・篠原の恋
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――幸か不幸か、俺は死を逃れたらしい。
誰の手配か、わざわざ入院してまで治療してもらい、家族以外誰も見舞いが来ないまま退院した。
真選組に戻れるはずもなく、情けない事に実家に戻る事にしたけれど、案の定居場所はない。
何故死ななかったのだろう。生きていたってなんの意味もないのに。
先生はどうなったのだろう。内田さんは、山崎さんを失って泣いていないだろうか。
部屋の隅で膝を抱えて、そんな事を考える毎日。
それから2ヶ月程が経った頃――
「シン、アンタにお客さん」
母はそう一言残すと、部屋を後にした。
俺を訪ねてくる人なんていないはずだ。
真選組では、きっと誰も俺の事なんか気にしちゃいない。裏切り者なんだ、それくらいの扱いを受けて当然だ。
近所の誰かだろうと、重たくてだるい体を引きずって玄関に向かった。
「よう、篠原。生きてて良かったよ」
「…………」
片手を挙げて、そんなのん気な事を言ってくるのは、死んだはずの山崎さん。
慌てて台所から塩を手に取って戻り、山崎さんに似た幽霊に向かって、投げつけるように塩を撒いた。
「はァァ!?何やってんだ篠原!って、しょっぱ!口ン中入ったしょっぱ!」
腕で顔をガードして抗議する山崎さんに似た幽霊の言葉も無視して、塩がなくなるまで投げつけていく。
「シンンン!アンタお客さんに向かって何やってんのォォ!」
そんな怒声と共に後ろから頭を叩かれた勢いで、足が自然と数歩前に進んだ。
「すみませんねェ、ウチの子が。お怪我はない?」
「大丈夫です。塩なんで、怪我もしてないです」
「いや、ちが、ゆーれー……」
痛む後頭部を押さえて母にそう抗議をするが、また頭を叩かれてしまった。
「このバカ!アンタの事心配して来てくれたんでしょ!何が幽霊よ!失礼な事して!塩だってタダじゃないんだからね!アンタが掃除して、アンタの金で塩買ってきなさいよ!」
そこまで捲し立てると、再び山崎さんに向き直って「ホントにすみません。失礼な事ばっかりして」と頭を下げた。
山崎さんは山崎さんで、「大丈夫です、お気になさらず」と嗜めている。
体中塩だらけにしてしまったからと、母に強制的に風呂に放り込まれた山崎さん。その間に玄関の塩を掃除する。
山崎さんも風呂から上がり、俺も掃除が終わった頃、客間でテーブルを挟んで座っている。
話を聞けば、河上万斉に刺されはしたが、相手の気が変わったとかで、命までは取られなかったそうだ。
生きていて良かったと思うけれど、目を合わせられない。
「風呂まで借りて悪いな。ありがとう」
「あ、はい。いえ……すみません……」
気まずいのは俺だけだろうか。
「篠原の親御さんおもしろくていい人だね」
「いえ、別に……」
「篠原、屯所にいる時とキャラ違くね?キャラチェンしたの?それとも、作ってたの?こっちが素?」
こっちは裏切り者だ。前と同じように、和気あいあいと接する事など出来るはずがない。
俺もそこまで図太い神経を持っていない。むしろ、平然とここに来ている山崎さんの神経を疑う。
尊敬している近藤さんの暗殺計画に加担したんだ。何か思うところがあってもいいはずだ。
「……えっと……なんで、今日ここに?俺の事なんてほっとけばいいのに……裏切り者だし……」
「監察の人手がたりん」
そんな理由に、俯きそうになった顔が跳ね上がった。
「は?え?だったら、新隊士から集めればいいじゃないですか」
「監察って一朝一夕でどうにかなるもんでもないだろ。勿論新隊士は募ってるし、教育はする。それでもお前がいるのといないのとじゃ違う。例え裏切り者でも、俺はお前を隊に戻したい」
「…………」
そう言ってくれるのはありがたいけれど、色々と問題がある。
本当に俺が戻ってもいいのだろうか。
