とある音大生の女の子が知らない世界に放り出されるお話
第1章 狭間で揺れ動くは儚き花
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「それじゃあまずは私がよく行く公園に行くアル!」
「待て待て待て!神楽ちゃん、この散策は伊織さんの帰り道を探すものでもあるんだから。まずは伊織さんが通った道を探そうよ。」
遊びに行く気満々の神楽を新八が宥めると、不満げな顔でむくれる神楽。
そんな神楽には目もくれず新八は伊織に問いかけた。
「伊織さん、どこら辺を歩いたか覚えてますか?」
「えっと確か…この先の大通りの、どれか、横の細い道です。」
「じゃあとりあえず大通りに行きましょうか。」
そうして三人は大通りへと向かった。
昨日よりも人々の往来は激しくなく歩きやすい。
神楽はたくさんの店を指差しながらあれこれと教えてくれる。
「ここは銀ちゃんがよく甘い物食べてる処アル。」
「銀さんは甘味が大好きなんですよ。だから冷蔵庫にはイチゴ牛乳のストックがあるんですよ。」
「へぇ、意外ですね。コーヒーとか好きそうって思ってました。」
クスクスと笑い合いながら銀時の話をしていると、例の道にたどり着いた。
三人と一匹は大通りの横の道に入り、しばらく歩くと長屋がまばらにある閑散とした路地で立ち止まった。
「ここ…。ここに気付いたら立っていて、サンダルも片っぽしかなかったんです。」
あたりを見渡してみるもなくなったもう片方のサンダルは見当たらない。
「そのあとは川があるところに行きました。」
彼らは伊織と桂が出会った川にたどり着いたが、当然なんの手掛かりもない。伊織は少し困ったように笑うと「ごめんね」と呟く。
「結構歩いたしここで少し休憩していきましょう。」
新八はそういうと河原に座った。伊織もその隣に座ったが、神楽は定春とちょっと遊んでくるアル!と言って駆け出す。
伊織は走り回っている神楽と定春を見て小さく笑った。
「神楽ちゃんには退屈だったかな。志村くんも付き合ってくれてありがとうございます。」
「いえ、そんな大したことはしていないので!
…あの伊織さん、僕にも神楽ちゃんみたいに気軽に話してくださいね。失礼かもしれませんが多分、僕より年上ですよね?」
新八は女性に歳の話をするのは不味かったかな?と思いながら伊織を窺うと、伊織は少し目を見開いてすぐに微笑んだ。
「ごめんなさい、なんとなく切り替えるタイミングを見失っていたところだったの。私は21歳だよ。」
「えっ!もっと若いかと思っていました!僕は16歳で、姉上は18歳なんです。てっきり姉上と同じくらいか1個上くらいかと…。」
「と、年相応の行動を心がけているつもりだったんだけどそんなに子供っぽいかな…。」
新八は慌てて弁解した。別に行動が子供じみているわけではないが、お妙と同い年と言われても納得できるような容貌だ、と。申し訳なさそうに何度も謝る新八をクスクスと笑いながら大丈夫だよ、と宥める。
聞くところによると新八の姉はすでに働いているらしい。伊織はそれなら大人びているのも当然だと思った。伊織はまだ学生で本格的に働いたことはない。
21歳で大学生の伊織と、18歳で社会人の新八の姉。相対的に見たら同じように見えるのだろう。
「神楽ちゃんも新八くんも、それにお姉さんもすごいね。私より若いのにしっかり働いている。」
「伊織さんは何をしていたんですか?」
「私は…、そうだなぁ。音楽について勉強していたの。まあ平たくいうと学生、かな。」
新八は驚いた表情でその年になっても勉強しているんですか?と言う。彼の言い方的に嫌味でもなんでもなく、大人になっても学ぶ意欲があることを感心しているようだ。
年下の彼らが働いているのに勉強していました、と言うのが少し気後れしていたが、普通に受け入れてくれたようで伊織は安堵した。
それとなく自分がしていたことを話していると、伊織の顔が少し曇る。つい先日までは普通に生活をしていたのに今は考えられないような非日常を体感している。それがひしひしと感じられるのだ。
伊織はため息をつき、空を見上げた。
「私、帰れるのかな…」
