本編
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▽バレンタイン
今日は、男女問わずソワソワと浮かれる日。
チョコを渡すのは、本命や義理と拘ることなく、友チョコや自分へのご褒美など様々な理由にとんでいる。
昨日作って冷蔵庫で冷やしておいた、トリュフとマカロンショコラを取り出した。それを箱に入れて丁寧にラッピングしていく。
練習を重ねて、ようやく美味しく作れたのだ。
身支度を済ませてから、退の部屋に忍び込む。
「退、おはよう。バレンタインだよー」
気持ち良さそうに眠っているその体に、布団の上から抱きついた。
「……おもい……」
私をそこからどかして、ゆっくり体を起こしながら、眠たそうに目を擦っている。
「……んー?なにー?」
「バレンタインでーす。いつもありがとう」
「あー……今日だっけ?ありがとう」
寝惚けたままラッピングしたそれを受け取ると、頭を撫でてくれた。
「何作ってくれたの?」
「トリュフとマカロンショコラだよ。頑張って練習した」
「知ってる。作ってくれてありがとう」
前髪があげられて、額に唇が押し当てられた途端、ボッと火を噴くように顔が熱くなった。
「退好きー!ヒィィ!恥ずかしー!先食堂行ってるね!」
「え、ちょ、美緒ちゃん!?」
愛の言葉を何回も紡いでいるし、バレンタインを渡すのも初めてではないのに、毎回、渡した後恥ずかしくなってしまう。
赤くなっているであろう顔を手で扇ぎながら、食堂へと足を運んだ。
隊士達にと買っておいた、ファミリーパックの個包装になっているチョコを器にあけて、食堂のテーブルに並べる。
「みなさん、私からのバレンタインです。遠慮せず食べてください。言っておきますけど義理です!」
「……義理以外の何も感じない……」
「昨日チョコ作ってただろ!甘い匂いぷんぷんさせてよォ!あのチョコどこ行ったんだよ!アレくれよ!」
「手作りを退以外に渡すわけないじゃないですか」
「山崎、あとで殺す」
「内田さん、義理は義理でももうちょっと気合い入れてください。俺らのテンション上げるようなチョコにして」
それぞれ文句を垂れながらも、きちんとチョコをもらっていく隊士達。
朝食を食べた後自室へと戻り、冷蔵庫からチョコクッキーを取り出して、2つの巾着袋に詰めていく。
これは神楽ちゃんとお妙ちゃんの分だ。しかし、会う約束をしていない。
会えると信じて、巾着袋を片手にかぶき町へと足を向ける。
ウロウロと歩き回っていると、神楽ちゃんの声がどこからか聞こえてきた。どうやら誰かと話しているようだ。橋の下を覗けば、神楽ちゃんと少し離れた所に膝を抱えている月詠さん。
神楽ちゃんとお妙ちゃんの分しか持って来ていない為、それをコートの内ポケットに隠して、何も持っていなかった体 を装う。
「神楽ちゃーん!月詠さーん!何やってんのー?」
橋の上から声をかければ、2つの顔がこちらを見上げた。
「あ!美緒ー!ちょうどいい所に来たアル!今美緒の所行こうとしてたアルヨ!ツッキー、美緒なら頼りに……なるアルか?」
「わっちに聞くな!わっちは美緒の事をよく知らんのだぞ!」
2人のもとに駆け寄って、なんの話か尋ねる。
銀ちゃんと新ちゃんにチョコを渡したくて色々やってみたが、失敗した上に照れてうまくいかないらしい。
「あー、分かるなー。その気持ち。私も初めてのバレンタイン、緊張してなかなか渡せなかったよ」
今となっては懐かしい思い出だ。
退を前にした途端、緊張や羞恥、受け取ってもらえるだろうかという不安に押し潰されそうになって、なかなか渡せなかったのだ。
「その時どうやって渡したアルか?」
「何も言わずに押し付けて逃げた。しかもなんでか分かんないけど怒られた……」
フッと乾いた笑みを漏らし、視線を明後日の方へ飛ばす。
「なんか可哀想アルな。そんな美緒を頼りにしていいものか」
「頼りにしてよ。神楽ちゃんの力になりたいから、私に出来る事あったらなんでもするよ」
「じゃあ私の代わりにチョコ渡してきてほしいアル」
「渡してもいいけど、神楽ちゃんからって伝わらなくない?私からだって思われたら意味ないよ」
「アンタ達、そこで何やってんのよ」
降ってきた声に顔を上げれば、橋の欄干に座っている猿飛さんがいた。
「猿飛さんだ。久しぶり」
