針槐

 その植物をくさむらの中に見つけたのは、いつものように庭でモンキチを遊ばせていた時のことだった。初見で佐田さだは、よく生き残っていたなと思った。少し前まで庭に生い茂っていたマメ科の蔓草つるくさ・カラスノエンドウと見間違えたのだ。それは雑草だが赤紫のかわいい花を咲かせるので、佐田はちょっと気に入っていた。ところが、数週間前の日曜日に間宮まみやが庭全体に除草剤を撒いたせいで、一網打尽に枯らされてしまったのだった。間宮の突然の蛮行に佐田は抗議をした。庭遊びをするモン吉の身体に毒じゃないかと。本当は、彼自身も庭に咲き乱れる野の花の類を見て楽しんでいたのだが、そうとは言わなかった。どうせくだらないといって取り合ってくれないだろうと思ったからだ。大事な実験体のため……といっても、間宮はモン吉のことをかなり嫌っているのだが……と言えば、すんなり聞き入れてもらえるだろうと踏んだ。実際、間宮は当分除草剤は撒かないつもりだし、次に撒く際は事前に予告すると言った。ただ意外だったのは、除草剤を勝手に撒いた理由だ。
『どうせ暇を持て余している君のことだ。放っておけば勝手に草むしりを始めただろう。それは手間だろうと思ったんだ! 君は庭いじりよりも本を読む方が好きなんだろうからね!』
『それは、そうだけど……』
『ならいいだろう。僕はもう手を出さないが、君はもし庭の草が鬱陶しいと思ったら、物置に草刈り機があるから、好きに使ってくれ。手でちまちま抜いて時間を浪費することはない』
 どうやら、間宮なりの気遣いだったらしい。
 そんな訳で、春のうららかな気候のもとで一時期華やいていた庭は、除草剤のせいで、また元の蓬蓬ぼうぼうとした荒れ庭に戻った。花の咲く植物は、花壇の跡にしょぼしょぼと生えていた園芸種を残してみな枯れてしまったが、スギナと何やら名のしれないイネ科の雑草だけは逞しくはびこり、去年の枯れ草を押しのけて丈を伸ばしている。そんな叢の中に、冒頭の謎の植物を見つけたのだった。
 発見した日には、それはイネ科の雑草の群れの中で狭苦しそうに縮こまっていた。ところがそれは日に日に大きくなり、やがて異様な存在感を放つようになった。今や雑草の上に瑞々しい羽状複葉うじょうふくようをのびのびと開いている。
「初めて見た時はカラスノエンドウかと思ったから、それで余計に変に思えるのかな。あれがここまで成長したんだったら、もうオバケだよね」
 佐田はモン吉に語りかけた。モン吉はまるで彼の言葉の意味を理解しているかのように「キィ」と応えた。
 以来、佐田は庭に出る度にモン吉とともに例の植物を見に行った。それはどんどん育って葉を増やし、やがて周囲の雑草から頭一つ抜きん出た。だがカラスノエンドウのように細く丸まった蔓を出すことはなかった。
「これ、何なんだろうね?」
 雑草の隙間からはみ出る羽状複葉に、佐田はそっと触れてみた。よく見れば葉の根元辺りに小さな棘がある。それを見てはじめて、この植物に毒のある可能性に思い至る。佐田は傍らのモン吉を見た。彼女は不思議そうに植物の葉を眺めているものの、手を出そうとはしない。棘に警戒しているようでもあるが、そもそも肉食のモン吉は植物に興味本位で触れることはあっても口に運びはしない。
 楕円形の葉を羽のようにつけた葉柄ようへいに指を這わせ、棘に注意しながら幹へと辿ってゆく。幹の上の方は葉と同じ明るい緑色だったが、下へ下へ辿っていくと、なんと途中から急にゴツゴツとした木肌に切り換わった。
「木……? 草じゃなかったのか」
 草のような成長速度を持っている、樹木。じっくりと観察してみれば、灰色の木肌には細かいひびが幾筋も刻まれている。一見真っ直ぐ上を目指して伸びているように見えるが、幹には僅かに捻りが入っており、外カーブの部分でより粗くひびが入り、樹皮が剥けてささくれだっている。佐田は思わず、童話の『ジャックと豆の木』を想像した。庭に撒いた種がたった一晩でうねうねと空高く伸び上がり、雲をも貫く巨木となる様を。
「うーん、それは困る」
 さすがに現実にこの幼木が天を突くほど大きくなることはないだろうが、こんな所でそこそこの高木になられては、庭の日当たりが遮られて洗濯物を干すのに支障が出そうだ。佐田は木を抜く事にした。
