ミツバ編
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「美緒、貿易港張れ。山崎は、総悟の姉貴の周りだ」
屯所に戻るなり、副長がそう指示をしてきた。
退に全て任せると思っていた私は、見張りを命じられた事に驚いたが、退は場所に引っかかったらしい。
「副長、俺が港……っ、」
反論しかけた口を閉ざした。
退を盗み見れば、俯いた前髪の影で目は見えないけれど、反論したいのを堪えているように、下唇が噛み締められている。
「美緒、行け。報告忘れんなよ」
「はい。行ってきます」
退に、行ってくるね、と小さく言うと、僅かに縦に動いた頭。
退は、何か思うところがあるのだろうか。いつもと様子が違ったのが気がかりだ。
行く前に、退に一言声をかけた方がいいだろう。
自室で準備を済ませてから襖を開けると、「うわ」と降ってきた声。
「あ、今退の所行こうと――」
優しく頭を撫でられて、言葉を切った。
「美緒ちゃん、気を付けてね」
私を見つめる黒い瞳が、とても切なそうに悲しそうに揺れている。これは、いつもの心配や不安からくるそれとはまた違っているような気がして、頷く事しか出来なかった。
なんて声をかければ良いのか何1つ思い浮かばなくて、結局声を発する事なく、退の背を見送ってしまった。
貿易港に辿り着き、人影に注意しながら屋根の上を慎重に歩く。
退に教えてもらった、上も下もよく見る事。いつ何が起こるか分からないので、色々な事態を予測して動く事。
そして、隠密活動中には欠かせない、真選組ソーセージ。
私が見付かって、射殺されるとしたら、あそことあそこか、あっちもあるな……
屋根の上に座ってソーセージを食べながら、まず狙われそうな所を確認する。
副長の期待に応える為にも、やれる所を見せなければならない。
周りを確認しながら屋根から下りる。
自分の影の伸び方にも気を配り、開けっ放しの倉庫へと足を踏み入れた。
想像よりも広い倉庫の中。
指紋隠蔽の為に手袋をつけて、木箱の蓋を開ければ、大量に出て来る見た事のないカッコイイ武器。それを写真に撮って副長に送った。
「今日は、何時入りの予定で?」
「いつも通りだろうさ」
話し声が聞こえてきたので、慌てて物陰へと身を滑り込ませ、両手で口を押さえて気配を殺す。
「しかし、蔵馬も悪いお人よ。自分の商いの為に、あんな生娘を騙すたーねェ。あの娘も、自分が道具としてしか見られてねーってのは気付かねェもんかね」
「相手の気持ちなんざどーでもいいんだよ。狙いは、あの娘の弟なんだからよ。蔵馬が、あの弟使って幕府の犬を抱き込んだとか言ってたからな。幕府の犬も案外大した事ねェ連中なんだな」
「幕府の犬さえ味方につけりゃ、コソコソせずとも大手振って商いが出来るってもんさね。そんで、この武器で幕府の犬をドカン」
蔵馬?蔵馬って、あのミツバさんの?という事は、弟は沖田の事だ。もう既に沖田はこの事を知っていて、裏で動いてるのか?
しかも、ミツバさんの事を道具と言っていた。
どこまで外道なんだあの蔵馬の野郎は!
話し声が通り過ぎたのを確認してから、倉庫を出て屋根の上に戻って寝そべり、メモ帳に報告すべき事を下書きしていく。
あの浪士達が言っていた事も気になる。
浪士達の中で話が悪い方向に広がり、尾ひれがついている可能性もある。
現に、真選組は抱き込まれてなどいない。
だから、副長に命じられて、ここに調査に来ているのだから。そんな事あるはずがない。
見張りを続けて数日。ソーセージも飽きてきた。何か他のものが食べたい。
集まった、確固たる証拠を副長の携帯へ送る。
倉庫の中から少し盗み出した武器も、屋根の上にいくつか陳列している。見付かった時用にと思ったが、使う時は来るだろうか。
しかし、どう盗み聞きしても、変装して話を聞き出しても、あのミツバさんの事を道具にした事や、沖田目当てだった話の裏が取れず、噂の範疇を出ない。蔵馬本人の口から聞ければ1番確実なのだが。
日が暮れ、雨のせいで寒くなってきたので、脱いでいた隊服の上着に袖を通す。攘夷浪士達が動き出したようだ。
ぞろぞろと集まってきて、船の点検もしているのが見える。
攘夷浪士と蔵馬が親密にあるという事は、蔵馬と結婚したミツバさんを通じて、沖田の真選組としての立場が……悪くなる事はないと思いたい。
あの局長が、沖田を邪険に扱うとは到底思えない。
でも、それは私の想像だったり願望だったりするわけで、現実問題どうなるか分からない。
局長が許しても、その上がどう判断するか……
どうしようも出来ない事に思考を巡らせながら、屋根の上でうつ伏せになって、双眼鏡を通して密輸の状態を見ていたら携帯が震えた。
「ヘイ。こちら美緒。何用で?」
《港ついたから合流しよう》
「了解」
通話を終わらせ、屋根から下りて人の目を掻い潜りながら、退と副長のいる所に合流した。
「お疲れ様です」
副長は近付いてくるなり、私の頭に手を置いてこう言った。
「美緒、よくやった。アフロなのに」
副長に褒められて、思わず頬が緩む。
「ありがとうございます」
と、副長の目を見た瞬間、恐怖に慄いた。
緩んでいた頬も元に戻るのは一瞬。背筋がぞわりと震える。
それは人を褒めている目ではない。何か覚悟を決めたような、それでいて、怒りに満ちたそんな目。
数歩下がって、退の側へと駆け寄る。
「美緒ちゃん、実はミツバさんが……ミツバさんの容体が悪化したって……」
「え!?……でも、私、蔵馬さんを倉庫で見た……」
2人と合流する前、私は蔵馬の姿を倉庫で見た。
婚約者なのだから、病院から連絡が来ていないとは考えられない。
婚約者が生死をさ迷っている時に、仕事を優先するなんざ、余程の仕事人間なのだろう。
それか、噂通りミツバさんの事を道具としてしか見ていないのか。
そういえば、退も私が手術してる時仕事してたって言ってたっけ?まぁ、重症度が違うし、私の場合大した事なかったし。
「副長、副長だけでも病院に行ってあげてください」
「そうですよ副長、こんな時に仕事なんざ……それもよりによって、ミツバさんの婚約者を……しょっぴこうなんて……酷です、あまりにも」
しょっぴく?え、今?
