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囚人番号3-2034。田中古兵衛。
幕府の役人35人を殺害した凶悪な殺人鬼。
人斬り古兵衛と呼ばれる、過激攘夷派暁党の幹部。
幕吏40数人に包囲され、全身10数ヶ所の刀傷を受けながらも、顔色1つ変えずに応戦し、幕吏7人を殺害。
捕獲後も一切の尋問拷問にも動じず、一言も発さず口を閉ざしたままでいる。
正確に言えば口は開いている……というか開きっぱなしだ。
古兵衛は、どんな拷問の中にあっても笑顔を絶やさない。ああして、楽しそうにいつも笑っているんだそうだ。
局長の話を聞きながら、取調室の中にある椅子に座っている田中古兵衛を、マジックミラー越しに見る。
「また幕府も面倒な奴を寄越したもんだな」
「近く、暁党が江戸で大規模なテロ活動を画策しているとの情報が入っている。間違いなく古兵衛は詳しい情報を握っている」
「それを俺達に吐かせろと?」
「まァそういうことだ。やれるかね」
局長の問いかけに、沖田が「少なくとも拷問で口を割るのは無理でしょう」と答えた。
「見てくだせェ。あのドMヅラ。あれが敵にとっつかまって、絶対絶命の奴のツラに見えますか」
奴は、この場から逃げ出す事を考えておらず、ましてやこの状況を楽しんでいるのだと。恐らく拷問の訓練を受けているので、痛みは拒むものじゃなく、受容し賛美される代物だと言う。
「たとえ、手足をちぎられようと、奴はああして笑ってますよ」
そもそも、ここに来るまでに拷問を受けているという話だから、尚もここで拷問しても結果は同じのように思う。
「取り調べは、ただ攻め立てればいいってもんじゃねぇ。アメとムチを使い分けて、奴に取り入り心のスキを作るんだ。情報を吐かそうなんて考えるな。こちらから近付きかすめとるんだ」
アメとムチを使い分ける……
局長の教えをメモに取る。
「取り入るって、あんな変態殺人鬼、どうやったらお近付きになれるんですか。あんな奴クラスが同じでも、友達になれるタイプじゃないですよ。卒業まで一言も会話交わさないレベルですよ」
「大丈夫だ。卒業前は嫌な奴程いい奴に見えるもんだ」
不満を表に出す退に、局長が適当に励ます。
「卒業前に仲良くなってもあまり意味がないんじゃ……」
「そういう問題じゃないよ」
その学園生活的なノリに合わせて、沖田も副長に話を振った。
友達がおらず、ブリーフ派の副長の後押しをするように、沖田と局長が遠回しに殺人鬼の所へ向かわせようとする。
「山崎、お前行け。お前ブリーフ派だろ。いけ」
「いっ!?いや、俺トランクス派なんですけど」
「うるせー。ほとんどブリーフみたいなモンだろ。存在そのものがなんかモッサリしてるだろ」
副長の返しに、笑いそうになる口に手を当てて堪える。
「いや、ちょっ……そもそも向こうもブリーフ派かどうかも……」
「開いて。ブリーフの扉を開いてザキ」と、局長。
副長は、取調室の中に蹴り入れると、すぐドアを閉めた。よろめきながら立ち上がった退は、恐る恐るその殺人鬼の向かいの椅子に腰掛ける。
「ザキ、アメとムチだぞ。時に厳しく攻め、時に優しい言葉をかける。ツンデレの原理を巧みに利用し、奴の心を掌握するんだ」
局長のアドバイスは届いているのだろうか。
ここは、退を信じるしかない。
退は、凶悪殺人鬼を前にどう出るのか、固唾を呑んで見守る。
すると――
「つぎはぎハゲコラァァァ!てめーはいつまでのらりくらりしらばっくれてるつもりだァァァ!」
と、机を叩いて立ち上がったのだ。
思わぬ切り出しに、呆気にとられる。
退は、殺人鬼に、5周年で銀八に出張だとか、キャラブックとか締切だとか、編集長が乗り込んできそうだとか、なんの話をしているのか分からない事を殺人鬼に怒鳴りつけている。
そのうち、龍が〇く3やドラゴ〇ボールエボリューションを見たかったのを我慢してると、愚痴になっていく。
