紅葉つ木の葉の愛を知る
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「伊織に関する情報が一切出てこなかっただって?」
眉間に皺を寄せる国木田と目を見開いて声を上げる与謝野。
二人がいるのは探偵社の会議室。
伊織を保護してから一夜明け、与謝野は彼女を連れて探偵社へと出勤してきた。彼女を応接間のソファに座らせて国木田に呼ばれたかと思えばことのあらましを聞かされる。
どうやら国木田達は伊織が探偵社を去った後彼女に関する情報の収集を試みたが彼女の出自も何もかも、それらしいものは一つも出てこなかったという。戸籍すらなく、生きた形跡が欠片も見当たらないのだ。
「もしかしたら裏社会に通じる人物かもしれません。それならば戸籍がないことにも合点がいきます。探偵社を狙う刺客の可能性だって…」
「それはないね。」
与謝野は国木田の意見をキッパリと否定する。
「あの子がそういうコトをできる人間に見えるのかい?」
「偽りの姿かもしれない。そういう可能性が0ではないと」
「あれが演技なら名女優さね。
鏡花じゃない誰かが助けていたかもしれない。記憶は混濁しているがあの口ぶりからして普通の暮らしをしていたはずだ。それに昨日確認したが伊織の身体には傷ひとつなかったし武器を扱えるような手や体つきじゃなかった。」
与謝野は矢継ぎ早に反論を繰り出し、国木田は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
確かに昨日のあの様子を見た限りでは悪い人間には見えなかった。だが、ただの一般人ならばどうしてこうも情報が出てこないのか。
深いため息をついて眼鏡を掛け直した。
「与謝野女医 の言い分はわかりました。とにかくもう一度詳しく話を聞きましょう。」
「あァ、そうだね」
こうして二人は会議室を出た。
応接間に向かうと何やら少し騒がしい様子だ。
「あっ、国木田さん良いところに!」
「なんだ敦、騒がしいぞ」
「改めて自己紹介していたんです。昨日いなかった谷崎さんたちも含めて。」
伊織の横に座った敦は彼女に頬を包まれ、側から見れば恋仲の男女のような距離感である。
少しは警戒心を持たんかと心の中で叱咤するが、目が見えない彼女でも区別がつくよう全員の顔や手に触れてもらい特徴を覚えてもらっているらしい。
あとはお前だけだとその場にいる全員から目で訴えかけられる。ほんの少し顔を顰めたが、国木田は伊織の側で膝をつき声をかけた。
「…俺は国木田独歩だ。」
「あ、わ、昨日は、ご迷惑、おかけしてしまい、申し訳ありません。
あら、改めて、神崎伊織です。よろしく、お願いします…」
ぺこりと頭を下げる伊織。
緊張でどもりがちな口調も、こわばって小さく震えている手や仕草も、裏があるようには見えない。だがしかし…
国木田が押し黙っていると太宰がやれやれと肩をすくめた。
「国木田クゥン、そんなに熱烈な視線を神崎さんに送るのは結構だが…彼女は君のことを声でしか判断できないのだよ。少しぐらい特徴を覚えてもらったらどうだい?」
「へっ、ねっねつ!?」
太宰の言葉にドギマギする伊織は彼にされるがまま手を伸ばし、そして国木田の頬にペタリとくっついた。
緊張で一瞬固まったものの、伊織は我に返って勢いよくハンズアップする。
「すすすみません…!!なな、馴れ馴れしく、触ってしまっ、て…!」
ぎゅっと目を瞑り俯く伊織。こちらにまで緊張が伝わってきそうなほど息を詰まらせて、それでも言葉絞り出す。
そもそも太宰に誘導されて触れただけで何の落ち度もないのは重々承知の上だ。そこまで謝られるとなんだか胸が痛むまである。
「謝らないでくれ。いくらでも触れてくれて構わない。」
伊織の右手に自身の手を添え、太宰がやったように顔元まで誘導した。
