送り狼は喋らない②
***
『田中未央』
縦書きすると上から下まで左右対称な名前。普通なのになんかちょっと面白い名前。百鬼丸は彼女が一人きりで川に向かって歌っているのを見て以来、彼女を意識するようになった。
クラスの女子には小柄で痩せていてお人形さんのような子が多い中、彼女は背が少し高く、たわわな胸とふくよかなお尻を細く括れた腰がつないだ、大人っぽいグラマラスな体型が特徴的な女の子である。彼女はいつも俯いているので、顔は長い前髪に隠されてよく見えない。
あの日、暖かい春の風が彼女の髪を乱した瞬間を、百鬼丸は思い浮かべた。
ああいう顔してたんだ。可愛かった。
五月のとある日の昼休み、仲間達はクラスの女子の話で盛り上がっていた。百鬼丸は父が作ってくれたいつもの焼肉弁当を口に運びながら、時々相槌を打ったり共に笑ったりしながら、仲間の話に耳を傾けている。ふと、田中未央の名が上がった。
野暮ったい制服にエロい体型が際立つ女の子。顔を上げれば可愛いのにいつも俯いていて、取っつきにくい女の子。
「田中さんってどこ中出身なんだっけ?」
「さぁ、知らね」
「確か酒井と同じじゃなかった?」
「あぁ、じゃあ……」
皆の会話から、百鬼丸の家の最寄り駅の次の次の駅が、彼女の利用する駅だと知る。百鬼丸はいつも朝練の為に始発を利用しているから、電車の中で彼女を見たことはない。
「初日にさぁ、上級生が女子を見に来てたじゃん、いっぱい」
「あぁ、あれはすごかったなぁ。漫画みてえだった。ああいうのって本当にあるんだなぁ」
「あの時は皆、浅井さん目当てだった」
「浅井さん二年の先輩と付き合ってるってよ」
「目立つからなぁ。仕方ねえよ。浅井さんきっともうヤっちゃったよな」
「間違いねぇ。最近雰囲気が違う」
「だよな。田中さんはどうかな」
「我らが1年7組のダークホース。暗くて誰とも喋らないけど、顔は可愛い。性格のお陰で先輩方の魔の手から逃れている」
「いいよなぁ、おっぱいでけぇしさぁ」
「田中さんって付き合ってる奴いんのかな?」
「いないんじゃね?大人しいし」
「処女っぽいよな」
「どうだろう。あんなにエロい体型してるんだぜ。実はすごいのかも」
「誰かこの中で田中さんと喋ったことある人っ」
百鬼丸も含め一同一斉に首を横に振った。
「はぁ」
「ねぇ今度、田中さん誘って皆でカラオケ行こ?田中さん歌うまいしきっと盛り上がるって。またhello again歌ってもらおうぜ」
「いいねぇ」
『おれタンバリン担当で』
「超絶タンバリンワーク期待してる!」
すると、噂をすれば影。昼休みが始まると同時に姿を消していた田中未央が、教室に入って来た。百鬼丸のそばを通り抜け、自分の席に戻っていく。
「どもっ、田中さん。お昼おいしかった?」
田中未央はちょっと困ったような顔で微笑むと、自分の席に座り、腕で顔を覆うようにして机に突っ伏した。
「あー……」
一緒にカラオケ、などと本人のいないところでは大きな事を言ったものだが、実際女子を誘うだけの胆力は、彼らにはないのである。
五時限目の体育で、百鬼丸はバスケをしている最中に右手首を軽く挫いた。彼は表面上は深刻な顔をしながら、内心部活をサボる口実が出来たと喜んだ。もう半月も前に部活を辞めたいと顧問に伝えたのに、色々と言いくるめられて、ずるずる続けているのである。
帰りのホームルームが終わると、彼はそそくさと一階の保健室へ向かった。まさかそれで彼に思わぬ幸運が降りかかるとは、彼は知るよしもない。
(おわり)
※作中引用曲
『Hello, Again ~昔からある場所~』
MY LITTLE LOVER
作詞:小林武史 作曲:藤井謙二 & 小林武史
3/3ページ