伊織がポツリと小さく呟いた言葉に新八は顔をあげた。
「大丈夫です。僕たち万事屋が絶対に伊織さんを家まで送ってあげます。」
なんてったって万事屋ですから!と胸を張る新八に心強いや、と微笑んだが、心の中の表情は暗いままだ。
「でも、もし伊織さんとお別れすることになったらきっと神楽ちゃんが大変ですね。今朝みたいに抱きついて離れないかも。」
「ふふっ、力一杯に抱きしめられるのは嬉しいけど息ができないのはちょっと辛いなぁ。」
二人は神楽を見ながら笑い合った。
神楽たちの満足がいくまで遊ばせた後は普通に町をぶらつき、適当なところで昼食を食べ、空がオレンジ色になる頃には万事屋に戻った。
伊織は今日こそは夕飯の支度を手伝うと言うと神楽も名乗り出て、その日の夕飯は三人で少しドタバタしながらカレーを作った。
伊織が器によそったカレーは神楽達と比べると半分以下。神楽はそんなんで足りるアルか?と尋ねると、伊織は苦笑しながら私はこれで十分だよと答えた。
「明日はもっと色んなとこ案内するアル!私遊ぶ所たくさん知ってるから教えてあげるヨロシ!」
ばっと抱きついてきた神楽の頭を撫でながら困り顔で銀時を見遣る。
銀時はデジャヴを感じながらポリポリと頬をかいた。
「明日は依頼が入ったからなぁ。しかも2件。」
銀時が呟くと、神楽はブーブーと文句を言い始めた。
「なんでこんな時に限っていつもより忙しいアルか?!
銀ちゃんと新八だけで行ってこいヨ!!私は伊織ちゃんと遊びたいアルーー!!!!」
神楽はヤダヤダと言いながら伊織に抱きつきグリグリと伊織のお腹に頭を埋める。銀時はわがまま言うんじゃありません!と言うがなかなか言うことを聞かない。
「神楽ちゃん、私は明日じゃなくても神楽ちゃんの予定が空く日、ちゃんと待ってるよ。」
伊織は頭を撫でながらそう言うと神楽の動きがピタリと止まった。「私が神楽ちゃんぐらいの歳のころは勉強してて働いてなかったの。ね、神楽ちゃんって本当に凄い子なんだよ。その歳でしっかり働くなんてホントに偉いねぇ。」
伊織は純粋に心の底からすごいすごいと褒めまくると、神楽が顔を上げ、じっと伊織の顔を見つめた。
神楽は上がりそうになる口角をぐっと抑え込んだような表情で銀時の方を向くとポツリと呟く。
「…仕方ないから明日はこの神楽様が行ってやるネ。感謝しろヨ、お前ら。」
「それなら伊織さんはどうするんですか?」
新八の疑問に全員が確かに…と押し黙る。
すると伊織は何か閃いたような顔つきでそれなら、と提案した。
「私、ここをお掃除しておきます。あとお登勢さんから着物をいただいたお礼もできていないので何か手伝いに行こうかと…。」
伊織はご迷惑でしたら皆さんが出る時に一緒に出ます!と慌てて付け足した。
ドキドキしながら返答を待っていると、銀時は二つ返事で了承したためほっと胸を撫で下ろした。
その後は昨日の夜と同じように新八が家に帰るのを見送り、神楽と一緒にお風呂に入って就寝。
…のはずだが、やはり一向に寝付けない。布団を頭まで被り目を閉じても眠気は微塵も感じられず、深いため息をついて天井を眺める。
何も考えずにぼーっとしとけばいつの間にか寝てるかな、と思考を停止させるも伊織の目は夜が明けるのをしっかりと見届けた。
寝ないと疲れがとれないのに全っ然眠くならない…
うぅ、体が怠い…
軽く頭を振り深呼吸をする。布団をたたみ襖を開けて、事務所のソファを見ると銀時の掛け布団は少し床に落ちて大きな体を縮こまらせて寝ていた。
足音を立てないように近づき掛け布団をしっかりと掛け直し、念のためその上からもう一枚掛け布団を被せる。小さい声で謝り、洗面所でワンピースに着替え新八が来るのを待つこと小一時間。
挨拶をすると入れ替わるように伊織は下のスナックへと向かった。
「お登勢さん、おはようございます。」
戸を叩き中をそっと覗き込んで挨拶をすると奥からお登勢が出てきた。
「おはよう。さ、こっちあがんな。」
昨日の手順を思い出し、手伝ってもらいながら着付けていく。
四苦八苦しながらもなんとか着付けを済ますと伊織は話を切り出した。
「お登勢さん、突然なんですが着物いただいて着付けを教わっているお礼に今日、何かお手伝いさせてもらえませんか?」
