紅葉つ木の葉の愛を知る
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コツコツ…
白杖を道に滑らせる音が鳴る。
季節は夏から秋へ。
日の光で照らされほんのりと温かい腕に秋めいた涼しい風が掠める。
伊織はゆったりと足を止め、温かいような、少し肌寒いような空気を吸い込み腕をさすった。
あの山の鮮やかな緑はね、だんだんとその色を変えて、燃えるような赤へと葉の色を変えるんだよ。
毎日毎日、少しずつ染まってゆくんだ。ねえ伊織、とっても不思議だと思わないか?
父の楽しげな声を思い出して小さく笑みを溢す。
伊織の世界に色はない。光も余程強いものでなければ感じぬ彼女の世界は他の人は知り得ぬもので。
「きっと今年も素敵な色に染まるのね。私、お父さんにうまく伝えられるかな…」
小さい声で呟いた伊織は再び白杖を動かし、歩き始めた。
横断歩道に差し掛かり、立ち止まって車が行き交う音を聞く。まもなく信号が青になり歩行者を促すように音が鳴る。
伊織は白杖を握る手にほんの少し力を込めて一歩を踏み出した。
コツ、コツ…
カツン________
白杖の先が歩道の縁石に当たった音がして、右足を半歩大きく動かす。
右足が地面に触れたその瞬間、
何やら違和感を覚えた伊織は数歩進んではたと立ち止まった。
なんだか、突然空気が変わったような、不思議な感覚。
えも言われぬ不安がよぎり、白杖をその場で左右に滑らせた。
おかしい。この歩道にあるはずの点字ブロックに当たらない。突然撤去されたのだろうか?今朝は確かにあったはずなのに。
それに、いつもの反響音と違う。アスファルトに当たる音じゃない。何か、ブロックやタイルのような…
「いつもの道じゃない…?」
道を間違えたのか。一体どこで。今私はどこにいるのか。
突然不安が波のように押し寄せてきて身体が強張ってゆく。
ざわつく心を落ち着かせるように耳を研ぎ澄ませば先ほどまで聞こえていた車の音が明らかに大きい。人も、この時間にはまばらなはずなのに今は私を避けるかのように通り過ぎて行く。
なにか、何かが違う。おかしい。
震える左手を胸に押し当てて、唇をきゅっと噛み締めた。
ドッと背中に衝撃が走りよろめいた伊織はごめんなさい、と掠れた声で謝るも誰からも反応はない。
とにかく、邪魔にならないどこか隅へ。
白杖を動かし、左手をフラフラと彷徨わせながらおぼつかない足取りで壁を探す。たった数歩の距離が今は何キロもあるように感じられ、冷たい煉瓦の壁に触れた瞬間倒れかかるように壁に手をついた。
状況を整理しようにも今の状況が把握できない。
突然、知らない道に迷い込んだのか。
バクバクと波打つ心臓が痛い。冷や汗がたらりとこめかみを伝うその感触にすら鳥肌が立つ。
どうしよう、どうしよう、どうしよう
落ち着こうと息を吸って吐いても、喉がひくついて震えが大きくなるばかりだ。
壁に背中を預けるように体を反転させ、意を決したように口をひらく。
「すみ、すみま、せん…どなたか、」
小さな声で助けを求める。
聞こえていないのか、無視しているのか。多くの人は彼女を素通りしてスタスタと歩いていく。それでも彼女は誰でもいいからと願いながら震える手を彷徨わせていた。
諦めかけたそのとき、スッと手のひらに触れる感触があった。驚いた彼女はその手を引っ込めてしまい、ハクハクと口を動かす。
「あ、あ、」
「どうしたの?」
「あの、私、…あの、その、」
目の前に立つ誰かは声音から女性だとわかる。話しかけたはいいものの一体なんと言えばいいのか、しどろもどろになって上手く話せない。
早く何か言わなくちゃ、いなくなってしまう…!焦りはさらに伊織をパニックに陥れ、口篭ってしまう。
「落ち着いて」
引っ込めた左手がふわりと包まれた。
少し小さなその手は指先まで氷のように冷え切っていた伊織の手をじんわりと温めていく。
