とある耳が聞こえない女の子が米花町で過ごすお話
デルフィニウムが微笑んだら
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「……」
若干の寝苦しさに布団をずらして寝返りを打つ。ぼんやりと意識が浮上するも眠気に勝てず目を閉じた。
眩しい…
瞼に当たる光を鬱陶しく感じて布団の中に潜り込もうとしたが、あれ?と動きを止める。いつも起きる5時ごろはこんなに明るくはなかったはずだ。
一気に意識が覚醒して飛び起き、部屋の時計を確認すると時刻は7時過ぎ。慌ててベッドから抜け出したかすみはドタバタと階段を降りて居間へ駆け込む。
「あらかすみちゃんおはよう。体調はもう大丈夫とね?」
『おはっ、おはようおばあちゃん!私寝坊、店長に、連絡…!』
焦って手を動かしていると、右手に突っ張るような痛みを感じて顔を歪めた。
「昨日あんなことがあったけん、陽子さんにはもう連絡したよ。お大事にって言っとったからねえ。
さ、とりあえずまずはお風呂でも入っておいで。」
ポンと背中を押されて風呂場へ向かう。戸を閉めてふと自分を見下ろせば昨日の服のままで手首には包帯が巻かれている。服を脱ぎ、傷を見ないように包帯を手早く外した。
シャワーを浴び終えたかすみは居間に戻ると付けっぱなしのテレビをボーッと眺める。
ニュースで流れてくる事故や事件はいつもテレビの向こう側で起きていてどこか現実感がなかったのに。昨日目が合ったあの男性は誰かを殺した犯罪者で、私も歩美ちゃんも、もしかしたら殺されていたかもしれないんだ。
そう考えると全身に鳥肌が立った。
「かすみちゃん」
ガーゼと包帯を持ってきた千代が横に座る。そっとかすみの右手を取り丁寧に包帯を巻いていく。
「体調が良くなったら事情聴取をしたいから警察署に来てほしいって、刑事さんが言っとったよ。どげんしようか?今日はゆっくり休んで明日おばあちゃんも一緒に…」
『ううん、大丈夫。昼頃に行ってくるね。
おばあちゃんこそ、腰の調子が悪いんだし安静にしてなくちゃ。』
「もう…私の心配はよかけん。」
不安げな表情の千代を安心させるように微笑んだかすみは『ありがとう、おばあちゃん』と伝えた。
部屋に戻りスマホを開けばコナンや蘭たちからの心配のメッセージが山のように届いている。今まで見たことのない通知の数に驚きながら辿々しく返事をした。
一通り返信し終えるとスマホを置く。両膝を抱き抱えて頭を埋めた。
心配してくれるのはすごくすごく嬉しい。けど、それと同時に申し訳なさで心が一杯になった。
私、全然役になんか立ってないのに。
膝を抱える手がかすかに震えている。
メールのやり取りはいい。だって顔を合わせなくて済むから。きっと優しいあの子たちは会いにやってくる。私はどんな顔をしたらいいんだろう。
歩美ちゃんは怪我をしなかったとはいえ、私が頼りないせいで怖い思いをさせてしまった。
ずっしりと心が重くて、息がうまく吐けない。
お礼を言わなきゃ、謝らなきゃ。伝えないといけないことはたくさんあるはずなのに、今は会うのが怖くて。
投げ出したスマホの画面がチカチカと光っているが目を逸らし、ベッドの中へと潜り込んだ。
時計の針が真上を指し、それから少し経った頃。かすみは高木刑事がいるらしい警視庁へと赴いていた。聳え立つビルにピリッと緊張が駆け巡ったがリュックの肩紐を握りしめて中に入る。
受付で事情を説明し、ロビーでしばらく待つ。全身に力が入り、唇を噛み締める。何も悪いことはしていないが、警察官がうじゃうじゃといるこの空間では肩身が狭いというか、まあ落ち着かない。
おばあちゃんが言っていた高木刑事ってどんな方なんだろう。こ、怖い方だったらどうしよう…やっぱり一人で来たのは間違いだったかなぁ…
