紅葉つ木の葉の愛を知る
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彼女の父親は五人に絞り込んだうちの二人目。
彼は21歳の時点ですでに両親を亡くしており親縁はいない。失踪届は婚約者が出したと記されていた。
「この婚約者、出生も何もかも出鱈目だ。」
「偽装せざるを得ない理由があったんだろう。ま、一般人ではないことは明らかだね。」
失踪届を出した人物の情報を調べれば出てはきたものの明らかに偽物のそれで、誰かが作り上げた虚像に過ぎないようだ。
「じゃあ一体誰が届を…」
「神崎ちゃんの母親さ」
捜索願を出したのは彼が通っていた大学の教授。そしてその7年越しに失踪届を出したのは彼の婚約者と名乗る人物。婚約を交わしていた人物が捜索願を出さなかったのは何故か。
「この男性は神崎ちゃんの母親である女性と失踪したんだ。だから捜索願は別の人物が出した。」
「彼の、この世界での人生に終止符を打つ失踪届を出したのは彼女なりのけじめなんだろう。裏の世界に通づる人間だったのか…自分が何者かは晒せないが、彼を愛した唯一の証拠として婚約者を名乗ったのかもしれないね。」
「でも、それがどうして伊織さんの帰る居場所がどこにもないことに繋がるんですか?」
「…空間系の異能力、ですか」
太宰が顎に手を当ててポツリと呟いた。
もし、彼女がここではないどこか、異能力によって作り上げられた世界で暮らしてたのなら。何らかの影響でその異能力が解除されて突然このヨコハマの地に降り立ったのなら。
あの明らかに不自然だった防犯カメラの映像にも合点が行く。
「異能力の詳細はわからない。が、おそらく神崎ちゃんは母親によって作り出された異能空間で生きてきたんだろう。異能力が解除され、その空間自体が消滅してしまった今、」
「伊織さんの帰る場所も、なくなってしまった、ということですか…」
帰る場所がないなんて悲しい事実を彼女に伝えなければいけないのか、と敦は己の拳を強く握りしめて俯いた。
「彼女の思い出す記憶は父親のことばかりだ。それは作り上げられた異能空間で彼女と彼女の父親だけが本当の存在だったから、なのかもね。」
***
「太宰さん、付き添ってくださってありがとうございました。」
「はは、礼などいらないよ。」
「神崎さんと今日1日を過ごせて私は光栄なのだよ」といつものようにオーバーリアクションな返事をする太宰に伊織は小さく笑みをこぼした。
伊織は朝から役所などを周り戸籍やその他諸々の手続きを終えたところである。太宰におぶられて帰ったあの日から数日後、乱歩たちが解き明かした事実を伝えられた。
まるでおとぎ話のような突拍子のなさだが、何だか妙に納得できた。
涙は、出なかった。いまだに記憶は断片的にしか思い出せていないし、自分が帰っていた家がどんなものだったのかも曖昧だからだろうか。母親の存在と父が自殺した真相は未だ気がかりだが、こればかりは記憶を取り戻さねばどうしようもない。
太宰に手を引かれ、伊織はゆっくり歩き出す。
たくさんの情報を一度に頭に詰め込んだからかほんの少し気だるいような気がする。
「これでようやく探偵社の皆さんにお世話にならずに済みます。改めて、今まで本当にありがとうございました。」
「そんな最後の別れのような挨拶はしないでおくれよ神崎さん」
「えっ、で、でも、これ以上は調査とか、特にその、ないですし…」
「確かに“調査”と言う名目ではもう会えないじゃないか…!」と深刻そうに驚嘆する。しかし太宰は何か閃いたのか目を輝かせながらにっこりと笑みを浮かべた。
「ではこれからは純粋に伊織さんに逢いたいからという理由で逢いに行けるということだね」
「へっ」