 佐田はモン吉を室内の檻に戻して再び外に出、軍手をもとめて物置を漁った。目当てのものはすぐに見つかった。物置を出た時、壁際に園芸用の土や空いた植木鉢が積んであるのが目に留まった。どうやらこのやしきのかつての主は、研究以外にも色々な事に挑戦していたようだ。家の中にも調理器具や料理本、編み物や裁縫の道具などが置いてあるが、園芸趣味もあったらしい。この広々とした庭も、ひょっとしたら庭師を頼まず一人で世話していたのかもしれない。彼女は生活の質を大切にする女性だったようだ。一方、彼女の姪孫てっそんは彼女とは大違いの研究一筋っぷりである。
『まあ、打ち込めることがあるのは素晴らしいことだと思うけどね』
 佐田はといえば、やりたい事がなくはないものの、仕事を言い訳にして手を着けずにきた。図らずも仕事から解放された今となっては、時間は売るほどあるにも関わらず、家事をする外は、モン吉と遊んだり本を読んだり、のんべんだらりと過ごしてしまっている。
『俺は間宮や彼の大叔母さんを見習うべきかもな』
 佐田は自嘲ぎみに思った。
 ふと、ムクムクといたずら心が湧いた。木を抜いたら鉢に植えてやれ、と。
 横着して着替えないまま出て来てしまったので、佐田は土埃や蜘蛛の巣がパジャマにつかないよう、植木鉢を出来るだけ身体から離すようにしてテラスまで持ち運んだ。用土袋はずるずると地面を引きずった。シャベルとバケツとジョウロも物置から見つけ出してきた。
 佐田は軍手をはめた手で幼木の幹を両手で掴み、腰を落とし、力を込めて引っ張った。
「せーの、うわっ」
 想像していたよりもずっと軽い手応えに、佐田は尻もちを着いた。抜けた勢いで幼木の根が鞭のように跳ね上がり、彼の頭上に細かな土くれを降らせる。土の臭いと共に、空豆を剥いた時のような青臭いにおいがした。
「ああくそっ」
 佐田はふらふらと立ち上がり、髪とパジャマの尻についた土や枯れ葉を手で叩き落とした。
 抜けた幼木を叢から引きずり出してみれば、案外丈があるのに驚いた。軽く一メートルを超えている。根元に近い、ひび割れた樹皮に覆われた部分を持って立ててみれば、青い部分はぐんにゃりと曲がって垂れ下がり、掌に握り込んだ部分は今にも折れてしまいそうだった。どう見ても、自立しなさそうだ。
 とりあえず、水を張ったバケツに根を入れてから、佐田ははじめてその幼木が何であるのか調べた。といっても、スマホで葉を写真に撮り、画像検索にかけただけだ。拍子抜けするほどあっさりと、幼木の正体は割れた。スマホの画面に表示された参考画像はすべて、一つの植物の葉を写したものだった。
針槐ハリエンジュっていうらしいよ」
 別名をニセアカシアという。夕飯の後、佐田はリビングに持ち込んだ鉢植えを間宮に見せた。案の定、間宮は興味無さそうに鼻を鳴らしたが、
「いいんじゃないか。マメ科の植物だろう。根粒菌こんりゅうきんと共生してそれから養分を得ているから、肥料をやらなくていい。手間要らずだ」
 さすが菌類を研究する科学者だけのことはある。佐田が誉めれば、間宮は片眉を上げて言った。
「まったく、あきれた奴だな君は。そんなことくらいで、世紀の大発見でも見せつけられたような顔をして。そんなのは中学か高校の生物で習うんじゃないのか?」
「そうだっけ?」
 憎まれ口で返してくるのはいつものことだ。しかし、“いいんじゃないか”と“手間要らずだ”と言うからには、この木の鉢植えを育てることを許可してくれたわけだ。もとより間宮は佐田が暇潰しに何かすることを一々否定しないばかりか、協力的ですらある。だからこの件だって反対されないと佐田はわかっていた。
「これ。この鉢、」
 佐田は白い陶器製の植木鉢の縁を爪でコツコツと叩いて言った。
「いいでしょ、使っても」
「使ってから言うのか」
「うん?」
「いや、別にかまわない。どうせずっとそこらに放置してた物なんだから、好きにすればいい」
「ありがと」
 同居し始めてから半年ばかり。似たようなやりとりを何度もしてきた。いつもながら、間宮のとても物分りのいいタイプの亭主関白みたいな言い方がおかしくて、佐田はつい笑みをこぼしてしまう。間宮はぷいっとそっぽを向いて言った。
「君はだんだん図々しくなるな」
 翌日、鉢に植えた針槐は、雑草に紛れて生えていた時と同じように、瑞々しく元気だった。植え替える時に思いきって幹を根から二十センチくらいのところに切り詰め、五枚の葉を残した。一見、五本の枝に沢山の葉が対をなして行儀よく並んで見えるが、この木の葉は複葉である。枝に見えるのが葉柄であり、それとその左右に生えている小葉の全部をひっくるめて、一枚の葉なのだ。幹のてっぺんの切り口は早くも白く乾いており、傷が塞がったように見えた。
