けに行くのだろう。
コンビニに長居しすぎたな、と本来の目的である水とお菓子を買いに戻る。
カゴに、水や銀ちゃんと神楽ちゃんにねだられたお菓子を入れてレジに置くが、店内には誰もいない。
「銀ちゃーん。神楽ちゃーん。どっちでもいいからお会計してほし……ん?」
バックヤードにいるのかと呼びに行った先には、いつ用意したのか寺門通親衛隊の隊服を着た3人。
「え?何やってんの?お妙ちゃんまで」
「美緒はこれに着替えろ。神楽のだったらサイズ合うだろ」
「え?え?何?うあ……」
投げ寄越されたコンビニの制服が頭にかかる。
それを剥がすと、脱いだばかりなのだろう。服に体温が残っていて生暖かい。
「大人しく着替えるアルヨ!」
「大人しくしてたら一瞬で終わるわよ」
「ちょ、何!?あー!やめてー!」
そして、無理やり神楽ちゃんとお妙ちゃんに着替えさせられた私は、お嫁に行けないと座り込んで涙を流す。
そんな私の肩に手を乗せた銀ちゃんは、こう言った。
「店長、用事出来たんで早退しまーす」
「店長、あとよろしくアル」
「店長、行ってくるわね」
神楽ちゃんもお妙ちゃんも、銀ちゃんの真似をしてそう告げてくる。
「え!?店長って何!?銀ちゃん、私仕事中だし困るよ!」
「なーに、お前なら両立出来るさ」
そんな無責任な発言を残して、銀ちゃんの原付に器用に3人で乗り、颯爽と町を駆け抜けていく。
「どーすんのコレ……」
嘆いた所で、他に誰もいないし、大金が置いてあるだろう店を、もぬけの殻にするのは気が引けた。
しかし、接客、ましてやレジ打ちの仕事をした事がないので不安や心配しかない。
こんな時に私の中に眠っていた責任感が発動され、仕方ないと腹を括る。
やるのは、銀ちゃんたちが戻るまでの間だけだ。1時間もすれば戻ってくるだろう。
探し当てたレジのマニュアルを読んで操作方法を覚えようとするが、その間にもお客さんが待ってくれる事もなく。
「いらっしゃいませー。商品お預かりいたします」
最初は、商品によって印字場所が違うバーコードを探すのでさえ手間取っていたけれど、客をさばいて行くにつれて最初より少しは手馴れてきたように思う。
お客さんがいない間を縫って、床をモップ掛けしたり、倉庫にあったドリンクや食品を補充したり、迷子のおばあちゃんに道を教えたりと目まぐるしい。
そして、何より愛想笑いでつり上がった頬の筋肉が痛い。
「っていうか夜じゃん!銀ちゃんたち戻って来ないんだけどどういう事!?」
忙しさにかまけ過ぎて、日が落ちていた事にも気が付かなかった。外はすっかり真っ暗だ。
「おーい、姉ちゃん。レジー」
「はーい」
お客さんに呼ばれて慌ててレジの所に戻りながら、壁にかけてある時計を見ると、針はもう既に9時過ぎをさしている。
「また副長に怒られる……」
レジを済ませて、お客さんにお礼を告げた後急いで副長に電話をかけた。
電子音が切れ、私が声を発する間もなく鼓膜に届いた怒声。
《おめェ!電話にも出ねェで何してんだコラァ!今何時だと思ってやがる!》
「す、すみません……私も仕事してて……」
《はァ!?仕事だァ!?》
「はい……コンビニでレジの――」
「お姉さん会計しておくれな。あとタバコ1つ」
背後から艶めかしい声が聞こえてきた。
振り返れば、綺麗なお姉さんがタバコ1つと、細く白い綺麗な人差し指を立てている。
「はい、少々お待ちください」
笑顔を貼り付けてお願いした後、副長に、お客さん来たので切りますと早口で告げ、怒鳴っている副長に構わず通話を切った。
会計を済ませてお客さんを見送る。
「疲れた……」
そういえば、朝食べたきりずっと口に何も入れていない。座ったのは、お妙ちゃんのだし巻き卵を前にした時以来なので、軽く8時間以上は休憩なしの動きっぱなしだ。
気が付かなかったら良かった事に気が付いてしまい、一気に喉の乾き、空腹、足や体の疲労、頬の痛みが襲い来る。
