第三章 リボンの造花
広い部屋の中に少女が一人、椅子に座っていた。
いやに豪華な作りをした部屋なのに、調度品は飾り気が少なく、少女の座っている椅子もシンプルなものだ。
室内は昼間だと言うのに薄暗く、しかしそれを気にする様子もない。そんな暗い部屋の中で水色の髪をした少女―アイミィは、唇を固く結び、膝の上で両手を握りしめていた。なにかの報告を待っているかのように、祈るように目を閉じていると、遠慮がちなノックの音が聞こえてきた。
「アイミィ、入るよ」
ノックの後、気遣うような声が扉の外からかけられた。素早くアイミィが立ち上がり、「アキラ様、どうぞ」と返事をすると、ゆっくりと扉が開き、全身を黒で塗りつぶしたような男が入ってくる。
見上げるほどに大きな背と、それに見合わない線の細い身体。そして、頭の上には獣の耳―アキラと呼ばれた男は、半獣人であった。
どこか夢見るような浮世離れした表情を崩さぬまま室内へゆったりと足を踏み入れ、緊張した面持ちのアイミィに向き合う。
「アキラ様……」
「ごめんよ、どこにも見つからないんだ……今、自警団にも連絡しているけれど、まだ情報が……」
「そう、ですか……」
失望の色を目に滲ませて、放心したように椅子に座り込むアイミィ。彼女の細い肩は震えており、それを気遣うようにアキラがそっと背を支える。二人とも沈鬱な表情で、一言も話そうとはしない。
部屋の中には、再び静寂が戻ってきた。
「アイミィ! いる!?」
そんな静寂を打ち破るようなけたたましい音と共に、一人の半獣人の少年が転がり込んできた。
銀色の短い髪が、少年の気持ちを表すかのように楽しそうに揺れており、頭についている獣の耳も連動するようにぴょこぴょこと忙しなく動いている。瞳を喜びで輝かせ、まばゆいばかりの笑顔を浮かべて、「ああ、ここにいたんだね!」と嬉しそうにアイミィへ抱きつこうとして―隣のアキラの存在に気付く。
その瞬間、それまで浮かべていた笑顔は消え去って、嫌悪の表情に塗り替わる。瞳の奥には、憎悪とも怒りともつかないどす黒い炎が宿っていた。そんな少年の反応に対して、アキラは悲しそうな笑みを見せるだけで、何も言おうとはしない。
「あ……シュール、様……どうか、なさいました?」
二人の険悪な雰囲気を敏感に感じ取り、慌てて少年に声をかけ、注意をこちらへと向けさせるアイミィ。
シュールと呼ばれた少年は、それまでアキラに向けていた憎しみを一瞬で覆い隠し、部屋に入ってきたときと寸分違わぬ笑顔でアイミィへ向き直る。
「そうだった! アイミィにプレゼントがあるんだよ! こんな木偶は放っておいて、一緒に来て!!」
「あっ、シュール様……!」
ぐいぐいとアイミィの腕を引き、「早く早く!」と急かしながら、転がるように、はじけ飛ぶように、エネルギーの塊といった感じでシュールは廊下を駆け抜ける。わけも分からず自分を急かす彼に対して、アイミィは必死について行くしかできない。
何度も廊下の角を折れ曲がり、階段を上下し、やっと着いたのはシュールの自室だった。アイミィの部屋と同じような作りをしながらも面積は倍以上あり、元々の豪華さに拍車をかけるような派手な調度品が所せましと並んでいる。
いや、調度品だけではない。シュールがこれまで集めてきた美術品やら骨董品やらが、分類もされず乱雑に部屋のあちこちに置かれていた。
膨大な数のコレクションに圧倒されるアイミィだが、その増え方に違和感を抱いた。「前にシュール様の部屋にお邪魔したときからそれほど日数が経っていないのに、コレクションの数が三割ほど増えている」―そう思ったが、あえて口に出すことでもないと思い直し、内心だけに留めておく。
「それで、何をお見せしてくださるのですか?」と元気を絞り出して問いかけるアイミィ。そんな彼女に嬉しそうに目を細めて、「あのねぇ……ウフフフ!」とサプライズを隠し切れない子どものような反応を返すシュール。
「じゃーん! これだよ! どう? 喜んでくれるよね?」
シュールが「これ」と示した先には、子ども一人分ほどの大きさの真っ黒な箱があった。
蓋は外してあり、中身が見えるようになっている。アイミィが恐る恐る覗きこむと、中には花が敷き詰められ、その上に―真っ白なドレスを着せられ、眠るように横たわっている少女がいた。
「あ……そん、な…………」
