約束はしたけれど
「おかえり」
「たっ……ただいま……」
部屋に入った途端、未央とどろろは膝から崩れ落ちた。テーブルのところになに食わぬ顔で百鬼丸が座っていたからである。傍らには、携帯キャリアの紙袋。百鬼丸は新しいスマホを設定している最中だった。ただし、なに食わぬ顔をしているといっても、右腕はギプスで固定され肩から吊るされているのだったが。
「どうしたの、それ」
未央が震え声で聞くと、百鬼丸はじぶんのスマホと腕のギプスを見やり、首を傾げた。「それ」とはどっちの事?というように。そして、
「車に轢かれた」
と、端的に両方を説明してみせたのだった。要は、交通事故に遭って大怪我をした際にスマホも壊れた、ということなのである。
その夜、未央と百鬼丸はテーブルを挟んで相対した。朝まで二人一緒に過ごせる夜というのは、百鬼丸がこの部屋に住み着いてからこれまでに片手で数えられるくらいしかなかったのだが、そんな貴重な夜に似つかわしい甘い空気は、微塵もなかった。二人とも、ガチガチの正座である。
未央が百鬼丸の目を正面からじっと見ると、百鬼丸はしばし居心地悪そうに目を泳がせ、そして酷い悪戯をしたのが親にバレた時の子供のように、おずおずと未央の様子を伺った。未央はハッとして、両手を肩の高さまで上げて言った。
「あの、出てけとか言うつもりじゃないから、安心して、ね?」
彼はちっとも安心した風ではないが、静かに頷いた。
「私から、一つ提案があるだけなの。嫌だったらもちろん断っていいやつだから」
彼はまた、黙って頷いた。
「あの、あのね」
未央はごくりと生唾を飲んだ。これから自分は、取り返しのつかない事を言おうとしているのだ。
「よかったら、私と結婚してください」
百鬼丸は目を見開いたが、何も応えなかった。未央は俯き、膝の上に重ねた自分の手の甲を見ながら話した。
「……このまま、なんとなくいっしょに暮らしていくのでも、私はほんとは満足なんだけど、今回の件みたいに、いざって時にあなたのところへ駆けつける権利、私にはないでしょ。縁起の悪い事言うけど、あなたがもしどこか遠くで死んじゃっても、私はそれを弔う事も出来ないし、それ以前に報せてもらうことも出来ない。私、そういうの嫌だから」
「考えさせてくれ……」
百鬼丸はそう呟いただけだった。
二人は一つのベッドに背中合わせに寝た。百鬼丸はいつもとは逆の方を向いて眠っている。それは単に折れた腕と鎖骨とひびの入った肋骨を庇っているだけなのだが、未央には彼から拒絶されている様に思えてならなかった。
「たっ……ただいま……」
部屋に入った途端、未央とどろろは膝から崩れ落ちた。テーブルのところになに食わぬ顔で百鬼丸が座っていたからである。傍らには、携帯キャリアの紙袋。百鬼丸は新しいスマホを設定している最中だった。ただし、なに食わぬ顔をしているといっても、右腕はギプスで固定され肩から吊るされているのだったが。
「どうしたの、それ」
未央が震え声で聞くと、百鬼丸はじぶんのスマホと腕のギプスを見やり、首を傾げた。「それ」とはどっちの事?というように。そして、
「車に轢かれた」
と、端的に両方を説明してみせたのだった。要は、交通事故に遭って大怪我をした際にスマホも壊れた、ということなのである。
その夜、未央と百鬼丸はテーブルを挟んで相対した。朝まで二人一緒に過ごせる夜というのは、百鬼丸がこの部屋に住み着いてからこれまでに片手で数えられるくらいしかなかったのだが、そんな貴重な夜に似つかわしい甘い空気は、微塵もなかった。二人とも、ガチガチの正座である。
未央が百鬼丸の目を正面からじっと見ると、百鬼丸はしばし居心地悪そうに目を泳がせ、そして酷い悪戯をしたのが親にバレた時の子供のように、おずおずと未央の様子を伺った。未央はハッとして、両手を肩の高さまで上げて言った。
「あの、出てけとか言うつもりじゃないから、安心して、ね?」
彼はちっとも安心した風ではないが、静かに頷いた。
「私から、一つ提案があるだけなの。嫌だったらもちろん断っていいやつだから」
彼はまた、黙って頷いた。
「あの、あのね」
未央はごくりと生唾を飲んだ。これから自分は、取り返しのつかない事を言おうとしているのだ。
「よかったら、私と結婚してください」
百鬼丸は目を見開いたが、何も応えなかった。未央は俯き、膝の上に重ねた自分の手の甲を見ながら話した。
「……このまま、なんとなくいっしょに暮らしていくのでも、私はほんとは満足なんだけど、今回の件みたいに、いざって時にあなたのところへ駆けつける権利、私にはないでしょ。縁起の悪い事言うけど、あなたがもしどこか遠くで死んじゃっても、私はそれを弔う事も出来ないし、それ以前に報せてもらうことも出来ない。私、そういうの嫌だから」
「考えさせてくれ……」
百鬼丸はそう呟いただけだった。
二人は一つのベッドに背中合わせに寝た。百鬼丸はいつもとは逆の方を向いて眠っている。それは単に折れた腕と鎖骨とひびの入った肋骨を庇っているだけなのだが、未央には彼から拒絶されている様に思えてならなかった。