第二章 愛玩標本

 気が付けば、薄暗い石造りの廊下に立っていた。床も壁も天井も、全てが石でできている。明かりは等間隔で壁に付けられている蝋燭だけ。ここは……? 少年に手を引かれて部屋の外に出てからの記憶が無い。
明らかに、先程までいた屋敷と様相が違う。夢かと思って壁に触れてみるが、冷たく硬い感触が、「これは現実だ」と告げているようだった。
「おねーさん、こっちこっち」
 ハッとして顔をあげると、少年が鮮やかな笑みを浮かべながら手招きをしていた。
ふらふらと覚束ない足取りで近寄ると、木製の大きな両開きの扉が現れる。獅子の頭を模した金色のノッカーに、蛇を模った深緑の取手。
こんな地下道みたいな暗い場所に、わざわざこんなに立派な扉を? あまりのちぐはぐさに笑いそうになる。こんな場所に、こんな大仰なものを作るなんて。まるで―。
「まるで、選ばれた人間しか辿り着けない秘密の部屋みたいでしょ?」
 びくり、と身体が震える。いつの間にか私の背後に立っていた少年が、私の心を読み取ったかのように正確な言葉を吐く。「どうしたの? 入ろうよ」この場にそぐわない程明るい声で話す少年が、私に扉を開けるよう促してくる。でも―。そろりと、取手の蛇に目を向ける。
生きているんじゃないかというぐらい精巧な作りをしていて、迂闊に触れれば噛まれてしまいそうだ。私がまごついているのを見て、呆れたように少年が鼻を鳴らす。
「噛まれるかもって思ったの? たかが作り物だよ、平気さ。」
 すっと隣に立って、「ほら」と取手に触れる少年。蛇は―動かなかった。獅子の頭も、吠えたりしない。「おねーさん早く、開けてみてよ」親に渡したプレゼントの箱を開けてほしくて堪らないような、愛情と期待に溢れた顔をして私を見ている少年にせっつかされて、恐る恐る蛇に手を伸ばし、そっと表面を撫でる。
もちろん作り物だ。作り物であるはずだ、なのに。
 私の手は、蛇の腹が波打つ感覚を受け取ってしまった。驚いて手を引っ込めると、そこには今まで通り作り物の蛇がいるだけだった。……大丈夫、ちょっと緊張しているだけ。普段とは雰囲気の違う場所へ急に連れてこられたから、精神が張り詰めているだけなんだ。
自分を落ち着かせようと大きく深呼吸をしてから取手を握り直し、扉を少しだけ押し開く。ギィ、と重い音が石造りの通路へ響きわたる。……こんなことを思うほど子どもじゃないはずなのに、怖い。中に何があるのか、それを見るのが―”何を見るのか、楽しみに思っている自分”が、怖い。
 怖気づいて動けずにいると、薄く開いた扉の隙間から少年がするりと室内へ入り込む。ちらりと顔を覗かせて、誘うようにこちらへ手招きをする。ごくりと喉が鳴るが、覚悟を決めて目一杯扉を開く。
「……ここね、けっこう古くてさ、入り組んでるのなんのって。よっぽど詳しい人間じゃないと、地図があっても迷子になるらしいんだ。だからさ、今の当主も辿り着いたことないんじゃないかな?……この部屋には、さ」

―だから、誰も来やしないよ― 

 歌うような少年の言葉が、遠くから聞こえてくる。部屋の外にある蝋燭の明るさとは比べものにならないほどまばゆい室内で、一瞬だけ視界が消える。
 ゆっくりと戻ってきた視界に映ったのは、豪奢な造りをしたベッドと、床に散らばるたくさんの色、そして―。

