約束はしたけれど
「連れてって連れてって連れてって連れてってどっか連れてってよーーー!!」
どろろは執念深い。百鬼丸がわかったというまでごねるつもりでいる。ベッドの上で頭からタオルケットを被り芋虫みたいに丸くなっている百鬼丸を、どろろはもう15分以上こうして揺さぶり続けている。
「連れてって連れてって連れてって連れてって!」
「うるさいなぁ。そんなもん親に頼めよ」
百鬼丸はタオルケットの隙間から、目だけ覗かせて言った。
「ダメだね。おいらはいつも仕事と育児の両立を頑張ってるお父ちゃんとおっかちゃんにも夏休みをあげたいんだ。だから祖父ちゃんちに二週間は泊まるって決めたんだけどやること何もなくてつまんないの!!」
「だからってうちに来んなよ……」
「ここあにきの家じゃないじゃん、未央姉の家じゃん、全体的には祖父ちゃんのアパートだい!文句があったら家賃払いやがれこのピチピチパンツ乞食!!」
どろろに蹴り落とされ、百鬼丸は鈍い音をたてて畳の上に転がり落ちた。
「ちょっとどろろ、百鬼丸は今夜はバイトなんだから、寝かせてあげて。最近ずっと帰れないくらい忙しかったんだし」
未央がどろろに言うと、百鬼丸はようやく顔をあげた。
「みおぉ……」
百鬼丸の情けない声に、どろろは一層腹を立てたようだ。
「ぬぁ~にが『みおぉ……』だハゲ!弱虫!おたんこなすのドテカボチャ!そんなんだからいつまで経っても売れねんだこの顔だけ野郎!!」
「そんなことないよ。また明後日からこっちで公演なんだよ、ね、百鬼丸」
「未央姉、そーやって甘やかしてっとマジでこいつスポイルされっぞ。とにかく、どっか連れてくって言うまで居座るからな」
どろろはベッドの真ん中に大の字になった。
「うぅ……おれの寝床が………」
百鬼丸はぐるぐる巻きのまま、干からびる寸前のミミズのようにのたうった。
「はっ、図々しくやることだけやろうとすんじゃねえよ、甲斐性なしの癖に。未央姉の貞操はおいらが守る」
「別にそんなつもりでは……」
百鬼丸はむくりと起き上がり、タオルケットから抜け出た。
「みおの予定はどうなの、まとまった休み取れそう?」
「ちょうど、溜まった有給消化しないとだし、大丈夫だよ」
そうかぁ、と百鬼丸は頭を掻いた。
「うーん……千秋楽が終わってからだな。二週間以上先の予定なんか分からないけど、何か考えとくよ」
と、約束した百鬼丸だったが、翌々日に出掛けたきり、忽然と姿を消してしまったのだった。
彼が急な仕事で帰って来られなくなることも、その間連絡が途絶えてしまう事もよくある事だったので、未央は当初全く心配していなかった。というより人の心配をしている場合ではなかった。何故なら彼女は8月一杯で退職しようとしていたので、仕事の引き継ぎと転職の準備で頭が一杯だったのだ。
未央がもう半月以上も百鬼丸とは音信不通だと言った時、どろろは椅子から転げ落ちそうな勢いで驚いた。何とか体勢を立て直すと、どろろは未央の顔をしげしげと見詰めながら言った。
「未央姉マジかよ。よくそんなん我慢出来るよな。おいらなら出るまで電話かけ続けてやるけど」
「きっと、仕事が忙しいんだよ。前に、"夜収録の仕事のオファーが当日の朝に来るとか稀によくある"って言ってたし。そういうのが立て続いてるんじゃないかな」
「"稀によくある"ってなんだよ。おもいっくそ矛盾してるじゃねえかよ」
未央はアイスコーヒーをしずしずと啜った。どろろはグラスの底に溜まったソーダフロートの最後の一滴を名残惜しそうに吸い尽くし、ストローの吸い口を齧り潰しながら言う。
「未央姉は昭和の女か。そこまで堪え忍ぶ必要なんかねえって。そんなんだとますます付け上がるぞアイツ」
「んー、堪え忍んではいないし、そもそも別に付き合ってる訳じゃないしね、そんなとやかく言う義理はないかなって」
未央の応えに、どろろは目を剥いた。
「えっ……じゃあ、あにきって未央姉の何なの?セフレ?それともただの同居人?」
「ただの同居人の方」
どろろは大袈裟に溜め息を吐いた。
カフェを出て、二人は炎天下の街をぶらぶら歩いた。時刻は午後3時を回ったところで、まだ空気は焼けるように熱せられているものの、日はだいぶ傾いてきている。日光の色合いの僅かな変化に、未央は季節の移り変わりを感じた。
「ともかくさぁ、未央姉、他に女が出来たんならまだしも、どっかで野垂れ死んでるとかもあり得るからさ、とりあえずアイツのバイト先に行って何か連絡来てないか聞いてみようぜ」
だが、バイト先のコンビニにも、彼は何の連絡も寄越していなかった。
「急に連絡取れなくなっちゃってね。あいつは長く勤めてくれてたし、仕事もできるけど、ドタキャンが多いから。辞めてもらおうかどうしようか迷ってんだよねぇ」
店長は頭を掻きつつそう言った。店長がバックヤードに引っ込んでしまうと、ケバい化粧をした若い女性店員が未央を睨み付けた。
「あなた、ヒロちゃんの何なんですか」
「そういうテメエこそあにきの何なん……」
「すいません、すいません、お忙しいところどうもお邪魔しました!」