「ミツバさんや沖田隊長の気持ちも考えてやってください。副長が間違った事をしてるなんて思っちゃいませんよ。奴等をほっときゃ、いずれその武器で俺達の仲間が殺られちまうともしれない。でも、今やるべき事は……こんな事じゃないでしょ。土方さん、アンタのいるべき場所はここじゃないでしょ」
退の思いを一通り聞いた副長は、フンと鼻で笑った。
「俺が薄情だとでも言うつもりか。そうでもねーだろう。てめーの嫁さんが死にかかってるってのに、こんな所で商売にいそしんでる旦那もいるってんだからよォ」
「土方さ……」
さっきのあの目だ。さっきの、私を震え上がらせた目。それを退も目にしたのか、途中で言葉を切った。
「副長、すみません。噂程度にしか情報が得られなかったのですが、蔵馬について嫌な噂を耳に入れまして……」
私は、倉庫で聞いた噂話を副長に話す事にした。
これを話したところで、事態が変わる事はないかもしれない。意味がないかもしれない。
「副長、沖田は……沖田隊長はアイツらと繋がってるなんて事、ないですよね?沖田隊長は、この事何も知らないんですよね?」
副長は、私の質問に何も答えず、紫煙を吐き出した。
「お前ら、この件誰にも他言しちゃいめーな」
「はい」
「……ハ……ハイ」
1度返事を詰まらせた退を横目で見る。
副長は、タバコをコンクリートへと落として、踏み潰した。
「知ってんのは、隊内じゃ俺とお前らの3人だけだな」
「ハイ」
今度は揃った返事。
「んじゃ、引き続きこの件は極秘扱いで頼むぜ」
私達に背を向けて歩いていく。
その背中には、色々な物を全部自分1人で背負うつもりでいるような覚悟が見えた気がした。
「副長、まさか……」
「副長、アンタまさか……副長ォォ!」
退と同じ心配が過ぎったけれど、副長を止められるような方法も思い浮かばない。力づくでも無理だろう。
「局長に言おう」
でも、と言いかけた口を閉ざす。
極秘扱いと言っていたけれど、局長に話した方が力になってくれるだろう。
副長を信じていないわけではない。副長はとても強い人だ。でも、あれだけの攘夷浪士を1人でやるのは無茶過ぎる。
「分かった。退は局長の所に行って。私はここで待ってる」
「はァ!?またお前そんな事――」
「ここに2人いるのに、2人で行って戻ってくるのは効率悪すぎるよ。私は運転出来ないから退が行くしかない。ここに戻らないとしても、私は副長の援護に回る。行って」
私の真剣な眼差しを受けた退は、不満や不安を湛えた表情を向けてくる。それでも、私の意を酌んでくれたのか、ため息混じりに、分かったと吐き出した。
「俺が戻ってくるまで怪我すんなよ。副長より自分の身護れよ」
「善処しまーす」
「約束するって言え!バカ!このバカ!」
散々バカバカ言いながら、パトカーに向かう退を見えなくなるまで見送る。
私のやる事は決まった。
グッと腕を天に伸ばして、左右に上半身を倒す。
「よし!足でまといが副長の邪魔をしに行きますか」
副長が戦っているであろう元へ走り出す。
ちょうど、あの屋根の上には、倉庫から少し頂戴した武器がある。見付かって回収されていなければ。
雨の中、爆発音や刃が交わる音、コンクリートを蹴る音などが辺りに響き渡っている。
積んである大型木箱の上には、戦いに参加せず傍観している蔵馬の姿。
見付かる事なく屋根の上に登る事に成功し、スナイパーライフルを手にする。
今まで剣で戦ってきた為、砲撃は初めてだ。
スナイパーライフル2つとロケットランチャーを担いで、今いる屋根からその奥にある屋根へと移動する。
ライフルについている二脚で固定させ、腹這いになった状態で本体上部についているスコープを覗く。拡大される攘夷浪士。
雨のせいで視界も悪く、標的が動く為に狙いが定まらない。初めての事に緊張し、引き金に置いている指が震える。
深呼吸し、撃つ事だけに集中する。
攘夷浪士なら誰に当たっても構わない。副長に当たりさえしなければ。
スコープから覗いて、照準が合わさったところで引き金を引いた。発砲した際の煙が目の前を覆ってしまい、慌てて場所を変える。
煙が邪魔にならない所に行き、双眼鏡で見下ろす。みんな元気に動いているところを見ると、狙いが外れたらしい。