黙っている俺に、山崎さんが優しい声音で問いかけてきた。
「監察の仕事は、もうしたくない?嫌になった?」
「そういうわけでは……」
監察の仕事は、案外俺に合っていたと思う。真選組の隊士も、監察方もいい人ばかりだ。
でも――
「近藤さんや土方さんは、なんて……」
「監察が人手不足なのは知ってるからな。了承は得てる。でも、また裏切るなんて事があったら、俺も責任を問われて、お前と一緒に粛清対象だ。つまり、二度と裏切らなければなんの問題もない。ただ、沖田さんからの許しをもらうには、時間がかかると思うけど」
「…………」
やっぱりこの人は読めない。
俺が裏切り者としてのレッテルを貼られたり、粛清対象になるのは当然だ。だが、山崎さんまでそのリスクを負う必要はない。
経験者だからって、そこまでして俺を隊に戻さなくても……
近藤さんなんて特にそうだ。自分がはめられた立場なのに、よく了承したものだ。俺なら、自分を殺そうとした主犯の仲間だと知っていたら、絶対に隊に戻したくない。
山崎さんは、顔を引き締めて言葉を紡いだ。
「あと、伊東さんは死んだよ」
「っ、先生が……」
「うん。副長とケリをつけて、"裏切り者"ではなく、"真選組の仲間"としてこの世を去ったって聞いた。伊東さんからの最後の言葉は『ありがとう』だったらしい」
「…………」
そこまで聞いて、俺の目からとめどなく溢れる涙。
良かった。先生が報われる時が来て、本当に良かった。
恐らく、こう思うのもおこがましいのかもしれない。先生に、何も分かっていない、と叱られてしまうかもしれない。だけど、そう思ってしまったのだ。
山崎さんは、俺が泣き止むのを黙って待ってくれていた。
「……すみません、お見苦しい所をお見せしてしまって」
「気にしないで、大丈夫だから。じゃあ伝えたい事は伝えたから帰るよ」
立ち上がった山崎さんを引き止める。
「あの、内田さんは、お元気ですか」
「ピンピンしてるよ。元気過ぎるくらいだ」
「そうですか。良かった……」
そう聞いて、少し肩の荷がおりた。
山崎さんも生きていたのだから、元気になるのは当然か。
「真選組に伊東さんがいないからっていう理由で戻らないなら好きにすりゃいいけど、迷ってるなら、美緒ちゃんいるし戻ってこれば?」
「え?」
この人は、また意味の分からない事を言い出した。
「だから、美緒ちゃんの事好きなら、戻ってくる理由には充分だろ。片想いがつらいってなら知らねーけど。あ、もう諦めた?時間経ってるしな」
「いえ、まだ好きです……あ……」
遅いけれど口を塞いだ。
この人の前だと口が滑る。なんでだ。
山崎さんは何がおもしろいのか、声を上げて笑った。その反応は恥ずかしいものがある。
「じゃあ戻ってきたらいい」
「……でも、いいんですか?山崎さんの彼女なのに……」
「何今更な事聞いてんだよ。じゃあ諦めろって言ったらすぐに諦められんの?無理でしょ」
何も言い返す事が出来ずにいると、山崎さんは話を続けた。
「俺、前にも言ったよね?俺にはお前の心をどうにかする権利はないし、美緒ちゃんを糧にする分にはいいって。それは今も変わってない。その気持ちが冷めるまで好きでいなよ。ただ、気持ちが暴走して、あの子に危害を加えるような事があれば、殺すからな」
初めて見た、山崎さんの殺意を纏った雰囲気と鋭利な視線を受け、背筋が震えた。
「……そ、そんな事はしません!」
「また話は聞いてやるからさ。後はお前が決める事だ。このまま辞めるにしても、お前が決めた事に文句は言わない。少なくとも、俺ら監察方は篠原の事歓迎するから、よく考えな」
「…………はい、ありがとうございます」
この人相手だと、仕事の面でも恋愛の面でも全然敵わない。俺には到底出来ないし、言えない事だ。
山崎さんも、片想いが長かった経験とかあるのかな……つらかったから、すぐに諦められない気持ちとか分かるから、そう言ってくれてるんだよな。こう見えて色々経験してるんだな。
