とある耳が聞こえない女の子が米花町で過ごすお話
デルフィニウムが微笑んだら
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「かすみちゃん、今日も外、晴れとうよ。せっかくだけん、散歩でもせんね?」
かすみとかすみの祖母、千代は手話で会話をする。二人だけの空間には千代の声しか響かない。
引っ越ししてきて早1週間。かすみは仕事や買い出し以外で自ら外に出たことがないのだ。仕事場も近所であるため彼女の生活圏は驚くほどに狭い。
『…ごめんなさい。』
「無理強いしたいわけじゃ、ないんよ。でもほら、この間の子供達に、お礼言えとらんでしょう?」
千代の言葉に手が止まり、かすみは肩をすくませて小さく頷いた。
「せっかく、仲良くしてくれるって、言ってたんだから、ね?」
『でも、1週間、ここに来なかったから…。もう私のこと、覚えてないと、思う。』
「かすみちゃん。」
「自分から、会いに、行かないの?」
かすみは目を見開いて固まった。
自分から…会いに。そんなこと全く考えたことがなかった…。でも、そうだ。当然じゃないか。だって、お礼を言わなきゃいけないのは私で、
『ま、待って。”仲良く”?』
千代の言葉を思い出し慌てて聞き返すと、千代は当然のように頷いた。
『あの子達と、私が?』
「えぇ。」
かすみは驚いてしばらく固まっていたが、ぶんぶんと頭を振って俯いてしまった。千代は彼女の隣へ座り直して膝の上で硬く握られた手をさする。
「…ごめんねえ。私がもっとちゃんとしていたら…。」
「ごめんね、ごめんねぇ、かすみちゃん」
お互い俯いてしまっているから、千代の言葉はかすみには届かない。千代はそれでも何度も何度も謝罪の言葉を口にした。
やはり、何がなんでも、引き離すべきだった。もっと早く…。そしたら貴女は、今よりずっと幸せに、笑って暮らせていたのかもしれないのに。
『おばあちゃん?』
かすみの手が離れてハッと顔を上げると、心配そうな顔でこちらを見ている。
「ねえ、かすみちゃん。これからは、きっと幸せになれるから。もう、誰にも、何にも囚われないで、生きて欲しいの。
おばあちゃんと一緒に、その傷をゆっくり、ゆっくりでいいから、治していこうね。」
『傷なんて、ないよ』
「…ううん、あるんよ。あなたのここに。」
千代はトンとかすみの胸をさす。
あなたの心には、深い傷があるんだよ。守ってあげられなかった。だからこんなにも傷ついてしまって…
千代はそっとかすみを抱きしめて誰にも聴こえないくらい小さな声でつぶやいた。
「これから何年、あなたのそばにいられるかわからないけど…必ず、私が。」
それからまた数日が経ったある日の明け方。
かすみは玄関先でスニーカーの紐をキュッと結び直して立ち上がった。
『おばあちゃん、行ってきます』
「はい、行ってらっしゃい。気をつけてね」
よし、と気合を入れて戸に手をかける。そのままの体勢で固まる彼女に千代は「かすみちゃん?」と声をかけた。すると勢いよく振り返ってズンズンとこちらへ戻ってくるかすみ。
「どげんしたと?かすみちゃん…具合でも悪いん?」
何を聞いても首を振るかすみに千代は心配そうな顔を見せる。
『私、今日、あの子達を探してみようと、思うの。
…み、見つけられないかも、しれないけど。でも、ちゃんと、お礼はしないとだから…!』
千代は目を瞬かせて息を漏らした。頬を真っ赤に染めてフンフンと意気込むかすみはもう一度『行ってきます』と伝えて今度こそ玄関を飛び出していった。パタパタと遠ざかっていく足音が千代の意識を呼び戻す。
「会えるといいねえ。かすみちゃん」
優しくそう呟いた千代は緩む頬を抑えて部屋へと戻っていったのだった。
それからかすみは順調に仕事をこなし、気づけば時計の針は3時を過ぎていた。店長からトントンと肩を叩かれ『今日はもう上がっていいですよ』とメモ書きを見せられる。かすみのパァッと明るくなった顔を見て店長はあら、と目を丸くした。
『今日はこれから何かあるのかしら?千代さんとお出かけ?』