しまいには机に顔を伏せて、秋本先生のように仕事が出来たらなどと、犯人より自分と向き合って懺悔をする始末。
その時、殺人鬼が情〇大陸のテーマ曲を口ずさんだ。
「確かにあなたはとんだダメ人間だ。仕事が遅い事がじゃありません。山の頂きを仰ぎ見て卑屈になっていることがです。かがめばかがむ程、山頂は遠くなりますよ」
退の心に寄り添うように、ゆっくりと紡がれていく言葉たち。
頂きは、己の卑小さを知るためにそびえ立っているのではない。ただ目指す為にあるのだと。
「山道でかがんでいる暇があったら、ゆっくりでもいい登っていきなさい。秋本山は30年かけてできた山です。そうたやすくは登れません。あなたも30年かけて登るつもりでいきなさい。1歩ずつ亀のように、確かな足取りで。それでも頂きには辿り着けないかもしれない。途中で力尽きてしまうかもしれない。だけど、そこから見える景色は、きっと今よりマシなものになっているはずですよ」
殺人鬼とは思えない程の温かみのある言葉に、何故か私の鼻の奥がつんと痛んだ。
心無しか勇気づけられたような気持ちになり、胸が熱くなる。
「次!美緒お前行け……って、何感動してやがんだ!おめェも丸め込まれてんじゃねーよ!」
「あ、すみません」
「トシ、美緒ちゃんを殺人鬼の前に放り出すのは危ないんじゃないか?」
局長の心配そうなそれを、副長は「いや、行かせる」と一蹴した。
「危ねェと思ってたら、ハナッからここに呼んでねーよ。こういう経験も必要だろ」
「後ろに俺らいるから大丈夫だよ、行ってきな」
「はい。行ってきます」
退と副長に行ってこいと背中を押され、取調室へと足を踏み入れた。
入隊して2年目。
色々任されるようになってきたとは思うが、取調室に入ったのは初めてだ。
目の前には殺人鬼。
近くで見ると、笑顔が不気味で余計に怖い。
怖気付きそうになるのを、どうにか堪える。
手足は縛られていて動けないので、何かしてくる事はないだろう。
それに、退に胸に響く言葉を紡いだのだ。本当に殺人鬼なのか疑わしくなってくる。
私は、よろしくお願いします、と一礼して向かいの椅子に腰を下ろした。
緊張で手汗が酷い。動悸も激しくなってきた。
なんとか落ち着かせようと、深呼吸をして整える。
まずは何を話せばいいのか。
アメとムチを使って、ツンデレの原理を巧みに利用する。情報を吐かせるのではなく、かすめとる。
アドバイスを思い返して、殺人鬼を見据えて口を開いた。
「え、えっと……田中さん……でしたよね?田中さんは、ご趣味とかあるんですか?普段何されてるとか……」
「…………」
「……べ、別に、田中さんの事知りたくて聞いたわけじゃないんだからね。話のとっかかりとして聞いただけなんだからね」
あの不気味な笑顔を崩さず、何も答えずにジッとこちらを見据えたまま。
ツンデレは、お気に召さなかったのだろうか。私のやるツンデレが下手なのか。
「田中さんはクールで寡黙な方なんですね。私の上司にも、見た目だけクールな人がいるんですよ。性格は全然クールじゃないんですけどね。クールぶってるだけなんですけどね……」
「…………」
「あー、うん……まァ、上司の話は置いといて……寡黙なのも個性的で素敵だなーと思うんですけど、田中さんとお話したくてここに来てるんで、どうせなら楽しくお話しましょうよ。私じゃ役不足ですかね?同性同士の方が心開けたりしますか?」
「…………」
表情を窺ってみるが、依然として笑顔のままだ。
お手上げしそうになるのを堪えて、殺人鬼が話しやすそうなテーマで、尚且つ相手にばかり答えを求めるのではなく、自分の話も交えながら会話を進めようとする。
あー……ダメだ。話が続かない。誰かに代わってもらおう。ギブだ。
「あなたは、とても頑張り屋さんなのですね」
突然、殺人鬼が口を開いた。
今まで話す素振りなんてなかったのに。
いきなりの事に驚きが勝ち、返事が遅れてしまった。
「……え、えっと……そう……ですかね?」