何を聞かれるんだろう。怒られるかな?ちゃんと受け答えできなかったら痺れを切らして、
体を縮こめて両手をきつく握り締めていると、トントンと肩を叩かれた。慌ててソファから立ち上がり顔を上げる。
目の前には想像していた屈強な男性ではなく、ショートヘアでスーツをビシッと着こなした美人な女性が立っていた。ポカンと口を開けてその女性を見つめていると、彼女はメモ帳をこちらに見せながらゆっくりと口を動かす。
『こんにちは。私は佐藤美和子です。高木刑事が今ちょうど別の案件で少し席を外しているの。だから代わりに私に昨日の事件について話してくれるかしら?それに同じ女性同士の方が話しやすいと思うし。』
にっこり笑いかける佐藤にかすみは安堵のため息をついて頷いた。
部屋に通されるとパイプ椅子に座らされる。
わ…ドラマで見たのとおんなじ…
興味深そうに部屋を見渡していたが、佐藤と目が合い慌てて姿勢を正した。
『そんなに畏まらないで。申し訳ないんだけど、お話は筆談でしてもらってもいいかしら?怪我しているのにごめんなさいね。ゆっくりでいいから』
手話は分からなくて…と申し訳なさそうにノートと鉛筆を差し出してきた佐藤に頭を下げる。
それから軽く一言二言言葉を交わすと昨日の事件について話は移った。
当時の状況について聞いてくる彼女から気遣いを感じたため、返答に時間はかかったもののなんとか必要なことは全て話し終えた。
佐藤は記録を取っていた警察官にノートを渡して連絡事項を伝えていたが、かすみの様子に話をやめ、彼女ともう一度向き合った。
『何か、伝えたいことがあるの?』
佐藤の言葉に小さく口を開けて視線を彷徨わせる。しばらくノートをじっと見つめて固まっていたかすみはゆっくり書き始めた。
『私がもっとちゃんとして、他の人に助けを求めていたら
歩美ちゃんが怖い思いをすることはなかったですよね
足音だって聞こえていたら、もっと早くに逃げ切れたかもしれないし
私、大人なのに全然守ってあげられなくて』
俯く彼女の手に触れ、佐藤は微笑みかける。
「あなたの行動は間違っていなかったわ。
もし誰かに助けを求めたら犯人は逆上してもっと危険な行動に出たかもしれない。安易に目立つ行動をせず、冷静に対処できたのは素晴らしいことよ。
それに、守ってあげられなかったなんてとんでもない。身を挺してあの子を助けたじゃない!そんなの誰でもできることじゃないわ。
誇っていいのよ。」
そこまで言い切った佐藤はあっと声を上げた。
『ごめんなさい、私の言ってることわかったかしら…?』と苦笑いを浮かべながらメモ帳を差し出してくる。
かすみは何度も頷いた。深々と頭を下げる。
ほんの少しだけ、心が軽くなった気がした。
事情聴取を終えたかすみは佐藤とともに取調室を出た。
「あら、高木くんやっと来たの?もう終わったわよ。」
「す、すみません…!」
廊下を走ってこちらへ駆け寄ってきた一人の男性に美和子は声を掛ける。男性はかすみを見るといそいそとメモ帳にペンを走らせ、少し身をかがめてそれを見せてきた。
『野中さん、もう具合は大丈夫なんですか?まさか昨日の今日で来るとは思ってなくて、野中さんが来たって連絡が来た時はびっくりしましたよ』
『すみません、自己紹介がまだでした。僕は高木渉です。』
人当たりの良さそうな彼は佐藤に軽く叱られて苦笑を浮かべている。
そうか、この人が…
かすみはリュックからスケッチブックを取り出した。
『あの、昨日はありがとうございました。家まで運んでくださって、本当に申し訳ないです…』
高木は頭を下げるかすみにあわあわと手を振る。
『謝らないでください、それに僕はパトカーで送っただけですし!お礼ならコナンくんと一緒にいた彼の方に言ってあげてください。』
彼とは、
はたと固まっていたかすみは何かを思い出したように口元を押さえた。
す、昴さん…?
