それってもしかして……。

「また君は、一日その格好で過ごしたのか」
 間宮まみやは帰宅するなり苦言を呈した。佐田さだは間宮が脱いだコートを受け取り、皺にならないようハンガーにかけた。
「だって、どこにも出かけないし、余分に洗濯物を増やしたくないし。それに最近、天気悪いから洗っても乾かないし」
「……。」
 佐田の言い訳に、間宮の眉間の皺がいっそう深くなる。
 ひとが昼間どんな格好をしても別にいいだろうに。裸で外をぶらぶらしてるわけじゃないんだから。そう言い返したいのはやまやまだが、服だけでなく、今の佐田の生活は間宮が支えてくれているので、こちらこそ文句を言う筋合いではない。そう思って佐田は言うのをやめた。
 リビングに入ると、間宮は佐田が窓ぎわのソファに置きっぱなしにしていた文庫本にちらっと目をやった。
「この間買ってきたやつか」
「うん。もう読み終わっちゃった。面白かったよ、ありがとう」
「面白かったならよかった。ほかに何か読みたいものがあったら、LINEでタイトルを送ってくれ」
「なんか悪いよ」
「気にするな。せっかくの第二の人生だ。なのに君を自由に外に出してはやれないから……その……あー、これは、僕の義務のようなものだ。飼い主としての……いや、実験体が余分なストレスを感じないようにするのが……あー、まあいい。とにかく君が退屈で死にそうにならなければいいんだ」
「わかった、ありがとう」
 間宮は結構、人にものをあげたことに対して、執着するタイプ。そういうの、好きじゃないんだよなー。佐田は間宮が風呂に入っている間、夕飯の支度をしながら考えた。
『親にクリスマスプレゼントやお年玉をもらった後とかに、使い方にあれこれ口を出されたり、ことある毎に“お前は恩を忘れたのか? ”だのなんだのって、責められたりしたら嫌じゃない? そんなに言うなら何も要らないよ! なんて、思ったりして……。あ、そういえば、』
 もうじきクリスマスだった。特に変化のない日々を送っているせいで、曜日や日付の感覚がなくなりかけていた。

「間宮はクリスマスには何が食べたい?」
 食事中に、佐田は間宮に聞いてみた。
「遠慮しなくていいよ。いつも間宮には世話になりっぱなしだからさ。そういうことくらいでしか、」
「いや、いい。」
 間宮は佐田の言葉をピシャリと遮ったが、佐田が無意識に表情を曇らせたのに狼狽えたのか、視線を目の前の皿に落とし、おかずを箸でつまんで口に放り込み、咀嚼し飲み下してから、話を再開した。
「クリスマス料理なんか、一人ぶんだけ作るのは大変だろう。だからって数人前作られて、しばらく毎食同じものを出されるのは、僕だって飽きるしね。でも、クリスマスの気分を君は欲しいんだろうし、ちょっとくらい味見もしたいんだろう。だから僕が適当に見繕って買ってくる。そういう日ぐらい、君も家事から解放されたまえ。あと、そうだな……食べる楽しみがあまりないんだから、その代わり何か他に君が楽しめることをしよう」
 そう喋っているうちにテンションが上がったのか、最後の方はかなり早口でまくし立てていた。佐田は、日頃の恩返しをしようと思ったのにかえって逆の展開になってしまったことに、戸惑った。だが、間宮がとても楽しそうなので、せっかくの申し出を断るのも気が引ける。
「佐田君、クリスマスのプレゼントは何がいい!?」
 前のめりに迫られて、佐田は思わず椅子ごと後ずさった。
「え……気にしなくていいよ。俺からはあげられるものってないし……」
「金のことなら気にするな。これでも僕は、収入も貯えもけっこうあるんだ」
「いや、お金の問題じゃなくて」
「なら何が問題なんだ」
「あー……」
 言い淀んでいる間に、間宮の表情があからさまに不機嫌な時のそれに変わっていく。きまりが悪くなって、佐田は間宮から目を反らした。
「ごめん。嫌とかじゃないんだけど、その、フェアじゃないかなって……」
「……わかった。じゃあプレゼントはお互いに無しということにしよう」
 間宮はテーブルに両手をついて立ち上がると、さっさとリビングから出て言ってしまった。間宮って難しい。佐田は深いため息をついた。