文句を言おうと万事屋に電話をかけたら、銀ちゃんに笑われてしまった。
《何?お前、まだいたの?律儀だねー。もう帰ったかと思ってたわ》
「銀ちゃんが戻ってくるの待ってたんだけど、戻ってくる?」
《あー?もうめんどくせーよ。どうせマダオの店だからほっとけや》
「えー?放っといて大丈夫なのかなー?ところで、私に半分は分け前もらえるんだよね?」
《やっべ。レンタルしてたビデオ見るの忘れてたわ。いっけねー。じゃあ忙しいから切るわ》
「あっ、ちょ……」
そう言うと、私に文句の1つも言わさぬように切られた。
金の為にやっていた訳ではないけれど、タダ働きというのは、どこか思うところもあるわけで。
そのマダオという方には申し訳ないけれど、逃げさせてもらう事にした。
勿論、屋敷に帰った私を待ち受けているのは副長からのお叱り。
副長に見廻りに行けと言われ、暑さが厳しい中、今日も元気に市中見廻りをする。
休憩がてら、大江戸マートで水でも買おうかと立ち寄ったのが運の尽き。
「いらっしゃいませヨー」
出迎えてくれたのは、聞き覚えのある独特のエセチャイナ語を操る色白の可愛い女の子、神楽ちゃん。
レジでお菓子を貪り食べていて、口の周りにはお菓子の粉がついている。
「おー、美緒。よく来たアル。ゆっくりしてくヨロシ」
「万事屋さんって本当になんでもやるんだね」
「そうヨ。いきなりマダオからコンビニ任されて大変アル。でもお金もらえるから一生懸命やってるヨ」
「すごーい!偉いじゃん」
とは言ったものの、相変わらずお菓子を食べる手を止めない様子に、一生懸命とはなんだろうと疑問を抱いた。
その時、レジにお客さんがやってきた。
神楽ちゃんは、「いらっしゃいませヨー」と挨拶するものの、その口にはお菓子。
「……いや、いらっしゃいじゃなくて、おぬし勤務中であろう。何故うまい棒を食べているのだ」
「うまいからでございますヨー」
お客さんのツッコミに、的外れな返答を飄々と言ってのけている神楽ちゃんに、苦笑するしかない。
神楽ちゃんじゃなかったら怒られてたな。
その様子を見ているのをやめて、当初の目的であるドリンクコーナーへと足を向けた。
しかし、神楽ちゃんが店を任せられているのだから、少しぐらい売上に協力しようと思い、ドリンクコーナーの途中にあるお菓子コーナーを物色する。
「不備はお前らの頭だァァァ!」
お菓子コーナーにまで聞こえてきた、先程のお客さんの怒声。また何かやらかしたのだろう。
チョコ菓子とスナック菓子を手に取った時、パンと弾けるような音がした。
「何をするかァ貴様ァァ!ジャンプがドレッシングまみれではないかァ!」
お客さんの怒声から、起こった状況を整理するならば、ジャンプとドレッシングを一緒に温めたという所だろう。先程の弾けるような音は、ドレッシングの袋が爆発した音に違いない。
「あ、やっぱ新ちゃんもいた」
他にも何か買っていこうかとウロウロ歩いていると、新ちゃんが誰かの腕を掴んでいる現場に遭遇してしまった。
派手な色のリーゼントに特攻服という、いかにも暴走族を思わせる風貌の少年は、私を見るなり顔を青ざめさせた。
「え?何?初対面でそんなお化けでも見たかのような反応やめていただきたいのですが……」
「新ちゃん!おめェいつサツ呼んだんだよ!また俺を裏切る気か!」
「違う!とりあえず裏行こう。美緒ちゃんも一緒に来てください」
ただ買い物をしに来ただけなのに、何故裏に連れて行かれるのだろう。
私何かしたかな?と考えていると目に入ったのは、彼の特攻服のズボンの腹に挟んであるいくつもの整髪料。
状況を理解し、お菓子を棚に戻してからバックヤードへと向かった。
一応、失礼します、と一言挨拶をして入れば、銀ちゃんも同席していて、盗もうとしていたであろう整髪料が机に並べられている。
「おう、美緒。コイツ逮捕してくれ」
