とある音大生の女の子が知らない世界に放り出されるお話
第1章 狭間で揺れ動くは儚き花
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万事屋を訪れた来客は桂だった。
お茶出しをし、伊織は桂の向かいに座る。
桂は銀時と一言二言言葉を交えた後、ズズッとお茶を飲んだ。
伊織は冷や汗をたらりとかきながら両手を握り締めどうしようどうしよう…!と頭を悩ませていた。この1週間、万事屋とともに行動しながら帰る方法を探してはいたものの、さっぱり手がかりは掴めないし、この町、この世界について調べて明らかに歴史が異なることを理解しただけで正味現状は何一つ変わっていないのだ。
足の怪我もほとんど痛みがなく、小さな傷はだいたい治り、ほぼ完治したと言っても過言ではないくらいに回復した。
それってここを出ていくタイムリミットが来ちゃったってことだよね?!
あぁぁ…考えていなかったわけではないけど、呑気に過ごしすぎちゃったじゃないか!!!
町にあった求人とか見たりもしたけど、身分明かさずにできる仕事は怪しげなものばっかりだったし…!!
伊織が考えていることなど露知らず、桂は呑気に茶を飲み続ける。
銀時がげんなりした顔で何しにきたんだと問えば、もちろん伊織殿の様子を見にきたに決まっているだろう、と返した。
また、エリザベスが『怪我の具合はいかがですか?』と書かれたプラカードを掲げ、伊織を見つめる。
「おかげさまでほとんど治りました。万事屋の皆さんにも本当によくしてもらって…。」
ドギマギしながら答える伊織に桂は良かったと微笑んだ。
「しかし、少しやつれたか?あまり顔色がよくないように見えるが…」
桂はじっと伊織を見つめて首を傾げた。
そんなことはないと答えるが、以前よりも食欲が落ち、あまり眠れていないためほんの少し青白い顔をしているのは事実だ。
苦笑いを浮かべる伊織。桂は深く追求せずに気のせいかと呟く。
「えっと、や、やっぱりもう、出ていくべきですよね…。」
伊織の言葉に空気がぴしりと固まった。
「なんでアルか??!!!なんで突然そんな話になるアルか?!もしかして銀ちゃんの枕の加齢臭が移ったのが嫌だった?それとも銀ちゃんのだらしない姿を見るのが嫌になった?」
神楽はそれともあれ?これ?と捲し立ててくる。銀時が全部俺のせいにしてんじゃねーよ!と青筋を立てても聞く耳持たずだ。
伊織は違うの、神楽ちゃん。となんとか宥めて言葉を続ける。
「その、元々怪我が治るまでここにおいてもらう約束で、もう治ってしまったので…」
「でもまだ伊織さんの家は何処にあるかわからないままじゃないですか!」
「う、で、でも、約束は約束だし…このままおいてもらっても皆さんに何も返せるものがないからどこかで働いてきちんとお礼を…」
「礼なんていらないアル!!掃除してご飯作っておかえりなさいって言ってくれて伊織ちゃんは私たちの役にたってるネ!!」
だからどこにも行かないでヨ!と神楽は伊織に泣きつく。
新八もそうですよ!と立ち上がって声をあげた。
「伊織さんの食事とか掃除のおかげで仕事も頑張れるし、銀さんも多少ピシッとしてくれて万事屋は大助かりなんです!!伊織さんはすでに万事屋になくてはならない存在になってるんですよ!!」
年下二人の行かないで攻撃に狼狽えるが、でも…と口籠る。
恐る恐る銀時の様子を伺う。家主であり万事屋のリーダーである彼に決定権があるのだ。彼のいうことに従うほかあるまい、と目を逸らさずにじっと見つめる。
