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ふすま帳

細かい多百②

2019/06/26 08:42
どろろ妄言の類い



『多宝丸の誕生日』


その日の夕方、多宝丸は居間で明かりも点けず、たった一人で炬燵にあたっていた。その顔は、誕生日を迎えた少年には不似合いな仏頂面である。といっても、世の十五歳の男子の多くは、今更誕生日なぞで浮かれることはないのかもしれないが。

実際、今朝起きたとき、多宝丸は幼い頃の誕生日のような高揚など感じなかった。ただ、ああまた一つ歳を取ったな、と思っただけである。しかしだからこそ、母の心無い一言でこんなにも凹まされている自分を受け止めかね、余計にイライラするのだった。

多宝丸は今日、家族の誰にも「誕生日おめでとう」と言ってもらえていなかった。だが、まあそれも仕方ない、と、多宝丸は思った。何せ今日は平日。両親は仕事で忙しくて誕生日祝いなど出来ないので、多宝丸は次の日曜に祝ってもらうことになっていた。しかし解っていても、誕生日当日に母ですら何の反応も示さないというのは、ちょっと淋しかったのだ。

それで多宝丸はつい、一階の事務所まで行って、母に言ってしまった。

「母上、今日は何の日か……」

最後まで言い終わらないうちに、母は声を荒げて言った。

「お祝いは今度の日曜日にしてあげるって言ったでしょ!十五にもなってどうしてそんなに聞き分けがないの!?」



「何もそんな言い方しなくたって……」

と、多宝丸はテーブルに顎をつけて唇を尖らせた。

最近の母は常に苛立っている。というのも、家業の経営状態が芳しくないのと、兄が家に寄り付かないからだ。そう解っていながら、両手でこめかみを抑えていた母にノコノコ近付いて、迂闊に声をかけた自分が悪いのだ。と、自分自身にいくら言い聞かせようとしても、ちっとも怒りがおさまらない自分が情けない多宝丸だった。



ぶすっとしているうちに、いつの間にかうたた寝をしていたらしい。多宝丸は突然に室内が明るくなったのに驚き、顔を上げた。すると、兄が蛍光灯の紐に手をかけて多宝丸を見下ろしていた。

母上の不機嫌の原因の半分は、この兄。

多宝丸は兄から目を逸らした。

「どうも、お久しぶりですねっ」

兄とまともに顔を合わすのは、記憶が確かならば約一ヶ月ぶりのことである。

「一体どこほっつき歩いていたんですか」

「お前、電気も点けずに何してるんだ」

兄は右手を下ろし、質問に質問で返した。多宝丸が答えないでいると、兄はさっさと居間を出ていった。そして台所から冷蔵庫の開く音とごそごそと庫内を探る音がした。

兄の指定席には大きなスポーツバッグが置かれていた。おそらく、兄は着替えを取りに来ただけで、またすぐに出て行ってしまうのだろう。

コツン、と、目の前にカップアイスが置かれた。

「お前も食べるだろ」

抹茶味のアイスクリーム。これは、

「父上の為のものでは?」

母が父の風呂上がりの楽しみにと冷凍庫に常備しているものだ。

「知らん。あるから食べる。食われるのは、先に食わなかったやつが悪い。そうだろ」

そう言って兄は多宝丸にスプーンを差し出すのだった。兄がすとんと腰を下ろすと、ふわりとメンソールの匂いがした。それは兄のよく吸う煙草に含まれる香料だ。

二人は黙々とアイスを食べた。兄は多宝丸が半分食べた頃にはすでに食べきり、指先でコツコツとテーブルを叩き始めた。そして室内に視線を巡らして、言った。

「なんだお前、今日、誕生日なんだな」

「それがどうしたんですか」

多宝丸はまだ固さを保っているアイスに、スプーンをぶっすり突き立てた。

「誕生日、おめでとう」

「えっ」

多宝丸が顔を上げると、兄は立ちあがるところだった。

「また出ていくんですか?」

「おれがいたら邪魔だろ、むしろ」

兄はスポーツバッグを肩に掛けながら言った。

「いいえ、母は喜びます。それにっ!」

立ち去ろうとする兄を引き留めるように、多宝丸は言った。

「私も、うれしいです……」

すると、兄は再び炬燵に足を入れ、バッグを枕に寝転がった。

「この甘えん坊め」

言うやいなや、兄はすうすうと寝息を立て始めた。



(おわり)

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