黙々と仕事をこなした後は特に寄り道もせず真っ先に帰ってくると千代から聞いていた店長は彼女がソワソワする理由が気になって仕方がない。
『お礼を言いたい人がいて。今日は、その、探しに行こうと…』
「あら!それじゃ一人で?ま〜!かすみちゃんがなかなか外に出ないって千代さん心配そうにしてたからよかったわぁ!」
店長はおしゃべりさんだ。それもなかなかの早口で次から次へと話を振ってくる。正直文字でのおしゃべり以外はじっと口元をみていても理解できないことだらけ。首を傾げながら困ったように笑うかすみに気付いたところでようやく話がストップする。
「__だからねえ、気をつけなくちゃ、っあ!まー、もう私ったら!ごめんなさいねえ、私ったらまた一人でベラベラと喋っちゃったわ。」
まったく私はなんで何回も…と自分を叱りながらサラサラとメモに文字を書き綴っていく。
『見つかるといいわね。』
店から駆けて行ったかすみの後ろ姿を見て店長はニコニコと笑みを浮かべた。
「行ってらっしゃい、かすみちゃん」
とりあえず、あの子達に会ったところまで来てみたけど…
あの人同じように道端に立ち尽くしたかすみはスマホを握りしめて大きなため息をついた。
いるわけない、か…
困ったようにマップをスイスイと動かして見る。多分、おそらくだけど、あの子達は”丹帝小学校”の児童なんだと思う。理由は単純。マップで見る限り一番現在地から近い小学校がそこだから。
単純すぎ…?と空を仰いでまたもやため息をつく。やっぱり、帰ろうかな、なんて後ろ向きな考えが頭をよぎるが、いやいやと振り払う。
とにかく歩いてみよう。
マップと睨めっこしながら知らない道を練り歩く。耳の聞こえないかすみにとって慣れない道ほど怖いものはない。どこから危険が飛び出してくるか、ドキドキしながら進まなければならない。何度も後ろをチラチラと確認し、曲がり角はできる限りカーブミラーを確認して曲がる。それこそカーブミラーなんて設置していない曲がり角は五万とあるため危険は絶えない。
思った以上に神経を減らす人探しに疲れたかすみは小学校近くの米花公園へと向かった。ベンチに座ってマップを確認するが、この調子じゃ小学校周辺を網羅するまで一体どれだけかかるのか。うぅぅ…と頭を抱えてうずくまる。
小学校に朝から待ち伏せしていた方があの子達に会える気がする。…いや、もし不審がられて誰かに通報なんてされたら…!!
背筋が寒くなったかすみは顔を上げてギュッと手を握った。
あれ?今…
立ち上がって通りの向こう側に目を凝らす。
「っ!!」
急いで公園から飛び出したが横断歩道が赤に切り替わってしまった。信号と子供を交互に見合わせて口から声にならない空気が漏れる。
早く青になって…!と心の中で祈りながら視線を忙しなく動かし続けた。両手に力が入って肌に爪が食い込む。信号が青に切り替わった瞬間、かすみは一目散に子供達が向かった方向へ走った。
多分こっちに曲がったはず…
久々に走ってバクバクと激しく動く心臓を抑えるように胸に手を当てた。
角を曲がってあたりを見渡すが、それらしい人影は見当たらない。大きく一息つくと落ち込みながらとぼとぼ歩き出す。
見失っちゃったか…。
立ち止まって何度目かもわからないため息をついた。
あ、靴紐解けそう。とぼんやり考えていたら突然強い力で引っ張られてドッと何かに包まれる感覚に襲われた。
ふわりとコーヒーの香りが漂う。何が起きたのかわからず目を白黒させていると今度はガクガク肩を揺さぶられた。
「____?!___」
褐色の肌にブロンドの髪。何か焦ったように叫んでいる。はたと自分の今の状況を見渡すと目の前の男性にがっしりと支えられていた。慌てて体制を立て直しとりあえずペコペコと頭を下げる。何が何だかよくわからなくなってカァっと顔が熱くなる。恥ずかしさからすぐその場を立ち去ろうとした瞬間、解けた靴紐を踏みぐらりと体が傾いた。
「っっ!!?」
お腹が急激に圧迫されたかと思えば目の前にはコンクリートの地面が広がっていた。そろりと横を見やると先ほど見たお顔が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
大丈夫ですか?