その少女の顔には見覚えがある。アイミィが孤児院でよく世話をしていたトーリアという少女だ。とても怖がりで、ちょっとしたことですぐに泣いてしまう性格だったが、友達のことをよく見ており、機微に聡い、気遣いのできる優しい子だ。いや、優しい子だった。アイミィにとても懐いており、会いに行くたびに「おねえちゃん、おねえちゃん」と嬉しそうに後ろを付いて回っていた。
そのトーリアが。
「トーリア……!」
目の前で横たわっているトーリアからは、生きている者特有の温かい空気が感じられない。自然な頬の赤みは消えており、そっと彼女の手に触れると無機物のような冷たさを放っている。
だが、死者の冷たさとは違うそれに、アイミィは妙な胸騒ぎを覚えた。「トーリア、ごめんなさいね」と一言小さな声で謝ると、頭部以外の身体全体を隠すような作りをしているドレスの袖を引き上げ、トーリアの腕を露わにする。
外傷などは見えない。しかし、どこか違和感を拭えずにいると、場違いなほど明るい声がアイミィの思考を遮った。
「誘拐したやつの魔法がなかなか珍しくてね? なんだっけ……物質の硬化、だったかなぁ……? それ以外にも何個か組み合わせてたみたいでさ、持って帰れたの、“外側”だけなんだけど……アイミィ、これを探してたんでしょ? 嬉しい?」
「……“外側”とは……どういう……?」
「んーっとねぇ……んしょ! ホラ!!」
「中身のほう、空っぽだったんだぁ」と、トーリアの身体を片手で箱から引きずり出すシュール。
シュールの体格はお世辞にも良いとは言い難いもので、筋力自体も並以下のものである。
なのに、そんな彼がほぼ同じ大きさのトーリアを片手で持ち上げるなど、異常事態だ。
まさか、という思いが脳裏を駆け巡り、震える手で彼が引きずり出したトーリアの身体をそっと受け取り、抱き上げる。
「……っ!?」
その異様なほどの軽さに、アイミィはがつんと頭を殴られたような感覚に陥った。思わず取り落としそうになるが、それを堪え、もう一度トーリアだったものを箱の中へと横たわらせる。
眠るトーリアの顔は穏やかで、悪夢とは程遠いものなのがせめてもの救いと言えるだろう。
「ね、アイミィ? どう? 喜んでくれた?」
「……はい……とても…………」
華やかな笑顔を浮かべているシュールとは対照的に、暗く悲痛な表情のアイミィ。
泣いてはいけない、シュール様は私を喜ばせようとして、トーリアを見つけ出してくれたのだ……そう強く自分に言い聞かせて、必死に涙を堪えているが、やはり抑えきれるものではない。一粒二粒ほどの涙が、アイミィの頬を滑り落ちていく。
彼女の涙を見たシュールは―幸せそうに、微笑んだ。泣くほど喜んでもらえるなんて、ちょっと面倒だったけど、探してよかったなぁ……言葉にはしないが、そう言いたそうな笑みを浮かべて、嬉しそうにアイミィを見つめている。
「……シュール、アイミィ、いるかい? 失礼するよ……」
柔らかな声が開けっ放しの扉の外から聞こえてきた。
そのとたん、それまでにこにこと嬉しそうに笑みを浮かべていたシュールの顔が一瞬で険しいものに変わる。
「……アキラ……」
ぼそりと呟き、自分の城とも呼べる個室への侵入者であるアキラへと、焼けるような憎しみを滾らせた瞳を向ける。
しかし、常人なら怯えて動けなくなるであろう怒りを向けられても、アキラはただ寂しそうに笑うだけだった。そんなアキラの態度にますます苛立ちと怒りを募らせ、シュールの放つ殺気が大きく膨らむ。
「……ボクの邪魔しに来たわけ?」
「そんなことは……」
「じゃ、なに? 用が無いならさっさと出て行ってくれないかなぁ?」
「……わかった。ごめんね、邪魔して」
アキラへの悪感情を少しも隠そうとせず、嫌悪の眼差しで「出て行け」と命じるシュール。なにか言いたげな顔をしながらも、やはり寂しそうな笑みを浮かべるだけで黙って出て行こうとするアキラに、「お待ちください!」とアイミィが待ったをかけた。
「シュール様、この子は……アキラ様にも関係のあることです。どうか……」
「……フン、まあ、アイミィがそう言うなら……いいけどさ……」
シュールの放っていた殺気が緩み、張り詰めていた空気が元に戻る。ようやく安心したように息を吐くアイミィと、「絶対に視界に入れるものか」と扉に背を向けるシュール。
そんな二人を見比べながら少し躊躇った後、「じゃあ、入らせてもらうよ」とアキラが声をかけて足を踏み入れた。ゆったりと室内を進み、問題の箱の傍へ寄る。箱の中に横たわるトーリアの顔をじっと見つめると、背を丸めて膝をつき、彼女の生物的な柔らかさを失った手をそっと握りしめる。