「はぁ。『家事から解放されたまえ』なんて、言われてもなぁ」
 数日ぶりの気持ちのいい冬晴れの空の下に洗濯物を干し、佐田は室内に戻った。今日の天気を当て込んで、数日ぶんの洗濯物を溜め込んだので、干すのはちょっとした労働だったものの、洗濯をサボったぶん室内の掃除はまめにやっていたので、今日は間宮が散らかしたものを片付けるくらいしか、やることがない。
 まだ午前中だというのに、リビングの長椅子に寝そべり、モン吉と一緒にブランケットにくるまって、本を読む。数ヶ月前までの多忙な日々を考えれば、とても贅沢な時間だ。そんな贅沢な暮らしにももはや染まりきって、最近は『今、何時間目だっけ』などとつい時計を確認してしまうこともなくなった。
『失踪中の息子がこんな暮らしをしてるだなんてうちの親が知ったら、めちゃめちゃ怒るだろうな。せっかく苦労して大学まで出してやったのに、何やってんだーって。まあでも、今頃もう忘れられてるかもしれないけど。どうせ、死んだことにされてるんだし』
 寝返りを打つと、
「あいてっ」
 ぐいっと髪を引っ張られた。モン吉の両手が佐田の顔を挟みこみ、頭の角度を念入りに動かした。毛繕いの邪魔をしてくれるなということらしい。モン吉の指が佐田の髪をわさわさと掻き分ける。なんだかノスタルジックな感傷をともなう心地よさだ。微睡んでいる最中に、傍らで恋人が手櫛で髪を梳いてくれていたことに気づいた時のような。目の前の活字を追う気力が失われていく。こんなまったりした気分のさなかに、サスペンスものなんか読めたものじゃない。
 彼は本を閉じ、長椅子のひじ掛けの向こうまで手を伸ばして、テーブルライトの下に本を置いた。このままうとうとと眠ってしまえればいいのだが、ゾンビ化した身体は睡眠をあまり必要としておらず、余分な眠気を感じることがない。
 佐田が身じろぐ度に、モン吉の手が佐田の頭の角度を微調整してくる。佐田はモン吉の気の済むまでじっとしていなければならないようだ。自分の思考の中で遊ぶしかない時間が過ぎてゆく。
 ふと、そういえば、と佐田は考えた。昨日、間宮は彼が買ってくれた本を佐田がもう最後まで読んだというと、嬉しそうだった。あまり口や態度には感情が出ていなかったが、背中に『嬉しい』と書いてあるようだった。間宮は結構、人にものをあげたことに対して、執着するタイプ。それは行き過ぎると束縛となり、鬱陶しい。だから、佐田はあまりそういうのは好きではないけれど、ああも嬉しそうにされると、貰って礼を言うだけ言って活用はしないというのは、良くないことのように思えてくる。
「でもなぁ……」
 夕方、佐田は畳んだ洗濯物を仕舞おうと、クローゼットを開けて、考え込んだ。今着ているパジャマと同じものがそこにあり、更に今手にしている畳んだ洗濯物もそれと同じものである。つまり、佐田が年がら年中パジャマ姿で過ごせるのは、同じものを複数持っているからだった。生地が柔らかくすべすべしていて着心地がいい。何の気なしにそう誉めたら、間宮は同じものをまとめ買いして寄越した。それではまるで、佐田の方からおねだりしたかのようだ。
「うーん」
 ハンガーに吊るされている服も、家から一歩も出ない人間には不相応なほどの数がある。佐田はこれまでの人生で、こんなに多くの私服を持ったことはない。
 いつの間にか追加されていたスーツ。佐田はそれをハンガーごと引き抜いて、クローゼットの扉の内鏡の前に立ち、胸に当ててみた。特に変わったところのないグレーのスーツだが、生地も仕立てもよさそうだ。少なくとも、佐田が量販店で二着目二十パーセントオフセールで買って着回していたものよりはずっと良いものだ。まだ一度も袖を通したことがない。着てみせれば、間宮は喜ぶかもしれないが、気を良くしてまた余分に買って来るだろうことは、想像に難くない。
『そうはいっても、本は買ってもらったそばから読んでるから……。都合のいいときだけ、間宮の善意を利用してるみたいになっているんだよな。でもなぁ。本はまあ……服よりは安い、けど』
 やっぱり服には手をつけない方がよさそうだと考え直し、クローゼットの扉を閉めた。
「ただいま」
「おかえり……」
 夜、普段より少し遅めに帰宅した間宮は、無造作に長椅子の上に本屋の紙袋を投げ置いた。間宮自身が必要で買ったものかもしれないし、と思って佐田は知らぬふりを徹したが、間宮が風呂に入っている隙に紙袋を覗いてみれば、中には文庫本が数冊入っていた。そんなもの、間宮が読むはずもない。