「銀さん早いです。少し話を聞きましょうよ。美緒ちゃんも逮捕は待ってください」
「話っつったってよォお前……」
新ちゃんの待てに頷いてから、煩わしそうに頭をかく銀ちゃんに視線を移す。なんだかんだ言っても、話は聞くらしい。
彼は、高屋八兵衛と名乗り、新ちゃんと同じ16歳だそうだ。
高屋くんは、椅子に座ってムスッとした表情を崩さない。
「大体おめー、こんなにたくさんの整髪料どーするつもりだったんだ?心配しないでも決まってるよお前、自分に自信持て!」
「銀ちゃん、自分に自信持つのってかなり大変な事だよ。こんなに整髪料使っても自信持てない高屋くんの気持ちも考えてあげてよ」
「コレ全部俺が使うわけねーだろうが!」
「じゃあなんだ、ご飯か?ご飯にかけてサラサラいくつもりだったのか?」
お茶漬けじゃあるまいし、サラサラいかないだろ。整髪料によっては生クリームだよ。と、心の中でツッコミを入れる。
「……タカチン、なんでこんなこと。タカチン、こんな事する奴じゃなかったじゃないか」
1人、神妙な口調で事情を聞き出そうとする新ちゃん。
『こんな事する奴じゃない』と言う事は、昔馴染みの関係だろうか。
会えていない間に、こんな犯罪に手を染めるようになってしまったのならば、そのショックは計り知れないだろう。何故と疑問に思うのも当然の感情。
現に、高屋くんもお前が知っているタカチンじゃないと言い切っている。
「もういいから奉行所でもどこでも連れてけや!はりつけ獄門上等だコノヤロー!」
「では、失礼して。11時16分、窃盗罪容疑で現行犯逮捕」
投げやりな言い方だけれど、本人たっての希望なので、躊躇なくその手首に手錠をかけた。
「えええ!?ちょっとちょっと何してるんすか美緒ちゃん!逮捕しないでって言ったじゃないですか!」
「本人が今奉行所連れてけって言われてましたよ」
「言ってたけど、待ってください!本当にタカチンはこんな事する人じゃないんです!手錠外して下さい!」
新ちゃんの気持ちも分かる。
知り合いが逮捕されるところなんて見たくないだろう。
「だったら、私をここに同席させたのが間違いでしたね。新ちゃんは、さっき『逮捕は待って』と言っていたので待ちました。でも、高屋くん本人から『奉行所に連れてけ』と容疑を認めるような発言をされたので逮捕したまでです」
「お前、いきなり警察みたいな事してどーした?キャラ違くね?なんか悪いもんでも食べたのか?落ちた物は食べちゃダメって、あれほど耳が酸っぱくなるまで言っただろーが」
銀ちゃんに変な心配をされてしまい、慌てて自分の職業を明かす。
「落ちた物は食べてないし、見えないかもしれないけど、私は警察"みたい"じゃなくて警察なんだよ」
普段警察らしい事をしていないので、驚かれるのも無理はないのかもしれないけれど、ここまで言われると複雑だ。
銀ちゃんは、そうだったなと嘆息した。
「美緒にも立場があるっつーのは分からんでもねーけどよォ、店外に持ち出したってわけでもあるめェし、逮捕は早計なんじゃねぇの?」
銀ちゃんを見上げて、でも、と言いかけた口を閉ざし、目を伏せる。
確かに店外には持ち出してもいないし、こうして話し合いにも応じてくれた。銀ちゃんの言う通り早計なのだろうか。
伏せていた視線を、不貞腐れている高屋くんと高屋くんを困惑のそれで見ている新ちゃんへと移す。
私の視線に気が付いたのか、新ちゃんの瞳がこちらに向いた。なんとなく気まずさを覚えて、視線を逸らす。
私は、ふぅーっと息を吐いて、高屋くんの手錠を外した。
本来なら、こういう事はあってはならないのだろう。
「お前……!」
「美緒ちゃん!」
驚きのそれで私を見る高屋くんと新ちゃんに、厳しい口調で伝えた。
「見逃すのは今日だけだから。次はないから」
「美緒ちゃん、ありがとうございます!」
「本当に次はないから。次見かけたら即行、問答無用で逮捕して副長呼ぶからね。新ちゃんもそのつもりでいてください」