「あ、ひえ…、しつ、失礼、しししますっ」
彼女は恐る恐ると言った様子で頬に触れる。遠慮がちに触れる指先が少しくすぐったい。
「…眼鏡、かけて、いらっしゃるんですね。」
「ああ。」
顔や髪に触れたあとは腕や手に移る。腕、指や手の甲を確かめる彼女の手は自身の手より一回り小さくほっそりとしている。
与謝野が言っていたように武器など持たぬ、汚れを知らない手だ。紛うことなく、彼女は白であろう。
「失礼しました、もう、大丈夫です。あ、ありがとうございます」
伊織は手を引っ込めてぺこりと頭を下げる。国木田は一歩立ち退いて眼鏡を掛け直す。
「国木田くんが怖がらせるから萎縮してしまってるじゃないか」
太宰があーあーと大袈裟にため息をつきながら国木田を小突いた。
「どうだい伊織、この堅物は」
「ど、どうっ?え、えっと、えぇと…」
与謝野が面白がって笑みを浮かべながら伊織に質問を投げ掛ければ彼女は返答に困ったようにええと…と言葉を探す。
「あ、あの、…と、とても、端正な、お顔立ちを…していらっしゃる、か、と…!」
なんと言うのが正解なのか。頭を悩ませたとて正解がわからぬ伊織は率直な感想を述べて口角を上げる。
国木田は「なっ」と言葉を詰まらせ、裏を感じない彼女の言葉に不覚にも少しだけ頬を赤く染めた。
一瞬の沈黙の後、与謝野や太宰の笑い声が社内に響く。
「よかったじゃないか国木田」
「熱烈な視線を送った甲斐があったね国木田くん」
「…」
ニヤつく与謝野たちにいじり倒される国木田は眉間に皺を寄せて黙っている。伊織のすぐそばで大声を出してはまた怖がらせてしまうとなんとか理性を保っていた。
そんな彼のイラつきを感じ取った敦は慌てた様子で話題を逸らそうと口を開く。
「そ、そういえば伊織さん!一晩休んでみてどうですか?記憶とか…」
伊織がピクリと肩を揺らす。
「その……あ、あまり…変わらなくて…
…すみ、ません…」
「ああ、謝らないでください!別に責めているわけではないので!」
敦は項垂れる伊織に焦りながら声を掛ける。敦が安心させようと優しく励ますも彼女の眉は困ったように下がっていて、しかし不安を悟られまいと無理やり笑みを作っている。
太宰は彼女をじっと見て僅かに目を細めた。
そして国木田を馬鹿にする時とは違う、柔和な笑みを浮かべて「神崎さん」と話しかける。
「私は貴女の不安を取り除きたい。」
「そのためにどうか後一歩、私に、私たちに歩み寄ってはくれないだろうか?」
ずっと俯きがちだった伊織がおずおずと顔を上げる。
歩み寄ってはくれないだろうか、だなんて…
昨日から今まで散々よくしてもらっているのにこれ以上迷惑をかければ罪悪感でこの身が引き裂かれそうになってしまう。もういっそ放ってもらえたのならこんなに息が詰まることもないんじゃないだろうか。
…でも、私一人でなんとかなるんだろうか。
________伊織いいかい?
お前は誰かに支えてもらわなければきっとこれから大変なことや辛いことがたくさんあるから…
「わ、たし…」
伊織に手を差し伸べてくれる優しい人を見つけたのなら、
その手を手放しちゃいけないよ________
「皆さんに、頼っても…い、いいです、か…?」
「あぁ、勿論だとも。」
太宰の言葉に目元が熱くなってくる。込み上げてくる何かを押さえ込むようにギュッと目を瞑って胸に両手を押し付けた。
言葉を詰まらせながら何度もありがとうございますと震える声で伝える伊織の背中を与謝野は優しくさすった。
「やあやあ諸君!!僕の力が必要だと聞きつけてやって来たよ!!」
バンッと大きな音を立てて探偵社のドアが開く。青年の声が響き渡り伊織は驚いて身体を固まらせた。
こちらの空気などつゆ知らず青年はツカツカと歩み寄ってくる。
「君が例の迷子?
