もう泣かないと決めた
気が付くと、みおは独りで霧の中に立っていた。
「……あぁ」
私は死んだのね。
あんなに酷く殴られたはずなのに、今はどこも痛くないのである。それはきっと死んだからに違いないと、みおは思ったのだった。
さて、これから自分はどこに行くのだろう。
どこに連れて行かれるのだろう。
答えはわかっている。
そんなの、地獄に決まっているのだ。
みおは歩き出した。自分のした事は、悪い事だったのかもしれないが、それでも間違ってはいなかったのだと、彼女は確信している。それが為に罰を受けるというなら、受けてやる、と思う。涙なんか、流してやるものか。
ところが。
ふと、霧の向こうから、悲しそうな泣き声が聴こえた、ような気がした。
「誰?何で泣いているの」
声の主を探し、みおは走った。だがいつまで駆けても、見つからないのである。泣き声は彼女のすぐそばで、耳もとで、聴こえているはずなのに。
どんなに走っても、辺りの風景は変わらないのだった。ただ、深い霧が立ち込めている。泣き声は相変わらず、彼女の耳のそばに聴こえている。
一体誰なのだろう。
そんなに悲しい声で泣かないで。
「そうだ、うをうたってあげる。泣きたくなったらうたう歌を」
***
「……かい……あ…………で……」
「みお姉!」
「……あれ、どろろ?」
「気づいたのか!?よかったー。皆無事だぜ。だからみお姉もがんばれ!あと少しで新しい家に着くかんな」
「うん……」
どうやらみおは、誰かに背負われているようだ。暖かい背中。揺れる度に、身体のあちこちが痛んだ。しかし、背負ってくれる人の髪が頬にかかるのがこそばゆくて、みおは頬を緩めた。
何とかかんとか生きている。痛くて辛いことも沢山あるけれど、やっぱり生きてるっていいな、と、しみじみ思うみおだった。
次に目覚めた時には、何処か知らない屋根の下で、莚の上に寝かされていた。ふと横を向くと、すぐ隣に百鬼丸がうつ伏して眠っていた。
涙の跡。
みおは手を伸ばし、百鬼丸のまなじりを指でそっとぬぐった。と、
「うぐっ」
百鬼丸は呻いた。背中にどろろの容赦ない蹴りを喰らったからである。
「うー……」
「ホントにどうしようもねえホゲタラだなぁ 、あにきは。いつまでもメソメソしてねえで、いい加減しゃんとしろ」
みおは苦笑し、莚に肘をついてゆっくりと上体を起こした。
「ちょっ、みお姉は休んでなよ。やらなきゃいけない事は全部おいら達でやってるし」
「でも」
「いいからいいから。侍も追っ払ったし、もう危なくねぇから、安心して寝てて」
すると、みおが起きた事に気付いて、子供達が小屋の中に集まって来た。
「みお姉、大丈夫?」
「大丈夫よ。もう少し休んだら、すぐ元気になっちゃうんだから」
努めて明るく言ったが、子供達の表情は浮かない。子供達は各々目配せし、そして俯いた。
みおは、侍達に襲撃されたときの事を思い出した。サカイの間者ではないかと嫌疑をかけられ、そして、ダイゴの陣で「穢らわしい商い」をしていたのを暴露された。それから皆の前で殴られ、足蹴にされた……。
「おれらの事は、心配しなくていいから。みお姉ががんばらなくても、自分の事は自分で何とかするし……」
タケが言う。タケは物事をよくわかっている。みおが何をして子供達を食わせていたのかも、きっと理解したことだろう。
「さぁさぁ、お前らはもう行った行った!そばで騒いでちゃ、みお姉が休まらねぇだろ。それに何か食えるもん探さねえと」
どろろの一声で子供達は三々五々と小屋を出ていった。そしてみおと百鬼丸の二人きりになった。
百鬼丸は起きて胡座に座り直すと、両手でごしごしと目を擦った。それから目を二、三度瞬かせると、じっとみおを見詰めた。
「み、お……」
「あら、百鬼丸、喋れるようになったのね」
みおは嬉しくて、思わず起き上がった。途端に眩暈がしてよろける。すかさず百鬼丸が受け止め、支えた。
「あいたたた……」
百鬼丸ははっとして、そろそろとみおの二の腕から手を離した。そしてみおが自分で座れるのを確認すると、胡座を組み直した。
ふと、みおは床に種籾袋が置かれているのに気付いた。袋には大きな穴が空いていて、パンパンに詰め込まれていたはずの中身は、半分程度に減っていた。
「あーあ。あとで縫わないとね」
百鬼丸を見ると、彼は眉をハの字に下げて悲しそうな顔をしていた。
「どうしたの?」
百鬼丸は答えない。いつか"自分の声が嫌い"と身振りで訴えてきたときのような顔だ。
「うたってあげようか?百鬼丸、落ち着くんでしょ?」
しかし、百鬼丸は首を横に振った。そして彼はみおの唇に指で触れると、また首を振り、口をぱくぱくと動かして、何かを伝えようとした。みおは百鬼丸の唇の動きを注意深く見詰めた。
「泣きたい ときは 泣く……?」
百鬼丸は深く頷いて、みおに両腕を差し伸べた。
「ありがとう」
みおは百鬼丸の胸に顔を埋めて泣いた。
(おわり)
「……あぁ」