「え、別にいていいんじゃね?」
「え」
「え?」
「えぇ?」
銀時が何か問題でもあるのかとでもいいたげな表情で伊織を見るも、伊織は呆気にとられたようにえ?と聞き返す。
「でも、お金とか持っていないし…」
「飯作りとか掃除やらで十分だろ」
「食費を圧迫してしまうのでは…」
「神楽の食う量に比べたらたいして今までとかわんねーよ」
「日用品の消耗が…!」
「そんなの殆どないに等しいって」
「ぷ、プライベートな時間を減らしてしまうし!!」
「いやむしろそれはお前の方が神楽に邪魔されてるんじゃね?」
「坂田さんが毎回申し訳なさそうに布団を使うのが逆に申し訳なくて!!!」
「じゃあ遠慮なく使うって…」
神楽たちは二人を交互に見ながら会話を見守る。
伊織がムキになりながら何か絞り出そうと考えていると桂がボソッと会話に割り入ってきた。
「伊織殿は万事屋にいるのが嫌なのか?」
神楽は何を言っているんだ!と胸ぐらに掴みかかり、新八に定春まで抗議するが、桂はあっけらかんとした顔でしかしだな、と首を傾げた。
「双方なかなか折れないし、まだ何かいいたげな顔をしているじゃないか。」
「ちが、違いますっ!!!」
ガタリと音を立てて伊織が立ち上がった。初めて声を荒げた伊織を見た皆は驚き、視線が彼女に集まる。
顔を真っ赤にして震える手をギュッと握り締めながらワナワナと震える口を開く彼女の動作一つ一つを銀時たちは見守った。
「わたし、万事屋のみ、皆さんと過ごして、本当に安心できて、すごく、すごく、た、楽しかったです…。
掃除したり、ご飯作った時も、お世辞かもしれないけど、たくさん褒めてくれてやりがいがあったし。」
じわりと涙が滲んで瞳が熱くなるのを感じるが、グッと堪えて言葉を続ける。
「もともと、人と話すのがに、苦手で、すぐに言葉とか出てこなくても、ちゃんと待って聞いてくれるから、嬉しかったし。
坂田さんも、新八くんも神楽ちゃんも、良い人で、優しくて…たった1週間しか過ごしていないけど、だ、だい、大好きになりました!」
「だ、だから、何も、知らない、できないっ、自分が…ここにいていいのかわからないです…!」
磨かれたフローリングにポタリと滴が落ちた。
伊織にとって掃除や食事作りなどの家事は助けてくれたお礼には到底及ばないという認識なのだ。
ここまで連れてきてくれた桂や一週間面倒を見てくれた万屋、着物をくれたお登勢やまだあったことのない新八の姉、そして草鞋をくれたおばあさんや羽織をくれた老夫婦。
それら全員にやりきれないほどの感謝の念を抱いていた。彼らにとっては些細なことも含まれるのかもしれないが、知らない世界で無条件に手を差し伸べてくれた人だ。
縋れるものは他になく、たとえそれが悪人出逢ったとしても何も知らずに手を取っていただろう。
ここまで安全で安心できる環境に身を置けるのは確率にしたら何千、いや、何億、何兆分の1じゃないか。
だからこそ、恩を返しきれないという事実が伊織に重く重くのしかかり、こうも踏みとどまらせてしまっているのだった。
あまりにも健気な姿に銀時と桂は思わず胸を押さえた。
なんと温情深いことか。
耐えきれなくなった神楽と新八は思わず伊織に抱きつき、定春もクゥンと鳴きながらポロポロ溢れる伊織の涙を舐める。
私も、僕も大好きだとぎゅうぎゅうと抱きしめられて伊織は目を見開いて驚く。
「これは…どうやら愚問だったようだな。」
「愚問も愚問ヨ!!伊織ちゃんをこんなにも泣かせやがってぇ!!
