Talent of Love.
***
入学からこっち、学校ではおいらはほとんど自分の教室を出なかった。勿論あにきも一緒だ。あにきは物凄い人見知りだから、却って助かる。あんまり学校のあちこちをうろちょろされて、おいらの知らないうちにもし校内のどこかでみお姉に出会われても困る。今のところ、おいらはあにきの交遊範囲を完全に把握出来ている。それは1年8組理系進学クラス内に留まっていた。
隣の1年7組文系進学クラスには、あにきの、歳がたった11ヶ月しか離れていない、弟の多宝丸、通称"たほ"がいる。あにきはたほが嫌いだから、7組には近寄らない。
たほはあにきと血を分けた兄弟とは思えないほど快活で社交的で顔が広い。ちょっと暇をみてたほに探りを入れてみたところ、どうやら1年に、みお姉らしき女子は居なさそうなんだよな。居たらすごく目立つだろうから、たほなら知ってるはずなんだ。
クラスの数少ない女子は、最初は顔のいいあにきに興味津々だったが、あまりにも反応が悪いので、すぐに厭きて話し掛けなくなった。前は時々、7組の女子もあにき目当てでこっちに来てたけど、やっぱりすぐに来なくなった。似たようなお面相なら、たほの方がずっと女子ウケいいもんな。おいらは堂々とあにきの側に居られるって訳だ。ちょうど、席も隣同士だし。
帰りのホームルームが終わり教室を出ると、奇遇にもたほが7組の教室を出てきたところだった。
「兄上っ!」
あにきは嫌そうな顔をしているが、たほの方はあにきの事が大好きなんだ。
「奇遇ですね、どろろも。ちょうどいい、二人とも、私と一緒に部活動めぐりでもしませんか」
「おれ帰宅部でいい」
「おいらも」
「まあまあそんな事言わずに。ちょっと見るだけですから。もしかしたら新たな出会いとか、あるかもしれませんよ」
あったら困るの。
「そんなの無くていい。」
「えっ、何でですか兄上!この学校には同じ中学出身者があまりいないんですよ?積極的に交流しなければ」
「おれには関係ない。」
あにきはさっさと行ってしまうので、おいらもあにきの後を追い階段をかけ降りる。その後をたほも追いかけてきた。
昇降口まで来て靴に履き替えると、行く手を一人の女子に遮られた。道着に袴を着けた姿が凛々しいその人は、
「安江…陸奥………」
先輩、と、あにきは小声で付け足した。三年生で、おいら達と同じ中学出身の先輩だ。
「久し振りだな、醍醐兄弟」
「お久しぶりっす……」
あにきもたほも畏まって足は肩幅手は後ろ。安江先輩と目を合わせないように俯いた。安江先輩は、あにきとたほの肩に手を置き、ガシッと掴んだ。
「相変わらず太ましいっすね、先輩」
太ましいっていうのは、太いと逞しいを足して二で割った、あにきの造語だ。確かに先輩の腕は弓道で鍛え上げられたムキムキの筋肉に太い血管が浮いて、かなりごっつい。
「羨ましいだろぉ、この筋肉。お前達も大きくなったな。どうだ、腕相撲でもするか?」
「遠慮させていただきます」
「そんな、遠慮などしなくてもいいのに。二人とも、部活動がまだ決まってないなら、我が弓道部に来ないか。今男子部が三年しかいなくて困ってるんだ。あ、勿論女子も大歓迎だぞ」
「いや、おれは帰宅部でいいので」
「おいらも」
「わ、私も帰宅部で……」
「たほ、お前何か部活入りたいんじゃなかったのか」
あにきはすかさずそう言って、こっちに目配せしてきた。どうやらたほを生贄に捧げてこの場をしのごうという算段らしい。
「そ、そうだったよな、たほ。ほら、交遊関係広げたいって、さっき言ってたじゃん」
「そんなぁ、どろろまで」
「そかそか、たほ。交遊関係を広げたい?それなら我が弓道部なんか最適ではないか。結構人数多いんだぞ、女子ばっかりだが。というか、女子ばっかりがいいよなあ、はっはっはっ」
半泣きのたほが安江先輩に連れ去られようとしたその時だった。
「むっちゃーん!見て見て、入部希望の子、こんなに集まったよー!」
聞き覚えのある声。これは、まさか、もしかしなくても……。
「おぉ、さすがみお!上々、上々」
みお姉!!