ここはどこなのか、私は今どこに立っているのか、車の往来が、人の往来が突然増えたのは何故なのか、
聞きたいことは山ほどある。けれども、どれも初対面の人に話しかけることじゃない気がして。
「近くの、こ、公園まで、どれくらいですか…」
伊織が絞り出した言葉はそれだった。
一瞬の間を置き、目の前の人物が「この道をまっすぐ行って、一つ目の信号を右に曲がったら…」と言いかけたところで何やら考え込む。
「連れて行ってあげる」
「えっ、あ、いえそんな…!」
「貴女具合が悪そうだし、なんだか心配。」
「真っ白な顔してる」と指摘するその人は伊織の左手をぎゅっと握って歩き出した。
とりあえず無難に座ることができそうな公園を目的地としてあげたが、もし知っている道だったとしてあの横断歩道を渡った先に歩いていけるような公園はなかったはずだ。
それでも先導してくれている彼女は“近くの公園”を目指して手を引いてくれている。
知らない道は怖い。何があるのか全く見当もつかないからだ。そんな中、「段差があるから気をつけて」「今から横断歩道を渡るから」と何度も声をかけてくれる彼女には頭があがらない。
数分ほど手を引いて歩いてくれた彼女が「着いた」と声を掛ける。
「あ、あ、ありがとうございます。その、すみませ…お時間、いただいてしまって…」
「ううん、大丈夫。何か他に困っていることがあったら言って」
喉まででかかったたくさんの疑問を飲み込んでブンブンと手を振り頭を下げる伊織。
「そそ、そんな…!もう、もう大丈夫です、すみません、本当に、ありがとうございました…!」
「…そう、」
何か言いたげな、そんな雰囲気を感じ取ったがこれ以上迷惑をかけたくない伊織は気丈に振る舞って何度も大丈夫、大丈夫ですと繰り返した。
それから親切な彼女の足音が遠ざかっていき、聞こえなくなったところで大きく息をついた。
やっぱりもう少し話を聞いて貰えば…でも見ず知らずの人にいくらなんでも頼りすぎだし…ああ、でもどうしよう、家までの道すらもうわかりそうにないわ…
ちょっぴりの後悔、今の状況への不安、頭の中はいろんな考えや思い出溢れてパンクしそうだ。そんなに時間は経っていない筈なのにどっと疲れが押し寄せてきて、目頭が熱くなっていく。鼻を啜い、伊織は白杖を動かして座れそうなベンチを探した。
***
「鏡花ちゃん、おかえり」
「ただいま」
ここは武装探偵社。
鏡花と呼ばれた少女はどうやら使いを頼まれていたようでその報告を終え一息ついたところだ。
彼女に声をかけた青年以外にも数名この社内で仕事をしており、紙を捲る音やキーボードを叩く音が響いている。
自分の仕事を終えたのだろうか、ソファでピンと背筋を伸ばして座っている鏡花のもとに青年がやってきた。
「鏡花ちゃん、何かあった?」
「え?」
図星だったのか、鏡花は目を丸くして青年を見た。
「お使いの帰り、困っていそうな女の人がいた。杖をついていたの、白い杖」
「それってもしかして目が見えない人の?」
「多分。それで、公園までどれくらいなのかって聞かれたから、連れて行ってあげた。」
「そっか。鏡花ちゃんは優しいね。」
「…別に」
人助けだ、偉いね、と笑みを浮かべながら褒める青年に鏡花は少し頬を赤くして大したことじゃないと顔を背けた。
冷たく、そして震えていたあの手の感触を思い出して「でも、」と口を開く。
「着いた後もあまり安心していないような気がした。
ずっと不安そうな。手も声も震えていたし、すごく冷たかった。大丈夫って何度も言うから、それ以上は踏み込めなくて」
「あれで、助けたって言えるのか。私にはわからない。」
「大した心がけだねェ」
「与謝野さん」
「少しでも気がかりなら、もう一度行って確かめてきたらいいんじゃないのかい」