「そうだ、それならば連絡先を交換しないと!伊織さん先程契約した携帯はどこに?」
「え、えっと、鞄の中にあ、あります、けど…」
すでにその気になっているのか太宰は立ち止まって伊織のアクションを待っている。断りきれない伊織はオロオロとしながら携帯を取り出した。「操作は私が」と携帯を手に取った彼は手慣れた様子で登録を進める。
「よし、これで大丈夫」
「は、はい、」
「これでいつでも連絡が取れるようになった。ふふ、いつでも連絡しておくれ」
上機嫌にそれを手渡され、伊織はするりと携帯を撫でた。
与謝野さんが言っていた女たらしの意味が何となくわかったような気がして、変にドキドキしていた気持ちが落ち着いた。思えば太宰さんは初めて会った時から歯痒くなるような言葉を投げかけてくれたような。そんな彼の言動に毎回動揺してしまう自分が彼に比べてお子様のようで、何だかすごく恥ずかしい。
そうして再び二人は歩き出す。
「…太宰さんって、とても大人っぽい」
「え、そうかい?」
ついこぼれ落ちた言葉に伊織は慌てて口を覆ったが太宰にも当然聞こえていたようで。黙ってしまうと沈黙に耐えられないような気がして、心の内をほんの少し曝け出す。
「私、太宰さんの言葉とか、触れる仕草に、いつもどきどきして、すごく動揺しちゃいます。」
「思い出せたのは父との記憶ばっかりで。それはつまり、多分私は他の人とはまともに接してこなかったってことで。」
まるで、子供のまま、歳だけが大人になっちゃったみたい。
そう言って伊織は恥ずかしそうに、寂しそうに笑う。
今太宰さんはどんな顔で私を見ているんだろう。呆れているかな、全くその通りだって納得してるのかしら。
喋り出したのは自分なのにすごく後悔が押し寄せてきて、言葉を取り消したくなった。
「奇遇だね。私も神崎さんの言葉や触れる仕草に胸が高鳴るのだよ。」
まさかそんな、とクスクス笑ってしまう。やはり彼は言葉選びが上手というか。きっとそうやってたくさんの女性を虜にしてきたのだろう。
「あっその顔。信じていないようだね?」
「だって。ふふ、太宰さんはいつも余裕綽々なのに、ふふふ」
太宰さんはいつも感情表現が豊かで声を聞いただけで喜怒哀楽がわかってしまう。国木田さんや中島さんを弄ったりしているのもすごく楽しそうで、本当はちょっと笑いを堪えていたりするくらい。
そんな太宰さんが私みたいにどきどきするだなんて信じられないわ。
少し拗ねたような声がまた面白くて思わず顔が綻びる。
「こんなこと話していたら、太宰さんの余裕が崩れたお顔が気になってきちゃいます。」
「触れてみるかい?」
「ふふ、太宰さんは今笑っているでしょう。声で分かってしまうもの。」
やっぱり太宰さんはいつも通り悠揚なまま。私に気を遣ってあんな風に言ってくれたんだ。
優しいひと
曇りがかっていた心に陽の光が差し込んだみたいで心なしか足取りが軽くなった。
*
診療所の前にたどり着くとするりと手が解けた。
先程まで感じていた体温がまだ手のひらに少し残っている。名残惜しいそれを自分の手のひらで逃さぬように包み込んだ。
「ありがとうございました、太宰さん」
「いえいえ」
さようならはまだ言い出せない。
実は、探偵社であの話を聞いてから少し考えたことがあった。謎を解き明かしてこれからの生活の基盤を整えてもらった今、探偵社への依頼は完了している。言う必要はないかと一度は結論づけたものの、今日太宰を目の前にして心の奥にしまったそれをどうしてか吐露したくなったのだ。
俯いて口篭っていると、彼は何かを察したのか「どうかしたかい?」と待ってくれている。
「あ…わたし、…」優しい声にひくと喉が震え、溢れでそうになるなにかを必死に堪える。
「父のこと、まだ少ししか、思い出せてなくて、」
「ああ」