そうだ、哀ちゃんと一緒に昴さんがいて、それで、多分肩を支えられていて…
きゅうううと喉の奥が締め付けられるような感覚がする。連絡が来ていたのが子供たちだったからすっかり忘れていた。
面と向かって謝らなければいけない人が増えたことに眩暈を覚える。
「野中さん、大丈夫ですか?」
「顔色が悪いわ、少し休んでいったほうが…」
不安げな顔で気にかけてくれる二人に気づくと、丁寧に断りを入れた。
外まで見送ってくれた彼らに何度も頭を下げたかすみは深いため息をついて歩き出す。
彼女の後ろ姿を見つめながら佐藤は腕を組んだ。
「彼女、大丈夫かしら。」
「顔色悪かったですもんね。やっぱり送っていくべき」
「そうじゃなくて」
ピシャリと言い捨てられた高木は背筋を伸ばして反射的にすみません!と叫んだ。そんな彼にため息を漏らす。
「守ってあげられなかった、なんて言ってたのよ。もっとちゃんとしていたらって。」
佐藤はスーツを握りしめた。『足音が聞こえていたら』と書いていたかすみの表情を思い浮かべる。
「事情聴取は心のケアだって必要なのに、私ちゃんとうまく伝えられた気がしないわ。もっと何か、彼女を自責の念から救ってあげるような言葉があったはずだと思うと…」
「大丈夫です。きっと伝わってますよ。」
高木の言葉に佐藤はキョトンとする。
「心の底から、彼女のことを思って出た言葉なんでしょう?きっと野中さんは佐藤さんの真意を汲み取っているはずです。」
予想だにしなかった励ましに思わず頬が熱くなるのを感じた佐藤は高木の背中を叩いて中へ戻っていく。
「いたっ!?え!?な、なんですか佐藤さん〜!」
「うるさい!いいからとっとと仕事に戻るわよ!」
さっきの男らしさはどこにいったのやら、頼りなさげな高木は急いで佐藤の後を追ったのだった。
かすみは警視庁に来た時に降りたバス停を通り過ぎてそのままフラフラと重い足を動かす。
会いに行かなきゃ、だめだよね…
ありがとうもごめんなさいもちゃんと伝えなくちゃ。
ああ、どうしよう。でも、
ついにかすみの足は人混みの中で止まった。
人が行き交う歩道で立ち止まるなんて、傍迷惑なやつだ。早く動かないと。
動かない足を見つめているとどんどん視界が狭く暗くなっていく。
私なにやってるんだろ
さっきはちょっと心が軽くなった気がしたのに。やっぱりモヤモヤがいつまでも晴れないのだ。
もう、今日は家に帰ろう。そう思って歩き出そうとしたが、不意に後ろから肩を掴まれた。
昨日の出来事が頭の隅をよぎり、全身から血の気が引いていく。すぐさま手を振り払って逃げようと無理矢理足を動かしたらもつれてしまい、地面に手をついた。
乱れる呼吸にバクバクと脈打つ心臓。冷や汗がこめかみあたりを伝う。
狭まる視界に映り込んできたのはいつかの光景を彷彿とさせるものだった。
安室さん…
ブロンドの髪の隙間から覗く瞳は心配そうにこちらを見ている。
「不躾に肩を掴んでしまってすみません、大丈夫ですか?」
『だい、じょうぶです。すみません、びっくりしちゃって』
安室は控えめにかすみの身体を支えつつ立ち上がらせた。
「顔色が悪いですね。どこか場所を移したほうがよさそうだ。」
『い、いえ。お気になさらないでください。全然大丈夫なので…!』
無理矢理口角を引き上げて笑うかすみに首を振り、手を引いて人混みから抜け出す。人気の少ない公園のベンチに着くと彼女を座らせた。
ちょうど木陰になっているそこは日向より涼しく、一休みするにはちょうどいい。俯きがちな彼女の髪が風に揺らいだ。
若干の寝苦しさに布団をずらして寝返りを打つ。ぼんやりと意識が浮上するも眠気に勝てず目を閉じた。