「トーリア、どうして……」
アキラが誰に言うでもなく呟く。頭で考えて出てきた言葉ではないのだろう。誰かに質問をしたわけではない、自分自身へ問いかけたわけでもない。しかし、その言葉に反応する人物が一人だけいた。
「……どうして? お前のせいだよ」
ぴくりと耳を反応させたシュールが、忌々しそうに舌打ちをする。その様子に、眠るトーリアへ寄り添っていたアイミィがハッとなる。
アキラの存在をなるべく視界へいれないよう、壁にかけられたお気に入りの絵画を無心で眺めていたが、その一言がどうにも怒りの引き金になったらしい。落ち着いていた雰囲気は吹き飛び、奥歯を音が鳴るほど噛みしめながら、アキラへと向き直るシュール。
「怪しい場所も、そこに出入りする人間の情報も集まってきてたんだろ? なのに“確固たる証拠が無い”とかなんとか言って、動かないのを選んだのはお前自身だよ。どうだい? それがこの結果さ!」
「……うん」
「さっさと乗り込んでいればよかったのに、なぁんにもしなかったからこの子どもは死んだんだよ。ああ、なんて可哀そうなトーリア! こーんな間抜けのせいで命を失うなんて!! ここにいるメシアがもっと早く行動していれば助かったのに!」
美しい見た目とは裏腹に、口を開けば出てくるのは毒をまとった言葉ばかり。アキラを詰っているシュールの表情は見惚れるほどに生き生きとしているが、眼差しだけは氷のように冷たい。
その視線と嘲笑を一身に受け止めるも、やはりアキラは何も言い返さずに微笑むだけだった。
そんなアキラの態度にさらに苛立ちを募らせ、噛みつくような表情になってアキラへ突っかかっていく。
「連れ去られるのは身寄りのない子どもばっかりだから放っておいたんだろ? だって、“お願いします、助けてください。私の子どもを探してください”なんて、誰からもお願いされなかったもんねぇ? 結局お前は誰かに求められなきゃ動けない、お飾りの救世主なんだって、よぉーくわかったよ!」
「……ごめんね……」
その謝罪はトーリアに対してか、それとも、この場にはいない、犠牲となった大勢の子どもたちに対してか。
本心から出たであろうその言葉はしかし、火に油を注ぐだけだった。
「ホーント、助けられなくて残念だねぇ? でもさぁ、残念に思う気持ちも、可哀想だと思う心も、どっちも持ち合わせてないよね? だってお前、“メシアだから”そんな顔して謝ってるだけで、お前自身は本当はなんとも思ってないんでしょ? 自分じゃなぁーんにも決められないから、“そうするのが当たり前”ってだけで動くような奴だもんねぇ? お前自身が“悲しい”とは思ってないんだ! だから平気な顔していつもの日常を過ごせたんだろう? 連れ去られた子どもたちが、怯えて苦しんでいるときにさぁ!」
目を見開き、牙を剥いて、ありったけの憎しみと侮蔑の感情を込めながら、アキラを嗤う。こんなものでは足りない、こんなもので終わらせるものかと、シュールの怒りはさらに勢いと激しさを増していく。抜けるように白い肌は赤みを帯び、瞳は爛々したと輝きを放つ。苛烈な美しさを身にまとったシュールは、ともすれば平時とは比べものにならないほどに目を引く存在へとなっていた。
しかし、彼の怒りを伴う美しさは、ただひたすらにアキラを苦しめるためだけに燃やされていた。
「ホント、お笑い草だね! 中身が空っぽのお前が、誰かに決めてもらわなきゃ動けないお前がさぁ! 人を救うメシアだって!? 誰も救えていないのに!! 悔しかったら言い返してごらんよ、救世主サマ!!」
「……もう、おやめください! シュール様!」
アキラへの攻撃を止めようとしないシュールに対し、ついにアイミィが悲痛な声をあげた。もう二度と動くことのないトーリアの肩を抱き、震える声で二人に切々と哀願する。
「どうか、今だけはトーリアのために……彼女の前で、そんな悲しいことを仰らないで……アキラ様も、お願いです……!」
遂に耐え切れなくなったのか、アイミィの目から涙が溢れ出す。静まり返った室内で、アイミィのすすり泣く声だけが響いていた。
彼女の訴えでようやく落ち着きを取り戻し、肩で息をしながらアキラを睨みつけるシュールと、相変わらず心だけが遠くにあるような顔をしながら、悲しげに目を伏せるだけのアキラ。
「……葬儀の手配を、してくるよ」