「な、なにかっ、きっかけがあれば、もっと…お、お父さんのこと、思い出せると思うから」
「ああ」
「お父さんをし、知っている人に、あ、あ、会いに行こうと、おもっ、て…」
これは決意表明だ。誰かにそう宣言したら、絶対に逃げられないから。ただ、父を知る人物に会いに行きますとそう報告するだけ、それだけでよかったのに。
少しも急かさないで穏やかに相槌を打ってくれるから、その先の言葉が溢れ出てしまう。
「でも、こ、怖くて…!なんで、怖いのか、自分でもよくわからないけど、怖い、」
震える手を彷徨わせたら、彼も差し伸べてくれたのかすぐそこにあった。それにしがみつくようにきゅっと握りしめる。
「だから…だから、勇気が欲しいの」
小さく一歩踏み出し、伊織は両手の中にある太宰の右手に顔を寄せた。ただ、こうして彼に触れるだけで、頑張れそうなそんな気がした。
心の中で頑張れ、頑張る、頑張れ、頑張る…と何度も何度も唱えていると彼のもう一方の手が頬に触れた。
「君はもっと欲しがっていいのだよ」
そして耳から、髪まで壊れものを扱うかのように優しい手つきで撫ぜ、ゆっくりと頭を引き寄せられる。とんと触れた彼の胸は風に当たっていたせいか少し冷たかったけれど、少しずつ、じんわりと体温が伝わってくる。
「君が望めば私はついていくし、君が安心できるようにこの手を差し伸べることなど造作もない。」
「どうして欲しいんだい?どうか私に君の我儘を聞かせておくれ」
そんなに優しいことを言われたら、本当に我儘になってしまう。
もうこれっきりだから、こんな我儘は絶対に言わないから、と伊織は震える唇を動かした。
「はは、やっぱり貴女はどこまでも慎ましやかなひとだ。」
伊織には太宰の顔は見えない。彼がどんな眼を向けているのかは知る由もない。
今はただ、まどろんでしまうくらい心地の良い彼の言葉に、温かさに身を委ねたいと願うだけ。
_______
どうか今は、手を繋いで離さないで。
彼は21歳の時点ですでに両親を亡くしており親縁はいない。失踪届は婚約者が出したと記されていた。
「この婚約者、出生も何もかも出鱈目だ。」
「偽装せざるを得ない理由があったんだろう。ま、一般人ではないことは明らかだね。」
失踪届を出した人物の情報を調べれば出てはきたものの明らかに偽物のそれで、誰かが作り上げた虚像に過ぎないようだ。
「じゃあ一体誰が届を…」
「神崎ちゃんの母親さ」
捜索願を出したのは彼が通っていた大学の教授。そしてその7年越しに失踪届を出したのは彼の婚約者と名乗る人物。婚約を交わしていた人物が捜索願を出さなかったのは何故か。
「この男性は神崎ちゃんの母親である女性と失踪したんだ。だから捜索願は別の人物が出した。」
「彼の、この世界での人生に終止符を打つ失踪届を出したのは彼女なりのけじめなんだろう。裏の世界に通づる人間だったのか…自分が何者かは晒せないが、彼を愛した唯一の証拠として婚約者を名乗ったのかもしれないね。」
「でも、それがどうして伊織さんの帰る居場所がどこにもないことに繋がるんですか?」
「…空間系の異能力、ですか」
太宰が顎に手を当ててポツリと呟いた。
もし、彼女がここではないどこか、異能力によって作り上げられた世界で暮らしてたのなら。何らかの影響でその異能力が解除されて突然このヨコハマの地に降り立ったのなら。
あの明らかに不自然だった防犯カメラの映像にも合点が行く。
「異能力の詳細はわからない。が、おそらく神崎ちゃんは母親によって作り出された異能空間で生きてきたんだろう。異能力が解除され、その空間自体が消滅してしまった今、」
「伊織さんの帰る場所も、なくなってしまった、ということですか…」
帰る場所がないなんて悲しい事実を彼女に伝えなければいけないのか、と敦は己の拳を強く握りしめて俯いた。