礼なんて言葉だけで充分だがねぇ、と呟くとわかりやすく表情が落ち込む。そんな伊織を見てお登勢は頭を悩ませた。
「…そうだねえ。じゃあ昼から掃除でもしてもらおうかね。」
伊織はパァッと顔を明るくし、頑張ります、と意気込んだ。
今日も今日とて丁寧にお辞儀をして帰って行く伊織を見てお登勢はひとりごちた。
「ホントに出来た子だねぇ。たまには良い拾い物してくるじゃないかい、銀時の奴。」
「それじゃあここに掃除道具は大体揃っているので、基本家の中のものはなんでも使って大丈夫ですよ。」
「わかりました。頑張ってピカピカにするね。」
新八に気になる点をいくつか質問し終えると三人と一匹を玄関まで見送る。
銀時が靴を履き終えるとそうだ、と振り向きざまに鍵を手渡してきた。
「出るときは戸締りよろしく。」
伊織は鍵と銀時を交互に見ながら慌てる。
「え、か、鍵なんて私に渡して大丈夫なんですか??」
「でも日中はいるんだろ?何、それ持って逃げちゃう感じ?伊織チャン」
ブンブンと首を振る伊織を見て銀時はふはっと笑うと戸に手を掛けた。
「い、行ってらっしゃい。気をつけてくださいね。」
彼らは気の緩むような返事をしながら仕事に出かけたのだった。
か、鍵、絶対無くさないようにしなきゃ。
あれ、着物の時ってどこに仕舞えば良いんだろ?袂?
え、でも穴あいてるから落ちたりなんかしたら…
伊織は一時鍵の仕舞いどころに悩んだが、とりあえず万事屋にいる間はテーブルの上に置いておくことにして掃除に取りかかった。
布団を干し、洗濯機を回して掃除機をかける。シンクを磨いたりコンロ回りを綺麗に拭いてフローリングも水拭きをする。
事務所の壁に掛けてある『糖分』と書かれた掛け軸のようなものを見てふふっと笑みを溢す。
「これは坂田さんが甘いもの好きだから掛かってたのかぁ。」
押入れや風呂場、トイレなど至る所を掃除し尽くすといつの間にか時計の針は真上を向いていた。
お腹は空いていないし、お昼は良いかなと考え、ソファに座ると一息つく。他人の家だからか自分の部屋を掃除する時よりも3割マシ真剣に取り組んだ結果、風呂場や台所はだいぶ綺麗になった。
しばらく達成感に浸った後、きちんと戸締りをして袂に鍵があるのを確認し、下の階に向かう。
軽く戸を叩き、挨拶をして中を覗くと、中には緑の髪の毛の女性が箒を持って立っていた。
伊織は緊張しながら声を掛けるとそこにお登勢と猫耳の女性がやってきた。
お登勢さんの紹介によると緑の髪の女性がたまで、猫耳の女性はキャサリンというらしい。
「よ、万事屋でお世話になっている神崎伊織です。
よろしくお願いします。」
少し上擦った声で自己紹介をするとキャサリンが見定めるかのようにマジマジと見つめてくる。身を固くしながらその視線に耐えているとお登勢がキャサリンの頭をバシッと叩いた。
「オ登勢サン何スルンデスカ?!」
「失礼なことすんじゃないよ!怯えてるじゃないか!」
「私ハタダコノ娘ヲ見極メテタダケデスヨ!」
キャサリンはお登勢に一通り怒られると伊織に向き直る。
「ドウヤラ貴女ハオ登勢サンに見込マレテイルヨウデス。仕方ナイカラヨロシクシテヤルヨ。」
お登勢は無言でもう一度キャサリンを叩くと、何事もなかったかのように手伝いの指示を出した。
お登勢とキャサリンはこれから出掛けるようだからたまと二人で掃除と買出しをする、といった内容だ。
「それじゃあ頼んだよ。何かわからない事があったらたまに聞きな。」
「シッカリ掃除シロヨ!帰ッタラ隅マデチェックスルカラナァ!」
そう二人は言い残し、去って行った。
「えっと、たまさんって呼んでも良いですか…?」
「勿論です。これからよろしくお願いします、伊織様。」
「様!?あ、ああのもっと気軽に呼んでください!!」
ワタワタとしているとたまはクスリと笑って「では伊織さんとお呼びしますね。」と答えた。
それから二人は分担して店内を掃除した。棚を拭きながらそういえば日本酒ってあんまり飲んだ事ないなぁと酒瓶を眺める。
こういうところって常連さんのためのお酒とかツケとかあるのかな。
うわ、このお酒重っ!あ、これって高麗人参が入ってるお酒?