眩しい…
瞼に当たる光を鬱陶しく感じて布団の中に潜り込もうとしたが、あれ?と動きを止める。いつも起きる5時ごろはこんなに明るくはなかったはずだ。
一気に意識が覚醒して飛び起き、部屋の時計を確認すると時刻は7時過ぎ。慌ててベッドから抜け出したかすみはドタバタと階段を降りて居間へ駆け込む。
「あらかすみちゃんおはよう。体調はもう大丈夫とね?」
『おはっ、おはようおばあちゃん!私寝坊、店長に、連絡…!』
焦って手を動かしていると、右手に突っ張るような痛みを感じて顔を歪めた。
「昨日あんなことがあったけん、陽子さんにはもう連絡したよ。お大事にって言っとったからねえ。
さ、とりあえずまずはお風呂でも入っておいで。」
ポンと背中を押されて風呂場へ向かう。戸を閉めてふと自分を見下ろせば昨日の服のままで手首には包帯が巻かれている。服を脱ぎ、傷を見ないように包帯を手早く外した。
シャワーを浴び終えたかすみは居間に戻ると付けっぱなしのテレビをボーッと眺める。
ニュースで流れてくる事故や事件はいつもテレビの向こう側で起きていてどこか現実感がなかったのに。昨日目が合ったあの男性は誰かを殺した犯罪者で、私も歩美ちゃんも、もしかしたら殺されていたかもしれないんだ。
そう考えると全身に鳥肌が立った。
「かすみちゃん」
ガーゼと包帯を持ってきた千代が横に座る。そっとかすみの右手を取り丁寧に包帯を巻いていく。
「体調が良くなったら事情聴取をしたいから警察署に来てほしいって、刑事さんが言っとったよ。どげんしようか?今日はゆっくり休んで明日おばあちゃんも一緒に…」
『ううん、大丈夫。昼頃に行ってくるね。
おばあちゃんこそ、腰の調子が悪いんだし安静にしてなくちゃ。』
「もう…私の心配はよかけん。」
不安げな表情の千代を安心させるように微笑んだかすみは『ありがとう、おばあちゃん』と伝えた。
部屋に戻りスマホを開けばコナンや蘭たちからの心配のメッセージが山のように届いている。今まで見たことのない通知の数に驚きながら辿々しく返事をした。
一通り返信し終えるとスマホを置く。両膝を抱き抱えて頭を埋めた。
心配してくれるのはすごくすごく嬉しい。けど、それと同時に申し訳なさで心が一杯になった。
私、全然役になんか立ってないのに。
膝を抱える手がかすかに震えている。
メールのやり取りはいい。だって顔を合わせなくて済むから。きっと優しいあの子たちは会いにやってくる。私はどんな顔をしたらいいんだろう。
歩美ちゃんは怪我をしなかったとはいえ、私が頼りないせいで怖い思いをさせてしまった。
ずっしりと心が重くて、息がうまく吐けない。
お礼を言わなきゃ、謝らなきゃ。伝えないといけないことはたくさんあるはずなのに、今は会うのが怖くて。
投げ出したスマホの画面がチカチカと光っているが目を逸らし、ベッドの中へと潜り込んだ。
時計の針が真上を指し、それから少し経った頃。かすみは高木刑事がいるらしい警視庁へと赴いていた。聳え立つビルにピリッと緊張が駆け巡ったがリュックの肩紐を握りしめて中に入る。
受付で事情を説明し、ロビーでしばらく待つ。全身に力が入り、唇を噛み締める。何も悪いことはしていないが、警察官がうじゃうじゃといるこの空間では肩身が狭いというか、まあ落ち着かない。
おばあちゃんが言っていた高木刑事ってどんな方なんだろう。こ、怖い方だったらどうしよう…やっぱり一人で来たのは間違いだったかなぁ…
何を聞かれるんだろう。怒られるかな?ちゃんと受け答えできなかったら痺れを切らして、
体を縮こめて両手をきつく握り締めていると、トントンと肩を叩かれた。慌ててソファから立ち上がり顔を上げる。