 クリスマス当日、間宮はまたしてもお土産つきで帰宅した。プレゼントはいいって言ったのにと佐田が言うのを、間宮は牽制するするようにして、いやに大きなレジ袋を突き出した。
「これは君がクリスマスの気分を盛り上げるのを助けようと買ったもので、つまりプレゼントではない。ラッピングは、店員が勝手にやったものだし、中身は大して値の張るものじゃない。だから君が一々気にすることはない。それと猿のぶんも入っている。夕飯にはピザを頼んであるから、じきに届くはずだ。君は食べられないけれど、味見をすることはできるだろう。……どうした、ピザは嫌いだったか?」
「え、ふつうに好きだけど……」
「ならいい。さあ、それを着てみてくれ。今夜は夕飯を食べながら、映画観賞会をしよう」

 あまり面白がると、間宮はまた同じような事をする……そう分かっていたのに……!
「あけましておめでとう」
「うん、おめでとう」
 ついトナカイの着ぐるみにウケてしまったせいで、元旦も着ぐるみ姿で新年の挨拶をする羽目になった。
「ねえ、間宮。これって……」
「よく似合うじゃないか」
 そう言った間宮の語尾は震えていた。彼は顔をそむけ、口を手で覆い、笑いを堪えている様子だ。普段は血色の悪い頬が、ほんのり赤く染まっている。
「ていうか。これさ、何で前のボタンがないの?」
「さあ。悪いが、店でそれを見たときは、そういう仕様だと気づかなかった」
「……。」
 いやわざとだろ。着ぐるみは今年の干支の丑なのだが、クリスマスのトナカイとは違い、フードはついていなかった。その代わりに牛の角と耳つきのカチューシャがセットになっており……そこまではスレスレ許容範囲だった……だが、白地に黒の斑模様のついたツナギを着てみると、何故か前を閉じるファスナーが鳩尾までしかない。佐田はどういうことかと思って着ぐるみの入っていた包装を確かめていたが、男女共通LLサイズと書かれているだけで、着用見本の図もない。だがどう見てもこれは、
「エロ目的のコスプレ衣装じゃないか! こんなのを俺に着せて何が楽しいんだよっ!」
「違う! ただ僕は君に正月気分を味わって欲しいと思っただけで……トナカイのと同じ売り場にあったから、これも普通のだと思ったんだ!」
 元旦早々に言い合いをする羽目となった。
「……ちなみにこれ、どこで買ったの?」
「ド○キだが。それがどうした?」
「……。」
 くそみたいな一年の幕開けだった。何となく気まずいまま松の内が過ぎて、間宮は仕事に出かけるようになった。一週間ぶりの一人と一匹暮らしに佐田とモン吉はすぐに馴染んだ。