たまは楽しげに掃除をする伊織の後ろ姿を見て微笑む。
二人がかりでやったおかげか予定よりも早めに掃除を終えた二人は少し休憩をしてから買い出しに向かった。
伊織は綺麗な人だなぁ、とチラリとたまを見て頬を染める。
「伊織さん、万事屋では上手くやっていますか?」
「へっ?!え、あ、た、多分…神楽ちゃんと新八くんとはそれなりに会話できるんですが、坂田さんは少し…いや、だいぶ緊張します。」
伊織は恥ずかしげにえへへと笑う。
元々引っ込み思案なタイプでパーソナルスペースの狭い伊織にとっては今の生活はなかなかにハードなものである。
年下の神楽のスキンシップはドギマギはするがなんとか耐えられるし、新八も気を遣ってくれているのが目に見えて分かるからなんとか普通に接する事ができる。しかし、銀時だけは接し方が分からずじまいなのだ。飄々とした態度で何を考えているのかわかりづらく、近寄り難いかと思えばスルッとこちらのスペースに入り込んできて距離感を掴みにくい。
「…でも、それでもあの人達に出会えて本当に良かったって心の底から思います。会わせてくれたのは桂さんなんですけど…。
もし彼らのところに行かなかったら今頃どうなっていたことか。」
「大丈夫です。銀時様のこともきっとちゃんとわかりますよ。
チャランポランで死んだ魚の目をしているけど、とても優しくて強い人です。
今度話しかけてみてはいかがですか?不誠実な方なので慣れると話しやすいし接しやすいですよ。あぁ、こんな人間もいるのか…って実感すると思います。」
最終的には貶すように締めくくったたまの言葉に伊織は一瞬ぽかんとしたがクスクスと笑った。
二人は買い出しを終え、お登勢とキャサリンが帰ってくるまで会話に花を咲かせた。
帰ってきたお登勢は出掛ける前よりもいくらか表情の緩んだ伊織を見て愁眉を開いた。見た目が同年代だと緊張も解れやすいかと出払ったのはどうやら正解だったようだ。
仕事ぶりも申し分なく、あのキャサリンにさえもふにゃふにゃとした雰囲気のまま優しげに接する伊織には裏があるとは思えない。今までの会話で全て猫を被っているとしたら彼女は日本一の大女優だ、と思いながらよくやったね、と声をかけた。
「それじゃあ、またお手伝いできる事があったら是非声をかけてください。今日のお手伝いだけじゃ着物のお礼に全然足りないし、何より皆さんと一緒にいるのすごく楽しかったので。」
頬を赤らめてはにかみながらそう伝える伊織にキャサリンは見えるはずのない後光が見えた。
伊織が失礼しました、と店を後にするとお登勢はたまに伊織の様子を聞いた。
「万事屋では緊張しつつもうまくやっているようです。
ですが銀時様は特に緊張するらしく、他のお二人よりかうまく接する事ができないと言っていました。
とても可愛らしいお方ですね。出会った人たちのことをずっと褒めていてまさかのキャサリンさんへの賛辞も耳にしました。」
「オイ”マサカノ”ハ余計ダロ。デ、ナンテ言ッテタンデスカ?」
「猫耳が可愛らしくて芯のある素敵な女性ですね、とおっしゃっていました。」
キャサリンはフンっと息を吐くも、「私ノ魅力ガ分カル奴に悪イ人ハイナイデェス。」と嬉しげに呟いた。
ですが、とたまは言葉を続けた。
「いつ帰れるかも分からないし、この生活がいつまで続くかも分からないのが不安で仕方ないそうです。」
たまは困り顔で笑っていた伊織の表情を思い出す。
お登勢はふうぅっとタバコの煙を吐き出して天井を見遣る。
「早く安心して心の底から笑った顔が見たいもんだねぇ。」
_________________________
不安の見え隠れする笑顔は燻らせた紫煙のように儚く見えて。
「待て待て待て!神楽ちゃん、この散策は伊織さんの帰り道を探すものでもあるんだから。まずは伊織さんが通った道を探そうよ。」
遊びに行く気満々の神楽を新八が宥めると、不満げな顔でむくれる神楽。
そんな神楽には目もくれず新八は伊織に問いかけた。