今回は見逃すけど次会ったときは覚悟するヨロシ!!」
「本当ですよ!こんなに優しい人を泣かすなんて桂さんは万死に値します!!」
神楽と新八の怒りの矛先が桂に向くと、伊織は慌てて桂さんのせいじゃないよ!と訂正する。
縋り付く二人と一匹を今度は伊織がどうどうとなだめるように控えめに頭を撫でる。
てんやわんやだった状況がある程度落ち着いたところで銀時が伊織に声を掛けた。
「こいつらもめちゃくちゃ懐いてるし俺もお前がいてくれて助かってる。だから安心してここに居ろ。誰もお前をとやかく言う奴なんて居ねーんだから。」
「本当に…?迷惑じゃ、ないですか?」
「じゃねぇよ。」
銀時の言葉に伊織は涙を拭って姿勢を正し、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます…。私、皆さんのお役に立てるように、これからも頑張ります…!」
「伊織殿の処遇も決まったところだし、俺はそろそろお暇するぞ。」
「桂さん、私、あの日ろくにお礼も言えなくて…。
桂さんか居なかったら万事屋もう一度行くこともなかったでしょうし、ほんとに、ほんっとうに!感謝しています。も、もちろんエリザベスさんも。
だから、これから少しづつ、お二人の役にも立てるように、手伝えることとかはなんでもしますね。」
ぱあぁっと笑う伊織を見て桂はウッと目頭を押さえた後、ズカズカと銀時に詰め寄り、両肩を掴んだ。
「悪いようにはしない。伊織殿をこちらにくれんか。」
「何言ってやがんだヅラァ!!寄越すも何もねーよさっさと帰れ!!!」
「くそっ!あの時お前に頼まずに俺が保護していたら…!」
嘆く桂を万屋の三人は青筋を立てて睨みつける。
不意に新八が玄関の戸を開け、銀時がペイッと桂をはがす。するとそこに居間から助走をつけた神楽がホアチャーーー!!!!と飛びかかり、桂は思い切り玄関の外へ投げ飛ばされた。
呆気にとられる伊織にエリザベスはペコリとお辞儀をして万事屋を後にした。
三人はナイスチームプレイとでも言うかのようにハイタッチを交わす。
「だ、だ、大丈夫なんですか!?桂さん、飛んでっちゃった…?」
「大丈夫アル。伊織ちゃんを拐おうとする不逞な輩はもういなくなったから安心するヨロシ。」
そ、そういう問題なの??みんな当たり前みたいな顔してるよ…!
か、桂さーーーん!!!
そんな伊織の不安を他所に、銀時たちは今夜は祝杯だーー!!と騒いでいる。
そして言葉の通り彼らはその晩スナックお登勢にて歓迎会を開き、お登勢から「お前たち主役を差し置いて騒ぐんじゃないよ!!」と怒号を飛ばされるほど騒ぎまくったのだった。
どんちゃん騒ぎについては大体お察しの通りなので割愛させていただこう。
次の日、二日酔いでソファに項垂れる銀時に伊織は苦笑しながら水を差し出していた。この1週間あまり寝れていなく、疲れが取れていなかった伊織はアルコールは遠慮したので万事屋の中でダウンしているのは銀時だけだった。
「伊織ちゃんそんな奴放っておいていいアル。」
「そうですよ。伊織さんの歓迎会だからって特別にお代は無しでお酒飲めるからここぞとばかりに飲んでいた銀さんの自業自得です。」
「まあまあそう言わずに…。」
「クソォ…俺を気遣ってくれんのは伊織だけかよ…オイお前らもっと伊織を敬え!そして俺を崇め奉れよ…!!」
新八は完全に銀時の気配をシャットアウトし、そうだ!と何か思いついたように話し出す。
「これから僕の姉上に会いに行きませんか?ずっと紹介しようと思ってたんですけどなかなかタイミングが合わなかったんですよ!」
「それいいアルな!」
「ず、ずっと面と向かってお礼を言えずにいたんだけど怒ってないかな…?」
「そんなことないですよ!」
「おうおうさっさと行け…そして静かに寝かせろぉ…」
こうして伊織は銀時を一人残して新八と神楽と共に新八の姉のもとへ向かうことになった。
道中、緊張した様子の伊織に二人は大丈夫大丈夫と声を掛けながら引っ張っていく。
新八の家に着くと、伊織は家の大きさにはあぁ、とため息をこぼした。
「おっきい日本家屋…新八くんは良いところのご子息だったの?」
新八は笑いながら手を振る。
「違いますよ。ここは道場なんです。と言っても今は潰れかけなんですけどね。あ、どうぞ上がってください。」
伊織は客間に通されると庭や掛け軸などを興味深げにキョロキョロと見る。
うわぁ!なんだかすごく和って感じの家…!風流だなあ、と感嘆の声を上げていると、スッとふすまが開き、新八の姉らしき女性が入ってきた。
びくっと姿勢を正してその女性を見ると、彼女はにっこりと笑って向かいに座った。
「こんにちは。新ちゃんからいつも話は聞いています。
私は志村妙です。よろしくお願いしますね。」
「はひっ、あ、えと、神崎伊織です…!