「もし次があっても、僕が止めます」
決意揺らがぬ瞳で見つめられ、軽く息を吐いた。
「そだね。私も、なるべくなら逮捕したくない」
「美緒ちゃん、本当にありがとうございます」
新ちゃんに、嬉しそうにお礼を告げられたら、苦笑いを返す事しか出来ない。
高屋くんを外まで見送ると言う新ちゃんに連れられ、バックヤードから出て行こうとする高屋くんを呼び止めた。足を止めて、こちらを向いたその顔をまっすぐ見据える。
「何があなたをそうさせるのか分からないけど、どういった理由でも万引きは立派な犯罪だって事と、あと、さっきの手錠の冷たさと重さ、覚えといてください」
私の忠告にも、高屋くんはふんっと鼻を鳴らして「うっせーよ」と最後まで反抗的な態度を崩さなかった。
私が何を言っても、高屋くんの心には響かない。
今日会うのが初めてなので、あの反応が当たり前といえば当たり前なのかもしれない。
私に1度忠告されて改心するような人ならば、如何なる理由があれど最初から万引きなぞしないだろう。
ふと高屋くんの背中に書いてある文字を見て目を瞠った。今まで前しか見えていなかったので気が付かなかったけれど、確かに『舞流独愚』と書かれているのだ。
噂で聞いた事がある。
窃盗、傷害など平気でやる、ここら辺で1番タチの悪い暴走族だと。
しまった……!あの舞流独愚か!なんてこったァァ!捕まえて拠点聞いたら大量検挙出来たのにィ!チャンス逃した!
そう思っても後の祭り。
恐らく、新ちゃんは彼がその族に入っている事を知りながらも庇っていたのだろう。
しかし、1度手錠をかけたにも関わらず、解錠したのも己自身。自分の愚かさにため息すら出ない。
「警察としてダメな気がしてきた……」
2人が去った後に、思わず漏れた弱音。
銀ちゃんが傍にいる事を思い出し、慌てて撤回しようとするより先に銀ちゃんが口を開いた。
「警察としてかどうかは分かんねーけど、お前自身がこの方がいいと思ってやったんだったら、それでいいんじゃねェの?」
「…………」
「組織にいたら難しいのかもしんねーけど、時には組織のルールより己の中にあるルールを護って動いてもいいと思うけどね、俺は」
己の中にあるルール……
そんな大層なルールが私の中にあるのかは分からないけれど、銀ちゃんの言っている意味は理解出来る。勿論、それは自分勝手に動いていいという事と同義ではないという事も。
「今回はこれで良かったんだろうよ。ほら、しんきくせー顔してねェで店出んぞ」
「うん、ありがとね。銀ちゃん」
「礼なんかいらねーから、なんか奢れや」
先に出ていく銀ちゃんの背中を追いかけながら、何がほしいか尋ねる。ついでに、神楽ちゃんや新ちゃんにもリクエストを聞いていると、お妙ちゃんが入店してきた。
「あら、美緒ちゃん。久しぶりね。美緒ちゃんもコンビニのお手伝い?」
「お妙ちゃん久しぶり。私はただの客です」
何故か、私を見て「たりるかしら?大丈夫よね」などと呟いているお妙ちゃんに首を傾げる。
レジ番をしている新ちゃんのもとに向かうお妙ちゃんを見送ってから、私も買い物カゴを持ってお菓子コーナーへ。
「銀さんも神楽ちゃんも美緒ちゃんも食べてください」
お菓子コーナーを物色していると、そう呼びかけられた。
私はただの客として出向いただけなのに差し入れをいただくのは悪いので断ろうと、レジの前にいるお妙ちゃんの所に行く。
「お妙ちゃん、私ただの客だから差し入れもらうの悪いよ」
「いいのよ、遠慮しないで。みんなで食べる方が楽しいもの。それに、今回は新しい料理に挑戦してみたんですー」
と、レジ台に置いてある弁当箱の中を覗いて固まった。
「ハイ、だし巻き卵」
入っていたのは、だし巻き卵ではなく大きな炭のような黒い塊。だし巻き卵と炭を入れ間違えたのだろうか。しかし、お妙ちゃんを見る限り間違いではなさそうだ。