 二日後、昨夕までは何ともなかったのに、小葉の多くが白く粉を吹いたように変色していた。病気にかかってしまったらしい。佐田はスマホで検索した。うどん粉病。すぐに薬剤をふりかければ治癒するらしかった。物置きを探しても薬剤が見つからなかったので、佐田はネットで読んだ通り、薄い酢水を作ってスプレーに入れ、病変した葉にふりかけた。
 更に二日後、小葉が何枚か落ちてしまった。
 また二日後、小葉の半数以上と、一本の葉柄が脱落した。
 更に二日後……。
「もはやただの棒だな。これは本当にまだ生きているのか?」
 全ての小葉が、葉柄ごと落ちていた。
「たぶん、大丈夫……だと思う」
 対処法を間違えたのかもしれないと、佐田は考えた。酢水をふりかけるのは週に一回とすべきところ、病変の拡大が止まらないので、ついもう一度散布してしまったのだ。あるいは、所詮ネット情報……それを鵜呑みにしたこと自体が失敗だったのかもしれない。だが、侘しく残った丸坊主の幹をよく見ると、ひび割れた樹皮の隙間から僅かにのぞく木の内部はきれいな緑と白で、針槐はこんな姿になっても根と幹だけで生きているようだった。
「まあ、最初からダメ元だと思っていたから」
「今日は帰りにホームセンターを見て来よう。いい薬剤があったら買ってきてやる」
「ほんと? ありがとう」
 一週間後、佐田は相変わらずただの土に刺さった棒切れみたいな針槐に、ジョウロで水やりをした。植木鉢の前にしゃがみ込み、青みがかった灰色の幹をしげしげと眺めた。と、背後に視線を感じ振り返って見れば、間宮が室内とポーチを隔てるドアに凭れ、腕組みをしてこちらを見ていた。
「相変わらず、ただの棒だな。それでもまだ生きているのか?」
「見てよ」
 佐田は、ほくそ笑みを浮かべてしまうのを止められなかった。間宮が「どれ」とこちらにやって来て、隣にしゃがむ。
「ほらここ。あとここも」
 針槐の幹に点々とある、小さな黄緑色の点を、佐田は指で差した。
「芽が出てきたのか」
「うん」
「すごい」
「うん」
「まるで君のような樹だ」
「それってどういう意味?」
「壊れてもちゃんと元通りになる」
「あー、そういう……」
 二人は額を突き合わせるようにして小さな新芽に見入っていた。ふと、佐田は太腿の脇に間宮の骨張った膝が当たるのを感じた。ぴったりくっついて離れない。間宮には自覚がないらしいが、彼は隙あらば佐田にくっつきたがる。間宮はどんだけ俺のことが好きなのかと、佐田は思った。
『別に、嫌じゃないからいいけど』
 指摘すれば物凄い速さで逃げるのは明らかなので、佐田は知らないふりをした。
 仕事に出る間宮を見送ったあと、佐田は洗濯物を干してから、モン吉と日課の庭遊びに出た。モン吉は今日も枯れ枝やら干からびたドングリやらを拾ってくる。
 伸びすぎた芝生の隙間にシロツメクサが生え、白い花を咲かせた。他にもタンポポなどの春の草が再び顔を出しはじめた。除草剤の効力が薄まって来たようだ。モン吉がシロツメクサに鼻を寄せて匂いを嗅ぐのを、佐田は見守った。サルの目線に自らの目線を下げると、限られた敷地内の小さな自然も珍しくきらきらと輝いているように見える。こんな風に世界の見方を変えることが出来たのだがら、ゾンビになったのも悪くないなと彼は考えた。
「また一つ、楽しみが増えたことだしね」
 モン吉がキィとひと鳴きして、佐田の方へとトコトコやってきた。差し出した両腕の中にモン吉は飛び込んできて、佐田の肩に顎をのせた。
「なに、もう部屋に戻る?」
 モン吉は返事の代わりにくわぁと欠伸をした。
「ふあぁ……欠伸が移った。ヒトとサルでも、あるんだなあ」
 陽気がいいせいか、自然に瞼が下がってくる。三時間程度の睡眠時間しか必要としないゾンビでも、春の日差しの心地よさには勝てないようだ。
「リビングの、日の当たるソファで一緒に昼寝でもしようか」
 佐田はモン吉を抱いたまま腰を上げ、のろのろとテラスに向かって歩き出した。
 読みさしの本を読むとか、ガーデニングのやり方を調べるとか、あとは昔のように自己満足で推理小説を書くとか……やりたいことはあるにはあるが、今日もまた、特にこれといって何も成さないままで一日を過ごしそうな予感しかしない。だが、心地よい眠気に誘われるがままに昼寝をするというのも、それはそれでいい過ごし方じゃないかと佐田は思った。
『いいじゃないか。時間は沢山あるんだし』


(おわり)
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