第三章 リボンの造花

 私たちの朝は、お父さんの鳴らす鐘の音から始まります。あの音は、私たちに今日の始まりを告げる合図なのです。あの音が鳴り響くと決まってヒースが私を起こすために顔へ触れてきます。少しだけいじわるをしてやろうとわざと眠ったふりを続けると、「そんなのはお見通し」と言わんばかりに頭をこすりつけてきます。

「……ふふっ、もう! ヒースったら!!」

 ふわふわの毛がくすぐったくて我慢できずに起き上がると、赤い目をしたヒースが嬉しそうに私の顔を見ていました。

「おはよう、ヒース」

 まどろみながらヒースに挨拶をして、ベッドの温もりから抜け出せずにいると、お兄さんがカーテンを開けに部屋へ入ってきました。

「おはよう、みんな」

 笑顔でそう言いながら重いカーテンを開けるお兄さんに、私たちも「おはよう」と挨拶を返します。でも、同じ部屋にいるマイアはベッドから出ようとしません。ベッドからしくしくとすすり泣く声が聞こえます。また怖い夢でも見たんでしょうか。

「マイア、おはようは?」
「…………」

 朝の挨拶はとても大事。気分よく挨拶できるかどうかで一日の充実度が変わるとお父さんによーく言い聞かされているのに、しくしくと泣くばかり。
 そんなマイアの態度に私はムッとなりますが、お兄さんは慣れたもので「マイアもおはよう。怖い夢は終わりだよ、もう大丈夫。もうすぐ朝食が出来上がるから、着替えをしてから食堂においで」と優しく声をかけています。
 それを聞いてしぶしぶと言った感じでマイアがベッドから起き上がる気配がすると、お兄さんは満足そうに一つ頷き、他の子を起こしに私たちの部屋を出ていきました。
 ベッドから降りて着替えのためにクローゼットの扉を開けると、昨日の晩にお姉さんが用意してくれていたのでしょう、アイロンのかけられた真っ白なブラウスと、折り目正しくプリーツが付いているスカートが入っていました。

「マイア、はい。これに着替えて」

 ブラウスとスカートをマイアのベッドに運んでやると、観念したかのようにもぞりとシーツの中から顔を覗かせました。
 また一晩中泣いていたのでしょう、マイアの目は真っ赤で、瞼は腫れぼったく、みっともありません。枕元には、ずっと抱きしめて眠っていたせいでしょうか、くたびれたウサギのぬいぐるみが無機質な目を天井へ向けています。

「先に顔を洗ったほうがいいわ。さあ、ベッドから降りて。洗面所に行きましょう?」

 のそり、のそり。とても遅い動きでベッドから降りてくるマイアを見守り、一緒に洗面所へ向かい、顔を洗います。
 井戸から組み上げたばかりの冷たい水は、寝ぼけていた頭をさっぱりさせてくれます。ふわふわのタオルで顔を拭き、清々しい気分になって隣のマイアを見ると、どんよりとした表情のままです。
 こんなに素敵な一日の始まりなのに。なにか一言言ってやりたくなりますが、そんな気持ちを抑えて部屋へ戻り、用意してあった服へ着替えます。
 お姉さんがくれたブラシで丁寧に髪をとかして、嫌がるマイアとお互いに身だしなみを確認しあい、最後に小さな手鏡で笑顔の練習。お父さんとお母さんは、笑顔の子が好きなのです。マイアはちっとも練習しようとしませんが。
 朝の支度を終えて、まだ暗い顔をしているマイアを連れて食堂へ向かうと、廊下の先からじゅうじゅうとなにかを焼く素敵な音。この匂いはベーコンでしょうか。この音を聞くと、お腹が空いていることに気付きます。今日もお母さんが腕によりをかけておいしい朝ご飯を作ってくれているのでしょう。

 これが私の日常、私たちの一日の始まりです。


   ◇◇◇

 その日はとても偉いお客様が来るからと、お父さんとお母さんが朝から忙しそうにしていました。食べたこともないようなご馳走を準備するために、普段は調理場を担当していないお兄さんとお姉さんも大忙し。
 私たちも駆り出されて、窓を磨いたり床を掃いたり、右へ左への大掃除です。