「彼女の思い出す記憶は父親のことばかりだ。それは作り上げられた異能空間で彼女と彼女の父親だけが本当の存在だったから、なのかもね。」
***
「太宰さん、付き添ってくださってありがとうございました。」
「はは、礼などいらないよ。」
「神崎さんと今日1日を過ごせて私は光栄なのだよ」といつものようにオーバーリアクションな返事をする太宰に伊織は小さく笑みをこぼした。
伊織は朝から役所などを周り戸籍やその他諸々の手続きを終えたところである。太宰におぶられて帰ったあの日から数日後、乱歩たちが解き明かした事実を伝えられた。
まるでおとぎ話のような突拍子のなさだが、何だか妙に納得できた。
涙は、出なかった。いまだに記憶は断片的にしか思い出せていないし、自分が帰っていた家がどんなものだったのかも曖昧だからだろうか。母親の存在と父が自殺した真相は未だ気がかりだが、こればかりは記憶を取り戻さねばどうしようもない。
太宰に手を引かれ、伊織はゆっくり歩き出す。
たくさんの情報を一度に頭に詰め込んだからかほんの少し気だるいような気がする。
「これでようやく探偵社の皆さんにお世話にならずに済みます。改めて、今まで本当にありがとうございました。」
「そんな最後の別れのような挨拶はしないでおくれよ神崎さん」
「えっ、で、でも、これ以上は調査とか、特にその、ないですし…」
「確かに“調査”と言う名目ではもう会えないじゃないか…!」と深刻そうに驚嘆する。しかし太宰は何か閃いたのか目を輝かせながらにっこりと笑みを浮かべた。
「ではこれからは純粋に伊織さんに逢いたいからという理由で逢いに行けるということだね」
「へっ」
「そうだ、それならば連絡先を交換しないと!伊織さん先程契約した携帯はどこに?」
「え、えっと、鞄の中にあ、あります、けど…」
すでにその気になっているのか太宰は立ち止まって伊織のアクションを待っている。断りきれない伊織はオロオロとしながら携帯を取り出した。「操作は私が」と携帯を手に取った彼は手慣れた様子で登録を進める。
「よし、これで大丈夫」
「は、はい、」
「これでいつでも連絡が取れるようになった。ふふ、いつでも連絡しておくれ」
上機嫌にそれを手渡され、伊織はするりと携帯を撫でた。
与謝野さんが言っていた女たらしの意味が何となくわかったような気がして、変にドキドキしていた気持ちが落ち着いた。思えば太宰さんは初めて会った時から歯痒くなるような言葉を投げかけてくれたような。そんな彼の言動に毎回動揺してしまう自分が彼に比べてお子様のようで、何だかすごく恥ずかしい。
そうして再び二人は歩き出す。
「…太宰さんって、とても大人っぽい」
「え、そうかい?」
ついこぼれ落ちた言葉に伊織は慌てて口を覆ったが太宰にも当然聞こえていたようで。黙ってしまうと沈黙に耐えられないような気がして、心の内をほんの少し曝け出す。
「私、太宰さんの言葉とか、触れる仕草に、いつもどきどきして、すごく動揺しちゃいます。」
「思い出せたのは父との記憶ばっかりで。それはつまり、多分私は他の人とはまともに接してこなかったってことで。」
まるで、子供のまま、歳だけが大人になっちゃったみたい。
そう言って伊織は恥ずかしそうに、寂しそうに笑う。
今太宰さんはどんな顔で私を見ているんだろう。呆れているかな、全くその通りだって納得してるのかしら。
喋り出したのは自分なのにすごく後悔が押し寄せてきて、言葉を取り消したくなった。
「奇遇だね。私も神崎さんの言葉や触れる仕草に胸が高鳴るのだよ。」
まさかそんな、とクスクス笑ってしまう。やはり彼は言葉選びが上手というか。きっとそうやってたくさんの女性を虜にしてきたのだろう。
「あっその顔。信じていないようだね?」
