とある音大生の女の子が知らない世界に放り出されるお話
第1章 狭間で揺れ動くは儚き花
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「それでは、指導を始めたいと思います!よろしくね、晴太君。」
「よろしくお願いします…って何で銀さん達そんな近くにいるのさ!!」
晴太は自分の目の前に居座る銀時と神楽に突っ込む。
「何でってそりゃあお前、ガキが変な気起こさねえか見張ってるんだよ。見りゃあわかんだろ。」
「おい晴太。オマエ伊織ちゃんが優しいからって甘えるんじゃねぇぞ。」
新八が呆れて声をかけるも二人は全く動こうとしない。結局月詠に「邪魔をするな!」と襟首を掴まれて引きずられる。
伊織はその様子を見てクスクスと笑いながら晴太が持ってきた参考書をパラパラとめくった。
ふむ。大体小4ぐらいの知識かな。
確かにつまづきやすくなってくるレベルのところだもんなぁ。
「おいら分数とか少数とかの計算、全然分からないんだよなー。それに面積を求めるのとか意味わかんないし他もてんでダメ。」
晴太は机に顎を乗せて気怠そうにノートをめくる。
算数がつまらなくて仕方ないようだ。ノートには落書きがちらほらと見受けられる。
成程ねとうなづき、伊織は両手を合わせた。
「よし!じゃあ今日は教科書とか鉛筆も使わずに勉強しよう!」
伊織以外がえぇ?!と驚いた様子で彼女を見つめる。
月詠は指導はどうした?!と心の中で叫んだが、とりあえず様子を見守る。
そんな中、伊織はニコニコしながら一枚のまっさらな紙を手にとって「今回は分数について理解しようか」と言う。
「晴太君は分数ってどんな数字だと思う?」
「どんなって…えーっと、分母と分子がある数?」
「そうだね。分母は1つのものを何個に分けたか、分子はその分けたものが何個あるか、って言うのを表すね。」
………
その後は実際にリンゴを使って神楽達にも参加してもらい丁寧に教える。
わちゃわちゃしつつも的確に質問に答え、分かりやすい解説を行う伊織。
晴太は完全に理解できた!と喜び、伊織とハイタッチをした。
30分ほどの指導が終わり、伊織は再び日輪たちと向かい合った。
「いやあ、驚いたわ。あの晴太がここまで楽しそうに勉強のことを質問したりするなんて。それに短時間でしっかりとお理解したようだしねえ。」
日輪は晴太の頭を撫でながらよかったと笑う。
「伊織先生のスッゲー楽しかったからまたやってほしいくらいだよ!!ねえ、次はいつ来てくれる?!」
「晴太をこれほどまでにやる気にさせるとは。日輪、どうするのじゃ。」
「是非頼みたいわ!伊織さん、うちの晴太をお願いします。」
「え、ほ、本当ですか?!」
まさか頼まれるとは思っていなかった伊織は目を見開いた。
それから日輪が提示した指導料にブンブンと頭を振り、今回の指導料だとお代を渡されるが、顔を青くして遠慮する。押し問答が続いたが最終的に伊織が折れたのだった。
帰り道、伊織は申し訳なさげな顔でお代を眺めている。
「何だか私、突然家に押しかけてくる悪徳セールスマンになった気分です…。本当によかったんでしょうか…。」
「そんなに謙遜しなくてもいいんですよ!それに強引に連れて行ったのは僕たちの方だし。」
「そうそう。これからがっぽりふんだくってやれー。」
伊織はそんなことできませんよお、と苦々しく笑いながらお代をしまった。
*
翌日、さらに事態が急展開を迎える。
晴太が伊織の指導のおかげで初めてテストで高得点を取り、不思議に思った先生が話を聞くと、是非ともうちで手伝いをしてほしい!!と言い出したらしい。
授業が終わった晴太が万事屋に訪れて伊織を寺子屋まで連行し、あれよあれよという間にそこで先生のお手伝いをすることに。
フットワークが軽すぎやしないか?!とクラクラする頭を押さえて考える。この寺子屋で教師をしている田浦先生は涙を流して喜んでいる。