と男性の口が動く。体勢を立て直してもらうと手を引かれてすぐ目の前の店の中へ連れて行かれた。呆けている間に近くの席まで誘導されて座らされる。
申し訳なさや恥ずかしさやらで俯いていると袖をくいくいっと引っ張られた。視線を上げるとそこには江戸川コナンくんがいた。
驚いて仰け反り、店内を見渡すとボックス席の一角に吉田歩美ちゃんに円谷光彦くん、小嶋元太くんがこちらをじっと見つめているではないか。
あわあわとスマホに文字を打ち込んでいるうちに子供達がこちらへと近寄ってきた。
「コナンくん、君達の知り合いかい?」
「うん、この前道に迷ってたから案内してあげたんだ。」
かすみを店内に連れてきた男性はスマホに文字を打ち込みながら返答するコナンを不思議そうに見ている。『かすみさん、さっきは大丈夫だった?』と打ち込んだそれを見せようと持ち直したとき、
『…この間はっ、本当にありがとうございました。ずっと、お礼が言いたくて…!探していたの。見つけられて、本当によかったです』
席を立って手と口をはくはくと動かした彼女はコナン達に向かって勢いよく頭を下げた。数秒後、ハッと顔を上げたかすみは慌ててスマホに文字を打ち込んで見せる。
「今の手話!僕ちゃんとわかりましたよ!“ありがとう”ですよね?」
光彦の手の動きを見てかすみは驚いたように固まった。
「私たち、ちょっとだけ、手話、覚えたの!」
「俺たちの、言葉、伝わってるか?」
拙いけどしっかりと伝わる歩美や元太の手話に何度も頷く。ドキドキと高鳴る胸と震える指先。
『…すごい、手話、覚えたの?ちゃんとわかるよ。びっくりした。』
じーっとかすみの動きを見つめる光彦達はえーっと…と首を傾げた。
「手話を思えてすげぇって。ちゃんと分かるからびっくりしてるんだってよ。」とコナンが助け舟を出す。三人は嬉しそうにハイタッチをしてはしゃいでいる。
「彼女は難聴者だったのか。だから背後からの自転車に気づかなかった…」
「うん、安室さんがたまたま外掃除をしてたから本当によかった。ボクも途中で気づいたけど、店の中にいたしね。」
かすみは徐に立ち上がるとコナンのそばにいた男性に向かって『先程はありがとうございました』と頭を下げた。
光彦達が得意げにこれはありがとうの手話だと説明するのを苦笑しながら相槌を打つ。
「お怪我はありませんか?」
突然、手話をやってのけた彼に歩美達はえ?と声をあげた。かすみはポカンと口を開けている。
「安室さんって手話できるの?」
「まあ多少はね。」
ウインクをかまされたコナンは目を細めて乾いた笑いをこぼす。末恐ろしい男だ。
「僕は安室透です。ここ喫茶ポアロで、働いています。」
『…っ、わた、私は、野中かすみです。えっと、よ、よろしくお願いします…』
爽やかな笑みを携えてさらりと自己紹介をする安室に慌てて言葉を返す。
「彼らと積もる話もあるでしょうし、どうぞごゆっくり。」
引き際を見極めることのなんとうまいことか。深入りせずにコナン達にこの場を譲った安室は大人の男の余裕が漂っていた。驚きの連続で若干放心状態のかすみを元太や光彦、歩美が彼らの陣取っていた席へと引っ張って行く。
カウンターへと戻っても絶えず聞こえてくる子供達の楽しげな声に思わずクスリと笑みをこぼした。少し上気した頬を覚ますかのように手を当てる彼女をこっそりと盗み見て濃いめのコーヒーを抽出する。カランと涼しげな音を立ててグラスの底に落ちた氷に抽出したコーヒーを静かに注いで行く。からりからりと音を立てて氷が溶けた。
「お待たせしました。アイスコーヒーです。」
彼女の前にグラスを置くと両手を彷徨わせて慌てたように見つめてくる。「コーヒーはお嫌いでしたか?」と聞けば首が取れてしまうんじゃないかと思うくらいに横に振ってペコっと頭を下げた。
分かりやすいヒトだな、と思わず口を隠して笑いを堪える。
「サービスなのでお代は結構ですよ。」
「なので、次回、貴女から足を踏み入れるのをお待ちしています。」
彼女が断る隙を見せずに颯爽とカウンターの奥へ戻ってしまった安室を見てコナンはやれやれとため息をついた。