目の前には想像していた屈強な男性ではなく、ショートヘアでスーツをビシッと着こなした美人な女性が立っていた。ポカンと口を開けてその女性を見つめていると、彼女はメモ帳をこちらに見せながらゆっくりと口を動かす。
『こんにちは。私は佐藤美和子です。高木刑事が今ちょうど別の案件で少し席を外しているの。だから代わりに私に昨日の事件について話してくれるかしら?それに同じ女性同士の方が話しやすいと思うし。』
にっこり笑いかける佐藤にかすみは安堵のため息をついて頷いた。
部屋に通されるとパイプ椅子に座らされる。
わ…ドラマで見たのとおんなじ…
興味深そうに部屋を見渡していたが、佐藤と目が合い慌てて姿勢を正した。
『そんなに畏まらないで。申し訳ないんだけど、お話は筆談でしてもらってもいいかしら?怪我しているのにごめんなさいね。ゆっくりでいいから』
手話は分からなくて…と申し訳なさそうにノートと鉛筆を差し出してきた佐藤に頭を下げる。
それから軽く一言二言言葉を交わすと昨日の事件について話は移った。
当時の状況について聞いてくる彼女から気遣いを感じたため、返答に時間はかかったもののなんとか必要なことは全て話し終えた。
佐藤は記録を取っていた警察官にノートを渡して連絡事項を伝えていたが、かすみの様子に話をやめ、彼女ともう一度向き合った。
『何か、伝えたいことがあるの?』
佐藤の言葉に小さく口を開けて視線を彷徨わせる。しばらくノートをじっと見つめて固まっていたかすみはゆっくり書き始めた。
『私がもっとちゃんとして、他の人に助けを求めていたら
歩美ちゃんが怖い思いをすることはなかったですよね
足音だって聞こえていたら、もっと早くに逃げ切れたかもしれないし
私、大人なのに全然守ってあげられなくて』
俯く彼女の手に触れ、佐藤は微笑みかける。
「あなたの行動は間違っていなかったわ。
もし誰かに助けを求めたら犯人は逆上してもっと危険な行動に出たかもしれない。安易に目立つ行動をせず、冷静に対処できたのは素晴らしいことよ。
それに、守ってあげられなかったなんてとんでもない。身を挺してあの子を助けたじゃない!そんなの誰でもできることじゃないわ。
誇っていいのよ。」
そこまで言い切った佐藤はあっと声を上げた。
『ごめんなさい、私の言ってることわかったかしら…?』と苦笑いを浮かべながらメモ帳を差し出してくる。
かすみは何度も頷いた。深々と頭を下げる。
ほんの少しだけ、心が軽くなった気がした。
事情聴取を終えたかすみは佐藤とともに取調室を出た。
「あら、高木くんやっと来たの?もう終わったわよ。」
「す、すみません…!」
廊下を走ってこちらへ駆け寄ってきた一人の男性に美和子は声を掛ける。男性はかすみを見るといそいそとメモ帳にペンを走らせ、少し身をかがめてそれを見せてきた。
『野中さん、もう具合は大丈夫なんですか?まさか昨日の今日で来るとは思ってなくて、野中さんが来たって連絡が来た時はびっくりしましたよ』
『すみません、自己紹介がまだでした。僕は高木渉です。』
人当たりの良さそうな彼は佐藤に軽く叱られて苦笑を浮かべている。
そうか、この人が…
かすみはリュックからスケッチブックを取り出した。
『あの、昨日はありがとうございました。家まで運んでくださって、本当に申し訳ないです…』
高木は頭を下げるかすみにあわあわと手を振る。
『謝らないでください、それに僕はパトカーで送っただけですし!お礼ならコナンくんと一緒にいた彼の方に言ってあげてください。』
彼とは、
はたと固まっていたかすみは何かを思い出したように口元を押さえた。
す、昴さん…?