「伊織さん、どこら辺を歩いたか覚えてますか?」
「えっと確か…この先の大通りの、どれか、横の細い道です。」
「じゃあとりあえず大通りに行きましょうか。」
そうして三人は大通りへと向かった。
昨日よりも人々の往来は激しくなく歩きやすい。
神楽はたくさんの店を指差しながらあれこれと教えてくれる。
「ここは銀ちゃんがよく甘い物食べてる処アル。」
「銀さんは甘味が大好きなんですよ。だから冷蔵庫にはイチゴ牛乳のストックがあるんですよ。」
「へぇ、意外ですね。コーヒーとか好きそうって思ってました。」
クスクスと笑い合いながら銀時の話をしていると、例の道にたどり着いた。
三人と一匹は大通りの横の道に入り、しばらく歩くと長屋がまばらにある閑散とした路地で立ち止まった。
「ここ…。ここに気付いたら立っていて、サンダルも片っぽしかなかったんです。」
あたりを見渡してみるもなくなったもう片方のサンダルは見当たらない。
「そのあとは川があるところに行きました。」
彼らは伊織と桂が出会った川にたどり着いたが、当然なんの手掛かりもない。伊織は少し困ったように笑うと「ごめんね」と呟く。
「結構歩いたしここで少し休憩していきましょう。」
新八はそういうと河原に座った。伊織もその隣に座ったが、神楽は定春とちょっと遊んでくるアル!と言って駆け出す。
伊織は走り回っている神楽と定春を見て小さく笑った。
「神楽ちゃんには退屈だったかな。志村くんも付き合ってくれてありがとうございます。」
「いえ、そんな大したことはしていないので!
…あの伊織さん、僕にも神楽ちゃんみたいに気軽に話してくださいね。失礼かもしれませんが多分、僕より年上ですよね?」
新八は女性に歳の話をするのは不味かったかな?と思いながら伊織を窺うと、伊織は少し目を見開いてすぐに微笑んだ。
「ごめんなさい、なんとなく切り替えるタイミングを見失っていたところだったの。私は21歳だよ。」
「えっ!もっと若いかと思っていました!僕は16歳で、姉上は18歳なんです。てっきり姉上と同じくらいか1個上くらいかと…。」
「と、年相応の行動を心がけているつもりだったんだけどそんなに子供っぽいかな…。」
新八は慌てて弁解した。別に行動が子供じみているわけではないが、お妙と同い年と言われても納得できるような容貌だ、と。申し訳なさそうに何度も謝る新八をクスクスと笑いながら大丈夫だよ、と宥める。
聞くところによると新八の姉はすでに働いているらしい。伊織はそれなら大人びているのも当然だと思った。伊織はまだ学生で本格的に働いたことはない。
21歳で大学生の伊織と、18歳で社会人の新八の姉。相対的に見たら同じように見えるのだろう。
「神楽ちゃんも新八くんも、それにお姉さんもすごいね。私より若いのにしっかり働いている。」
「伊織さんは何をしていたんですか?」
「私は…、そうだなぁ。音楽について勉強していたの。まあ平たくいうと学生、かな。」
新八は驚いた表情でその年になっても勉強しているんですか?と言う。彼の言い方的に嫌味でもなんでもなく、大人になっても学ぶ意欲があることを感心しているようだ。
年下の彼らが働いているのに勉強していました、と言うのが少し気後れしていたが、普通に受け入れてくれたようで伊織は安堵した。
それとなく自分がしていたことを話していると、伊織の顔が少し曇る。つい先日までは普通に生活をしていたのに今は考えられないような非日常を体感している。それがひしひしと感じられるのだ。
伊織はため息をつき、空を見上げた。
「私、帰れるのかな…」
伊織がポツリと小さく呟いた言葉に新八は顔をあげた。
「大丈夫です。僕たち万事屋が絶対に伊織さんを家まで送ってあげます。」
なんてったって万事屋ですから!と胸を張る新八に心強いや、と微笑んだが、心の中の表情は暗いままだ。
「でも、もし伊織さんとお別れすることになったらきっと神楽ちゃんが大変ですね。今朝みたいに抱きついて離れないかも。」