 やっと一息つけた頃には、すでに太陽が沈みかけていました。約束の時間は今日の夜。なんとか間に合ったようです。
 お客様が来るまでの間、私たちは特別なときのために用意された洋服に着替えて、部屋でおとなしく待ちます。
いつも来ている服よりもレースがたっぷりで、リボンも多く、まるでお姫様のドレスのようです。この服に袖を通すたび、嬉しさで胸がいっぱいになります。
 これを着ている間、私はお姫様。部屋のランプはシャンデリアで、板張りの床だって、今だけは大理石でできています。ヒースをダンスのパートナーにして、くるくると回りながら裾が広がる様子を楽しんでいると、勉強用の机に向かいながらぬいぐるみを抱きしめていたマイアが、ぽつりと「……なにが嬉しいの?」と尋ねてきました。

「嬉しいわ。だって、お姫様になったみたいだもの。マイアは嬉しくないの?」
「……こんなの、いらない」

 マイアったら、変な子。こんなに素敵な服を着せてもらえるのに、いらないだなんて。でも、マイアが変なのは今に始まったとこではないので放っておくことにします。高鳴る胸を抑えようと、ヒースと一緒にベッドへ腰かけます。
 どんな人が来るのかさっぱり知らされていませんでしたから、私はなんだかそわそわしていました。ああ、お客様。いったいどんな方なんでしょう。心なしかヒースもわくわくしているようです。
 今までも何人かお見かけしたことはありますが、年齢や性別などはバラバラ。職業も家族を引き取る理由もいろいろです。
 使用人を従えてきたお髭の立派なおじさまは、孫のような存在が恋しくて。高価な装飾品を身に付けたおばさまは、秘書役に少し年上の子を。駆け出しの若い絵描きさんなどは、身の回りの子とができないために助手が必要なんだとか。家で一人の病弱な妹のために、新しい家族を迎えたいという方もいらっしゃいました。
 お客様が来ると、気に入られた家族の一人が必ず貰われていきます。寂しいことですが、お父さんもお母さんも、もちろんお兄さんお姉さんも私たちが引き取られていくのを本当に喜んでくれます。
 だと言うのに。

「……おねえちゃん……」

 マイアはまた泣き出しました。ぬいぐるみに縋りつくように、ぎゅっと胸に押し付けています。お父さんとお母さんに拾われてここに来てからというもの、泣かずに過ごした日はありません。口を開けば「帰りたい」「おうちに帰して」ばっかり。ここが私たちの帰る家なのに、何を言っているんでしょう?
 泣き虫さんだから、仲良くしてあげてね。あなたのほうがお姉ちゃんよ―そうお母さんに言われたから、しぶしぶ世話をしてあげていますが、本当はこんな子と一緒にいたくはありません。口には出しませんが、ヒースも嫌がっています。
 今日だって、大切なお客様を迎えるための準備にみんなが大慌てだというのに、マイアだけはずっと泣いてちっとも手を動かしていませんでした。

 こんなダメな子、きっと誰にも選んでもらえない。

   ◇◇◇

 夕食の時間になっても、お客様はいらっしゃいませんでした。
「急な用事が入ったんだろう、お客様は忙しい方だから」とお父さんは笑っていましたが、せっかく用意した豪華な食事も、はりきっておめかしした私たちも、すべてが無駄になってしまうなんて。
 お客様のために用意した食事を沈んだ気持ちで食べ終え、お風呂へ入るための準備をします。用意されたパジャマを持って浴室へ。
 いつもなら嬉しい時間のお風呂も、今日ばかりは嬉しくありません。泣き虫のマイアもなにか言いたげにに口を開きかけますが、結局黙ってうつむくばかり。パジャマに着替えて部屋に戻っても、暗い気分は変わりません。