見送りの為に玄関先まで一緒に行くと、山崎さんがこんな事を言ってきた。
「じゃあ2日後迎えに来るから」
「は?2日?」
「当たり前だろ。むしろ猶予あり過ぎると思ってんだけど。1週間とか1ヶ月とか待てねーよ。仕事詰まってんだよこっちは」
「あっはい、分かりました」
去り行く山崎さんの背中に深く頭を下げる。
上げた頃には、すっかり見えなくなっていた。
山崎さんはああ言ってくれていたけれど、俺が戻る事で、また隊内に亀裂が走るような事でもあれば、真っ先に疑われる。隊の為にも、このまま戻らない方がいいのかもしれない。
次の就職先のアテもないから、この話は願ったり叶ったりだが、「はい」と言うには気が重すぎる。
沖田さん以外にも、俺の事をよく思っていない隊士がいるはずだ。いや、いなかったらおかしい。
自分達が尊敬してやまない真選組の長を裏切った。それだけで恨みを買う理由には充分だ。
明日ゆっくり考えよう。今日はもう疲れた。
内田さんがいるなら戻りたい。またあの笑顔が見たい。一緒に話したい。
それに加えて、今は山崎さんの信用や期待に応えたいとも思う。
一度裏切ったのに、また一緒に働きたいなんて言われるのは、恐らくこの先の人生でもないだろう。
俺は、山崎さんの力になる為に戻ろう。そして、今度は、局長にも副長にも、心の底から敬意を持って接しよう。
そして、やって来た約束の日――
玄関を出ても誰もいない。
迎えに来ると言われたはずなのだが、仕事で来れなくなったのかもしれない。一人で屯所には行けるから、迎えは必要ないが、緊張が尋常ではない。
仕方がないので、重い足を屯所へと向ける。まるで、枷がついているような、鉛でも引きずっているかのように、踏み出す足が重たい。
山崎さんと話しながら戻ったら、少しは違ったかもしれないのに。
「篠原さーん」
駆け寄ってくる人物に目を剥いた。一気に別の緊張が襲い、胸の高鳴りが酷くなる。
「篠原さん、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
なんの心の準備もしていない状態で、目の前で笑顔を見せられてしまい、無防備な所に右ストレートを食らった気分だ。俺のライフはもう0だ。
しかも、制服じゃなくミニ丈の着物にニーハイソックス。何回か見た事はあるけれど、こんなに間近で見るのは恐らく初めてだ。
「真選組に戻ってきてくださるんですか?」
「あ、はい。でも、すみません、俺、裏切ってしまって……」
声が聞けて、顔が見れて嬉しい。なのに、内田さんの顔が見れない。内田さんも、俺の事を裏切り者だと思っているのだろう。
「…………時間かかるかもしれませんけど、戻ってくるって決めたんなら、誠心誠意仕事と向き合うだけですよ」
内田さんには珍しい、少ししっとりとした話し方だ。ゆっくり内田さんを見れば、ぶつかった視線。真剣な表情がそこにあった。
「裏切った事実は消えないし、ずっと言われるかもしれません。でも、これからちゃんと仕事をして、局長や副長や真選組のみんなを護っていたら、もう裏切らないって、分かってくれる人はいると思います。少なくとも、私達監察は分かってます」
そう紡がれて、二度と裏切る気はないけれど、内田さんの気持ちに応える為にも、これからは誰も裏切らないようにしようと固く誓った。
「それに、退が命を賭けてまで戻す人です。裏切らないに決まってますよ。ねえ?」
声は穏やかなのに、目が物凄く何かを訴えかけている。裏切ったらタダじゃおかねーぞ、とそんな声まで聞こえて来そうだ。
初めて内田さんが怖いと思った。
「ハイ。裏切りません絶対に」
微笑まれて、頬が引き攣る。
「ところで、山崎さんは?迎えに来てくれる約束なんですが」
「山崎は来ないですよ。私がお迎えにあがりましたので」
