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変わらない日々と変わりゆく貴方

彼は冬の始めにここに来た。旅の僧侶につれられて来たとき、彼は自分は何も出来ないと言って泣いていた。けれど、沢山の修行をして、今ではすっかり本物の剣豪だ。

丸太で作った的の間を、彼が走り抜ける。すると丸太達は音もなく斬られ、地面に倒れていく。

「すごいわ」

私が拍手をすると彼は立ち上り、刃物のように研ぎ澄まされた表情から、愛嬌のある照れ笑いになる。くりっとした大きな目の眦と、太い眉の眉尻を下げて、それはとっても魅力的。

預かっていた作り物の腕を、彼の両腕に着けてあげるのは、私のお気に入りの仕事。彼は私を見下ろしてじっと私の目を見詰める。私は恥ずかしいから唇を少し噛んで、目を伏せる。

彼はたった半年で、とても進歩した。成長して、少し背も伸びた。

『見て』

ある日、彼はそういう言って着物の前を割り、皆にお腹を見せた。子供達はわあっと歓声を上げた。

"カエルのお腹"と笑われていた、何もなくてつるっとしていたお腹に、お臍があった。身体の四十八箇所を奪われて生まれてきたという彼が、魔物を倒して初めて取り戻した部分、それがお臍だった。

皆、我がことのように喜んだ。

一方私はこの半年間、ちっとも変化しない日々を過ごし、私自身何も変わらなかった。子供達の面倒を見て、時々侍の陣屋に行って辱しめを受ける代わりに、僅かばかりの食べ残しを貰って。

こんな日々がいつまで続くのだろう。私はずっとこのまま、何も変わらず生きていかなくてはならないのだろうか。死ぬまで、ずっと。

夜の仕事と生きることに疲れて、私は仲間達から遠く離れた叢の中に、丸くなって眠る。そんな私の事を探し当てるのが、彼はとても上手。気が付くと彼はすぐそばまで来ていた。

『みお、いた』

まるで仔犬のような顔をして、ひょっこりと草の間から顔を出す。私はゆっくりと身体を起こす。彼は私の傍らに腰を下ろした。

『みお、見て』

「まあ、私にだけ見せてくれるの」

『うん』

お臍、さっき皆にまじって見せて貰ったけど、彼には私がちゃんと皆の中にいるのが、わからなかったのかもしれない。彼は目が見えないから。

「ちょっと触らせて」

指先でつんと触れると、彼は身体を捩り、バッと着物の前を合わせてお臍を隠し、ニシシと笑った。

「良かったわね」

『うん、これでおれも、少しは人並みに近づけたかな』

案外、彼は気にしているのね。身体のあちこちの部分が足りない事を。私は頷いた。

「お臍は、生まれる前にお母さんのお腹の中でお母さんと繋がっていた印よ。あなたにも生んでくれたお母さんがいるっていう、印」

私がそういうと、彼はまた着物の前を寛げて、見えない目で自分のお臍をまじまじと見た。

『おれにもお母さんがいるのか。いいなあ、まだ生きているかな。いつか、会ってみたいなぁ』

「会えるといいわね」

彼は顔を上げ、持ち前の人懐っこい笑顔を見せて頷く。

『一つ、取り戻しただけなのに、おれはこんなに取り戻した。友達と同じ腹になって、人並みに少し近づいて、おれにも母さんがいるんだってわかって。おれは化け物の産んだ子じゃあなかったんだ。よかった』

「そうね。よかったでしょう」

『うん、とても』



変化のない私の日々の中で、彼だけがどんどん変わっていった。魔物を斬るたびに身体の部分を取り戻していく。

子供達は栄養不足であまり育たなかった。皆、育ち盛りなのに一向に背が伸びない。痩せっぽちで小さいままだ。

私は、むしろ少しずつ悪い方へ変わっていっている。豚娘、豚娘と商売相手の侍達は私を呼ぶけれど、その実私の身体はどんどん痩せて、豚とは似ても似つかない身体になっていく。

細っていく身体と共に、心まで荒んでいくのを感じる。侍達は私を豚娘と呼ぶのをやめない。私の身体の事を言っているのではもうない。食べ物を求めるのに貪欲で、食べ物を得る為なら四つ足で汚物の中に顔を突っ込むのを厭わない、私の心のことを彼らは豚だと言っている。

