第一章 不幸の種の芽吹かせ方

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 熟れた果実のような甘い香りと、形容しがたい圧迫感の中、少しずつ意識が浮上する。
 ――もう朝か?
 俺は確か昨日、シュール様と救護院に戻って、夕食を食べて普通に寝たはずだ。
 だと言うのに、なんだろう。このプレッシャーは……。悪いものでも食べたか?
 しぶしぶ目を開ける。
 ベッドの枕元には、薄ら笑いを浮かべたシュール様が俺の寝顔をのぞき込む形で立っていた。
「ッ!? シュール様!!??!!???」
「おはよ♪ 朝からうるさいなぁ」
「おはようございま……いやいや、なんでシュール様が俺の部屋に!?」
 どういうことか、寝こけて朝食を出し忘れた飼い主に圧力をかける猫のごとく、俺のすぐ横で起きるのを待っていたらしい。
 動揺している俺を見て、シュール様はむすっと頬を膨らませる。
「もう忘れたの? 今日は朝からお出かけするって言ったじゃないか。キミはボクのお守りなんでしょ? 付いてこなくて良いのかい? それだったらボクも勝手に出かけちゃうけど」
「あっ、いえ、忘れていたというかまさかこんな早朝に出かけるとは思わなかったというか……ともかく、すみませんでした! 今準備します!」
 とりあえずシュール様には俺の部屋から出てもらって、自分史上最速で身支度を調える。
 着替えながらも、ふと思う。
 俺、確か寝るときには部屋に鍵をかけていたはずなんだけどな。
 なんで侵入されてるんだろうな……。
 いいや、きっと自分が鍵をかけ忘れたのだろう。
 いろいろと恐いから、そう思うことにした。

 救護院を後にして、シュール様は上機嫌に商業街の方へ向かっていた。
 どこに行くのかは、不明だ。
 明らかに目的地を定めてある迷い無い足取りでスタスタと進んでいってしまう。
 俺はと言うと、ちょっと目を離した隙にどっかに行ってしまいそうな御子様を見失うまいと必死になっていた。
 慣れない早起きで眠いし、結局朝食抜きでお出かけに付き合わされたのもあって空腹に意識を持って行かれそうになる。
 しかも商業街ともなると朝の早い漁師や職人たち向けにすでに店を開けているところもある。焼きたてのパンの香ばしい香りに、魚介のスープだろうか、少し磯の匂いのする湯気が鼻をかすめる。
 食欲に負けそうになるのをこらえて、少し先を歩く美少年に意識を集中する。
 上等だが派手な色の布と装飾、踊り子のように布面積の少ない服装、かつ、希少な半獣人であるシュール様の方が絶対に人目を引くはずなのに、通りを歩いている人たちは、俺の方を見てちょっと引いたような反応を見せている気がする。
 そんなに壮絶な顔をしているのか、俺は。早起きして朝飯を抜いただけだというのに。
 シュール様は人目を引かないような魔法か何かを使っているのだろうか。
 特に誰にも気にとめられず、まばらな人の間をすいすい縫っていく。
 便利すぎるな、魔法。
 是非とも今、俺にもかけて欲しい。目つきのヤバい眼帯の不審者として通報される前に。
 
 幸運にも自警団にお縄にされる前に、シュール様の目的地に到着した。
 円形広場に面した、そこそこの広さをしたパン屋だ。
 時と共に風化して薄黄色になったのであろう穏やかな温かみのある壁面に、特産の透明度の高いガラスを大きく取り入れたショーウィンドウからは、店の内部が見通せる。
 店内右手は、二段になった商品カウンターが中央のテーブルを囲うようにコの字型に設置されており、大小様々なかごがこれからパンを盛り付けられようと待ち構えている。
 店舗左手側には小さいながらも購入したパンをその場で食べられるスペースがあり、きっといつも常連が居座って雑談に花を咲かせているのだろう。
 設置されている木製の椅子からは使い込まれたような年期を感じる。
 と、カウンター周りに一人、人影がみえた。テーブルを拭くのであろう布巾を持って作業をしているその人物は、俺の見間違いでなければ、昨日、シュール様を大通りまで送っていた男じゃないか?
「ふふん、やっぱりここに居た」
 目前のシュール様は満足そうに鼻を鳴らすと、そのまま店へと突入していこうとする。
「ちょ」っと待って、と言う言葉は、最後まで発することはかなわず喉の途中で固まっていた。声どころか身体も動かない。
 無言かつノールックでシュール様は俺の自由を封じていた。
 ここから先は「好きにやらせて」もらいたい領域らしい。文字通りの手出し無用と言うことだ。
 無情にもシュール様は俺をおいて、カランカランと小気味の良いベルの音を鳴らして店内に入っていく。
「っとまぁ……」
 先ほど発しかけて喉で止まっていた言葉の残りも外に出る。
 シュール様が店内に消えた瞬間に身体が言うことを聞くようになった。
 俺の性格上、店の中に入ってきてまで止めには来ないと踏んだのだろう。
 それはそうなのだが、せめて、まだ開店前ですよ、と言うところまでは聞いていって欲しかった。