「いやぁ!!本当に助かります!うちは教師が私しかいなくてなかなかたくさんの子供に手が回せなくて!!晴太君が理解できるような指導をした神崎さんがいればきっと子供達も喜びます!!!」
最近かぶき町に来たばかりで、その上身分証も持っていないことを伝えても、それでも構いません!!と言い切る田浦先生。
こうして日輪の時と同様、押し負けた伊織は苦労することなく(?)職をゲットしたのだった。
*
「伊織さん、何もそこまで深刻に考えなくても…」
急いで万事屋に帰った伊織は先程までの出来事を報告した。
嬉しいけれど本当にいいのか?と複雑な面持ちで話す伊織に新八は本当に慎み深い人だなあ、と笑みを溢す。
「それじゃあ明日から伊織ちゃん働きにいくアルか?」
「い、一応…。明日は掃除とか任せてもいいかな…?」
「もちろんです!僕たちのことは気にせずにお仕事頑張ってくださいね。」
「お前あんまり気張りすぎんなよ。そのうちぶっ倒れちまいそうで銀さん心配だわ。」
三人の激励を受けた伊織はパシンと頬を叩いて気合を入れるのであった。
翌日から平日は寺子屋に通った。
伊織は田浦先生の手伝いをしながら子供達ともすぐに仲良くなり、一緒に遊んだりお話をして勉強を教える。いつしか伊織の『よくできました』の頭を撫でる行為は子供達の中で大人気なものに。
また、晴太の家庭教師も大体週1で行い、少しずつ月詠とも仲良くなっていった。
*
大分寒くなってきたなぁ…。
お給料貰ったら一番に買うのは冬用の着物にしようかな。
伊織は寺子屋から万事屋への帰り道で、途中にある橋から川を見下ろしてぼーっと考え事をしていた。
川を見ると元の世界でのあの河川敷を思い出す。ここの川は水が澄んでいて川底が見えるけど、あの川はもっと濁っていた。
望郷の念に駆られて思わずため息が溢れる。
歩き出そうと足を踏み出した時、鼻からつうっと何かがしたってくるのを感じて鼻を抑える。
「うわ、鼻血出てきた…」
止まる気配のないそれに慌ててとりあえず端っこに移動して人に見られないように背を向けた。荷物を置いて、左手で鼻を押さえながら右手で袂の中を探る。ハンカチを取り出したころには顎からポタリと血が滴り、袖が汚れた。
げっと思いながら顔をしかめる。体から血液が流れ出ていくのを感じ、おもわず橋の手すりに手をついた。
目眩に耐えるようにグッと目を瞑って血が止まるのを待つ。
__さ____…さん
「伊織さん?」
声が聞こえた方に顔を向けると、そこには山崎と総悟が立っていた。
「…あぁ。山崎さん、沖田さん。こんにちは。」
「こんにちは。大丈夫?顔色が…って!」
「あんた手が血塗れですぜィ。」
山崎は伊織の手を見て慌て出し、総悟はあれまぁと言いながらまじまじと見てくる。
「あは、すみません…ちょっと鼻血出てきちゃって。」
「ちょ、ハンカチもほぼ真っ赤になっちゃってるし!ええと、ティッシュ!ティッシュ使ってください!!」
差し出されたティッシュを頂こうと手すりにかけていた右手を離した瞬間、ぐらりと目の前が揺れて体が傾く。
すると、山崎の横に立っていた総悟がポスリと伊織の体を受け止めた。
「大丈夫ですかィ」
「…すみません。わ、洋服が…!!」
顔から突っ込んだせいで総悟のスカーフには伊織の血がべとりとついてしまったのだ。
これ以上血がつかないようにグッと顔を背けた。
ようやく山崎からティッシュを受け取って首にまで滴っていた血を拭う。
「すみません、お仕事の邪魔しちゃって…。」
「気にしないでください。今は見廻り終えて屯所に戻るところだったんです。それよりも万事屋まで送りますよ。いいですよね?沖田隊長。」
「勝手にしろ。俺は屯所に戻る。」
「ちょっと!伊織さんのこと心配じゃないんですかあ?!」
「あの!大丈夫です!一人でも帰れるので…!」