「こうなったら数に頼るしかないアル。さっちゃんも一緒にチョコ渡すの手伝って欲しいアル」
「猿飛さんも一緒に銀ちゃん達にチョコ渡しに行こうよ」
「はァ?一緒にチョコ渡しに行こう?」
神楽ちゃんが、私にしてくれたのと同じ説明を猿飛さんにもした。
「甘ったれてんじゃないわよ。中学生じゃないんだから集団告白なんてやってらんないわよ」
「チョコやるだけネ。さっちゃんみたいなデリカシーのない女の力が必要アル!」
「さっちゃん、デリカシーないの?」
「ちょっと!デリカシーないの?って本人に直接聞く人もデリカシーないと思うんだけど!もう既にデリカシーない女いるじゃない!」
「美緒はデリカシーがないんじゃなくて、ただバカなだけアル。バカだから言っていい事と悪い事も分からない可哀想な子ネ」
「神楽ちゃん、それフォローになってないよ。私の心抉られてるよ」
可哀想可哀想と、頭を撫でてくれるその手が、私を酷く傷付けていく。
真選組に入ってからというもの、バカと呼ばれる度合いが増えてきたのは気のせいではないだろう。
「そもそもツッキー。あなたがついていながらなんてザマなの。それが10位の力?それで10位になれるの?」
まだ根に持っとるのか、とうんざりだとでも言うように小さく呟いた月詠さん。
さっちゃんは、「恥ずかしいとかそんな事言ってる時点で問題外なのよ」と眼鏡のツルを指で押し上げた。
確かに、さっちゃんの言う通りだ。恥ずかしいと言っていたらいつまで経っても渡せない。
「仕方ないわね。本来ならライバルに手ェ貸すなんて御免だけど、あなた達程度ならなんの脅威にもなりえないから許してあげるわ」
欄干から橋の下に綺麗に着地した。
そして、用意されたのは、ポリバケツの中に並々に注がれた溶けたチョコレート。
「まずは全裸になって、このチョコレートに浸って全身をコーティングしなさい。全てはそこから、そこからが始まりよ」
「始まりじゃないだろ。全てが終わるだろ」
月詠さんの至極まともな意見に、さっちゃんは噛み付いた。
「カマトトぶってんじゃないわよ!恥を捨てろって言ってんのが分かんないの!」
「恥は捨てても、人間までやめる気にはなれんと言っとるんじゃ」
クレオパトラの話をするさっちゃんを、神楽ちゃんと呆れたそれで見守る。
「美緒、さっきなんでもするって言ってくれたアル。クレオパトラになるヨロシ」
「なんでもって言っても、出来る事と出来ない事があるよ。これは出来ない部類です。ごめんなさい」
神楽ちゃんに平謝りしたというのに、さっちゃんは私達の話を曲解して肩を組んできた。
「美緒、あなたやる気ね!?いいわよ!その勇気と根性買ったわ。どこぞのツッキーとは大違いよ」
「いやいやいや!やるとは言ってない!出来ないって言ったの!」
「あなたならクレオパトラになって誘惑出来るわ。さァやるのよ!女を見せなさい!」
「ホント勘弁してェ!誰か助けてェ!」
「ちょっと刀邪魔ね」
「刀は勘弁してくだせェ!コレだけはァァァ!」
さっちゃんは、私の腰にある刀を、鞘ごと抜いてよそに放ってしまった。その後も抵抗して足を踏ん張るが、羽交い締めのようにして、私の体を後ろへ引っ張っていく。
「オイ、美緒が嫌がっとるだろう。やめ……あ」
月詠さんが助けようとしてくれた時、私の足が浮いた。そのまま、ジャーマンスープレックスのようにポリバケツに頭から落とされ、チョコの中に沈む体。頭頂部から靴の先まで、綺麗にチョコでコーティングされ、チョコの涙を流す。
「美緒、すまない。間に合わなかった」
「ツッキーのせいじゃないから気にしないで……」
ポリバケツから出るのを手伝ってくれたツッキーに、涙ながらにそう言うが、ツッキーの眉は下がったまま。ツッキーが拾ってくれた刀を、礼を言って受け取る。私の味方はツッキーしかいない。
「さっちゃん、コレはどうアルか?誘惑出来そうアルか?」
「……仕方ないわね。分かったわよ。普通にいけばいいんでしょ普通に」
「ちょっとさっちゃん!私チョコまみれになった意味あった!?」
「あったわよ。あなたがチョコまみれになっても、クレオパトラにはなれないって事が分かったの。だから普通にいく事にしたのよ」
「美緒のおかげで私達助かったネ。さすが美緒アル」
褒められているんだか、けなされているんだか何も分からない。考えたくない。