「私飲み物買ってくるヨ」
「いいって!俺が行くから座ってろ!」
「ここはコンビニよ。飲み物ならそこに腐る程あるわー」
逃げようとする神楽ちゃんと銀ちゃんを引き止めたお妙ちゃんは、泣いている2人を自分の目の前に座らせて、間に黒い塊が入っている弁当箱を置いた。
「お妙ちゃん、私――」
「美緒ちゃん」
ゆらりとこちらに向けられた笑顔に、背筋が震えてお妙ちゃんと神楽ちゃんの間に腰を下ろす。
本当にだし巻き卵なのか疑わしいそれは、食べても人体に害はないのだろうか。
食べるにしても、この5人でどうやって分けて食べろと言うのか謎ばかりだ。
「新ちゃん、あなたもこっちに来て食べなさい。女に恥をかかせるものじゃありません」
お妙ちゃんが新ちゃんを誘うが、新ちゃんは神妙な面持ちで口を開いた。
お妙ちゃんに、舞流独愚について尋ねた事により、彼がその族に所属している事を知っていたのが確定となった。
「……タカチンがあんなになったのは僕のせいなんです。彼が1番困ってる時に、僕は彼をつき離したんだ」
新ちゃんから語られる高屋くんとの過去は、脱糞した高屋くんに気付いていながらも寝たフリを貫いたという、どう反応していいものなのだか困る内容だった。
寺子屋に通った事がなく、目の前で脱糞をしてしまった友達もいた事がない私からすれば想像はつかないけれど、その状況に置かれた本人たちからしたらとても悩ましい重大なものだったのだろう。
「あの時、僕は一体どうすれば良かったんですかね。どうすればタカチンを救えたんですかね」
「……いや、無理だろ」
「無理無理」
「もう弁当用意したの?昼ご飯にはまだ早いよってフォローしてあげたら良かったんじゃない?」
「なんだそれ。ケツからカレー作ったってことか?昼食った後だったらフォローになんねーだろうが」
「おかわりかもしれないじゃん」
私たちの会話をお妙ちゃんは「無理じゃないわ」と否定した。立ち上がったお妙ちゃんに視線が集まる。
「友達が泣いている時は一緒に泣いてあげればイイ。友達が悩んでる時は一緒に頭を抱えて悩んであげればイイ。友達が脱糞した時はあなたも脱糞しなさい、新ちゃん」
そう諭すお妙ちゃんは、続けて、どんな痛みも友達なら分け合える事が出来る、そして、友達が間違った道に進んでしまった時は、友情を壊してでも止めなさい、と。
「それが真の侍の友情よ」
お妙ちゃんの熱く胸にも届く発言に、新ちゃんの顔付きが変わった。何も迷いがないような、覚悟を決めたそんな表情。
「……すみません店長。用事があるので早退させてもらいます」
そのまま自動ドアを目指すその背中が、頼もしく大きいものに見えた。
向かう先は、ここにいるみんなが分かっている事だろう。
もう見えなくなったというのに、新ちゃんが出て行った方を見たままの私達。
「……オイオイ、いいのかよ。最近のガキャ何するか分かったもんじゃねーぜ」
どうなっても知らねーよ俺ァと言った銀ちゃんだったが、なんだかんだ新ちゃんを助けに行くのだろう。
コンビニに長居しすぎたな、と本来の目的である水とお菓子を買いに戻る。
カゴに、水や銀ちゃんと神楽ちゃんにねだられたお菓子を入れてレジに置くが、店内には誰もいない。
「銀ちゃーん。神楽ちゃーん。どっちでもいいからお会計してほし……ん?」
バックヤードにいるのかと呼びに行った先には、いつ用意したのか寺門通親衛隊の隊服を着た3人。
「え?何やってんの?お妙ちゃんまで」
「美緒はこれに着替えろ。神楽のだったらサイズ合うだろ」
「え?え?何?うあ……」
投げ寄越されたコンビニの制服が頭にかかる。
それを剥がすと、脱いだばかりなのだろう。服に体温が残っていて生暖かい。
「大人しく着替えるアルヨ!」
「大人しくしてたら一瞬で終わるわよ」
「ちょ、何!?あー!やめてー!」