本当にありがとうございました、と伊織は頭を下げて荷物を持ち歩き出したが、フラフラと3歩ほど歩いたところでヘナリとしゃがみ込んでしまった。山崎が慌てて駆け寄って伊織の肩を支えるのを横目で見ていた総悟はハァとため息をついてスタスタと近づいてくる。
「どけ。お前荷物持ちな。」
総悟は山崎を蹴って退かし、伊織を片腕に乗せるように持ち上げた。伊織は突然の浮遊感に小さく悲鳴を上げて総悟の肩に手をつく。
しまった…!と思ったが時すでに遅し。彼の隊服には伊織の血の手形が押されている。
「ヒェ…スミマセン…。」
「別にいいでさァ。落ちねえようにしっかり掴まってくだせェ。」
伊織はドギマギしながら控えめに肩の布地を摘んだ。
無言で固まっていると、クスクスと声がして伊織は肩をびくつかせた。
「鼓動が速ぇや。振動が伝わってきやがる。」
「あ、う、すみませ…が、頑張って止めまひゅ」
「はは、それじゃあ死んじまいますぜィ。」
伊織は緊張のあまり噛んでしまったのが恥ずかしく、さらに顔を真っ赤にして身を縮こまらせた。
総悟は「青くなったり赤くなったり大変なこった。」と呑気に笑う。
しばらく歩いたところで万事屋についた。
「ザキぃ、開けろよ。」
「わかってますって!…旦那〜!お邪魔しますよ〜!!」
戸を開けると沖田は当たり前のようにズカズカと入っていく。
「よぉ、チャイナ娘。」
「伊織ちゃん?!…オイお前伊織ちゃんに何したアルか?」
神楽が腕に抱えられた伊織を見て総悟を睨んだ。新八や銀時も何事かと立ち上がって近寄ってくる。
「いつもより帰ってくるの遅いと思ったら…何かあったんですか?」
「実は見廻りの帰りに橋のところで伊織さんを見かけたら鼻血出してフラフラしてたんです。それでここまで送り届けに。」
山崎が事情を説明している間に総悟は伊織を降ろし、伊織は彼にペコリと頭を下げた。
「すみません、ありがとうございました。」
「さっさと顔洗ってきなせェ。」
神楽が伊織に駆け寄り、支えながら洗面所に連れていく。
山崎は新八に伊織の荷物を渡して銀時を見た。
「旦那。伊織さんの顔色前よりも悪くなってませんか?鼻血だしてたからっていうのもあるかもしれないけどなんか、やつれたような…。」
「しかもちょー軽かったですぜィ。」
銀時は眉を潜めて洗面所を見遣った。
手持ち無沙汰になった総悟はくるりと方向転換し、さっさと帰っていく。山崎は隊長!!と叫んで銀時達と総悟を交互に見たが、戸が閉まる音を聞いて「じゃあ、俺達はこれで…」と総悟の後を追っていった。
しばらくしてタオルを抱えた伊織が神楽に連れられ戻ってきた。神楽は心配そうに伊織をソファに座らせる。
伊織はキョロキョロと辺りを見渡した。
「あれ、もしかして沖田さんと山崎さん…」
「ついさっき帰りましたよ。山崎さんがお大事にって。」
「あちゃー…、沖田さんの洋服についちゃった血、洗おうと思っていたんだけど…。今度謝りに行かなきゃ。」
新八と神楽の問いかけにあははと笑いながら大丈夫だよと答える伊織を銀時はじっと見つめる。
「…伊織。お前ちゃんと飯食ってるか?」
「えっ、はい。皆さんと一緒に…」
「あんなちょこっとで本当に足りてるアルか?遠慮してない?」
「ううん、本当にあれで十分だよ。」
「俺たちがいなかった時とか昼間は?今日何食べた?」
「え…と、まぁ、その…」
伊織の視線が泳ぎ、ゴニョゴニョと口籠る。
「食べてないんだな?」
「あの、ええと……あんまり、お腹すかなくて…」
伊織は観念して、困ったように笑いながら小さく呟いた。
オイオイマジかよと銀時は顔に手を当てる。
「ダメじゃないですか伊織さん!そんなんじゃ身体壊しちゃいますよ。」
「まったくもってその通りネ。だから鼻血出たアル!」
「え、え、鼻血は偶然だよ?体調も、全然大丈夫。」
ほらあ!と力瘤を見せるように腕を曲げるが細くて肉の薄い腕が貧弱さを増長するだけだ。
そういえば桂も顔色が悪いって言ってたな、とぼんやり思いだす。
少食の奴ってこんなもんなのか?と考えてみるも、自分の周りにいる奴で伊織と同じくらい食が細い人物など思い浮かばず、すぐに思考を放棄した。