「神楽ちゃん、帰っていい?チョコ流したい」
「ダメアル。ここまで来たら最後まで付き合ってヨ」
そう言われてしまえば、断る事が出来ない。
私だけチョコまみれのまま、4人で万事屋へと向かう事になった。さっちゃんを先頭に階段をあがり、そのまま玄関に向かう。
「じゃあインターフォン押……あの……なんで縦並び?」
そう。私達は、さっちゃんを先頭にツッキー、神楽ちゃん、私と縦に並んでいる。私は渡さないので、縦に並ぶ必要はなかったが、ノリで並んでしまった。
「どんだけ照れてんのよアナタ達!あのちょっといい加減にしてくれない!?こっちまで緊張うつるのよ!普段男勝りのくせにどうなってんのよ情けない!」
だんまりを決め込み、緊張した面持ちを崩さない神楽ちゃんとツッキー。
「ホントに押すわよ。準備イイ?いくわよ」
ゆっくりとインターフォンに向かう、さっちゃんの人差し指。それは、何故か横にずれて壁を押した。鳴ったのは、ボキッと骨の折れる音。
「さっちゃんんんん!」
「オイ大丈夫か、何をやってるんじゃ!」
「今ボキッて音したよね?骨折れたんじゃない?」
さっちゃんは、まるで油の切れた機械のようにぎこちなく振り向いた。その顔には、たくさんの汗が浮かび上がっている。
「……あの考えたら私、1回も正攻法でいった事ないから、な……何喋っていいかわかんない……」
「クレオパトラ戦術言ってた奴が何を言っとるんじゃ!」
「あのゴメンやっぱ無理!ツッキーいって恥ずかしくなってきた!」
「今更何を言っとるんじゃ!か、神楽、ぬしがゆけ!我が家じゃろう!」
「オイぃぃぃ!なんの為にお前ら連れてきた思ってるアルか!美緒行けェ!」
「え、私!?よし分かった。押すだけだからね。あとは3人でなんとかしてね」
インターフォンを押そうとしたら、さっちゃんに肩を掴まれた。
「ちょっと!何1人余裕ぶってんのよ!インターフォン押したら最後まで対応しなさいよ!あとはなんとかしてねじゃないわよ!あなたそれでも警察なの!?無責任過ぎない!?」
「そうアル!インターフォン押すのが目的じゃないアル!」
「インターフォンを押してもらわんと始まらんじゃろ。美緒押してくれ。後はその場の勢いとノリでなんとかしよう」
「じゃあ今度こそ押すからね」
怖気付いた3人に代わって、インターフォンを押そうとした時、階段を上ってくる足音と話し声が聞こえてきた。
「神楽ちゃん一体どこ行ったんすかね」
「どこまでウンコしに行ったんだアイツ」
今呼び出そうとしていた相手の帰宅にビックリして、思わず屋根の上に飛び乗った。
「……アレ?今誰かいなかった?」
「いや誰もいないじゃないですか」
扉が開く音がして、銀ちゃんの次に新ちゃんが入っていく。その前に、新ちゃんは玄関横に置いてあるポリバケツが気になったらしい。
「こんなトコにポリバケツあったかな。まァいいか」
疑問に思ったようだが、あっさりと流してくれた事に息をつく。
扉が閉まる音を確認してから、屋根の上からおりて、ポリバケツの蓋を開けた。
夕焼けが眩しい空の下、橋の上でチョコまみれになって佇んでいる私達4人。
誰も言葉を発さず、黙ってまっすぐ見据えている。
そんな中、ツッキーが静かに口を開いた。
「……あの気が向いたらコレ……万事屋の前に置いといてくれると……助かる……」
スッと欄干の上に置かれたチョコ。
「……すまなかったな、力になれずに」
「……よろしくお願いしまーす」
さっちゃんも欄干の上にチョコを置いて、2人はそれぞれ去って行った。
残された私と神楽ちゃん。
神楽ちゃんが黙って取り出したのは、ハート型の箱。そこには、『銀ちゃん新八へ かぐら』と書かれたメッセージカードが添えられている。
神楽ちゃんはそれを躊躇なく、川へと投げ捨てたのだ。思わぬ行動に、ギョッとする。
「ちょ、何やってんの!?」
拾いに行こうとする私の腕を掴んで引き止めた神楽ちゃんは、小さく「いいアル」と呟いた。
せっかくあの2人の為に用意したチョコだったのに……
「ごめんなさいね」
そこに謝罪を告げながら現れたのは、お妙ちゃん。
「私余計なこと言っちゃったかしら」
「余計な事?」
私の隣に並んだお妙ちゃんに首を傾げる。
「神楽ちゃんに、銀さん達にチョコを贈ってあげたらって言ったんだけど、言わなきゃ良かったかしらね」