やはりどこか感情に乏しい声で、アキラがそう告げる。すぐにシュールが身構えるが、アイミィの訴えを思い出して鼻を鳴らすだけにとどめようとする。
しかし……ちくりと、いや、ざくりと嫌味を言うことだけは忘れない。
「ようやく人のために動き出したと思ったら、葬儀の手配だなんて……ホント、救世主よりも死神のほうがぴったりなんじゃない?」
たっぷりの毒を含ませて、くすりと嗤うシュール。それでもアキラは言い返そうとはせず、黙って部屋を出て行く。
アキラの態度にシュールは苛立ちを隠そうともしないが、これ以上の追撃は無意味と見て取ると、パッと頭を切り替えてアイミィの傍へ軽やかに近づく。
邪魔者がいなくなった喜びを振りまいて、嬉しそうに「アイミィ、どうしよっか?」と彼女へ尋ねた。
「これ、一応死体……ってことにはなるんだろうけど、かなり強力に術をかけられているから、たぶん腐ったりしないし……心配ならボクがもっと強いのかけてあげられるから、アイミィが望むなら置いておくこともできるよ?」
「とてもいい考えでしょう?」と言わんばかりのシュールの明るい笑顔。
何も知らなければ、死体の傍で会話されているとは思わないだろう。
「……いえ、この子を、こんな姿のままにしておくわけにはいきません……悲しいですが、ちゃんと……お別れを、しなくちゃ……」
「ふーん……そっか」
一語ずつ区切って噛みしめるように話すアイミィの返事に、シュールは意外そうな表情を浮かべながらも「アイミィがいいならボクは構わないよ」とあっさり引き下がる。
既にトーリアへの興味は失われており、心は新しい「オモチャ探し」へと傾いている。
動かないオモチャに興味は無いし、アイミィが喜ぶだろうから動いただけであって、アキラのお古なんて本当はもっての外だった。
「気が変わったらいつでも言ってね。じゃ、ボク出掛けてくるよ」
にこりと、可愛らしく小首を傾げて微笑むシュールと、「ありがとう、ございます……」と絞り出すように答えるアイミィ。その返事を聞いて満足したのか、尻尾をゆらゆらと動かしながら、踊るように軽やかな足取りで部屋を出て行く。部屋を出るまでは堪えていたが、扉が閉まりアイミィの姿が見えなくなった途端、浮足立つような気分がそのまま体へと作用したかのように、シュールの細い身体が音も無くふわりと宙に浮き上がった。
「うーん、“このボクが自分以外のために動くなんて!”って思ってたけど……人に喜ばれることをするのって、気分がいいや!」
なんとも清々しい気分で、晴れやかな笑顔で、ふわりふわりと宙を漂いながら大きな独り言を言うシュール。
その顔には罪悪感や後悔など微塵もなく、純粋に「善いことをした」という満足感が溢れている。
自分がどれほど恐ろしい提案をしたのかなんて、そんなこと全く考えてはいない。
幸せそうに深くため息を漏らすと、「あ、そうだぁ!」と何かを思いついたようにはしゃいだ声をあげる。
「今度はあそこから買われていった子どもを探してあげよう! 子どもは見つかるし、アイミィは喜ぶし……一石二鳥だね!!」
妙案だと言わんばかりにうんうんと頷き、興奮した様子でがらんとした廊下をふわふわ進んでいく。
「自警団が来る前に顧客情報の書類貰っておいてよかったぁ♪ これさえあれば、頭数だけの無能な連中より早く動けるし……なにより、ボクが無駄足踏まなくて済むし♪」
「貰った」と言うが、実際には人形の売人が気を失っている間に家探しをして見つけ出し、自警団の手が入る前に盗んできたものだ。
しかし、シュールには「盗みをした」という自覚は無い。本人からすれば、「持ち主が何も言わないから、“くれる”ということに違いない。それに、自警団よりも先に見つけたのだから、これはもうボクのもの」という考えである。この書類があれば、どれだけ多くの子どもを救えるのか、どれだけ素早く、手を汚さずに欲を満たそうとする人間を捕まえることができるのか……そんなことは、彼にとっては重要ではない。
命の灯が消えそうな子どもも、悪行を隠してのうのうと生きる連中も―オモチャに成りえないのなら、面白くないのならどうでもいい。
大切なのは自分が楽しいか、楽しくないか、それだけだ。
「えーっとぉ……確か、最新の客は若い画家だとか言ってたけど……ま、後でいっか! アイミィが落ち着いてから、ゆっくり見ようっと♪」
さらなるオモチャとの邂逅に胸をときめかせながら、シュールは廊下を進んでいく。ふわり、ふわり、ゆら、ゆらと。影のように音も無く。足跡を残さず、軽やかに。