そして、無理やり神楽ちゃんとお妙ちゃんに着替えさせられた私は、お嫁に行けないと座り込んで涙を流す。
そんな私の肩に手を乗せた銀ちゃんは、こう言った。
「店長、用事出来たんで早退しまーす」
「店長、あとよろしくアル」
「店長、行ってくるわね」
神楽ちゃんもお妙ちゃんも、銀ちゃんの真似をしてそう告げてくる。
「え!?店長って何!?銀ちゃん、私仕事中だし困るよ!」
「なーに、お前なら両立出来るさ」
そんな無責任な発言を残して、銀ちゃんの原付に器用に3人で乗り、颯爽と町を駆け抜けていく。
「どーすんのコレ……」
嘆いた所で、他に誰もいないし、大金が置いてあるだろう店を、もぬけの殻にするのは気が引けた。
しかし、接客、ましてやレジ打ちの仕事をした事がないので不安や心配しかない。
こんな時に私の中に眠っていた責任感が発動され、仕方ないと腹を括る。
やるのは、銀ちゃんたちが戻るまでの間だけだ。1時間もすれば戻ってくるだろう。
探し当てたレジのマニュアルを読んで操作方法を覚えようとするが、その間にもお客さんが待ってくれる事もなく。
「いらっしゃいませー。商品お預かりいたします」
最初は、商品によって印字場所が違うバーコードを探すのでさえ手間取っていたけれど、客をさばいて行くにつれて最初より少しは手馴れてきたように思う。
お客さんがいない間を縫って、床をモップ掛けしたり、倉庫にあったドリンクや食品を補充したり、迷子のおばあちゃんに道を教えたりと目まぐるしい。
そして、何より愛想笑いでつり上がった頬の筋肉が痛い。
「っていうか夜じゃん!銀ちゃんたち戻って来ないんだけどどういう事!?」
忙しさにかまけ過ぎて、日が落ちていた事にも気が付かなかった。外はすっかり真っ暗だ。
「おーい、姉ちゃん。レジー」
「はーい」
お客さんに呼ばれて慌ててレジの所に戻りながら、壁にかけてある時計を見ると、針はもう既に9時過ぎをさしている。
「また副長に怒られる……」
レジを済ませて、お客さんにお礼を告げた後急いで副長に電話をかけた。
電子音が切れ、私が声を発する間もなく鼓膜に届いた怒声。
《おめェ!電話にも出ねェで何してんだコラァ!今何時だと思ってやがる!》
「す、すみません……私も仕事してて……」
《はァ!?仕事だァ!?》
「はい……コンビニでレジの――」
「お姉さん会計しておくれな。あとタバコ1つ」
背後から艶めかしい声が聞こえてきた。
振り返れば、綺麗なお姉さんがタバコ1つと、細く白い綺麗な人差し指を立てている。
「はい、少々お待ちください」
笑顔を貼り付けてお願いした後、副長に、お客さん来たので切りますと早口で告げ、怒鳴っている副長に構わず通話を切った。
会計を済ませてお客さんを見送る。
「疲れた……」
そういえば、朝食べたきりずっと口に何も入れていない。座ったのは、お妙ちゃんのだし巻き卵を前にした時以来なので、軽く8時間以上は休憩なしの動きっぱなしだ。
気が付かなかったら良かった事に気が付いてしまい、一気に喉の乾き、空腹、足や体の疲労、頬の痛みが襲い来る。
文句を言おうと万事屋に電話をかけたら、銀ちゃんに笑われてしまった。
《何?お前、まだいたの?律儀だねー。もう帰ったかと思ってたわ》
「銀ちゃんが戻ってくるの待ってたんだけど、戻ってくる?」
《あー?もうめんどくせーよ。どうせマダオの店だからほっとけや》
「えー?放っといて大丈夫なのかなー?ところで、私に半分は分け前もらえるんだよね?」
《やっべ。レンタルしてたビデオ見るの忘れてたわ。いっけねー。じゃあ忙しいから切るわ》
「あっ、ちょ……」
そう言うと、私に文句の1つも言わさぬように切られた。
金の為にやっていた訳ではないけれど、タダ働きというのは、どこか思うところもあるわけで。
そのマダオという方には申し訳ないけれど、逃げさせてもらう事にした。
勿論、屋敷に帰った私を待ち受けているのは副長からのお叱り。