「はい。あなたは、入ってきてからずっと怯えていた。手が震えているのが何よりの証拠です」
言われて初めて気が付いた。自分の手が微かに震えている事に。
「す、すみません。失礼な事を……」
「いいのですよ。恐らく、あなたは、この仕事についてから、そう長くはないのではないでしょうか。なのに、私に喋らせようと、楽しませようと頑張ってくださった。きっと、そのクールぶっているという、上司の期待に応えようとしていたのでしょう。あなたはとても立派な方だ」
まさか、殺人鬼から褒められる日が来ようとは、誰が思っただろうか。
「今は叱られる事が多いでしょう。でも、この先、あなたの頑張りや評価は自ずとついてきますよ。きっと、そのクールぶっている上司も認めてくれます。しかし、頑張り過ぎてはいけません。体を壊すだけでいい事はない。鳥だってそうでしょう。ずっと飛んでいるわけではない。飛ぶ事に疲れたら羽を休ませている。あなたも止まり木を作っていいんです。そしたら、またあなたは、より高く飛ぶ事が出来るでしょう。今日結果が出せなくても、次出せますよ。負けないでください。応援しています」
「あ、あり……っ、ありがとうございます……」
激励を受けて、思わず涙が溢れてしまった。
ポケットからハンカチを取り出して、涙を拭う。
「……すみませ……っ、……」
「泣く事も必要です。泣く時は我慢せず、しっかり泣きなさい」
椅子から立ち上がって一礼し、ドアに向かった。
「ありがとうございました。失礼します」
再び一礼してドアを閉めるなり、副長が私の頭をわし掴んできた。
「お前何泣かされて帰ってきてんだコラァァ!山崎といい、なんだこの体たらく!つーか、俺の話を出してんじゃねーよ!」
「すみません!痛たた!あの、褒められると思ってな痛い痛い痛い!離してください!」
頭を掴まれている痛さも相俟って、更に涙が出てきそうだ。
「誰もてめェの事評価してねーとは言ってねーだろ。バカが目立つだけだ」
頭を乱暴に離されながら言われた、副長からの思わぬ発言に目を見開く。
「土方さん、そこはもっと素直にならねーといけねーですぜィ。美緒の事が好きで気にかけてるって言えばいいじゃないですか」
「好きじゃねーよ!いい加減な事ばっか言ってんじゃねェ!」
「そうだぞ、俺だって美緒ちゃんの事認めてるからな。自信持っていいぞ」
局長が親指を立ててくれている。
「ありがとうございます。これからも頑張ります」
こんなに褒められて、私今日死ぬのかなぁ?
普段誰も褒めてくれないのに、1度に認めていると頑張っていると褒められて、何故か自分の命の危機を感じた。
そばに寄ってきた退に、良かったねと頭を撫でられて、微笑むと目尻から流れた涙。
「よし次は俺が行こう。ゴリラ刑事人情派……情をもってして奴を説き伏せてみせる」
局長は、どこにいるのか分からない課長に、いないはずの娘を頼んだ。そして、ケイ〇・コスギに芝居を勉強しろと言い残し、取調室に入って行った。
「ムショの臭いメシには飽きただろう。今日は特別だ。好きなだけ食べなさい。ゴリさん特製カツ丼だ」
殺人鬼の前にカツ丼を差し出すが、殺人鬼は手が使えない。
局長は、その頭を掴んで丼に突っ込ませている。
食べさせてあげているつもりなのだろうか。
「カツ丼ってアイテムは人情派ですけど、食わせてる絵がとても人情派に見えないんですけど。非常派にしか見えないんですけど」
局長が、殺人鬼に食べさせている間もニコニコしているのが、なんともサイコパス味を感じてならない。
局長は、向かいの椅子に腰をかけると、何歳の設定なのか、「殺人鬼と同じくらいの息子がいてな」と語り出した。
局長の身の上話という作り話は、マッスルという単語が多く、内容が全然頭に入ってこない。
最終的には、親を悲しませるなという話に纏まった。
「今なら親御さんを苦しめる荷を1つとり払う方法があるはずだ」
「……吐きます。洗いざらい全て」