いやに豪華な作りをした部屋なのに、調度品は飾り気が少なく、少女の座っている椅子もシンプルなものだ。
室内は昼間だと言うのに薄暗く、しかしそれを気にする様子もない。そんな暗い部屋の中で水色の髪をした少女―アイミィは、唇を固く結び、膝の上で両手を握りしめていた。なにかの報告を待っているかのように、祈るように目を閉じていると、遠慮がちなノックの音が聞こえてきた。
「アイミィ、入るよ」
ノックの後、気遣うような声が扉の外からかけられた。素早くアイミィが立ち上がり、「アキラ様、どうぞ」と返事をすると、ゆっくりと扉が開き、全身を黒で塗りつぶしたような男が入ってくる。
見上げるほどに大きな背と、それに見合わない線の細い身体。そして、頭の上には獣の耳―アキラと呼ばれた男は、半獣人であった。
どこか夢見るような浮世離れした表情を崩さぬまま室内へゆったりと足を踏み入れ、緊張した面持ちのアイミィに向き合う。
「アキラ様……」
「ごめんよ、どこにも見つからないんだ……今、自警団にも連絡しているけれど、まだ情報が……」
「そう、ですか……」
失望の色を目に滲ませて、放心したように椅子に座り込むアイミィ。彼女の細い肩は震えており、それを気遣うようにアキラがそっと背を支える。二人とも沈鬱な表情で、一言も話そうとはしない。
部屋の中には、再び静寂が戻ってきた。
「アイミィ! いる!?」
そんな静寂を打ち破るようなけたたましい音と共に、一人の半獣人の少年が転がり込んできた。
銀色の短い髪が、少年の気持ちを表すかのように楽しそうに揺れており、頭についている獣の耳も連動するようにぴょこぴょこと忙しなく動いている。瞳を喜びで輝かせ、まばゆいばかりの笑顔を浮かべて、「ああ、ここにいたんだね!」と嬉しそうにアイミィへ抱きつこうとして―隣のアキラの存在に気付く。
その瞬間、それまで浮かべていた笑顔は消え去って、嫌悪の表情に塗り替わる。瞳の奥には、憎悪とも怒りともつかないどす黒い炎が宿っていた。そんな少年の反応に対して、アキラは悲しそうな笑みを見せるだけで、何も言おうとはしない。
「あ……シュール、様……どうか、なさいました?」
二人の険悪な雰囲気を敏感に感じ取り、慌てて少年に声をかけ、注意をこちらへと向けさせるアイミィ。
シュールと呼ばれた少年は、それまでアキラに向けていた憎しみを一瞬で覆い隠し、部屋に入ってきたときと寸分違わぬ笑顔でアイミィへ向き直る。
「そうだった! アイミィにプレゼントがあるんだよ! こんな木偶は放っておいて、一緒に来て!!」
「あっ、シュール様……!」
ぐいぐいとアイミィの腕を引き、「早く早く!」と急かしながら、転がるように、はじけ飛ぶように、エネルギーの塊といった感じでシュールは廊下を駆け抜ける。わけも分からず自分を急かす彼に対して、アイミィは必死について行くしかできない。
何度も廊下の角を折れ曲がり、階段を上下し、やっと着いたのはシュールの自室だった。アイミィの部屋と同じような作りをしながらも面積は倍以上あり、元々の豪華さに拍車をかけるような派手な調度品が所せましと並んでいる。
いや、調度品だけではない。シュールがこれまで集めてきた美術品やら骨董品やらが、分類もされず乱雑に部屋のあちこちに置かれていた。
膨大な数のコレクションに圧倒されるアイミィだが、その増え方に違和感を抱いた。「前にシュール様の部屋にお邪魔したときからそれほど日数が経っていないのに、コレクションの数が三割ほど増えている」―そう思ったが、あえて口に出すことでもないと思い直し、内心だけに留めておく。
「それで、何をお見せしてくださるのですか?」と元気を絞り出して問いかけるアイミィ。そんな彼女に嬉しそうに目を細めて、「あのねぇ……ウフフフ!」とサプライズを隠し切れない子どものような反応を返すシュール。
「じゃーん! これだよ! どう? 喜んでくれるよね?」
シュールが「これ」と示した先には、子ども一人分ほどの大きさの真っ黒な箱があった。
蓋は外してあり、中身が見えるようになっている。アイミィが恐る恐る覗きこむと、中には花が敷き詰められ、その上に―真っ白なドレスを着せられ、眠るように横たわっている少女がいた。
「あ……そん、な…………」