1回当たらなかったからと、諦めるわけにはいかない。
バズーカのように、大多数を攻撃出来ないが、1人でも人数が減れば楽になる。
あのライフルは置いてきてしまった為、別のライフルを手にして何度か位置を変えて撃っていく。
慣れてきたのか、命中率があがってきた。
場所は変えているものの、さすがに私の存在に気が付いた攘夷浪士がいたようで、こちらに向かってきている。
ライフルからロケットランチャーに変えて構えれば、右肩にずしりとした重みが乗り、片膝をついて固定させる。
この距離では当てられない気がして、もう1つ前の屋根へと飛び移る事にした。
屋根ギリギリの所に片膝をついて、ロケットランチャーを構えて、標的に照準を合わせる。
「副長、当たったらごめんなさい」
先に謝ってから引き金を引いた。
思ったよりも強い威力に、手からランチャーが離れて、体が後ろへと跳ね返され転がる。
すぐに体勢を整えながら戻り、下を見れば、いい感じに複数の攘夷浪士が無様に倒れている。
「ハハハハ!人がゴミのようだ!」
「美緒テメー!何してやがる!もうちょっとで当たる所だっただろーが!邪魔しに来たんなら帰れ!」
屋根から下りて、副長の背後を狙おうとしている浪士を蹴飛ばす。
「副長、私やりましたよ。結構吹き飛ばしました。見ました?」
副長は、お前なぁー……と嘆息するけれど、きちんと向かってくる敵をなぎ倒していく。
私も刀を構えて、副長の背中を護る。
「山崎はどうした?」
「はぐれたので、副長に送ってもらおうと思って」
「一緒に帰るのはいいが、お前、こんな事してたらアイツ怒るぞ。ただでさえ、テメーが刺されて以来ピリピリしてやがんのに」
「そん時は一緒に怒られてください」
刀を振る手を休めず、相手を斬っていく。
副長の背中だけは護らないといけない。
人を斬った時に、返り血を浴びるのは慣れない。
振り下ろされる刃を避けたつもりが、刃先が額に掠ってしまったのか、ピッと切れた感覚がした。
「最悪……怒られる……」
尚も向かってくる刃を受け、左右から来る攻撃をミントンのラケットでその腹を叩きつける。
息も切れてきて、膝をつきそうになるが堪えるしかない。ここには2人しかいない。私がここで膝をついたら、本当に足でまといになってしまう。
背後から、ズシャァと、転んだような音が聞こえた。
振り向くと、副長が尻をついて足を投げ出しているのだ。その膝から流れ出ている血。
「は?嘘だろ?」
上にはバズーカを構えて、副長を狙っている浪士も数人いる。怪我をした副長を護りながら、この人数を相手に1人で戦えない。
「副長立って!」
「は?」
ポケットの中から、これまた盗んでおいた丸い球を取り出して、コンクリートに投げつけた。
コンクリートに当たって弾け、視界を覆う程の真っ白い煙がその場を支配する。
「なんだこの煙」
「煙幕か」
その間に、副長に肩を貸して、どこか身を隠せる場所を探す。それでも、副長から滴り落ちる赤の目印で、居場所はすぐ割れるだろうけれど。
「副長、先に止血しますね。どっか座りましょう」
「すぐ止まる。気にすんな」
「これ、すぐ止まるかなぁ?」
苦笑すれば、頭に手が乗った。と、思えばすぐにグッと押されて沈み込んだ体。
「もう治った」
まだ出血している上に、右足を引きずっているというのに、そんな事を宣う副長に小さく笑って、半歩後ろからついて行く。
それでも、やはりツラいのか、木箱を背に座り込んでしまった。
「副長、やっぱり止血させてください」
副長の裾に手をかけようとした時、蔵馬率いる攘夷浪士に囲まれてしまい、止血する時間がなくなった。蔵馬は、未だに安全な高台からこちらを見下ろしている。
蔵馬は、聞いてもいない事をペラペラと語り出した。
自分の商いの為に、真選組の縁者に近付き縁談を設けたのだと。最初から、真選組を抱き込む為にミツバさんを利用していた、と。
顔色も変えずに、飄々と語る蔵馬に虫唾が走る。
その話に耳を傾けながら、応急処置としてハンカチで副長の止血を行う。
「愛していましたよ。商人は利を生むものを愛でるものです。ただし……道具としてですが。あのような欠陥品に、人並みの幸せを与えてやったんです。感謝してほしいくらいですよ」
道具として?欠陥品?幸せを与えてやった?