「……そんな――」
神楽ちゃんとセリフが被ってしまい、口を閉ざす。
「……そんな事ないアルヨ。みんなと一緒に女の子っぽい事して楽しかったアル。元々ガラじゃなかったネ。これでいいネ」
「神楽ちゃん……」
本当にこれで良かったのだろうか。
前をまっすぐ見据える神楽ちゃんの横顔からは、何も窺えなかったけれど、少しの寂しさが伝わってくる気がした。
「私も誘ってくれれば良かったのに。義理チョコだけど」
お妙ちゃんが取り出したのは、巾着袋。
「でも、神楽ちゃんがあげないなら……私もやめとくわね」
「いいヨ。ツッキーとさっちゃんのと一緒に私が届けとくネ。アイツら1個ももらえないんじゃかわいそうだし」
「でも、神楽ちゃんはいいの?」
「……もういいアル。そんなものなくても、この私の地球を覆わんばかりの大ーきな愛はきっと伝わってるアル」
何か吹っ切れたように、両手を空に伸ばした。
「……そうでしょ」
と、微笑む神楽ちゃんに、私も小さく笑んで頷く。
お妙ちゃんも、そうねと微笑んだ。
「あ!そうだ、忘れるとこだった。私も2人に渡すものあるんだった」
コートの中から巾着袋を取り出して、神楽ちゃんとお妙ちゃんに渡した。
「私の本命。銀ちゃんと新ちゃんの分はないから内緒ね」
「美緒ー!ありがとォォォ!私も美緒が大好きアルヨォォ!」
「私も神楽ちゃん大好きー!」
抱きついてくる神楽ちゃんの背中に腕を回して、抱きしめ返す。
「あらあら、先越されちゃったわね。私も美緒ちゃんに。はい、本命よ」
渡されたのは、長方形の箱。
「ありがとう!めちゃくちゃ嬉しい!お妙ちゃん大好き!……あ、ごめん。チョコつきそうになった」
お妙ちゃんに抱きつこうとした体を慌てて止める。
綺麗な着物が、チョコで汚れてしまう所だった。なのに、お妙ちゃんは、ニコニコと私のチョコまみれの頭を撫でてくれた。
「美緒、私用意してないヨ。ごめんネ」
「いいよ、気にしないで。私が神楽ちゃんに想いを伝えたかっただけだから」
「美緒、コレ1人で大事に食べるアル。絶対あの2人には欠片も渡さないアルヨ」
巾着袋に頬ずりしている神楽ちゃんに、思わず笑ってしまった。
「私も大事にいただくわ。ありがとう」
「こちらこそ。2人ともいつも仲良くしてくれてありがとね」
お妙ちゃんと神楽ちゃんと別れて、屯所に向かう。
夕陽がとても眩しくて、手を翳して目を眇めた。
神楽ちゃん、ちゃんと渡せたらいいな……
今の自分の格好に気付いて、夕陽を背景に自撮りをする。
そして、『もう1つチョコあげるね』と写真を添付して、退にメールを送った。
通りすがりの人に、好奇な目で見られたけれど、退以外の隊士には見られたくなくて、素早く風呂場に移動して、チョコを洗い流す。
その日の夜、私の部屋にやって来た退は少し不機嫌そうだ。
「美緒ちゃん、話があるんだけど」
「え?何?」
改まって何の話をされるのか見当がつかない。渦巻く少しの恐怖。
差し出された携帯の画面に映っているのは、夕方送ったチョコまみれの私。
「コレ何?コレ、外で撮ってるよね?どういう事か説明して。『もう1つチョコあげるね』じゃねーよ。受け取るけどさ」
受け取ってくれるんだ、と思いながら、経緯を説明すると項垂れた。
「美緒ちゃんも旦那や新八くんに渡したの?」
「まさか。渡してないよ。真選組のみんなには義理であげたけど」
「ああ、食堂に置いてあったあのチョコ……」
「そうそれ。手作りは退にしかあげないから、不安にならなくて大丈夫だよ」
「そういえば俺言ったっけ?チョコ美味しかったよ、ありがとう」
「あっホント?良かったー」
抱き寄せられて、私の首筋に顔を埋めた。
「美緒ちゃんチョコの匂いしかしないんだけど……」
「え、まだしてる?ちゃんと洗ったんだけどな」
洗い方がたりないのか、それとも、それ程チョコの匂いが染み込んでしまったのか。
腕を嗅いでみると、ほのかに残っているチョコの匂い。
顔を上げた退は、迷惑そうな表情をしている。
「甘くて胸焼け起こしそう」
「あはは。何それ。チョコの匂いがする美緒ちゃんはお気に召しませんか」
「お気に召しませんね。早くチョコの匂いとってください」
「善処します」
どちらからともなくキスを交わすと、頭を撫でて抱きしめられた。その背中に腕を回す。
「今年はチョコ3個か……もらい過ぎだな」