そうだ、哀ちゃんと一緒に昴さんがいて、それで、多分肩を支えられていて…
きゅうううと喉の奥が締め付けられるような感覚がする。連絡が来ていたのが子供たちだったからすっかり忘れていた。
面と向かって謝らなければいけない人が増えたことに眩暈を覚える。
「野中さん、大丈夫ですか?」
「顔色が悪いわ、少し休んでいったほうが…」
不安げな顔で気にかけてくれる二人に気づくと、丁寧に断りを入れた。
外まで見送ってくれた彼らに何度も頭を下げたかすみは深いため息をついて歩き出す。
彼女の後ろ姿を見つめながら佐藤は腕を組んだ。
「彼女、大丈夫かしら。」
「顔色悪かったですもんね。やっぱり送っていくべき」
「そうじゃなくて」
ピシャリと言い捨てられた高木は背筋を伸ばして反射的にすみません!と叫んだ。そんな彼にため息を漏らす。
「守ってあげられなかった、なんて言ってたのよ。もっとちゃんとしていたらって。」
佐藤はスーツを握りしめた。『足音が聞こえていたら』と書いていたかすみの表情を思い浮かべる。
「事情聴取は心のケアだって必要なのに、私ちゃんとうまく伝えられた気がしないわ。もっと何か、彼女を自責の念から救ってあげるような言葉があったはずだと思うと…」
「大丈夫です。きっと伝わってますよ。」
高木の言葉に佐藤はキョトンとする。
「心の底から、彼女のことを思って出た言葉なんでしょう?きっと野中さんは佐藤さんの真意を汲み取っているはずです。」
予想だにしなかった励ましに思わず頬が熱くなるのを感じた佐藤は高木の背中を叩いて中へ戻っていく。
「いたっ!?え!?な、なんですか佐藤さん〜!」
「うるさい!いいからとっとと仕事に戻るわよ!」
さっきの男らしさはどこにいったのやら、頼りなさげな高木は急いで佐藤の後を追ったのだった。
かすみは警視庁に来た時に降りたバス停を通り過ぎてそのままフラフラと重い足を動かす。
会いに行かなきゃ、だめだよね…
ありがとうもごめんなさいもちゃんと伝えなくちゃ。
ああ、どうしよう。でも、
ついにかすみの足は人混みの中で止まった。
人が行き交う歩道で立ち止まるなんて、傍迷惑なやつだ。早く動かないと。
動かない足を見つめているとどんどん視界が狭く暗くなっていく。
私なにやってるんだろ
さっきはちょっと心が軽くなった気がしたのに。やっぱりモヤモヤがいつまでも晴れないのだ。
もう、今日は家に帰ろう。そう思って歩き出そうとしたが、不意に後ろから肩を掴まれた。
昨日の出来事が頭の隅をよぎり、全身から血の気が引いていく。すぐさま手を振り払って逃げようと無理矢理足を動かしたらもつれてしまい、地面に手をついた。
乱れる呼吸にバクバクと脈打つ心臓。冷や汗がこめかみあたりを伝う。
狭まる視界に映り込んできたのはいつかの光景を彷彿とさせるものだった。
安室さん…
ブロンドの髪の隙間から覗く瞳は心配そうにこちらを見ている。
「不躾に肩を掴んでしまってすみません、大丈夫ですか?」
『だい、じょうぶです。すみません、びっくりしちゃって』
安室は控えめにかすみの身体を支えつつ立ち上がらせた。
「顔色が悪いですね。どこか場所を移したほうがよさそうだ。」
『い、いえ。お気になさらないでください。全然大丈夫なので…!』
無理矢理口角を引き上げて笑うかすみに首を振り、手を引いて人混みから抜け出す。人気の少ない公園のベンチに着くと彼女を座らせた。
ちょうど木陰になっているそこは日向より涼しく、一休みするにはちょうどいい。俯きがちな彼女の髪が風に揺らいだ。