十メートルほど先で、弓道着を身につけたみお姉が、男子生徒ばっかりひき連れてこっちに向かって手を振っていた。
「あーーーーっ!おいら達、ちょっと、のっぴきならない事情がぁーーーあってぇーーーー!もう帰りますーーーっ、そんじゃ」
「あっ、兄上ーっ、どろろーーー!」
おいらはあにきの手を引っ張り、全力で駅まで走った。
もたもたしてたせいで、三時半の電車は行っちゃってて、次の電車まで長々と待たなきゃならなかった。おいらとあにきは自販機でコーヒーを買い、待合所でだらだら飲みながら電車が来るのを待った。
「なぁ、あにき」
「ん?」
「さっきの弓道部の」
先輩見た?と聞くのはやっぱ止めた。たぶんあにきは下向いてたからみお姉を見てないと思うけど、もし見てたとしたら、変に意識させてしまったらまずい。
「やっぱ何でもない」
「どろろ、おれは大丈夫だ、弓道部に入るつもりはない。おれは帰宅部がいい」
「へへっ、そうだよなー」
沈黙。
何も話す事がねぇ。けどあにきは平気そうな顔でコーヒーを飲み干し、立ち上がって自販機横のゴミ箱にカップを捨てに行った。あにきが戻って来たとき、電車が駅の構内に入って来た。
「行くぞ、どろろ」
「うん」
……と、定期入れを出そうとポケットを探ったら、
「あれっ、無ぇ!定期が無ぇ!」
「はあ?マジか。鞄の中も探してみろ」
鞄の中身をひっくり返して探してみたが、見つからなかった。こんな時に限って財布の中に持ち合せがない。さっきコーヒー買っちゃったせいで、5円玉1枚と1円玉が数枚。あにきもそんなもんだった。これじゃ電話もかけられねえ。
「はぁ、どうしよ」
「しょうがない。おれが先帰ってお前の母さんに話して来る。お前は迎えが来るまでここで待ってろ」
「そんなぁ」
少なくともあと一時間以上も、一人で待たなきゃないけいんだ。はぁ、とため息をついて肩を落とすと、
ぽんぽん。
誰かに背中を叩かれ、おいらは振り向いた。
「これ、もしかしてあなたのじゃない?」
「み、みみみみみみみお姉っ……!」
みお姉がおいらの定期入れを持って、キョトンとしていた。
「何で私の名前」
「や、あの、さっき安江先輩と話してたの聞いて」
「あぁ。あなたむっちゃんの知り合いなの?」
「まぁ、あの、中学の時に、生徒会で。あの……先輩って、弓道部では」
「私?違うよ。さっきはむっちゃんに頼まれて部員募集手伝ってただけ。あ、もう急がないと電車出るよ。じゃ、私は原付だから」
みお姉は駅の入り口付近に停めていた赤い原チャに跨がりヘルメットをかぶると、颯爽と走り去って行った。
ふと、あにきの方を見る。あにきはじっと、みお姉が去って行った方向を見詰めていた。
入学からこっち、学校ではおいらはほとんど自分の教室を出なかった。勿論あにきも一緒だ。あにきは物凄い人見知りだから、却って助かる。あんまり学校のあちこちをうろちょろされて、おいらの知らないうちにもし校内のどこかでみお姉に出会われても困る。今のところ、おいらはあにきの交遊範囲を完全に把握出来ている。それは1年8組理系進学クラス内に留まっていた。
隣の1年7組文系進学クラスには、あにきの、歳がたった11ヶ月しか離れていない、弟の多宝丸、通称"たほ"がいる。あにきはたほが嫌いだから、7組には近寄らない。
たほはあにきと血を分けた兄弟とは思えないほど快活で社交的で顔が広い。ちょっと暇をみてたほに探りを入れてみたところ、どうやら1年に、みお姉らしき女子は居なさそうなんだよな。居たらすごく目立つだろうから、たほなら知ってるはずなんだ。
クラスの数少ない女子は、最初は顔のいいあにきに興味津々だったが、あまりにも反応が悪いので、すぐに厭きて話し掛けなくなった。前は時々、7組の女子もあにき目当てでこっちに来てたけど、やっぱりすぐに来なくなった。似たようなお面相なら、たほの方がずっと女子ウケいいもんな。おいらは堂々とあにきの側に居られるって訳だ。ちょうど、席も隣同士だし。
帰りのホームルームが終わり教室を出ると、奇遇にもたほが7組の教室を出てきたところだった。
「兄上っ!」
あにきは嫌そうな顔をしているが、たほの方はあにきの事が大好きなんだ。
「奇遇ですね、どろろも。ちょうどいい、二人とも、私と一緒に部活動めぐりでもしませんか」
「おれ帰宅部でいい」
「おいらも」
「まあまあそんな事言わずに。ちょっと見るだけですから。もしかしたら新たな出会いとか、あるかもしれませんよ」
あったら困るの。
「そんなの無くていい。」
「えっ、何でですか兄上!この学校には同じ中学出身者があまりいないんですよ?積極的に交流しなければ」
「おれには関係ない。」