よろしくお願いします…!」
お妙はふふふと笑ってそんなに緊張なさらないで、と頬に手を当てた。
「あの、草履とか寝巻きとか、大事に使わせていただいています。
きちんとお礼もできないままですみませんでした…!」
「構いませんよ。新ちゃんづてに貴女からのお礼は聞いていたから。」
「姉御、伊織ちゃんは人見知りだけどごっさ優しいからきっとすぐに仲良くなるネ!」
「あらあら、神楽ちゃんにも新ちゃんにもこんなに慕われてるのね。
ぜひ仲良くしてくださいな。伊織さんとお呼びしても?」
「ど、どうぞどうぞ!なんとでも呼んでください!」
「もう、そんなに緊張しないでください。私のことはお妙って呼んでくださいね。」
お妙は緊張しっぱなしの伊織を見て本当に可愛らしい方だこと、と微笑みながらたわいもない話に花を咲かせた。
日が暮れるとお妙がお近づきの印に夕飯でもご馳走するわ、と意気込んだところで神楽と新八が慌てたように彼女を止め、どうにか談笑会はお開きとなった。
万事屋への帰り道で、神楽がお妙の作る料理はダークマターだと伊織に教えると意外だと言う表情で
「すごく綺麗で優しい方がお料理苦手だなんて、可愛らしいね。」
と答えた。
「違うアル!あれは料理が苦手ってレベルじゃないヨ!伊織ちゃんにあんなもの食べさせたら死んじゃうアル!」
神楽があまりにも神妙な顔つきでお妙の料理の恐ろしさを語り尽くす。
万事屋に着くと、神楽が大きな声で「銀ちゃ〜ん、ただいまヨ〜!」と叫ぶ。伊織も中に入ると「失礼します」と呟いて、草履を脱ごうとした時だった。
「伊織ちゃん、違うアル。ここはもう伊織ちゃんのお家ネ。」
じっと見つめて神楽は伊織の言葉を待つ。
伊織はドキドキしながら口を開く。
「た、ただいま…」
神楽はにっこりと笑うと伊織に抱きつき、「おかえり!!」と返した。
*
「オイ、桂の情報は何か掴めたか。」
「それが副長、1週間ほど前に桂と接触した女性についてなんですけど…、どうやら最近万事屋に居座っている女性の特徴とほぼ一致しているんですよ。でもその女、名前以外の情報が何も出てこないんです。それに名前も旦那たちが呼んでいるのを聞いてようやく掴めたくらいで。」
「正体不明ってことか。怪しいな。」
確かに怪しくはあるんですが…彼女のことを数日つけたんです。」
「どうだったんだ。」
パッとしない男の方が口を噤むと三白眼の男が睨み、その先を急かす。
彼らは一体何をしようとしているのか。伊織の預かり知らぬところで事態は大きく変わろうとしていた。
_________________________
一難去って、もしかしてまた一難…?