あのお淑やかで上品なミツバさんを、道具と言い放ち、あまつさえ欠陥品と罵ったのだ。
噂は本当だった。こんな話、嘘であってほしかった。
人としての心がない外道の言葉に、頭に血が上る。この人は、ミツバさんだけではない、沖田まで侮辱している。
「オイ、くら……!」
文句を言おうとした時、手首が掴まれた。
まるで、何も言うなとでも言うように……
副長に任せて、口を閉じる。
「……クク、外道とはいわねェよ」
副長は紫煙を吐き出すと、小さく嘲笑う。
「俺も似たようなもんだ……ひでー事腐る程やってきた。挙句、死にかけてる時に、その旦那叩き斬ろうってんだ。ひでー話だ」
「同じ穴のムジナという奴ですかな。鬼の副長とはよく言ったものです。あなたとは気が合いそうだ」
「……そんな大層なもんじゃねーよ」
立ち上がろうとする副長の背中を支える。
「俺ァただ……惚れた女にゃ幸せになってほしいだけだ」
そう言い切って、刀を構える副長。
「こんな所で刀振り回してる俺にゃ無理な話だが……どっかで普通の野郎と所帯持って、普通にガキ産んで普通に生きてってほしいだけだ」
ただ、そんだけだ。と言う副長の言葉に、何故か私の胸が震えた。目頭が熱くなり、鼻の奥がツンと痛む。
私は、副長にも幸せになってほしいです。
ミツバさんと幸せになってほしかった。
きっと私には計り知れない程、副長はミツバさんの事を愛していたんだろう。
それは、とてもとても切なくて、歯痒くて、きっとこの世にある言葉では表現出来ない程の愛を抱えて――なのに、それを口にする事も、態度に出す事も出来なくて……いや、しなかったのだろう。
ミツバさんの幸せを1番に考えて、その笑顔を護る為に。結果傷付ける事になってしまっても、誰よりも愛していた。
きっと、倒れた時だって、今だって、本当はそばにいたかったに違いない。本当は誰よりも1番近くに。
副長、あなたはどんだけ不器用な人なんですか……
「撃てェェェ!」
響き渡った声に、ハッと我に返った。
副長の言葉に感動して泣いている場合じゃない。ここは戦場だ。
爆発音が空気を裂いたのに、衝撃が何もこない。
狙われたのは、爆発したのは、私達の所ではなく蔵馬の所。
「いけェェェ!」
「しっ……真選組だァァァ!」
局長の声が聞こえた後に、現れた真選組。
戦闘に紛れて副長の姿を見失ってしまった。
今は、副長より、私に刃を向けてくる無礼な攘夷浪士を叩き斬る事に専念だ。
攘夷浪士との片が付いた。
病院に全員は無理なので、隊長クラスだけが集められ、私含めた平の隊士は、屯所に先に戻る事になった。
局長からミツバさんの訃報が知らされたのは、雨もやみ、朝焼けが眩しい頃の事。
ミツバさんと直接話した事はないし、共通の思い出もないけれど、心に影を落とすのには充分だった。
副長とミツバさんか……
自室で、切れている額を消毒し絆創膏を貼る。
風呂場で見付けた、戦闘中に出来たであろう左腕の切り傷にも、消毒をした後包帯を巻いていく。
額は見付かっているが、腕はまだだ。退に見付かる前に早く。
「美緒ちゃん、入るよ」
「ヒッ!」
部屋に入ってきた退の声に驚いて、変な声が出てしまった。
包帯を巻いている途中にも関わらず、甚平を羽織ろうとそれを掴んだが遅かった。
タンクトップを着ていたので裸ではないのだが、傷口を隠したかった。
「何これ」
そばに来てしゃがんだ退は、はらりと落ちた包帯の下から現れた傷口を見て顔を歪ませた。
その顔を見たくなくて、視線を逸らす。
「さ、定春に噛まれた……」
「犬の噛み跡には見えないけど」
ですよねー……
大きなため息をつくと、畳に落ちた包帯を手に取った。
「巻いてあげるから、動くなよ」
「あ、ありがとう……」
腕に包帯を巻いていく馴れた手付きから、退の顔へと視線を向ける。もっと怒られるかと思ったけれど、案外そうでもないのかもしれない。
「怪我してごめんなさい……」
「美緒ちゃんが怪我しても気にしない事にした。いちいち怒ってたら俺の身がもたん」
はい、出来た。と軽く腕が叩かれた。
もう1度お礼を言って、今度こそ甚平に腕を通す。
「退は、怪我してない?」
「してないよ。俺、美緒ちゃんみたいにどんくさくないし」
その言い草に少しムッとしたけれど、退が怪我をしていないなら何よりだ。
救急箱の蓋を閉めて、戸棚に戻しに行く。
冷蔵庫からペットボトルを2本取り出して、1本を退に渡して、その隣に寄り添うように座った。
暫く互いに何も言葉を交わすことなく、時間だけが過ぎていく。時を刻む音だけがやたらとうるさい。
屯所に戻るなり、副長がそう指示をしてきた。
退に全て任せると思っていた私は、見張りを命じられた事に驚いたが、退は場所に引っかかったらしい。
「副長、俺が港……っ、」
反論しかけた口を閉ざした。
退を盗み見れば、俯いた前髪の影で目は見えないけれど、反論したいのを堪えているように、下唇が噛み締められている。
「美緒、行け。報告忘れんなよ」
「はい。行ってきます」
退に、行ってくるね、と小さく言うと、僅かに縦に動いた頭。
退は、何か思うところがあるのだろうか。いつもと様子が違ったのが気がかりだ。
行く前に、退に一言声をかけた方がいいだろう。
自室で準備を済ませてから襖を開けると、「うわ」と降ってきた声。
