ふすま帳
『黄昏時に散歩』について
2019/03/18 10:26どろろ自作品解説的なもの
『アニメージュ』4月号のちょっとネタバレを含みます。
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(昔の個人ブログっぽい……)
【アニメージュ発「実は百鬼丸はピーーが好き」のたねあかし】
「百鬼丸は実は"子供好き"」
なのだそうですΣ(゚Д゚ υ)
意外だなぁ、と思った私でした。アニメ5話6話で廃寺に逗留してた頃の感じだと、百鬼丸はわらわらといる孤児達を「うるせーーー!!知らねぇぇーーー!!」くらいにしか思ってなさそうに見えたのですが、お前さん子供好きだったのかと。
そういわれてみれば、1話でさりげなく通りすがりの子供とかどろろを助けたりしてたし、原作では「おれは子供だから子供のことが気になる」とか言っていた百鬼丸でしたっけ。
【『黄昏時に散歩』を書いた動機】
実は子供好き、というアニメージュで明かされた情報と、あとTwitterで誰かが呟いていた「百鬼丸はあの時代だと子供がいてもおかしくない年齢」というのが、頭の中をぐるぐる回り続けていたのでした。それで、子供を可愛がる百鬼丸を書いてみたいと思ったのです。
子供を抱っこする年若いお父さんの図……昔ドラゴンボールで悟空さが初めて悟飯を連れて登場したのを見て以来、性癖です(///ω///)♪
赤ん坊を抱っこする百鬼丸とかよき(*´・ω・`)b
『黄昏時に散歩』はそんな我欲に忠実に書き散らしたので、支部には上げずに当サイトのみでの公開とします。
書き始める前に、登場する赤ん坊が百みおの実子のパターンと百鬼丸がどっかで拾ってきた子のパターンを考えたのですが、ただただ欲望に忠実に前者を取りました。あまり深い意味もなく。
【父親の初仕事の風習について】
書くにあたって、一応昔の出産にまつわる風習を軽くググりはしたけれども、どろろワールドは戦国時代風の何でもアリな世界みたいなので、まあ適当でいいやといい加減な設定で書きました。
どうやら、胎盤処理に関しては地域によって色々しきたりが異なるみたいです。本文に書いたやり方は、ググり散らかしてなんか賑やかに祝えそうな感じのをピックアップしただけなので、真に受けないでいただきたいやつです(*´・ω・`)b
別に胎盤処理がどうこうとか書かなくてもいいっちゃいいなと思ったんですけど、子供が生まれた時に子の父親が初めてやる仕事があった、という事に新鮮みを感じまして。現代だと父親がやるべき事なんか何にも無いじゃないですか。精々立ち会い出産くらいで。個人的には、父親も親の自覚を持つ為に、子供が生まれたら何かやった方がいいんじゃないかと思います。何もしないで親にはなれんです。
あんまり昔のジャパンに夢や希望を持たないようにしようと常々思っている私なので、こんな昔ぼ風習が云々と言うのは今限りです。ただの、話のネタです。
【赤ちゃんがパパの抱っこでピタリと泣き止む事があるという件】
自分ちの子供達が赤ちゃんだった頃に聞いたり読んだりした話ですが、
①男性の方が腕力が強いので抱っこの安定感が優れており、赤ちゃんが安心する説。
②父親の事を他人だと思っている説。母親には安心してワガママに振る舞えるけれども、他人に対しては「いい子にしてないと殺される」という危機感から、大人しく抱っこされる。(たまにしか会わない祖父母にも同じ反応)※但し生後数ヶ月で人見知りを始めるまで。
という2つの説があるとかなんとか。さて、どちらでしょうか。私的には、どちらもネタとしてはおいしいです(^q^)
【+どろろ】
第二のおっかちゃん風を吹かしてめちゃめちゃ赤ん坊の世話をやくどろろもいいですが、赤ちゃんにあにきを取られてちょっと焼きもちをやくどろろもいいと思います(*´・ω・`)b
【反省】
早く!妄想を!!文章化したい!!!と思うと、最短距離で駆け抜けようとして表現がテキトーになるのを、なんとかせねばと思います。
十年後に読み返しても、萌えられるように(*´・ω・`)b