お茶出しをし、伊織は桂の向かいに座る。
桂は銀時と一言二言言葉を交えた後、ズズッとお茶を飲んだ。
伊織は冷や汗をたらりとかきながら両手を握り締めどうしようどうしよう…!と頭を悩ませていた。この1週間、万事屋とともに行動しながら帰る方法を探してはいたものの、さっぱり手がかりは掴めないし、この町、この世界について調べて明らかに歴史が異なることを理解しただけで正味現状は何一つ変わっていないのだ。
足の怪我もほとんど痛みがなく、小さな傷はだいたい治り、ほぼ完治したと言っても過言ではないくらいに回復した。
それってここを出ていくタイムリミットが来ちゃったってことだよね?!
あぁぁ…考えていなかったわけではないけど、呑気に過ごしすぎちゃったじゃないか!!!
町にあった求人とか見たりもしたけど、身分明かさずにできる仕事は怪しげなものばっかりだったし…!!
伊織が考えていることなど露知らず、桂は呑気に茶を飲み続ける。
銀時がげんなりした顔で何しにきたんだと問えば、もちろん伊織殿の様子を見にきたに決まっているだろう、と返した。
また、エリザベスが『怪我の具合はいかがですか?』と書かれたプラカードを掲げ、伊織を見つめる。
「おかげさまでほとんど治りました。万事屋の皆さんにも本当によくしてもらって…。」
ドギマギしながら答える伊織に桂は良かったと微笑んだ。
「しかし、少しやつれたか?あまり顔色がよくないように見えるが…」
桂はじっと伊織を見つめて首を傾げた。
そんなことはないと答えるが、以前よりも食欲が落ち、あまり眠れていないためほんの少し青白い顔をしているのは事実だ。
苦笑いを浮かべる伊織。桂は深く追求せずに気のせいかと呟く。
「えっと、や、やっぱりもう、出ていくべきですよね…。」
伊織の言葉に空気がぴしりと固まった。
「なんでアルか??!!!なんで突然そんな話になるアルか?!もしかして銀ちゃんの枕の加齢臭が移ったのが嫌だった?それとも銀ちゃんのだらしない姿を見るのが嫌になった?」
神楽はそれともあれ?これ?と捲し立ててくる。銀時が全部俺のせいにしてんじゃねーよ!と青筋を立てても聞く耳持たずだ。
伊織は違うの、神楽ちゃん。となんとか宥めて言葉を続ける。
「その、元々怪我が治るまでここにおいてもらう約束で、もう治ってしまったので…」
「でもまだ伊織さんの家は何処にあるかわからないままじゃないですか!」
「う、で、でも、約束は約束だし…このままおいてもらっても皆さんに何も返せるものがないからどこかで働いてきちんとお礼を…」
「礼なんていらないアル!!掃除してご飯作っておかえりなさいって言ってくれて伊織ちゃんは私たちの役にたってるネ!!」
だからどこにも行かないでヨ!と神楽は伊織に泣きつく。
新八もそうですよ!と立ち上がって声をあげた。
「伊織さんの食事とか掃除のおかげで仕事も頑張れるし、銀さんも多少ピシッとしてくれて万事屋は大助かりなんです!!伊織さんはすでに万事屋になくてはならない存在になってるんですよ!!」
年下二人の行かないで攻撃に狼狽えるが、でも…と口籠る。
恐る恐る銀時の様子を伺う。家主であり万事屋のリーダーである彼に決定権があるのだ。彼のいうことに従うほかあるまい、と目を逸らさずにじっと見つめる。
「え、別にいていいんじゃね?」
「え」
「え?」
「えぇ?」