ふうん、本当に目が見えないようだね。それに記憶も混濁していると聞いたけどどこまで覚えているのかな?
それにしても目が見えないって興味深いなあ。どれくらい見えないんだい?光は?色はわかる?」
「え、わ、ああ、あの、」
知らない青年が腕を組みながら伊織をじっと見つめて距離を詰める。
伊織は胃がきゅうと痛む程驚きオロオロしながら返事を考える。彼女の背中をさすっていた与謝野は一気に身体に力が入った彼女を不憫に思い助け舟を出した。
「乱歩さん、伊織を驚かせすぎだよ。」
「そうですよ乱歩さん!初対面で質問攻めなんて…」
敦の説教めいた小言に顔を顰めた彼は反省の色をこれっぽっちも見せずに伊織の向かいのソファへどかっと腰掛けた。
「伊織、この人は江戸川乱歩。探偵社きっての名探偵さ。」
「め、名探偵…」
名探偵だなんて、小説やドラマでしか聞いたことがない。本当にそんな人がいるんだ…と惚ける伊織を他所に国木田は彼女について現状知り得る情報を乱歩に報告していた。
「太宰、お前は?」
乱歩は当然の如く太宰に情報を求めた。
「神崎さんがいたであろう場所・時刻の防犯カメラはあらかた調べましたが…16時頃の交差点で、つまり鏡花ちゃんと出会う少し前からしか彼女の姿は確認できませんでしたね。丁度カメラの死角や人で隠れているのか、はたまた…」
太宰は昨日確認した防犯カメラの映像を思い返す。鏡花が出会ったと言っていた交差点付近の防犯カメラは全て確認済み。彼女たちが出会う前、横断歩道を渡る伊織の姿を確認できたのはそのうちの一つのみ。人影に隠れていたのか、渡り切る直前の姿しか確認することができなかったのだ。交差点に差し掛かる前の歩道を移したカメラも確認したが彼女の影すらなかった。
勿論カメラにだって限界というものはある。死角にいたならば映らないのは当然だ。しかし全てのカメラに映らぬように移動するなんて違和感しかない。
「空間系の異能力」
「まあその可能性は捨てきれないだろうね。」
「でも伊織さんは人との接触がなかったと…」
敦は難しい顔をしながらあれこれと思考を巡らせる。
「記憶は?」
「それがやっぱり戻っていないみたいで」
「…君、嘘をついているんじゃないか?昨日と変わらないと。」
「え?どういうことですか、乱歩さん」
乱歩は伊織の様子を薄く開いた眼で観察する。
彼女は何もかも見透かされているような気がして再び俯いた。首筋に汗が伝うような感触があって鳥肌が立つ。
「その……じ、実は、…昨日、よりも、思い出せることが、曖昧に…なっている気が、して…
か、確信が、あるわけじゃないんです、けど…」
国木田は乱歩の言葉にピクリと眉が動いたが、彼女の返答を聞いて小さく息を吐いた。記憶がないと偽り何かを企んでいたのかと嫌な考えが過ったが、どうやら全く見当違いのようだ。状況は芳しくないものの彼女が白だと再認識できたことはまあ喜ばしいことだろう。
それから乱歩はいくつか質問を投げかけて黙り込んだ。
皆が乱歩の次の言葉をじっと待つ。
「うん。分からないね。」
「え?」
ケロッとした顔でそう告げた乱歩に思わず敦は声を上げた。
「乱歩さんでもお手上げかい?こりゃァ参ったねえ。」
「分からないんですか?名探偵の乱歩さんでも?」
「だって手掛かりがあまりにも少なすぎるじゃないか。記憶も曖昧で彼女に関する情報もゼロ。それでどうやって謎を解けって言うんだ。」
「そんなぁ…
…って、言いたいのは伊織さんの方ですよね…すみません、お役に立てなくて…」
「えっ、あ、そんな…!私、皆さんにすごく、すっごく助けられているので…!あ、謝らないで、くださいっ…」
