ふすま帳
「守子唄の巻」の復習
2019/03/21 09:47どろろアニメ・漫画の感想など
最近百みおばっかり書いてた癖に、「守子唄の巻」がトラウマで二回観たっきり観れないでいました。むしろ泣きながら二回観た私すごくね?っていう(*´・ω・`)b
で、昨日暇だけどじっくり自分のしたい事をできるタイプの時間ではないという暇を得たので、その時間を守子唄の巻の復習にあてたのです。
いやあ、見応えめっちゃありました(*´・ω・`)b
『どろろ』は毎回、体感時間が5分くらい、集中してたらあっという間に終わる感じだったんですが、守子唄の巻は要素盛り沢山でそれを一つたりとも見逃すまいとしたら二時間半くらいの映画を集中して観たような気分になりました。
以前観た時はほぼノーマークだった多宝丸と陸奥&兵庫の幼少期がちょう可愛かったりとか。
それから、実のところみお姉が養ってる孤児達って何人いるの?と思って、登場する度に数えたりとか(7人くらい?そして意外と皆小さくない)
みお姉は『赤い花白い花』を「赤い花摘んであのひとにあげよ」の部分しか歌ってない、と私はずっと思い込んでいたのですが、実は他の部分は琵琶丸などと台詞と被ってたりして聞きづらいだけで、ちゃんと歌われていたとか。
「お月さんのようn」くらいまで歌ってる!と、ちょっとした感動でした(´;ω;`)
そして、今回一番集中して見てしまった場面は、百&どろが寺の異変に気付く~百鬼丸暴走までのシーンです。以下気付きを箇条書きで(*´・ω・`)b
・みお達に何かあったらしい!というのに、何故か百鬼丸、どろろよりも走るのが遅い。鬼神から受けたダメージのせいか、ただの演出なのか。
・以前観た時も思ったけど、みお姉がボコボコにされている(´;ω;`)
大きな血溜りに倒れていることから、致命傷は刺し傷or切り傷なのだろうけど、刺されるor斬られる前にかなりの暴行を受けた様子。
・子供達の遺体が境内のあちこちに散らばっている。……ということは、一斉に散り散りになって逃げたけど、それぞれ兵士達に追いかけられ斬殺されたのかも、ということ。
・ということは、子供達は一斉に逃げ出す前に、みお姉が兵士達にリンチされるのを見てるしかない状況におかれた後、子供達も処刑される事が決定され、逃げ惑うことになったと思われ。
・私の想像ですが、事の顛末は、
みお姉がまず捕まり、子供達だけは助けてと懇願→みお姉皆の前で拷問を受ける→子供達怯えながら見てる→寺の中を家捜ししてた兵士が床下に隠されていた大量の刀を発見→みお姉が間者であることが「確定」(大将の頭の中で)→子供達虐殺→みお姉が種籾を奪われそうになって抵抗(子供達が殺された時点で正気を喪ってると思われ)→みお姉刺される→タケ坊がみお姉に駆け寄ろうとして斬殺される→どろろ到着
ということかと。きっと、床下の刀が決定打だったと思うのです。あれがなければみお姉はその場で殺される事はなかったのでは(殺される場所が変わるだけだけど)。子供達は、どのみちみお姉を「自白させる」名目で殺害されたと思います。
みお姉は殺され際に、自分が一生懸命頑張って守って来たものを目の前で悉く壊されたし、おそらくそれをみお姉の「自業自得」だと侍に言われ思い込まされたのだろうな、と思うと、つらい。
・百鬼丸が到着した時、みお姉の魂の炎はまだ消えてないしくっきり人の形を保っている。死を免れない深手を負っている事は、百鬼丸にはまだわからない。→おそらく百鬼丸はみおが死ぬと予想できてない。
・百鬼丸の暴走スイッチを入れたのは、「みおの死」ではなく「みおが泣きながら歌っていたこと」
・みおの涙声まじりの歌を耳にした瞬間、みおとの思い出が脳内をめぐり、涙を流して怒りを爆発させる百鬼丸。
箇条書きここまで(´・ω・`)
琵琶丸が、百鬼丸の事を赤子と同じで奪われたものを癇癪起こして取り返そうとしているだけと評する場面があります。でも、百鬼丸が暴走した件はそれとはちと違うのではないかと思います。
みおが「侍のために泣くのはやめた」「悲しい時には泣く代わりに歌う」という、みおの本音を直接聞かされたのは百鬼丸だけです。
みおの悲しみや苦しみを知っていたので、みおがそれらの感情を圧し殺して頑張っているのを知っていたので、とうとうみおの矜恃が折られてしまった事を覚り、大切なみおに取り返しのつかない傷がつけられたと知って、悲しみ怒りを爆発させたのは、赤ん坊の条件反射とは違うのではないかと思います。
その後、百鬼丸は懸命に聴覚や嗅覚を我が物にしようと試行錯誤したり、積極的に外界を知ろうとしたり、人とコミュニケーションを図ろうとしますが、その動機はみおを守れなかったことへの後悔なのではないかと思います。赤ん坊が本能によって成長するのとは違って、百鬼丸は明確な目的を持って自分を成長させているのではないかと。そこには希望がありますね(´・ω・`)