「あ、今退の所行こうと――」
優しく頭を撫でられて、言葉を切った。
「美緒ちゃん、気を付けてね」
私を見つめる黒い瞳が、とても切なそうに悲しそうに揺れている。これは、いつもの心配や不安からくるそれとはまた違っているような気がして、頷く事しか出来なかった。
なんて声をかければ良いのか何1つ思い浮かばなくて、結局声を発する事なく、退の背を見送ってしまった。
貿易港に辿り着き、人影に注意しながら屋根の上を慎重に歩く。
退に教えてもらった、上も下もよく見る事。いつ何が起こるか分からないので、色々な事態を予測して動く事。
そして、隠密活動中には欠かせない、真選組ソーセージ。
私が見付かって、射殺されるとしたら、あそことあそこか、あっちもあるな……
屋根の上に座ってソーセージを食べながら、まず狙われそうな所を確認する。
副長の期待に応える為にも、やれる所を見せなければならない。
周りを確認しながら屋根から下りる。
自分の影の伸び方にも気を配り、開けっ放しの倉庫へと足を踏み入れた。
想像よりも広い倉庫の中。
指紋隠蔽の為に手袋をつけて、木箱の蓋を開ければ、大量に出て来る見た事のないカッコイイ武器。それを写真に撮って副長に送った。
「今日は、何時入りの予定で?」
「いつも通りだろうさ」
話し声が聞こえてきたので、慌てて物陰へと身を滑り込ませ、両手で口を押さえて気配を殺す。
「しかし、蔵馬も悪いお人よ。自分の商いの為に、あんな生娘を騙すたーねェ。あの娘も、自分が道具としてしか見られてねーってのは気付かねェもんかね」
「相手の気持ちなんざどーでもいいんだよ。狙いは、あの娘の弟なんだからよ。蔵馬が、あの弟使って幕府の犬を抱き込んだとか言ってたからな。幕府の犬も案外大した事ねェ連中なんだな」
「幕府の犬さえ味方につけりゃ、コソコソせずとも大手振って商いが出来るってもんさね。そんで、この武器で幕府の犬をドカン」
蔵馬?蔵馬って、あのミツバさんの?という事は、弟は沖田の事だ。もう既に沖田はこの事を知っていて、裏で動いてるのか?
しかも、ミツバさんの事を道具と言っていた。
どこまで外道なんだあの蔵馬の野郎は!
話し声が通り過ぎたのを確認してから、倉庫を出て屋根の上に戻って寝そべり、メモ帳に報告すべき事を下書きしていく。
あの浪士達が言っていた事も気になる。
浪士達の中で話が悪い方向に広がり、尾ひれがついている可能性もある。
現に、真選組は抱き込まれてなどいない。
だから、副長に命じられて、ここに調査に来ているのだから。そんな事あるはずがない。
見張りを続けて数日。ソーセージも飽きてきた。何か他のものが食べたい。
集まった、確固たる証拠を副長の携帯へ送る。
倉庫の中から少し盗み出した武器も、屋根の上にいくつか陳列している。見付かった時用にと思ったが、使う時は来るだろうか。
しかし、どう盗み聞きしても、変装して話を聞き出しても、あのミツバさんの事を道具にした事や、沖田目当てだった話の裏が取れず、噂の範疇を出ない。蔵馬本人の口から聞ければ1番確実なのだが。
日が暮れ、雨のせいで寒くなってきたので、脱いでいた隊服の上着に袖を通す。攘夷浪士達が動き出したようだ。
ぞろぞろと集まってきて、船の点検もしているのが見える。
攘夷浪士と蔵馬が親密にあるという事は、蔵馬と結婚したミツバさんを通じて、沖田の真選組としての立場が……悪くなる事はないと思いたい。
あの局長が、沖田を邪険に扱うとは到底思えない。
でも、それは私の想像だったり願望だったりするわけで、現実問題どうなるか分からない。
局長が許しても、その上がどう判断するか……
どうしようも出来ない事に思考を巡らせながら、屋根の上でうつ伏せになって、双眼鏡を通して密輸の状態を見ていたら携帯が震えた。
「ヘイ。こちら美緒。何用で?」
《港ついたから合流しよう》
「了解」
通話を終わらせ、屋根から下りて人の目を掻い潜りながら、退と副長のいる所に合流した。
「お疲れ様です」
副長は近付いてくるなり、私の頭に手を置いてこう言った。
「美緒、よくやった。アフロなのに」
副長に褒められて、思わず頬が緩む。
「ありがとうございます」
と、副長の目を見た瞬間、恐怖に慄いた。
緩んでいた頬も元に戻るのは一瞬。背筋がぞわりと震える。
それは人を褒めている目ではない。何か覚悟を決めたような、それでいて、怒りに満ちたそんな目。
数歩下がって、退の側へと駆け寄る。
「美緒ちゃん、実はミツバさんが……ミツバさんの容体が悪化したって……」
「え!?……でも、私、蔵馬さんを倉庫で見た……」
2人と合流する前、私は蔵馬の姿を倉庫で見た。
婚約者なのだから、病院から連絡が来ていないとは考えられない。
婚約者が生死をさ迷っている時に、仕事を優先するなんざ、余程の仕事人間なのだろう。
それか、噂通りミツバさんの事を道具としてしか見ていないのか。
そういえば、退も私が手術してる時仕事してたって言ってたっけ?まぁ、重症度が違うし、私の場合大した事なかったし。
「副長、副長だけでも病院に行ってあげてください」
「そうですよ副長、こんな時に仕事なんざ……それもよりによって、ミツバさんの婚約者を……しょっぴこうなんて……酷です、あまりにも」
しょっぴく?え、今?