ソフォに肘をつき、ポンポンと鏡花の頭を撫でる彼女は奥でキーボードを叩いている男性に向かって許可を仰ぐ。手を止めた彼は眼鏡を押し上げて鏡花と青年に目を向けた。
「…敦、お前もついていけ。」
「国木田さん…わかりました」
「余計なお世話かもしれない」
「それでも、困っているかもしれないその女性をお前は見過ごせんのだろう。だったら行って、探して確かめて来い。
余計なお世話は人助けの本質だ。」
ポツポツと窓に雨が降りかかる。鏡花は窓の外を見て立ち上がり、敦と目を見合わせた。
「行こう、鏡花ちゃん」
「うん」
駆けていく二人の背中を見届けた国木田は窓の外、薄暗い雨雲を見遣って眼鏡を押し上げたのだった。
***
ベンチに腰掛けた伊織は頭を抱えて項垂れていた。
「おかしい…やっぱり変だわ、…」
夢でも見ているのだろうかと頬をつねってみても意識が覚醒するわけでもなくただ痛い。
一体何がどうなっているのか。このまま家に帰ることができなかったら私はどうなるのだろうか。
鳥肌は立ちっぱなしだし胃が何かにかき混ぜられたようにぐるぐるして気持ち悪い。
こうしてはいられない。とにかく誰かに頼らなくては…もう自分一人だけじゃお手上げだ。
震える足を奮い立たせて白杖をギュッと握りしめた。
「あ…雨…」
ぽたりと頬に降ってきた水滴。ぽつ、ぽつと小さな雨粒が降り始め、伊織は狼狽える。頼れる人を探しに向かうはずが幸先が悪すぎる。
「え、あ、どうしよう…」
だんだんと雨足が強まっていく中、白状を着きながら公園を歩き回る。
「あっ」
震える手に雨、焦りや不安と最悪の条件が重なる伊織は不運にも手を滑らせて白杖を落としてしまった。カラカラと地面に転がったそれを慌てて探す。しゃがんで近くに手を伸ばすもジャリジャリと湿った土がつくばかり。
膝をついて四方へ手を伸ばすのに少しも掠らない。
どうしよう、怖い、早く、早く見つけなくちゃ、
雨か何か、分からぬ水滴が目尻に溜まり、奥歯を噛み締めた。
真っ白く霞んだ視界では何も捉えることができなくて、まるで世界に一人取り残されてしまったかのような孤独が押し寄せてくる。
どうしようもなく項垂れる伊織の元に近づいてくる人影が二つ。
「やっぱりまだここにいた…」
伊織は人の声にハッと顔を上げる。つい先程まで自分に降りかかっていた雨がビニールに弾かれるような音がする。
肩に触れた誰かの手。
そして雨水と土で汚れた自分の手を取って白杖を手に取らせてくれる誰かの手。
「貴女は大丈夫って言ったけど、やっぱり困っているんじゃないかと思って戻ってきた。」
「あ…さっき、み、道案内を、してくれた…」
「私は泉鏡花。それともう一人」
「中島敦です。あ、決して怪しいものではないので安心してください」
「立てる?私の手を握って」
「あ、あの、あ、」
鏡花は伊織を支えて立ち上がらせ、敦は彼女に傘を傾けた。
「今の貴女は放っておけない。」
「とりあえず雨宿りしませんか?僕たちの職場に来てください。」
「え、で、でも…迷惑じゃ、」
「そんな事ないですよ。僕たちは人を助けることが仕事なんです。あ、武装探偵社って言うんですけど」
「ぶ、武装…?探偵…?」
なんだかミスマッチな単語の組み合わせにハテナが浮かぶも彼らに言われるがままされるがまま伊織は武装探偵社へと向かったのだった。
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太陽は雲隠れ
一寸先は闇
白杖を道に滑らせる音が鳴る。
季節は夏から秋へ。
日の光で照らされほんのりと温かい腕に秋めいた涼しい風が掠める。
伊織はゆったりと足を止め、温かいような、少し肌寒いような空気を吸い込み腕をさすった。
あの山の鮮やかな緑はね、だんだんとその色を変えて、燃えるような赤へと葉の色を変えるんだよ。
毎日毎日、少しずつ染まってゆくんだ。ねえ伊織、とっても不思議だと思わないか?