 ベッドの上に横たわる、真っ白な人形。

 どくり。心臓がひと際大きく脈打つのがわかる。目が、離せない。あれは、あの人形は、私が―わたしがほんとうにほしかったもの。だけど……。

「―好きにしていいんだよ?」

 そっと、恋人へ甘く囁くような優しい声で、いつの間に移動したのかベッドに腰掛けながら少年が言う。それでも私が動けずにいると、ベッドから軽やかに降り立った少年が傍へ寄ってきて、甘えるように腕を絡めてきた。強引ではない、けれど振り解くこともできないほどの強さで腕を引かれる。
 室内へ足を踏み入れると、色の正体がわかった。
色鮮やかな花弁が、数十、数百、それ以上。床が見えないほど覆い尽くされている。少年は躊躇なく鮮やかな色を踏みつけながら、真っ白な人形が横たわるベッドへと私を導く。私は夢心地のままで、もはや自分の意志で歩くことすらできずにいる。頭に靄がかかったようで、なにも考えられない。
 ふらふらと導かれるままに人形の側へ辿り着く。組んでいた腕をするりと解いて、少年はベッドへふわり、と音も無く飛び乗る。呼吸が早まって、心臓が早鐘を打っているのがわかる。
 ベッドの上で眠っているのは…….わたしの、おとうと。陶器みたいな白い肌と、春の陽気を具現化したような金色の髪。閉じられている瞼の下には、きっと……わたしが大好きだった菫色の瞳があるんだ。
真っ白な服を着て、今すぐにでも目を覚ますんじゃないかってくらい自然な寝顔で横たわっている弟に、無意識で手を伸ばしていた。
「あ……あぁ…………」
「おねーさんにそっくり」
 くすくすと、喉を震わせて笑う少年。震える手で弟の腕にそっと触れる。……冷たい、氷みたいだ。
早く、早く医者に診せなくちゃ。早く診せなくちゃ、いけないのに。
ぐったりと力が抜けている弟の身体を抱き抱えようとしたところで、違和感に気付く。服が、赤い。腹の部分が真っ赤に染まっている。さっきまで真っ白だったのに……? 違和感に手を止めている間にも、腹部の赤色はどんどん範囲を広げていく。
どうしよう、とパニックに陥りかけたとき、くすくす笑っているだけだった少年が、不意に「なるほどね!」と嬉しそうな声を出した。なに? なんなの?
「うふふ、そういうことかぁ!うんうん、なるほどぉ……!」
「は? なに言って……」
「ふふふ、隠さなくてもいいよぉ」
「だからそんなこと言ってる場合じゃ……!」
 噛み合わない会話に苛立って声を荒げかけたそのとき。
ふわり。
頬をなにかが滑り落ちていく感触がした。なんなんだ、これは。どうなっているんだ。少年に向けていた視線を無理矢理引き剥がして、弟に向き直る。
赤い―紅い花が、弟の腹から咲きこぼれていた。なんで、なんて……。
「醜悪なのに、見るのもおぞましいのに、生命への冒涜だって頭じゃわかっているのに。それでも……”なんて綺麗なんだろう”って」

―思っちゃったんでしょ?

 ふうっと、耳元で囁かれる。そんなことない。そう否定したいのに、口から言葉が出てこない。違う、わたしはそんなこと、思っていない、思っていないはずなんだ。
なのに、弟から養分を吸い上げてどんどん大きく、どんどん鮮やかに成長していく花から目が逸らせない。違う、こんなの違う。
「違わないよ。これがおねえさんの欲しがってたものさ」
「違う違う」と、駄々をこねる子どものように踞って頭を抱えるわたしに、少年がそっと寄り添ってくる。慈しむようにわたしの肩に手を回して、優しい声で「本当にいらないの?」と聞いてくる。
 こんなの、こんなのいらない、わたしは望んでなんか……ああ、違う。わたし、ほんとうは、そうだ、あのとき。がつんと殴られたような衝撃が頭に走った瞬間、ずっと奥底に沈んでいた記憶を、不意に思い出す。

 たくさんの悲鳴と、それから遅れてなにかが潰れる音、大人の怒鳴り声、そして……馬車に轢かれて、真っ赤に染まっていく弟。助けを求めるように空に向かって伸ばされた手。その手を掴もうとしたのに、掴んで離してはいけなかったのに。