「とりあえず、これからは腹空いてなくてもなんか食え。いいな?」
「はい…」
伊織は項垂れて返事をした。
その後は夕飯を準備しようとする伊織を新八が止め、いつもよりたくさん食べさせようと神楽が躍起になったり…。
伊織は大袈裟だよと眉を下げて笑いながら、二人を安心させようと元気よく振る舞った。
部屋に月明かりが溢れる真夜中。
銀時は珍しくまだ意識があり、横目で伊織の姿をチラリと見た。伊織は向こうの壁を向いて寝ている。帰ってきてからの彼女の様子が気になって、夜中に体調が悪くならないかと心配しているのである。
考えすぎか、と目をとじて寝ようとした時、伊織が寝返りを打った。咄嗟に目を閉じて、寝ているふりをしながらそーっと盗み見る。
伊織は天井を向いて腕で目を覆いながらハァと息をつく。起き上がって窓の外を数分眺めたところで布団を頭まで被った。しばらくモゾモゾと動いていたが、布団から這い出てきてまたため息を一つ。
声をかけるべきかと悩みつつ様子を伺う。
伊織は枕元においていた本を頬杖をついてパラパラとめくり始めた。月明かりの下で伏せ目がちに本を読む姿に銀時はドキッとしたが、伊織は突然ガクリと枕に突っ伏した。
え、と驚いて伊織にそーっと近寄ると、スースーと小さな寝息が聞こえる。
めちゃくちゃ焦ったじゃねーか…と思いつつ、伊織の腕を遠慮がちに掴み、布団の中に押し入れた。
もぞっと寝返りをうった伊織に思わずハンズアップしてその場に固まったが、彼女は綺麗な寝顔で眠っている。思わず目元にかかった前髪をはらい、するりと頬を撫でた。
手も顔も冷やっこいな…
じーっと寝顔を見つめていたが、いやいや俺は変態か!!?とふと我に帰り、銀時は自分の布団に戻って目を閉じた。しばらくは伊織の細腕と払った髪の柔らかさを思い出し、悶々として眠れなかったのだった。
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月明かりに照らされる彼女の姿はどこか消えてしまいそうに儚げだった。
「よろしくお願いします…って何で銀さん達そんな近くにいるのさ!!」
晴太は自分の目の前に居座る銀時と神楽に突っ込む。
「何でってそりゃあお前、ガキが変な気起こさねえか見張ってるんだよ。見りゃあわかんだろ。」
「おい晴太。オマエ伊織ちゃんが優しいからって甘えるんじゃねぇぞ。」
新八が呆れて声をかけるも二人は全く動こうとしない。結局月詠に「邪魔をするな!」と襟首を掴まれて引きずられる。
伊織はその様子を見てクスクスと笑いながら晴太が持ってきた参考書をパラパラとめくった。
ふむ。大体小4ぐらいの知識かな。
確かにつまづきやすくなってくるレベルのところだもんなぁ。
「おいら分数とか少数とかの計算、全然分からないんだよなー。それに面積を求めるのとか意味わかんないし他もてんでダメ。」
晴太は机に顎を乗せて気怠そうにノートをめくる。
算数がつまらなくて仕方ないようだ。ノートには落書きがちらほらと見受けられる。
成程ねとうなづき、伊織は両手を合わせた。
「よし!じゃあ今日は教科書とか鉛筆も使わずに勉強しよう!」
伊織以外がえぇ?!と驚いた様子で彼女を見つめる。
月詠は指導はどうした?!と心の中で叫んだが、とりあえず様子を見守る。
そんな中、伊織はニコニコしながら一枚のまっさらな紙を手にとって「今回は分数について理解しようか」と言う。
「晴太君は分数ってどんな数字だと思う?」
「どんなって…えーっと、分母と分子がある数?」
「そうだね。分母は1つのものを何個に分けたか、分子はその分けたものが何個あるか、って言うのを表すね。」
………
その後は実際にリンゴを使って神楽達にも参加してもらい丁寧に教える。
わちゃわちゃしつつも的確に質問に答え、分かりやすい解説を行う伊織。
晴太は完全に理解できた!と喜び、伊織とハイタッチをした。