なんとなくそうじゃないかと思っていたけれど、山崎さんにはめられた。こういう事をするのはやめていただきたい。切実に。
「私じゃ不満でしたか。すみません」
しゅん、と眉を下げて申し訳なさそうにする、その顔でさえ可愛い。
「いえいえ、内田さんで嬉しいです。ありがとうございます」
「ホントですか?良かった」と、機嫌が直るの早すぎて可愛い。
隣で内田さんが歩いているのは久しぶりだ。
時折吹いた風に乗って、内田さんの匂いが鼻腔を擽る。シャンプーの匂いなのか、すごくいい匂いがする。おまけに、2人とも私服で並んで歩いているので、デートをしているみたいだ。
「今日ここに列車で来たんですけどね、お隣になったおばあちゃんがお饅頭くれたんですよ。そんで、おばあちゃんと一緒に食べてて」
俺を見る時、少し上目になるのがたまらなく愛しい。
楽しそうに話してくれる内田さんに見惚れてしまい、内容が全然入ってこない。
今、内田さんなんの話してたっけ。何1つ聞いてなかったから、返事は「そうなんですね」で成立させよう。
2ヶ月離れていても、俺の中の内田さんへの想いは、萎えるどころか更に膨らんでいたようだ。
歩くのが速かったのか、時折小走りでついてきているのに気が付き、スピードを緩める。
「あ、すみません。歩くの遅くて。気にせず先行ってください。ついて行きますので」
「大丈夫ですよ。のんびり行きましょう」
微笑んでお礼を言ってくる、その頭を撫でたくなってしまった。頭に伸びそうになる手を、背後に隠す。
冗談混じりに、手を繋ごうと言ってみようか。そしたら、どんな反応をするだろう。絶対に断られる事が分かっているので、そんな賭けはしない。
列車で隣に座ると、歩いている時よりも更に距離が近いように思えて、肩や足がぶつからないようにと、座る位置にすら気を遣う。盗み見た先にあった、絶対領域にドキドキする。目と心臓に悪い。
実家から数時間かかるはずなのに、あっという間に屯所についてしまった。以前も思ったけれど、内田さんといると時間が経つのがあまりにも早い。
屯所が近付くにつれて、また違った緊張感が俺を襲う。動悸が酷い。ついには足が止まってしまい、先に進めなくなった。息が詰まる。変な汗が出てくる。吐きそうだ。
「篠原さん……帰りますか?」
「え……」
内田さんを見れば、心配そうな表情を浮かべている。
「いいですよ、そんな顔色悪くさせてまで戻ってこなくても。退が何言ったか知りませんけど、篠原さんのタイミングで大丈夫ですから。戻りたい気持ちがあるのなら、また後日改めてというのでも大丈夫ですよ」
「…………」
それは優しいようでいて、俺を突き放すには充分だった。ここで逃げたら、俺は二度とここに来る事が出来なくなる。俺のタイミングは今しかない。
だからこそ、俺は決意してここまで来たんだ。
局長や副長、監察方のみんなの優しさや期待、信用に応える為に、一からやり直そうと。
「いえ、帰りません。すみません、心配かけてしまいました」
内田さんは、俺の横から前に移動すると、覗き込むように見上げてニッと笑った。
「篠原さんには私達監察がついてます。1人じゃないですよ。沖田に嫌がらせされたら言ってください。私が成敗しに行くんで」
細い右腕を突き出して見せた内田さんを、抱きしめたい衝動に駆られる。
ああ、本当に困った人だ。俺を一体どこまで惑わせたら気が済むのか。
今ここで好きだと言ってしまいたい。
「その時はよろしくお願いします」
「はい」
微笑んだ内田さんに、眦を下げる。
「まずは、局長に挨拶に行かないとですね。頼りないかもしれませんけど、今日一日一緒にいますからね」
今日一日と言わず、これから先もずっと一緒にいてほしい。
でも、それは許されない事だ。俺が告白をすれば、俺達の関係はあっという間に崩れてしまう。