その少女の顔には見覚えがある。アイミィが孤児院でよく世話をしていたトーリアという少女だ。とても怖がりで、ちょっとしたことですぐに泣いてしまう性格だったが、友達のことをよく見ており、機微に聡い、気遣いのできる優しい子だ。いや、優しい子だった。アイミィにとても懐いており、会いに行くたびに「おねえちゃん、おねえちゃん」と嬉しそうに後ろを付いて回っていた。
そのトーリアが。
「トーリア……!」
目の前で横たわっているトーリアからは、生きている者特有の温かい空気が感じられない。自然な頬の赤みは消えており、そっと彼女の手に触れると無機物のような冷たさを放っている。
だが、死者の冷たさとは違うそれに、アイミィは妙な胸騒ぎを覚えた。「トーリア、ごめんなさいね」と一言小さな声で謝ると、頭部以外の身体全体を隠すような作りをしているドレスの袖を引き上げ、トーリアの腕を露わにする。
外傷などは見えない。しかし、どこか違和感を拭えずにいると、場違いなほど明るい声がアイミィの思考を遮った。
「誘拐したやつの魔法がなかなか珍しくてね? なんだっけ……物質の硬化、だったかなぁ……? それ以外にも何個か組み合わせてたみたいでさ、持って帰れたの、“外側”だけなんだけど……アイミィ、これを探してたんでしょ? 嬉しい?」
「……“外側”とは……どういう……?」
「んーっとねぇ……んしょ! ホラ!!」
「中身のほう、空っぽだったんだぁ」と、トーリアの身体を片手で箱から引きずり出すシュール。
シュールの体格はお世辞にも良いとは言い難いもので、筋力自体も並以下のものである。
なのに、そんな彼がほぼ同じ大きさのトーリアを片手で持ち上げるなど、異常事態だ。
まさか、という思いが脳裏を駆け巡り、震える手で彼が引きずり出したトーリアの身体をそっと受け取り、抱き上げる。
「……っ!?」
その異様なほどの軽さに、アイミィはがつんと頭を殴られたような感覚に陥った。思わず取り落としそうになるが、それを堪え、もう一度トーリアだったものを箱の中へと横たわらせる。
眠るトーリアの顔は穏やかで、悪夢とは程遠いものなのがせめてもの救いと言えるだろう。
「ね、アイミィ? どう? 喜んでくれた?」
「……はい……とても…………」
華やかな笑顔を浮かべているシュールとは対照的に、暗く悲痛な表情のアイミィ。
泣いてはいけない、シュール様は私を喜ばせようとして、トーリアを見つけ出してくれたのだ……そう強く自分に言い聞かせて、必死に涙を堪えているが、やはり抑えきれるものではない。一粒二粒ほどの涙が、アイミィの頬を滑り落ちていく。
彼女の涙を見たシュールは―幸せそうに、微笑んだ。泣くほど喜んでもらえるなんて、ちょっと面倒だったけど、探してよかったなぁ……言葉にはしないが、そう言いたそうな笑みを浮かべて、嬉しそうにアイミィを見つめている。
「……シュール、アイミィ、いるかい? 失礼するよ……」
柔らかな声が開けっ放しの扉の外から聞こえてきた。
そのとたん、それまでにこにこと嬉しそうに笑みを浮かべていたシュールの顔が一瞬で険しいものに変わる。
「……アキラ……」
ぼそりと呟き、自分の城とも呼べる個室への侵入者であるアキラへと、焼けるような憎しみを滾らせた瞳を向ける。
しかし、常人なら怯えて動けなくなるであろう怒りを向けられても、アキラはただ寂しそうに笑うだけだった。そんなアキラの態度にますます苛立ちと怒りを募らせ、シュールの放つ殺気が大きく膨らむ。
「……ボクの邪魔しに来たわけ?」
「そんなことは……」
「じゃ、なに? 用が無いならさっさと出て行ってくれないかなぁ?」
「……わかった。ごめんね、邪魔して」
アキラへの悪感情を少しも隠そうとせず、嫌悪の眼差しで「出て行け」と命じるシュール。なにか言いたげな顔をしながらも、やはり寂しそうな笑みを浮かべるだけで黙って出て行こうとするアキラに、「お待ちください!」とアイミィが待ったをかけた。
「シュール様、この子は……アキラ様にも関係のあることです。どうか……」
「……フン、まあ、アイミィがそう言うなら……いいけどさ……」
シュールの放っていた殺気が緩み、張り詰めていた空気が元に戻る。ようやく安心したように息を吐くアイミィと、「絶対に視界に入れるものか」と扉に背を向けるシュール。
そんな二人を見比べながら少し躊躇った後、「じゃあ、入らせてもらうよ」とアキラが声をかけて足を踏み入れた。ゆったりと室内を進み、問題の箱の傍へ寄る。箱の中に横たわるトーリアの顔をじっと見つめると、背を丸めて膝をつき、彼女の生物的な柔らかさを失った手をそっと握りしめる。