「ふふっ、力一杯に抱きしめられるのは嬉しいけど息ができないのはちょっと辛いなぁ。」
二人は神楽を見ながら笑い合った。
神楽たちの満足がいくまで遊ばせた後は普通に町をぶらつき、適当なところで昼食を食べ、空がオレンジ色になる頃には万事屋に戻った。
伊織は今日こそは夕飯の支度を手伝うと言うと神楽も名乗り出て、その日の夕飯は三人で少しドタバタしながらカレーを作った。
伊織が器によそったカレーは神楽達と比べると半分以下。神楽はそんなんで足りるアルか?と尋ねると、伊織は苦笑しながら私はこれで十分だよと答えた。
「明日はもっと色んなとこ案内するアル!私遊ぶ所たくさん知ってるから教えてあげるヨロシ!」
ばっと抱きついてきた神楽の頭を撫でながら困り顔で銀時を見遣る。
銀時はデジャヴを感じながらポリポリと頬をかいた。
「明日は依頼が入ったからなぁ。しかも2件。」
銀時が呟くと、神楽はブーブーと文句を言い始めた。
「なんでこんな時に限っていつもより忙しいアルか?!
銀ちゃんと新八だけで行ってこいヨ!!私は伊織ちゃんと遊びたいアルーー!!!!」
神楽はヤダヤダと言いながら伊織に抱きつきグリグリと伊織のお腹に頭を埋める。銀時はわがまま言うんじゃありません!と言うがなかなか言うことを聞かない。
「神楽ちゃん、私は明日じゃなくても神楽ちゃんの予定が空く日、ちゃんと待ってるよ。」
伊織は頭を撫でながらそう言うと神楽の動きがピタリと止まった。「私が神楽ちゃんぐらいの歳のころは勉強してて働いてなかったの。ね、神楽ちゃんって本当に凄い子なんだよ。その歳でしっかり働くなんてホントに偉いねぇ。」
伊織は純粋に心の底からすごいすごいと褒めまくると、神楽が顔を上げ、じっと伊織の顔を見つめた。
神楽は上がりそうになる口角をぐっと抑え込んだような表情で銀時の方を向くとポツリと呟く。
「…仕方ないから明日はこの神楽様が行ってやるネ。感謝しろヨ、お前ら。」
「それなら伊織さんはどうするんですか?」
新八の疑問に全員が確かに…と押し黙る。
すると伊織は何か閃いたような顔つきでそれなら、と提案した。
「私、ここをお掃除しておきます。あとお登勢さんから着物をいただいたお礼もできていないので何か手伝いに行こうかと…。」
伊織はご迷惑でしたら皆さんが出る時に一緒に出ます!と慌てて付け足した。
ドキドキしながら返答を待っていると、銀時は二つ返事で了承したためほっと胸を撫で下ろした。
その後は昨日の夜と同じように新八が家に帰るのを見送り、神楽と一緒にお風呂に入って就寝。
…のはずだが、やはり一向に寝付けない。布団を頭まで被り目を閉じても眠気は微塵も感じられず、深いため息をついて天井を眺める。
何も考えずにぼーっとしとけばいつの間にか寝てるかな、と思考を停止させるも伊織の目は夜が明けるのをしっかりと見届けた。
寝ないと疲れがとれないのに全っ然眠くならない…
うぅ、体が怠い…
軽く頭を振り深呼吸をする。布団をたたみ襖を開けて、事務所のソファを見ると銀時の掛け布団は少し床に落ちて大きな体を縮こまらせて寝ていた。
足音を立てないように近づき掛け布団をしっかりと掛け直し、念のためその上からもう一枚掛け布団を被せる。小さい声で謝り、洗面所でワンピースに着替え新八が来るのを待つこと小一時間。
挨拶をすると入れ替わるように伊織は下のスナックへと向かった。
「お登勢さん、おはようございます。」
戸を叩き中をそっと覗き込んで挨拶をすると奥からお登勢が出てきた。
「おはよう。さ、こっちあがんな。」
昨日の手順を思い出し、手伝ってもらいながら着付けていく。
四苦八苦しながらもなんとか着付けを済ますと伊織は話を切り出した。
「お登勢さん、突然なんですが着物いただいて着付けを教わっているお礼に今日、何かお手伝いさせてもらえませんか?」
礼なんて言葉だけで充分だがねぇ、と呟くとわかりやすく表情が落ち込む。そんな伊織を見てお登勢は頭を悩ませた。
「…そうだねえ。じゃあ昼から掃除でもしてもらおうかね。」