ちゃんと隠し通すので、俺があなたの事を諦められるまで、この想いを持ったまま、同じ監察として、あなたの傍にいる事を許してください。
誰の手配か、わざわざ入院してまで治療してもらい、家族以外誰も見舞いが来ないまま退院した。
真選組に戻れるはずもなく、情けない事に実家に戻る事にしたけれど、案の定居場所はない。
何故死ななかったのだろう。生きていたってなんの意味もないのに。
先生はどうなったのだろう。内田さんは、山崎さんを失って泣いていないだろうか。
部屋の隅で膝を抱えて、そんな事を考える毎日。
それから2ヶ月程が経った頃――
「シン、アンタにお客さん」
母はそう一言残すと、部屋を後にした。
俺を訪ねてくる人なんていないはずだ。
真選組では、きっと誰も俺の事なんか気にしちゃいない。裏切り者なんだ、それくらいの扱いを受けて当然だ。
近所の誰かだろうと、重たくてだるい体を引きずって玄関に向かった。
「よう、篠原。生きてて良かったよ」
「…………」
片手を挙げて、そんなのん気な事を言ってくるのは、死んだはずの山崎さん。
慌てて台所から塩を手に取って戻り、山崎さんに似た幽霊に向かって、投げつけるように塩を撒いた。
「はァァ!?何やってんだ篠原!って、しょっぱ!口ン中入ったしょっぱ!」
腕で顔をガードして抗議する山崎さんに似た幽霊の言葉も無視して、塩がなくなるまで投げつけていく。
「シンンン!アンタお客さんに向かって何やってんのォォ!」
そんな怒声と共に後ろから頭を叩かれた勢いで、足が自然と数歩前に進んだ。
「すみませんねェ、ウチの子が。お怪我はない?」
「大丈夫です。塩なんで、怪我もしてないです」
「いや、ちが、ゆーれー……」
痛む後頭部を押さえて母にそう抗議をするが、また頭を叩かれてしまった。
「このバカ!アンタの事心配して来てくれたんでしょ!何が幽霊よ!失礼な事して!塩だってタダじゃないんだからね!アンタが掃除して、アンタの金で塩買ってきなさいよ!」
そこまで捲し立てると、再び山崎さんに向き直って「ホントにすみません。失礼な事ばっかりして」と頭を下げた。
山崎さんは山崎さんで、「大丈夫です、お気になさらず」と嗜めている。
体中塩だらけにしてしまったからと、母に強制的に風呂に放り込まれた山崎さん。その間に玄関の塩を掃除する。
山崎さんも風呂から上がり、俺も掃除が終わった頃、客間でテーブルを挟んで座っている。
話を聞けば、河上万斉に刺されはしたが、相手の気が変わったとかで、命までは取られなかったそうだ。
生きていて良かったと思うけれど、目を合わせられない。
「風呂まで借りて悪いな。ありがとう」
「あ、はい。いえ……すみません……」
気まずいのは俺だけだろうか。
「篠原の親御さんおもしろくていい人だね」
「いえ、別に……」
「篠原、屯所にいる時とキャラ違くね?キャラチェンしたの?それとも、作ってたの?こっちが素?」
こっちは裏切り者だ。前と同じように、和気あいあいと接する事など出来るはずがない。
俺もそこまで図太い神経を持っていない。むしろ、平然とここに来ている山崎さんの神経を疑う。
尊敬している近藤さんの暗殺計画に加担したんだ。何か思うところがあってもいいはずだ。
「……えっと……なんで、今日ここに?俺の事なんてほっとけばいいのに……裏切り者だし……」
「監察の人手がたりん」
そんな理由に、俯きそうになった顔が跳ね上がった。
「は?え?だったら、新隊士から集めればいいじゃないですか」
「監察って一朝一夕でどうにかなるもんでもないだろ。勿論新隊士は募ってるし、教育はする。それでもお前がいるのといないのとじゃ違う。例え裏切り者でも、俺はお前を隊に戻したい」
「…………」
そう言ってくれるのはありがたいけれど、色々と問題がある。
本当に俺が戻ってもいいのだろうか。
黙っている俺に、山崎さんが優しい声音で問いかけてきた。
「監察の仕事は、もうしたくない?嫌になった?」