「ミツバさんや沖田隊長の気持ちも考えてやってください。副長が間違った事をしてるなんて思っちゃいませんよ。奴等をほっときゃ、いずれその武器で俺達の仲間が殺られちまうともしれない。でも、今やるべき事は……こんな事じゃないでしょ。土方さん、アンタのいるべき場所はここじゃないでしょ」
退の思いを一通り聞いた副長は、フンと鼻で笑った。
「俺が薄情だとでも言うつもりか。そうでもねーだろう。てめーの嫁さんが死にかかってるってのに、こんな所で商売にいそしんでる旦那もいるってんだからよォ」
「土方さ……」
さっきのあの目だ。さっきの、私を震え上がらせた目。それを退も目にしたのか、途中で言葉を切った。
「副長、すみません。噂程度にしか情報が得られなかったのですが、蔵馬について嫌な噂を耳に入れまして……」
私は、倉庫で聞いた噂話を副長に話す事にした。
これを話したところで、事態が変わる事はないかもしれない。意味がないかもしれない。
「副長、沖田は……沖田隊長はアイツらと繋がってるなんて事、ないですよね?沖田隊長は、この事何も知らないんですよね?」
副長は、私の質問に何も答えず、紫煙を吐き出した。
「お前ら、この件誰にも他言しちゃいめーな」
「はい」
「……ハ……ハイ」
1度返事を詰まらせた退を横目で見る。
副長は、タバコをコンクリートへと落として、踏み潰した。
「知ってんのは、隊内じゃ俺とお前らの3人だけだな」
「ハイ」
今度は揃った返事。
「んじゃ、引き続きこの件は極秘扱いで頼むぜ」
私達に背を向けて歩いていく。
その背中には、色々な物を全部自分1人で背負うつもりでいるような覚悟が見えた気がした。
「副長、まさか……」
「副長、アンタまさか……副長ォォ!」
退と同じ心配が過ぎったけれど、副長を止められるような方法も思い浮かばない。力づくでも無理だろう。
「局長に言おう」
でも、と言いかけた口を閉ざす。
極秘扱いと言っていたけれど、局長に話した方が力になってくれるだろう。
副長を信じていないわけではない。副長はとても強い人だ。でも、あれだけの攘夷浪士を1人でやるのは無茶過ぎる。
「分かった。退は局長の所に行って。私はここで待ってる」
「はァ!?またお前そんな事――」
「ここに2人いるのに、2人で行って戻ってくるのは効率悪すぎるよ。私は運転出来ないから退が行くしかない。ここに戻らないとしても、私は副長の援護に回る。行って」
私の真剣な眼差しを受けた退は、不満や不安を湛えた表情を向けてくる。それでも、私の意を酌んでくれたのか、ため息混じりに、分かったと吐き出した。
「俺が戻ってくるまで怪我すんなよ。副長より自分の身護れよ」
「善処しまーす」
「約束するって言え!バカ!このバカ!」
散々バカバカ言いながら、パトカーに向かう退を見えなくなるまで見送る。
私のやる事は決まった。
グッと腕を天に伸ばして、左右に上半身を倒す。
「よし!足でまといが副長の邪魔をしに行きますか」
副長が戦っているであろう元へ走り出す。
ちょうど、あの屋根の上には、倉庫から少し頂戴した武器がある。見付かって回収されていなければ。
雨の中、爆発音や刃が交わる音、コンクリートを蹴る音などが辺りに響き渡っている。
積んである大型木箱の上には、戦いに参加せず傍観している蔵馬の姿。
見付かる事なく屋根の上に登る事に成功し、スナイパーライフルを手にする。
今まで剣で戦ってきた為、砲撃は初めてだ。
スナイパーライフル2つとロケットランチャーを担いで、今いる屋根からその奥にある屋根へと移動する。
ライフルについている二脚で固定させ、腹這いになった状態で本体上部についているスコープを覗く。拡大される攘夷浪士。
雨のせいで視界も悪く、標的が動く為に狙いが定まらない。初めての事に緊張し、引き金に置いている指が震える。
深呼吸し、撃つ事だけに集中する。
攘夷浪士なら誰に当たっても構わない。副長に当たりさえしなければ。
スコープから覗いて、照準が合わさったところで引き金を引いた。発砲した際の煙が目の前を覆ってしまい、慌てて場所を変える。
煙が邪魔にならない所に行き、双眼鏡で見下ろす。みんな元気に動いているところを見ると、狙いが外れたらしい。