あんなに頑なに口を割ろうとしなかった殺人鬼から、そんな言葉が出てきた。
局長の言葉のどこに、説得される要素があったのだろうか。
「おぼろしゃアアア」
「別のモノ吐いたァァァ!」
吐くは吐くでも、容疑を認めるような事ではなく、吐瀉物の方だった。それは、局長へと降りかかる。
とんだ吐きます違いに、呆れるしかない。
「なんじゃこりゃあああ!」
「あの……スイマセン。コレ、カツ丼腐ってませんか?」
殺人鬼からの質問に、何故か局長は息も絶え絶えに、弱々しく「腐ってねーよ……」と否定するが、それは3日前のカツ丼である事が明らかとされた。
「いや腐ってんだろ。カツ丼もアンタの頭も」
副長の冷静なツッコミに、強く頷く。
局長は、いつも3日前のカツ丼を食べているのだろうか。と、なると、強靭な胃の持ち主だ。
「すいません。せっかく私のために用意してくれたのに。あの責任とって全部食べますから、そこ置いといてください」
腐ったカツ丼を無理矢理食べさせられたというのに、怒るでもないその寛大さに、ますます私の中で疑心を抱く。
「安心してください。あなたは悪くありません。私はあなたを信じます。子の罪を許し、共に苦しむのが親の役目ならば、無実を信じ、共に戦う役目は友が担いましょう」
殺人鬼の言葉に心打たれた局長は、大袈裟にもドアを吹き飛ばしてまで倒れてきた。
局長は、マヨラ刑事とドS刑事に後を託すと、ドS刑事の腕の中で息絶えた。
「土方さん、どうやらあっちの方が、俺達よりよっぽどアメとムチの使い方がうまいらしい」
沖田が言うには、副長の言うアメとムチは、ムチでガンガンぶっ叩いてくるやつが、ふと優しい言葉をかけてくると、普通の人が言うよりも耳障り良く聞こえるというギャップルールの事。そこで、心を許してきた者につけ入り、情報を聞き出すというもの。
「しかし奴の場合『凶悪な殺人鬼』という肩書きを持っている時点で、俺達は既に、奴のムチで打たれているようなもんなんでさァ」
「つまり奴はアメを吐いてるだけで、ムチとアメの図式が作り出せると」
「そうです。俺達が勝つには奴よりも早く、こちらがアメとムチを奴に叩き込むこと」
副長と沖田は、2人でタッグを組んでアメとムチを叩き込む事にしたそうだ。
「2人だったら、私達も出来たかもね」
「どうだろうね。相手手強いよ」
退から副長と沖田へ視線を戻す。
殺人鬼に蹴りを入れる超弩級のS沖田、フォローの達人副長が殺人鬼を助ける。2人で協力すれば一瞬で極上のアメとムチが出来上がる。
これで終わりかと思ったその時。
「あのォすいません。何やってんですか」
殺人鬼は、涼しい顔をしてそんな事を言ってのけたのだ。2人のアメとムチが全く効いていない。
「大丈夫ですか。座ってお話しましょう。みなさんいなくなってしまって、丁度さびしいと思ってたトコなんです」
殺人鬼から投げ付けられた、さびしいという超弩級のアメ。
沖田と副長は、その攻撃に耐えるので精一杯のようだ。
「土方さん、どうやら俺達は最初からとんでもない勘違いをしていたようでさァ。思い出してください。コイツの性癖はドM」
「そ……そうか。ドMにとってはムチはなんら苦痛に値しない。つまりコイツにとってのアメはムチのこと!」
戦意を失っていきそうな副長。
「よし!俺らも行くぞ!」
沖田と副長に参戦しようと、局長が私達に声をかけた。
返事をして、取調室に足を踏み入れる。
「副長!」
「お前ら!」
私達を見るなり、副長の失いそうになっていた戦意が戻っていく。
「いけェェェェ!」
5人力を合わせて、殺人鬼に飛びかかる。
「あのォ、盛り上がってる所すいません」
かけられた声に、現実へと引き戻される。
「あのォちょっと重大なお知らせがありまして、向こうで手違いがあったらしくて、その人田中古兵衛じゃありません。殺人鬼でもありません。田中加兵衛っていう万引き犯捕まえた善良な市民です」
名前が似ていただけで間違われていたとの事で、本物の古兵衛を連れてくるとの事だった。
