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川原はたのしい

東京へ戻って、百鬼丸はまず最初に所属事務所に顔を出した。それから携帯キャリアのショップへ赴き、新しいスマホを手に入れた。ショップを出た後、未央に帰ったことを知らせるメッセージを送ってみたが、返事はなかった。これはいつもの事だった。彼女は自分のスマホをバッグの奥底に仕舞い込んでいて、着信があってもすぐには確認しないのである。

合鍵でアパートのドアを開ける。室内の様子は彼が出て行った時とあまり変わっていなかったが、とても暑かった。エアコンの入タイマーが夕方4時に設定されていたので、すぐにタイマーを切って冷房をつけた。しばらくスマホの設定をいじるのに夢中になっていたら、未央がどろろを連れて帰ってきた。



***

全くの音信不通のまま三週間近く失踪してしまっていたので、修羅場になるのは覚悟の上だった。が、未央からの提案があまりにも予想外だったので、百鬼丸は頭の中が真っ白になってしまった。

結婚だなんて。

そんな大変なこと、おれには出来ない。

というのが正直な感想で、彼は反射的に「考えさせてくれ」と答えてしまっていた。みる間に未央の表情が曇り、泣きそうな顔になっていった。百鬼丸はいたたまれず、俯いた。

「そうだよね。変な事言ってごめんね」

と未央は言った。


気まずい空気の中、それでも二人で同じベッドに寝た。ただし、百鬼丸は右半身のあちこちを怪我している為に、未央に背を向ける形で寝なければならなかった。かといって今夜は寝る位置を交換しない?などと言い出せる雰囲気でもなかった。

色々あった一日の疲れから、彼はすぐに眠ってしまった。しかし眠りは浅く、真夜中に目覚めてしまった。寝息を立てたまま、意識だけが先に戻った感じである。ふと、背後から鼻をすする音がした。

みお、泣いているのか?

彼はしばらく寝ているふりをしながら耳をそばだてていた。やはり、未央は声を殺して静かに泣いていた。

「みお?」

苦労して仰向けになってみれば、未央の泣き腫らした顔が見えた。百鬼丸はギプスからはみ出た指先で、未央の涙をぬぐった。しかし涙はあとからあとから溢れ出て、彼の指先を濡らす。

その時、百鬼丸は初めて気づいた。

みおだっておれがいないと寂しいのだ。

おれがみおを好きなように、みおもおれを好きなのだ。

そんなことにも今まで気付かなかった自分、そしてこんな時に限って彼女を抱いてやれない自分に、百鬼丸は真底不甲斐なさを感じたのだった。








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