で、昨日暇だけどじっくり自分のしたい事をできるタイプの時間ではないという暇を得たので、その時間を守子唄の巻の復習にあてたのです。
いやあ、見応えめっちゃありました(*´・ω・`)b
『どろろ』は毎回、体感時間が5分くらい、集中してたらあっという間に終わる感じだったんですが、守子唄の巻は要素盛り沢山でそれを一つたりとも見逃すまいとしたら二時間半くらいの映画を集中して観たような気分になりました。
以前観た時はほぼノーマークだった多宝丸と陸奥&兵庫の幼少期がちょう可愛かったりとか。
それから、実のところみお姉が養ってる孤児達って何人いるの?と思って、登場する度に数えたりとか(7人くらい?そして意外と皆小さくない)
みお姉は『赤い花白い花』を「赤い花摘んであのひとにあげよ」の部分しか歌ってない、と私はずっと思い込んでいたのですが、実は他の部分は琵琶丸などと台詞と被ってたりして聞きづらいだけで、ちゃんと歌われていたとか。
「お月さんのようn」くらいまで歌ってる!と、ちょっとした感動でした(´;ω;`)
そして、今回一番集中して見てしまった場面は、百&どろが寺の異変に気付く~百鬼丸暴走までのシーンです。以下気付きを箇条書きで(*´・ω・`)b
・みお達に何かあったらしい!というのに、何故か百鬼丸、どろろよりも走るのが遅い。鬼神から受けたダメージのせいか、ただの演出なのか。
・以前観た時も思ったけど、みお姉がボコボコにされている(´;ω;`)
大きな血溜りに倒れていることから、致命傷は刺し傷or切り傷なのだろうけど、刺されるor斬られる前にかなりの暴行を受けた様子。
・子供達の遺体が境内のあちこちに散らばっている。……ということは、一斉に散り散りになって逃げたけど、それぞれ兵士達に追いかけられ斬殺されたのかも、ということ。
・ということは、子供達は一斉に逃げ出す前に、みお姉が兵士達にリンチされるのを見てるしかない状況におかれた後、子供達も処刑される事が決定され、逃げ惑うことになったと思われ。
・私の想像ですが、事の顛末は、
みお姉がまず捕まり、子供達だけは助けてと懇願→みお姉皆の前で拷問を受ける→子供達怯えながら見てる→寺の中を家捜ししてた兵士が床下に隠されていた大量の刀を発見→みお姉が間者であることが「確定」(大将の頭の中で)→子供達虐殺→みお姉が種籾を奪われそうになって抵抗(子供達が殺された時点で正気を喪ってると思われ)→みお姉刺される→タケ坊がみお姉に駆け寄ろうとして斬殺される→どろろ到着
ということかと。きっと、床下の刀が決定打だったと思うのです。あれがなければみお姉はその場で殺される事はなかったのでは(殺される場所が変わるだけだけど)。子供達は、どのみちみお姉を「自白させる」名目で殺害されたと思います。
みお姉は殺され際に、自分が一生懸命頑張って守って来たものを目の前で悉く壊されたし、おそらくそれをみお姉の「自業自得」だと侍に言われ思い込まされたのだろうな、と思うと、つらい。
・百鬼丸が到着した時、みお姉の魂の炎はまだ消えてないしくっきり人の形を保っている。死を免れない深手を負っている事は、百鬼丸にはまだわからない。→おそらく百鬼丸はみおが死ぬと予想できてない。
・百鬼丸の暴走スイッチを入れたのは、「みおの死」ではなく「みおが泣きながら歌っていたこと」
・みおの涙声まじりの歌を耳にした瞬間、みおとの思い出が脳内をめぐり、涙を流して怒りを爆発させる百鬼丸。
箇条書きここまで(´・ω・`)
琵琶丸が、百鬼丸の事を赤子と同じで奪われたものを癇癪起こして取り返そうとしているだけと評する場面があります。でも、百鬼丸が暴走した件はそれとはちと違うのではないかと思います。
みおが「侍のために泣くのはやめた」「悲しい時には泣く代わりに歌う」という、みおの本音を直接聞かされたのは百鬼丸だけです。
みおの悲しみや苦しみを知っていたので、みおがそれらの感情を圧し殺して頑張っているのを知っていたので、とうとうみおの矜恃が折られてしまった事を覚り、大切なみおに取り返しのつかない傷がつけられたと知って、悲しみ怒りを爆発させたのは、赤ん坊の条件反射とは違うのではないかと思います。
その後、百鬼丸は懸命に聴覚や嗅覚を我が物にしようと試行錯誤したり、積極的に外界を知ろうとしたり、人とコミュニケーションを図ろうとしますが、その動機はみおを守れなかったことへの後悔なのではないかと思います。赤ん坊が本能によって成長するのとは違って、百鬼丸は明確な目的を持って自分を成長させているのではないかと。そこには希望がありますね(´・ω・`)