あにきはさっさと行ってしまうので、おいらもあにきの後を追い階段をかけ降りる。その後をたほも追いかけてきた。
昇降口まで来て靴に履き替えると、行く手を一人の女子に遮られた。道着に袴を着けた姿が凛々しいその人は、
「安江…陸奥………」
先輩、と、あにきは小声で付け足した。三年生で、おいら達と同じ中学出身の先輩だ。
「久し振りだな、醍醐兄弟」
「お久しぶりっす……」
あにきもたほも畏まって足は肩幅手は後ろ。安江先輩と目を合わせないように俯いた。安江先輩は、あにきとたほの肩に手を置き、ガシッと掴んだ。
「相変わらず太ましいっすね、先輩」
太ましいっていうのは、太いと逞しいを足して二で割った、あにきの造語だ。確かに先輩の腕は弓道で鍛え上げられたムキムキの筋肉に太い血管が浮いて、かなりごっつい。
「羨ましいだろぉ、この筋肉。お前達も大きくなったな。どうだ、腕相撲でもするか?」
「遠慮させていただきます」
「そんな、遠慮などしなくてもいいのに。二人とも、部活動がまだ決まってないなら、我が弓道部に来ないか。今男子部が三年しかいなくて困ってるんだ。あ、勿論女子も大歓迎だぞ」
「いや、おれは帰宅部でいいので」
「おいらも」
「わ、私も帰宅部で……」
「たほ、お前何か部活入りたいんじゃなかったのか」
あにきはすかさずそう言って、こっちに目配せしてきた。どうやらたほを生贄に捧げてこの場をしのごうという算段らしい。
「そ、そうだったよな、たほ。ほら、交遊関係広げたいって、さっき言ってたじゃん」
「そんなぁ、どろろまで」
「そかそか、たほ。交遊関係を広げたい?それなら我が弓道部なんか最適ではないか。結構人数多いんだぞ、女子ばっかりだが。というか、女子ばっかりがいいよなあ、はっはっはっ」
半泣きのたほが安江先輩に連れ去られようとしたその時だった。
「むっちゃーん!見て見て、入部希望の子、こんなに集まったよー!」
聞き覚えのある声。これは、まさか、もしかしなくても……。
「おぉ、さすがみお!上々、上々」
みお姉!!
十メートルほど先で、弓道着を身につけたみお姉が、男子生徒ばっかりひき連れてこっちに向かって手を振っていた。
「あーーーーっ!おいら達、ちょっと、のっぴきならない事情がぁーーーあってぇーーーー!もう帰りますーーーっ、そんじゃ」
「あっ、兄上ーっ、どろろーーー!」
おいらはあにきの手を引っ張り、全力で駅まで走った。
もたもたしてたせいで、三時半の電車は行っちゃってて、次の電車まで長々と待たなきゃならなかった。おいらとあにきは自販機でコーヒーを買い、待合所でだらだら飲みながら電車が来るのを待った。
「なぁ、あにき」
「ん?」
「さっきの弓道部の」
先輩見た?と聞くのはやっぱ止めた。たぶんあにきは下向いてたからみお姉を見てないと思うけど、もし見てたとしたら、変に意識させてしまったらまずい。
「やっぱ何でもない」
「どろろ、おれは大丈夫だ、弓道部に入るつもりはない。おれは帰宅部がいい」
「へへっ、そうだよなー」
沈黙。
何も話す事がねぇ。けどあにきは平気そうな顔でコーヒーを飲み干し、立ち上がって自販機横のゴミ箱にカップを捨てに行った。あにきが戻って来たとき、電車が駅の構内に入って来た。
「行くぞ、どろろ」
「うん」
……と、定期入れを出そうとポケットを探ったら、
「あれっ、無ぇ!定期が無ぇ!」
「はあ?マジか。鞄の中も探してみろ」
鞄の中身をひっくり返して探してみたが、見つからなかった。こんな時に限って財布の中に持ち合せがない。さっきコーヒー買っちゃったせいで、5円玉1枚と1円玉が数枚。あにきもそんなもんだった。これじゃ電話もかけられねえ。
「はぁ、どうしよ」
「しょうがない。おれが先帰ってお前の母さんに話して来る。お前は迎えが来るまでここで待ってろ」
「そんなぁ」
少なくともあと一時間以上も、一人で待たなきゃないけいんだ。はぁ、とため息をついて肩を落とすと、
ぽんぽん。
誰かに背中を叩かれ、おいらは振り向いた。
「これ、もしかしてあなたのじゃない?」
「み、みみみみみみみお姉っ……!」
みお姉がおいらの定期入れを持って、キョトンとしていた。
「何で私の名前」
「や、あの、さっき安江先輩と話してたの聞いて」
「あぁ。あなたむっちゃんの知り合いなの?」
「まぁ、あの、中学の時に、生徒会で。あの……先輩って、弓道部では」
「私?違うよ。さっきはむっちゃんに頼まれて部員募集手伝ってただけ。あ、もう急がないと電車出るよ。じゃ、私は原付だから」
みお姉は駅の入り口付近に停めていた赤い原チャに跨がりヘルメットをかぶると、颯爽と走り去って行った。
ふと、あにきの方を見る。あにきはじっと、みお姉が去って行った方向を見詰めていた。