名探偵の登場で解決の糸口が見えたと思っていた敦は乱歩の言い分に落ち込む。そんな彼を励ますように声をかける彼女。逆じゃないか?と言いたくなるこの状況を突っ込もうとするものは誰もおらず…
「君の記憶を少しずつでも取り戻して、手がかりを得ないことには解決できないだろうね。」
「記憶は本当に些細なことをきっかけに突然思い出すモンさ。」
「頑張って、思い、出します。皆さんに、これ以上ご迷惑をおかけしないように…」
「焦ったらダメだよ伊織。ゆっくりと一つずつ思い出していけばいい。」
「は、はい…」
しゅんと小さく縮こまる伊織に太宰は思わず苦笑する。
先ほど確かに私たちを頼るといったはずなのに彼女は迷惑をかけまいと必死に取り繕っている。
「麗しく可憐な女性が曇った表情を浮かべているのは心苦しいな」
そう言って太宰は伊織の右手を掬うと手の甲に唇を落とした。
柔らかくてほんのり温かいその感触に伊織は驚き、身体の内側から熱がカッと広がっていくのを感じた。熱があるのかと思うぐらい顔が熱くて、なんだか耳に届く音が遠く感じる。
すぐさま右手を引っ込めたいと言うのに固まった身体はいうことを聞かず、ごつごつと骨ばった太宰の指が優しく指先を撫ぜるその感触に背中の当たりに今まで感じたことのない感覚が迸った。
暴れ出してしまいそうな心臓の鼓動が痛いくらいだ。
ゴンッ
と鈍い音が響いて太宰の手が離れる。
「止めんか馬鹿たれ!!!」
「ちょ…国木田くん…せっかく良い雰囲気になっていたというのに君は何を…」
「わああ!伊織さん!いき、息して下さい!!」
脳天にゲンコツを落とされた太宰はそこをさすりながら国木田にぶつくさと文句を垂れているが、一方では敦が茹蛸のごとく顔を真っ赤にして微動だにしない伊織に呼吸を促している。
彼女がようやくプハッと息を吐き出したのはそれから数十秒後。真っ赤なままで強く強く右手を握っている。
「しゅみまっ、すすみ、すみませっ、
あわ、わ私、こっ、んな、こと、ななな、慣れていい、いなく、てっ」
まさに純粋、純情と言わんばかりのうぶな反応に太宰はパチリと一つ瞬きをした。
そして次に彼女が口にした言葉にその場にいた全員がポカンと口を開ける。
「す、すごい音、しましたけど…大丈夫ですか…?あ、あの、私、大袈裟に驚いちゃっただけ、なので、その、」
「…いいかい伊織、太宰に優しくしてやる必要なんてないんだよ。あの女たらしに何かされたらすぐ妾に言うんだ。妾がキッツイお灸を据えてやるからね」
「えっ、で、でも、あの、すごく痛そうな声を…」
「アンタは優しい子だねェ…こンっな馬鹿男にまで気を使うなんて」
与謝野はヨシヨシと伊織を撫でて蔑んだ目で太宰を睨む。
「やだなあ与謝野女医」と笑いながら立ち上がった太宰は与謝野だけでなく他の社員からも冷たい目で見られているがケロリとしている。
「では今後彼女は。」
「まあ、探偵社が保護するしかないんじゃない?」
「とは言ってもずっと与謝野女医の元に置いているわけにも…」
「僕から社長に話をつけておこう。」
ほんの少し眉を顰めて飴の包装紙を剥ぎ取る乱歩は飴を口に放り込んでソファから立ち上がった。
「僕は君の見ている世界に興味がある。」
「これからよろしくね神崎さん」
伊織にイチゴのイラストが描かれた飴を手渡すと軽い足取りで応接間を飛び出しそのまま探偵社を後にした。
「私が、見ている…」
小さく呟いた伊織は目元にそっと手を当てた後、左手の中にある飴の存在を確かめるようにゆるく力を込めたのだった。
_______
差し伸べられた手、掴んだ手
眉間に皺を寄せる国木田と目を見開いて声を上げる与謝野。