 妖精のおばあさんがかけてくれた魔法は解け、お姫様だったはずの私はただの女の子へ。ドレスはぼろぼろ、ガラスの靴は片方だけの、灰かぶり―こんなんじゃ、誰も選んでくれない。こんなはずじゃなかったのに。
 期待が破れた悲しさで胸がいっぱいのまま、ベッドへ潜り込んでシーツを頭から被り、目をぎゅっと閉じます。マイアの戸惑った気配がしますが、そんなのに構ってられません。ヒースが私を慰めようと、そっと触れてきました。でも、今はそんな優しさなんて、惨めな気持ちを大きくさせるだけです。心配そうにするヒースを拒絶して、枕に顔を埋めて声を出さずに泣きじゃくります。
 なんにも見たくない、なんにも聞きたくない。このまま消えてしまいたい。


   ◇◇◇

 いつの間にか眠っていたようです。ふと目を覚ますと、少し開いたカーテンの隙間から月の光が差し込んでいました。マイアはまだ眠っているようで、穏やかな寝息が聞こえてきます。
 銀色のナイフのように細く冷たい光があんまり綺麗だったから。そう心の中で言い訳をしながら、マイアを起こさないようにベッドからするりと抜け出し、窓へ近づきます。
 私の動いた気配で目を覚ましたのか、ヒースが眠たそうにしながら隣へ近寄ってきました。唇に指をあてて、「静かに」のポーズをすると、寝ぼけまなこのヒースがゆっくりと頷きました。
 カーテンをそっと開けると外はまだ真っ暗、月明かりに照らされた家族を守るための塀が闇のなかにぼんやりと浮かび上がってみえます。
 家の回りをぐるりと囲んでいる塀は、私たちをいろんな危険から守るために、大人の男の人でも簡単には登れない高さになっています。私がここに帰ってきた頃はもう少し低く、身体がそれほど大きくないお姉さんでもなんとかよじ登れる高さでした。
 ですが、一度だけ。塀を越えて外に出ようとした子がいるのです。
その子は、家の外にいる人間と内通しており、家族の名前を外の人間に提供する代わりに、塀の外へ出してもらう約束をしていたようです。段取りもすべて取り決めていたようなのですが……時間になっても約束の人物が現れず、塀のそばで怯えて震えていたその子をお母さんが発見し、大事には至りませんでした。
 塀の外にいる人間は危険だって、あれほど言い聞かされていたのに、簡単に信じてしまうなんて。なんて頭が弱いんでしょうか。家の中以上に安全な場所なんて、この世のどこにも存在しません。
 そんな事件があったから、これ以上家族を危険な目に遭わせられないと、お父さんとお兄さんが業者を呼び込んで塀を高く築いたのです。
 以来、外の人間に騙される子は存在せず、また塀の外から侵入しようとする危険な人物も目にすることはなかったのです。しかし。

 ふと、塀の上で人が歩いているのに気が付きました。あんなに高い塀の上で、まるで踊っているかのような軽い足取りで鉄条網をひょいひょいと越えていきます。
 誰なんでしょうか。月が逆光になっていて顔が見えませんが、男の人にしては線が細く、女の人にしては直線的な身体つきです。
 危うげのない歩き方は人間のような動きには見えず、むしろ猫のようなしなやかさがあって目が離せません。月の光に照らされたその人は、ここはステージだと言わんばかりに優雅な動きで塀の上を進んでいきます。すいすい歩み続け、ちょうど私たちの部屋と直線上になるところでその人がぴたりと動きを止め、すっとこちらに顔を向けてきました。

 目が、合いました。気のせいかもしれません。
 私の場所からはその人の顔なんて見えなかったんですから。でも、確かに合ったんです。あの瞳の前では、どんな隠し事もできそうにありません。蛇に睨まれた蛙とでも言うんでしょうか、私はしばらく動けずにいました。
 どれくらい時間が経ったのでしょうか、いつの間にか塀の上の人物は消えており、空の端が少しずつ白んでいました。
夢でも見たのかと考えますが、お兄さんが来るより前にカーテンが開いているなんてありえません。慌ててカーテンを閉め、ベッドに潜ります。横になって、興奮した頭で考えます。
 このことは内緒にしよう。お父さんにもお母さんにも、お兄さんにもお姉さんにも、もちろんマイアにだって、誰にも言いません。
 私とヒースだけの秘密です。
 この家で初めてつくった、私たちだけの秘密。誰にも内緒。
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