「そういうわけでは……」
監察の仕事は、案外俺に合っていたと思う。真選組の隊士も、監察方もいい人ばかりだ。
でも――
「近藤さんや土方さんは、なんて……」
「監察が人手不足なのは知ってるからな。了承は得てる。でも、また裏切るなんて事があったら、俺も責任を問われて、お前と一緒に粛清対象だ。つまり、二度と裏切らなければなんの問題もない。ただ、沖田さんからの許しをもらうには、時間がかかると思うけど」
「…………」
やっぱりこの人は読めない。
俺が裏切り者としてのレッテルを貼られたり、粛清対象になるのは当然だ。だが、山崎さんまでそのリスクを負う必要はない。
経験者だからって、そこまでして俺を隊に戻さなくても……
近藤さんなんて特にそうだ。自分がはめられた立場なのに、よく了承したものだ。俺なら、自分を殺そうとした主犯の仲間だと知っていたら、絶対に隊に戻したくない。
山崎さんは、顔を引き締めて言葉を紡いだ。
「あと、伊東さんは死んだよ」
「っ、先生が……」
「うん。副長とケリをつけて、"裏切り者"ではなく、"真選組の仲間"としてこの世を去ったって聞いた。伊東さんからの最後の言葉は『ありがとう』だったらしい」
「…………」
そこまで聞いて、俺の目からとめどなく溢れる涙。
良かった。先生が報われる時が来て、本当に良かった。
恐らく、こう思うのもおこがましいのかもしれない。先生に、何も分かっていない、と叱られてしまうかもしれない。だけど、そう思ってしまったのだ。
山崎さんは、俺が泣き止むのを黙って待ってくれていた。
「……すみません、お見苦しい所をお見せしてしまって」
「気にしないで、大丈夫だから。じゃあ伝えたい事は伝えたから帰るよ」
立ち上がった山崎さんを引き止める。
「あの、内田さんは、お元気ですか」
「ピンピンしてるよ。元気過ぎるくらいだ」
「そうですか。良かった……」
そう聞いて、少し肩の荷がおりた。
山崎さんも生きていたのだから、元気になるのは当然か。
「真選組に伊東さんがいないからっていう理由で戻らないなら好きにすりゃいいけど、迷ってるなら、美緒ちゃんいるし戻ってこれば?」
「え?」
この人は、また意味の分からない事を言い出した。
「だから、美緒ちゃんの事好きなら、戻ってくる理由には充分だろ。片想いがつらいってなら知らねーけど。あ、もう諦めた?時間経ってるしな」
「いえ、まだ好きです……あ……」
遅いけれど口を塞いだ。
この人の前だと口が滑る。なんでだ。
山崎さんは何がおもしろいのか、声を上げて笑った。その反応は恥ずかしいものがある。
「じゃあ戻ってきたらいい」
「……でも、いいんですか?山崎さんの彼女なのに……」
「何今更な事聞いてんだよ。じゃあ諦めろって言ったらすぐに諦められんの?無理でしょ」
何も言い返す事が出来ずにいると、山崎さんは話を続けた。
「俺、前にも言ったよね?俺にはお前の心をどうにかする権利はないし、美緒ちゃんを糧にする分にはいいって。それは今も変わってない。その気持ちが冷めるまで好きでいなよ。ただ、気持ちが暴走して、あの子に危害を加えるような事があれば、殺すからな」
初めて見た、山崎さんの殺意を纏った雰囲気と鋭利な視線を受け、背筋が震えた。
「……そ、そんな事はしません!」
「また話は聞いてやるからさ。後はお前が決める事だ。このまま辞めるにしても、お前が決めた事に文句は言わない。少なくとも、俺ら監察方は篠原の事歓迎するから、よく考えな」
「…………はい、ありがとうございます」
この人相手だと、仕事の面でも恋愛の面でも全然敵わない。俺には到底出来ないし、言えない事だ。
山崎さんも、片想いが長かった経験とかあるのかな……つらかったから、すぐに諦められない気持ちとか分かるから、そう言ってくれてるんだよな。こう見えて色々経験してるんだな。