伊織はパァッと顔を明るくし、頑張ります、と意気込んだ。
今日も今日とて丁寧にお辞儀をして帰って行く伊織を見てお登勢はひとりごちた。
「ホントに出来た子だねぇ。たまには良い拾い物してくるじゃないかい、銀時の奴。」
「それじゃあここに掃除道具は大体揃っているので、基本家の中のものはなんでも使って大丈夫ですよ。」
「わかりました。頑張ってピカピカにするね。」
新八に気になる点をいくつか質問し終えると三人と一匹を玄関まで見送る。
銀時が靴を履き終えるとそうだ、と振り向きざまに鍵を手渡してきた。
「出るときは戸締りよろしく。」
伊織は鍵と銀時を交互に見ながら慌てる。
「え、か、鍵なんて私に渡して大丈夫なんですか??」
「でも日中はいるんだろ?何、それ持って逃げちゃう感じ?伊織チャン」
ブンブンと首を振る伊織を見て銀時はふはっと笑うと戸に手を掛けた。
「い、行ってらっしゃい。気をつけてくださいね。」
彼らは気の緩むような返事をしながら仕事に出かけたのだった。
か、鍵、絶対無くさないようにしなきゃ。
あれ、着物の時ってどこに仕舞えば良いんだろ?袂?
え、でも穴あいてるから落ちたりなんかしたら…
伊織は一時鍵の仕舞いどころに悩んだが、とりあえず万事屋にいる間はテーブルの上に置いておくことにして掃除に取りかかった。
布団を干し、洗濯機を回して掃除機をかける。シンクを磨いたりコンロ回りを綺麗に拭いてフローリングも水拭きをする。
事務所の壁に掛けてある『糖分』と書かれた掛け軸のようなものを見てふふっと笑みを溢す。
「これは坂田さんが甘いもの好きだから掛かってたのかぁ。」
押入れや風呂場、トイレなど至る所を掃除し尽くすといつの間にか時計の針は真上を向いていた。
お腹は空いていないし、お昼は良いかなと考え、ソファに座ると一息つく。他人の家だからか自分の部屋を掃除する時よりも3割マシ真剣に取り組んだ結果、風呂場や台所はだいぶ綺麗になった。
しばらく達成感に浸った後、きちんと戸締りをして袂に鍵があるのを確認し、下の階に向かう。
軽く戸を叩き、挨拶をして中を覗くと、中には緑の髪の毛の女性が箒を持って立っていた。
伊織は緊張しながら声を掛けるとそこにお登勢と猫耳の女性がやってきた。
お登勢さんの紹介によると緑の髪の女性がたまで、猫耳の女性はキャサリンというらしい。
「よ、万事屋でお世話になっている神崎伊織です。
よろしくお願いします。」
少し上擦った声で自己紹介をするとキャサリンが見定めるかのようにマジマジと見つめてくる。身を固くしながらその視線に耐えているとお登勢がキャサリンの頭をバシッと叩いた。
「オ登勢サン何スルンデスカ?!」
「失礼なことすんじゃないよ!怯えてるじゃないか!」
「私ハタダコノ娘ヲ見極メテタダケデスヨ!」
キャサリンはお登勢に一通り怒られると伊織に向き直る。
「ドウヤラ貴女ハオ登勢サンに見込マレテイルヨウデス。仕方ナイカラヨロシクシテヤルヨ。」
お登勢は無言でもう一度キャサリンを叩くと、何事もなかったかのように手伝いの指示を出した。
お登勢とキャサリンはこれから出掛けるようだからたまと二人で掃除と買出しをする、といった内容だ。
「それじゃあ頼んだよ。何かわからない事があったらたまに聞きな。」
「シッカリ掃除シロヨ!帰ッタラ隅マデチェックスルカラナァ!」
そう二人は言い残し、去って行った。
「えっと、たまさんって呼んでも良いですか…?」
「勿論です。これからよろしくお願いします、伊織様。」
「様!?あ、ああのもっと気軽に呼んでください!!」
ワタワタとしているとたまはクスリと笑って「では伊織さんとお呼びしますね。」と答えた。
それから二人は分担して店内を掃除した。棚を拭きながらそういえば日本酒ってあんまり飲んだ事ないなぁと酒瓶を眺める。
こういうところって常連さんのためのお酒とかツケとかあるのかな。
うわ、このお酒重っ!あ、これって高麗人参が入ってるお酒?