お気に召さないと言っていた割に、そうぼやく声は嬉しそうで、頬が緩んだ。
今日は、男女問わずソワソワと浮かれる日。
チョコを渡すのは、本命や義理と拘ることなく、友チョコや自分へのご褒美など様々な理由にとんでいる。
昨日作って冷蔵庫で冷やしておいた、トリュフとマカロンショコラを取り出した。それを箱に入れて丁寧にラッピングしていく。
練習を重ねて、ようやく美味しく作れたのだ。
身支度を済ませてから、退の部屋に忍び込む。
「退、おはよう。バレンタインだよー」
気持ち良さそうに眠っているその体に、布団の上から抱きついた。
「……おもい……」
私をそこからどかして、ゆっくり体を起こしながら、眠たそうに目を擦っている。
「……んー?なにー?」
「バレンタインでーす。いつもありがとう」
「あー……今日だっけ?ありがとう」
寝惚けたままラッピングしたそれを受け取ると、頭を撫でてくれた。
「何作ってくれたの?」
「トリュフとマカロンショコラだよ。頑張って練習した」
「知ってる。作ってくれてありがとう」
前髪があげられて、額に唇が押し当てられた途端、ボッと火を噴くように顔が熱くなった。
「退好きー!ヒィィ!恥ずかしー!先食堂行ってるね!」
「え、ちょ、美緒ちゃん!?」
愛の言葉を何回も紡いでいるし、バレンタインを渡すのも初めてではないのに、毎回、渡した後恥ずかしくなってしまう。
赤くなっているであろう顔を手で扇ぎながら、食堂へと足を運んだ。
隊士達にと買っておいた、ファミリーパックの個包装になっているチョコを器にあけて、食堂のテーブルに並べる。
「みなさん、私からのバレンタインです。遠慮せず食べてください。言っておきますけど義理です!」
「……義理以外の何も感じない……」
「昨日チョコ作ってただろ!甘い匂いぷんぷんさせてよォ!あのチョコどこ行ったんだよ!アレくれよ!」
「手作りを退以外に渡すわけないじゃないですか」
「山崎、あとで殺す」
「内田さん、義理は義理でももうちょっと気合い入れてください。俺らのテンション上げるようなチョコにして」
それぞれ文句を垂れながらも、きちんとチョコをもらっていく隊士達。
朝食を食べた後自室へと戻り、冷蔵庫からチョコクッキーを取り出して、2つの巾着袋に詰めていく。
これは神楽ちゃんとお妙ちゃんの分だ。しかし、会う約束をしていない。
会えると信じて、巾着袋を片手にかぶき町へと足を向ける。
ウロウロと歩き回っていると、神楽ちゃんの声がどこからか聞こえてきた。どうやら誰かと話しているようだ。橋の下を覗けば、神楽ちゃんと少し離れた所に膝を抱えている月詠さん。
神楽ちゃんとお妙ちゃんの分しか持って来ていない為、それをコートの内ポケットに隠して、何も持っていなかった
「神楽ちゃーん!月詠さーん!何やってんのー?」
橋の上から声をかければ、2つの顔がこちらを見上げた。
「あ!美緒ー!ちょうどいい所に来たアル!今美緒の所行こうとしてたアルヨ!ツッキー、美緒なら頼りに……なるアルか?」
「わっちに聞くな!わっちは美緒の事をよく知らんのだぞ!」
2人のもとに駆け寄って、なんの話か尋ねる。
銀ちゃんと新ちゃんにチョコを渡したくて色々やってみたが、失敗した上に照れてうまくいかないらしい。
「あー、分かるなー。その気持ち。私も初めてのバレンタイン、緊張してなかなか渡せなかったよ」
今となっては懐かしい思い出だ。
退を前にした途端、緊張や羞恥、受け取ってもらえるだろうかという不安に押し潰されそうになって、なかなか渡せなかったのだ。
「その時どうやって渡したアルか?」
「何も言わずに押し付けて逃げた。しかもなんでか分かんないけど怒られた……」
フッと乾いた笑みを漏らし、視線を明後日の方へ飛ばす。
「なんか可哀想アルな。そんな美緒を頼りにしていいものか」
「頼りにしてよ。神楽ちゃんの力になりたいから、私に出来る事あったらなんでもするよ」
「じゃあ私の代わりにチョコ渡してきてほしいアル」
「渡してもいいけど、神楽ちゃんからって伝わらなくない?私からだって思われたら意味ないよ」
「アンタ達、そこで何やってんのよ」
降ってきた声に顔を上げれば、橋の欄干に座っている猿飛さんがいた。
「猿飛さんだ。久しぶり」
「こうなったら数に頼るしかないアル。さっちゃんも一緒にチョコ渡すの手伝って欲しいアル」