「トーリア、どうして……」
アキラが誰に言うでもなく呟く。頭で考えて出てきた言葉ではないのだろう。誰かに質問をしたわけではない、自分自身へ問いかけたわけでもない。しかし、その言葉に反応する人物が一人だけいた。
「……どうして? お前のせいだよ」
ぴくりと耳を反応させたシュールが、忌々しそうに舌打ちをする。その様子に、眠るトーリアへ寄り添っていたアイミィがハッとなる。
アキラの存在をなるべく視界へいれないよう、壁にかけられたお気に入りの絵画を無心で眺めていたが、その一言がどうにも怒りの引き金になったらしい。落ち着いていた雰囲気は吹き飛び、奥歯を音が鳴るほど噛みしめながら、アキラへと向き直るシュール。
「怪しい場所も、そこに出入りする人間の情報も集まってきてたんだろ? なのに“確固たる証拠が無い”とかなんとか言って、動かないのを選んだのはお前自身だよ。どうだい? それがこの結果さ!」
「……うん」
「さっさと乗り込んでいればよかったのに、なぁんにもしなかったからこの子どもは死んだんだよ。ああ、なんて可哀そうなトーリア! こーんな間抜けのせいで命を失うなんて!! ここにいるメシアがもっと早く行動していれば助かったのに!」
美しい見た目とは裏腹に、口を開けば出てくるのは毒をまとった言葉ばかり。アキラを詰っているシュールの表情は見惚れるほどに生き生きとしているが、眼差しだけは氷のように冷たい。
その視線と嘲笑を一身に受け止めるも、やはりアキラは何も言い返さずに微笑むだけだった。
そんなアキラの態度にさらに苛立ちを募らせ、噛みつくような表情になってアキラへ突っかかっていく。
「連れ去られるのは身寄りのない子どもばっかりだから放っておいたんだろ? だって、“お願いします、助けてください。私の子どもを探してください”なんて、誰からもお願いされなかったもんねぇ? 結局お前は誰かに求められなきゃ動けない、お飾りの救世主なんだって、よぉーくわかったよ!」
「……ごめんね……」
その謝罪はトーリアに対してか、それとも、この場にはいない、犠牲となった大勢の子どもたちに対してか。
本心から出たであろうその言葉はしかし、火に油を注ぐだけだった。
「ホーント、助けられなくて残念だねぇ? でもさぁ、残念に思う気持ちも、可哀想だと思う心も、どっちも持ち合わせてないよね? だってお前、“メシアだから”そんな顔して謝ってるだけで、お前自身は本当はなんとも思ってないんでしょ? 自分じゃなぁーんにも決められないから、“そうするのが当たり前”ってだけで動くような奴だもんねぇ? お前自身が“悲しい”とは思ってないんだ! だから平気な顔していつもの日常を過ごせたんだろう? 連れ去られた子どもたちが、怯えて苦しんでいるときにさぁ!」
目を見開き、牙を剥いて、ありったけの憎しみと侮蔑の感情を込めながら、アキラを嗤う。こんなものでは足りない、こんなもので終わらせるものかと、シュールの怒りはさらに勢いと激しさを増していく。抜けるように白い肌は赤みを帯び、瞳は爛々したと輝きを放つ。苛烈な美しさを身にまとったシュールは、ともすれば平時とは比べものにならないほどに目を引く存在へとなっていた。
しかし、彼の怒りを伴う美しさは、ただひたすらにアキラを苦しめるためだけに燃やされていた。
「ホント、お笑い草だね! 中身が空っぽのお前が、誰かに決めてもらわなきゃ動けないお前がさぁ! 人を救うメシアだって!? 誰も救えていないのに!! 悔しかったら言い返してごらんよ、救世主サマ!!」
「……もう、おやめください! シュール様!」
アキラへの攻撃を止めようとしないシュールに対し、ついにアイミィが悲痛な声をあげた。もう二度と動くことのないトーリアの肩を抱き、震える声で二人に切々と哀願する。
「どうか、今だけはトーリアのために……彼女の前で、そんな悲しいことを仰らないで……アキラ様も、お願いです……!」
遂に耐え切れなくなったのか、アイミィの目から涙が溢れ出す。静まり返った室内で、アイミィのすすり泣く声だけが響いていた。
彼女の訴えでようやく落ち着きを取り戻し、肩で息をしながらアキラを睨みつけるシュールと、相変わらず心だけが遠くにあるような顔をしながら、悲しげに目を伏せるだけのアキラ。
「……葬儀の手配を、してくるよ」
やはりどこか感情に乏しい声で、アキラがそう告げる。すぐにシュールが身構えるが、アイミィの訴えを思い出して鼻を鳴らすだけにとどめようとする。