未央は荒ぶるどろろを引摺るようにして店を出た。
どろろは執念深い。百鬼丸がわかったというまでごねるつもりでいる。ベッドの上で頭からタオルケットを被り芋虫みたいに丸くなっている百鬼丸を、どろろはもう15分以上こうして揺さぶり続けている。
「連れてって連れてって連れてって連れてって!」
「うるさいなぁ。そんなもん親に頼めよ」
百鬼丸はタオルケットの隙間から、目だけ覗かせて言った。
「ダメだね。おいらはいつも仕事と育児の両立を頑張ってるお父ちゃんとおっかちゃんにも夏休みをあげたいんだ。だから祖父ちゃんちに二週間は泊まるって決めたんだけどやること何もなくてつまんないの!!」
「だからってうちに来んなよ……」
「ここあにきの家じゃないじゃん、未央姉の家じゃん、全体的には祖父ちゃんのアパートだい!文句があったら家賃払いやがれこのピチピチパンツ乞食!!」
どろろに蹴り落とされ、百鬼丸は鈍い音をたてて畳の上に転がり落ちた。
「ちょっとどろろ、百鬼丸は今夜はバイトなんだから、寝かせてあげて。最近ずっと帰れないくらい忙しかったんだし」
未央がどろろに言うと、百鬼丸はようやく顔をあげた。
「みおぉ……」
百鬼丸の情けない声に、どろろは一層腹を立てたようだ。
「ぬぁ~にが『みおぉ……』だハゲ!弱虫!おたんこなすのドテカボチャ!そんなんだからいつまで経っても売れねんだこの顔だけ野郎!!」
「そんなことないよ。また明後日からこっちで公演なんだよ、ね、百鬼丸」
「未央姉、そーやって甘やかしてっとマジでこいつスポイルされっぞ。とにかく、どっか連れてくって言うまで居座るからな」
どろろはベッドの真ん中に大の字になった。
「うぅ……おれの寝床が………」
百鬼丸はぐるぐる巻きのまま、干からびる寸前のミミズのようにのたうった。
「はっ、図々しくやることだけやろうとすんじゃねえよ、甲斐性なしの癖に。未央姉の貞操はおいらが守る」
「別にそんなつもりでは……」
百鬼丸はむくりと起き上がり、タオルケットから抜け出た。
「みおの予定はどうなの、まとまった休み取れそう?」
「ちょうど、溜まった有給消化しないとだし、大丈夫だよ」
そうかぁ、と百鬼丸は頭を掻いた。
「うーん……千秋楽が終わってからだな。二週間以上先の予定なんか分からないけど、何か考えとくよ」
と、約束した百鬼丸だったが、翌々日に出掛けたきり、忽然と姿を消してしまったのだった。
彼が急な仕事で帰って来られなくなることも、その間連絡が途絶えてしまう事もよくある事だったので、未央は当初全く心配していなかった。というより人の心配をしている場合ではなかった。何故なら彼女は8月一杯で退職しようとしていたので、仕事の引き継ぎと転職の準備で頭が一杯だったのだ。
未央がもう半月以上も百鬼丸とは音信不通だと言った時、どろろは椅子から転げ落ちそうな勢いで驚いた。何とか体勢を立て直すと、どろろは未央の顔をしげしげと見詰めながら言った。
「未央姉マジかよ。よくそんなん我慢出来るよな。おいらなら出るまで電話かけ続けてやるけど」
「きっと、仕事が忙しいんだよ。前に、"夜収録の仕事のオファーが当日の朝に来るとか稀によくある"って言ってたし。そういうのが立て続いてるんじゃないかな」
「"稀によくある"ってなんだよ。おもいっくそ矛盾してるじゃねえかよ」
未央はアイスコーヒーをしずしずと啜った。どろろはグラスの底に溜まったソーダフロートの最後の一滴を名残惜しそうに吸い尽くし、ストローの吸い口を齧り潰しながら言う。
「未央姉は昭和の女か。そこまで堪え忍ぶ必要なんかねえって。そんなんだとますます付け上がるぞアイツ」
「んー、堪え忍んではいないし、そもそも別に付き合ってる訳じゃないしね、そんなとやかく言う義理はないかなって」
未央の応えに、どろろは目を剥いた。
「えっ……じゃあ、あにきって未央姉の何なの?セフレ?それともただの同居人?」
「ただの同居人の方」
どろろは大袈裟に溜め息を吐いた。
カフェを出て、二人は炎天下の街をぶらぶら歩いた。時刻は午後3時を回ったところで、まだ空気は焼けるように熱せられているものの、日はだいぶ傾いてきている。日光の色合いの僅かな変化に、未央は季節の移り変わりを感じた。
「ともかくさぁ、未央姉、他に女が出来たんならまだしも、どっかで野垂れ死んでるとかもあり得るからさ、とりあえずアイツのバイト先に行って何か連絡来てないか聞いてみようぜ」
だが、バイト先のコンビニにも、彼は何の連絡も寄越していなかった。
「急に連絡取れなくなっちゃってね。あいつは長く勤めてくれてたし、仕事もできるけど、ドタキャンが多いから。辞めてもらおうかどうしようか迷ってんだよねぇ」
店長は頭を掻きつつそう言った。店長がバックヤードに引っ込んでしまうと、ケバい化粧をした若い女性店員が未央を睨み付けた。
「あなた、ヒロちゃんの何なんですか」
「そういうテメエこそあにきの何なん……」
「すいません、すいません、お忙しいところどうもお邪魔しました!」
未央は荒ぶるどろろを引摺るようにして店を出た。