 それなのにわたしは―明るさを湛えていた菫色の瞳から、生命の光が少しずつ消えていくあの瞬間を。一番綺麗だと思ってしまったんだ。
 あの光景が忘れられない。でも、これは許されないことだ。だからずっと封印してきた。でも、もう一度だけ―。

 突然、手のひらの中に硬い感触が現れる。ぼんやりとした頭で自分の手を見つめると、細身のナイフが握られていた。曇り一つない銀色の刀身に、ぼうっとした自分の顔が映り込んでいる。握りやすい金色の絵には精巧な薔薇の模様が掘られており、とても技術の高い職人によって作られたものなのだろう。
 ナイフしっかりと握り締めて、弟の眠っているベッドへ向き直る。花はどんどん成長しており、弟の顔以上に大きくなっていた。頬にそっと触れてみると、陶器のように滑らかな感触が伝わる。
 この花を、刈り取らなければ。この色を、なんとしてでも手に入れなければいけないんだ。そのために、わたしは―。

 エミル達を見つけ出したんだから。

   ◇◇◇

「ほらほら。立ってるだけならカラス避けの案山子にだってできるんだ、さっさと運びなよ。もちろん丁寧にね」
 豪奢な作りをした部屋の中で、銀色の髪をした少年が使用人達に指示を飛ばしている。少年の頭には、獣の耳。左右で色が違う瞳をキラキラと輝かせながら、荷物が運ばれるのを今か今かと待っている。
 自分よりも遥かに年下であろう少年からの「もっと素早く、かつ丁寧に」という命令に対し、文句一つ言うことなくしずしずと従っている使用人達の顔にはなんの感情も浮かんでいない。流れるような作業で少年の指示通りに荷物を室内へ運び込み、次の指示を待つように壁際へ並び立つ。
「さぁて、どこに飾ろうかなぁ……うーん、コレクションが増えすぎちゃって困ったなぁ……選別するなんて考えられないし……あ、部屋をもっと大きくすればいっかぁ!」
 まるで名案だと言わんばかりにぱっと顔を輝かせて、
「ボクの部屋をもっと大きくしておいてよ。明日……いや、今日中にね!」と無理難題を命じる少年。そんな主人の命令に対して、使用人達は恭しく一つ頷くだけですっと部屋から出ていく。
自分以外誰もいなくなった広い部屋の中で、少年は運び込まれた荷物の周りを楽しそうに歩き回る。と、その獣の耳が何かの音を捉えたようにピクリと動く。ぱっと花が開いたような笑顔を浮かべて、扉の向こうにいる人物へ声をかけた。「帰ってるよー」少年の声が届いたらしく、慌ただしく扉を開けて水色の髪をした少女が転がり込むように部屋の中へ入ってきた。
「アイミィ、ただいま!」
「あぁ、シュール様! よかった……!」
 銀色の紙の少年―シュールが嬉しそうな笑顔を浮かべているのに対して、薄氷のように涼しげな髪色の少女―アイミィは、心底ほっとしたような表情をしている。
「ご無事でなによりです……本当によかった……」
「なぁに? ボクのこと心配してくれてたの?」
「……ご存じありませんでしたか? シュール様がお出掛けになる少し前から、街で誘拐が相次いでいたんです……」
「誘拐、ねぇ」興味なさそうに言葉を繰り返すシュールに、「ちょうどシュール様と同じくらいの年頃の男の子ばかり狙われて……それに、まだ誰も還ってきていなくて……」と、アイミィは心を痛めた様子で説明する。
「本当に心配だったんですよ? 私も、アキラ様も……」
「……アキラが……?」
 それまで大して心動かされていなかったシュールが、「アキラ」という名前に反応する。一瞬だけ、その幼さに似合わない憎しみ炎が篭った目付きになる。しかし、苛立ちを隠すようにあえてわざとらしく笑顔を浮かべ、「アイツがぁ? 救世主サマはお優しいことだねぇ」と皮肉を込めて吐き捨てる。そんなシュールの態度に、なにか言いたげなアイミィだったが、少し悲しそうな表情をするだけだった。
「そんなことよりもさぁ? アイミィ、これ観てよ!」