私は死んだのね。
あんなに酷く殴られたはずなのに、今はどこも痛くないのである。それはきっと死んだからに違いないと、みおは思ったのだった。
さて、これから自分はどこに行くのだろう。
どこに連れて行かれるのだろう。
答えはわかっている。
そんなの、地獄に決まっているのだ。
みおは歩き出した。自分のした事は、悪い事だったのかもしれないが、それでも間違ってはいなかったのだと、彼女は確信している。それが為に罰を受けるというなら、受けてやる、と思う。涙なんか、流してやるものか。
ところが。
ふと、霧の向こうから、悲しそうな泣き声が聴こえた、ような気がした。
「誰?何で泣いているの」
声の主を探し、みおは走った。だがいつまで駆けても、見つからないのである。泣き声は彼女のすぐそばで、耳もとで、聴こえているはずなのに。
どんなに走っても、辺りの風景は変わらないのだった。ただ、深い霧が立ち込めている。泣き声は相変わらず、彼女の耳のそばに聴こえている。
一体誰なのだろう。
そんなに悲しい声で泣かないで。
「そうだ、うをうたってあげる。泣きたくなったらうたう歌を」
***
「……かい……あ…………で……」
「みお姉!」
「……あれ、どろろ?」
「気づいたのか!?よかったー。皆無事だぜ。だからみお姉もがんばれ!あと少しで新しい家に着くかんな」
「うん……」
どうやらみおは、誰かに背負われているようだ。暖かい背中。揺れる度に、身体のあちこちが痛んだ。しかし、背負ってくれる人の髪が頬にかかるのがこそばゆくて、みおは頬を緩めた。
何とかかんとか生きている。痛くて辛いことも沢山あるけれど、やっぱり生きてるっていいな、と、しみじみ思うみおだった。
次に目覚めた時には、何処か知らない屋根の下で、莚の上に寝かされていた。ふと横を向くと、すぐ隣に百鬼丸がうつ伏して眠っていた。
涙の跡。
みおは手を伸ばし、百鬼丸のまなじりを指でそっとぬぐった。と、
「うぐっ」
百鬼丸は呻いた。背中にどろろの容赦ない蹴りを喰らったからである。
「うー……」
「ホントにどうしようもねえホゲタラだなぁ 、あにきは。いつまでもメソメソしてねえで、いい加減しゃんとしろ」
みおは苦笑し、莚に肘をついてゆっくりと上体を起こした。
「ちょっ、みお姉は休んでなよ。やらなきゃいけない事は全部おいら達でやってるし」
「でも」
「いいからいいから。侍も追っ払ったし、もう危なくねぇから、安心して寝てて」
すると、みおが起きた事に気付いて、子供達が小屋の中に集まって来た。
「みお姉、大丈夫?」
「大丈夫よ。もう少し休んだら、すぐ元気になっちゃうんだから」
努めて明るく言ったが、子供達の表情は浮かない。子供達は各々目配せし、そして俯いた。
みおは、侍達に襲撃されたときの事を思い出した。サカイの間者ではないかと嫌疑をかけられ、そして、ダイゴの陣で「穢らわしい商い」をしていたのを暴露された。それから皆の前で殴られ、足蹴にされた……。
「おれらの事は、心配しなくていいから。みお姉ががんばらなくても、自分の事は自分で何とかするし……」
タケが言う。タケは物事をよくわかっている。みおが何をして子供達を食わせていたのかも、きっと理解したことだろう。
「さぁさぁ、お前らはもう行った行った!そばで騒いでちゃ、みお姉が休まらねぇだろ。それに何か食えるもん探さねえと」
どろろの一声で子供達は三々五々と小屋を出ていった。そしてみおと百鬼丸の二人きりになった。
百鬼丸は起きて胡座に座り直すと、両手でごしごしと目を擦った。それから目を二、三度瞬かせると、じっとみおを見詰めた。
「み、お……」
「あら、百鬼丸、喋れるようになったのね」
みおは嬉しくて、思わず起き上がった。途端に眩暈がしてよろける。すかさず百鬼丸が受け止め、支えた。
「あいたたた……」
百鬼丸ははっとして、そろそろとみおの二の腕から手を離した。そしてみおが自分で座れるのを確認すると、胡座を組み直した。
ふと、みおは床に種籾袋が置かれているのに気付いた。袋には大きな穴が空いていて、パンパンに詰め込まれていたはずの中身は、半分程度に減っていた。
「あーあ。あとで縫わないとね」
百鬼丸を見ると、彼は眉をハの字に下げて悲しそうな顔をしていた。
「どうしたの?」
百鬼丸は答えない。いつか"自分の声が嫌い"と身振りで訴えてきたときのような顔だ。
「うたってあげようか?百鬼丸、落ち着くんでしょ?」
しかし、百鬼丸は首を横に振った。そして彼はみおの唇に指で触れると、また首を振り、口をぱくぱくと動かして、何かを伝えようとした。みおは百鬼丸の唇の動きを注意深く見詰めた。
「泣きたい ときは 泣く……?」
百鬼丸は深く頷いて、みおに両腕を差し伸べた。
「ありがとう」
みおは百鬼丸の胸に顔を埋めて泣いた。
(おわり)
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