30分ほどの指導が終わり、伊織は再び日輪たちと向かい合った。
「いやあ、驚いたわ。あの晴太がここまで楽しそうに勉強のことを質問したりするなんて。それに短時間でしっかりとお理解したようだしねえ。」
日輪は晴太の頭を撫でながらよかったと笑う。
「伊織先生のスッゲー楽しかったからまたやってほしいくらいだよ!!ねえ、次はいつ来てくれる?!」
「晴太をこれほどまでにやる気にさせるとは。日輪、どうするのじゃ。」
「是非頼みたいわ!伊織さん、うちの晴太をお願いします。」
「え、ほ、本当ですか?!」
まさか頼まれるとは思っていなかった伊織は目を見開いた。
それから日輪が提示した指導料にブンブンと頭を振り、今回の指導料だとお代を渡されるが、顔を青くして遠慮する。押し問答が続いたが最終的に伊織が折れたのだった。
帰り道、伊織は申し訳なさげな顔でお代を眺めている。
「何だか私、突然家に押しかけてくる悪徳セールスマンになった気分です…。本当によかったんでしょうか…。」
「そんなに謙遜しなくてもいいんですよ!それに強引に連れて行ったのは僕たちの方だし。」
「そうそう。これからがっぽりふんだくってやれー。」
伊織はそんなことできませんよお、と苦々しく笑いながらお代をしまった。
*
翌日、さらに事態が急展開を迎える。
晴太が伊織の指導のおかげで初めてテストで高得点を取り、不思議に思った先生が話を聞くと、是非ともうちで手伝いをしてほしい!!と言い出したらしい。
授業が終わった晴太が万事屋に訪れて伊織を寺子屋まで連行し、あれよあれよという間にそこで先生のお手伝いをすることに。
フットワークが軽すぎやしないか?!とクラクラする頭を押さえて考える。この寺子屋で教師をしている田浦先生は涙を流して喜んでいる。
「いやぁ!!本当に助かります!うちは教師が私しかいなくてなかなかたくさんの子供に手が回せなくて!!晴太君が理解できるような指導をした神崎さんがいればきっと子供達も喜びます!!!」
最近かぶき町に来たばかりで、その上身分証も持っていないことを伝えても、それでも構いません!!と言い切る田浦先生。
こうして日輪の時と同様、押し負けた伊織は苦労することなく(?)職をゲットしたのだった。
*
「伊織さん、何もそこまで深刻に考えなくても…」
急いで万事屋に帰った伊織は先程までの出来事を報告した。
嬉しいけれど本当にいいのか?と複雑な面持ちで話す伊織に新八は本当に慎み深い人だなあ、と笑みを溢す。
「それじゃあ明日から伊織ちゃん働きにいくアルか?」
「い、一応…。明日は掃除とか任せてもいいかな…?」
「もちろんです!僕たちのことは気にせずにお仕事頑張ってくださいね。」
「お前あんまり気張りすぎんなよ。そのうちぶっ倒れちまいそうで銀さん心配だわ。」
三人の激励を受けた伊織はパシンと頬を叩いて気合を入れるのであった。
翌日から平日は寺子屋に通った。
伊織は田浦先生の手伝いをしながら子供達ともすぐに仲良くなり、一緒に遊んだりお話をして勉強を教える。いつしか伊織の『よくできました』の頭を撫でる行為は子供達の中で大人気なものに。
また、晴太の家庭教師も大体週1で行い、少しずつ月詠とも仲良くなっていった。
*
大分寒くなってきたなぁ…。
お給料貰ったら一番に買うのは冬用の着物にしようかな。
伊織は寺子屋から万事屋への帰り道で、途中にある橋から川を見下ろしてぼーっと考え事をしていた。
川を見ると元の世界でのあの河川敷を思い出す。ここの川は水が澄んでいて川底が見えるけど、あの川はもっと濁っていた。
望郷の念に駆られて思わずため息が溢れる。
歩き出そうと足を踏み出した時、鼻からつうっと何かがしたってくるのを感じて鼻を抑える。
「うわ、鼻血出てきた…」
止まる気配のないそれに慌ててとりあえず端っこに移動して人に見られないように背を向けた。荷物を置いて、左手で鼻を押さえながら右手で袂の中を探る。ハンカチを取り出したころには顎からポタリと血が滴り、袖が汚れた。