「なんじゃこりゃああああ!」
本物の取り調べが始まるのは、今から――
幕府の役人35人を殺害した凶悪な殺人鬼。
人斬り古兵衛と呼ばれる、過激攘夷派暁党の幹部。
幕吏40数人に包囲され、全身10数ヶ所の刀傷を受けながらも、顔色1つ変えずに応戦し、幕吏7人を殺害。
捕獲後も一切の尋問拷問にも動じず、一言も発さず口を閉ざしたままでいる。
正確に言えば口は開いている……というか開きっぱなしだ。
古兵衛は、どんな拷問の中にあっても笑顔を絶やさない。ああして、楽しそうにいつも笑っているんだそうだ。
局長の話を聞きながら、取調室の中にある椅子に座っている田中古兵衛を、マジックミラー越しに見る。
「また幕府も面倒な奴を寄越したもんだな」
「近く、暁党が江戸で大規模なテロ活動を画策しているとの情報が入っている。間違いなく古兵衛は詳しい情報を握っている」
「それを俺達に吐かせろと?」
「まァそういうことだ。やれるかね」
局長の問いかけに、沖田が「少なくとも拷問で口を割るのは無理でしょう」と答えた。
「見てくだせェ。あのドMヅラ。あれが敵にとっつかまって、絶対絶命の奴のツラに見えますか」
奴は、この場から逃げ出す事を考えておらず、ましてやこの状況を楽しんでいるのだと。恐らく拷問の訓練を受けているので、痛みは拒むものじゃなく、受容し賛美される代物だと言う。
「たとえ、手足をちぎられようと、奴はああして笑ってますよ」
そもそも、ここに来るまでに拷問を受けているという話だから、尚もここで拷問しても結果は同じのように思う。
「取り調べは、ただ攻め立てればいいってもんじゃねぇ。アメとムチを使い分けて、奴に取り入り心のスキを作るんだ。情報を吐かそうなんて考えるな。こちらから近付きかすめとるんだ」
アメとムチを使い分ける……
局長の教えをメモに取る。
「取り入るって、あんな変態殺人鬼、どうやったらお近付きになれるんですか。あんな奴クラスが同じでも、友達になれるタイプじゃないですよ。卒業まで一言も会話交わさないレベルですよ」
「大丈夫だ。卒業前は嫌な奴程いい奴に見えるもんだ」
不満を表に出す退に、局長が適当に励ます。
「卒業前に仲良くなってもあまり意味がないんじゃ……」
「そういう問題じゃないよ」
その学園生活的なノリに合わせて、沖田も副長に話を振った。
友達がおらず、ブリーフ派の副長の後押しをするように、沖田と局長が遠回しに殺人鬼の所へ向かわせようとする。
「山崎、お前行け。お前ブリーフ派だろ。いけ」
「いっ!?いや、俺トランクス派なんですけど」
「うるせー。ほとんどブリーフみたいなモンだろ。存在そのものがなんかモッサリしてるだろ」
副長の返しに、笑いそうになる口に手を当てて堪える。
「いや、ちょっ……そもそも向こうもブリーフ派かどうかも……」
「開いて。ブリーフの扉を開いてザキ」と、局長。
副長は、取調室の中に蹴り入れると、すぐドアを閉めた。よろめきながら立ち上がった退は、恐る恐るその殺人鬼の向かいの椅子に腰掛ける。
「ザキ、アメとムチだぞ。時に厳しく攻め、時に優しい言葉をかける。ツンデレの原理を巧みに利用し、奴の心を掌握するんだ」
局長のアドバイスは届いているのだろうか。
ここは、退を信じるしかない。
退は、凶悪殺人鬼を前にどう出るのか、固唾を呑んで見守る。
すると――
「つぎはぎハゲコラァァァ!てめーはいつまでのらりくらりしらばっくれてるつもりだァァァ!」
と、机を叩いて立ち上がったのだ。
思わぬ切り出しに、呆気にとられる。
退は、殺人鬼に、5周年で銀八に出張だとか、キャラブックとか締切だとか、編集長が乗り込んできそうだとか、なんの話をしているのか分からない事を殺人鬼に怒鳴りつけている。
そのうち、龍が〇く3やドラゴ〇ボールエボリューションを見たかったのを我慢してると、愚痴になっていく。
しまいには机に顔を伏せて、秋本先生のように仕事が出来たらなどと、犯人より自分と向き合って懺悔をする始末。