1回当たらなかったからと、諦めるわけにはいかない。
バズーカのように、大多数を攻撃出来ないが、1人でも人数が減れば楽になる。
あのライフルは置いてきてしまった為、別のライフルを手にして何度か位置を変えて撃っていく。
慣れてきたのか、命中率があがってきた。
場所は変えているものの、さすがに私の存在に気が付いた攘夷浪士がいたようで、こちらに向かってきている。
ライフルからロケットランチャーに変えて構えれば、右肩にずしりとした重みが乗り、片膝をついて固定させる。
この距離では当てられない気がして、もう1つ前の屋根へと飛び移る事にした。
屋根ギリギリの所に片膝をついて、ロケットランチャーを構えて、標的に照準を合わせる。
「副長、当たったらごめんなさい」
先に謝ってから引き金を引いた。
思ったよりも強い威力に、手からランチャーが離れて、体が後ろへと跳ね返され転がる。
すぐに体勢を整えながら戻り、下を見れば、いい感じに複数の攘夷浪士が無様に倒れている。
「ハハハハ!人がゴミのようだ!」
「美緒テメー!何してやがる!もうちょっとで当たる所だっただろーが!邪魔しに来たんなら帰れ!」
屋根から下りて、副長の背後を狙おうとしている浪士を蹴飛ばす。
「副長、私やりましたよ。結構吹き飛ばしました。見ました?」
副長は、お前なぁー……と嘆息するけれど、きちんと向かってくる敵をなぎ倒していく。
私も刀を構えて、副長の背中を護る。
「山崎はどうした?」
「はぐれたので、副長に送ってもらおうと思って」
「一緒に帰るのはいいが、お前、こんな事してたらアイツ怒るぞ。ただでさえ、テメーが刺されて以来ピリピリしてやがんのに」
「そん時は一緒に怒られてください」
刀を振る手を休めず、相手を斬っていく。
副長の背中だけは護らないといけない。
人を斬った時に、返り血を浴びるのは慣れない。
振り下ろされる刃を避けたつもりが、刃先が額に掠ってしまったのか、ピッと切れた感覚がした。
「最悪……怒られる……」
尚も向かってくる刃を受け、左右から来る攻撃をミントンのラケットでその腹を叩きつける。
息も切れてきて、膝をつきそうになるが堪えるしかない。ここには2人しかいない。私がここで膝をついたら、本当に足でまといになってしまう。
背後から、ズシャァと、転んだような音が聞こえた。
振り向くと、副長が尻をついて足を投げ出しているのだ。その膝から流れ出ている血。
「は?嘘だろ?」
上にはバズーカを構えて、副長を狙っている浪士も数人いる。怪我をした副長を護りながら、この人数を相手に1人で戦えない。
「副長立って!」
「は?」
ポケットの中から、これまた盗んでおいた丸い球を取り出して、コンクリートに投げつけた。
コンクリートに当たって弾け、視界を覆う程の真っ白い煙がその場を支配する。
「なんだこの煙」
「煙幕か」
その間に、副長に肩を貸して、どこか身を隠せる場所を探す。それでも、副長から滴り落ちる赤の目印で、居場所はすぐ割れるだろうけれど。
「副長、先に止血しますね。どっか座りましょう」
「すぐ止まる。気にすんな」
「これ、すぐ止まるかなぁ?」
苦笑すれば、頭に手が乗った。と、思えばすぐにグッと押されて沈み込んだ体。
「もう治った」
まだ出血している上に、右足を引きずっているというのに、そんな事を宣う副長に小さく笑って、半歩後ろからついて行く。
それでも、やはりツラいのか、木箱を背に座り込んでしまった。
「副長、やっぱり止血させてください」
副長の裾に手をかけようとした時、蔵馬率いる攘夷浪士に囲まれてしまい、止血する時間がなくなった。蔵馬は、未だに安全な高台からこちらを見下ろしている。
蔵馬は、聞いてもいない事をペラペラと語り出した。
自分の商いの為に、真選組の縁者に近付き縁談を設けたのだと。最初から、真選組を抱き込む為にミツバさんを利用していた、と。
顔色も変えずに、飄々と語る蔵馬に虫唾が走る。
その話に耳を傾けながら、応急処置としてハンカチで副長の止血を行う。
「愛していましたよ。商人は利を生むものを愛でるものです。ただし……道具としてですが。あのような欠陥品に、人並みの幸せを与えてやったんです。感謝してほしいくらいですよ」
道具として?欠陥品?幸せを与えてやった?