一晩中酷く痛めつけられて、私はふらふらと寺に戻る。子供達が騒いでいる。騒ぎの中心にはまた彼がいる。きっとまた、彼は魔物から何かを取り戻したのね。

子供達は相変わらず、我がことのように喜んでいる。自分の喪った手足は二度と戻らない、だけど彼は頑張れば取り戻すことができる。そのことに何も思わないかのように。子供達の心はこの澄んだ雲一つない空のようだわ。私は思う。

私は、彼に細波立てられるこの気持ちを表す言葉がなんなのか、わからない。日増しに分からなくなっていく。私は侍から得た食べ物を置いて、一人きりになれる場所を探しに行った。

上手く隠れたと思った。それでも彼は上手に私を見つけ出した。仔犬のように無邪気に。今度は何を見せに来てくれたのだろう。

指先でそっと、彼の唇に触れると、彼は驚いたように目を見張り、そして私の手首を掴んだ。少し痛い。

『すごい、みおの形がよくわかる』

彼はそう言って私の指を吸った。一旦唇を離し、そしてまた唇の間に私の指を挟んだ。一本一本指先から柔らかに食み、指の付け根へ。そして手の甲を、掌を、輪郭をなぞっていく。まるで赤ん坊のようだわ。唇で確かめている。赤ん坊は、唇で世界の形を確かめる。

でもやめて。汚いわよ、私の指なんか。

ぐい、と手を強く引かれ、私は彼の腕の中に倒れ込み、抱き込まれる。私の顔の間近に彼の顔があり、彼は少し頬を赤く染めて、作り物なのに強い光を宿す目で、私をとらえて離さない。

彼は薄く開いた唇を私の頬に近付け、私の痩せ衰えた肌を食んだ。彼の唇は私の頬、私の額、私の眉、私の瞼、私の鼻筋、私の顎の輪郭を丹念に探り、そして唇の端に辿り着いた。

「やめて」

私は強く言って、彼の胸を押し返した。

「それは、お互い好き合った人同士がする事だから」

そんなのは嘘。口づけなんて好き合わなくたって、いくらでも出来るもの。私のこれは幾度も侍達に好きなように嬲られて、穢い。この穢れには触れて欲しくない、彼には。

『おれはみおが好きだ。みおは、おれが好きではないのか』

何度も繰り返し聞かされた言葉。私はいつものようにはぐらかした。けれど今日は、ずいぶんと食い下がってくる。

『おれはみおが好きなんだ。だからみおの形が知りたい、ぜんぶ』

背中に回された作り物の腕は冷たく、私を抱きとめた胸はじんわりと暖かい。私は頬に彼の鼓動を感じる。高鳴っている、少し。それにあてられたのか、私はつい、言ってしまった。

「私もあなたが好き。でも、私に触らないで。私は汚れているから」

『それがどうした』

作り物の両腕がよりいっそう私を固く縛める。

「あなたは知らないのよ」

『だから知りたい、みおのすべてを。お願いだ』

彼が取り戻したのが目ではなくて良かった、なんて、私は悪いことを思った。だって今、私はきっと酷い顔をしている。こんな顔を私は彼に見られたくない。なのに、彼は私の汚れた頬に唇をつけた。

『みお、これはなんだ』

そして私の目から溢れ出たそれを吸い、私の目尻を舐め上げた。

『不思議な味がする』

震える声で、私は答える。

「それは涙よ。あなただって流した事があるでしょう。ここに初めて来たとき、あなた泣いてたもの」

『これが涙。じゃあ、みおは今"悲しい"のか。なぜ』

たぶん、それは。

「あなたを汚すのが、嫌だから」

きっと違う、そうじゃない。

『構うもんか。みおが汚れているというなら、おれも汚れるよ。みおと同じに』

「ひとの気も知らないで」

私はそう言って、彼の唇に自分の唇を重ね、彼に私の汚れを分け与えた。



(終わり)

***

作業BGMはエンヤのI want tomorrow.でした(*´・ω・`)b
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