その時、殺人鬼が情〇大陸のテーマ曲を口ずさんだ。
「確かにあなたはとんだダメ人間だ。仕事が遅い事がじゃありません。山の頂きを仰ぎ見て卑屈になっていることがです。かがめばかがむ程、山頂は遠くなりますよ」
退の心に寄り添うように、ゆっくりと紡がれていく言葉たち。
頂きは、己の卑小さを知るためにそびえ立っているのではない。ただ目指す為にあるのだと。
「山道でかがんでいる暇があったら、ゆっくりでもいい登っていきなさい。秋本山は30年かけてできた山です。そうたやすくは登れません。あなたも30年かけて登るつもりでいきなさい。1歩ずつ亀のように、確かな足取りで。それでも頂きには辿り着けないかもしれない。途中で力尽きてしまうかもしれない。だけど、そこから見える景色は、きっと今よりマシなものになっているはずですよ」
殺人鬼とは思えない程の温かみのある言葉に、何故か私の鼻の奥がつんと痛んだ。
心無しか勇気づけられたような気持ちになり、胸が熱くなる。
「次!美緒お前行け……って、何感動してやがんだ!おめェも丸め込まれてんじゃねーよ!」
「あ、すみません」
「トシ、美緒ちゃんを殺人鬼の前に放り出すのは危ないんじゃないか?」
局長の心配そうなそれを、副長は「いや、行かせる」と一蹴した。
「危ねェと思ってたら、ハナッからここに呼んでねーよ。こういう経験も必要だろ」
「後ろに俺らいるから大丈夫だよ、行ってきな」
「はい。行ってきます」
退と副長に行ってこいと背中を押され、取調室へと足を踏み入れた。
入隊して2年目。
色々任されるようになってきたとは思うが、取調室に入ったのは初めてだ。
目の前には殺人鬼。
近くで見ると、笑顔が不気味で余計に怖い。
怖気付きそうになるのを、どうにか堪える。
手足は縛られていて動けないので、何かしてくる事はないだろう。
それに、退に胸に響く言葉を紡いだのだ。本当に殺人鬼なのか疑わしくなってくる。
私は、よろしくお願いします、と一礼して向かいの椅子に腰を下ろした。
緊張で手汗が酷い。動悸も激しくなってきた。
なんとか落ち着かせようと、深呼吸をして整える。
まずは何を話せばいいのか。
アメとムチを使って、ツンデレの原理を巧みに利用する。情報を吐かせるのではなく、かすめとる。
アドバイスを思い返して、殺人鬼を見据えて口を開いた。
「え、えっと……田中さん……でしたよね?田中さんは、ご趣味とかあるんですか?普段何されてるとか……」
「…………」
「……べ、別に、田中さんの事知りたくて聞いたわけじゃないんだからね。話のとっかかりとして聞いただけなんだからね」
あの不気味な笑顔を崩さず、何も答えずにジッとこちらを見据えたまま。
ツンデレは、お気に召さなかったのだろうか。私のやるツンデレが下手なのか。
「田中さんはクールで寡黙な方なんですね。私の上司にも、見た目だけクールな人がいるんですよ。性格は全然クールじゃないんですけどね。クールぶってるだけなんですけどね……」
「…………」
「あー、うん……まァ、上司の話は置いといて……寡黙なのも個性的で素敵だなーと思うんですけど、田中さんとお話したくてここに来てるんで、どうせなら楽しくお話しましょうよ。私じゃ役不足ですかね?同性同士の方が心開けたりしますか?」
「…………」
表情を窺ってみるが、依然として笑顔のままだ。
お手上げしそうになるのを堪えて、殺人鬼が話しやすそうなテーマで、尚且つ相手にばかり答えを求めるのではなく、自分の話も交えながら会話を進めようとする。
あー……ダメだ。話が続かない。誰かに代わってもらおう。ギブだ。
「あなたは、とても頑張り屋さんなのですね」
突然、殺人鬼が口を開いた。
今まで話す素振りなんてなかったのに。
いきなりの事に驚きが勝ち、返事が遅れてしまった。
「……え、えっと……そう……ですかね?」
「はい。あなたは、入ってきてからずっと怯えていた。手が震えているのが何よりの証拠です」