父の楽しげな声を思い出して小さく笑みを溢す。
伊織の世界に色はない。光も余程強いものでなければ感じぬ彼女の世界は他の人は知り得ぬもので。
「きっと今年も素敵な色に染まるのね。私、お父さんにうまく伝えられるかな…」
小さい声で呟いた伊織は再び白杖を動かし、歩き始めた。
横断歩道に差し掛かり、立ち止まって車が行き交う音を聞く。まもなく信号が青になり歩行者を促すように音が鳴る。
伊織は白杖を握る手にほんの少し力を込めて一歩を踏み出した。
コツ、コツ…
カツン________
白杖の先が歩道の縁石に当たった音がして、右足を半歩大きく動かす。
右足が地面に触れたその瞬間、
何やら違和感を覚えた伊織は数歩進んではたと立ち止まった。
なんだか、突然空気が変わったような、不思議な感覚。
えも言われぬ不安がよぎり、白杖をその場で左右に滑らせた。
おかしい。この歩道にあるはずの点字ブロックに当たらない。突然撤去されたのだろうか?今朝は確かにあったはずなのに。
それに、いつもの反響音と違う。アスファルトに当たる音じゃない。何か、ブロックやタイルのような…
「いつもの道じゃない…?」
道を間違えたのか。一体どこで。今私はどこにいるのか。
突然不安が波のように押し寄せてきて身体が強張ってゆく。
ざわつく心を落ち着かせるように耳を研ぎ澄ませば先ほどまで聞こえていた車の音が明らかに大きい。人も、この時間にはまばらなはずなのに今は私を避けるかのように通り過ぎて行く。
なにか、何かが違う。おかしい。
震える左手を胸に押し当てて、唇をきゅっと噛み締めた。
ドッと背中に衝撃が走りよろめいた伊織はごめんなさい、と掠れた声で謝るも誰からも反応はない。
とにかく、邪魔にならないどこか隅へ。
白杖を動かし、左手をフラフラと彷徨わせながらおぼつかない足取りで壁を探す。たった数歩の距離が今は何キロもあるように感じられ、冷たい煉瓦の壁に触れた瞬間倒れかかるように壁に手をついた。
状況を整理しようにも今の状況が把握できない。
突然、知らない道に迷い込んだのか。
バクバクと波打つ心臓が痛い。冷や汗がたらりとこめかみを伝うその感触にすら鳥肌が立つ。
どうしよう、どうしよう、どうしよう
落ち着こうと息を吸って吐いても、喉がひくついて震えが大きくなるばかりだ。
壁に背中を預けるように体を反転させ、意を決したように口をひらく。
「すみ、すみま、せん…どなたか、」
小さな声で助けを求める。
聞こえていないのか、無視しているのか。多くの人は彼女を素通りしてスタスタと歩いていく。それでも彼女は誰でもいいからと願いながら震える手を彷徨わせていた。
諦めかけたそのとき、スッと手のひらに触れる感触があった。驚いた彼女はその手を引っ込めてしまい、ハクハクと口を動かす。
「あ、あ、」
「どうしたの?」
「あの、私、…あの、その、」
目の前に立つ誰かは声音から女性だとわかる。話しかけたはいいものの一体なんと言えばいいのか、しどろもどろになって上手く話せない。
早く何か言わなくちゃ、いなくなってしまう…!焦りはさらに伊織をパニックに陥れ、口篭ってしまう。
「落ち着いて」
引っ込めた左手がふわりと包まれた。
少し小さなその手は指先まで氷のように冷え切っていた伊織の手をじんわりと温めていく。
ここはどこなのか、私は今どこに立っているのか、車の往来が、人の往来が突然増えたのは何故なのか、
聞きたいことは山ほどある。けれども、どれも初対面の人に話しかけることじゃない気がして。