 アイミィの表情に気づかないフリをしながら、彼女の手を引いて先程使用人に運び込ませた荷物の前に連れていく。
室内の真ん中で、ぽつんと放置されながらも不思議な存在感を放つそれにアイミィも気になっていたようで、「これは……絵? 絵画ですか?」と、疑問を口にする。
「うん! そう!!」
「大正解!」と拍手をしそうなほど喜びながら、シュールは保護の目的でかけられていたシルクの布をするりと取り払う。
 真っ白な布の下から現れたのは―暗い地面に横たわって眠り続ける少年と、その腹部から生えている不気味なほどに大輪の紅い花。
 天使のように穏やかで美しい寝顔の少年と対照的に、花は狂気を孕んだような毒々しい色で、しかし鮮やかに咲き誇っている。長い時間見つめ続けるのは躊躇われる、でも目が離せない。そんな魅力を湛えた絵だった。
 恍惚とした表情を浮かべるシュールと、少し青ざめた顔で口許を抑えるアイミィ。お互いに正反対の反応をしながらも、その目はしっかりと件の絵に向けられている。
「……これね、偶然知り合いになったおねーさんに貰ったんだ。宝物なんだけど、持っているのが難しくなったから価値のわかる人に貰ってほしかったんだって。で、このボクが貰ってあげたのさ!」
 得意気な顔でそう述べるシュールに、アイミィはなんと返せばいいのかわからず、曖昧な笑顔で返答する。そんな彼女に対して、怒るでもなくにこにことして満足そうに頷くシュール。アイミィには少し難しかったみたい、でも気に入ってくれるよね、だってボクが気に入っているんだもの……。
 そんなことを考えるシュールに反して、アイミィは全く違うことを考えていた。なんだか頭に引っ掛かることがあるのに、上手く掴めない。なにかが……この絵のなにが気になるのかわからないが、重要なことがあるように感じる……。
「……そうだ。ねぇ、誘拐された子どもって、歳と性別以外に共通点ってあるの?」
「シュール様、やっぱり気になるんですか?」
「うーん……ま、一応ね」
「……これは自警団からの情報で、私も詳しく知っているわけではありませんが……」
 無理矢理に話題を変えられたが、どこかほっとしたような安心した顔でシュールの質問に答えるアイミィ。
本当はこれっぽっちも興味が無いけど、謎解きには答え合わせが必要だ。アイミィには悟られないよう、あどけない表情を変えずに「どんな些細なことでもいいよ」と、彼女を気負わせないように付け加える。
「偶然なのか、それとも狙っていたのかは定かではないんですが……連れ去られた子はみんな、菫色の瞳をしていたそうなんです」
「……そっかぁ」
 思った通りの答えを聞き、「ふふっ」と笑いをこぼすシュール。最初は笑いを抑えているようだったが、だんだん我慢ができなくなってきたのか、ついには腹を抱えて弾けたように大きな笑い声をあげ始める。そんな彼の急変した態度に驚いた声で「シュール様?」と呼びかけるアイミィだが、自分の名前を呼ぶ声すら耳に入っていないようで、心底おかしくて堪らないと言わんばかりに笑い続けている。しばらく笑い続けて、ようやく治まった頃には目に涙が浮かんでいた。
「あー、おかしい……笑いすぎて涙出ちゃった……」
「シュール様……? 大丈夫ですか?」
「うん、アイミィ。大丈夫だよ……ふふっ!」
 なんとか先程までの大笑いを我慢しようとしているが、それでも口許には笑みが浮かんでおり、その目は玩具で遊ぶときのような楽しみでいっぱいだった。
「ずっと封印してきたなんて……大嘘つきもいいところだ! ぜんぜん我慢してなかったくせにさ!」
 アイミィに背中を向けながら、誰に聞かせるでもない独り言を三日月型に歪めた口から吐き出す。
赤と黒の瞳には愉悦の色が表れており、その顔に浮かんでいたのは少年特有の純真で無邪気な表情とは程遠い、悪意に満ちた暗い笑顔だった。
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