言われて初めて気が付いた。自分の手が微かに震えている事に。
「す、すみません。失礼な事を……」
「いいのですよ。恐らく、あなたは、この仕事についてから、そう長くはないのではないでしょうか。なのに、私に喋らせようと、楽しませようと頑張ってくださった。きっと、そのクールぶっているという、上司の期待に応えようとしていたのでしょう。あなたはとても立派な方だ」
まさか、殺人鬼から褒められる日が来ようとは、誰が思っただろうか。
「今は叱られる事が多いでしょう。でも、この先、あなたの頑張りや評価は自ずとついてきますよ。きっと、そのクールぶっている上司も認めてくれます。しかし、頑張り過ぎてはいけません。体を壊すだけでいい事はない。鳥だってそうでしょう。ずっと飛んでいるわけではない。飛ぶ事に疲れたら羽を休ませている。あなたも止まり木を作っていいんです。そしたら、またあなたは、より高く飛ぶ事が出来るでしょう。今日結果が出せなくても、次出せますよ。負けないでください。応援しています」
「あ、あり……っ、ありがとうございます……」
激励を受けて、思わず涙が溢れてしまった。
ポケットからハンカチを取り出して、涙を拭う。
「……すみませ……っ、……」
「泣く事も必要です。泣く時は我慢せず、しっかり泣きなさい」
椅子から立ち上がって一礼し、ドアに向かった。
「ありがとうございました。失礼します」
再び一礼してドアを閉めるなり、副長が私の頭をわし掴んできた。
「お前何泣かされて帰ってきてんだコラァァ!山崎といい、なんだこの体たらく!つーか、俺の話を出してんじゃねーよ!」
「すみません!痛たた!あの、褒められると思ってな痛い痛い痛い!離してください!」
頭を掴まれている痛さも相俟って、更に涙が出てきそうだ。
「誰もてめェの事評価してねーとは言ってねーだろ。バカが目立つだけだ」
頭を乱暴に離されながら言われた、副長からの思わぬ発言に目を見開く。
「土方さん、そこはもっと素直にならねーといけねーですぜィ。美緒の事が好きで気にかけてるって言えばいいじゃないですか」
「好きじゃねーよ!いい加減な事ばっか言ってんじゃねェ!」
「そうだぞ、俺だって美緒ちゃんの事認めてるからな。自信持っていいぞ」
局長が親指を立ててくれている。
「ありがとうございます。これからも頑張ります」
こんなに褒められて、私今日死ぬのかなぁ?
普段誰も褒めてくれないのに、1度に認めていると頑張っていると褒められて、何故か自分の命の危機を感じた。
そばに寄ってきた退に、良かったねと頭を撫でられて、微笑むと目尻から流れた涙。
「よし次は俺が行こう。ゴリラ刑事人情派……情をもってして奴を説き伏せてみせる」
局長は、どこにいるのか分からない課長に、いないはずの娘を頼んだ。そして、ケイ〇・コスギに芝居を勉強しろと言い残し、取調室に入って行った。
「ムショの臭いメシには飽きただろう。今日は特別だ。好きなだけ食べなさい。ゴリさん特製カツ丼だ」
殺人鬼の前にカツ丼を差し出すが、殺人鬼は手が使えない。
局長は、その頭を掴んで丼に突っ込ませている。
食べさせてあげているつもりなのだろうか。
「カツ丼ってアイテムは人情派ですけど、食わせてる絵がとても人情派に見えないんですけど。非常派にしか見えないんですけど」
局長が、殺人鬼に食べさせている間もニコニコしているのが、なんともサイコパス味を感じてならない。
局長は、向かいの椅子に腰をかけると、何歳の設定なのか、「殺人鬼と同じくらいの息子がいてな」と語り出した。
局長の身の上話という作り話は、マッスルという単語が多く、内容が全然頭に入ってこない。
最終的には、親を悲しませるなという話に纏まった。
「今なら親御さんを苦しめる荷を1つとり払う方法があるはずだ」
「……吐きます。洗いざらい全て」
あんなに頑なに口を割ろうとしなかった殺人鬼から、そんな言葉が出てきた。
局長の言葉のどこに、説得される要素があったのだろうか。