「近くの、こ、公園まで、どれくらいですか…」
伊織が絞り出した言葉はそれだった。
一瞬の間を置き、目の前の人物が「この道をまっすぐ行って、一つ目の信号を右に曲がったら…」と言いかけたところで何やら考え込む。
「連れて行ってあげる」
「えっ、あ、いえそんな…!」
「貴女具合が悪そうだし、なんだか心配。」
「真っ白な顔してる」と指摘するその人は伊織の左手をぎゅっと握って歩き出した。
とりあえず無難に座ることができそうな公園を目的地としてあげたが、もし知っている道だったとしてあの横断歩道を渡った先に歩いていけるような公園はなかったはずだ。
それでも先導してくれている彼女は“近くの公園”を目指して手を引いてくれている。
知らない道は怖い。何があるのか全く見当もつかないからだ。そんな中、「段差があるから気をつけて」「今から横断歩道を渡るから」と何度も声をかけてくれる彼女には頭があがらない。
数分ほど手を引いて歩いてくれた彼女が「着いた」と声を掛ける。
「あ、あ、ありがとうございます。その、すみませ…お時間、いただいてしまって…」
「ううん、大丈夫。何か他に困っていることがあったら言って」
喉まででかかったたくさんの疑問を飲み込んでブンブンと手を振り頭を下げる伊織。
「そそ、そんな…!もう、もう大丈夫です、すみません、本当に、ありがとうございました…!」
「…そう、」
何か言いたげな、そんな雰囲気を感じ取ったがこれ以上迷惑をかけたくない伊織は気丈に振る舞って何度も大丈夫、大丈夫ですと繰り返した。
それから親切な彼女の足音が遠ざかっていき、聞こえなくなったところで大きく息をついた。
やっぱりもう少し話を聞いて貰えば…でも見ず知らずの人にいくらなんでも頼りすぎだし…ああ、でもどうしよう、家までの道すらもうわかりそうにないわ…
ちょっぴりの後悔、今の状況への不安、頭の中はいろんな考えや思い出溢れてパンクしそうだ。そんなに時間は経っていない筈なのにどっと疲れが押し寄せてきて、目頭が熱くなっていく。鼻を啜い、伊織は白杖を動かして座れそうなベンチを探した。
***
「鏡花ちゃん、おかえり」
「ただいま」
ここは武装探偵社。
鏡花と呼ばれた少女はどうやら使いを頼まれていたようでその報告を終え一息ついたところだ。
彼女に声をかけた青年以外にも数名この社内で仕事をしており、紙を捲る音やキーボードを叩く音が響いている。
自分の仕事を終えたのだろうか、ソファでピンと背筋を伸ばして座っている鏡花のもとに青年がやってきた。
「鏡花ちゃん、何かあった?」
「え?」
図星だったのか、鏡花は目を丸くして青年を見た。
「お使いの帰り、困っていそうな女の人がいた。杖をついていたの、白い杖」
「それってもしかして目が見えない人の?」
「多分。それで、公園までどれくらいなのかって聞かれたから、連れて行ってあげた。」
「そっか。鏡花ちゃんは優しいね。」
「…別に」
人助けだ、偉いね、と笑みを浮かべながら褒める青年に鏡花は少し頬を赤くして大したことじゃないと顔を背けた。
冷たく、そして震えていたあの手の感触を思い出して「でも、」と口を開く。
「着いた後もあまり安心していないような気がした。
ずっと不安そうな。手も声も震えていたし、すごく冷たかった。大丈夫って何度も言うから、それ以上は踏み込めなくて」
「あれで、助けたって言えるのか。私にはわからない。」
「大した心がけだねェ」
「与謝野さん」