「猿飛さんも一緒に銀ちゃん達にチョコ渡しに行こうよ」
「はァ?一緒にチョコ渡しに行こう?」
神楽ちゃんが、私にしてくれたのと同じ説明を猿飛さんにもした。
「甘ったれてんじゃないわよ。中学生じゃないんだから集団告白なんてやってらんないわよ」
「チョコやるだけネ。さっちゃんみたいなデリカシーのない女の力が必要アル!」
「さっちゃん、デリカシーないの?」
「ちょっと!デリカシーないの?って本人に直接聞く人もデリカシーないと思うんだけど!もう既にデリカシーない女いるじゃない!」
「美緒はデリカシーがないんじゃなくて、ただバカなだけアル。バカだから言っていい事と悪い事も分からない可哀想な子ネ」
「神楽ちゃん、それフォローになってないよ。私の心抉られてるよ」
可哀想可哀想と、頭を撫でてくれるその手が、私を酷く傷付けていく。
真選組に入ってからというもの、バカと呼ばれる度合いが増えてきたのは気のせいではないだろう。
「そもそもツッキー。あなたがついていながらなんてザマなの。それが10位の力?それで10位になれるの?」
まだ根に持っとるのか、とうんざりだとでも言うように小さく呟いた月詠さん。
さっちゃんは、「恥ずかしいとかそんな事言ってる時点で問題外なのよ」と眼鏡のツルを指で押し上げた。
確かに、さっちゃんの言う通りだ。恥ずかしいと言っていたらいつまで経っても渡せない。
「仕方ないわね。本来ならライバルに手ェ貸すなんて御免だけど、あなた達程度ならなんの脅威にもなりえないから許してあげるわ」
欄干から橋の下に綺麗に着地した。
そして、用意されたのは、ポリバケツの中に並々に注がれた溶けたチョコレート。
「まずは全裸になって、このチョコレートに浸って全身をコーティングしなさい。全てはそこから、そこからが始まりよ」
「始まりじゃないだろ。全てが終わるだろ」
月詠さんの至極まともな意見に、さっちゃんは噛み付いた。
「カマトトぶってんじゃないわよ!恥を捨てろって言ってんのが分かんないの!」
「恥は捨てても、人間までやめる気にはなれんと言っとるんじゃ」
クレオパトラの話をするさっちゃんを、神楽ちゃんと呆れたそれで見守る。
「美緒、さっきなんでもするって言ってくれたアル。クレオパトラになるヨロシ」
「なんでもって言っても、出来る事と出来ない事があるよ。これは出来ない部類です。ごめんなさい」
神楽ちゃんに平謝りしたというのに、さっちゃんは私達の話を曲解して肩を組んできた。
「美緒、あなたやる気ね!?いいわよ!その勇気と根性買ったわ。どこぞのツッキーとは大違いよ」
「いやいやいや!やるとは言ってない!出来ないって言ったの!」
「あなたならクレオパトラになって誘惑出来るわ。さァやるのよ!女を見せなさい!」
「ホント勘弁してェ!誰か助けてェ!」
「ちょっと刀邪魔ね」
「刀は勘弁してくだせェ!コレだけはァァァ!」
さっちゃんは、私の腰にある刀を、鞘ごと抜いてよそに放ってしまった。その後も抵抗して足を踏ん張るが、羽交い締めのようにして、私の体を後ろへ引っ張っていく。
「オイ、美緒が嫌がっとるだろう。やめ……あ」
月詠さんが助けようとしてくれた時、私の足が浮いた。そのまま、ジャーマンスープレックスのようにポリバケツに頭から落とされ、チョコの中に沈む体。頭頂部から靴の先まで、綺麗にチョコでコーティングされ、チョコの涙を流す。
「美緒、すまない。間に合わなかった」
「ツッキーのせいじゃないから気にしないで……」
ポリバケツから出るのを手伝ってくれたツッキーに、涙ながらにそう言うが、ツッキーの眉は下がったまま。ツッキーが拾ってくれた刀を、礼を言って受け取る。私の味方はツッキーしかいない。
「さっちゃん、コレはどうアルか?誘惑出来そうアルか?」
「……仕方ないわね。分かったわよ。普通にいけばいいんでしょ普通に」
「ちょっとさっちゃん!私チョコまみれになった意味あった!?」
「あったわよ。あなたがチョコまみれになっても、クレオパトラにはなれないって事が分かったの。だから普通にいく事にしたのよ」
「美緒のおかげで私達助かったネ。さすが美緒アル」
褒められているんだか、けなされているんだか何も分からない。考えたくない。
「神楽ちゃん、帰っていい?チョコ流したい」