二人がいるのは探偵社の会議室。
伊織を保護してから一夜明け、与謝野は彼女を連れて探偵社へと出勤してきた。彼女を応接間のソファに座らせて国木田に呼ばれたかと思えばことのあらましを聞かされる。
どうやら国木田達は伊織が探偵社を去った後彼女に関する情報の収集を試みたが彼女の出自も何もかも、それらしいものは一つも出てこなかったという。戸籍すらなく、生きた形跡が欠片も見当たらないのだ。
「もしかしたら裏社会に通じる人物かもしれません。それならば戸籍がないことにも合点がいきます。探偵社を狙う刺客の可能性だって…」
「それはないね。」
与謝野は国木田の意見をキッパリと否定する。
「あの子がそういうコトをできる人間に見えるのかい?」
「偽りの姿かもしれない。そういう可能性が0ではないと」
「あれが演技なら名女優さね。
鏡花じゃない誰かが助けていたかもしれない。記憶は混濁しているがあの口ぶりからして普通の暮らしをしていたはずだ。それに昨日確認したが伊織の身体には傷ひとつなかったし武器を扱えるような手や体つきじゃなかった。」
与謝野は矢継ぎ早に反論を繰り出し、国木田は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
確かに昨日のあの様子を見た限りでは悪い人間には見えなかった。だが、ただの一般人ならばどうしてこうも情報が出てこないのか。
深いため息をついて眼鏡を掛け直した。
「与謝野
「あァ、そうだね」
こうして二人は会議室を出た。
応接間に向かうと何やら少し騒がしい様子だ。
「あっ、国木田さん良いところに!」
「なんだ敦、騒がしいぞ」
「改めて自己紹介していたんです。昨日いなかった谷崎さんたちも含めて。」
伊織の横に座った敦は彼女に頬を包まれ、側から見れば恋仲の男女のような距離感である。
少しは警戒心を持たんかと心の中で叱咤するが、目が見えない彼女でも区別がつくよう全員の顔や手に触れてもらい特徴を覚えてもらっているらしい。
あとはお前だけだとその場にいる全員から目で訴えかけられる。ほんの少し顔を顰めたが、国木田は伊織の側で膝をつき声をかけた。
「…俺は国木田独歩だ。」
「あ、わ、昨日は、ご迷惑、おかけしてしまい、申し訳ありません。
あら、改めて、神崎伊織です。よろしく、お願いします…」
ぺこりと頭を下げる伊織。
緊張でどもりがちな口調も、こわばって小さく震えている手や仕草も、裏があるようには見えない。だがしかし…
国木田が押し黙っていると太宰がやれやれと肩をすくめた。
「国木田クゥン、そんなに熱烈な視線を神崎さんに送るのは結構だが…彼女は君のことを声でしか判断できないのだよ。少しぐらい特徴を覚えてもらったらどうだい?」
「へっ、ねっねつ!?」
太宰の言葉にドギマギする伊織は彼にされるがまま手を伸ばし、そして国木田の頬にペタリとくっついた。
緊張で一瞬固まったものの、伊織は我に返って勢いよくハンズアップする。
「すすすみません…!!なな、馴れ馴れしく、触ってしまっ、て…!」
ぎゅっと目を瞑り俯く伊織。こちらにまで緊張が伝わってきそうなほど息を詰まらせて、それでも言葉絞り出す。
そもそも太宰に誘導されて触れただけで何の落ち度もないのは重々承知の上だ。そこまで謝られるとなんだか胸が痛むまである。
「謝らないでくれ。いくらでも触れてくれて構わない。」
伊織の右手に自身の手を添え、太宰がやったように顔元まで誘導した。
「あ、ひえ…、しつ、失礼、しししますっ」
彼女は恐る恐ると言った様子で頬に触れる。遠慮がちに触れる指先が少しくすぐったい。