たまは楽しげに掃除をする伊織の後ろ姿を見て微笑む。
二人がかりでやったおかげか予定よりも早めに掃除を終えた二人は少し休憩をしてから買い出しに向かった。
伊織は綺麗な人だなぁ、とチラリとたまを見て頬を染める。
「伊織さん、万事屋では上手くやっていますか?」
「へっ?!え、あ、た、多分…神楽ちゃんと新八くんとはそれなりに会話できるんですが、坂田さんは少し…いや、だいぶ緊張します。」
伊織は恥ずかしげにえへへと笑う。
元々引っ込み思案なタイプでパーソナルスペースの狭い伊織にとっては今の生活はなかなかにハードなものである。
年下の神楽のスキンシップはドギマギはするがなんとか耐えられるし、新八も気を遣ってくれているのが目に見えて分かるからなんとか普通に接する事ができる。しかし、銀時だけは接し方が分からずじまいなのだ。飄々とした態度で何を考えているのかわかりづらく、近寄り難いかと思えばスルッとこちらのスペースに入り込んできて距離感を掴みにくい。
「…でも、それでもあの人達に出会えて本当に良かったって心の底から思います。会わせてくれたのは桂さんなんですけど…。
もし彼らのところに行かなかったら今頃どうなっていたことか。」
「大丈夫です。銀時様のこともきっとちゃんとわかりますよ。
チャランポランで死んだ魚の目をしているけど、とても優しくて強い人です。
今度話しかけてみてはいかがですか?不誠実な方なので慣れると話しやすいし接しやすいですよ。あぁ、こんな人間もいるのか…って実感すると思います。」
最終的には貶すように締めくくったたまの言葉に伊織は一瞬ぽかんとしたがクスクスと笑った。
二人は買い出しを終え、お登勢とキャサリンが帰ってくるまで会話に花を咲かせた。
帰ってきたお登勢は出掛ける前よりもいくらか表情の緩んだ伊織を見て愁眉を開いた。見た目が同年代だと緊張も解れやすいかと出払ったのはどうやら正解だったようだ。
仕事ぶりも申し分なく、あのキャサリンにさえもふにゃふにゃとした雰囲気のまま優しげに接する伊織には裏があるとは思えない。今までの会話で全て猫を被っているとしたら彼女は日本一の大女優だ、と思いながらよくやったね、と声をかけた。
「それじゃあ、またお手伝いできる事があったら是非声をかけてください。今日のお手伝いだけじゃ着物のお礼に全然足りないし、何より皆さんと一緒にいるのすごく楽しかったので。」
頬を赤らめてはにかみながらそう伝える伊織にキャサリンは見えるはずのない後光が見えた。
伊織が失礼しました、と店を後にするとお登勢はたまに伊織の様子を聞いた。
「万事屋では緊張しつつもうまくやっているようです。
ですが銀時様は特に緊張するらしく、他のお二人よりかうまく接する事ができないと言っていました。
とても可愛らしいお方ですね。出会った人たちのことをずっと褒めていてまさかのキャサリンさんへの賛辞も耳にしました。」
「オイ”マサカノ”ハ余計ダロ。デ、ナンテ言ッテタンデスカ?」
「猫耳が可愛らしくて芯のある素敵な女性ですね、とおっしゃっていました。」
キャサリンはフンっと息を吐くも、「私ノ魅力ガ分カル奴に悪イ人ハイナイデェス。」と嬉しげに呟いた。
ですが、とたまは言葉を続けた。
「いつ帰れるかも分からないし、この生活がいつまで続くかも分からないのが不安で仕方ないそうです。」
たまは困り顔で笑っていた伊織の表情を思い出す。
お登勢はふうぅっとタバコの煙を吐き出して天井を見遣る。
「早く安心して心の底から笑った顔が見たいもんだねぇ。」
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不安の見え隠れする笑顔は燻らせた紫煙のように儚く見えて。