げっと思いながら顔をしかめる。体から血液が流れ出ていくのを感じ、おもわず橋の手すりに手をついた。
目眩に耐えるようにグッと目を瞑って血が止まるのを待つ。
__さ____…さん
「伊織さん?」
声が聞こえた方に顔を向けると、そこには山崎と総悟が立っていた。
「…あぁ。山崎さん、沖田さん。こんにちは。」
「こんにちは。大丈夫?顔色が…って!」
「あんた手が血塗れですぜィ。」
山崎は伊織の手を見て慌て出し、総悟はあれまぁと言いながらまじまじと見てくる。
「あは、すみません…ちょっと鼻血出てきちゃって。」
「ちょ、ハンカチもほぼ真っ赤になっちゃってるし!ええと、ティッシュ!ティッシュ使ってください!!」
差し出されたティッシュを頂こうと手すりにかけていた右手を離した瞬間、ぐらりと目の前が揺れて体が傾く。
すると、山崎の横に立っていた総悟がポスリと伊織の体を受け止めた。
「大丈夫ですかィ」
「…すみません。わ、洋服が…!!」
顔から突っ込んだせいで総悟のスカーフには伊織の血がべとりとついてしまったのだ。
これ以上血がつかないようにグッと顔を背けた。
ようやく山崎からティッシュを受け取って首にまで滴っていた血を拭う。
「すみません、お仕事の邪魔しちゃって…。」
「気にしないでください。今は見廻り終えて屯所に戻るところだったんです。それよりも万事屋まで送りますよ。いいですよね?沖田隊長。」
「勝手にしろ。俺は屯所に戻る。」
「ちょっと!伊織さんのこと心配じゃないんですかあ?!」
「あの!大丈夫です!一人でも帰れるので…!」
本当にありがとうございました、と伊織は頭を下げて荷物を持ち歩き出したが、フラフラと3歩ほど歩いたところでヘナリとしゃがみ込んでしまった。山崎が慌てて駆け寄って伊織の肩を支えるのを横目で見ていた総悟はハァとため息をついてスタスタと近づいてくる。
「どけ。お前荷物持ちな。」
総悟は山崎を蹴って退かし、伊織を片腕に乗せるように持ち上げた。伊織は突然の浮遊感に小さく悲鳴を上げて総悟の肩に手をつく。
しまった…!と思ったが時すでに遅し。彼の隊服には伊織の血の手形が押されている。
「ヒェ…スミマセン…。」
「別にいいでさァ。落ちねえようにしっかり掴まってくだせェ。」
伊織はドギマギしながら控えめに肩の布地を摘んだ。
無言で固まっていると、クスクスと声がして伊織は肩をびくつかせた。
「鼓動が速ぇや。振動が伝わってきやがる。」
「あ、う、すみませ…が、頑張って止めまひゅ」
「はは、それじゃあ死んじまいますぜィ。」
伊織は緊張のあまり噛んでしまったのが恥ずかしく、さらに顔を真っ赤にして身を縮こまらせた。
総悟は「青くなったり赤くなったり大変なこった。」と呑気に笑う。
しばらく歩いたところで万事屋についた。
「ザキぃ、開けろよ。」
「わかってますって!…旦那〜!お邪魔しますよ〜!!」
戸を開けると沖田は当たり前のようにズカズカと入っていく。
「よぉ、チャイナ娘。」
「伊織ちゃん?!…オイお前伊織ちゃんに何したアルか?」
神楽が腕に抱えられた伊織を見て総悟を睨んだ。新八や銀時も何事かと立ち上がって近寄ってくる。
「いつもより帰ってくるの遅いと思ったら…何かあったんですか?」
「実は見廻りの帰りに橋のところで伊織さんを見かけたら鼻血出してフラフラしてたんです。それでここまで送り届けに。」
山崎が事情を説明している間に総悟は伊織を降ろし、伊織は彼にペコリと頭を下げた。
「すみません、ありがとうございました。」
「さっさと顔洗ってきなせェ。」
神楽が伊織に駆け寄り、支えながら洗面所に連れていく。
山崎は新八に伊織の荷物を渡して銀時を見た。
「旦那。伊織さんの顔色前よりも悪くなってませんか?鼻血だしてたからっていうのもあるかもしれないけどなんか、やつれたような…。」
「しかもちょー軽かったですぜィ。」