「おぼろしゃアアア」
「別のモノ吐いたァァァ!」
吐くは吐くでも、容疑を認めるような事ではなく、吐瀉物の方だった。それは、局長へと降りかかる。
とんだ吐きます違いに、呆れるしかない。
「なんじゃこりゃあああ!」
「あの……スイマセン。コレ、カツ丼腐ってませんか?」
殺人鬼からの質問に、何故か局長は息も絶え絶えに、弱々しく「腐ってねーよ……」と否定するが、それは3日前のカツ丼である事が明らかとされた。
「いや腐ってんだろ。カツ丼もアンタの頭も」
副長の冷静なツッコミに、強く頷く。
局長は、いつも3日前のカツ丼を食べているのだろうか。と、なると、強靭な胃の持ち主だ。
「すいません。せっかく私のために用意してくれたのに。あの責任とって全部食べますから、そこ置いといてください」
腐ったカツ丼を無理矢理食べさせられたというのに、怒るでもないその寛大さに、ますます私の中で疑心を抱く。
「安心してください。あなたは悪くありません。私はあなたを信じます。子の罪を許し、共に苦しむのが親の役目ならば、無実を信じ、共に戦う役目は友が担いましょう」
殺人鬼の言葉に心打たれた局長は、大袈裟にもドアを吹き飛ばしてまで倒れてきた。
局長は、マヨラ刑事とドS刑事に後を託すと、ドS刑事の腕の中で息絶えた。
「土方さん、どうやらあっちの方が、俺達よりよっぽどアメとムチの使い方がうまいらしい」
沖田が言うには、副長の言うアメとムチは、ムチでガンガンぶっ叩いてくるやつが、ふと優しい言葉をかけてくると、普通の人が言うよりも耳障り良く聞こえるというギャップルールの事。そこで、心を許してきた者につけ入り、情報を聞き出すというもの。
「しかし奴の場合『凶悪な殺人鬼』という肩書きを持っている時点で、俺達は既に、奴のムチで打たれているようなもんなんでさァ」
「つまり奴はアメを吐いてるだけで、ムチとアメの図式が作り出せると」
「そうです。俺達が勝つには奴よりも早く、こちらがアメとムチを奴に叩き込むこと」
副長と沖田は、2人でタッグを組んでアメとムチを叩き込む事にしたそうだ。
「2人だったら、私達も出来たかもね」
「どうだろうね。相手手強いよ」
退から副長と沖田へ視線を戻す。
殺人鬼に蹴りを入れる超弩級のS沖田、フォローの達人副長が殺人鬼を助ける。2人で協力すれば一瞬で極上のアメとムチが出来上がる。
これで終わりかと思ったその時。
「あのォすいません。何やってんですか」
殺人鬼は、涼しい顔をしてそんな事を言ってのけたのだ。2人のアメとムチが全く効いていない。
「大丈夫ですか。座ってお話しましょう。みなさんいなくなってしまって、丁度さびしいと思ってたトコなんです」
殺人鬼から投げ付けられた、さびしいという超弩級のアメ。
沖田と副長は、その攻撃に耐えるので精一杯のようだ。
「土方さん、どうやら俺達は最初からとんでもない勘違いをしていたようでさァ。思い出してください。コイツの性癖はドM」
「そ……そうか。ドMにとってはムチはなんら苦痛に値しない。つまりコイツにとってのアメはムチのこと!」
戦意を失っていきそうな副長。
「よし!俺らも行くぞ!」
沖田と副長に参戦しようと、局長が私達に声をかけた。
返事をして、取調室に足を踏み入れる。
「副長!」
「お前ら!」
私達を見るなり、副長の失いそうになっていた戦意が戻っていく。
「いけェェェェ!」
5人力を合わせて、殺人鬼に飛びかかる。
「あのォ、盛り上がってる所すいません」
かけられた声に、現実へと引き戻される。
「あのォちょっと重大なお知らせがありまして、向こうで手違いがあったらしくて、その人田中古兵衛じゃありません。殺人鬼でもありません。田中加兵衛っていう万引き犯捕まえた善良な市民です」
名前が似ていただけで間違われていたとの事で、本物の古兵衛を連れてくるとの事だった。
「なんじゃこりゃああああ!」
本物の取り調べが始まるのは、今から――