銀時が何か問題でもあるのかとでもいいたげな表情で伊織を見るも、伊織は呆気にとられたようにえ?と聞き返す。
「でも、お金とか持っていないし…」
「飯作りとか掃除やらで十分だろ」
「食費を圧迫してしまうのでは…」
「神楽の食う量に比べたらたいして今までとかわんねーよ」
「日用品の消耗が…!」
「そんなの殆どないに等しいって」
「ぷ、プライベートな時間を減らしてしまうし!!」
「いやむしろそれはお前の方が神楽に邪魔されてるんじゃね?」
「坂田さんが毎回申し訳なさそうに布団を使うのが逆に申し訳なくて!!!」
「じゃあ遠慮なく使うって…」
神楽たちは二人を交互に見ながら会話を見守る。
伊織がムキになりながら何か絞り出そうと考えていると桂がボソッと会話に割り入ってきた。
「伊織殿は万事屋にいるのが嫌なのか?」
神楽は何を言っているんだ!と胸ぐらに掴みかかり、新八に定春まで抗議するが、桂はあっけらかんとした顔でしかしだな、と首を傾げた。
「双方なかなか折れないし、まだ何かいいたげな顔をしているじゃないか。」
「ちが、違いますっ!!!」
ガタリと音を立てて伊織が立ち上がった。初めて声を荒げた伊織を見た皆は驚き、視線が彼女に集まる。
顔を真っ赤にして震える手をギュッと握り締めながらワナワナと震える口を開く彼女の動作一つ一つを銀時たちは見守った。
「わたし、万事屋のみ、皆さんと過ごして、本当に安心できて、すごく、すごく、た、楽しかったです…。
掃除したり、ご飯作った時も、お世辞かもしれないけど、たくさん褒めてくれてやりがいがあったし。」
じわりと涙が滲んで瞳が熱くなるのを感じるが、グッと堪えて言葉を続ける。
「もともと、人と話すのがに、苦手で、すぐに言葉とか出てこなくても、ちゃんと待って聞いてくれるから、嬉しかったし。
坂田さんも、新八くんも神楽ちゃんも、良い人で、優しくて…たった1週間しか過ごしていないけど、だ、だい、大好きになりました!」
「だ、だから、何も、知らない、できないっ、自分が…ここにいていいのかわからないです…!」
磨かれたフローリングにポタリと滴が落ちた。
伊織にとって掃除や食事作りなどの家事は助けてくれたお礼には到底及ばないという認識なのだ。
ここまで連れてきてくれた桂や一週間面倒を見てくれた万屋、着物をくれたお登勢やまだあったことのない新八の姉、そして草鞋をくれたおばあさんや羽織をくれた老夫婦。
それら全員にやりきれないほどの感謝の念を抱いていた。彼らにとっては些細なことも含まれるのかもしれないが、知らない世界で無条件に手を差し伸べてくれた人だ。
縋れるものは他になく、たとえそれが悪人出逢ったとしても何も知らずに手を取っていただろう。
ここまで安全で安心できる環境に身を置けるのは確率にしたら何千、いや、何億、何兆分の1じゃないか。
だからこそ、恩を返しきれないという事実が伊織に重く重くのしかかり、こうも踏みとどまらせてしまっているのだった。
あまりにも健気な姿に銀時と桂は思わず胸を押さえた。
なんと温情深いことか。
耐えきれなくなった神楽と新八は思わず伊織に抱きつき、定春もクゥンと鳴きながらポロポロ溢れる伊織の涙を舐める。
私も、僕も大好きだとぎゅうぎゅうと抱きしめられて伊織は目を見開いて驚く。
「これは…どうやら愚問だったようだな。」
「愚問も愚問ヨ!!伊織ちゃんをこんなにも泣かせやがってぇ!!