「少しでも気がかりなら、もう一度行って確かめてきたらいいんじゃないのかい」
ソフォに肘をつき、ポンポンと鏡花の頭を撫でる彼女は奥でキーボードを叩いている男性に向かって許可を仰ぐ。手を止めた彼は眼鏡を押し上げて鏡花と青年に目を向けた。
「…敦、お前もついていけ。」
「国木田さん…わかりました」
「余計なお世話かもしれない」
「それでも、困っているかもしれないその女性をお前は見過ごせんのだろう。だったら行って、探して確かめて来い。
余計なお世話は人助けの本質だ。」
ポツポツと窓に雨が降りかかる。鏡花は窓の外を見て立ち上がり、敦と目を見合わせた。
「行こう、鏡花ちゃん」
「うん」
駆けていく二人の背中を見届けた国木田は窓の外、薄暗い雨雲を見遣って眼鏡を押し上げたのだった。
***
ベンチに腰掛けた伊織は頭を抱えて項垂れていた。
「おかしい…やっぱり変だわ、…」
夢でも見ているのだろうかと頬をつねってみても意識が覚醒するわけでもなくただ痛い。
一体何がどうなっているのか。このまま家に帰ることができなかったら私はどうなるのだろうか。
鳥肌は立ちっぱなしだし胃が何かにかき混ぜられたようにぐるぐるして気持ち悪い。
こうしてはいられない。とにかく誰かに頼らなくては…もう自分一人だけじゃお手上げだ。
震える足を奮い立たせて白杖をギュッと握りしめた。
「あ…雨…」
ぽたりと頬に降ってきた水滴。ぽつ、ぽつと小さな雨粒が降り始め、伊織は狼狽える。頼れる人を探しに向かうはずが幸先が悪すぎる。
「え、あ、どうしよう…」
だんだんと雨足が強まっていく中、白状を着きながら公園を歩き回る。
「あっ」
震える手に雨、焦りや不安と最悪の条件が重なる伊織は不運にも手を滑らせて白杖を落としてしまった。カラカラと地面に転がったそれを慌てて探す。しゃがんで近くに手を伸ばすもジャリジャリと湿った土がつくばかり。
膝をついて四方へ手を伸ばすのに少しも掠らない。
どうしよう、怖い、早く、早く見つけなくちゃ、
雨か何か、分からぬ水滴が目尻に溜まり、奥歯を噛み締めた。
真っ白く霞んだ視界では何も捉えることができなくて、まるで世界に一人取り残されてしまったかのような孤独が押し寄せてくる。
どうしようもなく項垂れる伊織の元に近づいてくる人影が二つ。
「やっぱりまだここにいた…」
伊織は人の声にハッと顔を上げる。つい先程まで自分に降りかかっていた雨がビニールに弾かれるような音がする。
肩に触れた誰かの手。
そして雨水と土で汚れた自分の手を取って白杖を手に取らせてくれる誰かの手。
「貴女は大丈夫って言ったけど、やっぱり困っているんじゃないかと思って戻ってきた。」
「あ…さっき、み、道案内を、してくれた…」
「私は泉鏡花。それともう一人」
「中島敦です。あ、決して怪しいものではないので安心してください」
「立てる?私の手を握って」
「あ、あの、あ、」
鏡花は伊織を支えて立ち上がらせ、敦は彼女に傘を傾けた。
「今の貴女は放っておけない。」
「とりあえず雨宿りしませんか?僕たちの職場に来てください。」
「え、で、でも…迷惑じゃ、」
「そんな事ないですよ。僕たちは人を助けることが仕事なんです。あ、武装探偵社って言うんですけど」
「ぶ、武装…?探偵…?」
なんだかミスマッチな単語の組み合わせにハテナが浮かぶも彼らに言われるがままされるがまま伊織は武装探偵社へと向かったのだった。
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