「…眼鏡、かけて、いらっしゃるんですね。」
「ああ。」
顔や髪に触れたあとは腕や手に移る。腕、指や手の甲を確かめる彼女の手は自身の手より一回り小さくほっそりとしている。
与謝野が言っていたように武器など持たぬ、汚れを知らない手だ。紛うことなく、彼女は白であろう。
「失礼しました、もう、大丈夫です。あ、ありがとうございます」
伊織は手を引っ込めてぺこりと頭を下げる。国木田は一歩立ち退いて眼鏡を掛け直す。
「国木田くんが怖がらせるから萎縮してしまってるじゃないか」
太宰があーあーと大袈裟にため息をつきながら国木田を小突いた。
「どうだい伊織、この堅物は」
「ど、どうっ?え、えっと、えぇと…」
与謝野が面白がって笑みを浮かべながら伊織に質問を投げ掛ければ彼女は返答に困ったようにええと…と言葉を探す。
「あ、あの、…と、とても、端正な、お顔立ちを…していらっしゃる、か、と…!」
なんと言うのが正解なのか。頭を悩ませたとて正解がわからぬ伊織は率直な感想を述べて口角を上げる。
国木田は「なっ」と言葉を詰まらせ、裏を感じない彼女の言葉に不覚にも少しだけ頬を赤く染めた。
一瞬の沈黙の後、与謝野や太宰の笑い声が社内に響く。
「よかったじゃないか国木田」
「熱烈な視線を送った甲斐があったね国木田くん」
「…」
ニヤつく与謝野たちにいじり倒される国木田は眉間に皺を寄せて黙っている。伊織のすぐそばで大声を出してはまた怖がらせてしまうとなんとか理性を保っていた。
そんな彼のイラつきを感じ取った敦は慌てた様子で話題を逸らそうと口を開く。
「そ、そういえば伊織さん!一晩休んでみてどうですか?記憶とか…」
伊織がピクリと肩を揺らす。
「その……あ、あまり…変わらなくて…
…すみ、ません…」
「ああ、謝らないでください!別に責めているわけではないので!」
敦は項垂れる伊織に焦りながら声を掛ける。敦が安心させようと優しく励ますも彼女の眉は困ったように下がっていて、しかし不安を悟られまいと無理やり笑みを作っている。
太宰は彼女をじっと見て僅かに目を細めた。
そして国木田を馬鹿にする時とは違う、柔和な笑みを浮かべて「神崎さん」と話しかける。
「私は貴女の不安を取り除きたい。」
「そのためにどうか後一歩、私に、私たちに歩み寄ってはくれないだろうか?」
ずっと俯きがちだった伊織がおずおずと顔を上げる。
歩み寄ってはくれないだろうか、だなんて…
昨日から今まで散々よくしてもらっているのにこれ以上迷惑をかければ罪悪感でこの身が引き裂かれそうになってしまう。もういっそ放ってもらえたのならこんなに息が詰まることもないんじゃないだろうか。
…でも、私一人でなんとかなるんだろうか。
________伊織いいかい?
お前は誰かに支えてもらわなければきっとこれから大変なことや辛いことがたくさんあるから…
「わ、たし…」
伊織に手を差し伸べてくれる優しい人を見つけたのなら、
その手を手放しちゃいけないよ________
「皆さんに、頼っても…い、いいです、か…?」
「あぁ、勿論だとも。」
太宰の言葉に目元が熱くなってくる。込み上げてくる何かを押さえ込むようにギュッと目を瞑って胸に両手を押し付けた。
言葉を詰まらせながら何度もありがとうございますと震える声で伝える伊織の背中を与謝野は優しくさすった。
「やあやあ諸君!!僕の力が必要だと聞きつけてやって来たよ!!」
バンッと大きな音を立てて探偵社のドアが開く。青年の声が響き渡り伊織は驚いて身体を固まらせた。
こちらの空気などつゆ知らず青年はツカツカと歩み寄ってくる。
「君が例の迷子?