今回は見逃すけど次会ったときは覚悟するヨロシ!!」
「本当ですよ!こんなに優しい人を泣かすなんて桂さんは万死に値します!!」
神楽と新八の怒りの矛先が桂に向くと、伊織は慌てて桂さんのせいじゃないよ!と訂正する。
縋り付く二人と一匹を今度は伊織がどうどうとなだめるように控えめに頭を撫でる。
てんやわんやだった状況がある程度落ち着いたところで銀時が伊織に声を掛けた。
「こいつらもめちゃくちゃ懐いてるし俺もお前がいてくれて助かってる。だから安心してここに居ろ。誰もお前をとやかく言う奴なんて居ねーんだから。」
「本当に…?迷惑じゃ、ないですか?」
「じゃねぇよ。」
銀時の言葉に伊織は涙を拭って姿勢を正し、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます…。私、皆さんのお役に立てるように、これからも頑張ります…!」
「伊織殿の処遇も決まったところだし、俺はそろそろお暇するぞ。」
「桂さん、私、あの日ろくにお礼も言えなくて…。
桂さんか居なかったら万事屋もう一度行くこともなかったでしょうし、ほんとに、ほんっとうに!感謝しています。も、もちろんエリザベスさんも。
だから、これから少しづつ、お二人の役にも立てるように、手伝えることとかはなんでもしますね。」
ぱあぁっと笑う伊織を見て桂はウッと目頭を押さえた後、ズカズカと銀時に詰め寄り、両肩を掴んだ。
「悪いようにはしない。伊織殿をこちらにくれんか。」
「何言ってやがんだヅラァ!!寄越すも何もねーよさっさと帰れ!!!」
「くそっ!あの時お前に頼まずに俺が保護していたら…!」
嘆く桂を万屋の三人は青筋を立てて睨みつける。
不意に新八が玄関の戸を開け、銀時がペイッと桂をはがす。するとそこに居間から助走をつけた神楽がホアチャーーー!!!!と飛びかかり、桂は思い切り玄関の外へ投げ飛ばされた。
呆気にとられる伊織にエリザベスはペコリとお辞儀をして万事屋を後にした。
三人はナイスチームプレイとでも言うかのようにハイタッチを交わす。
「だ、だ、大丈夫なんですか!?桂さん、飛んでっちゃった…?」
「大丈夫アル。伊織ちゃんを拐おうとする不逞な輩はもういなくなったから安心するヨロシ。」
そ、そういう問題なの??みんな当たり前みたいな顔してるよ…!
か、桂さーーーん!!!
そんな伊織の不安を他所に、銀時たちは今夜は祝杯だーー!!と騒いでいる。
そして言葉の通り彼らはその晩スナックお登勢にて歓迎会を開き、お登勢から「お前たち主役を差し置いて騒ぐんじゃないよ!!」と怒号を飛ばされるほど騒ぎまくったのだった。
どんちゃん騒ぎについては大体お察しの通りなので割愛させていただこう。
次の日、二日酔いでソファに項垂れる銀時に伊織は苦笑しながら水を差し出していた。この1週間あまり寝れていなく、疲れが取れていなかった伊織はアルコールは遠慮したので万事屋の中でダウンしているのは銀時だけだった。
「伊織ちゃんそんな奴放っておいていいアル。」
「そうですよ。伊織さんの歓迎会だからって特別にお代は無しでお酒飲めるからここぞとばかりに飲んでいた銀さんの自業自得です。」
「まあまあそう言わずに…。」
「クソォ…俺を気遣ってくれんのは伊織だけかよ…オイお前らもっと伊織を敬え!そして俺を崇め奉れよ…!!」
新八は完全に銀時の気配をシャットアウトし、そうだ!と何か思いついたように話し出す。
「これから僕の姉上に会いに行きませんか?ずっと紹介しようと思ってたんですけどなかなかタイミングが合わなかったんですよ!」
「それいいアルな!」
「ず、ずっと面と向かってお礼を言えずにいたんだけど怒ってないかな…?」
「そんなことないですよ!」
「おうおうさっさと行け…そして静かに寝かせろぉ…」
こうして伊織は銀時を一人残して新八と神楽と共に新八の姉のもとへ向かうことになった。
道中、緊張した様子の伊織に二人は大丈夫大丈夫と声を掛けながら引っ張っていく。
新八の家に着くと、伊織は家の大きさにはあぁ、とため息をこぼした。
「おっきい日本家屋…新八くんは良いところのご子息だったの?」
新八は笑いながら手を振る。
「違いますよ。ここは道場なんです。と言っても今は潰れかけなんですけどね。あ、どうぞ上がってください。」
伊織は客間に通されると庭や掛け軸などを興味深げにキョロキョロと見る。
うわぁ!なんだかすごく和って感じの家…!風流だなあ、と感嘆の声を上げていると、スッとふすまが開き、新八の姉らしき女性が入ってきた。
びくっと姿勢を正してその女性を見ると、彼女はにっこりと笑って向かいに座った。
「こんにちは。新ちゃんからいつも話は聞いています。
私は志村妙です。よろしくお願いしますね。」
「はひっ、あ、えと、神崎伊織です…!