「だって。ふふ、太宰さんはいつも余裕綽々なのに、ふふふ」
太宰さんはいつも感情表現が豊かで声を聞いただけで喜怒哀楽がわかってしまう。国木田さんや中島さんを弄ったりしているのもすごく楽しそうで、本当はちょっと笑いを堪えていたりするくらい。
そんな太宰さんが私みたいにどきどきするだなんて信じられないわ。
少し拗ねたような声がまた面白くて思わず顔が綻びる。
「こんなこと話していたら、太宰さんの余裕が崩れたお顔が気になってきちゃいます。」
「触れてみるかい?」
「ふふ、太宰さんは今笑っているでしょう。声で分かってしまうもの。」
やっぱり太宰さんはいつも通り悠揚なまま。私に気を遣ってあんな風に言ってくれたんだ。
優しいひと
曇りがかっていた心に陽の光が差し込んだみたいで心なしか足取りが軽くなった。
*
診療所の前にたどり着くとするりと手が解けた。
先程まで感じていた体温がまだ手のひらに少し残っている。名残惜しいそれを自分の手のひらで逃さぬように包み込んだ。
「ありがとうございました、太宰さん」
「いえいえ」
さようならはまだ言い出せない。
実は、探偵社であの話を聞いてから少し考えたことがあった。謎を解き明かしてこれからの生活の基盤を整えてもらった今、探偵社への依頼は完了している。言う必要はないかと一度は結論づけたものの、今日太宰を目の前にして心の奥にしまったそれをどうしてか吐露したくなったのだ。
俯いて口篭っていると、彼は何かを察したのか「どうかしたかい?」と待ってくれている。
「あ…わたし、…」優しい声にひくと喉が震え、溢れでそうになるなにかを必死に堪える。
「父のこと、まだ少ししか、思い出せてなくて、」
「ああ」
「な、なにかっ、きっかけがあれば、もっと…お、お父さんのこと、思い出せると思うから」
「ああ」
「お父さんをし、知っている人に、あ、あ、会いに行こうと、おもっ、て…」
これは決意表明だ。誰かにそう宣言したら、絶対に逃げられないから。ただ、父を知る人物に会いに行きますとそう報告するだけ、それだけでよかったのに。
少しも急かさないで穏やかに相槌を打ってくれるから、その先の言葉が溢れ出てしまう。
「でも、こ、怖くて…!なんで、怖いのか、自分でもよくわからないけど、怖い、」
震える手を彷徨わせたら、彼も差し伸べてくれたのかすぐそこにあった。それにしがみつくようにきゅっと握りしめる。
「だから…だから、勇気が欲しいの」
小さく一歩踏み出し、伊織は両手の中にある太宰の右手に顔を寄せた。ただ、こうして彼に触れるだけで、頑張れそうなそんな気がした。
心の中で頑張れ、頑張る、頑張れ、頑張る…と何度も何度も唱えていると彼のもう一方の手が頬に触れた。
「君はもっと欲しがっていいのだよ」
そして耳から、髪まで壊れものを扱うかのように優しい手つきで撫ぜ、ゆっくりと頭を引き寄せられる。とんと触れた彼の胸は風に当たっていたせいか少し冷たかったけれど、少しずつ、じんわりと体温が伝わってくる。
「君が望めば私はついていくし、君が安心できるようにこの手を差し伸べることなど造作もない。」
「どうして欲しいんだい?どうか私に君の我儘を聞かせておくれ」
そんなに優しいことを言われたら、本当に我儘になってしまう。
もうこれっきりだから、こんな我儘は絶対に言わないから、と伊織は震える唇を動かした。
「はは、やっぱり貴女はどこまでも慎ましやかなひとだ。」
伊織には太宰の顔は見えない。彼がどんな眼を向けているのかは知る由もない。
今はただ、まどろんでしまうくらい心地の良い彼の言葉に、温かさに身を委ねたいと願うだけ。
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どうか今は、手を繋いで離さないで。