どのカプにせよ、子供ネタは自分の子供が小さいうちにどんどん書いとかないとなぁ、と思います。子供のいる暮らしは慌ただしく、書いとかないとどんどん忘れ去っていってしまうので……。
※追記※
あわてて書くから書こうと思った事をぽろぽろ書き忘れるのです(;・ω・)
【この話はアニメ6話から何年後なのか】
……一年後か二年後を想定して書きました。
赤ん坊が生まれるまでに十月十日といいますが、太陽暦では約9ヶ月ほどです。今日、「はぁ?結婚?そういうの全然考えられないんですけどw」と言った人が来年の今日には乳児のお世話にてんてこ舞いしている、ということも起こりうるのです。おそろしいですね人生って。
【戦国時代において、子供一人生まれたくらいでお祭り騒ぎになるのかどうか】
という事を、書きながら思いました。せっかく生まれた赤ちゃんの殆どが大きくならずに死んでしまうような時代です。沢山兄弟がいても成人したのは結局一人だけ、みたいな。
そんな時代だから、子供が生まれたくらい、へー良かったね、まあお大事にね、くらいのリアクションだったりして。
赤ん坊が生まれた初日に名前をつけるとか、赤ん坊に期待し過ぎで死んでしまった時の気落ちが半端なくなるから止めろとか、言われたりするのかなぁとか。
そういえば、今は出産準備で妊婦本人がベビー用品の準備に奔走するのはわりと普通の事ですが、私の実家の方ではそれはご法度だったりします。母親の子への執着心が強くなってしまうからだそうで、産着やオムツを縫うのは妊婦さんは自分でやってはいけないとか。生まれた赤ちゃんの大体は死ぬ、という前提の風習でしょうか。
そんな事を思いましたが、百みおの周りには子供しかいないし、そもそも百鬼丸とみおもまだ子供と言っていい年齢なので、あんまり先の事を心配しないというか、人の死以外で日常が変化する事をポジティブに受け止めるかもしれないなぁ、と思って、ネガティブ思考は排除しました(*´・ω・`)b
これが6話からもっと年数が経ってからだったりしたら、冬を越す度に孤児仲間が一人また一人と亡くなってゆくという経験をしたりして、ポジティブ度は薄れてゆくのかなぁと思います。
無知って幸せだ……。
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(昔の個人ブログっぽい……)
【アニメージュ発「実は百鬼丸はピーーが好き」のたねあかし】
「百鬼丸は実は"子供好き"」
なのだそうですΣ(゚Д゚ υ)
意外だなぁ、と思った私でした。アニメ5話6話で廃寺に逗留してた頃の感じだと、百鬼丸はわらわらといる孤児達を「うるせーーー!!知らねぇぇーーー!!」くらいにしか思ってなさそうに見えたのですが、お前さん子供好きだったのかと。
そういわれてみれば、1話でさりげなく通りすがりの子供とかどろろを助けたりしてたし、原作では「おれは子供だから子供のことが気になる」とか言っていた百鬼丸でしたっけ。
【『黄昏時に散歩』を書いた動機】
実は子供好き、というアニメージュで明かされた情報と、あとTwitterで誰かが呟いていた「百鬼丸はあの時代だと子供がいてもおかしくない年齢」というのが、頭の中をぐるぐる回り続けていたのでした。それで、子供を可愛がる百鬼丸を書いてみたいと思ったのです。
子供を抱っこする年若いお父さんの図……昔ドラゴンボールで悟空さが初めて悟飯を連れて登場したのを見て以来、性癖です(///ω///)♪
赤ん坊を抱っこする百鬼丸とかよき(*´・ω・`)b
『黄昏時に散歩』はそんな我欲に忠実に書き散らしたので、支部には上げずに当サイトのみでの公開とします。
書き始める前に、登場する赤ん坊が百みおの実子のパターンと百鬼丸がどっかで拾ってきた子のパターンを考えたのですが、ただただ欲望に忠実に前者を取りました。あまり深い意味もなく。
【父親の初仕事の風習について】
書くにあたって、一応昔の出産にまつわる風習を軽くググりはしたけれども、どろろワールドは戦国時代風の何でもアリな世界みたいなので、まあ適当でいいやといい加減な設定で書きました。