よろしくお願いします…!」
お妙はふふふと笑ってそんなに緊張なさらないで、と頬に手を当てた。
「あの、草履とか寝巻きとか、大事に使わせていただいています。
きちんとお礼もできないままですみませんでした…!」
「構いませんよ。新ちゃんづてに貴女からのお礼は聞いていたから。」
「姉御、伊織ちゃんは人見知りだけどごっさ優しいからきっとすぐに仲良くなるネ!」
「あらあら、神楽ちゃんにも新ちゃんにもこんなに慕われてるのね。
ぜひ仲良くしてくださいな。伊織さんとお呼びしても?」
「ど、どうぞどうぞ!なんとでも呼んでください!」
「もう、そんなに緊張しないでください。私のことはお妙って呼んでくださいね。」
お妙は緊張しっぱなしの伊織を見て本当に可愛らしい方だこと、と微笑みながらたわいもない話に花を咲かせた。
日が暮れるとお妙がお近づきの印に夕飯でもご馳走するわ、と意気込んだところで神楽と新八が慌てたように彼女を止め、どうにか談笑会はお開きとなった。
万事屋への帰り道で、神楽がお妙の作る料理はダークマターだと伊織に教えると意外だと言う表情で
「すごく綺麗で優しい方がお料理苦手だなんて、可愛らしいね。」
と答えた。
「違うアル!あれは料理が苦手ってレベルじゃないヨ!伊織ちゃんにあんなもの食べさせたら死んじゃうアル!」
神楽があまりにも神妙な顔つきでお妙の料理の恐ろしさを語り尽くす。
万事屋に着くと、神楽が大きな声で「銀ちゃ〜ん、ただいまヨ〜!」と叫ぶ。伊織も中に入ると「失礼します」と呟いて、草履を脱ごうとした時だった。
「伊織ちゃん、違うアル。ここはもう伊織ちゃんのお家ネ。」
じっと見つめて神楽は伊織の言葉を待つ。
伊織はドキドキしながら口を開く。
「た、ただいま…」
神楽はにっこりと笑うと伊織に抱きつき、「おかえり!!」と返した。
*
「オイ、桂の情報は何か掴めたか。」
「それが副長、1週間ほど前に桂と接触した女性についてなんですけど…、どうやら最近万事屋に居座っている女性の特徴とほぼ一致しているんですよ。でもその女、名前以外の情報が何も出てこないんです。それに名前も旦那たちが呼んでいるのを聞いてようやく掴めたくらいで。」
「正体不明ってことか。怪しいな。」
確かに怪しくはあるんですが…彼女のことを数日つけたんです。」
「どうだったんだ。」
パッとしない男の方が口を噤むと三白眼の男が睨み、その先を急かす。
彼らは一体何をしようとしているのか。伊織の預かり知らぬところで事態は大きく変わろうとしていた。
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一難去って、もしかしてまた一難…?