見送りの為に玄関先まで一緒に行くと、山崎さんがこんな事を言ってきた。
「じゃあ2日後迎えに来るから」
「は?2日?」
「当たり前だろ。むしろ猶予あり過ぎると思ってんだけど。1週間とか1ヶ月とか待てねーよ。仕事詰まってんだよこっちは」
「あっはい、分かりました」
去り行く山崎さんの背中に深く頭を下げる。
上げた頃には、すっかり見えなくなっていた。
山崎さんはああ言ってくれていたけれど、俺が戻る事で、また隊内に亀裂が走るような事でもあれば、真っ先に疑われる。隊の為にも、このまま戻らない方がいいのかもしれない。
次の就職先のアテもないから、この話は願ったり叶ったりだが、「はい」と言うには気が重すぎる。
沖田さん以外にも、俺の事をよく思っていない隊士がいるはずだ。いや、いなかったらおかしい。
自分達が尊敬してやまない真選組の長を裏切った。それだけで恨みを買う理由には充分だ。
明日ゆっくり考えよう。今日はもう疲れた。
内田さんがいるなら戻りたい。またあの笑顔が見たい。一緒に話したい。
それに加えて、今は山崎さんの信用や期待に応えたいとも思う。
一度裏切ったのに、また一緒に働きたいなんて言われるのは、恐らくこの先の人生でもないだろう。
俺は、山崎さんの力になる為に戻ろう。そして、今度は、局長にも副長にも、心の底から敬意を持って接しよう。
そして、やって来た約束の日――
玄関を出ても誰もいない。
迎えに来ると言われたはずなのだが、仕事で来れなくなったのかもしれない。一人で屯所には行けるから、迎えは必要ないが、緊張が尋常ではない。
仕方がないので、重い足を屯所へと向ける。まるで、枷がついているような、鉛でも引きずっているかのように、踏み出す足が重たい。
山崎さんと話しながら戻ったら、少しは違ったかもしれないのに。
「篠原さーん」
駆け寄ってくる人物に目を剥いた。一気に別の緊張が襲い、胸の高鳴りが酷くなる。
「篠原さん、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
なんの心の準備もしていない状態で、目の前で笑顔を見せられてしまい、無防備な所に右ストレートを食らった気分だ。俺のライフはもう0だ。
しかも、制服じゃなくミニ丈の着物にニーハイソックス。何回か見た事はあるけれど、こんなに間近で見るのは恐らく初めてだ。
「真選組に戻ってきてくださるんですか?」
「あ、はい。でも、すみません、俺、裏切ってしまって……」
声が聞けて、顔が見れて嬉しい。なのに、内田さんの顔が見れない。内田さんも、俺の事を裏切り者だと思っているのだろう。
「…………時間かかるかもしれませんけど、戻ってくるって決めたんなら、誠心誠意仕事と向き合うだけですよ」
内田さんには珍しい、少ししっとりとした話し方だ。ゆっくり内田さんを見れば、ぶつかった視線。真剣な表情がそこにあった。
「裏切った事実は消えないし、ずっと言われるかもしれません。でも、これからちゃんと仕事をして、局長や副長や真選組のみんなを護っていたら、もう裏切らないって、分かってくれる人はいると思います。少なくとも、私達監察は分かってます」
そう紡がれて、二度と裏切る気はないけれど、内田さんの気持ちに応える為にも、これからは誰も裏切らないようにしようと固く誓った。
「それに、退が命を賭けてまで戻す人です。裏切らないに決まってますよ。ねえ?」
声は穏やかなのに、目が物凄く何かを訴えかけている。裏切ったらタダじゃおかねーぞ、とそんな声まで聞こえて来そうだ。
初めて内田さんが怖いと思った。
「ハイ。裏切りません絶対に」
微笑まれて、頬が引き攣る。
「ところで、山崎さんは?迎えに来てくれる約束なんですが」
「山崎は来ないですよ。私がお迎えにあがりましたので」
なんとなくそうじゃないかと思っていたけれど、山崎さんにはめられた。こういう事をするのはやめていただきたい。切実に。