 事の顛末くらいは見届けなければと、俺は店内の様子を覗くことにした。
 幸い大きなショーウィンドウのおかげでどこからでも中を見ることが出来る。
 シュール様の顔が見える位置を確認しながら俺は道具ポーチから人一人を包み込めるほどの布――ガングゥ博士の発明品『インビジブル・マント』を取り出す。
 正確にはコーガクメイサイなんとかかんとかと言うらしいのだが、正直よく分からなかったので勝手にこう呼んでいる。
 これを使えば周囲から俺の姿が見えなくなる。ただし、動いていないときに限るらしい。
 俺はインビジブル・マントにすっぽりとくるまり、もう一手間、両目をつぶり右目につけている眼帯を外した。
 ――気持ち悪くなるから、早めに切り上げさせて欲しいな……。
 心の内でそっとぼやき、決心をつけて右目を開ける。
 視線の先ではシュール様はあの店員と話をしている――それが目に視えて分かる。
【開店前? ああそうか、君達は時間にならないと店の中に人を入れないんだっけ】
 店内に入ったシュール様の喋っていることが文字として浮き上がって視えてくる。
 俺の右目は『発されている音声が文字として視える』らしい。
 小さい頃は文字を習う環境がなかったから変なものが視えるだけで意味が分からなかったし、長く見続けると気持ちが悪くなるし、なによりも見た目が最悪すぎるせいで嫌な思いばかりしてきた。 
 どうしてこんな目を持って生まれてきたのかと思わない日がないほど厭ってきた右目が、こういう形で役に立つこともあるんだな……。
 いやいや、そんなことよりも店の中の状況に集中しないと。
 店員の男を注視する。彼は困惑した表情で言葉に窮している。
 それはそうだろう。開店前に我が物顔で入店してくる偉そうな子供が相手なのだ。
 当のシュール様は大仰な身振りで両腕を広げ、ぐっと胸を張り――なになに?
【ボクが今日一番最初のお客サマ。光栄に思いなよ、ボク自らが足を運ぶなんて滅多にないんだから】?
 あー、これは不味い気がする。店は開店前、パンは焼き上がり前、購入なんて出来るはずもない。
 慌てる店員に構わずシュール様はふわりと浮遊する姿まで見せて店内を見回り、そして――キレた。
 目で追うのが疲れるくらいの文字の数々、しかも太字で歪んでいてさらにブルブルと震えながら空間を埋め尽くそうとしている。
 内容まで読み取れないが、もはやそんな必要の無いほどの理不尽オブ理不尽なブチ切れの開幕だ。もう俺には止められない。
【もっ、申し訳ありません、“すぐに”焼き上がりますので……!】
 弱々しい文字を発して焦り倒している店員の男は、知らずとその禁句を口走ってしまった。 ただでさえキレているシュール様がさらに顔を真っ赤にして怒り始めた辺りで、俺は眼帯を戻した。
 普通の子供の癇癪なら、慌てて止めに行って平謝りしながら回収すれば良いのだろうが、あのヒトに関しては無理だ。巻き込まれた結果無事で済むか分からない。
 あの状態を鎮めることが出来るのは、おそらく一番シュール様が懐いているアイミィさんくらいだろう。
 俺は人目を気にしながらそっとインビジブル・マントを脱ぎ、懐にしまい、何気なさを装って歩き出す。
 ――さすがに死人が出たりしたらお守りの意味が無い? そんなもの、知るか。

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