「ダメアル。ここまで来たら最後まで付き合ってヨ」
そう言われてしまえば、断る事が出来ない。
私だけチョコまみれのまま、4人で万事屋へと向かう事になった。さっちゃんを先頭に階段をあがり、そのまま玄関に向かう。
「じゃあインターフォン押……あの……なんで縦並び?」
そう。私達は、さっちゃんを先頭にツッキー、神楽ちゃん、私と縦に並んでいる。私は渡さないので、縦に並ぶ必要はなかったが、ノリで並んでしまった。
「どんだけ照れてんのよアナタ達!あのちょっといい加減にしてくれない!?こっちまで緊張うつるのよ!普段男勝りのくせにどうなってんのよ情けない!」
だんまりを決め込み、緊張した面持ちを崩さない神楽ちゃんとツッキー。
「ホントに押すわよ。準備イイ?いくわよ」
ゆっくりとインターフォンに向かう、さっちゃんの人差し指。それは、何故か横にずれて壁を押した。鳴ったのは、ボキッと骨の折れる音。
「さっちゃんんんん!」
「オイ大丈夫か、何をやってるんじゃ!」
「今ボキッて音したよね?骨折れたんじゃない?」
さっちゃんは、まるで油の切れた機械のようにぎこちなく振り向いた。その顔には、たくさんの汗が浮かび上がっている。
「……あの考えたら私、1回も正攻法でいった事ないから、な……何喋っていいかわかんない……」
「クレオパトラ戦術言ってた奴が何を言っとるんじゃ!」
「あのゴメンやっぱ無理!ツッキーいって恥ずかしくなってきた!」
「今更何を言っとるんじゃ!か、神楽、ぬしがゆけ!我が家じゃろう!」
「オイぃぃぃ!なんの為にお前ら連れてきた思ってるアルか!美緒行けェ!」
「え、私!?よし分かった。押すだけだからね。あとは3人でなんとかしてね」
インターフォンを押そうとしたら、さっちゃんに肩を掴まれた。
「ちょっと!何1人余裕ぶってんのよ!インターフォン押したら最後まで対応しなさいよ!あとはなんとかしてねじゃないわよ!あなたそれでも警察なの!?無責任過ぎない!?」
「そうアル!インターフォン押すのが目的じゃないアル!」
「インターフォンを押してもらわんと始まらんじゃろ。美緒押してくれ。後はその場の勢いとノリでなんとかしよう」
「じゃあ今度こそ押すからね」
怖気付いた3人に代わって、インターフォンを押そうとした時、階段を上ってくる足音と話し声が聞こえてきた。
「神楽ちゃん一体どこ行ったんすかね」
「どこまでウンコしに行ったんだアイツ」
今呼び出そうとしていた相手の帰宅にビックリして、思わず屋根の上に飛び乗った。
「……アレ?今誰かいなかった?」
「いや誰もいないじゃないですか」
扉が開く音がして、銀ちゃんの次に新ちゃんが入っていく。その前に、新ちゃんは玄関横に置いてあるポリバケツが気になったらしい。
「こんなトコにポリバケツあったかな。まァいいか」
疑問に思ったようだが、あっさりと流してくれた事に息をつく。
扉が閉まる音を確認してから、屋根の上からおりて、ポリバケツの蓋を開けた。
夕焼けが眩しい空の下、橋の上でチョコまみれになって佇んでいる私達4人。
誰も言葉を発さず、黙ってまっすぐ見据えている。
そんな中、ツッキーが静かに口を開いた。
「……あの気が向いたらコレ……万事屋の前に置いといてくれると……助かる……」
スッと欄干の上に置かれたチョコ。
「……すまなかったな、力になれずに」
「……よろしくお願いしまーす」
さっちゃんも欄干の上にチョコを置いて、2人はそれぞれ去って行った。
残された私と神楽ちゃん。
神楽ちゃんが黙って取り出したのは、ハート型の箱。そこには、『銀ちゃん新八へ かぐら』と書かれたメッセージカードが添えられている。
神楽ちゃんはそれを躊躇なく、川へと投げ捨てたのだ。思わぬ行動に、ギョッとする。
「ちょ、何やってんの!?」
拾いに行こうとする私の腕を掴んで引き止めた神楽ちゃんは、小さく「いいアル」と呟いた。
せっかくあの2人の為に用意したチョコだったのに……
「ごめんなさいね」
そこに謝罪を告げながら現れたのは、お妙ちゃん。
「私余計なこと言っちゃったかしら」
「余計な事?」
私の隣に並んだお妙ちゃんに首を傾げる。
「神楽ちゃんに、銀さん達にチョコを贈ってあげたらって言ったんだけど、言わなきゃ良かったかしらね」
「……そんな――」
神楽ちゃんとセリフが被ってしまい、口を閉ざす。