ふうん、本当に目が見えないようだね。それに記憶も混濁していると聞いたけどどこまで覚えているのかな?
それにしても目が見えないって興味深いなあ。どれくらい見えないんだい?光は?色はわかる?」
「え、わ、ああ、あの、」
知らない青年が腕を組みながら伊織をじっと見つめて距離を詰める。
伊織は胃がきゅうと痛む程驚きオロオロしながら返事を考える。彼女の背中をさすっていた与謝野は一気に身体に力が入った彼女を不憫に思い助け舟を出した。
「乱歩さん、伊織を驚かせすぎだよ。」
「そうですよ乱歩さん!初対面で質問攻めなんて…」
敦の説教めいた小言に顔を顰めた彼は反省の色をこれっぽっちも見せずに伊織の向かいのソファへどかっと腰掛けた。
「伊織、この人は江戸川乱歩。探偵社きっての名探偵さ。」
「め、名探偵…」
名探偵だなんて、小説やドラマでしか聞いたことがない。本当にそんな人がいるんだ…と惚ける伊織を他所に国木田は彼女について現状知り得る情報を乱歩に報告していた。
「太宰、お前は?」
乱歩は当然の如く太宰に情報を求めた。
「神崎さんがいたであろう場所・時刻の防犯カメラはあらかた調べましたが…16時頃の交差点で、つまり鏡花ちゃんと出会う少し前からしか彼女の姿は確認できませんでしたね。丁度カメラの死角や人で隠れているのか、はたまた…」
太宰は昨日確認した防犯カメラの映像を思い返す。鏡花が出会ったと言っていた交差点付近の防犯カメラは全て確認済み。彼女たちが出会う前、横断歩道を渡る伊織の姿を確認できたのはそのうちの一つのみ。人影に隠れていたのか、渡り切る直前の姿しか確認することができなかったのだ。交差点に差し掛かる前の歩道を移したカメラも確認したが彼女の影すらなかった。
勿論カメラにだって限界というものはある。死角にいたならば映らないのは当然だ。しかし全てのカメラに映らぬように移動するなんて違和感しかない。
「空間系の異能力」
「まあその可能性は捨てきれないだろうね。」
「でも伊織さんは人との接触がなかったと…」
敦は難しい顔をしながらあれこれと思考を巡らせる。
「記憶は?」
「それがやっぱり戻っていないみたいで」
「…君、嘘をついているんじゃないか?昨日と変わらないと。」
「え?どういうことですか、乱歩さん」
乱歩は伊織の様子を薄く開いた眼で観察する。
彼女は何もかも見透かされているような気がして再び俯いた。首筋に汗が伝うような感触があって鳥肌が立つ。
「その……じ、実は、…昨日、よりも、思い出せることが、曖昧に…なっている気が、して…
か、確信が、あるわけじゃないんです、けど…」
国木田は乱歩の言葉にピクリと眉が動いたが、彼女の返答を聞いて小さく息を吐いた。記憶がないと偽り何かを企んでいたのかと嫌な考えが過ったが、どうやら全く見当違いのようだ。状況は芳しくないものの彼女が白だと再認識できたことはまあ喜ばしいことだろう。
それから乱歩はいくつか質問を投げかけて黙り込んだ。
皆が乱歩の次の言葉をじっと待つ。
「うん。分からないね。」
「え?」
ケロッとした顔でそう告げた乱歩に思わず敦は声を上げた。
「乱歩さんでもお手上げかい?こりゃァ参ったねえ。」
「分からないんですか?名探偵の乱歩さんでも?」
「だって手掛かりがあまりにも少なすぎるじゃないか。記憶も曖昧で彼女に関する情報もゼロ。それでどうやって謎を解けって言うんだ。」
「そんなぁ…
…って、言いたいのは伊織さんの方ですよね…すみません、お役に立てなくて…」
「えっ、あ、そんな…!私、皆さんにすごく、すっごく助けられているので…!あ、謝らないで、くださいっ…」