『かすみお姉さん、気にせずにここはご馳走になりなよ。
それにコイツらにも付き合って欲しいからさっ!ね?』
コナンのお願いにうぐぐ…と頷きながら、安室への謝罪やら感謝やらいろんな感情から次はうんと頼んで売り上げに貢献しよう、と心に誓ったのだった。
かすみとかすみの祖母、千代は手話で会話をする。二人だけの空間には千代の声しか響かない。
引っ越ししてきて早1週間。かすみは仕事や買い出し以外で自ら外に出たことがないのだ。仕事場も近所であるため彼女の生活圏は驚くほどに狭い。
『…ごめんなさい。』
「無理強いしたいわけじゃ、ないんよ。でもほら、この間の子供達に、お礼言えとらんでしょう?」
千代の言葉に手が止まり、かすみは肩をすくませて小さく頷いた。
「せっかく、仲良くしてくれるって、言ってたんだから、ね?」
『でも、1週間、ここに来なかったから…。もう私のこと、覚えてないと、思う。』
「かすみちゃん。」
「自分から、会いに、行かないの?」
かすみは目を見開いて固まった。
自分から…会いに。そんなこと全く考えたことがなかった…。でも、そうだ。当然じゃないか。だって、お礼を言わなきゃいけないのは私で、
『ま、待って。”仲良く”?』
千代の言葉を思い出し慌てて聞き返すと、千代は当然のように頷いた。
『あの子達と、私が?』
「えぇ。」
かすみは驚いてしばらく固まっていたが、ぶんぶんと頭を振って俯いてしまった。千代は彼女の隣へ座り直して膝の上で硬く握られた手をさする。
「…ごめんねえ。私がもっとちゃんとしていたら…。」
「ごめんね、ごめんねぇ、かすみちゃん」
お互い俯いてしまっているから、千代の言葉はかすみには届かない。千代はそれでも何度も何度も謝罪の言葉を口にした。
やはり、何がなんでも、引き離すべきだった。もっと早く…。そしたら貴女は、今よりずっと幸せに、笑って暮らせていたのかもしれないのに。
『おばあちゃん?』
かすみの手が離れてハッと顔を上げると、心配そうな顔でこちらを見ている。
「ねえ、かすみちゃん。これからは、きっと幸せになれるから。もう、誰にも、何にも囚われないで、生きて欲しいの。
おばあちゃんと一緒に、その傷をゆっくり、ゆっくりでいいから、治していこうね。」
『傷なんて、ないよ』
「…ううん、あるんよ。あなたのここに。」
千代はトンとかすみの胸をさす。
あなたの心には、深い傷があるんだよ。守ってあげられなかった。だからこんなにも傷ついてしまって…
千代はそっとかすみを抱きしめて誰にも聴こえないくらい小さな声でつぶやいた。
「これから何年、あなたのそばにいられるかわからないけど…必ず、私が。」
それからまた数日が経ったある日の明け方。
かすみは玄関先でスニーカーの紐をキュッと結び直して立ち上がった。
『おばあちゃん、行ってきます』
「はい、行ってらっしゃい。気をつけてね」
よし、と気合を入れて戸に手をかける。そのままの体勢で固まる彼女に千代は「かすみちゃん?」と声をかけた。すると勢いよく振り返ってズンズンとこちらへ戻ってくるかすみ。
「どげんしたと?かすみちゃん…具合でも悪いん?」
何を聞いても首を振るかすみに千代は心配そうな顔を見せる。
『私、今日、あの子達を探してみようと、思うの。
…み、見つけられないかも、しれないけど。でも、ちゃんと、お礼はしないとだから…!』
千代は目を瞬かせて息を漏らした。頬を真っ赤に染めてフンフンと意気込むかすみはもう一度『行ってきます』と伝えて今度こそ玄関を飛び出していった。パタパタと遠ざかっていく足音が千代の意識を呼び戻す。
「会えるといいねえ。かすみちゃん」
優しくそう呟いた千代は緩む頬を抑えて部屋へと戻っていったのだった。
それからかすみは順調に仕事をこなし、気づけば時計の針は3時を過ぎていた。店長からトントンと肩を叩かれ『今日はもう上がっていいですよ』とメモ書きを見せられる。かすみのパァッと明るくなった顔を見て店長はあら、と目を丸くした。
『今日はこれから何かあるのかしら?千代さんとお出かけ?』
黙々と仕事をこなした後は特に寄り道もせず真っ先に帰ってくると千代から聞いていた店長は彼女がソワソワする理由が気になって仕方がない。