「ただいま」
「お帰り。食材の買い出し、ありがとう」
 佐田は受け取ったレジ袋の中身をひとつひとつ確認しながら冷蔵庫にしまっていった。すると、頼んだ覚えのないものが一つ紛れ込んでいた。二分の一カットのカボチャだ。
「間宮、このカボチャは?」
「ああ……安かったから買った」
「ふーん、そう」
「それにこのあいだ君が作ってくれたあれが美味しかったから……」
「あー、冬至の時に作ったサラダの? じゃあ明日の夕飯に作る? カボチャは煮えるのが早いから、今からでもできるけど」
「じゃあ今から作れるか?」
「うん、出来るよ」
 間宮から夕飯のおかずをリクエストしてくるのは珍しいことだった。間宮は好き嫌いが激しくて、肉も魚も野菜も、食べられるものが少なかった。だが、どうやらその多くが単なる食わず嫌いだったらしく、佐田が作るものならほとんど黙って食べた。どうしても苦手なものは、無言で皿の隅に避けて残す。食事のメニューに関しては案外細かく文句をつけて来ないところに、間宮の育ちのよさが窺えた。が、言わなさすぎるために、一体どれが大丈夫でどれがダメなのか、判りにくくもあった。同じ食材でも、調理方法によって食べたり食べなかったりするのだ。
 冬至の夜にカボチャのサラダを出したのは、平坦な日常のなかにちょっと季節感を出したいという佐田の思いつきだった。間宮は傾向として味や匂いに癖のある食べ物が苦手で、しかし甘い物をおかずや酒の肴にしても平気な質だ。だから、カボチャも醤油で煮ると青臭さが残って嫌がるかと思い、マヨネーズと砂糖と酢とマスタードで和えてサラダにして出したのだった。
 別に、喜んで貰おうと思って夕飯の支度を買って出ているわけではないのだが、それでも、以前作ったものを美味しかったからまた食べたいとせがまれるのは嬉しいものだ。佐田は鼻歌まじりにカボチャを一口大に切っていたが……。
「……っ!」
 つい油断して、指を切ってしまった。包丁が通り易いようにと、カボチャを皮の方からではなく実の方から切っていた。ぐらつくカボチャを押さえながら慎重にやっていたつもりだったが、不意に包丁が硬い部分にはまりこんで動かなくなり、無理に引き抜こうとしたとき、皮がまな板の上をツルッと滑った。その拍子に左手の人差し指をざっくりやってしまったという訳だ。
 包丁が突き刺さったカボチャをまな板の上に置いたまま、佐田は人差し指の付け根を抑えて後ろへ下がった。傷口から溢れたどす黒い血が掌を伝い、手首の方まで流れて、捲っていたパジャマの袖にまで達して染みをつくった。
 どれだけ深く切ってしまったのか、久しぶりにかなり痛い。数ヶ月前には間宮によって生きたまま解剖されるという酷い目に遭わされたが、そんな激痛を経験をしたって痛みに慣れた気はしない。耐え難い苦痛に唸っていると、
「どうした?」
 間宮がひょっこりとキッチンに顔を出した。
「ちょっと、包丁で指を切っちゃって……」
 すると、間宮はいつもの顰めっ面でずんずん歩いて来て、佐田の左手首をむんずと掴んだ。
「出血箇所を下に向けるな。心臓の位置よりも高く上げるんだ」
 さすが、間宮は溢れ出る流血に全く動じない。掌が佐田の黒い血で汚れるのも構わず、負傷した指の付け根を強く圧迫した。佐田が自分でするよりも遠慮がないので、指全体が鬱血して濃い紫色となった。そこだけ体温が失せ、痺れて感覚がなくなってゆく。と、傷口付近についた血がブクブクと泡立ち、肉が盛り上がり、たちまち傷口をふさいだ。佐田の体内に共生している菌の働きで、あっという間に傷は完全に治癒した。
「ありがとう。もう大丈夫、痛くない……あぁ……」
 まな板の上に放置された、包丁の突き刺さったカボチャが、黒い血にまみれていた。
「ごめん」
「こんなのは水で洗い落とせば平気だ。どうせすぐに火を通すんだからな」
 間宮はおもむろにカボチャに刺さった包丁の柄を握ると、それを振り下ろした。タンッと軽い音がして、まな板に叩きつけられたカボチャはきれいに割れ、切れ目にはまっていた包丁が解放された。その手並みがあまりにも鮮やかだったので、
「かっこいい……」
 佐田の口からは自然に賞賛の言葉が漏れた。
「褒めても何も出ないぞ」
 ついさっきまで冷静だったのに、間宮はへどもどして言った。
「今度買って来る時は、カットしてあるやつにしよう……危なっかしいから……」
 ぶつぶつと呟きながらキッチンを出てゆく背中を見送ってから、佐田は水道水で手に着いた血を洗い流した。傷はすでに痕跡一つ残さず消えていた。消毒も包帯も絆創膏すら必要ない。
「うん?」
 ゾンビの自分は怪我をしてもたちどころに治ってしまうので、消毒も包帯も絆創膏すら必要ない。ちょっとした切り傷は言うに及ばず、手錠を抜けようと自ら骨を外した手首だって、生きたままかっ捌かれた腹だって、何もしなくても治った、のに。
『あれっ、でもそういえば、死んでる間にここに連れて来られて……、手術台の上で目覚めた時、俺は身体のあちこちを包帯に巻かれていた、けど……』
 間宮の手で解かれた包帯には血なんか着いていなかった。傷は、生前につけられたせいで上手く再生されなかったものを除いて、すべてきれいに治っていた。
『なのに、包帯が巻かれていたことの意味って?』
 疑問に思った瞬間、心の奥底で不可解に思っていたものの数々が、急につながりはじめる。頼んでもいないのにくれた仕立ての良いスーツ、クリスマスのトナカイ、正月の無駄にエロいホルスタインのコスプレ、そして、特に意味のなかった包帯……。

「それってもしかして、ただのフェチ?」


(おわり)
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