しかし……ちくりと、いや、ざくりと嫌味を言うことだけは忘れない。
「ようやく人のために動き出したと思ったら、葬儀の手配だなんて……ホント、救世主よりも死神のほうがぴったりなんじゃない?」
たっぷりの毒を含ませて、くすりと嗤うシュール。それでもアキラは言い返そうとはせず、黙って部屋を出て行く。
アキラの態度にシュールは苛立ちを隠そうともしないが、これ以上の追撃は無意味と見て取ると、パッと頭を切り替えてアイミィの傍へ軽やかに近づく。
邪魔者がいなくなった喜びを振りまいて、嬉しそうに「アイミィ、どうしよっか?」と彼女へ尋ねた。
「これ、一応死体……ってことにはなるんだろうけど、かなり強力に術をかけられているから、たぶん腐ったりしないし……心配ならボクがもっと強いのかけてあげられるから、アイミィが望むなら置いておくこともできるよ?」
「とてもいい考えでしょう?」と言わんばかりのシュールの明るい笑顔。
何も知らなければ、死体の傍で会話されているとは思わないだろう。
「……いえ、この子を、こんな姿のままにしておくわけにはいきません……悲しいですが、ちゃんと……お別れを、しなくちゃ……」
「ふーん……そっか」
一語ずつ区切って噛みしめるように話すアイミィの返事に、シュールは意外そうな表情を浮かべながらも「アイミィがいいならボクは構わないよ」とあっさり引き下がる。
既にトーリアへの興味は失われており、心は新しい「オモチャ探し」へと傾いている。
動かないオモチャに興味は無いし、アイミィが喜ぶだろうから動いただけであって、アキラのお古なんて本当はもっての外だった。
「気が変わったらいつでも言ってね。じゃ、ボク出掛けてくるよ」
にこりと、可愛らしく小首を傾げて微笑むシュールと、「ありがとう、ございます……」と絞り出すように答えるアイミィ。その返事を聞いて満足したのか、尻尾をゆらゆらと動かしながら、踊るように軽やかな足取りで部屋を出て行く。部屋を出るまでは堪えていたが、扉が閉まりアイミィの姿が見えなくなった途端、浮足立つような気分がそのまま体へと作用したかのように、シュールの細い身体が音も無くふわりと宙に浮き上がった。
「うーん、“このボクが自分以外のために動くなんて!”って思ってたけど……人に喜ばれることをするのって、気分がいいや!」
なんとも清々しい気分で、晴れやかな笑顔で、ふわりふわりと宙を漂いながら大きな独り言を言うシュール。
その顔には罪悪感や後悔など微塵もなく、純粋に「善いことをした」という満足感が溢れている。
自分がどれほど恐ろしい提案をしたのかなんて、そんなこと全く考えてはいない。
幸せそうに深くため息を漏らすと、「あ、そうだぁ!」と何かを思いついたようにはしゃいだ声をあげる。
「今度はあそこから買われていった子どもを探してあげよう! 子どもは見つかるし、アイミィは喜ぶし……一石二鳥だね!!」
妙案だと言わんばかりにうんうんと頷き、興奮した様子でがらんとした廊下をふわふわ進んでいく。
「自警団が来る前に顧客情報の書類貰っておいてよかったぁ♪ これさえあれば、頭数だけの無能な連中より早く動けるし……なにより、ボクが無駄足踏まなくて済むし♪」
「貰った」と言うが、実際には人形の売人が気を失っている間に家探しをして見つけ出し、自警団の手が入る前に盗んできたものだ。
しかし、シュールには「盗みをした」という自覚は無い。本人からすれば、「持ち主が何も言わないから、“くれる”ということに違いない。それに、自警団よりも先に見つけたのだから、これはもうボクのもの」という考えである。この書類があれば、どれだけ多くの子どもを救えるのか、どれだけ素早く、手を汚さずに欲を満たそうとする人間を捕まえることができるのか……そんなことは、彼にとっては重要ではない。
命の灯が消えそうな子どもも、悪行を隠してのうのうと生きる連中も―オモチャに成りえないのなら、面白くないのならどうでもいい。
大切なのは自分が楽しいか、楽しくないか、それだけだ。
「えーっとぉ……確か、最新の客は若い画家だとか言ってたけど……ま、後でいっか! アイミィが落ち着いてから、ゆっくり見ようっと♪」
さらなるオモチャとの邂逅に胸をときめかせながら、シュールは廊下を進んでいく。ふわり、ふわり、ゆら、ゆらと。影のように音も無く。足跡を残さず、軽やかに。
6/6ページ