どうやら、胎盤処理に関しては地域によって色々しきたりが異なるみたいです。本文に書いたやり方は、ググり散らかしてなんか賑やかに祝えそうな感じのをピックアップしただけなので、真に受けないでいただきたいやつです(*´・ω・`)b
別に胎盤処理がどうこうとか書かなくてもいいっちゃいいなと思ったんですけど、子供が生まれた時に子の父親が初めてやる仕事があった、という事に新鮮みを感じまして。現代だと父親がやるべき事なんか何にも無いじゃないですか。精々立ち会い出産くらいで。個人的には、父親も親の自覚を持つ為に、子供が生まれたら何かやった方がいいんじゃないかと思います。何もしないで親にはなれんです。
あんまり昔のジャパンに夢や希望を持たないようにしようと常々思っている私なので、こんな昔ぼ風習が云々と言うのは今限りです。ただの、話のネタです。
【赤ちゃんがパパの抱っこでピタリと泣き止む事があるという件】
自分ちの子供達が赤ちゃんだった頃に聞いたり読んだりした話ですが、
①男性の方が腕力が強いので抱っこの安定感が優れており、赤ちゃんが安心する説。
②父親の事を他人だと思っている説。母親には安心してワガママに振る舞えるけれども、他人に対しては「いい子にしてないと殺される」という危機感から、大人しく抱っこされる。(たまにしか会わない祖父母にも同じ反応)※但し生後数ヶ月で人見知りを始めるまで。
という2つの説があるとかなんとか。さて、どちらでしょうか。私的には、どちらもネタとしてはおいしいです(^q^)
【+どろろ】
第二のおっかちゃん風を吹かしてめちゃめちゃ赤ん坊の世話をやくどろろもいいですが、赤ちゃんにあにきを取られてちょっと焼きもちをやくどろろもいいと思います(*´・ω・`)b
【反省】
早く!妄想を!!文章化したい!!!と思うと、最短距離で駆け抜けようとして表現がテキトーになるのを、なんとかせねばと思います。
十年後に読み返しても、萌えられるように(*´・ω・`)b
どのカプにせよ、子供ネタは自分の子供が小さいうちにどんどん書いとかないとなぁ、と思います。子供のいる暮らしは慌ただしく、書いとかないとどんどん忘れ去っていってしまうので……。
※追記※
あわてて書くから書こうと思った事をぽろぽろ書き忘れるのです(;・ω・)
【この話はアニメ6話から何年後なのか】
……一年後か二年後を想定して書きました。
赤ん坊が生まれるまでに十月十日といいますが、太陽暦では約9ヶ月ほどです。今日、「はぁ?結婚?そういうの全然考えられないんですけどw」と言った人が来年の今日には乳児のお世話にてんてこ舞いしている、ということも起こりうるのです。おそろしいですね人生って。
【戦国時代において、子供一人生まれたくらいでお祭り騒ぎになるのかどうか】
という事を、書きながら思いました。せっかく生まれた赤ちゃんの殆どが大きくならずに死んでしまうような時代です。沢山兄弟がいても成人したのは結局一人だけ、みたいな。
そんな時代だから、子供が生まれたくらい、へー良かったね、まあお大事にね、くらいのリアクションだったりして。
赤ん坊が生まれた初日に名前をつけるとか、赤ん坊に期待し過ぎで死んでしまった時の気落ちが半端なくなるから止めろとか、言われたりするのかなぁとか。
そういえば、今は出産準備で妊婦本人がベビー用品の準備に奔走するのはわりと普通の事ですが、私の実家の方ではそれはご法度だったりします。母親の子への執着心が強くなってしまうからだそうで、産着やオムツを縫うのは妊婦さんは自分でやってはいけないとか。生まれた赤ちゃんの大体は死ぬ、という前提の風習でしょうか。
そんな事を思いましたが、百みおの周りには子供しかいないし、そもそも百鬼丸とみおもまだ子供と言っていい年齢なので、あんまり先の事を心配しないというか、人の死以外で日常が変化する事をポジティブに受け止めるかもしれないなぁ、と思って、ネガティブ思考は排除しました(*´・ω・`)b
これが6話からもっと年数が経ってからだったりしたら、冬を越す度に孤児仲間が一人また一人と亡くなってゆくという経験をしたりして、ポジティブ度は薄れてゆくのかなぁと思います。
無知って幸せだ……。