『お礼を言いたい人がいて。今日は、その、探しに行こうと…』
「あら!それじゃ一人で?ま〜!かすみちゃんがなかなか外に出ないって千代さん心配そうにしてたからよかったわぁ!」
店長はおしゃべりさんだ。それもなかなかの早口で次から次へと話を振ってくる。正直文字でのおしゃべり以外はじっと口元をみていても理解できないことだらけ。首を傾げながら困ったように笑うかすみに気付いたところでようやく話がストップする。
「__だからねえ、気をつけなくちゃ、っあ!まー、もう私ったら!ごめんなさいねえ、私ったらまた一人でベラベラと喋っちゃったわ。」
まったく私はなんで何回も…と自分を叱りながらサラサラとメモに文字を書き綴っていく。
『見つかるといいわね。』
店から駆けて行ったかすみの後ろ姿を見て店長はニコニコと笑みを浮かべた。
「行ってらっしゃい、かすみちゃん」
とりあえず、あの子達に会ったところまで来てみたけど…
あの人同じように道端に立ち尽くしたかすみはスマホを握りしめて大きなため息をついた。
いるわけない、か…
困ったようにマップをスイスイと動かして見る。多分、おそらくだけど、あの子達は”丹帝小学校”の児童なんだと思う。理由は単純。マップで見る限り一番現在地から近い小学校がそこだから。
単純すぎ…?と空を仰いでまたもやため息をつく。やっぱり、帰ろうかな、なんて後ろ向きな考えが頭をよぎるが、いやいやと振り払う。
とにかく歩いてみよう。
マップと睨めっこしながら知らない道を練り歩く。耳の聞こえないかすみにとって慣れない道ほど怖いものはない。どこから危険が飛び出してくるか、ドキドキしながら進まなければならない。何度も後ろをチラチラと確認し、曲がり角はできる限りカーブミラーを確認して曲がる。それこそカーブミラーなんて設置していない曲がり角は五万とあるため危険は絶えない。
思った以上に神経を減らす人探しに疲れたかすみは小学校近くの米花公園へと向かった。ベンチに座ってマップを確認するが、この調子じゃ小学校周辺を網羅するまで一体どれだけかかるのか。うぅぅ…と頭を抱えてうずくまる。
小学校に朝から待ち伏せしていた方があの子達に会える気がする。…いや、もし不審がられて誰かに通報なんてされたら…!!
背筋が寒くなったかすみは顔を上げてギュッと手を握った。
あれ?今…
立ち上がって通りの向こう側に目を凝らす。
「っ!!」
急いで公園から飛び出したが横断歩道が赤に切り替わってしまった。信号と子供を交互に見合わせて口から声にならない空気が漏れる。
早く青になって…!と心の中で祈りながら視線を忙しなく動かし続けた。両手に力が入って肌に爪が食い込む。信号が青に切り替わった瞬間、かすみは一目散に子供達が向かった方向へ走った。
多分こっちに曲がったはず…
久々に走ってバクバクと激しく動く心臓を抑えるように胸に手を当てた。
角を曲がってあたりを見渡すが、それらしい人影は見当たらない。大きく一息つくと落ち込みながらとぼとぼ歩き出す。
見失っちゃったか…。
立ち止まって何度目かもわからないため息をついた。
あ、靴紐解けそう。とぼんやり考えていたら突然強い力で引っ張られてドッと何かに包まれる感覚に襲われた。
ふわりとコーヒーの香りが漂う。何が起きたのかわからず目を白黒させていると今度はガクガク肩を揺さぶられた。
「____?!___」
褐色の肌にブロンドの髪。何か焦ったように叫んでいる。はたと自分の今の状況を見渡すと目の前の男性にがっしりと支えられていた。慌てて体制を立て直しとりあえずペコペコと頭を下げる。何が何だかよくわからなくなってカァっと顔が熱くなる。恥ずかしさからすぐその場を立ち去ろうとした瞬間、解けた靴紐を踏みぐらりと体が傾いた。
「っっ!!?」
お腹が急激に圧迫されたかと思えば目の前にはコンクリートの地面が広がっていた。そろりと横を見やると先ほど見たお顔が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
大丈夫ですか?