「私じゃ不満でしたか。すみません」
しゅん、と眉を下げて申し訳なさそうにする、その顔でさえ可愛い。
「いえいえ、内田さんで嬉しいです。ありがとうございます」
「ホントですか?良かった」と、機嫌が直るの早すぎて可愛い。
隣で内田さんが歩いているのは久しぶりだ。
時折吹いた風に乗って、内田さんの匂いが鼻腔を擽る。シャンプーの匂いなのか、すごくいい匂いがする。おまけに、2人とも私服で並んで歩いているので、デートをしているみたいだ。
「今日ここに列車で来たんですけどね、お隣になったおばあちゃんがお饅頭くれたんですよ。そんで、おばあちゃんと一緒に食べてて」
俺を見る時、少し上目になるのがたまらなく愛しい。
楽しそうに話してくれる内田さんに見惚れてしまい、内容が全然入ってこない。
今、内田さんなんの話してたっけ。何1つ聞いてなかったから、返事は「そうなんですね」で成立させよう。
2ヶ月離れていても、俺の中の内田さんへの想いは、萎えるどころか更に膨らんでいたようだ。
歩くのが速かったのか、時折小走りでついてきているのに気が付き、スピードを緩める。
「あ、すみません。歩くの遅くて。気にせず先行ってください。ついて行きますので」
「大丈夫ですよ。のんびり行きましょう」
微笑んでお礼を言ってくる、その頭を撫でたくなってしまった。頭に伸びそうになる手を、背後に隠す。
冗談混じりに、手を繋ごうと言ってみようか。そしたら、どんな反応をするだろう。絶対に断られる事が分かっているので、そんな賭けはしない。
列車で隣に座ると、歩いている時よりも更に距離が近いように思えて、肩や足がぶつからないようにと、座る位置にすら気を遣う。盗み見た先にあった、絶対領域にドキドキする。目と心臓に悪い。
実家から数時間かかるはずなのに、あっという間に屯所についてしまった。以前も思ったけれど、内田さんといると時間が経つのがあまりにも早い。
屯所が近付くにつれて、また違った緊張感が俺を襲う。動悸が酷い。ついには足が止まってしまい、先に進めなくなった。息が詰まる。変な汗が出てくる。吐きそうだ。
「篠原さん……帰りますか?」
「え……」
内田さんを見れば、心配そうな表情を浮かべている。
「いいですよ、そんな顔色悪くさせてまで戻ってこなくても。退が何言ったか知りませんけど、篠原さんのタイミングで大丈夫ですから。戻りたい気持ちがあるのなら、また後日改めてというのでも大丈夫ですよ」
「…………」
それは優しいようでいて、俺を突き放すには充分だった。ここで逃げたら、俺は二度とここに来る事が出来なくなる。俺のタイミングは今しかない。
だからこそ、俺は決意してここまで来たんだ。
局長や副長、監察方のみんなの優しさや期待、信用に応える為に、一からやり直そうと。
「いえ、帰りません。すみません、心配かけてしまいました」
内田さんは、俺の横から前に移動すると、覗き込むように見上げてニッと笑った。
「篠原さんには私達監察がついてます。1人じゃないですよ。沖田に嫌がらせされたら言ってください。私が成敗しに行くんで」
細い右腕を突き出して見せた内田さんを、抱きしめたい衝動に駆られる。
ああ、本当に困った人だ。俺を一体どこまで惑わせたら気が済むのか。
今ここで好きだと言ってしまいたい。
「その時はよろしくお願いします」
「はい」
微笑んだ内田さんに、眦を下げる。
「まずは、局長に挨拶に行かないとですね。頼りないかもしれませんけど、今日一日一緒にいますからね」
今日一日と言わず、これから先もずっと一緒にいてほしい。
でも、それは許されない事だ。俺が告白をすれば、俺達の関係はあっという間に崩れてしまう。
ちゃんと隠し通すので、俺があなたの事を諦められるまで、この想いを持ったまま、同じ監察として、あなたの傍にいる事を許してください。