あのお淑やかで上品なミツバさんを、道具と言い放ち、あまつさえ欠陥品と罵ったのだ。
噂は本当だった。こんな話、嘘であってほしかった。
人としての心がない外道の言葉に、頭に血が上る。この人は、ミツバさんだけではない、沖田まで侮辱している。
「オイ、くら……!」
文句を言おうとした時、手首が掴まれた。
まるで、何も言うなとでも言うように……
副長に任せて、口を閉じる。
「……クク、外道とはいわねェよ」
副長は紫煙を吐き出すと、小さく嘲笑う。
「俺も似たようなもんだ……ひでー事腐る程やってきた。挙句、死にかけてる時に、その旦那叩き斬ろうってんだ。ひでー話だ」
「同じ穴のムジナという奴ですかな。鬼の副長とはよく言ったものです。あなたとは気が合いそうだ」
「……そんな大層なもんじゃねーよ」
立ち上がろうとする副長の背中を支える。
「俺ァただ……惚れた女にゃ幸せになってほしいだけだ」
そう言い切って、刀を構える副長。
「こんな所で刀振り回してる俺にゃ無理な話だが……どっかで普通の野郎と所帯持って、普通にガキ産んで普通に生きてってほしいだけだ」
ただ、そんだけだ。と言う副長の言葉に、何故か私の胸が震えた。目頭が熱くなり、鼻の奥がツンと痛む。
私は、副長にも幸せになってほしいです。
ミツバさんと幸せになってほしかった。
きっと私には計り知れない程、副長はミツバさんの事を愛していたんだろう。
それは、とてもとても切なくて、歯痒くて、きっとこの世にある言葉では表現出来ない程の愛を抱えて――なのに、それを口にする事も、態度に出す事も出来なくて……いや、しなかったのだろう。
ミツバさんの幸せを1番に考えて、その笑顔を護る為に。結果傷付ける事になってしまっても、誰よりも愛していた。
きっと、倒れた時だって、今だって、本当はそばにいたかったに違いない。本当は誰よりも1番近くに。
副長、あなたはどんだけ不器用な人なんですか……
「撃てェェェ!」
響き渡った声に、ハッと我に返った。
副長の言葉に感動して泣いている場合じゃない。ここは戦場だ。
爆発音が空気を裂いたのに、衝撃が何もこない。
狙われたのは、爆発したのは、私達の所ではなく蔵馬の所。
「いけェェェ!」
「しっ……真選組だァァァ!」
局長の声が聞こえた後に、現れた真選組。
戦闘に紛れて副長の姿を見失ってしまった。
今は、副長より、私に刃を向けてくる無礼な攘夷浪士を叩き斬る事に専念だ。
攘夷浪士との片が付いた。
病院に全員は無理なので、隊長クラスだけが集められ、私含めた平の隊士は、屯所に先に戻る事になった。
局長からミツバさんの訃報が知らされたのは、雨もやみ、朝焼けが眩しい頃の事。
ミツバさんと直接話した事はないし、共通の思い出もないけれど、心に影を落とすのには充分だった。
副長とミツバさんか……
自室で、切れている額を消毒し絆創膏を貼る。
風呂場で見付けた、戦闘中に出来たであろう左腕の切り傷にも、消毒をした後包帯を巻いていく。
額は見付かっているが、腕はまだだ。退に見付かる前に早く。
「美緒ちゃん、入るよ」
「ヒッ!」
部屋に入ってきた退の声に驚いて、変な声が出てしまった。
包帯を巻いている途中にも関わらず、甚平を羽織ろうとそれを掴んだが遅かった。
タンクトップを着ていたので裸ではないのだが、傷口を隠したかった。
「何これ」
そばに来てしゃがんだ退は、はらりと落ちた包帯の下から現れた傷口を見て顔を歪ませた。
その顔を見たくなくて、視線を逸らす。
「さ、定春に噛まれた……」
「犬の噛み跡には見えないけど」
ですよねー……
大きなため息をつくと、畳に落ちた包帯を手に取った。
「巻いてあげるから、動くなよ」
「あ、ありがとう……」
腕に包帯を巻いていく馴れた手付きから、退の顔へと視線を向ける。もっと怒られるかと思ったけれど、案外そうでもないのかもしれない。
「怪我してごめんなさい……」
「美緒ちゃんが怪我しても気にしない事にした。いちいち怒ってたら俺の身がもたん」
はい、出来た。と軽く腕が叩かれた。
もう1度お礼を言って、今度こそ甚平に腕を通す。
「退は、怪我してない?」
「してないよ。俺、美緒ちゃんみたいにどんくさくないし」
その言い草に少しムッとしたけれど、退が怪我をしていないなら何よりだ。
救急箱の蓋を閉めて、戸棚に戻しに行く。
冷蔵庫からペットボトルを2本取り出して、1本を退に渡して、その隣に寄り添うように座った。
暫く互いに何も言葉を交わすことなく、時間だけが過ぎていく。時を刻む音だけがやたらとうるさい。