名探偵の登場で解決の糸口が見えたと思っていた敦は乱歩の言い分に落ち込む。そんな彼を励ますように声をかける彼女。逆じゃないか?と言いたくなるこの状況を突っ込もうとするものは誰もおらず…
「君の記憶を少しずつでも取り戻して、手がかりを得ないことには解決できないだろうね。」
「記憶は本当に些細なことをきっかけに突然思い出すモンさ。」
「頑張って、思い、出します。皆さんに、これ以上ご迷惑をおかけしないように…」
「焦ったらダメだよ伊織。ゆっくりと一つずつ思い出していけばいい。」
「は、はい…」
しゅんと小さく縮こまる伊織に太宰は思わず苦笑する。
先ほど確かに私たちを頼るといったはずなのに彼女は迷惑をかけまいと必死に取り繕っている。
「麗しく可憐な女性が曇った表情を浮かべているのは心苦しいな」
そう言って太宰は伊織の右手を掬うと手の甲に唇を落とした。
柔らかくてほんのり温かいその感触に伊織は驚き、身体の内側から熱がカッと広がっていくのを感じた。熱があるのかと思うぐらい顔が熱くて、なんだか耳に届く音が遠く感じる。
すぐさま右手を引っ込めたいと言うのに固まった身体はいうことを聞かず、ごつごつと骨ばった太宰の指が優しく指先を撫ぜるその感触に背中の当たりに今まで感じたことのない感覚が迸った。
暴れ出してしまいそうな心臓の鼓動が痛いくらいだ。
ゴンッ
と鈍い音が響いて太宰の手が離れる。
「止めんか馬鹿たれ!!!」
「ちょ…国木田くん…せっかく良い雰囲気になっていたというのに君は何を…」
「わああ!伊織さん!いき、息して下さい!!」
脳天にゲンコツを落とされた太宰はそこをさすりながら国木田にぶつくさと文句を垂れているが、一方では敦が茹蛸のごとく顔を真っ赤にして微動だにしない伊織に呼吸を促している。
彼女がようやくプハッと息を吐き出したのはそれから数十秒後。真っ赤なままで強く強く右手を握っている。
「しゅみまっ、すすみ、すみませっ、
あわ、わ私、こっ、んな、こと、ななな、慣れていい、いなく、てっ」
まさに純粋、純情と言わんばかりのうぶな反応に太宰はパチリと一つ瞬きをした。
そして次に彼女が口にした言葉にその場にいた全員がポカンと口を開ける。
「す、すごい音、しましたけど…大丈夫ですか…?あ、あの、私、大袈裟に驚いちゃっただけ、なので、その、」
「…いいかい伊織、太宰に優しくしてやる必要なんてないんだよ。あの女たらしに何かされたらすぐ妾に言うんだ。妾がキッツイお灸を据えてやるからね」
「えっ、で、でも、あの、すごく痛そうな声を…」
「アンタは優しい子だねェ…こンっな馬鹿男にまで気を使うなんて」
与謝野はヨシヨシと伊織を撫でて蔑んだ目で太宰を睨む。
「やだなあ与謝野女医」と笑いながら立ち上がった太宰は与謝野だけでなく他の社員からも冷たい目で見られているがケロリとしている。
「では今後彼女は。」
「まあ、探偵社が保護するしかないんじゃない?」
「とは言ってもずっと与謝野女医の元に置いているわけにも…」
「僕から社長に話をつけておこう。」
ほんの少し眉を顰めて飴の包装紙を剥ぎ取る乱歩は飴を口に放り込んでソファから立ち上がった。
「僕は君の見ている世界に興味がある。」
「これからよろしくね神崎さん」
伊織にイチゴのイラストが描かれた飴を手渡すと軽い足取りで応接間を飛び出しそのまま探偵社を後にした。
「私が、見ている…」
小さく呟いた伊織は目元にそっと手を当てた後、左手の中にある飴の存在を確かめるようにゆるく力を込めたのだった。
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差し伸べられた手、掴んだ手