と男性の口が動く。体勢を立て直してもらうと手を引かれてすぐ目の前の店の中へ連れて行かれた。呆けている間に近くの席まで誘導されて座らされる。
申し訳なさや恥ずかしさやらで俯いていると袖をくいくいっと引っ張られた。視線を上げるとそこには江戸川コナンくんがいた。
驚いて仰け反り、店内を見渡すとボックス席の一角に吉田歩美ちゃんに円谷光彦くん、小嶋元太くんがこちらをじっと見つめているではないか。
あわあわとスマホに文字を打ち込んでいるうちに子供達がこちらへと近寄ってきた。
「コナンくん、君達の知り合いかい?」
「うん、この前道に迷ってたから案内してあげたんだ。」
かすみを店内に連れてきた男性はスマホに文字を打ち込みながら返答するコナンを不思議そうに見ている。『かすみさん、さっきは大丈夫だった?』と打ち込んだそれを見せようと持ち直したとき、
『…この間はっ、本当にありがとうございました。ずっと、お礼が言いたくて…!探していたの。見つけられて、本当によかったです』
席を立って手と口をはくはくと動かした彼女はコナン達に向かって勢いよく頭を下げた。数秒後、ハッと顔を上げたかすみは慌ててスマホに文字を打ち込んで見せる。
「今の手話!僕ちゃんとわかりましたよ!“ありがとう”ですよね?」
光彦の手の動きを見てかすみは驚いたように固まった。
「私たち、ちょっとだけ、手話、覚えたの!」
「俺たちの、言葉、伝わってるか?」
拙いけどしっかりと伝わる歩美や元太の手話に何度も頷く。ドキドキと高鳴る胸と震える指先。
『…すごい、手話、覚えたの?ちゃんとわかるよ。びっくりした。』
じーっとかすみの動きを見つめる光彦達はえーっと…と首を傾げた。
「手話を思えてすげぇって。ちゃんと分かるからびっくりしてるんだってよ。」とコナンが助け舟を出す。三人は嬉しそうにハイタッチをしてはしゃいでいる。
「彼女は難聴者だったのか。だから背後からの自転車に気づかなかった…」
「うん、安室さんがたまたま外掃除をしてたから本当によかった。ボクも途中で気づいたけど、店の中にいたしね。」
かすみは徐に立ち上がるとコナンのそばにいた男性に向かって『先程はありがとうございました』と頭を下げた。
光彦達が得意げにこれはありがとうの手話だと説明するのを苦笑しながら相槌を打つ。
「お怪我はありませんか?」
突然、手話をやってのけた彼に歩美達はえ?と声をあげた。かすみはポカンと口を開けている。
「安室さんって手話できるの?」
「まあ多少はね。」
ウインクをかまされたコナンは目を細めて乾いた笑いをこぼす。末恐ろしい男だ。
「僕は安室透です。ここ喫茶ポアロで、働いています。」
『…っ、わた、私は、野中かすみです。えっと、よ、よろしくお願いします…』
爽やかな笑みを携えてさらりと自己紹介をする安室に慌てて言葉を返す。
「彼らと積もる話もあるでしょうし、どうぞごゆっくり。」
引き際を見極めることのなんとうまいことか。深入りせずにコナン達にこの場を譲った安室は大人の男の余裕が漂っていた。驚きの連続で若干放心状態のかすみを元太や光彦、歩美が彼らの陣取っていた席へと引っ張って行く。
カウンターへと戻っても絶えず聞こえてくる子供達の楽しげな声に思わずクスリと笑みをこぼした。少し上気した頬を覚ますかのように手を当てる彼女をこっそりと盗み見て濃いめのコーヒーを抽出する。カランと涼しげな音を立ててグラスの底に落ちた氷に抽出したコーヒーを静かに注いで行く。からりからりと音を立てて氷が溶けた。
「お待たせしました。アイスコーヒーです。」
彼女の前にグラスを置くと両手を彷徨わせて慌てたように見つめてくる。「コーヒーはお嫌いでしたか?」と聞けば首が取れてしまうんじゃないかと思うくらいに横に振ってペコっと頭を下げた。
分かりやすいヒトだな、と思わず口を隠して笑いを堪える。
「サービスなのでお代は結構ですよ。」
「なので、次回、貴女から足を踏み入れるのをお待ちしています。」
彼女が断る隙を見せずに颯爽とカウンターの奥へ戻ってしまった安室を見てコナンはやれやれとため息をついた。
『かすみお姉さん、気にせずにここはご馳走になりなよ。
それにコイツらにも付き合って欲しいからさっ!ね?』
コナンのお願いにうぐぐ…と頷きながら、安室への謝罪やら感謝やらいろんな感情から次はうんと頼んで売り上げに貢献しよう、と心に誓ったのだった。