「……そんな事ないアルヨ。みんなと一緒に女の子っぽい事して楽しかったアル。元々ガラじゃなかったネ。これでいいネ」
「神楽ちゃん……」
本当にこれで良かったのだろうか。
前をまっすぐ見据える神楽ちゃんの横顔からは、何も窺えなかったけれど、少しの寂しさが伝わってくる気がした。
「私も誘ってくれれば良かったのに。義理チョコだけど」
お妙ちゃんが取り出したのは、巾着袋。
「でも、神楽ちゃんがあげないなら……私もやめとくわね」
「いいヨ。ツッキーとさっちゃんのと一緒に私が届けとくネ。アイツら1個ももらえないんじゃかわいそうだし」
「でも、神楽ちゃんはいいの?」
「……もういいアル。そんなものなくても、この私の地球を覆わんばかりの大ーきな愛はきっと伝わってるアル」
何か吹っ切れたように、両手を空に伸ばした。
「……そうでしょ」
と、微笑む神楽ちゃんに、私も小さく笑んで頷く。
お妙ちゃんも、そうねと微笑んだ。
「あ!そうだ、忘れるとこだった。私も2人に渡すものあるんだった」
コートの中から巾着袋を取り出して、神楽ちゃんとお妙ちゃんに渡した。
「私の本命。銀ちゃんと新ちゃんの分はないから内緒ね」
「美緒ー!ありがとォォォ!私も美緒が大好きアルヨォォ!」
「私も神楽ちゃん大好きー!」
抱きついてくる神楽ちゃんの背中に腕を回して、抱きしめ返す。
「あらあら、先越されちゃったわね。私も美緒ちゃんに。はい、本命よ」
渡されたのは、長方形の箱。
「ありがとう!めちゃくちゃ嬉しい!お妙ちゃん大好き!……あ、ごめん。チョコつきそうになった」
お妙ちゃんに抱きつこうとした体を慌てて止める。
綺麗な着物が、チョコで汚れてしまう所だった。なのに、お妙ちゃんは、ニコニコと私のチョコまみれの頭を撫でてくれた。
「美緒、私用意してないヨ。ごめんネ」
「いいよ、気にしないで。私が神楽ちゃんに想いを伝えたかっただけだから」
「美緒、コレ1人で大事に食べるアル。絶対あの2人には欠片も渡さないアルヨ」
巾着袋に頬ずりしている神楽ちゃんに、思わず笑ってしまった。
「私も大事にいただくわ。ありがとう」
「こちらこそ。2人ともいつも仲良くしてくれてありがとね」
お妙ちゃんと神楽ちゃんと別れて、屯所に向かう。
夕陽がとても眩しくて、手を翳して目を眇めた。
神楽ちゃん、ちゃんと渡せたらいいな……
今の自分の格好に気付いて、夕陽を背景に自撮りをする。
そして、『もう1つチョコあげるね』と写真を添付して、退にメールを送った。
通りすがりの人に、好奇な目で見られたけれど、退以外の隊士には見られたくなくて、素早く風呂場に移動して、チョコを洗い流す。
その日の夜、私の部屋にやって来た退は少し不機嫌そうだ。
「美緒ちゃん、話があるんだけど」
「え?何?」
改まって何の話をされるのか見当がつかない。渦巻く少しの恐怖。
差し出された携帯の画面に映っているのは、夕方送ったチョコまみれの私。
「コレ何?コレ、外で撮ってるよね?どういう事か説明して。『もう1つチョコあげるね』じゃねーよ。受け取るけどさ」
受け取ってくれるんだ、と思いながら、経緯を説明すると項垂れた。
「美緒ちゃんも旦那や新八くんに渡したの?」
「まさか。渡してないよ。真選組のみんなには義理であげたけど」
「ああ、食堂に置いてあったあのチョコ……」
「そうそれ。手作りは退にしかあげないから、不安にならなくて大丈夫だよ」
「そういえば俺言ったっけ?チョコ美味しかったよ、ありがとう」
「あっホント?良かったー」
抱き寄せられて、私の首筋に顔を埋めた。
「美緒ちゃんチョコの匂いしかしないんだけど……」
「え、まだしてる?ちゃんと洗ったんだけどな」
洗い方がたりないのか、それとも、それ程チョコの匂いが染み込んでしまったのか。
腕を嗅いでみると、ほのかに残っているチョコの匂い。
顔を上げた退は、迷惑そうな表情をしている。
「甘くて胸焼け起こしそう」
「あはは。何それ。チョコの匂いがする美緒ちゃんはお気に召しませんか」
「お気に召しませんね。早くチョコの匂いとってください」
「善処します」
どちらからともなくキスを交わすと、頭を撫でて抱きしめられた。その背中に腕を回す。
「今年はチョコ3個か……もらい過ぎだな」
お気に召さないと言っていた割に、そうぼやく声は嬉しそうで、頬が緩んだ。