銀時は眉を潜めて洗面所を見遣った。
手持ち無沙汰になった総悟はくるりと方向転換し、さっさと帰っていく。山崎は隊長!!と叫んで銀時達と総悟を交互に見たが、戸が閉まる音を聞いて「じゃあ、俺達はこれで…」と総悟の後を追っていった。
しばらくしてタオルを抱えた伊織が神楽に連れられ戻ってきた。神楽は心配そうに伊織をソファに座らせる。
伊織はキョロキョロと辺りを見渡した。
「あれ、もしかして沖田さんと山崎さん…」
「ついさっき帰りましたよ。山崎さんがお大事にって。」
「あちゃー…、沖田さんの洋服についちゃった血、洗おうと思っていたんだけど…。今度謝りに行かなきゃ。」
新八と神楽の問いかけにあははと笑いながら大丈夫だよと答える伊織を銀時はじっと見つめる。
「…伊織。お前ちゃんと飯食ってるか?」
「えっ、はい。皆さんと一緒に…」
「あんなちょこっとで本当に足りてるアルか?遠慮してない?」
「ううん、本当にあれで十分だよ。」
「俺たちがいなかった時とか昼間は?今日何食べた?」
「え…と、まぁ、その…」
伊織の視線が泳ぎ、ゴニョゴニョと口籠る。
「食べてないんだな?」
「あの、ええと……あんまり、お腹すかなくて…」
伊織は観念して、困ったように笑いながら小さく呟いた。
オイオイマジかよと銀時は顔に手を当てる。
「ダメじゃないですか伊織さん!そんなんじゃ身体壊しちゃいますよ。」
「まったくもってその通りネ。だから鼻血出たアル!」
「え、え、鼻血は偶然だよ?体調も、全然大丈夫。」
ほらあ!と力瘤を見せるように腕を曲げるが細くて肉の薄い腕が貧弱さを増長するだけだ。
そういえば桂も顔色が悪いって言ってたな、とぼんやり思いだす。
少食の奴ってこんなもんなのか?と考えてみるも、自分の周りにいる奴で伊織と同じくらい食が細い人物など思い浮かばず、すぐに思考を放棄した。
「とりあえず、これからは腹空いてなくてもなんか食え。いいな?」
「はい…」
伊織は項垂れて返事をした。
その後は夕飯を準備しようとする伊織を新八が止め、いつもよりたくさん食べさせようと神楽が躍起になったり…。
伊織は大袈裟だよと眉を下げて笑いながら、二人を安心させようと元気よく振る舞った。
部屋に月明かりが溢れる真夜中。
銀時は珍しくまだ意識があり、横目で伊織の姿をチラリと見た。伊織は向こうの壁を向いて寝ている。帰ってきてからの彼女の様子が気になって、夜中に体調が悪くならないかと心配しているのである。
考えすぎか、と目をとじて寝ようとした時、伊織が寝返りを打った。咄嗟に目を閉じて、寝ているふりをしながらそーっと盗み見る。
伊織は天井を向いて腕で目を覆いながらハァと息をつく。起き上がって窓の外を数分眺めたところで布団を頭まで被った。しばらくモゾモゾと動いていたが、布団から這い出てきてまたため息を一つ。
声をかけるべきかと悩みつつ様子を伺う。
伊織は枕元においていた本を頬杖をついてパラパラとめくり始めた。月明かりの下で伏せ目がちに本を読む姿に銀時はドキッとしたが、伊織は突然ガクリと枕に突っ伏した。
え、と驚いて伊織にそーっと近寄ると、スースーと小さな寝息が聞こえる。
めちゃくちゃ焦ったじゃねーか…と思いつつ、伊織の腕を遠慮がちに掴み、布団の中に押し入れた。
もぞっと寝返りをうった伊織に思わずハンズアップしてその場に固まったが、彼女は綺麗な寝顔で眠っている。思わず目元にかかった前髪をはらい、するりと頬を撫でた。
手も顔も冷やっこいな…
じーっと寝顔を見つめていたが、いやいや俺は変態か!!?とふと我に帰り、銀時は自分の布団に戻って目を閉じた。しばらくは伊織の細腕と払った髪の柔らかさを思い出し、悶々として眠れなかったのだった。
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月明かりに照らされる彼女の姿はどこか消えてしまいそうに儚げだった。